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ロベルト・ボラーニョ 『アメリカ大陸のナチ文学』

アメリカ大陸のナチ文学 (ボラーニョ・コレクション)
ロベルト・ボラーニョ
白水社
売り上げランキング: 101,990
チリ生まれの小説家、ロベルト・ボラーニョの初期作品を読む。小説を読んでいて「これは俺が書きたかった小説だなぁ」とため息がでることがあるけれど、実在しない作家たちの生涯を事典形式でまとめたテイで書かれているこの作品もそういう本。彼・彼女らはファシズムを支持していたり、カルト教団を作ったり……と破茶滅茶な思考回路を持ち、みんな数奇な運命をたどる。そして良い死に方をしない。事典形式の本だから、どの作家の人生も淡々としていて、ドライな文章で綴られている。ガルシア=マルケスのような荒唐無稽とも言える過剰な比喩や、ボルヘスのような読み手を幻惑するペダントリーは、本作にはない。そして、ひとつひとつの作家のエピソードは、小さな物語だ。しかし、それらが積み重なって、大きな世界とうねりを作り上げている。マジックリアリズム、と呼ばれる小説群とは、まったく違うのだが、たしかにこの小説には魔法がかけられている。

主人公である作家たちは架空の人物なのだが、現実の人物もこの世界に迷い込み、そして作家の批評的な視線にさらされる。たとえば、アルゼンチンを代表する作家、コルタサルとボルヘスはこんな風に言及される。「コルタサルを非現実的で残忍であると酷評し、またボルヘスを、「カリカチュアのカリカチュアである」物語を書き、イギリス文学およびフランス文学のような「何度となく語られ、嫌というほど使い古された」今や落ち目の文学を材料に瀕死の人物を創作している」。

もちろん、この架空の世界に迷い込むのは、現実の文学だけではない。政治、経済、戦争、そして、サッカー。作家のシニカルな目で現実が弄ばれるようだ。なかでも、最高だと思ったのは、ボカ・ジュニアーズの熱狂的サポーターで、フーリガンを組織する作家が、ラテンアメリカのサッカーがヨーロッパのトータルフットボールに対抗する手段として、クライフやベッケンバウアーの暗殺を提案する、というところ。「デブ」というニックネームで呼ばれるこの作家は、危険人物として国際的に指名手配され、行方知れずになっているのだが、サッカー・ワールドカップが開催されるたびに沈黙を破って、スタジアムに姿を現わす……。

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