2012年に聴いた新譜を振り返る

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  1. Beth Carvalho / Nosso Samba Tá na Rua
  2. Bang On A Can / Big Beautiful Dark and Scary
  3. Maria Gadu / Mais Uma Pagina
  4. mmm(ミーマイモー) / ほーひ
  5. Kip Hanrahan / AT HOME IN ANGER, which could also be called IMPERFECT, happily
  6. Carlos Aguirre / Orillania
  7. Lee Ranaldo / Between the Times & the Tides
  8. DCPRG / Second Report From Iron Mountain USA
  9. Caetano Veloso & David Byrne / Live at Carnegie Hall
  10. 松平敬 / うたかた
  11. Moritz Von Oswald Trio / Fetch
  12. insect taboo / SONGISM
  13. Dirty Projecors / Swing Lo Magellan
  14. Billy Bragg & Wilco / Mermaid Avenue: The Complete Sessions
  15. Zazen Boys / すとーりーず
  16. くるり / 坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)
  17. 山下達郎 / Opus All Time Best 1975 - 2012
  18. Tokyo Zawinul Bach / Afrodita
  19. キリンジ / Super View
  20. Pierre-Laurent Aimard / Debussy: Préludes Book 1 & 2
  21. Antonio Loureiro / Só
  22. Rafael Martini / Motivo
  23. Sonic Youth / Smart Bar Chicago 1985
  24. BUCK-TICK / 夢見る宇宙
  25. Ricardo Villalobos / Dependent and Happy
  26. Orquestra Imperial / Fazendo As Pazes Com O Swing
今年は26枚。やっぱりブラジル音楽ばかり買っていました。ブラジルのみならず、南米大陸から素晴らしいアルバムが届きまくっていた……カルロス・アギーレ、アントニオ・ロウレイロ、ハファエル・マルチニ……。以下、印象に残っているものを再掲。

Orillania
Orillania
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Carlos Aguirre
Rip Curl Recordings (2012-02-19)
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もっとこの手の音楽が流行れば良いんですが。来日公演にいけなかったのが残念。

SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN USA
DCPRG JAZZ DOMMUNISTERS SIMI LAB アミリ・バラカ 兎眠りおん
ユニバーサルミュージック (2012-03-28)
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初めはちょっと「このラップはなんか恥ずかしいぞ」と思ったけれども、なんだかんだ良く聴いた。

すとーりーず
すとーりーず
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ZAZEN BOYS
MATSURI STUDIO (2012-09-05)
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天狗、天狗、天狗……もうブチ切れまくっていた。

OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜(初回限定盤)
山下達郎
ワーナーミュージック・ジャパン (2012-09-26)
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結局3枚中、初期を集めた1枚目ばっかり聴いていた。

ソー
ソー
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アントニオ・ロウレイロ
BounDEE by SSNW (2012-11-28)
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年明けぐらいにはロウレイロが参加しているバンド、RamoのCDも日本に入ってきそうなので楽しみである。

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Ibrahim Tatlises / Insanlar

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アラベスクの帝王
アラベスクの帝王
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イブラヒム・タトルセス
インディペンデントレーベル (1993-06-21)
売り上げランキング: 118,494

「アラベスク」はトルコのポップスのジャンル。そこで帝王と呼ばれる歌手、イブラヒム・タトルセスのアルバムを聴きました。邦題は「アラベスクの帝王」と直球ですが、原題は「Insanlar(人ってやつは)」(1989年)。時代的にやっすい感じのシンセサイザーが入っていたり、ウッとくる部分もあるんですが、とても面白い。ダルブッカによる軽快なビートのうえで、さまざまな伝統楽器やヴァイオリン、ギターやベースの演奏とともにタトルセスがエモーショナルに激唱するんですが、その歌詞が(もちろん、まったく意味がわからないけれども歌詞カードがついてきた)恋であったり、恋であったり、恋であったり……恋ばっかりじゃないか……。この点は陳腐だとか言われてトルコのインテリ層には受けなかったそうですが、いやいや、この歌声は聴かないと勿体ないでしょう。


実際聴いてもらった方が早いということで『Ben Ne Biçim Serseriyim 僕はなんてひどい浮浪者なんだ』のライヴ映像を。なんというタイトルなんだ……。濃厚すぎるし、客席の幸福そうな盛り上がり方が最高。モノフォニーで迫ってくるヴァイオリンが奏でる微分音を含んだ旋律は、猛烈にエキゾチックな感じがしますし、ワールド・ミュージックを聴く悦びに溢れておりますよ、これは。

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岡本源太 「イメージの哲学: ジョルダーノ・ブルーノとヴァールブルク」

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先日、東京大学駒場キャンパスでの展示「ムネモシュネ・アトラス: アビ・ヴァールブルクによるイメージの宇宙」について書きましたが、22日には関連イベントとして「ヴァールブルク美学・文化科学の可能性」と題されたシンポジウムが開催され、3名の発表者がムネモシュネ・アトラスに絡めての発表をおこなっています。このうち、岡本源太さんによる「イメージの哲学: ジョルダーノ・ブルーノとヴァールブルク」を聞くことができました。岡本さんのブログ「The Passing - 書物について」は以前からチェックさせていただいていましたが、個々の発表後の総合討議ではブルーノなどのルネサンス思想のみならず、アガンベンやディディ=ユベルマンといった現代の思想家までをカヴァーしながらキレキレのコメントをしていたのが印象的でした。以下(発表内容を細かくメモしていたわけではないのでうろ覚えなのですが)、記憶に残っている部分をメモしておきます。

岡本さんの発表は晩年のヴァールブルクによるブルーノ研究がどのようなものだったのか概観をまとめたものでした。ヴァールブルクがブルーノをどのように捉えたのか。当初彼はブルーノを合理的/近代的な概念によって思考をおこなおうとしたパイオニアと見なしていたようです。この読みには、ヴァールブルクのイメージ論が反映されていました。彼は、人間の思考がイメージによって縛られ、呪術的な力を持ってしまう現象を近代以前の図像から見ています。この図像から人々が受け取るであろう情念定型によるパワーから、解放された思想家がヴァールブルクにとってのブルーノだったんだとか。しかし、これはとても違和感が残る読みでしょう。とくにフランセス・イエイツ(彼女もまたヴァールブルクと非常に縁が深い人物です)によるブルーノ論を読んだ人にとっては。なぜならイエイツは『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統』『記憶術』で、呪術的なイメージを利用する人物としてブルーノを描いているように思われるからです。まるで、ヴァールブルクとは真逆ではありませんか。

ただ、ヴァールブルク自身が、ブルーノ研究を進めていくにつれて当初の認識を改めざるを得なかったと言います。ブルーノを近代の概念思考のパイオニアとして位置づけるのには、ちょっと無理があった、と。しかし、その後のヴァールブルクにとってもブルーノは、ただ単に呪術的なイメージに縛られる者ではなかったようです。そこで改訂されたヴァールブルクのブルーノ解釈は、イメージを利用することで思考を自由にしていく者として描かれる。このブルーノ解釈は、イエイツが描いたブルーノの姿と一致していくように思われました。岡本さんの整理によって、ヴァールブルクとイエイツとのあいだに受け継がれているテーマが明確になったのが、今回の個人的な収穫のひとつです。なお、岡本さんの発表時にオシテオサレテのクニ坂本さんが猛烈な勢いでメモを取っていたので、彼もなんか熱いエントリを書くんじゃないか! と期待しています。

ジョルダーノ・ブルーノの哲学―生の多様性へ (シリーズ・古典転生)
岡本 源太
月曜社
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こちらは今回の発表の内容が含まれてる2011年に書かれた論考。

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篠原資明 『空海と日本思想』

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空海と日本思想 (岩波新書)
篠原 資明
岩波書店
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西洋哲学の源流にプラトンがあるのと同様、日本の思想の源流には空海がある! と言ってみるテスト的な新書。ちょっと前から空海に興味があって読んでみたんだけれども、これは失敗。せめて著者がどんな人か調べて買うべきだった……なんと言うんでしょうか、偉い先生が還暦を過ぎると、こういう本を書いても怒られなくなる風土でもあるんすかね……。著者については、よく存じ上げませんけれども、ベルクソンとかエーコとかドゥルーズとかについて著作があるようですが、そういう人が「ちょっと今度、空海について書いてみた」感満載の本でした。これが大先生ってヤツか!

著者の空海解釈は、風雅・成仏・政治という3つのステージで分かれている。これをザックリ説明すると、自然の美しさやあり方(風雅)を身体に取り込むことによって、この世のなかがすべて仏でできていることを理解し(成仏)、世の中が全部仏なのだとしたら上手いこと世界を良くしてかなくちゃいけないよね(政治)、っていう感じみたい。「即身成仏ってそういうことなの〜、汎神論みたいな感じなんだ〜(即身仏とは関係ないのか〜)」とか、万物はすべて言葉によって認識されるし、その言葉はすべて仏なので、万物は即ち説法なのである、とかいう説明は面白い部分もあるのだけれども、ほんのわずか。即身成仏の認識から政治へ、っていうのが、プラトンでいうところの哲人国家の理想と重ねられるようなのだが……うん、で? で終わってしまう。

こうした空海の思想は日本思想に受け継がれ、変奏されていくのだ! というパートもなかなかのヒドさで、九鬼周造とか西脇順三郎とか草間彌生(!)とか名前を出して、何かを言っているつもりなのかもしれないが説得力を感じません。こんなところが通じている、こんなところが似ている、と指摘の羅列だけで変奏の説明はないんすね……、こういう話、私も深夜のファミレスでゲラゲラ笑いながらしてそうです……本当にありがとうございました……。

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ニクラス・ルーマン 「機能と因果性」

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ニクラス・ルーマンの1962年の論文「機能と因果性」を読みました(翻訳はいつものように三谷武司さんの私訳版)。これはそれ以前の機能主義への批判と等価機能主義という方法論をどのように使っていくかの話がワンセットになっている論文。なぜルーマンが等価機能主義に至ったかについては、それ以前の論文(『行政学における機能概念』、『経済的な行政行為は可能か』、『新しい上司』)を順に読んでいくとなんとなく、あ、この論文でひとつのまとめをおこなっているのだな、ということがつかめるのですが、内容はなかなかに難しい。現実の事象を分析するような話ではなく、現実の事象を分析する方法についてあれこれ言う感じなので、いわゆる一つの抽象度が高い議論、なのでしょうか、これは。ただ三谷さんの2006年の学会報告「ルーマン学説における等価機能主義とシステム理論の関係」の原稿草稿がネットに公開されていて、これを読むとこの論文でルーマンがなにを言おうとしてたがかなりつかめると思います。

論文は6節に分かれてます。1〜2節は、機能主義をひとつの説明ツールとして使用すること(三谷さんの原稿上では説明指向機能主義となっています)への批判がつらつらと。たとえば社会学者が社会でおこるなにかを分析していて「XにはYという機能がある」だとか「人がXをするとYという結果をもたらす」だとか言う。でもそのXがもたらすのは本当にYだけなの? だとか言えるし、じゃあ、なんでYを得るためにXをしなくちゃいけないのか、っていう原因がうまく説明できない。「Xをするのは、Yが必要だから」という同語反復的な感じで説明にならなくなってしまう。「なぜ、Xという機能があるの?」を説明するために、パーソンズはそもそも社会システムにはシステムを維持するための仕組みが備わっているんだよ〜、とか言うんだけれども、じゃあ、そのある機能がなくなったからといって社会が瓦解してしまうわけじゃないよね、ないならないで回ってしまったりするし、ってことでイマイチだ。

「機能主義って原因と結果を説明する道具としてはイマイチなので、別な使い方をしましょうよ」ということで、3節から等価機能主義がでてきます。原因と結果の組み合わせって無限じゃん、なので、どっちかを分析時のパースペクティヴとして固定してしまって、ある原因から生まれる無数の結果、ある結果を生む無数の原因を見ていきましょうよ、とルーマンは言う。すでにこの提案は「行政学における機能概念」でもおこなわれているんだけれど、そうした見方をすることで、ある行為やモノが同じ結果を生む場合、それは機能的な等価性があると分かる。機能的に同じならば、それらは交換可能なのであって、すると社会の別のあり方が見つけられたりするんじゃないの?

そのあとはもう一回、説明指向機能主義のイマイチさに言及したり、等価機能主義を使った分析をどう実証していけば良いのか、とかいう話がなされてます。どう実証するかはちょっと面白いですね。機能的な等価性がある! といっても実際に等価なものを交換して実験してみよう、というのは難しいわけですよ。でも、ある機能がなんらかのトラブルでいきなりなくなっちゃったときに、それを埋めるため別なことで代替する事象はあるわけで、それを見てみたり、あとシステム間の比較なんかも良いよね、とかルーマンは言っています。そこで似てるものじゃなくて、全然別なものが同じ機能をもっていた! とか分かると面白いよね、とか。

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『古事記』

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古事記 (岩波文庫)
古事記 (岩波文庫)
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倉野 憲司
岩波書店
売り上げランキング: 36,873
平田篤胤だの谷川健一だの諸星大二郎だの読んでるくせに『古事記』は初めて読むのだった。あれでしょ、イザナギとイザナミが……えーっと、天照大神が洞窟かなんかにこもってて、ナントカって人が女装して八岐大蛇を……みたいなことだけ書かれているのかと思ったら違うのね。もちろん、世界の創造からはじまる神話ではあるのだけれど、それは上つ巻までで、中つ巻・下つ巻は天皇がアレコレやりましたよ、というお話になってくる。そして、神話よりも中つ巻・下つ巻のほうが面白い……! これが本当に記録だったとしても、なぜそれを記録した……? と首をかしげたくなるエピソードが満載。

中つ巻以降では、天皇が誰とセックスして、どんな子どもを儲けたか、だとか旧約聖書でいうならばツラツラと人名が書かれてるだけの部分はちょっと退屈なんですが、親戚同士で殺しあいばかりしてますし、美女を見つけてはセックスし、なにか気に障ることがあればその相手を焼き討ちにして、その合間に和歌を詠む……などと性と暴力が満載なのに風雅……というハンバーグカレーにパフェをトッピングしたかのような謎の面白さが展開されています。「これはヒドい」のオンパレードですよ。天皇が自分の家に似てる家を見つけたからといって家に火をつけたり、逆に火をつけられてるのに歌詠んでたり……腰が抜けそうになります。

なかでもヒドかったのは「赤猪子」のエピソードでしょう。こちらのブログでも内容のヒドさについて言及されていますが、なんと言いましょうか、天皇の人格的なヒドさと年を取ることの侘しさ・悲しさが詰まった深い話です。ある日、雄略天皇が道ばたで見かけた美少女に「お前、いつか結婚してやるから独身でいろよ」と言って80年間放置プレイし、老婆になった元・美少女が「あのときの約束は……」と聞きにくる(それは忠信の証でもあったわけですが)。それに対して「わたしはすでにかつてのことを忘れてしまった。けれどもお前はわたしの命令を待って、無駄に年を取らせてしまった。これはとても可哀想だなあ」と思った天皇は、可哀想だからセックスしてやろう、と思うんだけれども、ババアだから果たせない!!!!! ヤヴァイ!!!!!!!!!

と、ヒドい話を見つけてはゲラゲラ笑うだけではなく、挿入されている和歌も読んでみると面白かったです。受験生以来、いわゆる古文からはすっかり離れていますが『古事記』を読んでて、受験にでてくる古文のほうが難しいと感じました。『古事記』は普通に読める部分のほうが多い。だから、そんなに心配しなくても大丈夫です(面白いし)。逆に、昔の言葉を覚えないと読めない受験古文は、いびつな教育と言えるのかもしれない。


こんなこと覚えなくても全然読めるんです!!!!! じゃあ、なんのためにこんなの覚えさせたりするかって、勉強ができるかどうかを測るためにあるんですかねえ……。それはとても悲しいことだ……。

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Orquestra Imperial / Fazendo As Pazes Com O Swing

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Fazendo As Pazes Com O Swing
Fazendo As Pazes Com O Swing
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Orquestra Imperial
Universal Brazil (2012-11-09)

カシン(……といってもケンドー・カシンこと石澤常光のことではなく、ブラジルのミュージシャン・プロデューサー、アレンシャンドリ・カシンのことです)率いるサンバ・オーケストラ、Orquestra Imperialの新譜を聴きました。先日よりブラジルから注目の新譜がガンガン届いていて、いろいろと参ってしまう感じではあるのですが、これも良盤。MPBにおいてアート・リンゼイ以降最も先鋭的なプロデューサーとでも言うべきなのでしょうか、カシンは。楽曲はかなり古式ゆかしいサンバなのですが、独特な空間や音色の作り方はこのオーケストラでも健在です。モレーノ・ヴェローゾ、ドメニコ、ペドロ・サーが参加しているとなったら、これは聴くしかないでしょうが……。

ヴォーカリストでは完全にモレーノ・ヴェローゾ目当てで買った感はあるのですが、このバンドには、ニナ・ベッケルタルマ・ジ・フレイタスルビーニョ・ジャコビーナウィルソン・ダス・ネヴィスホドリゴ・アマランチがヴォーカリストで参加しています。このラインナップ、本当にブラジルが「歌の国」であることを実感する豪華さです。このなかだと完全にモレーノ・ヴェローゾが「カエターノ・ヴェローゾに声が似ているヘタウマな感じの人」になってしまう。特にタルマ・ジ・フレイタス、大ヴェテランのウィルソン・ダス・ネヴィスにはやられましたね……。ブラジル良い歌手コンピレーションみたいな感じでも聴けるアルバムなのです。


こちらは3 Na Massa(トレス・ナ・マッサ)というサンバ・ホッピのグループのアルバムに参加した際のタルマ・ジ・フレイタス。おお、なんと狂おしい官能!……!

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ムネモシュネ・アトラス: アビ・ヴァールブルクによるイメージの宇宙

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「ムネモシュネ・アトラス──アビ・ヴァールブルクによるイメージの宇宙」(公式ブログ)

ドイツの美術史家でヴァールブルク学派のゴッド・ファーザーであるアビ・ヴァールブルクは、生前、図版や絵画などのイメージをパネル上に配置し、そこから人類の歴史のなかで引き継がれてきたイメージの歴史を描こうとしました。このパネル群は「ムネモシュネ・アトラス」と呼ばれています。結局、そのパネル群から書かれるはずであった論文は未完のままヴァールブルクは亡くなってしまうのですが、彼がどんな歴史を描こうとしたのかは、後世の研究者たちによって今なお論じられているようです。東京大学駒場キャンパスでおこなわれている「ムネモシュネ・アトラス展」は、写真撮影して残されているムネモシュネ・アトラスの画像データを大判プリンターで印刷して再現する企画でした。今回は再現パネルだけでなく、日本版『ムネモシュネ・アトラス』の監修者である伊藤博明、加藤哲弘、田中純による新作パネルも用意され、ヴァールブルクの意図を拡張しよう、という試みがなされています。

会場に入ると案内役の学生さん(大学院の方でしょうか)がおり、パネル上の絵に関する詳細が書かれたファイルを手渡され、パネルのデータを参照しながら展示を観ることができました(これがちょっと重くてPDFをネットで配布してスマートフォンで参照できるようにしたらスマートなのでは……と思わなくもなかったですが)。そのファイルを確認しながら、じっくりとパネルを一周するのに大体1時間ぐらい。その後気になったものをまた確認していく……と合計2時間ぐらいかかってしまうでしょうか。小説や映画のように、絵画から読み取られるイメージには終わりがなく、何時間観たらそのパネルが「わかる」というものでもない、ですし、パネル上のそれぞれのイメージは他のイメージとの関連によって、無限に意味が創出されていく……! 的なヴァールブルクの意図がそこにはあったわけで、時間の許す限り観れるものではあります。

占星術関連の図版や絵画、彫刻、広告など使用されているイメージはかなり多岐にわたっており、コラージュ・アートのようにも見えるパネルもある。イコノロジーでは、図像からその背景にある文化的なものまでが読み取られることになりますが、ムネモシュネ・アトラスはその発展とも言えるのでしょうか。それぞれの図像がネットワークを結び、パネルを観る者は、そこに浮かび上がったなにがしかの意味を読み取ることになる。パネルを観ながらベンヤミンの『パサージュ論』((1)(2)(3)(4))や、グスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』が思い浮かびましたが、これもひとつの表徴(Signatura)の伝統に位置づけられるのかもしれません。なにかとなにかの外見上の類似(表徴)が、因果的な根拠をもっている、というこの思考法は近代以前の自然学に見られ、例えば「歯の形に似ている植物は、歯の病気に効く!」などと言われていました(これを論じたものには菊地原洋平の『記号の詩学:パラケルススの「徴」の理論』があります。『ミクロコスモス』第1集に収録)。こうした思考法は近代科学の隆盛によって別な説明原理に置き換えられ駆逐されていくわけですが、批評の分野ではムネモシュネ・アトラスのように受け継がれているように思えたのですね。

会場にはヴァールブルク著作集(ありな書房から出ているモノ。高価)や各国版の『ムネモシュネ・アトラス』(パネルの写真の解説などがされている本。Amazonではなぜか日本版とスペイン版しか買えない)がありました。日本版『ムネモシュネ・アトラス』は今年の3月に刊行されており「なんかスゴそう、ちょっと欲しい……」と思っていたのですが、25200円という超マッシヴな価格に腰が引けていたので、ここで手にとれたのは良かった。日本版は辞書みたいな紙が使われてるんですが、他の言語の版では写真集みたいな印刷になっています。パネルを眺めるだけならば、日本版以外のをセレクトしたら良いのかな。今回の展示を観たらなんだか25200円分の得をしたような気分にも……。

ヴァールブルク著作集 別巻 1 ムネモシュネ・アトラス
アビ・ヴァールブルク 伊藤博明 田中 純 加藤 哲弘
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FEN シークレット・ライヴ @吉祥寺GRID605

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GRID605 ラストライブのお知らせ(大友良英のJAMJAM日記)

FENを前に観たのは明大前のキッドアイラックホール、それから2年ほどが経ち、再度観たバンドの変化が目のあたりにできた一晩だったと言えましょう。折しも吉祥寺のイベントスペース、GRID605の店じまいの日にこの演奏が観れたのは、月並みですが終わりと新たな始まりを感じさせるものでした。 まず、前回はラップトップから音を鳴らしていたチーワイがよりプリミティヴな発振を感じさせる機材に変わり、タイプライターなどの楽器ではないモノから音を発していたハンキルが音を機械で拾って別な音へと響かせるようになっていたこと。これがすぐに分かる変化でした。

この日の大友は主にバンジョーを使用していましたが、普通に弾くだけでなく弓を使ってアコースティックな響きを聴かせてくれます(これはもはや名人芸というか、バンジョーのどのポイントを弾いたらあんなキレイな音がでるのかまったく想像できない、錬金術的なテクニックでした)。大きな変化を感じなかった(というとネガティヴな物言いになってしまいそうですが)のは、ヤンジュンの演奏でしたが、彼はこのバンドのベーシスト的な役割なのかもしれません。卓上に置かれたスピーカーが超低音を発するとき、コーン紙が揺れ、音が見えるのもとても面白かった。環境的な制約がなかったらヤンジュンの演奏は音によって身体的に震えてしまうものとなっていたのでは、とも思います。

個人的に惹かれたのはハンキルの演奏で、ヤンジュンをベーシストとして置くならば、彼はずっとソリストだったのかもしれない。とくに2度目のセットにおいて、スネア・ドラムにコンタクト・マイクを装着し、小型のスピーカー(たぶん)をスネアの打面に接触させることで、さまざまな音を響かせる増幅/共鳴は、どういう音がでるのかわからない、常に期待を誘う演奏でした。興味深いのは、こうした演奏法がまるでアンサンブルズの大友良英の音楽と強く繋がって聴こえることです。

このバンドのあいだにどういった影響関係があるかは定かではない、また、まったくの偶然、あるいは、単なる私の聴き違い & 妄想かもしれないけれども、チーワイが出す音の変化も含め(これは表面的にSachiko Mの演奏のようですが、演奏の間合い、というか周囲との関係のなかで音を出す点において、まったく違ったものです)日本の即興シーンが、北京、シンガポール、ソウルのミュージシャンに与える影響について考えさせられます(もちろん、それは一方的な影響関係ではないのでしょうが)。ともあれ、これは、まったく知らないところで、まったく知らない音楽シーンが動いているかもしれない、という予兆でもありました。今後の展開も含めて、このバンドを追っていきたいところです。

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Ricardo Villalobos / Dependent and Happy

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DEPENDENT AND HAPPY ( 直輸入盤・帯ライナー付 )
リカルド・ヴィラロボス RICARDO VILLALOBOS
PERLON (2012-09-26)
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この手のいわゆるテクノ・ミュージックにはてんで疎いのだが、どうやら、ここ最近のぼくだったらドイチュのミニマル・テクノの方面が好きらしいのである。今年はモーリッツ・フォン・オズワルドのアルバムをよく聴いた。ここで野田努の言葉を引用するならば「まずテクノはポップ・カルチャーにおいて、いびつな存在であり続けた」(名著『テクノボン』より)とある。モーリッツ・フォン・オズワルドも、今回聴いたリカルド・ヴィラロボスも、おおよそ、ポップな音楽とは言いがたい。でも、そこが良い。


リカルド・ヴィラロボスといえば、以前にココロ社さんが書いていた記事で名前を知って度肝を抜かれた『Fizheuer Zieheuer』だが(上記の動画)、今回のアルバムも聴いているうちに時間が経っていたッ、ヤバい! という感覚に教われるトリッピンな作品であった。高音をガッツリと切ってもっさりしたキックとタムのうえに、何を言っているのかまったく聴き取れない不気味な声や、エレピなど重ねられていき、ウワモノはとにかくいい加減に貼られてるだけな気もするのだが、聴いていると、こうでしかあり得なかったのでは、と異様に納得させられてしまう、まさに天才の業である。

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BUCK-TICK / 夢見る宇宙

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夢見る宇宙
夢見る宇宙
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BUCK-TICK
徳間ジャパンコミュニケーションズ (2012-09-19)
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メジャーデビュー25周年おめでとうございます、BUCK-TICKさん、ということで新譜を聴くのである。ここ最近「日本のロック・バンドで今一番面白いのはBUCK-TICKですね」と方々で公言してやまない私であるが、えーっと、すみません、ブックオフ以外でCDを買ったのは初めてです、が最高です! BOØWYに多大な影響を受けた、ゴスなビートパンクバンドがこんな歴史を辿るとは誰が想像したでしょうか。一時期のドラムンベースを吸収しているところなどは「これは早すぎる、時代が追いついてないよ……」という印象がバキバキにしていて、かつ、今は猛烈にダサく聴こえてしまう、まるでカルマを背負ったかのようなバンドではあるのですが、長生きした人たちはエラい、という観点から言えば、BOØWYよりもエラい、ということになるんでございます。

前作の『RAZZLE DAZZLE』にはtdさんによる素晴らしいレヴュー、というか、近年のBUCK-TICKのヤバさが伝わってくる文章がございますが、改めて前作からのキラー・チューン「独壇場Beauty」をご紹介いたします。


サウンド、歌詞、ヴィジュアル、すべてがBUCK-TICKとしか言いようがない結晶のような出来と言って良い楽曲でございますよ、これは……。で、本作はこのダンサブルな路線を踏襲して制作されている、んですが、突き抜けてしまったな、これ、最高傑作じゃないですか? という出来。タイトル・トラックがどう聴いてもシューゲイザーだし、「My Iron Lung」みたいな曲が入ってて、それは全然 No Surprises になってないぜ、どうして今頃このネタを!? と困惑してしまう瞬間もあるんですが、音の固まり方がスゴすぎて、何やっても許されちゃう気がする。日本に輸入されたロックンロールの21世紀モデルがこのアルバムには集約されている……と思いましたよ……。最高だ……。

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塚本勝巳 『世界で一番詳しいウナギの話』

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世界で一番詳しいウナギの話 (飛鳥新社ポピュラーサイエンス)
塚本勝巳
飛鳥新社
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先日読んだこのインタヴュー記事がたいへん面白かったので読んでみた。東大でウナギの研究をされている方の本(語りおろしなのかな)。ウナギの生態はアリストテレスの時代からの謎であることは、以前に『動物誌』を読んだときにも書いたけれど、本書ではこの2400年ほど前からの謎が今どこまで分かっているのかを教えてくれる。ウナギの進化についての仮説をストーリーにした部分は、偶然の積み重ねによって、それが自然に選択されていくように見えるロマンティックなものとなっていて面白かった。単なる雑学本の類にとどまらず、ウナギの謎を解き明かすための研究者の苦労がとてもドラマティックに描かれているのも良かったですね。研究が世の中のなにに役立つかはわからない、けれども、とにかく「面白い!」「知りたい!」という探究心に突き動かされる研究者の姿は、自然科学のみならず、人文科学の人にも伝わるハズ。

とはいえ、探究心だけで研究をさせてもらえる余裕がある世の中ではなくなってきているわけで、先に紹介したインタヴュー記事でも語られているけれども、日本の研究者たちは限られた資源を共有しながら自分たちの仕事を進めている。つまり、自分が使う研究資源は他のだれかが使いたかった資源なのだ。ウナギの卵を探して航海にでるのにも、自分たちが船を使っているあいだは当然他の研究者は船に乗れない。それゆえに業績を出さなくてはいけない責任を彼らは負っている。本書にある研究船内での作業の記述は、効率的に時間を使うために考え出されたものであることがわかるけれど、そうして生産性をあげていかなきゃいけない、っていう動機には、こうした責任感があるのかもしれない。業績を出さないと研究資源もとれないし、じゃあ、業績を出すために研究資源をどう使えば良いのかは、一般企業のマネジメントにも通ずる話な気がする。先日ノーベル賞を受賞された山中伸弥さんなんかも、どうやったら研究資金を確保できて研究を進められるのかに苦心されていて、視線はほとんど経営者みたいだし。

楽しいし、ウナギの卵やプレレプトケファルスを採取する箇所などは読んでて感動してしまう本なんだけれども、あえて文句をつけるなら、イラストの使いどころか。たとえば、調査に使っている網が海中でどのように開くのかなど、文章だけ読んでもよくわからない箇所がいくつかあって、イラストをいれるならもうちょっとちゃんと必要なところに割り当てて欲しかった。あきらかに雰囲気だけのイラストが入っているから余計にそのへんが残念に感じる。本当に細かいところではあるんだけれど。

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読売日本交響楽団第521回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

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プログラム
指揮=尾高忠明
マーラー:交響曲 第9番 ニ長調
今シーズンで読響定期会員も3年目なんだけどもこれまで12月の定期って間違えて他のコンサートのチケット買っちゃったり、仕事がアレだったりして行けてなかったのだ。個人的に曰くつきな12月定期だが初尾高忠明、初マーラーの交響曲第9番である。日本よりもイギリスでのほうが人気がある指揮者だそうで、イギリスに留学した友人からはたまたまホームステイ先がクラシック好きだったらしく、尾高忠明と武満徹の話ばかりされた、とか聞いたことがある。とはいえこの晩の楽しみは、昨シーズンで退団された藤原浜雄のコンサート・マスターで客演することだった。

いや、素晴らしかったですね。はっきり言ってこの楽曲、音を並べただけでちょっとふざけた感じになってしまう曲ではないですか。それを過剰にふざけた感じにしてしまうとバーンスタインの激烈に耽美な演奏になってしまう。そこで煩悶するようなテーマの繰り返しはマーラーの晩年の苦悩と重ねられてロマンティックに読まれることになる。一般なマーラーのイメージとはそうした退廃に近い空気を持った音楽でしょう。

尾高忠明のマーラーはそうではなくて、ユニークな作曲家としての姿を純音楽的に表現するようでした。音楽の外側にある情報、マーラーの生涯や19世紀末の状況(この楽曲の初演は20世紀に入ってからですが)を遮断することはできませんが、そこから離れて、音楽を聴かせてくれる演奏でした。こんなに濁りのないマーラーがあって良いのか、と思いましたし、初めて生で聴いてみて「これはこんな音の重ね方をしてたのか!」と驚かされることも多々。

ただ、そうして分析的に聴けたのはあくまで第3楽章までで、第4楽章はもう、なんだか、すごかったんですよ……。

濁りのないマーラーの世界はそのままなんだけれど、とにかく冒頭から弦楽器の音の密度がエラいことになっており、これがイギリスで認められる尾高忠明の音楽なのか! と驚かされました。異様に荘厳だったんですね。曲はダイナミックに変動していくんだけれど、音の雰囲気は荘厳さを保ったまま進んでいく。動いてるのに安定してるように聞こえるアンビヴァレントな感覚、と言いましょうか。それが衝撃でした。終盤は逆に音をどんどん抜いくんだけれどもそこでの緊張感感と言ったら身動きがとれないぐらいでしたよ。今シーズンの読響定期では一番印象的なフィナーレ。藤原浜雄のソロも良かったし、大満足。

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Sonic Youth / Smart Bar Chicago 1985

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Smart Bar Chicago 1985
Smart Bar Chicago 1985
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Sonic Youth
Goofin Records (2012-12-04)
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活動休止中のSonic Youthだが、公式サイトをみた感じでは、スティーヴ・シェリー以外の主要メンバーはそれぞれでソロ活動をしてるみたいである。リー・ラナルドもソロ・アルバムだしてるし、バンド活動休止のトリガーであったサーストン・キム元夫妻も、未聴だけれどもオノ・ヨーコと一緒にアルバム作ってるし、なんだ、一緒に活動できるなら、Sonic Youthも活動再開してくれよ、と思わなくもないのだが、新譜としてでてきたのは1985年のライヴ盤なのだった。

今回のアルバムには『Bad Moon Rising』をリリースしたあとのツアーでの1985年8月11日の演奏が収録されている。ソースは4トラックのカセットMTRということで、音質はオフィシャル・ブート程度だが、言うまでもなく熱狂して聴いた。というか、録音状況の悪さによってさらに楽曲群はより一層ダークだったり、荒々しい印象をもって聴こえる。非常に狭い空間のなかに音がぎっしりと詰まってしまっている。それは、まるでKing Crimsonの『Earthbound』か、という具合なのだから、もう熱狂するしかないでしょう。よくこんな恐ろしいバンドが、メジャー・レーベルに移籍して活動ができたな……、とか、ノー・ウェーヴから奇跡的に生まれた正統派なロックンロール・バンドがSonic Youthであったのだなあ、深い気持ちになりましたよ。

長いキャリアを持つバンドだけれども、やってる音楽の根幹部分はずっと変わってない、ということが実感できる一枚でもあるわけだが、メジャー在籍末期から急速に音がソリッドになっていたのは、老成や成熟といったキーワードで語れるのかもしれないとも思った。

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Luiz Gonzaga / A Festa

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フェスタ
フェスタ
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ルイス・ゴンザーガ ルイズ・ゴンザーガ
BMGビクター (1995-06-21)
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ブラジル音楽、と一重にいっても、奥が深いもので聴けば聴くほど多様な音世界が広がっていきますから、愛好家的には汲めども尽きぬ井戸のようなものであり、ブラジルの地図を頭に叩き込んで、そのミュージシャンがどの地方の音楽を演奏しているのか、をマッピングしていくことでようやく整理がついてくる感じがします。地方によって全然音楽が違うのですね。サンバやボサノヴァなどの有名なブラジル音楽はサン・パウロやリオ・デ・ジャネイロといった南東部の文化・経済の中心地の音楽であり、その他の地域には地域ごとに違う音楽が根付いていたのです(その詳細は、名著『リアル・ブラジル音楽』をお読みください)。

フォホーはそのうちブラジル北東部の音楽で、ルイス・ゴンザーガ(上記ジャケット写真の人物)はフォホーの代表的なミュージシャンです。写真だけを見るとイロモノ風なんですが、これは20世紀に北東部を荒し回った義賊、ランピアォンのコスプレなんだそうです。このコスチュームに身を包み、ルイス・ゴンザーガはセルタォンという北東部の干ばつ地帯の生活を歌いました(ランピアォンやセルタォンについてはこの記事が詳しい)。ハードなこの地域の生活を陽気で深みのある声で歌う、というところにセルタォンのブルーズ感覚が表れている、と言っても良いのかもしれません。ゴンザーガの音楽は、ブラジル北東部のみならず、南東部に出稼ぎにいった北東部出身者の心も捉え、ブラジルの中心部でも流行したんだそうです。北東部の音楽は、60年代後半のトロピカリアでも再評価されるのですが、ルイス・ゴンザーガを聴いてみると、当時のカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジル、ムタンチスの音楽に組み込まれていた北東部の雰囲気に気づきハッとしてしまいます。

なお、このアルバムには一曲、ミルトン・ナシメントがヴォーカルで参加。ルイス・ゴンザーガとのデュエットが素晴らしいんだ……。

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Rafael Martini / Motivo

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Rafael Martini / Motivo (diskunionサイトへのリンク)

先日、セカンド・アルバムの日本盤が発売され一部の音楽ファンのあいだで大いに盛り上がっているアントニオ・ロウレイロですが、今度はロウレイロのアルバムにも参加しているピアニストのハファエル・マルチニのソロ・アルバム『Motivo』を聴きました(ハファエル・マルチニの今回のアルバムは全曲ダウンロード可能になっているようです)。彼もまたミナス・ジェライス出身の若手ミュージシャンの注目株のひとりです。このアルバム、パーソネルを確認するとロウレイロのアルバムとほとんど演奏している人が同じなのですが、こうしたところからも現在のこの音楽シーンの盛り上がりがうかがえます。カエターノ・ヴェローゾの息子世代のバイーア系のミュージシャンたちが成熟期を迎えつつあるなか、ミナスではさらに若い世代が才能を磨いている……といった状況なのでしょうか。

この界隈のミュージシャンでは、今年はアレシャンドリ・アンドレスもソロ・アルバムを出しており、これもネットでダウンロードできます。それぞれのアルバムを聴いて面白いのは、同じ空気感を共有していながらも、ハッキリと違った音楽を提示しているという点。もっともアヴァンギャルドなのはロウレイロに違いなく、マルチニはそこから少しトゲを抜いてやったアコースティックな楽曲群を聴かせてくれます。さらにそこからマイルドで、室内楽的な響きを聴かせてくれるのはアンドレスのアルバム……という風に並べてみると、ミナスで活動している才能ある若手の世界観がいかに多様なものとなっているかがわかるかもしれません。

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ピーター・バラカン 『魂(ソウル)のゆくえ』

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魂(ソウル)のゆくえ
魂(ソウル)のゆくえ
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ピーター・バラカン
アルテスパブリッシング
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絶賛ソウル・ミュージック強化期間であるがゆえ、読む。1989年に刊行されたピーター・バラカンのソウル・ミュージック・ガイドの2008年の増補・改訂版。これは大変面白かったですね。単なるミュージック・ガイド、ディスク・ガイドとしての本ではなく、サム・クック、レイ・チャールズ、ジェームス・ブラウンを語りの出発地点として置いたソウル・ミュージック史でありながら、その後のネオ・ソウルやヒップ・ホップまで延長されたブラック・ミュージック史であり、また、1951年ロンドン生まれの著者がリアルタイムで聴いてきた自分史とも重ねて語られているのが良かった。その自分史はロキノン(故snoozer)あたりが醸し出す、自意識に耽溺していく感じではなく、あくまで、自分が見てきた時代の雰囲気を描くものであって、そうした「このアルバムがリリースされたのは、こんなことがあって〜」という生の感覚はとても貴重な証言のようにも読めるのですね。同じ音楽を聴くにしても、人生のどの時期で聴くかでまったく音楽の聴こえ方が変わってしまう、ということはあるでしょうけれど、自分にそうした、リアルタイムの音楽を聴く感覚を味わってこなかったせいか、なんだか羨ましく思ったりもする(tdさんのブログを読んでいて羨ましい感じがするのも、同じ理由なのか)。

本書における歴史記述は「ミュージシャンBはミュージシャンAに影響を受けて〜」といったミュージシャンの創造性をなんとなく歴史として紡いだものではなく、当時のレコード会社の状況であったり、プロダクション・レヴェルでの話に多くのページが割かれている。音楽についての本、というよりは、音楽産業や音楽文化についての本、というほうが正確なぐらいに。それが、ミュージシャンを語るときの厚みを生んでるようにも思います。ミュージシャンについて語るときにはいろんなアプローチがあると思います。「とにかく楽器が上手い」とか「コード進行が変態的」とか「白塗りでファルセットで歌うのがスゴい(得意料理はレモン・タルト)」とか、いろんな。でも、その記述はあくまで評価ですし、音そのものが伝わるわけではない。音が聴こえない文章によって音楽に興味を持たせるには、なんらかのストーリーが必要なのかもしれず、そうだとするならば本書の「この音楽、聴いてみたい!」と喚起する源には、アーティストの裏側に存在していた歴史があると思います。逆に、音楽だけ先に聞いていて、この本を読んで「なるほど、これはそういうことだったのか」と思うことも多かったです(『ブルース・ブラザーズ』の人たちって、そういう人なの!? とか)。それが音楽の聴き方を変えてしまうかもしれない。音楽は音楽だけでも独立するものですが、なんらかの情報によって、聴く角度を複数持つことも可能である、という風に思います。楽理的な分析に基づく記述だけが音楽を記述する言語ではない。

それにしてもピーター・バラカン的な価値観、これはちょっと別な意味で面白かったですね。どの音楽が芸術的か、価値があるか、聴く人が勝手に決めれば良い、と言いながら「産業ロック」や「ディスコ」は評価しない(それは音楽の作り手がマーケットに売れるものを狙って作っているものだから)、というのはダブル・スタンダードなのでは、と思います。そもそもソウルですら、産業として成立したからこそ、盛り上がったわけであり「産業でなかった音楽ってなんだ!?」と考えるならば、もはや、未開の部族に伝わる儀式音楽ぐらいしか思い当たらない(クラシックだって立派な産業だったでしょうし、ましてや現代音楽など、現代音楽マーケットにウケるモノを書いている立派な産業と言えます)。でも、こうした一見矛盾した価値観が広く受け入れられていて、支持されたりもする。マーケットを意識したものは音楽として不純である、みたいな。「ブルーズ」「ジャズィー」って言ったりして。その「ホンモノ指向」が気になるんだ……。

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『歎異抄』

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歎異抄 (岩波文庫)
歎異抄 (岩波文庫)
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金子 大栄
岩波書店
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『歎異抄(たんにしょう)』は浄土真宗の祖、親鸞の死後にその弟子の唯圓という人が、師の言葉を後世に正しく伝えようとして書いた本。とくに意図なく読み始めたんですが、面白かったです。校訂者の金子大栄の解説がとにかく良い仕事しすぎ。唯圓の本文以上に親鸞がどういうことを考えて浄土真宗をたちあげたのかがわかります。もう解説と本文あわせて「これが親鸞だ!」と改題して講談社新書から出し直したほうが良いのでは。五木寛之が言及して、なんかいま流行ってるんでしょ?

「他力本願」というキーワードで親鸞の思想はまとめられていますが、これ、要は否定神学と予定説みたいな話ですよね。親鸞曰く、浄土にいくっていう本願は、自分の努力によって成し遂げられるものじゃない。その本願は阿弥陀如来のみが決定しているのであって、誰が浄土にいけるか、っていうのは、阿弥陀如来しかわからない(予定説)。かつ、仏っていうのは変幻自在で、形とかそういうのを超越した存在なので、たかが人間ごときが判断する善悪の基準とかで動いてない(否定神学)、よって普通の百姓も盗賊も殺人鬼も誰が浄土にいけるかわからないし、仏はホントに慈悲深いから、人間が考える悪党であっても浄土にいける人として選んだりする。

そこで親鸞は「念仏となえろ!」というのですね。これまた信仰のみが義である、というルターみたいだな、と思ったんですが、ただし、その念仏は唱えたからと言って良いというわけではないし、唱えても浄土への優先チケットがもらえるわけでもない。ここでの念仏の役割は阿弥陀如来がきっといつかは救ってくれるであろう、本願はきっとなされるであろう、ということを信じるために唱えるものです。念仏が現世での良いことを起こすわけでもないし、しかも、浄土への道も近くならない。でも、親鸞は「信じろ!」っていう。そうするとそのうち、我執からも解放されて、仏と一体になって救われるから! と。

親鸞の生没年は1173年〜1262年とあります。西欧でいうとアルベルトゥス・マグヌスよりも20年ぐらい先立って、だいたい同じぐらいの年齢で死んでいます……2人にはまったく関連性がないのでこれはどうでも良いですが、でもスコラ学はその後廃れるけれども、浄土真宗はまだバリバリの現役、っていうのがスゴいですよね。しかも日本で一番メジャーだ、っていう。末法思想が蠢く鎌倉時代に生まれたがゆえの、強さなのでしょうか。そういえばメランヒトンも「終末は近い!」とか言ってたんだっけ。乱世に発生する思想に共通するなにかが、浄土真宗とプロテスタントのあいだにありそう(幻視。そして、世界が乱れていなかった世の中っていつだったのか)。

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読売日本交響楽団第520回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

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指揮=ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス
合唱=新国立劇場合唱団
フリューベック・デ・ブルゴス:ブラームス・ファンファーレ(日本初演)
ブラームス:悲歌 作品82
ブラームス:運命の女神の歌 作品89
ブラームス:運命の歌 作品54
ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67 「運命」
ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスの指揮は、およそ1年半ぶりに聴きました。前半に自作のファンファーレとブラームスの合唱曲を、後半がベートーヴェン、とドイツ攻め。前回もブラームスの交響曲第3番、第1番のダブル・シンフォニーで定期演奏会の舞台に立っていましたから、ブラームスには相当の思い入れがある人なのでしょう。自作のファンファーレは、ブラームスの交響曲などから有名なメロディを切り出してきて繋ぎあわせ、それを金管とティンパニだけに演奏させる、というシロモノ。ティンパニとホルンはさておき、ブラームスの交響曲におけるトランペットとトロンボーンはかなり出番が少ないですから(しかし、とても重要な役割)、鬱憤ばらしをさせてやろう、というマエストロの配慮だったのか……しかし、まあ、アレです、そうですね……ホンモノのブラームスの交響曲のほうが……。

続く、ブラームスの合唱曲は、すみません、全然印象にない。最近、知らない曲を聴いていたりするとウトウトしてしまう頻度が高くなっており、かつて若かりし頃は唾棄すべき存在として認識していたタイプのクラシック・ファンになっている。なんということだ。

メインの《運命》は、これはもう円熟の演奏というほかないでしょう。アンサンブルがガチガチに揃った精度の高い演奏、ではなく、ピリオド奏法を取り入れた演奏、でもなく、超絶に遅かったり、爆演系でもない。たとえるならば、老舗の洋食屋さんのハンバーグ定食、というか……白いお皿のうえに、ハンバーグがあって、デミグラス・ソースがかけられていて、そこに海老フライとナポリタンが添えてある……みたいな定番感さえありました。ひとつも斬新な箇所がない。でも楽しく聴かせるんですよね。鉄板の上でジュージューいってるわけでも、神戸牛をつかってるわけでも、サイズが巨大なわけでもないんだけど「でも、これがウチのハンバーグだから! これで40年やってますから!」って出されて、ウマい、としか言えない、みたいな。演奏家の風格とか年季からくる「これがウチのベートーヴェンだから!」という自信がそういう音楽に仕上げるのか。とくに2楽章が良かったなあ。柔らかくて大きな音楽を鳴らしていました。編成は木管楽器が倍管でしたが、あれは4楽章用だったのかな。普通なら金管楽器が全面に押し出されるところが、木管もブ厚く響いている感じがして良かった。

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ジョスリン・ゴドウィン 『キルヒャーの世界図鑑: よみがえる普遍の夢』

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キルヒャーの世界図鑑―よみがえる普遍の夢
ジョスリン・ゴドウィン
工作舎
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おそらく日本語の本で「キルヒャー」の名前をタイトルに入れてる本はこれだけでしょう(アタナシウス・キルヒャーという17世紀に活躍したイエズス会の修道士については当ブログでも何度も言及しておりますので、どういう人かは各自ググったりしておくこと)。ジョスリン・ゴドウィンによる本書は、キルヒャーが出版した書物から愉快で、奇怪な図版を抜き出して、図像からキルヒャーの思想を読み解こう、という内容。この著者はまったく同じ手法で、イギリスのロバート・フラッドについても一冊本を出しています。キルヒャーとフラッドってフランセス・イエイツの『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統』でも、ポスト・ブルーノの思想家として扱われるなかなかの重要人物、ではあるのですが、ゴドウィンの記述は、両者をビザールな人、ってだけの扱いにとどまっていて、フラッドの本を読んだときも思ったけれど、ストーリーを感じることができないのが残念。正直、図版を眺めるだけなら原書でも良いんじゃ、っていう。

そのあたりの原書そのもののパワーの弱さを補うためなのか、邦訳にはボートラ的に澁澤龍彦、中野美代子、荒俣宏が文章を寄せているんですが、荒俣先生以外は正直ほとんど読む価値なし。中野美代子の文章は、『シナ図説』という当時のイエズス会宣教師のネットワークを駆使して極東から寄せられた情報をもとにキルヒャーが作った中国についてのヴィジュアル百科事典的書物の「おかしな点」をあげつらうばかりで、ゴドウィンとレヴェル感は変わらないし、澁澤にいたっては、紙の無駄ですよ(本文と重複しまくるキルヒャーの略伝で半分ぐらいスペースを使っている)。 信じられるのは荒俣先生だけ!

ここでの荒俣先生は、まず、キルヒャーが図像を用いた理由を「活字印刷本の普及とともに『見ながら考える』、『考えるために見る』、という今日的思考方式が、ラテン語などの通じない蛮地へおもむきつつあったイエズス会の布教技術と通じる本質を備えていたためである」とし、ポスト・キルヒャーの人物を3人紹介しています。この3人の人物の紹介は、面白人物の紹介、という感じで終わっている感があるんですけれども、冒頭のキルヒャーのヴィジュアル・ショック戦略の評価によって、本書で紹介される図像の数々の意味合いが変わってくる気が。

つまりこの評価によって、キルヒャーの図像群が「おもしれ〜、ぶひゃひゃ!」で終わるものではなく、それが何らかの理解を促すためのツールであり、シンボルであった、という位置づけがされるわけで、これは、イエイツの仕事を持ち出すならば『記憶術』の内容や、あるいは、ジョルダーノ・ブルーノが用いた秘印を連想させます(ブルーノは、著作のなかで謎めいた記号を用いることで、神秘的な秘術を伝えようとした、とか)。ヴィジュアル・ショックの系譜学を描くなら、キルヒャーは相当に重要であるなあ、と思わされます。単にゲラゲラ笑ってるだけだとあまりに広がりがなく終わってしまう本になってしまうので、これは荒俣先生のナイス・サポートが光る! と個人的に思いました。

あんまり本書を褒めてないですが、つまらない本ではなかったです。ビザールな図像を眺めてると愉快な気持ちになりますし、ただ、読みどころが結構難しい気がするんですよね。荒俣先生の解説みたいにちょっとしたところから、ストーリーが見えるときがあるんだけれども、本の方から雄弁に語りかけてくるようなものでもないです。やはり種本なのかなあ、と。キルヒャーの伝記的記述とか読んでて面白いんですけれどね(フラッドの本も伝記部分が良かったです)。彼はドイツ生まれのイエズス会修道士ですから、30年戦争とかで大変な目にあってたりするわけです。「ドイツって新教徒の地域でしょ〜」なんとなく思ってたんですが、新教徒のなかにもいろいろいたし、キルヒャーみたいにカトリックだっていて、一枚岩では全然ない。そのへんの思想地図をちょっと調べてみたいなあ〜、とか思った。

あと、イエズス会がほぼ全世界に張り巡らせていたネットワークが改めてスゴいな、と。前述の通りこれを利用してキルヒャーは各地の情報を集め、エジプトや中国について本を書いてたんだけれども、このネットワークはその後なんかに使われてたりしないんだろうか……(ピンチョンの『競馬ナンバー49』にでてくるトライステロは、中世の騎士団が起源となった秘密郵便組織だっけ……? そういうのも連想する)。

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T. H. ガスター 『世界最古の物語: バビロニア・ハッティ・カナアン』

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世界最古の物語―バビロニア・ハッティ・カナアン (1973年) (現代教養文庫)
T.H.ガスター
社会思想社
売り上げランキング: 102123
イギリス出身の宗教・神話学者、Theodor Gaster(1906 - 1902)が書いた一般向けの本(ブックオフで回収)。黒海、地中海、カスピ海に囲まれたオリエント地域の古代民族が粘度板に刻んだ楔形文字によって伝えた神話を、現代人に読みやすい形でまとめた入門書、とでも言えようか。これはなかなかの良書で、単に物語を紹介しているだけではなく、著者による解説がかなり詳しくおこなわれているのがありがたかったです。著者は比較文学的な手法によって、ここに収められた物語を、ギリシャやローマ、エジプトの神話、あるいはアフリカやインドの民話、旧約聖書などと比較しつつ、忘れられてしまった物語の意味を解釈しようとする。ときに古代の物語の表現が、現代の文芸ともひもづけられるのも刺激的でした。収録された13篇のお話は、バビロニア、ハッティ(ヒッタイト)、カナーンのそれぞれの地域の世界創造や神々の戦いです。隣接地域であるせいか、ある地域の神話に別な地域の神々が登場する(神が借用されるように)のも面白いです。

また本書の魅力のひとつには、「はじめに」で書かれた、筆者が本書を執筆するために用いた技法・手法であったり、物語の歴史的背景についての記述もあげられるでしょう。この記述にはもう歴史に込められたロマンティシズム、と言いましょうか、何かを調査して知られざることが明らかになったという発見の悦びが封じ込められている気がします。本書で取り扱われる物語は、4000年以上前のものであるわけです。すると、記録された文章をそのまま訳してもまったく意味がわからなくなってしまうことがある。とくに身振りによって伝えられる意味や、当時でいうところの紋切り型の表現の意味が、いまではよくわからない。そうした失われた意味を当時の法律上の記録から発見されたりする、というのですから、なんかこう、考古学、燃えますね、という感じ。なお、仏訳の序文には、エリアーデが文章を寄せています。ブックオフで100円で投げ売られてたのでいい加減な本かと思ったら、結構ちゃんとした本だった。

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Pierre-Laurent Aimard / Debussy: Préludes Book 1 & 2

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Preludes Books 1 & 2
Preludes Books 1 & 2
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C. Debussy
Ecm Records (2012-10-09)
売り上げランキング: 463
いつのまにかエマールの新譜がでていたのだった。昨年も『Liszt Project』というアルバムを出しており、こちらも買い逃している。しかも、去年も、今年も来日公演を聴き逃しているのでなんだかファン失格もいいところな体たらくぶりである。反省を踏まえて、ドビュッシーの《前奏曲集》を聴く。

まず、ビックリするのがリヴァーブの深さで。ライナー・ノーツによればスイスのArc en Scènes(リンク先PDF、仏語)のホールで録音したとあるけれど、これはちょっとどうなのかなあ、お風呂で弾いているみたいなんだけれども。最初の《デルフィの舞姫》は、音像が、ぼや〜、としていて霧に包まれた感が演出されているようである。ピアノとマイクの距離が関係していると思われるんだけれども、たしかにコンサート・ホールでライヴを聴いているときの音ってこんなもんかなぁ、とも思われるし、リアリティを追求するとこうなるのかなぁ。

演奏のほうは、さすがの切れ味が素晴らしかった。《アナカプリの丘》や《パックの踊り》で、音の粒が美しく揃って弾けるところなど、フェティッシュなレヴェルで好きですね。ゆっくりしたテンポの曲では、情感に流されないリリシズムを発揮されており、これも美しいのだった。来日公演、行きたかったな。

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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

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Shiro SAGISU Music from“EVANGELION 3.0”YOU CAN(NOT)REDO.
鷺巣詩郎
キングレコード (2012-11-28)
売り上げランキング: 10

なんかエラいことになってるらしいぞ、という前評判のみで観にいって「これは……どうしたら良いのだろうか、明日からどうやって生きてけば良いのか……」と衝撃を受けましたが、とても面白かったですし、最高でした。アクション・シーンは『破』のほうが盛り上がったんですが、アスカが載ってるエヴァが猛ダッシュするシーンとか良かったですよ(『破』もエヴァ3機が空からやってくる使徒を受け止めるところが好きだった)。

以降はストーリーの核心にはなるべく触れずに感じたこと書いていきます。

このアニメーション作品の解釈については、仏教の唯識思想における「一人一宇宙」という原理を想起させられるほど、さまざまな人がさまざまな思い入れを抱えたまま、読み解いていらっしゃるではないですか。しかし、そういうのがすべて壊されちゃったな、というか、なんか、終わったな……俺、もう大人じゃん……うん……さて、明日からどうやって生きていけば良いんだろう……という風にガツンとヤラれてしまったのが今回のファースト・インプレッションとしてのファースト・インパクトであって。私が住んでた福島県の地上波で放送が始まったのが、中学1年生ぐらいだったと思うんですけど、グハッ、そこから15年だってよ……(調べたら1997年4月1日から放送が始まっていた。中学1年生の新学期からか……)。

今回の『Q』を観たときは隣に妻がいて、そういうのも影響してたのかもしれないけれど、年、取ったなあ、みんな、とか思ったし、なんか愕然とした。あ、いま、俺の青年期が終わった、と思った。『破』でモテモテのオットコ前だった碇シンジが幼児退行し、死ぬほど鬱陶しくて、独りよがりな、見ていて恥ずかしくなる状態だったのもアレだった。まあ、それにはいろいろあるから仕方ない。ただ、成長(?)してなかったのは、彼と非人間的な渚カヲルくんと綾波レイだけで、アスカもミサトさんも、冬月も、長髪のオペレーターみたいな彼だって、あ〜、『破』と『Q』のあいだにいろいろあったんだろうなあ、俺にはわからないし、わからない、語られないからこそ、いろいろあったんだろうなぁ……。

そう、全然わかんない話でしたよ。それはもうシンジくんだってあんなにもなるだろ、っていう。冒頭から「やべえ、先週『破』をテレビで観ておけば良かった!」ってなったけど、ハッキリ言って、そんなの関係なかった。でも、わかんなくても、良いや、だって色々あったもん、ってなった。だから、自分から探しては誰の解釈も読もうと思わないし、聞きたくない。その代わりにただ「俺のなかであのときなにかが死んだ気がするんだ……これからどうやって生きていけば良いんだろう……」って生ビール飲みながら静かにつぶやいているのを(さまざまな意味で)愛する人に聞いてもらいたい。そして「そんなこと言われても、どうにかしてやってかなくちゃいけないし、なんなら、どうもしなくてもいい」って励まされたい……。

でも、何度だって繰り返しますけど、最高だったんですよ!!!!! でも、同時に何かを殺されるし、なんか、こう……早く介錯してくれ、っていう気持ちになる、っていう。まだシリーズは終わってないんだけども、なんか終わった。

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The Jesus & Mary Chain / Original Album Series Box Set

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JESUS & MARY CHAIN  5CD ORIGINAL ALBUM SERIES BOX SET
JESUS & MARY CHAIN(ジーザス&ザ・メリー・チェイン)
Warner Music (2010-02-27)
売り上げランキング: 7144
最近は、なんかもうロックとかは良いんじゃないか、手持ちのロック・ミュージックの音源さえあれば、新しいのに出会わなくとも、ほら、ブラジル音楽やソウル・ミュージックのほうが素敵じゃないですか、とか思っていたのである。

が、当ブログがもっとも言及しているブロガーであるtdさんが「一番好きなのはJesus & Mary Chainかもしれないですね」とおしゃっていたのをキッカケに、かのバンドの名盤ボックスを買ってしまい、そして狂ったように聴きまくっているのであった。The Jesus & Mary Chain、通称ジザメリさんである。すでに評価された音楽ばかり聴いているのであるから、保守趣味、と揶揄されても致し方なし、しかし、アラサーになってもこうして「おお、これはなんと素晴らしいロック・ミュージックなのであろうか」と小躍りしたくなる出会いがあるとは思ってもみなかったですね。なんか、こう、年を取ったらどんどんセンスが凝り固まっていって「オイラはもうレゲエしか聴かないダス」とか「AOR以外は音楽と認めない」とか「モーツァルト以外はウジ虫同様に価値がない」とか言いだすのかと思ったら、どんどん新しいモノが入ってくる(ジザメリさんは新しくないけれども)。

もちろん、まったくもって宇宙人的なもの、異人的なものではなく、これまでの趣味の延長線上に位置づけられたりして、ジザメリさんであれば「このザーッというギターの音は、マイブラさんみたいであるなあ」とか思って聴いてたりするんだけれども(マイブラさんには特に思い入れなし)、これまでの趣味が拡張されていく、というか、おお、こういうロックも俺好きだったのか、とか思って多幸感に包まれる。この名盤ボックスには、1985年(俺の生まれた年だ……)から1995年までの5枚のオリジナル・アルバムを収録。デビュー盤から順番に聴いたんだけれども、一枚目のザーッとかギャンギャンとか言ってる工場のごときギター・ノイズとポップなメロディのギャップ……からの調和がなんとも奇跡的に思え、しかもコレ、激しいけれども全体的にペラっとした音像ではないですか、これはなんだ、甘いのか辛いのか、濃いのか淡いのか、よくわからないけれども狂おしく好きになってしまった。

その後、いきなり2枚目から工場的なギター・ノイズは聴かれなくなり、音もどんどん洗練されていくのだが、都会にでたという幼馴染の女の子が10年後、たまたまお盆のときに出くわしたら垢ぬけててビックリした……ようなそういう感覚をもちつつ喜んで聴いている。攻撃的な音が、どんどんまろやかになっていく変化のプロセス、そのための時間をすっ飛ばして聴いているわけだから、リアルタイムの人が受けた衝撃とは違ったものを聴いているわけだが、一枚目が含む、甘いのか辛いのかわからない、その複雑な感じが、なぜか切なく聴こえてしまって、要するに全部好きになってしまったんだよ。

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ヴァルター・ベンヤミン 『パサージュ論』(4)

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パサージュ論 第4巻 (岩波現代文庫)
W・ベンヤミン
岩波書店
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ここまで淡々と『パサージュ論』を読んできましたが、この第4巻が一番取りつく島がない、というか一番難しい巻な気がします。「サン=シモン、鉄道」、「陰謀、同業職人組合」、「フーリエ」、「マルクス」、「写真」、「人形、からくり」、「社会運動」という項目が収録され、有名な社会主義思想家の名前が挙がっている。しかし、こうした重要そうな名前がこれまでの項目で窺える「未完成のパサージュ論」とどのように繋がるのかがよくわかりませんでした。

マルクスはまだ良いとして、フーリエですよ。マルクス & エンゲルスに「空想的社会主義者」として批難されたあの、シャルル・フーリエの愉快極まりないトんでるユートピアが紹介されているんですが……トんでいるとは言え、これは一種の都市設計なのであり……云々、とでも言うつもりだったのでしょうか……。「フーリエ」の項は『パサージュ論』のなかでも特別に異色な感じがします。フーリエが提唱するユートピアが実現すると、海水がレモネードに変わり、ライオンのような猛獣も郵便事業に役立てることができ、人間が水中に住んだり、空を飛んだりできるようになる……! とかそういう楽しげな感じのことが言われており、また惑星のパワーが人間に与える影響などは占星術的でもありますから興味深い人ではあるのですが(転生のアイデアなどは20世紀のニューエイジ思想にどれだけ影響を与えているのか、など個人的には気になる)、スゴ過ぎてよくわからない。

「サン=シモン、鉄道」という項にしても大体労働者がどうした、とか、どんな風に新聞が売ってたとかそんなことばかり書いてあって「鉄道」の話はどこへ消えたのか、という具合。「写真」や「人形、からくり」の項が辛うじて読めそうな雰囲気があるんですが、うーん、こういうものしか読めないのも、ベンヤミン = 20世紀消費社会論のパイオニア、みたいな観点からしか読めていない、という悪い傾向なのかもしれません、が、わっかんなかったですね……。ホント、3巻読んだときに、うん、ベンヤミン、読めるぞ! という感じがしたのが幻だったかのようだよ……

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Cassiber / A Face We All Know

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A Face We All Know
A Face We All Know
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Cassiber
Rer (2008-08-19)
売り上げランキング: 581790
今月初頭からの回顧モードにより、レコメン系の音楽への興味が再燃しつつある。手始めにCassiberの4枚目を会社の上司からお借りした。Henry Cow末期からのクリス・カトラー、フレッド・フリスらの活動はさまざまなバンドが同時平行で動いていて複雑極まりないのだが、こちらはArt Bearsを解散させたあと、1982年にクリス・カトラーが、ハイナー・ゲッベルス、アルフレート・ハルト、クリストフ・アンダーズと結成したバンドである。4枚目は1990年、この前のアルバムからハルトは脱退しており、3人編成でのスタジオ盤。クリス・カトラーの書いた詩と、トマス・ピンチョンの『重力の虹』のテキストによって構成された、ポストモダン・ニューウェーヴ(って呼んでおけば、なんとなく格好がつくんでしょう……?)でございます。

カトラー先生の詩について審美するほどの知識はございませんが、速度と硬度がエラいことになっているドラムはフェティッシュな感じで好きです。ここでサウンドの中心となっているのは彼のドラムと、ゲッベルスによるサンプリングであり、これは解体と再構築の音楽であるなあ、と思ったり(大友良英のGround Zeroが1990年結成ですが、音的には通ずるものがある)。このサウンドで、テキストがピンチョン、ってもう狙いすぎている感さえあるんですが、1990年ってそういう時代だったんでしょうか。

ただ、1989年にベルリンの壁崩壊、1991年にソ連崩壊、ですからバキバキの左翼であったカトラー先生的には思想的に大きく揺らいだに違いなく、そんなときにピンチョン、っていう、アメリカのサブカルチャーの権化みたいな作家を取り上げている、っていうのはなかなか味わい深い。デリダとかドゥルーズとか、そういうもっと面倒くさい方向にいくほうがありそうなのに。1990年は『ヴァインランド』が発表された年でもありますが、ピンチョンがよりポップな感じに流れていくのはその後で、この当時はもっとアナーキーな作家だと思われていたのかなあ……。

Gravity's Rainbow
Gravity's Rainbow
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Thomas Pynchon
Vintage Books USA
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飯田泰之 『飯田のミクロ 新しい経済学の教科書1』

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飯田のミクロ 新しい経済学の教科書1 (光文社新書)
飯田 泰之
光文社 (2012-10-17)
売り上げランキング: 8940
「あの」(!)飯田泰之が「新しい経済学の教科書」シリーズの第一弾を執筆! 第一弾はミクロ経済学! マクロ経済学を専門とする飯田がどのようにミクロ経済学を料理するのか!? といったところが注目されていそうな本書ですが、刊行されてからそんなに話題になってないのがアレです……けれども、とても堅実な良い本。最近でている経済学がらみの本ではクルーグマンやケインズのマクロ経済学の本をいくつか読んでおり「マクロ経済学を適当に読んでおけば、新聞読んでなんか知ったような口をきけるようになるんじゃないの〜?」とか鷹を括っていた私でしたが、いきなり「マクロ経済学のひとつひとつの想定にはミクロ経済学的な基礎があります」(だから、ミクロから入るのが妥当だよ)とたしなめられたような気分になりました。

分かりやすいつもりで書いてるのだろうが伝わってない変な比喩やつまらない冗談など一切なし、「サルでもわかる!」とか「絶対わかる!」とか煽ってもいない、あえて悪い言葉で言うと「地味」とさえ言える書きぶりが逆に鬱陶しくなくて、抵抗なく読めるのがまず良いところ。

しかし、そうした地味さのなかで「経済学者が無意識に使ってしまって、一般には理解されにくい経済学の思考法や価値観」についての説明が丁寧におこなわれています。ここでは経済学がなにを前提として進められてきたのか、どういった状態を経済学は「良い状態」としているのか、などが要所要所でしっかりと定義されながら話が進められていく。これが読者を迷い道に進ませない工夫として設けられているように思われます。そこを押さえていると、さまざまな分析手法や考え方も「なにを言うための道具なのか」というところが分かってグッと面白くなっていく。読後に「あ、経済学ってこんなに人間的な学問なのか」という風に経済学に対する印象が変わった感じがするのは、この部分のおかげが大きい。

また分析対象が後半になるについれて大きくなっていくのも面白いです。最初は個人消費者から始まって、次に企業間の競争、それから公共経済の話……という風に話のスケールが大きくなり、それに応じて分析方法も難しくなっていく。最後のほうで取り上げられている例は、環境権であるとか再分配政策であるとかミクロの話かどうか判断がつかなくなってきますが、大きな分析対象のなかでの個人のふるまいへと話が還元されていくのでブレてはいないのでしょう(逆に、大きな話をしているほうが、新聞に載ってるような経済政策的なお話とマッチして『教養』っぽさもある)。

惜しむらくは、堅実過ぎて売れないんじゃないか、と心配になる点(『絶対わかる!』とか『これ一冊で!』とかついてたほうがやっぱり売れそうだし、あと、池上彰が書いてるとか。『飯田の○○』って冠がついても、新書でお手軽に教養を身につけたい、と普段から思っている新書消費者は知らないのでは)。あと、数式を(少ないとはいえ)使うなら横書きの本のほうが良いよなあ、とか。

経済学という教養 (ちくま文庫)
稲葉 振一郎
筑摩書房
売り上げランキング: 176378
「教養としての経済学」であれば、そのものズバリ『経済学という教養』という本を思い出してパラパラめくってみたら「日本の経済学史と公共社会論」というこの本の性格が、この『飯田のミクロ』のずーっと先のほうにひもづいているような気もしましたね。

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Donny Hathaway / Original Album Series

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DONNY HATHAWAY - ORIGINAL ALBUM SERIES
DONNY HATHAWAY(ダニー・ハサウェイ)
Warner Music (2010-02-27)
売り上げランキング: 5727
今年の夏に下北沢のソウル・バーにいってなにかに開眼した瞬間に思ったのは「そうか、白人がソウルをやろうとしたらAORになったのか! そういうことだったのか!」ということだったんだけれども、さっき『東京大学のアルバート・アイラー』を読み返していたら、こんな記述に出くわしたのだった。
1960年代末に、バークリー・メソッドはジャズの理論としてのアップ・グレードをやめ、自らの可能性の中心に従って線引きを行い、自らの領域を確定させます。こうして、ジャズの現在からは手を引いたバークリー・メソッドは、その後、JBらが作り出したファンクやニュー・ソウル・ミュージックなどの新しい黒人音楽を、和声的にソフィスティケーションするための理論として、「スタジオ・ミュージシャンの時代」を支える理論として、もっぱら使われるようになっていきます。(単行本 P.194)
この記述のあとに、バークリー・メソッドによって作られたポップスの代表としてあげられているのがドナルド・フェイゲンだったので、ソウル・バーでの閃きはあながち間違いではなかったのだな……。

1970年代のいわゆるニュー・ソウルと呼ばれる人たちは、音楽的には商品としてめちゃくちゃに洗練されていながらも、むちゃくちゃに怒っている、というところが興味深く思われ、たとえばカーティス・メイフィールドのソロ一作目(1970年)では「Sisters! Niggers! Whities! Jews! Crackers! Don't worry, If there's a Hell below, we're all gonna go!」というシャウトからはじまり、これもまた音楽から感じられる20世紀の歴史のひとつであって、聴いていると20世紀のアメリカの歴史を、とくに人種問題の変遷から勉強したくなってくる。こうしたエモーショナルなメッセージを骨抜きにして、代わりにオリエンタルなものであったり、SF的なものを詰め込んだのがスティーリー・ダンだったのではなかろうか(妄言)。

ダニー・ハサウェイもまた怒りまくってるミュージシャンのひとりだったはずだが、なんかこの人は音楽的な深化の仕方がカーティス・メイフィールドやマーヴィン・ゲイなどとも違っていて、驚かされるばかりなのだった(1970年にデヴューして、1979年に33歳で自殺してしまう、というバイオグラフィーが切ない)。1973年、生前に出した最後のオリジナル・アルバムが『Extension of a Man』ですよ、訳したら「人間の拡張」で、なんかタイトルからしてギャラクティックな雰囲気が漂うんだけれども、一曲目からラヴェル & ガーシュイン風のフル・オーケストラ伴奏によるゴスペルから始まるんですから「これは拡張されている……!」と納得です。邦題は『愛と自由を求めて』なんだけれども、こっちのほうが説得力に欠ける気さえする。コーラスから、エレピのソロに入り、2曲目の「Someday We'll All Be Free(いつか自由に)」へと繋がる流れは、ちょっとスゴすぎるだろう……こんなスゴい音楽が世界に存在するとは、みたいに腰が抜ける。

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James Brown / Five Classic Albums plus Bonus Rare and Live Tracks

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Five Classic Albums Plus
Five Classic Albums Plus
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James Brown
Real Gone Jazz (2011-11-29)
売り上げランキング: 84494
しばらく前から大きなレコード店にいくと各アーティストごとの「過去の名盤詰め合わせ」ボックスみたいなのが驚くほどの安さで売っているのを見るようになった。タワーレコードだと5枚組で2000円とか、Amazonで買うと1500円ぐらいで、そのアーティストの代表作が一通り揃ってしまうんだから、中古盤をわざわざ探して一枚一枚揃えていくよりもずっと安く、手軽に音楽が聴けるのだからなんか恐ろしい感じさえする。歌詞やパーソネルが書かれた紙は省略されているとはいえ、そういうのはインターネットでも読めてしまうし、とくに自分が聴いたことのないジャンルの音楽を掘り起こしていくのには超絶的に便利。

今、タワーレコードのR&Bコーナーにいくとすごいですよ、そんなボックス・セットばっかり売っていて「こういうのも音楽の聴き方を変えてしまいそうだなあ」と思ったりする。「iPodとiTunesの登場によって、アルバム単位での音楽の聴き方が解体された」などと昨今の音楽聴取論では言われているけれども、別なところで違った「アルバム単位からアーティスト単位で聴く」という変化が起きている。2000円程度の出費で、あるアーティストの代表作が揃い「わかったような気分になる」のは、なにか邪悪な感じがしないでもないけれども、これってまるで新書を買って、お手軽に教養を身につけるのに感覚としては近い。それと同時に「20世紀の音楽はすっかり歴史になってしまったのだなあ」という感想も抱いてしまうのだけれども。

そんなわけでファンクの帝王、ジェームス・ブラウンの音源も1000円ぐらいで手に入ってしまうのだ……。「Five Classic Albums plus Bonus Rare and Live Tracks」は、59年から61年のあいだに出されたアルバム5枚に未CD化だった音源やライヴ音源をCD4枚にコンパイルした編集盤である。これはちょっとスゴいですよ。とくに4枚目は時代がちょっと飛んで70年代以降のライヴ音源になっているんだけれども、JB先生のバンドはもうバキバキにホットなファンク期に移行しきっており、1枚目から順番に聴いていくとビックリな流れができあがっています(この4枚目だけでも買って良かった感がある)。

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キリンジ / Super View

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SUPER VIEW (初回盤)
SUPER VIEW (初回盤)
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キリンジ
日本コロムビア (2012-11-07)
売り上げランキング: 45
先日、弟である堀込泰行の脱退(する予定)が発表された兄弟バンド、キリンジの新譜を聴く。これが9枚目のアルバムで、すでに10枚目のアルバムが予告されているんだけれども(これには弟は参加するそう)インディーズ・デビューから15周年だって。最初に聴いたのは、宮村優子のラジオで「牡牛座ラプソディ」が使われていたときだろうか。実のところ、真剣に聴き始めたのは2008年に出たベスト盤からで、その後にでた8枚目のオリジナル・アルバムは「うーん、なんか地味では……わるくはないんだけれど」という印象がありましたが、今回のアルバムを聴くと、なるほど、そういうことだったのか、と膝を打ちたくなる。前作は、それまでより軽みのあるポップス、しかし、骨太感は増大モードへ、という移行期だったのかなあ、と思います。

そしてその流れは今作にも受け継がれている。大都市郊外の閉塞的な感じから、もっと広がりのある世界に言っている感じ、というか、歌詞とかも「今度はなにをはじめたんだろう……」というぐらい自然のフレーズがでてくるし、月並みな表現ですが、気がついたらメロディを口ずさんでたりする楽曲が多いんだよなあ、「い〜つも〜、かわいい〜」とか。アート・ワークも含めてすごくユニークで魅力に満ちた作品に仕上がっていると思いました。なんか聴いているうちにどんどん好きになっていくな……。もしかしたらこのバンドって「エイリアンズ」であったり、「Drifter」であったり、ああいうザッと心を掻きむしっていく感じの曲を求められているのかもしれないけれど(そう言う意味では、先行で出ている配信シングル曲「祈れ呪うな」がそうした楽曲か。これはWilcoでのネルス・クラインみたいな音像のギターが最高で、遊びで暗喩で物語っていく感じも好きだ、風刺詩人の仕事っぽい)、そうじゃない、ネクスト・ステージに進んでる感じがする。そして、良い。

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マルセル・プルースト 『失われた時を求めて』(1)スワン家の方へI

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ベンヤミンを読んだりしていたらプルーストを読み返したいな〜、と思っていたんですが、さすがになかなか着手できず、しかし、その瞬間はいきなりやってくるわけで、ある休日の昼にオニオン・スープを作っているあいだ、パラパラと読み返していたら、もう完全に再読モードに入ってしまっていたのでした。この集英社文庫のヘリテージ・シリーズにこちらの鈴木訳がはいりはじめたのがまだ学生の時分、第13巻を読み終えたのはこのブログによれば2007年4月とあります。ひとまず第1巻を再読了!

例のごとく細部の記憶は一切ない状態での再読なんですけれど「え、こんなに面白かったっけ!?」と驚きながらページをめくり続けていたのは、私のほうの読み手としての変化もありつつ「ガッツリとした強烈な物語性みたいなものはない」ということを知っているからでもある気がします。個人的な趣味としては、こういうのって完全にストライク・ゾーンから外れるんですが、読んでいて気持ちよいテキストがページいっぱいに広がっているだけで楽しいですし、なにかひとつ、読み方が見つかるとすごく面白く読めるんだな、と思います。思い返すと初めて読んだときは「いま、俺はあのプルーストを読んでいるんだ!」と舞い上がっていて、ちゃんと読めていなかったような。

これだけ長いとホントにいろんな読み方があると思うんです。今回とても楽しく読めたのは、プルーストが描く細やかな人物描写でした。登場人物の趣味から性格からさまざまなことを語り手は分析し、批評するんですがその執拗な感じ、時にはまるで悪意でもあるのでは、という書きぶりがたまらなく良いのですね。例えば、語り手の祖母が、孫の部屋に美しい史跡や風景の写真を飾らせたいのに写真という機械による表現は通俗的だと考えて忌避した、とか、あるいは語り手の叔母に仕えていた女中が家庭にある医学書を読んで、その痛々しい描写に涙する、とか、ひとつひとつが小話みたいに面白い。

もちろん回想小説でもあるわけですから、そのまなざしが語り手自身に向けられることもあって、そこも良いんですよ。眠れない夜に母親が読み聞かせてくれたジョルジュ・サンドの小説は恋愛描写が全部省かれていた、でも、その省略によって小説のなかの登場人物たちの関係性の変化が神秘的なものとして理解された……とか。基本的には期待と幻滅の繰り返しがこの小説のライトモチーフのひとつだと思うんですが、これだけ妄想力があれば、そういう人生を送るわなあ……。

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Miles Davis / Doo-Bop

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Doo Bop
Doo Bop
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Miles Davis
Warner Bros / Wea (1993-05-31)
売り上げランキング: 7541
Twitterなどを見ていると時折「あれ、この人、こんなことを言う人だったかな?」と思う瞬間がある。年を取ったり、付き合っている人が変わったり、日々人間は変化していくものなので、同じ人がずっと同じ考えでいるわけはないとはいえ、それは長い時間をかけた連続性をもつ変化だから周囲も気がつかないことのほうが多い。大きな事件や事故で大きく人間性が変わるなら誰しもがその変化に気づく。インターネット上で「あれ?」と思うのは、なんか今この人は勢いに乗ってる感じがするな、なんだか有名になってきているな、というときの変化だったりする。

山形浩生さんが「フォロワー数で変わるツイッターのメディア性」という記事に書いている通り、インターネット上では、自分が好ましいと思う反応だけを取り出してしまうので、他人からの批判が耳に入らなくなり、自分の間違いに気づかなくなる、ということがある。それとは別に、そうした人気者が、自分のまわりに形成される取り巻きのようなものの期待に応えるためのアウトプットをしていることもあると思う。人気者が「こんなことを書いたら、読み手は喜ぶだろう」という予測に基づいてネタを吐き出す。それに対して、取り巻きが「いいね!」したり、星をつけたりする。それが一層、人気者の「周囲の期待に応えよう」という動機を強くする(しかもそのとき批判的な反応はザックリと消されてしまう)。そうするとひとつのサイクルのできあがりである。

承認欲求と承認にともなう快でまわる経済、とでも言うのか、この凄まじい循環から抜け出せる人はなかなかいらっしゃないようである。ただ、そうして人気者が変な方向にいき「あー、なんかこの人、最近、きっついな」と思ってきたら、私の方から見ないようにできるのがインターネットの特質でもあるから大した問題ではない。時折、風の便り的なもので聞こえ伝わってくる情報で「あ、まだあんな感じなのか……」と感慨深い感じになってしまうこともあるんだけれども。変なことにならずに、インターネットという道具を冷静に使える人気者の人は、長いスパンでの人気を維持しているようにも思う。

承認欲求はめちゃくちゃ強かったはずだが、周囲の期待とかはあんまり考えていなかったであろう、マイルス・デイヴィスは。リリース20周年だがとくに記念盤が出ているわけではない遺作『Doo-Bop』を聴く。アガパン期からの活動停止、からの復活以降マイルスについては、ちょっと……えーっと……みたいな感じであって、それは現在の松本人志のキツさとも重なるのだが、とにかく、キーボードの音色がヤバいのと、ブート盤で聴いたライヴでのマイルスのラッパが泣けるほどのヨレヨレであって、音がカスカスの「Human Nature」が半ばトラウマになっている。とはいえ「果たして復活以降のマイルスに再評価はくるのか?」と常日頃思っていたのだが、これは良かった。カッコ良い。 もしかしたら時期的に今一番カッコ良いマイルスのアルバムは『Doo-Bop』であるのかもしれない。

マイルスは死ぬ間際にヒップ・ホップにいった、最後まで革新をやめないスゴいミュージシャンだ、マイルスはエラい、スゴい、よっ、帝王、というのがこのアルバムに対する世間的な評価である。なんでも、ある夏の日、マイルスがマンションのドアをあけていたらストリートの音が部屋に入ってきて、彼はこのアルバムでそのストリートのサウンドを表現しようと思ったんだって。しかし、これが90年代初頭のストリートの音なのか。マイルスが亡くなった1991年、日本はバブル末期、ソ連崩壊、俺6歳となんかスゴい年だが、ヒップ・ホップというよりも、広い意味でブラック・コンテポラリーを指向しているようにも思われ、それがイージー・モー・ビーの趣味によるものなのか、ジャズとヒップ・ホップをあわせたらこうならざるをえなかったのか、よくわからないが、強烈に夜っぽい印象が残る不思議な魅力のアルバムだ。

それにしても、マイルスのアルバムを自覚的に聴くようになってもう10年ぐらい経っているんだが、まだ掘るところがある、まだ驚かされる部分がある、っていうのはホントにすごいと思いますよ……。

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Yes / Relayer

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Relayer
Relayer
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Yes
Elektra / Wea (2003-08-25)
売り上げランキング: 32532
いまだ金曜日の夜にtdさんとの天狗ブチ上がりナイトでの話を反芻してほくそ笑みながら過ごす日々である。「天狗」といっても我々が天狗になって調子の良いことを言っていたわけではなく、居酒屋チェーンの天狗でブチ上がった、という話であって、なぜ、こんなにも「天狗」なのか、についてはこちらのエントリーを参照されたい。読めば貴方も必殺のサイコロ・ステーキをオーダーしに天狗へ向かいたくなるはずだ。そしてどなたか、仙台に天狗を再出店してください(その際、喜び勇んで新幹線で仙台に参ります)。

ところで、ダッシュボードに白いファーを装備しているワゴンRは都内周辺だとあまり見ないものなのか(車とあまり縁のない生活をしているからなのか、余計に見ないような気がする)。いわゆるヤンキー文化の象徴ともいえる車両だが、私も地元・福島では馴染み深いものだったため、なんというか「郊外文化の象徴」、「田舎文化の象徴」みたいな形で言葉として使っていたのであるが、tdさんは「それはウチのほうじゃ冗談じゃないから」とおっしゃられていた。詳しく聞けば、リア・ウィンドウのスモーク、シャネル・マークのカッティング・シート、アパートから出てくるのは上下グレーのスウェット姿・キティちゃんのサンダル姿の若いお母さん……それらのイメージの中心にダッシュボードに白いファーを装備しているワゴンRが鎮座ましますヤンキー文化の曼荼羅が脳裏に浮かび上がる。

驚いたのは、いまだに浜崎あゆみのあの「π」みたいなマークを貼付けている車がある、という話で、やはりその文化圏ではアユさんは根強いアイコンであるのだな、と感心してしまった。「文化圏」といえば、マイルドな言い方に聞こえるが、要は階層の話である。親から子どもに引き継がれるのは金銭的な財産だけではなく、教養や教育などの文化資本も同様であって、そんななかで格差は助長されるのだ〜、みたいな話をしていたのはブルデューだったはずだけれど、もうあまり覚えていない。そのアユさんのアイコンも曖昧な記憶のなかのブルデューの言葉を借りれば、その階層のなかで再生産され続けている、ということであろう。私が福島の地元にいた頃(およそ10年前)に見たものが、あり続けている、とは。その階層のなかで文化資本が独自の経済圏を築いているのでは……。

とか言っていると「そう言う人たちをバカにしているのでしょう」という風にすぐ怒られてしまうのだけれども、そういうつもりではなく、社会的なものをマジマジと見せつけられる瞬間に、自分が生きている社会というものを実感するからマジマジと見てしまう、という感じなので、他意はございません。

さて、引き続き回顧モードであるため、イエスの『リレイヤー』を聴いていた。74年に発表され、リック・ウェイクマンが脱退後、後釜としてバンドに加入したパトリック・モラーツが唯一参加したアルバムとして有名なアルバムであり、というか、そればかりが言及されるので音楽的な面はそんなに注目されていない可哀想な作品であると思う。いや、久しぶりに聴いてビックリしましたね。20分越えの超長曲 + 10分程度の長曲2曲という構成は『危機』に連なるものとしても、こんなに尖ったアルバムだったのか、と。

スティーヴ・ハウのギターなど、このバンドのディスコグラフィーのなかでも最高潮にアグレッシヴ、アナーキーでさえあり、まるで何かに焦っているようである。このひとつ前の『海洋地形学の物語』がLPで言うと1面1曲で4曲2枚組という恐竜的アルバムであり、プログレが急速にダメになる瞬間を捉えたものだったからなのか。パトリック・モラーツのキーボードのキレキレ感に煽られたものなのか。SE的に挿入されるシンセサイザーの音も、ズギャアアァァンとか、ドルドルドル……!とか、グォォオオオとかほとんど『バオー来訪者』の世界だ。リック・ウェイクマンの後任にはヴァンゲリスも候補にあったというけれど、ヴァンゲリスでは決してこんな感じにはならなかっただろう。逆にヴァンゲリスが加入していたら、その後のイエスがニューエイジ先取りのようになり、プログレ不遇の時代も乗り越えてしまって「ロンリーハート」も生まれなかったのでは……(ジャン! ドリロルロルン!)

回顧モードもイエスまで遡れば回顧しきった感がある。これより前は北欧のスピード・メタルとかボンジョヴィだとかになるのでこれ以降は黒歴史におけるロスト・マウンテンとしておきたい。手元にある『リレイヤー』のCDも通っていた塾の先生に借りたものな気がしてきた。

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Otto Klemperer, Philharmonia Orchestra / Georg Friedrich Händel: Messiah

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ヘンデル:オラトリオ「メサイア」
クレンペラー(オットー) シュワルツコップ(エリザベート) ホフマン(グレース) ハインズ(ジェローム) ゲッタ(ニコライ) フィルハーモニア合唱団
EMIミュージック・ジャパン (2007-12-26)
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(音楽ブログ復権キャンペーンの一巻として、無造作にエントリーを書きまくっています)

そういえば先日のAOBA NU NOISEだが、このイベントの主催であるkamadaくんは無類のテキーラ好きであり、イベントともなればボトルを一本お店に入れて、メーンに振る舞ったりしたあげく、明け方の宇田川町でキャタピラーのように丸まっていたりするナイスガイである。彼に記憶があったかどうかは不明だが、アルゼンチン人と飲み比べても負けないという芋煮ファンクの申し子であるから、なにも問題がなかったのだろうと思う。さて、この振る舞いテキーラ、私もいただいていたわけだが、その晩から常日頃溜め込んでいたテキーラ欲みたいなものが再臨界してしまったらしく、自宅にもボトルを一本買い込んでしまったのだった。

あいにく我が家にはレモンがなかったので、塩を舐めては、ショット・グラスに注いだ黄金の液体をクイッ、と煽ったり、またはビールで割ってみたり、と男らしい飲み方をしていたのだが、飲めば飲むほど魂の奥底に潜めた獣性が雄叫びをあげ、現世に転生する何回前かの人生において自分はアリマッチだったハズだ、というヴィジョンを感覚として理解できる。さきほどネットで調べたら、トマトジュース、そしてテキーラを順に口のなかに含み、口内でシェイクしたうえに飲む、という飲み方もある、と知って試してみたのだが、これは無限にテキーラが消費されてしまうのではないか、という魔界じみた飲み方であった。健康にも良さそうだが、歯茎からアルコールが回ってくる感じがして、人間のダメになりかたも激しそうだ。

そんなテキーラとはまったく関係なく、ヘンデルのオラトリオ《メサイア》を聴いていた。大バッハと同じ年に生まれたドイツ人作曲家で、主にイギリスで活動していたバロック音楽の代表的作曲家の人の大作である。ハレルヤ・コーラスが入っていることでとても有名な楽曲だが、全曲聴いたことがある、という人はクラシック・ファンでなければいらっしゃらないであろう。私が通っていた大学では、毎年大学のオーケストラがクリスマスの時期に演奏していたが(英国国教会系の大学であったため)、その当時、キリスト教文化的なものにあまり興味もなかったし、大学自体が嫌いだったため、学生時代はフルで聴く機会を常に逃していた。それをちょっとだけ後悔したくなるような大名曲であって、これをヤラれたら、感動してしまうよなあ、と思う。大バッハの《マタイ受難曲》と並んで一大宗教絵巻、とでも言えようか。ここぞというときに使用されるフーガもキマりまくっており、ラストのアーメン・コーラスなんか、ほとんど霊感が極まりすぎて別次元にいっている音楽だと思う。

演奏はオットー・クレンペラーの1964年の録音。こういうのを聴いていると、なんだか典型的なクラシック・オタクっぽい感じの、王道を進んでいるなあ、という感じがするが、王道の何が悪い! と吠えたくなるほどに良い。大時代的、という表現がよく似合う、暑苦しいほどに荘厳な世界ができあがっている。ブラームスの《ドイツ・レクイエム》といい、ベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》や交響曲第9番といい、合唱を含んだ楽曲におけるクレンペラーの巨大な音楽の作り方は、なんなのだろうか。性的なスキャンダルや奇天烈なエピソードに溢れた人が、こういう音楽をやってしまうのだから……私もテキーラを飲み続けてそういう境地にたどり着ければ良いのだが……。

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Stevie Wonder / Classic Album Selection 1972 - 1976

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Classic Album Selection
Classic Album Selection
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Stevie Wonder
Universal (2011-12-13)
売り上げランキング: 96319
インターネットを通じた濃い付き合いと言えば、ここ2年ぐらいのあいだはHiro Hiraiさんクニ坂本さんを中心とした思想史・科学史の研究者の人たちと懇意にさせていただいているのだった(もともとはアダム高橋さんとの息の長い交流もあるわけだけれど)。そのなかで、Hiroさんは研究領域での仕事ぶりも恐れ入るところであるけれども、ソウル・ミュージック・フリークでもあって、今年の夏にシンポジウムや特別講義で来日した際の打ち上げの第X次回、下北沢のソウル・バーで一緒に飲んでいて、私のなかの眠っていたなにかを開眼させてくれた方なのでもあった。そういうわけで今年の夏は、それまでブラジル音楽ばかり聴いていた個人的流行が一区切りついて、スティーヴィー・ワンダーやカーティス・メイフィールドの音楽ばかり聴いていた。

私の根幹にはクラシックと、それからプログレという「白い音楽」があり、こうしたザ・ブラック・ミュージックについては門外漢(ジャズは聴いていたけれども)だったため、スティーヴィー・ワンダーをマジで聴いたときの、衝撃と言ったらなかった。なるほど、AORというものは、こういうのを白人が頑張ってやろうとした結果、ああいう感じになったのか、とも思ったし、マルチ・プレイヤーっぷりであったり、アレンジのスゴさであったり、また、音楽的な要素の多彩さであったり、これまで缶コーヒー「Fire」のCMや、マイケル・ジャクソンの「We are the World」でのイメージしかなくてスミマセンでした、と深く反省している。なんか良い人のイメージあったんですけれども(それは障碍者は頑張ってる、とか、障碍者はみんな良い人、という非常に問題のあるステレオタイプにも起因する)、こんなスゴい音楽を作る人は、地軸がズレた11次元宇宙から来た人間なのでは、と思わなくもない。そりゃあ、Yoshikiも誕生日で倒れるわ。

この『Classic Album Selection』は、最高傑作として評価されている1976年の2枚組大作『Songs in the Key of Life』を含む1972年からの4枚のアルバムを収録したボックス・セット。よくもこう連続で傑作群をリリースできたな、と驚くべき軌跡を記録したモノである。実はその最高傑作との呼び声高い『Songs in the Key of Life』は、内容の多彩さがあまりにスゴすぎ、詰め込み過ぎじゃないか、と思ってしまい、そんなに聴けてないんですけれども(ザッパのごとき、むちゃくちゃなハイテク・フュージョンである『Contusion』のあとに『Sir Duke』が入ってたりするんスよ、狂気!)、それ以前のアルバムはまとまりといい、聴いていて本当になんか良い気持ちになってしまうリラクシンなヴァイヴスと、血が滾る熱さが同居してる傑作感が全快なのだった。とくにスティーヴィー自身が叩いてるドラム、あれはなんか麻薬的なグルーヴがある。

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