アテナイオス 『食卓の賢人たち』

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食卓の賢人たち (岩波文庫)
アテナイオス
岩波書店
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2世紀頃のローマの作家、詳細不明の作家アテナイオスによって書かれた『食卓の賢人たち』は当時も今も、食に関して蘊蓄を語りたがる人間はいたのだなあ、と思わせる本。食卓に集まった古今東西の賢人たちが、次々にテーブルへと運ばれてくる食材についての蘊蓄や、それにまつわる物語についてダラダラと語り続ける、だけ! というエクストリームな数寄者の食指をそそる内容でした。本文が400ページ以上。ただし、これは抄訳であり、消失してしまった分も勘定すれば全体の1割5分に過ぎない分量だそう。仮に全体を訳出したら単純に考えて4000ページ弱のものなのですから、驚くしかありません。アテナイオスという人は、タランティーノ映画に出てくる長々とした雑談をプルーストの分量で書いた奇人だったのかも。

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末崎真澄(編) 『図説 馬の博物誌』

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図説 馬の博物誌 (ふくろうの本)

河出書房新社
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河出の図説シリーズは良い本があるな〜。『図説 馬の博物誌』は、人類と馬とのおよそ5000年間の関係を美麗な図像とともにたどる良本でした。羊、牛、豚といった他のメジャーな家畜よりもずっと遅れて家畜化された馬ですが、人類史への影響の大きさは他のどの家畜よりも大きいことがよくわかります。交易はもとより、軍事面で馬をどのように扱ったかがある文明・文化の繁栄の鍵になっていたところが特に刺激的に読めます。ヨーロッパや中国の歴史が、外部から侵入してくる騎馬民族によってダイナミックな変動を強いられるところがとても面白い。

中国では漢の武帝が匈奴対策のために汗血馬を求めて西域へと大遠征軍を派遣し、3000頭以上の名馬を連れ帰ったという一大プロジェクトを成功させたエピソードなど、河西回廊に吹きすさぶ砂嵐のなかを名馬を連れた大群が帰還してくるヴィジョンを刺激してくれるし、中世ヨーロッパにおける重装騎兵が十字軍に参画した際、サラセンやトルコの組織化された軽騎兵たちの戦術にまったく歯が立たなかったことなど、当時のイスラーム勢力の強さの理由を解説してくれるようです。馬の戦略的・戦術的重要性は20世紀に入って火器や戦車、自動車が戦場で活躍するようになってからようやく薄くなっていく。しかし、それ以前のヨーロッパの歴史などは、まるで外部の騎馬民族に対する傾向と対策を練り上げることによって作られていった、とも読めます。騎馬民族へのコンプレックスが歴史を駆動した、というか。

イギリスにおいてサラブレットの生産が始まったのも、大陸の騎馬文化への憧れによるものだ、とする競馬文化についての文章(山野浩一による)も素晴らしかったです。大陸の国々は外部の騎馬民族の脅威から、国家主導で騎馬文化を育てなくてはならなかったのに対して、イギリスではそうした必要がなかった。そうした特別な環境にいたからこそ、貴族たちは、自分たちの純粋な遊びのつもりで、強い馬ではなく速い馬の生産を求めたのでした。特殊なところから生まれたサラブレット競馬が後々世界中に広がっていくプロセスにも、歴史のダイナミズムを感じました。

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細島一司 『COBOL ポケットリファレンス』

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COBOLポケットリファレンス
細島 一司
技術評論社
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まさかCOBOL関連の書籍がポケットリファレンスのシリーズにはいるとは……。なんだかんだ金融関連などはまだまだメインフレームが多いし、こうした書籍に対するニーズも消えていないということでしょう(表紙のメインフレームの写真が輝いてますね)。私が知るなかでは唯一の「逆引き形式」のCOBOL本。著者は『標準COBOLプログラミング』の方。

標準COBOLプログラミング
標準COBOLプログラミング
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細島 一司
カットシステム
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『標準COBOLプログラミング』のほうは普通の教則本的な感じ。COBOLでオンライン業務の画面制御までやる、みたいな超レガシー感をあることがいろいろ書いてある。レガシー感で言えばポケットリファレンスも同様で「これをやるならまずCOBOLでやろうとは思わないな……」ということがチラホラ。テストツールがどうしても必要になったときに参照するかも? と思いますが、こうした本の存在自体、周囲のベテランSEさんに見せただけで爆笑モノなのでネタとして活用するには十分元が取れた気も。そもそもできることはIBMが提供してる言語解説とプログラミングガイドを参照すれば全部書いてあるし、書いてあること自体がそんなに多くない言語なので「こんなことできるんだ〜」みたいな発見はなし。

でも、金融系のユーザー系システム子会社に就職して、何の因果かCOBOLを扱うはめになった若者向けにはとても親切な良い内容だと思う。単純な文法と文例解説だけではなくて、読み/書くときの視線、気をつけなくちゃいけないポイントまで教えてくれているのが親切。また、COBOL資産を移植するとか、COBOLのコンパイラーをアップデートするとか、これからもCOBOLで! な方々向けに気をつけるべき点なども記載されている。ポケット、と良いながらベテラン・メインフレーマーの経験が詰まった良書なのでは。

『メインフレーム実践ハンドブック』、『MVS JCL逆引きリファレンス』と一緒に持っておくと時間的に余裕はあるが、ちょっと困ってることなどがすぐ解決できて良いかも(また後輩にモノを教えるときにも大活躍!!)。COBOLとメインフレームの技術は涸れまくってるので一度覚えたら変わらないことがたくさんあるし、あと20年ぐらいはCOBOLがなくならなそうな気がするので、業界は限られますが「食いつづけられる技術」なのかも。

メインフレーム実践ハンドブック z/OS(MVS),MSP,VOS3のしくみと使い方
神居 俊哉
リックテレコム
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MVS JCL逆引きリファレンス
神居 俊哉
アルテシード
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アントネッロ & ラ・ヴォーチェ・オルフィカ第26回公演《聖母マリアの夕べの祈り》 @東京カテドラル聖マリア大聖堂

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東京カテドラル
東京カテドラル
東京カテドラル
Untitled
東京カテドラル
東京カテドラル
まずは丹下健三設計による超未来感のある建物の写真をご覧ください。まるで全貌は写っておりませんが、これが東京カテドラル聖マリア大聖堂という教会建築、にほとんど見えず、メタリックに輝く外観は『猿の惑星』のミュータントたちが内部に潜んでいるのでは、と不謹慎にも想像させるものです。ここでクラウディオ・モンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り》を聴きました。内部も、コンクリート打ちっぱなしのすごい構造。音はコンサートホールのような指向性はまったくなく、超こもる、けど、残る、という感じで残響は4秒弱ほどあったんじゃないかと。それだけの環境ですと、ほぼ風呂! と言ってよく、音楽を聴く環境としては、向き不向きがでてくると思いますが、とにかくアウラらしきものが発生してしまう。前半のトゥッティ部分では、とくにその残響のすばらしさを体感でき楽しめました。残念なのは個人的なコンディションが悪く結構寝てしまったこと……。

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アンドルー・ワイル 『癒す心、治る力 自発的治癒とはなにか』

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癒す心、治る力―自発的治癒とはなにか (角川文庫ソフィア)
アンドルー ワイル
角川書店
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生まれながらの健康優良児、みたいな生き方をしてきたはずが昨年はなんだかいろいろ病名をもらったり、アトピーの診断を受けたりしていて、実は全然健康じゃないじゃんか、ということが判明、今年になったら風邪をこじらせて咳ぜんそくの診断を受け、その症状が良くなったり悪くなったりを繰り返しているし、扁桃腺が腫れる頻度も高まっている、で健康問題は悪化の一方である。歳をとったら抵抗力が落ちたんだろうか……。それで「抵抗力をあげたりする健康本についてオススメ本はないですか?」とTwitterで訪ねたら、この本をオススメされた。著者はアメリカで代替医療の啓蒙活動をおこなっている偉い先生。いきなりアマゾンの奥地にある原住民たちの村にシャーマンを探しにいく、という『悲しき熱帯』かよ、みたいなエピソードで始まり、これは……と思ったが、とても楽しい本でした。

ニューエイジ系のものに対する私の興味は、完全にキャンプなものであって、未だに当ブログでもっとも売れている本であるシュタイナーのスピリチュアル本も「うわ〜、なんかうさんくさい〜」という感じが楽しい、というただそれだけの話。なので本書で紹介されている代替医療も多くは、それと同様の目線で読めてしまう。著者による現代科学に基づく医療と代替医療の位置づけは、前者が「外側から悪いものに対して働きかけて治すこと(=治療)」であり、後者は「人体の内側にある本来の治癒力を活性化させ、それをもって悪いものを癒すこと(=治癒)」と整理されている。後者のほうには、悪名高いホメオパシーも含まれているのだが、どれも言うなれば、我々が通常馴染んでいるエピステーメーとは違った医療であって、その思考枠組はとても興味深い。本書の冒頭ではオステオパシーというアメリカ式整体みたいなものの紹介がなされているのだが、科学と東洋医学の融合っぽいのがサイバーパンク感さえ煽る。
「右肩に多少の拘束があり、それが首の痛みを起こすんだろう。きみの頭蓋インパルスはとてもいい」(P.47)
以上の引用は著者がその治療を実際に受けたときのエピソードから。頭蓋インパルス……というまったく馴染みのない術語には、ジョージ・ラッセルによる音楽理論、リディアン・クロマティック・コンセプト(LCC)における「調性引力」のような妖しい魅力がある。オステオパシー自体は19世紀末にアメリカで創始されているようだが、頭蓋インパルスという言葉は頭蓋オステオパシーというサブジャンル的なものの術語である。LCCも頭蓋オステオパシーも「20世紀のアメリカで生まれた、これまでの理論体系では説明できなかったことが、説明できるようになる新しい理論体系(!)」という点で共通しており、その「説明できるようになった! これで世界が変わってしまうのだ!」というユリイカ感を感じてしまうのだった。

意地の悪い読み方で感想を書いているのだが、本書は「現代の医療は完全に間違っている! 代替医療が正しい!」というプロパガンダではなく、もう少し素直な読み方をすれば「病気が治るには、心の影響って大きいですよね、治ると信じてると治っちゃうことってあるんですよ。なので、治るって信じることって大事です(医者から『あんた、もう死ぬよ』と言われても諦めないで!)」とか「現代医療と代替医療の使い分けを間違ったらダメです」とかそれなりに真っ当そうなことが語られている。「心の影響」を重視すること自体、それが数値化して分析・検証がしにくいものであることを踏まえれば、現代の科学のメソッドに対する批判、とも言えよう。

ほかにも、ある食品に含まれる人体に有効な成分を抽出したものを摂取するよりも、その食品をそのまま食べた方が効果が高いことがある、という話から「部分の集合が全体ではない」と導きだすところも、反近代科学的(と強い言葉で表現して良いものかはちょっと不安だが)だと感じる。たまたま、今『Wonders and the Order of Nature, 1150--1750(驚異と自然の秩序)』(以前にちょっとだけ紹介しています)という本を読み進めているところなのだが、本書の反近代科学性はこの本の内容にも関係して読めた。

『驚異と自然の秩序』は、12世紀から18世紀のあいだで西欧で「驚異」という現象がどのように扱われてきたかをまとめた科学思想史の名著である。大きなストーリーを暴力的にまとめてしまうと「個物(paticularなものへ)から全体(universalなもの)へ」という思考の枠組の変化が提示されている。畸形児の誕生などの驚異は、中世では「これはすげぇや! 神のお告げに違いない!」などといって個物として語られるのみだったのが、中世後期からそうした個物を収集して帰納的に全体を導きだそうとする流れができる(その始まりとして、14世紀半ばのイタリアにおける『温泉学』が分析の俎上にあげられるのが面白い)。それが現代の科学にもつながる、というわけ。

『癒す心、治る力』で紹介されている治癒例の数々は、いわばその逆であって、全体から外れた「驚異」として読める。それを読んで、全体から外れるものが存在する、だから、全体は間違っている、という話にはならない、けれども「わかっていないことってものすごくたくさんある」と(書いてしまうと阿呆のようだけれど)気づくきっかけができる。そのわからないことに対して現場の医師はどのように考えているのだろう? 癌の治療にしたって「抗がん剤治療は、効く人と効かない人がいる(それは治療を試してみないとわからない)」みたいなことってあるのだろうし。

健康になる方法とかは、特別よくわかりませんでした。あ、でもこの本を読んでコーヒーじゃなく抹茶を飲み始めたりしてます。

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読売日本交響楽団第516回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

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指揮=ゲルト・アルブレヒト
ブラームス:交響曲 第3番 へ長調 作品90
ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 作品68

ゲルト・アルブレヒトの指揮を聴くのは2度目。前回はオール・シュポア、というすごいプログラム、かつ、ドイツの放送オケ風の芳醇で調和のとれた演奏で「曲はまったく聴いたことなかったですが、なんかすごかったです……」と強い印象があったのですが、今回のブラームスも素晴らしいかったです。すごい、滋味が。テンポ選択は少し速めかな、という感じなのですが、それで奇を衒うわけでもなく、じっくりと聴かせてくれる。すべてが良い塩梅で、しつこくもなく、ドライでもなく。

ブラームスの交響曲第1番も、第3番もド名曲ですからクラシック音楽のファンなら色んな種類の録音を棚にしまっているかと思います。スコアなんかも揃えちゃったりしてね。自分では「この曲については大体分かっているよ」というつもりでいる。でも、今夜のアルブレヒトの指揮は「この曲ってこんなに丁寧に演奏できるのか!」という驚きがありました。それはオスモ・ヴァンスカのブラームスがもたらす「変わってるけど、オラこういうブラームスなら素直にシベリウス聴くだよ」という驚きとはまるで別種のものです。

アルブレヒトの演奏には良い塩梅な流れのなかにおそろしく細やかな指示が聴き取れるようなのですね。流れる、けれども、そのなかにたくさんの量の情報がある。そしてその全てが有機的な意味をもっている。『スラムダンク』に譬えるなら「桜木君、いま流川君が何回フェイクを入れたかわかるかね? ?」のシーンのすごさ、と言いましょうか。

また、ここまでの音楽が一朝一夕にできるはずがなく、アルブレヒトの70年以上の人生と音楽キャリアの長さをコンサートのなかで見せつけられた気がしました。ただ単に歳をとったわけではない。読響の年寄り指揮者といえば、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキもいますが、彼がなんか偉大過ぎて現人神化しているのに対して、アルブレヒトはまだ人間で、ずっとこちらに柔らかい笑みを浮かべているような印象があります。ちょっと仕事が立て込んでいたこともあって、そういうときにはアルブレヒトみたいな音楽がグッとくる。なぜか難聴気味だった耳も終わるころにはクリアに……!(雑誌『壮快』的な感想)

今日の演奏会で退団される方への花束贈呈ではいつものように感激。こういう演奏が最後の舞台にできるのは、幸せなことでしょうな〜、と思いました。

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マイケル・ギルモア 『心臓を貫かれて』

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心臓を貫かれて〈上〉 (文春文庫)
マイケル ギルモア
文藝春秋
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心臓を貫かれて〈下〉 (文春文庫)
マイケル ギルモア
文藝春秋
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1976年、ゲイリー・ギルモアという男が2人の男性を殺害した廉で死刑を宣告される。当時のアメリカでは死刑制度廃止の声が高まっており、彼の処刑もモラトリアムに置かれるところだった。しかし、彼は「死刑にされる権利」を要求し、センセーショナルな社会的事件として世界中から注目されることになった。1977年、ゲイリー・ギルモアは「世界一有名な死刑囚」として本人の希望通り、銃殺された。「ゲイリー・ギルモア事件」について簡潔にまとめるなら以上のようになるだろう。

本書は『心臓を貫かれて』はその当事者であったゲイリー・ギルモアの実弟によって書かれたノン・フィクションである。ゲイリー・ギルモアはどのような家庭で育ったのか、どうして彼は2人の男を殺さなくてはならなかったのか。事件の謎解きのごときノン・フィクションは目新しくない。ギルモアが育った家庭が孕んだ大きな問題の数々は、犯罪者を生む背景としてオーソドックスなものとさえ言えるだろう。にも関わらず、本書は衝撃的なものとして読み手の前に現れる。

とても興味深く読めたのは、ゲイリー・ギルモアを生んだ父と母の系譜が辿られ、また、一族を育てた土地の歴史まで深く探求されているところだ。ゲイリー・ギルモアの母、ベッシー・ギルモアは、ユタ州のモルモン教徒の家庭に生まれ育った。本書で彼女の生い立ちが語られるときに挿入されるモルモン教徒の教義と歴史の血なまぐささ、暴力性はそれ自体で驚くに値する。そして、筆者が繰り返し語る悲劇的な暴力の物語は、土地に染み付いた暴力が亡霊として現れ、引き起こされたもののようにも読めてしまう。まるで、その亡霊がギルモアの一族の血に誘われてくるように。ある傷ついた家族のパーソナルな物語は、そうして土地の血まみれた物語へと読み替えることが可能となる。個人的な精神史と大きな歴史の交換が本書を単なる「犯罪者モノのノン・フィクション」で終わらせていないのだ。

原書は1994年に発表され、村上春樹による翻訳は1994年から1996年におこなわれた。この期間には『ねじまき鳥クロニクル』の第3部の執筆がおこなわれ、そして神戸で大きな地震が起こり、1996年の初め頃には『アンダーグラウンド』のための取材がはじまっている。『心臓を貫かれて』を読んでいて思い浮かべていたのは『アンダーグラウンド』という本は、もしかしたら『心臓を貫かれて』という本がなければ書かれ方が大きく変わっていたのでは、という風にも思われた。2011年に出版された『村上春樹 雑文集』という本には『アンダーグラウンド』に寄せた「東京の地下のブラック・マジック」という文章が収録されている。『心臓を貫かれて』を読んだあとに、この文章を読み返してみると『アンダーグラウンド』もまた個人的な精神史と大きな歴史の交換がおこなわれた本だったと考えることができた。

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Carlos Aguirre Grupo / Crema

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Carlos Aguirre Grupo(Crema)
Carlos Aguirre Grupo(Crema)
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カルロス・アギーレ・グルーポ
Apres-midi Records (2010-07-22)
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今年発表された新譜がさまざまなオサレ雑誌に掲載され注目をさらに高めつつあるカルロス・アギーレ、先月の来日公演にはうかがえませんでしたが、旧譜を買って気持ちを高めました。『Crema』は2000年にカルロス・アギーレ・グルーポ名義でのファースト・アルバム。手書き水彩の一枚一枚違うジャケットと、CDケースに謎の植物片が封入された手の混んだアート・ワークは、商業的なもの、大量生産されるモノから離れるようですが、この音楽はまさにそうした経済的な環境から離れて聴くべきものなのでしょう。アギーレが住むアルゼンチンといえば、タンゴをすぐに思い浮かべてしまいます、けれども、タンゴばかりがアルゼンチンの音楽ではない。アフリカ系、ラテン系、そして原住民たちの文化が混交して生まれた音楽文化の形式のなかにフォルクローレがあり、カルロス・アギーレらの音楽はその系譜においてもっとも現代的な世代と言えるでしょう。そこにラテンアメリカの音楽がつねに外部から影響を受けて変容をしつづけているその模様が垣間見えるのと同時に、グローバルなもの、ローカルなもの、相反する要素の境目がとても曖昧に解け合って響くのがいつも興味深く思われます。畸形的な感じがしない。ブラジルではトリピカリズモという畸形が生まれ、またピアソラの音楽は畸形的と言うことができるかもしれません。ただ、我が国の「生まれてくる音楽がみんな畸形的」という状況と照らし合わせてみれば、どうしてカルロス・アギーレはこんな自然な音楽を奏でられるのか、が不思議に思われるのです。


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芦屋広太 『エンジニアのための文章術再入門講座 相手を動かすドキュメント作成の実践テクニック』

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エンジニアのための文章術再入門講座
芦屋 広太
翔泳社
売り上げランキング: 166583

読み始めるまで気づかなかったが、ITproで長いこと仕事術系の連載をしている芦屋広太の本だった。エンジニアってプログラムを書くだけが仕事じゃなくて、手順書作ったり、依頼文書作ったりしなきゃなので、文書の作成技術も必要ですよ〜、伝わらない文書をいくら作ってもゴミでしかないので気をつけようね〜、でも、そもそもどうやったら伝わるんだろ?(それを教えます)的な本。

とくに自分の仕事での文章に問題を感じたから読み始めたわけじゃないのだが(読みながら、なんだ、俺そこそこ良い線で文章書けてるじゃん、と思ったよ)、それでも「自分のこういうところは削れるかも」とヒントが得られた。本書に掲載されている悪文例を読んでいると「あ、アイツに読ませてやりたいね……」といろいろ顔が浮かぶので、優しい上司の方が読んで部下に「おい、お前これ読んでみろ」と指示するのが良いのかも。大体、悪文を書く人は自分の悪文に無自覚である場合が多い。

誰が読むべき本か
  • 「お前の文書、わかりにくいよ」と言われがちな人
  • わかりにくい文書しか書けない部下をもつ上司
本書の良いポイント
  • わかりにくい文書がわかりやすい文書に訂正されるプロセスを具体的な事例に即して解説しているので、「どうすればよくなるか」が分かりやすい
  • わかりにくい文書の例によって、悪文書きの人が自分のダメな点に自覚的になれる
本書のメソッドに即して、この本を紹介するなら上記のようになる。メソッドの内容についてはここでは触れないけれど、ズラズラと情報を書き並べていくと読む気が削がれるので「ここさえ読んでもらえれば良いんだよ!」というポイントだけ、超簡潔に、分かりやすいレイアウトで提示してあげると良いのだね。

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プログラマが知るべき97のこと

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プログラマが知るべき97のこと

オライリージャパン
売り上げランキング: 33737

ソフトウェアアーキテクトが知るべき97のこと』はかなり良い本だと思ったけれど『プログラマが知るべき97のこと』はもっと良かった。いま自分が加わっているような開発の世界により近かったからかな。『ソフトウェアアーキテクト……』と同様に驚くような解決策が得られたり、素晴らしい技術が得られたりするわけではない。けれども、いま自分がしている仕事を少し良くするためのアイデアや気づきを、かなり具体的なレベルで教えてくれる。読者がどんな環境にいても良い。ここに書かれたことは、枯れた技術を運用してるメインフレーマーにだって、アジャイルでブァリブァリと開発してる人にだって通ずるハズ、と読んでいて思った。

例外があるとするならば、「ひとりで趣味でプログラムを書いています」という人向けではないこと。チームで、あるいはOSSのコミュニティで、誰かと一緒に、何らかのプロダクトを開発する人に向けたモノだろう。他人との働き方であったり、ユーザーとのやり取りの仕方であったり、読みやすいソースを書くことであったり、本書に掲載されたこれらのテーマはどれも「誰かと一緒に開発すること」が念頭に置かれる。プログラマーって人とコミュニケーションを取らなくても働けなくもない仕事だし、世間一般のイメージだと引きこもりっぽい仕事だけれども、実はそうじゃない。むしろ人と関係しあって仕事しないとできない。ひとりでやる仕事じゃないのだね。

4、5年開発の現場で働いてみて「今の環境ってこれで良いんだろうか?」とか「俺はこんな働き方で良いんだろうか?」というプログラマーの人にオススメ。開発者ってとてもカッコ良くて楽しい仕事だな(ただし、カッコ良くて、楽しい開発ができれば!)、と改めて思ったし、そのカッコ良さって「自分の働き方だとか作ったもので、自分のいる環境がドラスティックに変わる可能性がある」ということに由来するんだけれども、これも本書で言われていることのひとつ。プログラマーにとってこんなに優れた自己啓発本ないんじゃないのかな。後輩にも読ませてみよう。

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松平敬 / うたかた

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うたかた (Takashi Matsudaira - UTAKATA)
松平敬
ENZO Recordings (2012-05-20)
売り上げランキング: 6745

日本の現代音楽を中心に、多岐にわたる活動によって注目を集めている歌手、松平敬のセカンド・アルバム。収録されている作品のうち、トマス・タリスの《40声のモテット》についてはデータ配信で発表された際に紹介しましたが、CDで聴けるようになったことが個人的には嬉しいです(PCとコンポを接続していないゆえ、これまではヘッドフォンでしか再生できなかった)。40声部の壮大なポリフォニーをすべてひとり多重録音で制作したこの驚異的な作品に改めて触れますと、ひとりサウンド・オブ・ウォール、とでも言いましょうか、空間を埋め尽くすようなサウンドスケープは、まるでマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『Loveless』のごとしです。

前作『MONO=POLO』は、13世紀から21世紀におけるカノン形式の作品しばりというコンセプトがありましたが、今作は典礼儀式のたたずまいを備えながら、40声のモテット、グレゴリオ聖歌、現代日本の作曲家の無伴奏独唱曲が三位一体の関係を形成するというコンセプトがあるそうです。40声のモテットの手の込み具合は前述のとおりですが、残りのふたつの要素についても「普通のモノ」とは一風変わったアプローチがされている、と言えましょう。グレゴリオ聖歌に、打楽器を加え世俗的な音楽のように響かせたり、プサルテリーを加えたり、その旋律が元あった文脈から別なところへ移され、新しい生命を宿すような試みがなされている。


また、現代日本の作曲家の作品では、有馬純寿によるエレクトロニクス(歌手の声を電子的に変調した音声などが挿入される)との共演があり、単純な無伴奏独唱曲とは言えません。このなかでは、木下正道の《石をつむII》が無伴奏独唱曲という形式に近いでしょうか。宮沢賢治のふたつの短歌をもとに書かれたこの作品は、松平敬の声の良さをもっとも生々しく体験できるトラックになっていると思いました。曲の大部分が「い・し・を・つ・む」という言葉を分解したり、発音を変えたりして様々に響かせることに使われている。繰り返しのようでいて、前に発音された言葉(音)が、次に発音された言葉(音)と絡み合い、時間の多層性のようなものを感じさせてくれる。上手く表現できませんが、不思議に心に残る作品でした。

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五十嵐大介 『魔女』『SARU』

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魔女 1 (IKKI COMICS)
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五十嵐 大介
小学館

魔女 2 (IKKI COMICS)
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五十嵐 大介
小学館
SARU 上 (IKKI COMIX)
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五十嵐 大介
小学館
SARU 下 (IKKI COMIX)
SARU 下 (IKKI COMIX)
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五十嵐 大介
小学館 (2010-10-29)
五十嵐大介、面白い! まるで諸星大二郎とアビ・ヴァールブルグを繋ぐ漫画家とでも言いましょうか、『魔女』では世界中の魔女の伝承を題材にし、『SARU』ではヘルメス・トリスメギストスや孫悟空などが同じ源をもつスピリチュアルな存在である、というスゴいフカシが展開され、壮大でファンタジックなミステリに魅了されます。物語はとてもスタイリッシュで、語られるものの背後に語られたこと以上の教養・知識が伺える。そこが、諸星大二郎との読後感の大きな違いでした。ディティールが非常に細かい、けれどもそれが衒学趣味へと入り込まない。優れたバランス感覚。作家は漫画版『風の谷のナウシカ』の影響下にある、ということですが、それが納得できますし、黒田硫黄と親交がある、というのもなんだかうなづける。

『暗黒神話』、『風の谷のナウシカ』、『SARU』と並べて考えてみる。こうした並置が妥当なものかは分かりません、が、いずれも神話を取り扱ったマンガと呼べるようにも思います。ただ『SARU』だけがグノーシス的な二元論の性格を強く持っているのでやはり適当ではないのかも知れない。『暗黒神話』、『風の谷のナウシカ』は世界の理(ことわり)を主人公が探求していくことと同時進行で物語が進みます。『SARU』もまた、そうです。しかし、『SARU』は単純に世界の理に挑戦する人間の物語ではない。なにしろ、人間もまた世界の一部なのです。人 VS 世界の物語の形式は『火の鳥』にも共通していますが、人間の理への服従が描かれているのも『火の鳥』でした。

『SARU』が少し特殊に思われたのは、世界の理同士の戦いが展開される点でした。例えば、人間に見える世界の理屈、観測されうる世界の理屈、一言で言えば科学的な理屈と、眼に見えない理屈、感じることしか出来ない理屈、魔術的な理屈との戦いがある。また、見えない理同士での対立(それが二元論的な世界観を形成するのですが)がある。そうした戦いの上で動く駒のようなものとして登場人物を読むことができる。人間がとても醒めている、全員狂言回しのような役割に読めてしまうのもそのせいかもしれません。でも、面白い……! ので引き続き読んでいこうと思います。

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