最近の買い物(2013年秋)
カワセ(KAWASE) (2012-04-05)
売り上げランキング: 19
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KINTO (キントー)
売り上げランキング: 10,907
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Amazon (2013-10-22)
売り上げランキング: 1
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たまたまKindleが届く日の近くに、欲しかった漫画の新しい単行本がでていたので「ここからもう漫画は全部電子書籍で読むぞ!」という気持ちでいたのだけれど、いざ、端末のセットアップ(おどろくほど簡単だった……)を終えて調べたら「出版社によっては紙の本の発売から一定期間を設けて電子書籍版を出す」という事実に直面し、愕然とした。え、待たずに本を買えるのが電子書籍なのでは……と思ったし、読みたい本は基本的に電子書籍になっていないのに、漫画すら満足に読めないのでは、ホントに使えない……と思った。
よって仕方なく、青空文庫や海外のその手のもので、無料の本をDLして、眺めるぐらいにしか使っていない。iPhoneやiPadのようなヌルヌルした操作感からはほど遠いが、端末自体の操作性は全然悪くない。言葉の辞書検索機能も快適だし(タッチパネルでの選択をミスしがちだったが、慣れた)、洋書読むなら、これだ、と思った。海外の大学出版社は結構Kindle対応しているので、読みたい本は大体Kindleで読めることを確認できた。
あとは電子書籍の値段だ。マーケットプレイスで1円で買える本が500円以上で売ってるのは、なんだか釈然としない。クズみたいな本なわけでしょう、1円本なんか。実際は送料がかかるから300円ぐらいにはなってしまうわけだが、それだったら電子書籍も300円ぐらいにしてくれよ、と思う。
ロバート・J・W・エヴァンズ 『魔術の帝国: ルドルフ二世とその世界』
ロバート・J.W. エヴァンズ
筑摩書房
売り上げランキング: 646,651
筑摩書房
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ロバート・J.W. エヴァンズ
筑摩書房
売り上げランキング: 679,570
筑摩書房
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本書を読むまで、私もルドルフ2世については前述したような情報しか持っていなかったが「芸術好きの主権者」(つまりは放蕩者)のイメージのとおりに政治的には無能であった、という風に思っていたし、かつての歴史家も概ねルドルフ2世をそのように描いてきたようである。しかし、エヴァンズによるルドルフ2世の姿は少し違っている。というか、ルドルフ2世がどのような人物であったのか、は謎なのである。公務に関わるもの以外、彼の書簡は残されておらず、限られた人物としか会わず、当時、皇帝に出会った人物たちが残した記録からうかがえる人となりもバラバラなのだ。ある者は、聡明な君主として、ある者は、狂気の人物としてルドルフ2世を捉えたが、晩年居城に引きこもり、メランコリアに取り憑かれたイメージが後に強調されて伝わることとなった。
本書の記述は、筆者自身が物語的に歴史を描いたものではない、と述べているけれども、ルドルフ2世の治世下の神聖ローマ帝国を曼荼羅のように描いたものだと思った。絵の中心には、もちろんルドルフ2世が存在し、その周囲にはマニエリスム、錬金術、ハプスブルク家の歴史、オカルト学といったものの詳細が並んでいる。ただ、その中心は、前述のように謎であり、ひどくぼやけている(エヴァンズは精神分析まで導入して、ルドルフ2世の性格を描こうとしているが、これはちょっとトンデモな感じがする)。ただ、中心が謎であるからこそ、周囲の密度が召還されたようにも思われるのだった。
2006年にちくま学芸文庫に収録されているものの新品での入手がほぼ不可能となっているのは残念(ちょっと前はもっと中古価格が高騰していた気がするが、Amazonマーケットプレイスでも、定価よりも少し高いぐらいの値段になっているのは良い傾向……なのか)。
Chelsea Light Moving / Chelsea Light Moving
Chelsea Light Moving
Matador Records (2013-03-05)
売り上げランキング: 19,633
Matador Records (2013-03-05)
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Body/Head / Coming Apart
Body/Head
Hostess Entertainment (2013-09-10)
売り上げランキング: 9,854
Hostess Entertainment (2013-09-10)
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ブリクサ・バーゲルト師匠とAlva NotoによるANBBを想起したりもするが、呪術的な雰囲気、特に朝鮮半島の南の方のシャーマニックな儀式音楽のようでもある。ともあれ、この絶唱、やはりキム・ゴードンの天性によるものであろう。歌えない、弾けない、が、なんか表現したいパワーが煮えている。これはアート・リンゼイが弾けないけども、自分のやりたい音楽が完全にイメージできているのとはまったく違っていて、さらに原始的で、音楽として分化される前のレアレアな状態で出て来ちゃった感がある。なんだかオーネット・コールマンや、アルバート・アイラーみたいな、こんなの出しちゃって良いのかよ、と聴いている側が心配になる音楽である。たぶん売れないけど、良いアルバム。
Lee Ranaldo & The Dust / Last Night On Earth
Lee Ranaldo & The Dust
Matador Records (2013-10-08)
売り上げランキング: 6,036
Matador Records (2013-10-08)
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この夫婦のいざこざに巻き込まれた形となったリー・ラナルドとスティーヴ・シェリーはまったく気の毒としか言いようがないが、リー・ラナルドをリーダーとしたThe Dustというバンド名義で仲良く活動しているのは、ファンにとってちょっとホッとする点だろうか。今回のアルバム『Last Night on Earth』がデビュー盤ということになりそうだが、メンバーはリー・ラナルドのソロ名義での前作に参加していた人たちなので、彼のソロの延長線上にある。で、前作も良かったけども、今回バンド感がすごく高まっており、さらに良くなっている。いや、本当にリー・ラナルドという男、Sonic Youthではできなかったことを伸び伸びとやっている、という感じがするし、ポップな才能爆発である。
「Last Night on Earth」というアルバム・タイトルは昨年ニューヨークを襲った巨大ハリケーン、サンディの被害からインスピレーションを得た(Pitchforkのアルバム・レビュー)、とあり、なんか歌詞も暗かったりするらしいが、歌詞カードをマジメに読んでないので、そのへんは分からず。むしろ、全然暗いアルバムには聴こえないところは、アレか、エルヴィス・コステロ師匠が言ってた「暗いこと語るなら明るい曲を書け」的な精神なのであろうか。軽ーく歌詞カードを眺めると「これはもしかして停電の歌なのか」と思わせる詩が書いてあって、ホントに暗い曲も並んでいるようである。
音的には、チェンバロとアコースティック・ギターの弾き語りというアイデアには度肝を抜かれたし(チェンバロの音色は一番Sonic Youthから一番遠いところにある)、上手いリズム・ギターとベース、そしてスティーヴ・シェリーの最高なドラムをバックに魔術的なソロを取るリー・ラナルドのギタリストとしての魅力も満喫できて良い……。Sonic YouthもThe Dustも頑張って! と期待したくなるアルバムだ。
菊地成孔 『時事ネタ嫌い』
菊地成孔、今年2冊目の著作は雑誌『FRaU』で連載されていた時事エッセイをまとめた単行本。今年の1冊目が『あなたの前の彼女だって、むかしはヒョードルだのミルコだの言っていた筈だ』で、かなり読み手を選ぶ格闘技本であったのに対し、こちらは読み手を選ばない菊地成孔の著作のなかでも最もライトな部類に入るものになるでしょう。本書で55年体制の崩壊が2009年の民主党による政権交代ということになっており、その点、ホントに著者の『時事ネタ嫌い』が推し量れるけれど、2007-2010年、震災前になにがあったのかを振り返りながら、ダラダラと時間をつぶすのにちょうどいい温度。帯にはこんな文章が載せられている。
〈震災前夜までのニュース〉の数々あたかも2011年3月11日の地震とそれに伴う原発事故により、日本の社会は一変してしまったという風に語られがちである。が、本書を読むと、地震による断絶などなく、リニアにイヤな感じが繋がりまくっている感覚に陥ったりもする。さまざまな問題が解決されないまま残っていることももちろん、イヤな感じは日に日に高まってさえいるかもしれない。変化している、といえば「地震」というメタファーやアナロジーを(それ以前にも大きな地震はたくさん起きていたのに)使いにくくなっている、という言葉に対する感覚の変化だろうか。大相撲ファンとしては『あなたの前の彼女だって……』と同様、角界のスキャンダルと釈然としない対応と反応について、ほのかな怒りを伴って振り返ったりもした。このほのかな怒りは、もしかしたら時事ネタを嗜む醍醐味なのかもしれない、とも思う(自分と無関係なものに対しても、怒ってみせる、というのはとても社会的な振る舞いであるような)。
不二家の3秒ルール/ミートホープ事件/船場吉兆/石原都知事就任/安倍首相バックレ辞任/練炭自殺/アキバ通り魔事件/リーマンショック/豚インフルエンザ/毒ギョーザ/普天間/大相撲と世間/小沢マスク/55年体制最後の自民党総裁マンガ顔の麻生太郎/宇宙人としての鳩山/「ミシュラン東京」発売/オリンピック誘致失敗/「サロン・デュ・ショコラ」のコミケ化/死刑になりたくて殺人/ガザ地区空爆/ベストドレッサー市橋/尖閣
↑こうした現象たちと現在は、どう繋がれ、切断されているのか?
坪口昌恭 / A Cat In Modular
坪口昌恭
MORI RECORDS (2013-09-08)
売り上げランキング: 25,589
MORI RECORDS (2013-09-08)
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シーケンサーや平均律に音をあわせるするピッチ・クオンタイザーは一切使用せず、ツマミとパッチケーブルのセッティングだけでおこなわれるシンセサイザーの操作は、一般的な音楽演奏のイメージとはかけ離れているだろうだろうけれど、なにやら機械を相手にした錬金術みたいでとてもカッコ良い。Klusterや初期のTangerine Dreamなど70年代初頭のドイツのバンドには、こうしたシンセサイザーを使用して即興的な電子音楽を繰り広げていたものがあるが、坪口昌恭の新作は、そうした過去の音楽で聴くことのできる独特な音色を彷彿とさせる(やはり、アナログ・シンセの音の太さは素敵だ……)。
しかし、このアルバムは、かつてのドイツのバンドのようにスペイシーかつ、スピリチュアルなものではないし、また、アナログ・シンセとヴォコーダーを使っているからと言って、Daft Punkみたいな未来感を演出しているわけでもない。錬金術工房で生み出された、小品集みたいな趣きがある、なんだか可愛らしい一枚である。ちょうどシュトックハウゼンの電子音楽の《習作》を思い出したりもした。表題作の「A Cat On Modular」はなんど坪口昌恭、初の歌モノである。
ピーガブのカヴァープロジェクトが完結(V. A. / And I'll Scratch Yours)
Peter Gabriel
Umg (2013-09-19)
売り上げランキング: 2,960
Umg (2013-09-19)
売り上げランキング: 2,960
ピーガブがカヴァーしていたアーティストのなかには、デヴィッド・ボウイやレディオ・ヘッド、ニール・ヤングという大物がいたが彼らは『And I'll Scratch Yours』には不参加。ボウイによるピーガブなんかめちゃくちゃ聴きたいけれども、なんかいろいろあったことが予想される(ライナー・ノーツに目を通すと、2010年に既に録音が終わっていたトラックと2013年に録音されていたトラックで分かれている)。代打的に参加しているのは、ジョセフ・アーサー、ファイスト、そしてブライアン・イーノ。それ以外の名を列挙しておくと
- デヴィッド・バーン
- ボン・アイヴァー
- レジーナ・スペクター
- ステフィン・メリット(Magnetic Field)
- ランディ・ニューマン
- Arcade Fire
- エルボー
- ルー・リード
- ポール・サイモン
と、なかなか豪華である(もちろん知らない人もいたけれど……)。このうち、イーノとルー・リード先生だけが原曲が分からない感じでさすがのお仕事をされているのだが、他の人たちは、基本的には静謐な感じの音響空間のなかで、ピーガブの名曲を歌い上げている(デヴィッド・バーンは、かなりゴリゴリなディジタル・ファンク)。男性歌手の多くがピーガブ本人と声質が似ている感じがし「これ、物マネか?」というものもあるのだが、そうしたホンモノとの距離の遠さの面で、ファイスト(Don't Give Up)、レジーナ・スペクター(Blood Of Eden)らの女性歌手のパフォーマンスが絶品である。とくにファイストさん……! 名前は存じ上げていたが、こんな歌声、嫌いになれないわけがないじゃないか……(原曲はケイト・ブッシュとのデュエットだが、ファイストはTimber Timbreというカナダのグループと一緒に演奏している)。
Peter Gabriel
Univeral (2013-09-19)
売り上げランキング: 25,470
Univeral (2013-09-19)
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複雑で、美しい文学的な織物のような小説(ウラジーミル・ナボコフ 『賜物』)
ウラジーミル・ナボコフ
河出書房新社
売り上げランキング: 203,306
河出書房新社
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曇っているのに明るい午後、四月一日のもうすぐ四時になろうとする頃、年は一九二…年(ある外国の批評家がかつて指摘したように、たいていの長編小説は、例えばドイツのものはすべてそうだが、正確な日付から始まっているのに、ロシアの作家だけは—わが国の文学特有の正直さのせいで—最後の桁までは言わないのである)、ベルリンの西部、タンネンベルク通り七番地にある家の前に家具運搬用の有蓋貨物自動車が停まった。人によって好みが分かれるところだと思うが、いきなりこのめんどうくさそうな感じ、スッと進まない感じ、わたしはこれだけで「ああ、なんだか面白そうな小説だな」と思った。解説で訳者の沼野充義が、この作品をジョイスとプルーストの作品に並ぶ、モダニズム小説として扱っているが、確かにそうした息吹は感じられるだろう。ダブリンの市民は、ベルリンの市民に、失われた時間は、失われた主人公の父に。また、ロシア語やドイツ語、英語、フランス語を駆使した言葉遊びは、音楽的にも読める(もちろん翻訳では、その音楽性が完全には聴き取れないけれども)。
個人的にもっともグッときたのは、第2章。これは主人公が亡命前に過ごしたロシアでの少年時代の回想であり、また、調査旅行にでかけたまま消息を絶った蝶類学者の父親の記録である。若い作家である主人公は父親の伝記を書こうとしていて、小説にはチベットの奥地をめぐる冒険小説的なものが挿入されている。この挿入も面白いのだけれども、少年時代の父親との交流の記憶がとても美しい。「回想」は、コンピューターがデータベースのなかにある情報を探しだすように自由には思い出すことができず、思いがけないときに、沸き上がってくる。プルーストもそうだけれど、その不自由な記憶の吹き上がりにもにた現象を書き留めたような「過去」の描写は、わたしの琴線に触れるのだ。
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