中川純男(編) 『哲学の歴史〈第3巻〉神との対話: 中世 信仰と知の調和』

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哲学の歴史〈第3巻〉神との対話―中世 信仰と知の調和

中央公論新社
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かねてから読もう読もうと思っていた本。中世哲学に関する概説書は、すでに講談社選書メチエの『西洋哲学史』の2巻を読んでいたが、こちらのほうがまだ初学者向けのものと言えるかも。どちらの本も通史的にストーリーを描くものではなく、論考のアンソロジーだけれども、講談社のほうがテーマごとの論考なのに対して、こっちは基本的には人物ごと(重要人物に関しては人物のテーマごと)に論考がわかれている。

総論としては、中世という時代は、神学とアリストテレスに代表されるギリシャ哲学をうまいこと総合しようとした人がいろいろといたんだよ、という感じ。どの論考もこの大きなテーマを共有していると言えよう。これは西洋のキリスト教徒に限った話ではなく、イスラームの世界でも同じ。本書で大きくフィーチャーされているのは、アヴィセンナ(イブン・シーナー)とアヴェロエス(イブン・ルシュド)だけだが、彼らもまたイスラーム教神学とギリシャ哲学のマッシュアップをやろうとしていたのである(そして彼らが一生懸命ギリシャ哲学の注解をおこなったおかげで、ヨーロッパでもギリシャ哲学の受容が促された)。

このあたりのポイントをつかんでおかないと、扱っている時代のスパンが1400年ぐらいあり「どこが歴史なのか」と迷ってしまいそうである。あと、アリストテレスの形而上学・自然学の基本的な部分がわかっていないと普遍論争あたりの議論って全然意味わかんないよな、という風に改めて思った(なお、本書のオッカムの章では、オッカムとドゥンス・スコトゥスとの論争が極めてコンパクトにまとめられていて、すごくわかった気になった)。

昨年までルネサンス・初期近代の関連の本を読んできたけれども、今年はちょっと中世強化期間といきたい。

今回、中世まで遡ってみて「西洋哲学って結局、ずっとアリストテレスのターンなんじゃん」と思ったが、ふと、中世とルネサンスとでアリストテレスの運用局面が全然違うんだな、と気がつく。この本のテーマが神学や認識論に偏っているからそう思えただけなのかもしれないが、中世では遠い神のこと、あるいは、人間自身についてアリストテレスを使っていたのに対して、ルネサンス以降は、神と人間のあいだにある自然においてアリストテレスが使われているような気がするのだった。

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