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Annik Honore / Annik Honore

仙台の4人組バンド、Annik Honoreのアルバムを聴いた。このバンドの存在は、おなじみ仙台の盟友、tdさんのブログで知った。大学生のバンドで、メンバーの就職を機に活動休止となっている、とのことである。CDはTwitterのアカウントでやり取りをすると簡単かつ迅速に入手できるので、是非聴いていただきたい(Twitterやっていない、という人はどうしたら良いんだろうか)。Joy Divisionのイアン・カーティスが不倫していた、と噂された女性の名前を冠している。かつ、tdさんが激推ししている、ということで、わたし的には間違いない感じであったのだが、彼らのSoundCloudを聴いて、また、Youtubeにアップされているライヴ動画を聴いて、いても立ってもいられなくなり、事情あって止まっていた埼玉県北部のビジネスホテルから注文の連絡をしてしまった。



個人的にはシューゲイザー、ブリットポップという、彼らが愛聴しているであろう音楽、リスペクトしているであろう音楽にまったく思い入れがない。が、そのリスペクト具合はそれなりに理解できる。おお、こんな、My Bloody Valentineみたいなサウンドが、今の大学生には作れてしまうのか、すごいな、とまるで中年のような驚きもある。もちろん、リスペクトの対象の真似っこだけではない。また個人的な偏見に基づく感想だが、自ら自分たちの音楽を「シューゲイザー」と名乗る日本人のバンドに対して「ケッ」という思いがあった。が、Annik Honoreには一切、そういうのがなかったんだ。突き抜けて気持ちよい音だな、と思ったし、シングルコイルのギターの音の魔力みたいなものを改めて感じさせてくれた。今の日本のバンドについて、多くの知識は持たないけれど、Homecomingsと同じぐらいこのバンドの音にグッと来てしまった。

送られてきたCDには手紙までついていた。活動休止中はとても残念だけれども、わたしがこの記事を書くことで、この音楽を広める力添えが少しでもできたら嬉しい。それにしても仙台の音楽シーン、どうなっちゃってるのよ、すごいな。

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