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My Bloody Valentine / m b v

MBV
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My Bloody Valentine
MBV (2013-03-04)
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さて今度はMy Bloody Valentineの22年ぶりのアルバムである。実のところ、私はこのマイブラさまのアルバムは『Loveless』しか長らく聴いてなかったのだった。言わずもがな、90年代ロックを代表する名盤のひとつといわれている作品である(リアルタイムで聴いてたわけではない、が、90年代ロックってすっげえ長生きしている感じがあるので、ほとんどリアルタイムなのかも)が、個人的にはそんなにドッパマッてもおらず、まったく思い入れもなく、たまに聴きなおして、結構良いな、と思っている感じであった。しかし、仙台在住のtdさんという奇天烈なDJ系雄ボーイから、《自分という人間を10年ごとに1枚のコンピレーションアルバムで語る3枚組(特典付で実質は4枚組)CD-R》という途轍もないシロモノが届けられ、そのなかに入っていた「You Made Me Realise」を聴いて、俺のなかでも赤い、ブラッディなヴァレンタインが、はじけたのである。

Isn't Anything: Remastered
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My Bloody Valentine
Sony UK (2012-05-07)
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Ep's 1988-1991
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My Bloody Valentine
Sony UK (2012-05-07)
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で、新譜の前に旧譜を買いましてね、うわ、こんなヘタクソなバンドだったのか、とか、ノイジーなギターのサウンド・オブ・ウォールの前はもっと直球であまずっぺえ曲を作るバンドだったのか、とか今更ながらに感心していたところに届けられた今回の新譜ですけれども、あれだな、なんだか、まったりしたアルバムであるなあ、というのが第一印象で、山形浩生が「まったく変わってない……だがそれがいい!」と受け入れてるのには倣えなかったです。いや、古参のファンの方とは受け取り方は全然変わってくるのは当然だと思いますけれども。

ザザザー……ズギャガガガ……ジャワーー……という音像はたしかに変わってないんだけれども、ギター・ノイズの粒度が今のほうが荒っぽい印象を受ける。ただ、高解像なインナーイヤーヘッドフォンとかで聴いちゃうと重なってる音が分離し過ぎちゃって、しかも元の音が良いモノだから「これまでと結構違うじゃん!」と思った可能性もある。オープンエア型スタジオ用ヘッドフォンとかスピーカーで聴いてみたら違和感が軽減してしまったし。間違いないのはドラムの存在感がガッツリなくなっていて、可哀想な感じであることぐらい。これはもう「まだ現役バリバリっすよ」という挨拶状みたいなものなのか。次の来日公演があったら見たい、って気持ちになった。

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