九鬼周造 『「いき」の構造』

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「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)
九鬼 周造
岩波書店
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タイトルは知っているし、もしかしたら大学受験の模擬試験とかで読んでいるかもしれないぐらい有名だけれど、内容はまったく知らないタイトル、というのがある。ちょっと前に読んだ西田幾多郎の『善の研究』もそうだったが、九鬼周造の『「いき」の構造』もわたしにとっては同様のカテゴリーに位置づけられる本であった。読みはじめて驚いたね、「あ、これ『お兄さん、粋だねえ!』とかの『いき』についての本なのかっ!」と。まるで阿呆ように(あまりにタイトルだけ聞いた経験がありすぎて、内容についての興味が一切湧かなかったのだと思われる)。そういうわけで当然、著者の九鬼周造に関してもまったく知らなかったが、男爵家という高貴な血筋に生まれ、パリに渡り、ハイデガーやベルクソンに認められた哲学者とのことで、なんだかドラマティックな人であるなあ……と嘆息してしまった。

面白かったですよ、これまた。今年は昭和89年ですから『「いき」の構造』が刊行された昭和5年から84年も経っていることになる。そういう昔の人が、西洋哲学の術語を用いて、日本人に独特な美的感覚を巧みに描き出したら、大変難解なものになりそうなのに、難しく書かれているわけではない(ただ、西洋哲学の術語体系についての知識や、たまに挿入されるフランス語やギリシャ語、ドイツ語やラテン語に補足がないので、そこで挫折する人はいると思う)。昭和5年にどういう人に向けてこれが書かれていたかは気になるし、また、84年後もまだ読まれているのも違った感慨があるけど、昔の文章なのに書いてあることがわかる、って単純に考えて結構スゴいと思う。

で、「さて『いき』とは!」みたいに語りはじめる冒頭部で、いきなり「ものすごく手に入れたかったのに、いざ手に入れてしまうとめっちゃ冷めるよね」的な、あけすけに申せば「一回ヤッちゃうと、どうでもよくなっちゃうことってあるよね」的なことが論じられ、つまり「いき」とは「見えそうで見えないのがいいよね!」的な感じなんですか……? と思って大笑いしてしまった。わたしはが一番この本から得たものは「見えそうで見えないのが良いよね」、「付き合えそうで付き合えないのがドキドキするよね」的なヴァイブスを、アキレスと亀の説話で表現可能である、という一点に尽きるかもしれない。

「いき」という(日本固有の)感覚の、外国語への翻訳不可能性(というか外国での存在不可能性か)についての書きぶりは、端的に言って好みのお話だし、結局のところ、この本も「いき」に関する完璧で、客観的な記述をやってやったぜ! というものではなく、逆に、その完璧で客観的な記述の不可能性に到達し、しかし、不断の記述をするところに「学の意義は存するのである」と唱えるロマンティシズムを感じるのだった。

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