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カール・フォン・クラウセヴィッツ 『戦争論』

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プロイセンの軍人によって書かれた戦争に関する研究書を読む。昔、人に『クラウゼヴィッツの戦略思考―『戦争論』に学ぶリーダーシップと決断の本質』を薦められたことがあって、このビジネス書のほうは読んでないんだけれども「ビジネス書に応用される『戦争論』ってどういうものなんだろうか」と気になっていたのだった。岩波文庫の中巻以降、各論に入ってきて、やれ、山地での防御はどうだ、とか、やれ、要塞を攻めるにはどうだ、みたいな話に入ってくると、かなり読むのがキツいのだが、上巻の概論的な部分は結構面白い。記述のスタイルもドイツ哲学っぽくて。ああ、昔の軍人って知的エリートだったんだな、と感心させられた。「やっつけるときは、もう、手を抜かず、徹底的にやれ」とか「戦力は分散させるよりも、集中したほうが良いよ」みたいなことが難しい言葉で書かれている。

ともあれ、わたしが最も興味を持ったのが、本書の序文で。クラウセヴィッツの死後出版となった本書の序文を、夫人であるマリー・クラウセヴィッツが書いているんだけれども、これがなんというかお葬式で未亡人が「突然のことで故人も驚いていると思うのですが……」とさめざめ泣きながらスピーチしている感じがあって、なんだか良いのである。しかも「戦争に関する本に、女のわたしが序文を寄せるなんて、恐れ多いし、女はこの世界に入ってくるな! というお声もあるかと思うのですが」的なエクスキューズからはじまるのね。夫が遺した仕事をどんな気持ちで、この女性は引き継いだんだろうか、どんな生涯を送った人なんだろうか、とか、本書の内容と全然関係ないことに興味が引っ張られましたね。

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