井筒俊彦 『『コーラン』を読む』

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『コーラン』を読む (岩波現代文庫)
井筒 俊彦
岩波書店
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井筒俊彦が1982年におこなったセミナーを元にした本。若松英輔の解説によれば、1982年という年は『意識と本質』の雑誌連載を終わった年だという。言わば、井筒の哲学が完熟期を迎えた時期の作品だと言えるのかもしれない。彼が訳した『コーラン』(言わずと知れたイスラーム教の聖典のひとつだ)を読解する、それも『コーラン』が成立したコンテクストに読者を連れ込み、原始的な、ネイキッドな意味を読み込もう、という試みがここでなされている。しかし、井筒がまず読もうとするのは『コーラン』の冒頭のほんの一部分に過ぎない。
讃えあれ、アッラー、万世の主、
慈悲ふかく慈愛あまねき御神、
審きの日の主宰者。
汝をこそ我らはあがめまつる、汝にこそ救いを求めまつる。
願わくば我らを導いて正しき道を辿らしめ給え、
汝の御怒りを蒙る人々や、踏みまよう人々の道ではなく、
汝の嘉し給う人々の道を歩ましめ給え。
たったこれだけ。しかし、井筒はこんな風に言う。「結局、これだけ読んでいれば、少なくとも宗教的には『コーラン』全部を読んだだけの効果があるわけなのですから」。たった7行に『コーラン』すべてがッ、ホントですかッ、と思うのだが、これも井筒流といったところか(そういえば『ロシア的人間』では、プーシキンを読んだら、ロシア文学がたちどころにわかるッ! と言っている。)。話し言葉の本ので、書き言葉の作品よりも饒舌に感じられるのも面白かった。井筒の文章には、内面から湧き上がってくる勢いのある声のように感じられるのだが、この本を読むと、それは肉声としても表現されていたのだな、と思う。

とにかく膨大な知識をもっている人だからなのか、このたった7行からも膨大に語りが広がっていく。当然読み手には彼が持っているデータの全体にアクセスすることはできないから、置いてきぼりにされながらも、なんとなく圧倒されて納得せざるをえない部分もある。たとえば、
元来、Allahという語は、言語的には、al-ilahの詰まったもので、al-は、さっきも申しましたように定冠詞。ilahは、ちょっとごらんになればおわかりになると思いますが、ヘブライ語のelohimと同じ語源の、「神」を意味する普通名詞
というのだが「ちょっとごらんになれば」に必要な前提条件が大きすぎるだろう、と全力でツッコミたくなるところである。しかし、この言葉のひとつひとつを細かに読んでいくところに、井筒俊彦の哲学のエッセンスが詰まっているので読み逃せない。『コーラン』入門、でありながら、井筒哲学入門としても良い本。

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