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4月, 2015の投稿を表示しています

安西水丸 『東京美女散歩』

東京美女散歩 posted with amazlet at 15.04.30 安西 水丸 講談社 売り上げランキング: 30,118 Amazon.co.jpで詳細を見る 昨年72歳で亡くなったイラストレーターの連載記事をまとめたもの。テレビを見ていると 芸能人の散歩番組がよくやっていて、つい見てしまうのだけれども、テイストとしてはそれによく似ている。東京の史跡や名所とともに、著者が観察した街ゆく美女のイラストが楽しい。結構女性に対する評価は辛辣で、下北を歩いているカップルはみんなセックスのことばかり考えていそうだ、などとひどいコメントをしている。 わたしが安西水丸の名前を知ったのは、村上春樹のエッセイ経由であり、あんまりよく知らなかった。ヘタウマというか、独特のふにゃふにゃしたイラストから想像するに、流行り言葉で言うところの「ほっこり」系の人なのかと思っていたのだが、いや、イラストからは想像できない女性遍歴についてもエッセイのなかで語られている。東京のあちこちに足を運んでは、その土地にまつわる、かつて関係のあった女性を思い出しているのだが、これがかなり激しい。吉祥寺に住んでいた◯◯と不倫関係にあった……とか、サラリと書いてあり、エッとなった。 とにかくモテてモテて仕方がなかったんだろう、と思う(ちょうど村上春樹の読者交流サイトで安西水丸のモテ具合について言及されていた)。なぜ、著者がそこまでモテたのか、という自己分析が書かれていたら、それを真似したいぐらいだが、残念ながらそうした記述はない。読んでいると女性が勝手に寄ってくるような印象さえある。ガツガツしていないのがかえって良いのか。著者の写真を見ても、特別なハンサムとは思えない。ダンディではある。ウェリントン型のメガネがよく似合っていて、カッコ良い、とは思う。 わたしの周りにそういう人、黙っててもモテる人がいないので、とても気になっている。でも、なんとなく、そういう人がいるんだろうな、という気はする。もし、このブログを読んでくださっている方で「黙っていてもモテる」という人がいらっしゃいましたら、お話をうかがわせていただきたいので、ご一報ください。

男ふたりで京都と滋賀に足を運んで絵や写真をたくさん見たんだ日記(その2)

こちら の記事のつづき。写真は大津のホテルで朝いそいそと荷物を確認する30歳の様子。 2日目は大津から2駅、京都から離れた石山という駅から山奥にある MIHO MUSEUM(ミホミュージアム) を目指した。現在こちらの美術館では、バーネット・ニューマンの代表作《十字架の道行き》と、最近収蔵された曾我蕭白の《富士三保図屏風》を中心とした日本美術の特別展が開催されている。ワシントンにいかないと見れないニューマンの作品を日本で見れる数少ないチャンスであり、今回の旅行はこの美術館を訪れるのがメインだった。 休みの日には結構バスがでていて、石山から50分ほどで美術館にいける。相当な山道を登っていくが京都からだと1時間半ぐらいで行けてしまうのでそこまで不便な感じはしない。朝イチのバス(9:10石山発)で向かったが、外国人旅行客がひとりでバスに乗ろうとしていて「ミホミュージアム行きのバスはどれだ?」と質問された。バスの車体についてる行き先表示には「MIHO MUSEUM」と表示があったが、駅の周辺には英語表示が一切なく不親切な感じ。 美術館のチケットを売っている建物から、展示がある建物までは山桜の並木道をテクテクと歩き、途中でそこそこ長いトンネルを通る必要がある。トンネルを抜けると、もう完全に下界の音は聞こえず、聞こえるのは風で木が揺れる音や、鳥の鳴き声だけである。このときはしきりにウグイスが鳴いていて、桃源郷のイメージで作られたというコンセプトを五感で理解できた。 ミホミュージアムを運営しているのは、熱海にあるMOA美術館から独立した宗教団体なのだが、この「トンネルを抜けないと展示が見れない」という作りは、MOA美術館の「めちゃくちゃ長いエスカレーターを登らないと展示が見れない」という作りと似ているように思った。長い産道を逆行して、胎内に戻るような作りというか。 まあとにかくロケーションは最高である。建物の外観の写真を撮り忘れたが、設計はイオ・ミン・ペイによる。ルーヴル美術館のピラミッドを設計した有名な人である。自然の光が入り、開放的で、ロケーションを最高に生かした空間であった。 最後の写真はカフェテリアのもので、素材にこだわってやってます、と美術館のカフェテリアとし

男ふたりで京都と滋賀に足を運んで絵や写真をたくさん見たんだ日記(その1)

高校の同級生と一緒に男ふたりで京都・滋賀にいき、絵や写真をたくさん見てきた(写真は、京都について食べたにしんそば。生まれて初めて食べた)。一泊旅行。同行者は過去に京都に4年住んでいたこともあり、京都の地理はだいたいわかる。それゆえ、わたしはただ着いていくだけの気軽な旅で、とても良かった。 いま、京都では 「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真館 2015」 というイベントが開催されている(5/10まで)。京都のいろんな場所で写真の展示があった。今年のテーマは「TRIBE: あなたはどこにいるのか?」というもので、記録写真(写真は記録メディアなのだから、この呼び方はトートロジー的であるな……)みたいなものが多かった印象。まったくパンフレットを見ないでいたのだが、いまこれを書きながら「うわ、こんなのもあったのか、これはちょっと見たかったな」という展示がいくつかある。 A Vision of Jazz: フランシス・ウルフとブルーノート・レコード @嶋臺ギャラリー まず初めに足を運んだのがブルーノートのジャケット写真を多く撮影したフランシス・ウルフの展示。会場は大変に栄えた商家を改装したもので大変に雰囲気があった。入り口近くにはステレオが置かれていて、LPで音楽を流していた。レコードは新宿のジャズ・バー『DUG』の店主から借りてきたものだったらしい。展示自体は「ほー、こういう人があのジャケットをねえ……」と思うだけだったが、ギャラリーの持ってる「京都、いいところですね」というヴァイブスが最高だった。 なにせ、この中庭である。わたしは小さな庭園のなかにあるコスモロジーと言いましょうか、小さな空間のなかに大きな自然が含まれているようなところがとても好きなのだった。この中庭に面した室内では畳のうえに、無印良品の人間をダメにするソファーが置かれていて、そこに座ってCDが聴けるようになっていた。天気も良く、暑くも寒くもなく、時折気持ち良い風が吹いてきた。「ああ、これが京都か」(そうだ)「今日はもしかしたら一年のうち最高の京都日和かもしれない」(ちがいない)という問答を繰り返しているうちに日が暮れてもおかしくなかった。 フエゴ諸島諸先住民の魂 ―セルクナム族、ヤマナ族、カウェスカー族 @京都市役所前広場 次に見たのがマルティン・グシンデという文

Squarepusher / Damogen Furies

Damogen Furies [輸入盤CD] (WARPCD264)_087 posted with amazlet at 15.04.23 SQUAREPUSHER スクエアプッシャー Warp Records (2015-04-21) 売り上げランキング: 1,195 Amazon.co.jpで詳細を見る 昨年発表された ロボットのための企画盤 はかなり残念な出来だったSquarepusherの新譜を聴く。ロボット企画が微妙だったせいか、なんか惰性で買ってしまった感があるが、これはなかなか素晴らしい。なんでも一切トラックには編集を加えず、長年使ってきた機材をワンテイクで動かして作ったアルバムなんだとか。それはある意味、彼にとってのスタジオ・ライヴ・アルバムだろうと思う。凶悪な音色で演奏される、えらくポップなメロディだとか、ああ、Squarepusherっぽいと思って懐かしい気持ちにもなるし、打ち込みの密度には感心してしまった。この密度なら、昨年のロボット企画よりも全然コンロン・ナンカロウの自動ピアノのコンセプトに近い気がする。それでいてえらくフュージョンみたいな部分もあって。いや、全編がハイテクフュージョンとして聴かれて良いのかもしれない。良いですよ。

伊藤計劃 『虐殺器官』

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA) posted with amazlet at 15.04.22 伊藤計劃 早川書房 売り上げランキング: 84,518 Amazon.co.jpで詳細を見る そーいえば、日本人が書いたSFって読むの初めてかも。『虐殺器官』、「これがゼロ年代最高のフィクションか〜」と感心しながら読んだ。面白かった。この「ゼロ年代」という言葉自体が、日本のごく限られた批評界のなかで流通する言葉だと思われ、そうした領域のなかでの「最高」というのならなんら依存はないであろう、とも思う。ゲーム小説ではないけれど、ゲームみたいな小説だと思ったし、早逝した作家がこのあと『メタルギアソリッド』のノヴェライズをおこなったのも納得する。すごい説教くさい感じもするし、ハードに固まってる世界のように見えるのだが、サブカルチャーにも言及する遊びがあったりするのも「ゼロ年代」っぽい。今年、劇場アニメーション化されるそうです。

ウィリアム・エチクソン 『スキャンダラスなボルドーワイン』

スキャンダラスなボルドーワイン posted with amazlet at 15.04.20 ウィリアム エチクソン ヴィノテーク 売り上げランキング: 819,743 Amazon.co.jpで詳細を見る 著者はアメリカのワイン雑誌などで活躍するワイン・ジャーナリストとのこと。長い長い歴史を持つボルドーワインの世界を取り上げた一冊で大変読み応えがあった。この一冊を読むと、ボルドーワインの歴史と、1980年代までのボルドー低迷期、そして1990年代からの復興についてよくわかる。また、最近、中国人投資家によってフランスのシャトーが続々購入されていることが話題になっているが、どうしてブドウ畑が投資の対象になるか、というのもちゃんと説明されている(ダメな畑を安く買って、改革して畑の価値を高め、転売するんである。中国人投資家の場合、国内でのワイン需要が高まっているので、フランスで作らせたものを国内で高く売るという狙いもあるみたい)。 ボルドー左岸(保守的な方)とボルドー右岸(革新的な方)でのワイン作り、それからボルドーのメイン地域からは少し離れたソーテルヌという貴腐ワインの産地でのお家騒動が本書の中心である。ダメだった時期の話からすると、左岸(マルゴーとかあるとこ)は、もう格付けと伝統を鼻にかけて、高いばっかりでマズいワインを作ってダメになっていったんだって。無理くりブドウの収穫量を増やしたりして。それでもブランド力があるから売れていた。 一方で右岸。こっちは元々、大量に収穫して大量にワインを作って安く売るという商売をしていた。ブランド力があるのはペトリュスぐらい。当然畑も安かったわけ。そこに新進の醸造家が入ってきて、小規模で革新的なワイン作りを始めたことで、ボルドーは復活を遂げた、というのが本書のメインストーリーのひとつである。右岸の新進醸造家は「ガレージスト」と呼ばれている。彼らは、その名の通り、ガレージのような小さな蔵でワイン作りをしている。どういうことをやっているか、というと、とにかくブドウの収穫量を少なくして、ブドウの一粒一粒を凝縮させる。あるいは、発酵槽に伝統的な木やコンクリートでできた桶ではなくステンレスタンクを用いた。こうして作られたガレージ・ワインは、濃厚で、アルコール度数が高く、強烈な個性を放っている

清水靖晃 & サキソフォネッツ / ゴルトベルク・ヴァリエーションズ

ゴルトベルク・ヴァリエーションズ posted with amazlet at 15.04.18 清水靖晃&サキソフォネッツ avex CLASSICS (2015-04-15) 売り上げランキング: 78 Amazon.co.jpで詳細を見る 先日テレビを見ていたら化粧品(だったと思う)のCMで流れていて気になった一枚。CM音楽やポップス、それからサックスによるバッハ演奏で有名な清水靖晃による5本のサックスと4本のコントラバスによるバッハの《ゴルトベルク変奏曲》である。この演奏家の名前は、今回のアルバムにも参加している鈴木広志や江川良子(いずれも元チャンチキトルネエドのメンバーであり、近年は大友良英のサントラ仕事にも高い頻度で関わっている)の活動を経由に知っていた。 CMで使われているのは第14変奏なのだが、そこで聴かれるダンサブルなリズムの捉え方は、ほぼ全編を貫いている。アリアのようなゆっくりとした部分では、残響と空白によって空間性を聴かせるような音楽の作り方をしている。多くのリスナーが《ゴルトベルク》といえば、グレン・グールドによるピアノ演奏を思い起こし、本来、チェンバロで演奏されるべく作曲された楽曲であっても、あのピアノの音を記憶しているハズである。そのことを考えれば、このサックスとコントラバスによる編曲も、邪道と言えるはずがなく(そもそもホンモノの演奏とはなんなのか)、この楽曲の新たな側面に光をあてている。 それにしても、サックスのアンサンブルって、素晴らしいものがあるな、と聴いていて惚れ惚れしてしまった。他の管楽器と比べて、サックスという楽器のサイズのヴァリエーション展開は、ヴァイオリンからチェロまでのサイズ展開と似ていてるし、音色の統一性を感じる。それは古典的な木管アンサンブルとはまったく違う世界観がある。オーボエ、クラリネット、ファゴット、フルートのアンサンブルは、まったく違ったキャラクターの楽器同士の共演なのに対して、サックスのアンサンブルは、ピアノの鍵盤にそれぞれの楽器を当てはめて並べられるような秩序だった編成だ。その秩序が気持ちよい。特になぜだか、バリトンサックスの音色に惹かれる。キーがカチャカチャと鳴っている音も好きだ。

Kendrick Lamar / To Pimp a Butterfly

To Pimp a Butterfly posted with amazlet at 15.04.17 Kendrick Lamar Aftermath (2015-03-24) 売り上げランキング: 139 Amazon.co.jpで詳細を見る 珍しくヒップ・ホップの新譜を買う(菊地成孔が絶賛していたので)。このケンドリック・ラマーという方についてなんの情報もないのだが、本作は極めてジャズのフレイヴァーが漂う一枚。雰囲気がシャレオツでジャズ、という感じじゃなくて、完全にジャズのトラックのうえでラップが展開されている。ロバート・グラスパーが参加したりしていて、新主流派時代のハービー・ハンコックやウェイン・ショーターみたいにキレキレにカッコ良い音楽にラップだったり、コルトレーンの『至上の愛』のマッコイ・タイナーみたいなピアノが鳴ってたりする。驚きましたね、それで全然違和感がないし、全体的にすごくスムースな感じで聴けてしまう。そして、ラップはめちゃくちゃに黒い(ほとんど内容はわかってないけども)。この世界のことがあまりに分からないので、 このブログ に詳細が参加メンバーやラップの内容について書いてあるのを熟読した。ファンク/ソウル方面からはジョージ・クリントンに、ロナルド・アイズレー(The Isley Brothers)まで参加し、サンプリングに「Computer Love」(Zapp)が……って、俺、嫌いなわけがないだろ、と思う。 (アルバムの5曲目『These Walls』。このラリー・カールトンみたいなギター最高過ぎる)

リチャード・パワーズ 『舞踏会へ向かう三人の農夫』

舞踏会へ向かう三人の農夫 posted with amazlet at 15.04.13 リチャード パワーズ みすず書房 売り上げランキング: 239,497 Amazon.co.jpで詳細を見る パワーズを読むのは初めてだったが、これがデビュー作だったとは驚かされた。20世紀前半に起きたふたつの世界大戦(のうち最初のほうがメイン)と、大量生産時代(フォーディズム)そしてその象徴的人物であるヘンリー・フォードの奇想じみた平和活動(とその失望)、ヴァルター・ベンヤミンの写真論・芸術論……さまざまな要素が、ドイツの写真家、アウグスト・ザンダーの有名な作品から出発し、そして無数に張り巡らされた伏線の数々が、一気に回収されると同時に、少しずつズレながら像を結んでいく。筆者は、本書のなかで流れる3つの大きな物語の流れの交差ポイントを、意図的にズラして書いているのだ。 物語が解決に進んで行くエネルギーは気持ち良い読後感を与えてくれもするし、ガチガチに構築された世界観を提示しながらおこなわれる世界像のズラしは、本書を解釈する可能性を読者に放り投げている。本来、テクストを読むという行為自体に、無数の読みがあり得る、ということを改めて考えさせられるけれども、この小説はあたかも、テクスト自体が一意に決定されていないようにも読める。校訂する余地が残った古いテクストみたいに。パズル的なものだ、と言ってしまうと途端につまらなくなってしまうが。 ……というようなことを考えていたら「うーん、スゴい本だけれども、スティーヴ・エリクソンのほうがすごくない? 『夜の時計の旅』のほうが……」というしょうもない感想から、少し違った捉え方ができるようになってきた。エリクソンやピンチョンが好きなら、パワーズも読めるだろうな、と思うし、この3人だったらパワーズが一番読みやすいのかな。 フォードが第一次世界大戦のときに、戦争を止めさせるための使者たちを乗せた平和船を出して、自分も乗ってた、とか「え、マジで?」っていうような史実を拾い上げたり、サラ・ベルナール(フランスの伝説的女優)がマルヌ会戦へ兵士をタクシーで輸送する大作戦の現場に出くわす(こっちは史実かどうか不明)シーンだとかはとても面白く読んだ。 いまページを適当にめくってたら、サラ・ベルナールの

Magma / Šlağ Tanz

Slag Tanz posted with amazlet at 15.04.12 Magma Jazz Village (2015-01-13) 売り上げランキング: 32,968 Amazon.co.jpで詳細を見る Twitterを眺めていたらフランスのMagmaが再来日する予定があるという情報を得た。去年と今年に新譜を出していたらしい。全然ノータッチであったが、ひとまず今年でた最新アルバム『Šlağ Tanz』を聴いた(前回の来日公演は会社の上司と一緒に観に行って、そのパフォーマンスの濃さにかなり度肝を抜かれたが、今回の来日はどうしようかしら)。フルアルバムかと思いきや、21分弱。《Šlağ Tanz》組曲だけを収録している、ということみたいなのだが、このバンドだとこのぐらいの長さで短く感じてしまう。ベースやヴォーカルがオスティナートを繰り返すバックで、クリスチャン・ヴァンデのドラムが大暴れするお馴染みの展開なので、特段目新しいことはやっていない。あとこの曲、来日公演で聴いた感じもする。 途中でコバイア語から普通にフランス語の歌詞になる箇所がある(歌詞カードがついてたので気づいた)。Magmaの歌詞にフランス語が出てくるのは、これが初めてではないけれど、正直申し上げて、全編フランス語でも良いんじゃないのか、もはや、と思いもする。かつて読んだクリスチャン・ヴァンデのインタヴューでは「ロックをやるのに、フランス語は向いてないからコバイア語を使った」とか言ってたけれど、コバイア語とフランス語とを並列に聴いていても特段の違和感を感じないのだった。そもそもこれはロックなのか、という話でもある。曲を聴いていて想起するのはいつもコルトレーンの《至上の愛》であるし、また、改めて聴いてたら、Magmaの音楽って、マイルスの「Nefertiti」みたいなことなのかも、と思う。無理やりジャンルを作るならば、ジャズ・ロック・カンタータ、みたいことになるんだろうか。 (2012年11月の「Šlağ Tanz」ライヴ映像) しかし、映像でみると、完全にヤバい儀式だな……。

Jazz Dommunisters / Birth of Dommunist

BIRTH OF DOMMUNIST(ドミュニストの誕生) posted with amazlet at 15.04.08 JAZZ DOMMUNISTERS ヴィレッジレコーズ (2015-03-18) 売り上げランキング: 5,816 Amazon.co.jpで詳細を見る 菊地成孔と大谷能生によるガチなヒップ・ホップ・ユニット、Jazz Dommunistersのアルバムがリイシューされていたので聴いた。かれこれ、10年近く菊地成孔の音楽に触れているが「ふむ、この人は歌も歌うのか → 歌わなきゃ良いのになあ……」、「え? ラップもやるの → サックスだけ吹いてれば良いのになあ……」と思うことが多々あったのだが、ここ最近、そういう菊地成孔はジャズだけやってれば良い、的な限定主義から自分の耳が解放されてきた感じがある。特に歌に関しては 『戦前と戦後』 を期に吹っ切れた。で、ラップ。これまた 活動再開後のDCPRGのスタジオ盤 での「Catch 22」とかは、相当聴いていて恥ずかしくなったのだけれども、 菊地凛子のアルバム あたりからちょっとグッときはじめていた。 (DRIVE feat.OMSB,AI ICHIKAWA) (↑)これとか普通にカッコ良いですし、大谷能生の声が美声だったことに改めて感じ入ってしまい「誰も言わないけどアイラーのサックスの音はキレイ」という菊地成孔による批評を思い出しもする。

E.R. クルツィウス 『ヨーロッパ文学とラテン中世』

ヨーロッパ文学とラテン中世 posted with amazlet at 15.04.07 E.R. クルツィウス みすず書房 売り上げランキング: 447,712 Amazon.co.jpで詳細を見る 2か月ほどかけてクルツィウスの『ヨーロッパ文学とラテン中世』を読んだ。ドイツの大大大権威というべき文学者による大著であり、測ってみたら厚さ5.6cmもあった。我が家にある一般学習者向けの辞書群のどれよりも分厚い。凶器サイズ。値段もなかなかのものだが、わたしは行きつけの古書店でたまたま現在の低下の3分の1ほどで手に入れられた(状態はあまり良くない)。 読んだ、と言っても、ホメロスからゲーテまでの2600年にわたる文学史を扱った本書の内容を、たった一度の通読で受け止められるハズがなく、かなりライトな読み方になってしまった。そもそもこれを読むのに相当な教養が必要とされるので、読みこなせる人間が日本に何人いるのか、とも思う。ギリシア語、ラテン語、フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語……ヨーロッパ文学の主要言語がほぼコンプリート状態で登場して目が眩むだけでなく、その引用にたまに訳がついてなかったりする。訳者が位置づけるように「ヨーロッパ文学について今世紀(20世紀)に書かれたおそらく最も重要な書物」であるならば、文庫化などしてもっと世の中に行き渡るようになってもいいのに……と思うのだが、この内容の濃さだと、文庫化して行き渡っても(本当の意味では)読まれない、ということになりそう。 以下、わかったところだけ触れていくけれど、本書でクルツィウスが示しているのは、ホメロスからゲーテまでの2600年間に、どのように文学が学ばれ、読まれ、書かれたのか、という営みの歴史である(なんか改まって書いてみたが、学んだり、読んだり、書いたりの歴史って文学史ってことじゃん、と思った)。ある特定のテーマについて言及する際に、使われる常套句の変遷を追ってみたり、とか、ロマンを感じる話だったし、猛烈に歴史を感じた。扱ってるテーマは多岐に及ぶけれども、個人的には「象徴としての書物」の章を一番興味深く読んだ。 小ネタ的には、ラテン系の民族は俗語とラテン語が似てたので、ラテン語に俗語的な乱れがあり、対照的にはゲルマン系の民族は最初から外国語

ジークムント・フロイト 『精神分析入門』

精神分析入門 (上巻) (新潮文庫) posted with amazlet at 15.04.05 フロイト 新潮社 売り上げランキング: 9,086 Amazon.co.jpで詳細を見る 精神分析入門 下 (新潮文庫 フ 7-4) posted with amazlet at 15.04.05 フロイト 新潮社 売り上げランキング: 12,768 Amazon.co.jpで詳細を見る 実はちゃんとフロイトを読んだことがなく(『モーセと一神教』しか読んでなかった)、先にラカンの入門書などに手を出していたり、精神分析のテクニカル・タームを使ってモノを書いていたりしていたのが申し訳なくなっていたため、『精神分析入門』を読んだ。なんでもフロイトが晩年におこなった講義をもとにした本だそう。この新潮文庫版には『続入門』も収録されているんだが、メインの入門講義は第一次世界大戦の真っ最中に行われ、かつ、聴講者は最大で11人しかいなかったという。フロイトって20世紀最大の思想家の一人に数えられる人なんじゃないのか、その講義の受講者が11人って……と驚愕したが、11人を相手に話しているフロイトの姿を想像すると胸が熱くなって、それはそれで良い。 それにしてもだ。夢に出てくるあらゆるものを性的な象徴だと言い、また、精神的な不調の原因もすべて性的なものへと還元していくフロイトの言葉に、改めて「こんなもん良く受け入れられたよな……」と呆れながら読んでしまうのだった。例えば不眠症に悩む女性の症例を紹介する際には、その女性の枕元にあった時計のカチコチいうリズムが、勃起したクリトリスが脈打つ音とつながっている、とか言うんだよ。すごくない? こんなの思いつきますか? 驚きますよね。 悪い本ではない。フロイトの思想って、それこそ高校の倫理の教科書にも載ってたくらいですが(授業に出てきたかは不明。倫理の授業中、自分がなにをしていたかをまったく覚えていない)、自我だとか超自我だとかエスだとか、そうしたテクニカル・タームはフロイトの著作に触れてなくても知ってたりするわけ。本書を通して読んでみると(長い。上下巻で1000ページ超える)、原典は知らんけど、知っていた言葉の復習みたいになって面白くはある。フロイトに