岸本佐知子 『なんらかの事情』

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なんらかの事情 (ちくま文庫)
岸本 佐知子
筑摩書房
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翻訳家の岸本佐知子のエッセイが文庫になっていた。以前に同じ著者の『ねにもつタイプ』を読んだときは、普段、普通の人が、当然のものとして受け入れ、自明視しているような言葉や常識へのひっかかり(あるいはつまづき)から、妄想の迷宮へと旅立ってしまうような文章に魅力を覚えたけれど、本書も同様だ。

しかも、著者の語りの多くが、旅立ったまま帰ってこない。物語の類型のなかには「行って、帰ってくる」物語、というのがある。たとえばホメロスの『オデュッセイア』なんかがその代表だ。「行って、帰ってくる」という表現を使っていたのはたしか村上春樹だったと思うんだけれども、村上春樹もそういうタイプの小説を書いている。岸本佐知子が書くエッセイは、それとは真逆で「帰ってこない日本代表」みたいな感じさえある。

ちょうどこないだ読んだミランダ・ジュライの『いちばんここに似合う人』(岸本が訳している)に収録された物語も、全然「帰ってこない」話だった。物語が、登場人物が、読者に背中を見せたまま、スタスタと歩き去っていく。不穏な空気や、モヤモヤとした残り香のようなものが残されている。それは読者のうえを物語が通りすぎた痕跡だ。帰ってこない、からこそ、その痕跡の大きさがハッキリと感じられる。帰ってこない話には、そういう面白さがあると思う。

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