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グスタフ・ルネ・ホッケ 『迷宮としての世界 マニエリスム美術』


迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫)
グスタフ・ルネ・ホッケ
岩波書店
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迷宮としての世界(下)――マニエリスム美術 (岩波文庫)
グスタフ・ルネ・ホッケ
岩波書店
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「マニエリスム絵画には、迷宮としての世界が広がっている!」的な本かと思って読み進めたら、見事に裏切られました。本書は「美術史の名著」などと紹介されているのだと思いますが、通常我々が「歴史」という言葉から連想する線的にストーリーをたどるものではございません。これはルネサンスと現代絵画(とくにシュールレアリスム)、そして文学・哲学、ときおり音楽を交えながら、グスタフ・ルネ・ホッケによる博覧強記が炸裂する奇怪な批評の連続であり、読み手にも様々な教養が必要とされるため、何も知らない門外漢が読んでも「なんですか、コレは……」と目が点になるばかりでございましょう。それではまさにホッケが読み解いた世界の迷宮を彷徨うだけで無為な時間を過ごすだけですし、あまつさえAmazonに「意味不明!」などとクソみたいなレビューを書き、人に迷惑をかけることになるためお気をつけください。

絵画については、250以上の図版がついてくるのでまだ良し(ただし白黒。しかし、我々にはインターネットという強い味方がある!)。それ以外については、少なくともマルシリオ・フィチーノ、ピコ・デラ・ミランドーラ、ジェロラモ・カルダーノ、ジョルダーノ・ブルーノ、アタナシウス・キルヒャー、バルタザール・グラシアンなどの15世紀から17世紀の思想史を語るうえで欠かせない人物のことを知っていなければ分からない。さらにホッケがエグいのは同時代の絵画と思想を結びつけるだけではなく、過去と現代を結びつけてる四次元殺法でしょう。これについていける人物だけが、迷宮に迎え入れられたものなのです。ときにはホントに突拍子もない「言ってみるテスト」でしかない文章もある。たとえば、ダリを現代のマニエリストと評する部分では
挑発的な怪奇【ビザルリー】(言語学的な原義は「髯の生えた」の意味。そしてなんとダリも異様な髯の持ち主である) 上巻P.161
などと分かりにくダジャレみたいなことを仕込んでくる。他にも、暴れる一角獣が処女の前では大人しくなる、それは……一角獣イズ男根の象徴であり……ゴニョゴニョ……だとかフロイト読みたてホヤホヤの高2みたいなことをおっしゃっており「ダテにあの世は見てねえゼ!」と白目を剥きながら幽遊白書のマネをしてしまい……僕は……と危うく迷宮にハマりそうになります。

たまたま人とこの本の話をしていて「すごいですね、あの本。ロジカルな積み上げがなくてもアカデミックじゃないところだと許されるんだなあ、ってなんか感心しましたよ」と言ったら「あれは、なんか言葉遊びみたいなものだから。高山宏とかああいうのが愉しめる人なら」と教えられ(高山宏は読んだことないんだけど)納得してしまいました。ヴァルター・ベンヤミンの用語系であれば、布置連関というヤツで、そういうところからなんかアイデアを取ってこれる人なら愉しく読めるでしょう。でも、そうじゃなかったら「で?」っていう話。その辺は山形浩生による高山宏の批判(ちなみに高山宏は『迷宮としての世界』文庫版の解説を担当)にも通ずる。訳文は超カッコ良いです。66年に刊行だって。日本の物好きのパワーってすげえ。



以下は「迷宮としての世界」に関連書籍を紹介しておきます。

ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統
フランセス・イエイツ
工作舎
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フィチーノに代表されるルネサンス新プラトン主義の思想がどのようなものだったのかは、この本の前半部分を丁寧に読むと大体わかります。このブログでも原著の読書メモを残しています。あとプラトンとかアリストテレスとか一通り読む(これはボルヘスを読むのにも役に立つ教養です)。

カルダーノのコスモス―ルネサンスの占星術師
アンソニー・グラフトン
勁草書房
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ジェロラモ・カルダーノについてはこちら(感想)。アンソニー・グラフトンはそろそろ『アルベルティ: イタリア・ルネサンスの構築者』も出る。


ボマルツォ公の回想 (ラテンアメリカの文学 (6))
ムヒカ=ライネス
集英社
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こちらはアルゼンチンの作家、ムヒカ=ライネスの小説(感想)。『迷宮としての世界』で大きく取り上げられているローマ郊外の驚異の怪物公園を作った傴僂の公爵、ピエル・フランチェスコ・オルシーニを主人公にしています。

Wonders and the Order of Nature, 1150--1750
Lorraine J. Daston Katharine Park
Zone Books
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これは読みかけだけれど、ダストン&パークによる『驚異と自然の秩序』で取り上げられる驚異のモチーフは『迷宮としての世界』と重なる部分が大きい(ダストン&パークの本では参考文献にはあがってないけど、やたらとネタがかぶる)。


Safe As Milk
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Captain Beefheart & His Magic Band
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あと、上巻の表紙になっているパルミジャニーノの絵を見たら、キャプテン・ビーフハートの一枚目のジャケットを思い出しました。ビーフハートこそ、ロック界のマニエリストだったのだ!!(これぞ、迷宮としての世界!)

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