辻調理専門学校(編) 『辻調が教えるおいしさの公式 日本料理』

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辻調が教えるおいしさの公式 日本料理 (ちくま文庫)

筑摩書房
売り上げランキング: 304,976
ここ数年めっきり自分で料理をする機会は減ってしまったが、料理本を読むことはむしろ増えているんじゃないか、というわたしである。まるで通信カラテで黒帯をとった気分というか、アダルトビデオを見て経験値を得た気分になっているというか、実践がまったくともなっていなくて大変カッコ悪いのだが、料理をしなくても料理本は面白い。『辻調が教えるおいしさの公式』もなかなか良い本で「料理の東大」と呼ばれる調理専門学校が編集している(この学校の創始者である辻静雄の伝記小説はめちゃくちゃ面白かった!)。写真はあまり使われておらず、文章とイラストを中心として説明がなされているのだが「日本料理」の巻では、道具の選び方・使い方からはじまって、無駄のない簡潔な料理本と言えよう。

華やかな写真を使用した料理本は盛り付け例などで参考になるし、なにより食欲の想像力を刺激する。本書にはそういうのがない。そのかわり、ヴィジュアルで攻めてくる料理本とは違う「通読できる料理本」としての魅力がある。「日本料理」というと料亭料理・上品な割烹料理を想像してしまうが、収録されているレシピは、出汁の引き方からはじまって和食の基本的な料理ばかり。材料リストや調理方法の記述は、ぶっちゃけ読み飛ばしてしまって良いのだが、各料理に食材の選び方や、食材の活かし方のポイントが記載されている。これがとても面白い。なにしろ「おいしさの公式」であるから、読んでいて「なるほど、プロの料理人はこういうところに気を使って料理しているのね〜」と感心させられる部分がある。

わたしが一番感心したのは「蛸ときゅうりの酢のもの」で「きゅうりを輪切りにせず、一度縦に切って、なかの種をとって使う(種の部分は一番青臭くて、水分も多く含んでいる)と、より蛸の食感とのコントラストが際立つぞ」と書いてあったこと。料理人ではないから、ふむーん……と思うほかないが、こういうのを知っているか知らないかで料理の食べ方も変わってくるようにも思う。作り手からすると、うっとおしい食べ手であろうけれども(しかし、こういう本を読んだからといって蘊蓄をひけらかすわけではない)自然と料理を美味しくする方法だけじゃなく、料理の美味しさとはなにか、我々はなにを美味しいとおもっているのか、というところも考えさせられるのだった。

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Number Girl / 記録映像 LIVE 1999-2002

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記録映像 LIVE 1999-2002 [Blu-ray]
ユニバーサルミュージック (2015-06-24)
売り上げランキング: 709
昨年ぐらいからNumber Girlのアルバムのリマスター再発が続いており、本作も「未発表・発掘ライヴ映像集」として発売されたBDである。未発表、と言いつつも、1999年のライジングサンのライヴや、2001年のフジロックの映像はテレビで放映されていたはずでYoutubeで一部を観たことがあったが、時期的には最後の2002年のライヴとまとめてみるとこのバケモノじみたバンドの全貌をうまくパッケージングした映像集になっている、と思う。3枚のスタジオ・アルバムにそれぞれのライヴが対応している。1999年は(メジャーでの)ファースト発表後、2001年はセカンド発表後、2002年は解散直前といった具合。たった3年間のあいだにバンドの音はもちろん、ステージ上でのパフォーマンスも変貌していくのが大変興味深い。収録されているディスクの順番通りに見れば、2002年 → 1999年 → 2001年という時間の辿り方をするのだが、2002年のキレキレっぷり、そして解散直前の音楽的な成熟(と次に向かっている感じ。その将来像はバンド解散によって霧消するのだが)から1999年に移ると、途端に1999年のものが初々しいものに思える。いや、この時点でバンドとしてのステージ数は相当なものになっていたハズだが、それでも向井修徳の表情の作り方にはややカブき方めいたわざとらしさを感じてしまった。若さと「これからメジャーで天下取ったるゼ」的な雰囲気をビンビンに感じる。あと、1999年の観客、2001年の観客の姿がよく写っているのだが、顔や髪型に「一昔前」感を強烈に感じてしまい、それはそれでショックに感じた。バンド解散直前には「ほとんどダブ・バンド」みたいになっている瞬間があるのだが、その片鱗は2001年のライヴからあった。スタジオ盤以上に「なるほど、こういうバンドだったのか」と理解が進むプロダクトだと思う。思い出を振り返るものでしかない、とも言えるけれども。


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エティエンヌ・ジルソン 『アベラールとエロイーズ』

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アベラールとエロイーズ
アベラールとエロイーズ
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エチエンヌ ジルソン
みすず書房
売り上げランキング: 1,002,871
中世哲学史の大家、エティエンヌ・ジルソンの『アベラールとエロイーズ』を読む。アベラールに関しては高校の世界史の授業で「生徒に手を出しちゃっておちんちん(フランス語風に読めば、おたんたん)を切られちゃった人」として習ったばかりで、あとはなんかエラい学者だということしか知らない。本書はこの道ならぬ恋に生きたカップルの伝記的研究である。

アベラールは12世紀の初頭にパリ大学に勤める大人気教師で聖職者。一方のエロイーズのほうは美人で勉強もできる良いところのお嬢さんとしてヨーロッパ各地でも名前が知られるぐらいの有名人。エロイーズはもともとアベラールの生徒であり、生徒に手を出したという時点でなかなかにクズなのだが、そのうち、ふたりの間に子供が生まれる。できちゃったわけだし、アベラールのほうでもエロイーズが他の男に取られてはかなわない。すわ、結婚だ、という話になるわけだが、そうすんなりとは話が進まないところにアベラールのさらなるクズっぷりがある。

ジルソンはここで当時の聖職者や哲学者にとって結婚がどのような意味があったのかを詳らかにしている。聖職者の結婚の条件には、教会からお金をもらう権利を破棄すればOKという感じであったそう。ただ、アベラールは教会の階位的には下のほうにいたから、あまりこれは関係ない話だった。彼の収入はパリ大学の教師がメインだったので、結婚しても収入面になにか影響があったわけじゃない。しかし当時は「結婚なんか二流の人間のやること(だって結婚したら仕事に集中できないじゃん)」という観念があった。それゆえにアベラールはなかなか結婚に踏み切れなかった。つまり自分の体面のためにケジメをつけなかっただらしない男、ということになる。

それで怒ったのがエロイーズを家に住まわせていた叔父さんである。叔父さんとしては、面目を潰されちゃってるわけですよ。それでアベラールに圧力をかけて、ケジメをつけさせるわけです。あえなくアベラールはエロイーズと結婚するわけですが、その結婚も秘密裏におこなわれていた。世間的には叔父さんの面目は回復してないわけ。「あのふたり、ちゃんとした関係じゃないんでしょ?」と世間から思われちゃっている。だから、叔父さんは秘密裏の結婚について世間に言いふらすのね。「いや、彼らはちゃんと結婚してるんですよ」と。それで困ったアベラールは、エロイーズを修道院に入れちゃう。

この行為に対して叔父さんが激怒し、アベラールを襲撃、おちんちん切除……と相成るわけですが、これ自業自得じゃないのか、って思った。大事な姪っ子をそんな風に扱われるし、面目は潰されるしで、叔父さんの怒りのほうが断然共感できるでしょ。そりゃあ、おちんちん切除は、ひえっ、となるけども、切られてもねぇ……と思う。エロイーズも良いとこのお嬢さんだったのが、修道院に入れられちゃうし、ひどい目にあいまくっている。相当に苦労しているのに、それでもアベラールを愛しているところに「なんで!?」としか思えない。まるで加護ちゃんばりの不幸っぷりであった……。

こうした悲恋というかグズグズの痴情を、歴史的なものとして扱うジルソンの手腕もスゴくて、最期のまとめの部分を読んで、わたくし、ちょっと魂消ました。アベラールとエロイーズのお話が、ヤーコプ・ブルクハルト的な歴史観を崩すものとして使われてるのだ。ブルクハルトは中世を「宗教的なものに支配された非人間的な時代」として語り、ルネサンスはそうした非人間性からの回復なのだ、とする。これに対して、ジルソンは「アベラールとエロイーズは中世の人物じゃん! この愛の模様もまた非人間的なものなんすか! どうなんすか!」というのね。えー、すごいところにオチを持ってきたな、と思っちゃいましたよ。

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中島ノブユキ / 散りゆく花

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散りゆく花
散りゆく花
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中島ノブユキ
SOTTO (2015-06-03)
売り上げランキング: 16,240
作曲家・ピアニストの中島ノブユキの新譜を聴いた。彼のソロ名義のアルバムに触れるのはこれが2枚目(初めて聴いたのはピアノ・ソロの『clair-obscur』だった)。ギタリストの藤本一馬に、バンドネオンの北村聡といった「日本のなかのワールド・ミュージック」的な演奏家(成田佳洋氏主催によるレーベルNRT系の人脈、というか)が参加しているのが気になった。バッハからピアソラまでの長い(調性)音楽の系譜があるとして、その現在の地点にこの作曲家を置くことができるだろう、と聴きながら思った。

ライフワークである《24のプレリュードとフーガ》の作曲、そしてバンドネオンの音色、というポイントからそれを想起しただけではない。単なるマネや再現ではないピアソラのような抒情がこのアルバムのなかにはあるし、バッハのような敬虔な響きがある。厳格な(?)クラシックのリスナーのなかには、さまざまなサウンドトラックを手がけている中島を「商業的な作曲家」として見向きもしない人もいるだろう。たとえば、三枝成彰や久石譲の音楽を「芸術ではない」と言うように。

そういう聴き方も理解できる。でも、もったいない耳のもち方だと思う。中島ノブユキの音楽は、明確に作曲芸術だ。その響いている場所が、今はクラシックとポップ・ミュージック(ジャズなども含む)のあいだの「中二階」でおこなわれているだけで。古い言葉を使うならクロスオーヴァー、ということになるのかもしれない。不思議と日本のそういう音楽って、なにかしら南米の音楽の要素を取り入れている気がする。Choro Clubとか。


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ガブリエル・ガルシア=マルケス 『コレラの時代の愛』

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コレラの時代の愛
コレラの時代の愛
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ガブリエル・ガルシア=マルケス
新潮社
売り上げランキング: 48,557
ガルシア=マルケスがなくなってもう1年以上が経っていた。だから、というわけではないのだが『コレラの時代の愛』を読了。これまで読んだガルシア=マルケスの長編では『百年の孤独』、『族長の秋』のどちらも大好きだが、ひょっとするとこれまで読んだガルシア=マルケスの作品でこれが一番好きかもしれない。一番好き、というか、今の気分にちょうどマッチしていた。

かつての恋人を51年9ヶ月と4日にわたって待ち続けた狂気じみた男性の片想いと、待たせている女性とその結婚相手の長きにわたる愛の育み……2人の男性と1人の女をめぐる三角関係……と物語の主題を要約してしまうと、とても陳腐なものになってしまうのだが、濃密な描写や「そんなバカな!」とおもわず快哉を叫びたくなるような面白エピソードの積み重ねによって物語が進行していく。読みながら何度も大笑いをしてしまったが、この物語を遠くから眺めると深い感動を呼び起こされてしまう。ちょうどこないだ見た冨永昌敬の『ローリング』も、近くで見るとバカバカしいホラ話のあつまりみたいなのに、遠くから見ると大感動作だったように。

51年9ヶ月と4日待ち続けた男は、ただ単に待ち続けたのではなく、成就できなかった愛の望みを埋めるようにして様々な女性と関係を持つ。そのドン・ファン的なセックス大冒険(しかし、この狩人はドン・ファンのように男性的な魅力によって女性を支配するのではなく、みすぼらしさによって女性の母性愛をくすぐりながら女性をものにしていく)が面白く、書かれているだけでも2人の女性はこの男のせいで死ぬところや、おしゃぶりをしないと絶頂に達することができない性癖の女性がでてくるなど、ヒドくて最高なのだが、しかし、もっともわたしが惹かれたのは、その危険な狩人を待たせている女性の夫婦愛のプロセスだった。

怪しい商売で財をなした父親のもとで、淑女として教育された美しい女性、フェルミーナ・ダーサと、ヨーロッパに留学経験を持ち、名声も得て、家柄も外見も素晴らしい医師、フベナル・ウルビーノ。フェルミーナ・ダーサとフベナル・ウルビーノの結婚はだれからも祝福されてしかるべきものだったが、ふたりは運命的な愛の確信をもって結婚に至ったわけではなく、お互いに「この相手だったら、愛をはぐくめるのではないか」という予想のもとで結婚に至る、というところがまず良い。愛がふたりを結びつけるのではなく、結ばれた時点では愛ゼロのスタートなのだ。

ふたりの長い結婚生活は、老年のフェルミーナ・ダーサによって「しょっちゅう喧嘩をし、いろいろな問題に悩まされ、本当に愛しているかどうかも分からないまま何年もの間幸せに暮らすことができるというのは、いったいどういうことなのかしら」と振り返られることになる。こういう夫婦の感覚が、今のわたしにはすごくリアリティをもって感じられたのだった。もちろん、フェルミーナ・ダーサとフベナル・ウルビーノほど長い結婚生活を経験しているわけではない。けれども作中で語られる「風呂場の石鹸がない」とか本当にくだらないきっかけで夫婦の最大の危機が訪れるエピソードなど、ぞっとするぐらいリアルに感じる。そうそう、リアルな結婚生活ってそういうことだよね、と思う。麻薬的に陶酔をもたらす愛の関係などがずっと続くわけではない。

フベナル・ウルビーノの不倫のエピソードもすさまじく良かった。初老にさしかかった頃にたまたま出会った混血の美女(もちろん年は自分よりもずっと若い)の肉体にのめり込んでしまい、他のことはなにも考えられなくなる激情的なハマり方の不倫。しかし、不倫している彼に妻への罪悪感がなかったわけではなく、むしろ、罪悪感をめちゃくちゃ感じているのに混血の美女のもとへと通わざるを得ない……という身と心が引き裂かれるような苦しい不倫なのである。自分ではコントロール不能だから早いところバレてしまってほしいと願いながら、不倫に勤しむ、というハチャメチャぶりは、さながら逮捕を望みながら薬物を乱用する覚せい剤中毒者のようだった。

ロマンティックな愛(51年以上待ち続けるだとか、引き裂かれるような不倫経験)と、日常的な愛(実際愛してるのかよく分からなくなりながらも続いていく生活)というふたつの愛の種類が描かれている、と思う。こないだ結婚したわたしの弟にオススメしたい小説。

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渡邊琢磨 / Music From the Original Motion Picture Soundtrack "Rolling"

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ローリング
ローリング
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Inpartmaint (2015-05-08)
先日観た冨永昌敬監督の最新作『ローリング』は、言うまでもなくこの映画監督の才気が十分に味わえる作品で最高だった。新作に関するインタヴューで監督が「自分の映画はいつも喜劇だと思われてて、それに違和感があるんです。出てくる人間が間抜けなだけで、基本は悲劇、サスペンスでありたいと思ってるんですよ」と語っていたが、それにも納得。出てくる人間の間抜けさによる喜劇的要素の積み重ねを遠くから眺めたときに「死ぬほど笑ったけど、これって悲しい話だったよね」と感想をつぶやきたくなる、そういう性格があると思う。それはガルシア=マルケスの小説にも似ている。

この映画の音楽は渡邊琢磨(COMBOPIANO)が手がけていて、その仕事も素晴らしかったので、配信限定で発売されているサウンドトラックを購入した。楽曲のなかにはショスタコーヴィチの音楽的イニシャル「DSCH音型」がつかわれているものがあり(それが偶然か、意識されたものなのかはわからない)「む、この音楽はなんなのだろうか」と気になったこともある。どういうミュージシャンが参加しているのか情報がないのでわからないのだが、小規模な室内オーケストラに渡邊自身によるであろうピアノ、それからラテン・パーカッションやドラムなどによって、なんだかゴチャゴチャした土着性というか、呪術性を感じさせるメインテーマが最高すぎる。コントラバスによるリフレインは、Art Ensemble Of Chicagoを彷彿とさせた。紋切型には言い表せない重層的な音楽は、冨永昌敬の映画とよくマッチしていた。映画から離れても独立して成立する音楽として繰り返し聴いている。


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Giorgio Moroder / Déjà Vu

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Deja Vu
Deja Vu
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Giorgio Moroder
Giorgio Moroder Music LCC (2015-06-09)
売り上げランキング: 883
2013年にバカ売れしたDaft Punkのアルバムにナレーションで参加し、メジャーな脚光を再度浴びることになったジョルジオ・モロダー、30年ぶりの新譜を聴く(このお方に関してはずっと支持してきた人がいるだろうし、随分前にイタロ・ディスコの再評価みたいなのが盛り上がったと思うので、Daft Punkはフツフツとたぎっていたマグマが噴火するためのきっかけのひとつでしかなかったと思う)。彼と本作について石野卓球が語っている記事がとても面白い。まあ、大御所だし悪いわけがないでしょう、という感じではあるのだが、30年ぶりという気負いをまるで感じさせない、良い意味での軽さがとても良かった。全体的に陽性ですよね。少しも薄暗くなくて、めちゃくちゃにモダナイズされたディスコ・ミュージックだと思う。アルバム全般を、H&Mだとか新宿ルミネエストの劇細ハウスマヌカン的店員がいる女性向けのお店で爆音で流れてそうな雰囲気を漂わせていて、すごく垢抜けている。でも、根がディスコだからどうやっても漂白できないダサさがある。そこが良い。


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Maria Gadú / Guelã

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ブラジルのMPB歌手、マリア・ガドゥの新譜を聴いた。彼女の作品に触れたのは2011年のカエターノ・ヴェローゾとのライヴ競演盤、そして2012年のセカンド・アルバム、そしてサード・アルバムとなる本作である。ブラジル音楽界において「女カエターノ」と呼ばれるのは、鬼才アドリアーノ・カルカニョットであるけれど、マリア・ガドゥは本作で晴れて「2代目女カエターノ」を襲名したと言えるかもしれない。アドリアーノ・カルカニョットが、アート・リンゼイやカエターノ本人周辺のミュージシャンとのつながりから、女カエターノ化するのは当然だとしても、マリア・ガドゥは人脈的にそこまで濃くカエターノとつながっているわけではない(過去に一緒にツアーしてライヴ盤まで作っているけれど)。にも関わらず、ここ5年ほどのカエターノ・ヴェローゾのオルタナティヴ・ロック化したMPBの音に本作は限りなく肉薄していると思った。なんといっても、ディレイを多用したギターによる空間作りが。それどころか、フェルナンド・カブサッキのようなアルゼンチン音響派的な感じもあって、あんまりブラジル、ブラジルしていないのが新鮮だった。サンバとか全然入ってないしね。しかしながら、それがマリア・ガドゥの世代にとってのリアルなブラジル音楽なのかも。正直ちょっと地味すぎる感じがあるが、悪くないアルバム。


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cero / Obscure Ride

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Obscure Ride 【通常盤】
Obscure Ride 【通常盤】
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cero
カクバリズム (2015-05-27)
売り上げランキング: 352
ceroの新譜を聴く。アルバムに先立つ2つのシングル「Yellow Magus」と「Orphans / 夜去」は、この半年ほどのあいだかなり繰り返して聴いていたが、本アルバムも何度も聴けそうな優れたアルバムだと思う。「新世代のシティ・ポップ」的な受容のされ方をしているのだと思うが、そこまで「シティ感」あるのかな。それこそ「シティ・ポップ」とはなんぞや、という話ではあるが、ジャンク・フジヤマは間違いなく「シティ・ポップである」と言い切れるが、ceroには、そこまで竹を割ったようにシティでも、ポップでもない。もやりとしたダークな雰囲気がある、と思う。本作もまるでディアンジェロみたいなはじまり方をするし。シティに開放されている、というか、シティの閉塞のなかで少し鬱屈しているような、そういう感じである。本人たちのインタヴューを読むと、渋谷系への言及があり、実際に小沢健二のカヴァをしていたりもするのだが、そのあたりの空気感をこのバンドは共有しているのかもしれない。音楽性的にも、ネオ・ソウルやブラコンを再解釈した感じってあるし、そこもまるで渋谷系的であると思う。演奏能力的な問題で完全にそれっぽくならないところとかも含めて。目指してるものが明確にありながらも、結果的になんか別物になっちゃった感じは、イギリスのジャズ・ロックだとかカンタベリー・ミュージックみたいでもあると思うのだが、それは変拍子がでてくるから余計にそう思うのか。


(彼らのヴィジュアルって、めちゃくちゃサードウェーヴ系男子だなあ……)

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Tony Succar / Unity: the Latin Tribute to Michael Jackson

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Unity: the Latin Tribute to Mi
Tony Succar
Universal Classics (2015-04-14)
売り上げランキング: 71,089
トニー・スカールはペルー生まれのアメリカ人ミュージシャン。英語版のWikipediaによるとプロのサッカー選手を目指していたとか異色の経歴を持っているのだが、アルトゥーロ・サンドヴァルだとかティト・プエンテJr.といった著名ミュージシャンとの共演がある期待の若手のようである(1986年生まれ)。『Unity』はトニー・スカールがアレンジャーとして、良い仕事をしまくっている一枚。マイケル・ジャクソンの名曲カヴァ集。「それは、まあ、間違いないだろな、MJだし」と思って聴き始めたら良すぎて大興奮だった。参加ミュージシャンはひとりも知らないのだが……最高でしょうが。Youtubeに動画があがっていますが、買ったほうが良いです。




Youtubeにはトニー・スカールが編曲によるハービー・ハンコックのカヴァなどもあって、これもなかなか素晴らしかった。ひょっとするとサルサによる有名アーティストのカヴァってもしかしたら全然ハズレがないのかも。こういうのどんどん聴いていきたいな。

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高級ノートパッド、ニーモシネを試した日記

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マルマン ノートパッド&ホルダー&ファイリングポケット ニーモシネ HN187F A4 70枚
マルマン(maruman) (2011-02-10)
売り上げランキング: 28,307
先日、上司より「いまあの部署でやっているお仕事、モノの流れだとか情報の流れだとかを全部わかりやすい資料にしてくれい」というミッションを拝命した。拝命したは良いものの、なにからはじめるかな、やっぱり実際に仕事をしている人にヒアリングするところからかな……めんどうだな……と腰が重くなってなかなかとりかかれない。そうこうしているうちに「いつからやるの、君」的な雰囲気が出てきて、お尻が熱くなってきた。そこで「じゃあ、気合を入れるために、ヒアリング内容を書き留める大きめな紙を買うところからはじめるか……」と、まるでテスト勉強する前に掃除をする人みたいな準備をした。

で、購入したのが、文具メーカー、マルマンが出している高級ノートパッド「ニーモシネ」である。ネーミングの由来は、Mnemosyne(ギリシャ神話に出てくる記憶の女神、ムネシュネ)とくれば「すわ、アビ・ヴァールブルクか」と盛り上がってしまうのだが、A4サイズ70枚の大きめのメモ帳に、カバーだのがついてるセットが定価2200円ぐらいするんだからかなり高級な文具と言えよう。ぶっちゃけこのカバーの必要性はあまり感じないが(メモ帳がビラビラにならないようにするバンドなんか、輪ゴムで良いだろ、と思うし、このカバーがなくても立ちながらメモとるぐらいできるしっかりした作り)、雰囲気が大事なので良いことにする。

これまで、こうした方眼が入ったメモ帳ではロディアのものを愛用していた(海外に行った時にスーパーでまとめ買いしていたものがたくさんある)のだが、いざ、ニーモシネを使ってみたら全然紙質が違っていて驚いた。同じA4サイズのロディア(80枚)と、ニーモシネ(70枚)だと定価はほとんど変わらないのだが、ニーモシネのしっとりしたシルキーな感じは、気持ち良さが全然違う。万年筆との相性も良いし、ボールペンだと滑りすぎちゃってちょっと怖いぐらいである。

ヒアリングをしながらメモを取っていたら「このメモ帳、すげえ高いんですけど、めちゃくちゃ書いてて気持ち良いっす!」と言いたくて仕方なくなり、仕事に前向きになったし、良い散財であった。こういうのに凝り出すと、じゃあ、もっと気持ち良い書き味の万年筆を……とかハマっていきそうで恐ろしいが。

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ORIGINAL LOVE / ラヴァーマン

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ラヴァーマン
ラヴァーマン
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ORIGINAL LOVE
SPACE SHOWER MUSIC (2015-06-10)
売り上げランキング: 247
ORIGINAL LOVEの新作を聴く。先行シングル「ラヴァーマン」で予告されていた『風の歌を聴け』制作時のメンバーと作り上げたアルバムだそうである。ネット上で読める田島貴男のインタヴューを読むと、自分のキャリアを総括するような気合いが入りまくりの一枚である、ということがわかるが、自己模倣をしてるわけでなく、数年来取り組んできたジャズの要素を多く取り入れながら、新しいポップ・ミュージックを創造している。Negiccoに提供した「サンシャイン日本海」のセルフ・カヴァなど激烈にテンションがあがったし、骨太で逞しいアルバムであるなあ、と思った。アルバムの2曲目「ビッグサンキュー」のイントロなんか一瞬、ザ・バンドかよ、と思うぐらいのアメリカーナを感じてしまい痺れまくった。先行シングルのときも感じたけれど、複雑なコード進行だとか、ジャジーなコードを使いまくってるのに、難しい音楽にまったく聴こえないのがスゴい。ジャケット写真も最高じゃないですか(本人のハーレーなのかな)。

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荒木飛呂彦 『荒木飛呂彦の漫画術』

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荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書)
荒木 飛呂彦
集英社 (2015-04-17)
売り上げランキング: 142
荒木飛呂彦による新書の3冊目を読む。前2作は映画に関する本だったが、満を辞して本業の漫画について語っている。わたしは会議のときに書く落書きぐらいしか絵を書くことはないし、漫画を描こう、としたこともないんだけれども、大変面白く読んだ。絵の書き方からストーリーの考え方まで細かく解説してくれるのだけれども、とにかくこの作家は、絵にしてもストーリーにしても建物でいうなら基礎工事みたいな部分を大事にしているのだな、と思った。

人体を書くなら骨格の構造を意識して(その書き方の基本を独学で勉強していた、というのはびっくりだけど)、ストーリーなら世界観やキャラクターをとにかく詳細に作り込んでいく。かつて「荒木飛呂彦の漫画はストーリーを全部考えてから描いているにちがいない」と他の漫画家に評されたときに「いや、ストーリーはその都度考えている」と否定した逸話があったけれど、これだけ、世界の基礎がしっかりしていたら、その都度、ストーリーは作れそうだ、とも思って、すごく納得感があった。

ともあれ、わたしが一番面白く読んだのは、荒木飛呂彦がどういう感覚をもって漫画を描いているのか、という身体的な情報を伝えようとしている部分。たとえば「上手く言えないのですが、手で(絵を)描いていると、画を撫でているような気分になってきて、自然とキャラクターに愛情が湧いてきます」と絵を描いているときのライヴ感について語っている。「上手く言えない」と本人も書いているけれど、たしかにこの「撫でている」という感覚は伝わってこない。でも、その伝わってこない感じに達人っぽさがあって、とても面白いのだった。まるでトップ・アスリートが自分の身体の動きについて語っているときの言葉のわからなさのような魅力。

ところで現在連載中の『ジョジョリオン』は、これまでの作品よりも格段にエロい絵が多いのだが、本書のなかで「エロスを描く、という目的がある」とはっきり書いていて、そうか、やっぱり、と思った。あと、この人、他の漫画家の作品を意外とちゃんと読んでいるんだな、と思った。映画本もそうだけれど、過去の作品はもちろん、同時代の漫画の分析から自分の漫画の方法を考えているのだな……(あまりに独特な世界だから、他の漫画から隔絶されているように見えるんだけれど)。

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ダンテ・アリギエリ 『神曲』

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神曲 地獄篇 (講談社学術文庫)
ダンテ・アリギエリ
講談社
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神曲 煉獄篇 (講談社学術文庫)
ダンテ・アリギエリ
講談社
売り上げランキング: 246,417

神曲 天国篇 (講談社学術文庫)
ダンテ・アリギエリ
講談社
売り上げランキング: 245,851
原基晶さんによる新訳のダンテ『神曲』を一気読み。感動的なお仕事であり、訳者による解説を読みながら、ひたすらこのお仕事に対するリスペクトを禁じえない。たとえば一番最初の『地獄篇』の「『地獄篇』を読む前に」で語られる「翻訳中のカタカナ表記について」の記述。「こだわり」という簡単な言葉で処理できない、訳者のパッションをギンギンに感じて本文に入る前からわたしは感動してしまっていた。旧訳に対してリスペクトを払いながら、なぜこの新訳が必要であったのかを説き、また、正しい読みはどのようなものであったのかを提示していく訳者の丁寧な仕事にはいちいち頭がさがる。極め付きは、最後の謝辞だ。この訳業自体がある意味、プロジェクトX的なものとして伝わってくる。

『神曲』を読んだのはこれが初めてではなかった。集英社から出ている寿岳文章訳は7年ぐらい前に読んでいて(地獄篇煉獄篇天国篇のそれぞれの感想記事)今回は再訪ということになるわけだけれども、7年のあいだにかなり読者としての立場が変わっているせいか、ずいぶん「読める」という感覚が大きくなった。以前に読んだときはあまり楽しめなかった煉獄篇や天国篇も、ダンテが生きていた時代に支配的だったアリストテレス主義的な自然学を読みかじっていたおかげで読める感じがするし、最後の最後にダンテを神の前に案内してくれるベルナールの名前も井筒俊彦の本でこないだ読んだばかりだ。

こうして少し読めるようになってみると、『神曲』の哲学的/神学的な内容への驚きは増した。ここには14世紀初頭の知識人が理想とするコスモロジー、また、神学論争・宗教的な道徳論争が反映されている。そして、単なる叙事詩ではなく、哲学書としての性格がすごくわかってくる。もちろん、その思想的な背景とテクストとの結びつきを、テクストそのものから類推できるほどの知識は持っていない。結びつきを助けてくれるのは、訳者による注だ(この注によるアシストなしでは、読める自信まったくなし。そもそもダンテの時代にも、注とともにテクストを読むのは一般的な読みの行為であったという。これも本書で知った)。

これだけ丁寧なアシストがあれば、このテクストは、このテクストが書かれた当時の知的世界への入り口、あるいはその先の世界に踏み入っていくための地図として利用することもできると思う。

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アリストテレス 『天界について・生成と消滅について』(岩波書店 新版 アリストテレス全集 第5巻)

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天界について 生成と消滅について (新版 アリストテレス全集 第5巻)
アリストテレス
岩波書店
売り上げランキング: 253,411
BHでオンライン読書会があるというので『生成と消滅について』を含む岩波の新全集を読んだ。どちらも西洋古典叢書とは違う翻訳者によるもの。『天界について』も『生成と消滅について』も、アリストテレスの自然学における大変重要な著作であり、タイトルはどちらも知っていた。西洋古典叢書で『天界について』(西洋古典叢書版では『天について』)がでたのが1997年、『生成と消滅について』が2012年にでているから、かなり短いスパンで新しい訳がでていることになる。これだけアリストテレスの翻訳がでる国って、どういう国なんだ、と思いながら読んでいた。

まずは『天界について』だが、これ、タイトルからプラトンの『ティマイオス』のようなコスモロジーを大々的に開陳した内容を想像していたのだが、ちょっと違っている。タイトルから想像されうる宇宙だとか天界についての議論は、全4巻の内容のうち、2巻の途中までほとんどその手の話がでてこない。古来よりこの著作の主題についてはいろんな注釈者があれこれ言っていて、巻末の翻訳者による解説では注釈者ごとの解釈の違いについてまとめられているのでありがたい。たとえば、アフロディシアスのアレクサンドロスはタイトルを素直に受け取って、宇宙論が主題なのだ、としているが、シンプリキオスはそうじゃなくアリストテレスの物質論の基礎が主題なのだ、と言っている。

わたしも書かれているものを素直に読んだらシンプリキオスの解釈が正しいんじゃないか、と思った。前半部分でクドクドと続いている「円の完全性」や「無限は存在しえるのか」といった議論は、これがどう宇宙論につながっていくか不安にさせるものであるし。ただ、このへんの議論を読んでいたら『魂について』でよくわからなかった部分が少しわかるようになったので有益。

アリストテレスはモノによっては散漫で「なんのはなしだよ」とツッコミたくなる話をかなりしているみたいなので、こうしてザッピング的にいろんなものを読みながら、わかる部分を拾っていくと、そのうち点が線になり、そして面に……という理解が深まっていくのかもしれない。言葉が難しいだとか、表現が難しいだとか、そうした問題はほとんどない。今回の新アリストテレス全集なんか相当にリーダブルな日本語だと思う(ちゃんと比較してないけども)。「これなんのはなしなんだろう?」問題のほうがアリストテレスを理解するうえでの壁になりそう。

もっとも面白かったのは「宇宙はひとつしかないのか、それともたくさんあるのか」に関する論証だった。アリストテレスは「宇宙は一個しかない!」という立場を取っているのだが、その論証には彼の物質理論が拠りどころとなるのだ。

彼が考える世界において、モノは自然本性的に動く方向が定まっている。上に向かっていくものと、下に向かっていくもののふたつに分かれていて、その方向がモノの重さとかにも関係している。運動は地球の中心を起点にしていて、軽いものは中心から(上に)離れていき、重いものは中心へと(下に)向かっていく。アリストテレスはこの理論を応用して「もし宇宙が複数あったら、中心が複数できることになる。そしたら、重いものが別な中心へと引っ張られて、上に離れていくこともありえるじゃないか。そんなことは現に観測できてないんだから、中心はひとつしかなくて宇宙もひとつしかないのだ」と話をまとめていた。

前提となっている自然本性によって決定される重さの理論も、重力や引力の理論が生まれる前の異世界感・我々の世界との遠さが最高にイケてると思うし、以前に読んだジョルダーノ・ブルーノの『無限、宇宙および諸世界について』も読み返したくなった(この本は、アリストテレスの有限宇宙論への反駁なのだ)。

次に『生成と消滅について』だが、これは『天界について』に輪をかけて「なんのはなしなんですか」な本だと思った。2巻に入るとだいぶマシな感じがしてくるが、1巻はこれ単独だと前提としている拠りどころがわからなすぎて困るのではないか。『天界について』で下準備をしたうえで入っていくのが良い気がする。原子論者などの他の学者への言及が多いし、注意して読んでいかないとなにがアリストテレスの言っているのことなのかも把握しにくい。「◯◯は××であって〜」云々と続いているのを「ふむふむ〜」と思って読んでると最後に「そういうことを言っている輩がいるが、違うんである」と来て、ガックリくる。

ここで興味深く読んだのは、アリストテレスが延々とある性質に対する反対性質のものを並べている箇所だった。「熱い」に対して「冷たい」、「湿っている」に対して「乾いている」だとか。こういう相反する対立軸は、彼の自然観においては他にもあって『天界について』では、「右」と「左」、「上」と「下」、「前」と「後」、「重い」と「軽い」など……という対立軸の整理を行っていた(円や球はそうした反対性質のもってないので、完全である、とされる)。これらを読んでいて、さまざまな対立軸が折り重なることで、描写される世界観みたいなものを感じたのだった。

もうちょっと真面目に読む必要があるが、それは読書会でやるからいいや。

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