フランシス・ベイコン 『古人の知恵について』(抄訳)

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  • 柴田和宏、坂本邦暢「フランシス・ベーコン『古人の知恵について』抄訳」『科学史・科学哲学』第23 号,2010年,83 94ページ

フランシス・ベイコンが1609年に出版した神話解釈の抄訳で読みました。翻訳は(いつもお世話になっております)現在イギリス留学中の柴田さんクニ坂本博士

ベイコンによれば、古代の偉大な知識は聖書をのぞけばすべて失われている。しかし、ギリシャやローマの神話には、いまでは失われてしまった知識が隠されているはずである。だから、失われた黄金の知識をサルヴェージするために神話解釈をする、というのが本書の目論見でした。彼が試みるのは、読解による錬金術、とも言えましょうか。しかし、古代人たちはどうして大切な知識を神話でしか残さなかったのか。ここが面白いポイントです。まず、一点目は、その知識が重要なので濫用されないようにあえてわかりにくい「夢であっても思いつかない」奇怪な寓話に落とし込んだ、とベイコンは考えます。ユピテルが妊娠した妻を食べて、頭からアテネを生んだ、とか、まあ、むちゃくちゃな話ですよね。しかし、そのむちゃくちゃさが深遠な知識の深遠さを表現し、二点目の「伝える技術」へとつながっていく(これは一点目の『隠す技術』と対立する意味を持ちます)。

ベイコン曰く「その当時、明らかに人間の知力は未熟であり、精密なことがらについては、それが感覚に入らない限り感じることができず、ほとんど受け入れることができなかった」。それゆえに、偉大な知識は論述的なスタイルで書き残されず、神話として残されたのです。これは古代人の知識は偉大だけど、彼らはバカだった、というdisにも受け取れるのですが、知力の未熟さゆえにメディアとして神話を用いざるをえなかったコミュニケーションのミメーシス性が現れているようにも読めます。また、ベイコンによる古代人の評価は、彼が生きた時代の人間が古代人たちよりも優れた知力を持っているという意味を含むでしょう。この「自分たちは発展した時代を生きているのだ」という歴史観も気になるところです。

「序論」のほかに抄訳されているのはベイコンの物質理論に関連する箇所となっています。
  • コエルム(天)、あるいは起源
  • クピド、あるいは原子
  • プロセルピナ、あるいは精気

以上が抄訳された部分のタイトルになります。ただし、ここで抜かれている部分からでは、ベイコンの物質理論の全体を把握できないでしょう。これについては昨年7月のシンポジウムでの柴田さんの発表動画か、あるいは、近いうちにリリース予定のこの発表をもとにした論文を参照していただくとしましょう。

個人的には、コエルムの神話から物質の起源を読み解こうとする部分に最も惹かれました。ベイコンの読解は「どうしてこうなった……」的な超解釈にしか読めないのですが、コエルス、サトゥルヌス、ユピテルらの性器取り合い合戦から、とにかく物質が生まれていったのだ、と彼は言います。面白いのは、ベイコンによる物質の起源の物語は、物質が創造された時点で今あるような物質世界ができあがっていたわけではないところです。彼は、創造時点の物質は不安定で混乱した状態にあり、その混乱を安定へと導くファクターとして神話上の出来事が置かれます。また、その安定化には、天界においては太陽の力、月下界においては、聖書に描かれるような嵐・地震・洪水が用いられてもいる。

「……私たちが知っているどれよりも大きな規模の地震によって顕著な運動が続いた。それらもまた鎮められ分散されたとき、事物の調和と平穏はより落ち着いて永続性のあるものになった」。ベイコンによるこのような説明は、原始の世界はなんだかモジャモジャと混乱したもので、それが一旦地震などでシェイクされて均され、安定する、といったプロセスをイメージさせます。ベイコンがどうして、かつての世界の不安定を想定したのかも気になるところ。

なお、本書の全訳は当初柴田さんの修士論文に収録される予定、とありますが、都合により実現してないとのこと。柴田先生の次回作(博論?)にご期待ください。

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御厨貴(編) 『近現代日本を史料で読む: 「大久保利通日記」から「富田メモ」まで』

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高校時代、日本史の授業をいい加減にやり過ごしてしまったため……という言い訳をするわけではないですが、日本の近現代史についてはよくわかってない私です。が、この本は面白く読みました。政治家や軍人、役人の日記という史料を用いて、歴史的事件の裏側になにがあったのか、また歴史的人物の人となりがどのようなものであったのかを追っていくオムニバス。扱われている人物のなかには、最初から自分の日記が後世の史料として扱われるであろうことを意識して日記を書いている人もいれば(アルファダイアラーみたいなものですかね。その代表が原敬)、死後に日記が発見され、その重要性から日記を公開された「意図せざる日記作家」もいる。後者のなかには、妻を何年ぶりに抱いた、とか赤裸々と言いましょうか、生々しい記録を残している人もいて、これを読む歴史家が半笑いになるのが想像できたりもする。

公文書には、公的に記された出来事の数々が記されている。その一方で、本書で取り上げられている私文書には、公に開かれたスタティックな歴史から削ぎ落とされる、生きた歴史の源が眠っているように思いました。本書の「はしがき」にもありますが、こうしたテキストを読み解くことによって、例えば「維新の元勲を旧知か友人のごとく論評する」こともできるようになる。テキストの向こう側にいるはずの人間を想定して、読み解いていくのは、テキスト読みとして基本的と思われる真摯な態度のひとつでしょう。

昔の日本人の文書ですからコンピューターなんかありません。元々の史料はすべて手書きで、モノによれば字が汚すぎて判読できない……というのもある。そうした困難を乗り越えて研究が進められているわけですが、本書を読むと、なぜ、彼ら研究者がわざわざ、読めない・判らない、の非常にアクセシビリティの惹きつけられるかが少し理解できるような気もします。その理由はとてもシンプルで、単に面白いから、なんでしょうけれど、そうした点でも、本書は単なる歴史読み物、ではなく、歴史家・歴史研究者が日々、どういったテキストを相手にどういう仕事をしているのかを明かすモノです。

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Vergilius 『Eclogues』

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Eclogues. Georgics. Aeneid: Books 1-6 (Loeb Classical Library)
Virgil
Loeb Classical Library
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ウェルギリウスの『Eclogues(牧歌)』を読みました。使用したテキストは上記のLoeb Classical Libraryシリーズの原文英訳対訳付です。ここでは少しラテン語をどんな風に読んでいったかについて書いておきます。先日の近況報告でもお伝えしましたが、当初、私は辞書を引きまくりながら原文と英訳を見比べつつ読み進める方法をとっていました。しかし、テキストの背景にあるなにかを説明してくれる注釈がないこの本では、神話上の神々の名前や地名といった固有名詞がわからないことが多く、文章が読めても意味がわからない事態におちいりがちでした。困っているところに光を差し伸べてくれたのがやはりインターネット。早稲田大学商学部が刊行している『文化論集』がWebで閲覧でき、そのなかに野村圭介訳の注釈付日本語訳がいくつかあります。

これは原文も併載されており、翻訳との対応を確認しながら読むのにとても便利です(別なテキストを買わなくても、このPDFだけで完結してしまう……)。ただし、全10歌のすべてがあげられているわけではないので、残りは別な翻訳を参照する必要があるでしょう。最後の第10歌については西洋古典叢書の小川正広訳を使いました。

牧歌/農耕詩 (西洋古典叢書)
ウェルギリウス
京都大学学術出版会
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こちらは訳注が本文の下に配置されていて読みやすいです。ただし、ちょっと訳しすぎかな、という感じがあったり、原文と照らし合わせて読むときは縦書きのレイアウトだと読みにくいです。日本語だけでウェルギリウスの詩の豊かさに触れられる良い訳業だと思うんですが、ラテン語の勉強にはちょっと不向きかも。原文との対比については、英訳を参照して確認し、意味がわからない部分はこの邦訳を参照するという使い方がベストか。

また、ラテン語の韻律についてはこちらのサイトを参照しました。もちろん、これを読んだだけで体系的に韻律が理解できるわけではないですが、こういうリズムで音が流れていくのだよ、というヒントを与えてくれます。読解に韻律の知識が必須であれば、韻律ドリルみたいなものがあると嬉しいんだけれど……(ひたすら反復練習するしか、こういうのは身につかないと思う)。

牧歌的、というとなんだかのんびりしていて、アルプスの少女とかがでてきそうなイメージがあります。しかし、ウェルギリウスの『牧歌』は全然ちがう。狂おしい愛や、土地を追われた者の悲哀が歌われる舞台である自然は神秘であり、歌の魔力によってでしか対抗できないような大きな存在です。自然が神格化されたのもさもありなん。

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読売日本交響楽団第523回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

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指揮:
下野竜也

曲目:
ブルックナー:交響曲 第5番 変ロ長調 WAB.105
読響によるブルックナーの交響曲第5番を聴くのはスクロヴァチェフスキが数年前に定期で振って以来か。そのときの演奏がもとでブルックナーが好きになり、こうして3年も読響の定期会員になったりしてるので、個人的に思い出深い曲でもある。あまり好みではない下野竜也が読響の正指揮者としての最後の定期で振るとは……と思うとますます勝手な思い入れも深くなると言うもの。この指揮者のブルックナーは第4番を振ったときもやはり全然良い演奏とは思えず正直期待しておりませんでしたが、いやいや、ようやく私もこの指揮者の面白さがわかってきたかも〜、という快演でした。

御大スクロヴァチェフスキとはもちろん違う、いや、どこまでもまとまりがよく締まったブルックナー。言うなれば、スクロヴァチェフスキのブルックナーには理性を超えた神々しさがあるわけですが、言い方を変えると、それは理性を忘れた老人性痴呆みたいなものでもあるわけです。どうなったらあれだけスケールの大きな音楽が描けてしまえるのか、聴衆もまた理性を忘却した境地へと連行されてしまうので打ちのめされるしかない。

一方で下野の今夜のブルックナーは理性の領域で目一杯音楽を操作し、乗りこなしたものだったように思います。そこにはひとつひとつ丁寧に物語を紡ぐプロセスさえ見える。ゆえにフィナーレにおける大きな解放さえも、最後だから何かをすべてブチまけて終えてしまおう、というものではなく、文末にピリオドをスッと置いてペンを置くように聞こえました。あと人がここは流すだろう、みたいな箇所にチャーミングな色付けをしているのも面白かったな。基本的には選曲以外はアクが強くないところにアクがある、ぐらいの人だと思うんだけれども、ハマり方でスゴく面白く聴ける。

オーケストラも素晴らしかったですね。前回のマーラーに引き続き、ホルンとラッパはお見事。ホルンはエキストラなのか契約団員かわかりませんが若い人がトップを吹いてて音色のブリリアントな感じが良かったです。このまま、ホルン首席の座が埋まったりするんだろうか?

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ニクラス・ルーマン 『目的概念とシステム合理性: 社会システムにおける目的の機能について』

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目的概念とシステム合理性―社会システムにおける目的の機能について
馬場 靖雄 上村 隆広 ニクラス・ルーマン Niklas Luhmann
勁草書房
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1968年に刊行されたルーマンの著作を読む。これ以前の等価機能主義をシステム論の言葉で言い換えることで、精緻化しようとするという著作。なので、これ以前のルーマンの論文を押さえていないことには読んでも得るモノは少なそう(つまり、初期論文の翻訳の刊行が望まれる……のかもしれない)。自分のブログを確認したらすでにこの本の序論は、三谷さんの翻訳で読んでたのね……。当然、等価機能主義からシステム理論へ、という翻訳であるので、なにか新しいことが言われてるわけでもないハズ。要点をすごい乱暴にまとめてしまうと
  1. 社会は複雑。複雑だとみんな意思決定とかできないハズ
  2. でも、みんな実際には決定してる。なぜだ?
  3. たとえば目的が設定されると複雑性が縮減される!(目的に関係ない情報を見ないことにできる)
  4. 目的は必然的に決定されるものでなく交換可能なハズ。それぞれ等価なモノがないかとか分析したら、社会の別なあり方が模索できる気がする!
とかこんな感じ。そのなかで目的設定を目的プログラムとか言ってみたりして、IT業界に身をおくものとしては、ルーマンがこうしてコンピューター用語を使用するときに、どういうコンピューターやプログラミング言語を想定しているのかが気になるところである。やっぱりFORTRANとかなんですかねえ。

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「楽しい宴」 La musique à Versailles 志水哲雄と仲間たち @昭和音楽大学ユリホール

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出演:
志水哲雄
福沢宏
三村国広
須藤岳史
染川みかほ
小池香織
鬼澤悠歌
原澄子
上薗未佳(クラヴサン)

曲目:
  • M. マレ 《組曲 ホ短調》(ガンバ曲集第2巻)
  • 同 《3台のガンバのための組曲 ト長調》(ガンバ曲集第4巻)
  • 同 《シャコンヌ ト長調》 (ガンバ曲集第1巻)
  • A. フォルクレ 《3台のガンバのための アルマンド、クーラント、サラバンド》
  • F. クープラン 《コンセール第12番 イ長調》
  • M. コレット 《ガンバ独奏・合奏による協奏曲 “フェニックス” ニ長調》
東海大学や昭和音楽大学でヴィオラ・ダ・ガンバと音楽療法を教えておられる志水哲雄の古希記念演奏会を聴きにいく。普段なかなかこうした古楽を聴く機会にめぐりあわず、ガンバという楽器そのものを間近で見たのもこれが初めてだったが(エンドピンがついてないことにもこの日気づいた)コンサートのタイトルどおり楽しい演奏会であった。演奏されたのは17世紀なかばから18世紀初頭にかけての作曲家の楽曲群で、思想家でいうならライプニッツやニュートンの同時代の音楽である。

音楽史と思想史を比べることになんの意味があるのか、と問われると、モゴモゴと口ごもりそうになるけれど、そうした思想家たちが生きていた時代、フランスの宮廷ではこのような音楽が演奏されていたことを想像すると想像図が少し豊かにできるのではなかろうか。また思想史が古代ギリシャから語られるのに対して、西洋音楽史が語られるのはせいぜい9世紀ぐらい、もっと話を限定して、J. S. バッハから始めてしまうなら、音楽史の短さと性急さを感じてしまったり(バッハからたった200年ほどでシェーンベルクに到達してしまうのだから)。

演奏内容についてアレコレ書くほどにはモノを知らない。しかし、同じ門下だった演奏家でも当たり前のように、それぞれで個性が違っていることはわかる。後半のプログラムで演奏されたマレとフォルクレの3台のガンバのための作品では、後者はまだ大学院生を含んだ若い演奏家によって、前者はすでに国内外で活躍している演奏家たちによって演奏された。結果として、前者のそれぞれのクセやアクが強くでた共演よりも、後者のまだ個性が花開く前の演奏のほうが、整った音楽として聴こえた。どちらが優れた演奏であったか、という話ではない。同じ楽器なのにまったく違った音を鳴らせる演奏家の多様性に、音楽の奥深さを感じてしまうのだった。

最後のほうはジンときてしまいましたね。70歳の「先生」をトップにして、愛弟子たちが伴奏をつとめるという構図が。アンコールもパッヘルベルのカノン、とド直球な泣かせにかかる曲でねえ……。70歳といえばカエターノ・ヴェローゾやポール・マッカートニーと同い年、ということになるが、やはり音楽を続けている人は若い、と思う。

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ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン 『美味礼讃』

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美味礼讃 (上) (岩波文庫 赤 524-1)
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美味礼讃 下 (岩波文庫 赤 524-2)
ブリア=サヴァラン
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『美味礼讃』というタイトルだけで長いあいだ「古今東西の美味いモノについて昔の人がいろいろと書き連ねた本」を想像していたのだがちょっと違った。もともとのタイトルは『味覚の生理学』だそうで、著者ブリア=サヴァランが書き残したのは、食にまつわる諸々を学問的な態度によってつづったエッセイである。出版されたのは1825年。18世紀のフランスにおいて科学が社会的にどのような意味をもっていたのかは隠岐さや香さんの研究があり、ブリア=サヴァランもすでに現代と地続きに感じられる科学的な態度を身につけていたのでは、と想像される(彼のテキストには、コンドルセやラプラスといった著名な学者の名前も登場する)。味わいやにおいがどのように認識されるかを記述し、食に関係する感覚や物事を定義する部分を、おフランスのお上品なおエスプリ的なお楽しいお文章を期待して読むと面食らうことになるだろう。

一方、本書の面白さはそうした科学的なテキストと、さまざまな種類のテキストとが混ざっていることも本書の面白さだ。科学的なテキストのほかに、対話篇であったり、アフォリズムであったり、読者にモラルを諭す訓示めいたものやグルマンディーズの伝記やレシピ、社会時評まで言ってしまえば雑多である。こうしたところには当時の趣味のよい知識人が好き勝手書いてできた本とさえ感じるのだが、そこがなんとも奇書めいていてよい。この硬軟自在さこそがエスプリなのか(よくわかんないケド)。一応のところ、筆者は「美味学の理論的基礎の確立」と「グルマンディーズを、大食や無節操といった悪癖と区別する」という2つの大きな目的を、一部と二部に分かれた本書の「つなぎ」で説明しているのだが、本気で言っているのかどうか。いやしかし、こうした読める、けれども、よくわからないテキストこそが豊かなテキストと呼べるのでは、とも思うのである。目的がカッチリ決まっていては、それこそその目的に沿ってばかり読まれてしまうわけですし。

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近況報告

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先月から本業のほうがなかなか忙しかったり居住環境が変わったりして、ブログ更新ペースが落ちているので、近況報告的な雑記を。まず、本業がらみでは、3月にBeaconユーザーシンポジウムというイベントで「Google App Engineを企業はどう使えば良いの?」という感じのテーマで研究発表をおこないます。こちらは参加費が結構かかる、かつ、開催地が滋賀、さらに当ブログを普段からご愛顧いただいている思想史関係の皆様にはまったく馴染みのないお話ですが、たまたまシンポジウムに出席される予定のブログ読者さまがいらっしゃいましたら発表会場に足を運んでいただければ幸いです。GAEについてザックリとどんなものかわかり、プラットフォームの特性を生かした使い方とそのコストについてプレゼンテーションする予定です。

さて、本業以外の活動ですが、ヒロ・ヒライさんのBH日記でもときどき伝えられているとおり、思想史・科学史関連の出版前原稿などを読んでコメントしたり、校正したりをおこなっています。ここまで17世紀の地球論についてまとめた論文を読みました。現在進行中なのは、ヒライさんが編者のひとりをつとめられている論文集です。これは収録論文のうち、現在5本をチェックしたところ。テーマは、スピノザ受容とか初期近代の怪物研究とか、イエズス会による布教戦略とか、記憶術とか……。どれも大変刺激的な内容で出版される日がとても楽しみです。専門的な内容、だけれども読めばなにかしら引っかかりが生まれる素晴らしい本になるでしょう。

最後に現在読書中の日本語以外の本について。現在以下の2冊を結構まじめに読んでいます。

A Culture of Conspiracy: Apocalyptic Visions in Contemporary America (Comparative Studies in Religion and Society)
Michael Barkun
University of California Press
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Eclogues. Georgics. Aeneid: Books 1-6 (Loeb Classical Library)
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1冊目はアメリカの陰謀論についての政治思想史・社会学的研究書(英語)。陰謀論者の心性や陰謀論がどのように流布していったかについては目新しい記述がないけれど、どのように陰謀論文化が醸成されていったかはなかなか読ませる。こちらは主に通勤中に読んでいます。

2冊目はウェルギリウスの英語対訳付原文(ラテン語)で『牧歌』。最初英語対訳だけで頑張ってたんですが、韻文だし、神話上の登場人物とか地名とかは訳されててもよくわからないのでツラかった……。挫折しかかっていたところに、インターネット上で公開されていた訳注付日本語訳PDF、というありがたいモノが。これを片手に原文を読むとなんとなくわかった気になる! ラテン語は始業前に20分ぐらい時間作って読むのだけれど、ものすごい俗世から離れたリゾート気分になれるので良いです。

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内田百閒 『御馳走帖』

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御馳走帖 (中公文庫)
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内田 百けん
中央公論社
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活字中毒、という言葉はなんだか好きになれない自意識過剰なもののように聞こえていやだけれど、わたしはもしかしたらそういうたぐいの人間かもしれず、好きな文章であれば力の続くかぎり読んでいられるし、とはいえ嫌いな文章はまったくあたまにはいってこないのだけれども、年中絶えず、自分が読める文章を探しているような気がしないでもない。とくに毒にも薬にもならず、ただ読んでいて楽しい文章家として内田百閒はたいへんに優れた仕事を残していた。

『御馳走帖』は、そんな彼が食に関して綴ったものをまとめたものだ。戦中のモノが手に入らない時代、経済的に恵まれなかった頃の話などふつうなら深刻さが現れてしまいそうなことがらについて書いていても、ユーモラスで、気持ちよい。日本語のリズムも良いんですよね(こういう文章を書ける人が、もう新しくでてこないのだとしたら、それは日本語がなにかを失っていることでもあるのかも、とも思う。初期近世の日本語を読んでいたときも感じたのだけれど)。親交のあった宮城道雄とのエピソードも痛快だし、やはり好きな文章家が、食事や煙草、酒などの自分の好きなモノについて書いているのは愉快な気持ちで読んでいられる。

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Ramo / Ramo E A Liberdade Musical

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昨年はブラジルのミナス・ジェライスから日本のラテン音楽ファンを賑わす若手ミュージシャンたちの新譜がこれでもか、と届いていたのだった。ハファエル・マルチニに、アントニオ・ロウレイロ、それから買ってないけどもアレシャンドリ・アンドレスもあった。なんだ、なにかムーヴメントが起きているのか、まるで一時のアルゼンチン音響派のように……と思ったが、今年もその火を絶やさないつもりらしい。前述のハファエル・マルチニとアントニオ・ロウレイロが所属する5人組のグループ、Ramo(ハモ)の2009年(?)のアルバムがディスクユニオンに輸入したと聴いて、すぐさま新宿のラテン・ブラジル館にいった次第である。

収録されているのはハファエル・マルチニのアルバムにも収録されていた曲(もちろん違う音源)を含む10曲。高度なコード・ワークと変拍子を駆使して繰り広げられるジャズ・サウンドから想起したのは、ブラジルのフュージョン・グループAzymuthと、Impulse!期のマイケル・ブレッカーだったりした。これは好きな人にはたまらない音楽でしょう。スムースなのにギクシャクしている、メロウなのにアツい。ふたつの要素に引き裂かれつつ、上手いなあ、と聴き惚れるしかない。フルート、ギター、ピアノ、チェロ、ドラムの基本的な編成が室内楽的な密度の高いアンサンブルがとてもキマっている。

ただ、この時点では、上手いなあ、と思うだけで、なんか、いや、ちょっとこういうの聴き過ぎてしまったのか、腰が抜けるほどに持っていかれたりはしないのだった。ほら、一時期、ポストロックと呼ばれるバンドの人たちが国内外でわんさかでてきたでしょう。もはやポストロックと言われても「はあ、郵便屋さんをしながらロックンロールでございますか」と誤解を招きかねないほどこじんまりしたものとなっている気がしますが、あのときの「また、こういう感じかア」って感想に近いものがある。ノラ・サルモリアとかもそうなんだけれど……。そうした意味で、アントニオ・ロウレイロのソロのガッツリくる具合ってすげえなあ、とも思った。

とか言いつつ、まだちょっと見切るには早すぎるので、このあたりの人たちを聴いていきたいです。

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小川明彦 阪井誠 『Redmineによるタスクマネジメント実践技法: チケット駆動開発+テスト工程管理のA to Z』

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Redmineによるタスクマネジメント実践技法
小川 明彦 阪井 誠
翔泳社
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Redmineはオープンソースで開発されているBTS(Bug Tracking System)で、もともとはバグが発生したらそれを修正してリリースするまでにどれぐらいかかるか、とか、修正はだれが担当してるか、とか、それと一緒にプログラム・ソースのヴァージョン管理システムとも連携させましょうか、ついでにガント・チャートも出力しちゃったり……! とかいうクッソ意識高い系のシステムであり、本書はそれを応用して、システム開発全般のマネジメントにも使っちゃいましょうよ! というモノ。

この手の技術書ってツールのインストール方法とかヴァージョンが変わると陳腐化されやすい知識から解説がはじまったりするんだけれど、この本にはそういうのがあんまりない。日夜プロセスやメソッドは改善されていくし、ツールは変化していくけれど「こういう事象にはこういう風に使うとイイっすよ!」というアイデア集として使える。「ウチじゃまだExcelを使って進捗表を作ってるんですよ……」という残念な職場にいらっしゃるIT関係者各位は、これを読んだらまるでRedmineが7つ目のドラゴンボールに思えてくるのではないか。

かく言う私の職場も、こうした便利なタスク管理ツールがなく、大部分の人がExcelで進捗更新して(Notes上に貼られた……)、もちろんそんなの更新がめんどうくさいから、リアルタイムな更新なんかみんなしないわけで、一週間に一度ぐらいしかプロジェクト進捗表が更新されない、なんてザラな環境にあったりするのだった。で、それはあまりに邪悪だ……と思って、せめて自分のチームで使う用にだけでもExcelじゃない進捗ツールがあれば……、と思って、ちょっと前にNotesで作り込んじゃったのね。ホントはRedmineとか導入したかったんだけども、自由な職場ではないので「なんか、こんなRedmineってこんな感じだろう(使ったことないけど……)」と想像しながら。

それは新たな邪悪さの温床では……という感じではあるのだが、これが大活躍で。Excelだとみんな更新してくれないけど、Notesでフォーム作って、ボタンを押せばフィールドに日付が入って、自動で作業状況の集計をしてくれる、ってだけで、めちゃくちゃにリアルタイムに情報が集まり、かつ、たまたま業務でイレギュラーなタスクの割り込みがあったときも「だれがいま一番余裕か!?」っていうのもすぐに把握できるようになったんだよ!!! わざわざ、もう「すみません、いま余裕ありますか……」と雰囲気で恐る恐る作業依頼をしにいかなくても良いんだ!!!!!!

本書を手に取ったのは、Excelじゃないとこんなにありがたい感じになるんだ……じゃあ、ホンモノをRedmineを利用したら、どういうことになってしまうんだろう……と思ったから。読んでみたら「俺の考えたRedmineっぽいモノ」とは、結構違ってて「ウワッ、こういう感じで設計すれば、もっと使い勝手良かったじゃん!(次は絶対パクろう)」とか良いネタ本にもなってくれたし、何より、本書の執筆者たちも「作業の進捗がツールで見えるだけで、こんなに楽になることがあるんだ!」という自分と同じユリイカ感を書いてたのも「そうだよね!」と全力で同意したくなった。

人の管理とかをやりはじめたばかりのIT関係者の方々は、これを読むといろんな発見があると思います。Redmineを導入できなくても、ウォーターフォールでも、職場の状況が見えないことで発生ストレスを、どう解決するかのヒントがたくさん含まれているなかなか射程範囲が広い本だと思います。これキッカケにPMBOKとか、ホントにマネジメントっぽい知識体系にもちょっと興味が広がったりもしたよ。

(なお、現在はHerokuでRedmine動かして、個人的にゴニョゴニョとなにかを試しているところです)

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Riccardo Chailly, Filarmonica Della Scala / Viva Verdi: Ouvertures and Preludes

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Viva Verdi: Ouvertures & Preludes
Viva Verdi: Ouvertures & Preludes
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Riccardo Chailly
Decca (2013-01-29)
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今年2013年は、イタリアの作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディの生誕200年にあたるアニヴァーサリーな年であり、それにともなっての企画盤ということだろうか、イタリア出身の指揮者リッカルド・シャイーがミラノ・スカラ座管弦楽団と組んで、ヴェルディの序曲・前奏曲集を発表している。《シチリア島の夕べの祈り》や《運命の力》の序曲は、コンサート・ピースとして広く受け入れられているけれど、オペラはなんとなく敷居が高いし、個人的に大曲指向なところがあるせいか、こうしたコンピレーション的なアルバムをあまり持っていなかったので、録音でじっくり聴くのは初めてだった。《椿姫》や《ナブッコ》、《アイーダ》といったホントに有名な作品からばかりセレクトされていて、サラっと聴けてしまうのだが、ヴェルディという作曲家の魅力が存分に味わえる一枚、と言えましょうか。これをキッカケにオペラを聴いてみたいな、とも思うし、とにかく主題の魅力にあふれた怒濤の音楽の数々(《運命の力》なド演歌みたいである)を味わえる。私が購入したのは輸入盤なんだけれど、ヴェルディが序曲を書くにあたって、どのように伝統と向き合って新しい音楽を書こうとしたかなどにも触れられたブックレットも面白く読んだ。

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