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8月, 2011の投稿を表示しています

ジャン=リュック・ゴダール監督作品 『アルファヴィル』

アルファヴィル [DVD] posted with amazlet at 11.08.29 アイ・ヴィ・シー (2005-08-26) 売り上げランキング: 86855 Amazon.co.jp で詳細を見る なんとなく映画の気分になって旧作をいろいろと借りる祭その5。またもやゴダールで今度こそ面白くないんじゃないか、と思いきや、またもや普通に面白かったので良かった。コンピューターによってすべてが管理され非論理的なものが排除された未来都市、アルファヴィルへと送り込まれたエージェントが洗脳された美女を助けたり、街へと人間性を回復させたり、と活躍する! みたいなあらすじのSFでした。今だったら偏差値高めなSF好きの高校生が書きそうな話ですが『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の元ネタみたいでしたし、まったく緊迫感のないカーチェイスや、IBMのテープ装置がついたコンピューターやインパクト式プリンターなど、まったりとした見所がたくさんあって良かったです。萌え、という言葉が一般的に流通して久しいですけれども、ここにきて萌えとはこういうのを慈しむ感情ではないか、と思いました。菊地成孔が各所で指摘している、ゴダール作品における音楽のあり方もこの作品では嫌というほど味わえる(途中でプレーヤーが壊れたかと思った)。ベルクソンの術語が登場するのは微妙に物語に関係しているから良いとして、アインシュタインの有名な関係式E=mc²が何度も挿入されるのはよくわからん! いきなりエリュアールを引用されてもよくわからん! と随所にハッタリっぽいサムシングが含まれていて、その辺もちょっと中2感でちゃったりしてるところも良いです。チャンドラー読んでたり、アメリカのポップ文化をネタにしてたりとかもそうなんだけれども、この辺は《時代の気分》だったりするんでしょうか。否応無しにピンチョンを思い出してしまうのですが『アルファヴィル』が1965年、ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』が1966年ですからねえ。 この時代の未来やテクノロジーに対する想像力についてもうかがえるのも興味深いです。「機械 VS 人間」といったところでは『2001年宇宙の旅』ですけれども、改めて「あれが1968年の映画なのかあ……」と驚かされたりもしました。

菊地成孔・大谷能生 『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究』(上)

M/D 上---マイルス・デューイ・デイヴィス3世研究 (河出文庫) posted with amazlet at 11.08.28 菊地 成孔 大谷 能生 河出書房新社 売り上げランキング: 8705 Amazon.co.jp で詳細を見る 菊地・大谷のコンビによる「擬史としてのジャズ研究」シリーズのうち、最もハードコアな内容を持ちながら、高価でマッシヴなヴォリュームのせいかなかなか読まれずに出版社が倒産……という憂き目にあっていたという『M/D』が文庫化。上巻はマイルスの誕生から、第二期黄金クインテットの末期ぐらいまでを音楽理論、服飾文化論、精神分析、音楽産業論などから分野横断的に語りまくったモノとなっています。 なかでも特筆すべきはマイルスによる楽曲「Solar」のリディアン・クロマティック・コンセプトと、ラング・メソッド(いずれもポスト・パークリー・メソッド的な音楽理論)による楽曲分析の併置でしょう。ここはかなり専門的な内容で、ほとんど意味がわからないのですが(三度の音が……とか超基本的な楽典の部分はかろうじて)ひとつの楽曲からほとんど別物の語りが生まれてくる、という事実が目のあたりにできるわけで、「楽理に基づいた音楽批評」の可能性、というか、さまざまなあり方を見ることができるのが面白いと思いました。「聴取感」をどのような術語に落とし込んでいるのか、について確認していくだけでもかなり興味深いのですね。『憂鬱と官能を教えた学校』や『東京大学のアルバート・アイラー』などではかなりカルトっぽい扱いをされているリディアン・クロマティック・コンセプトも、各スケールが《引力》をもっていて、それによって音の《遠さ》や《近さ》が決まってくる、みたいな説明のところは、身体的にしっくり来てしまうのかもしれない、と思います。 文庫化にあたってボーナストラックは中山康樹との鼎談が収録されていて、10年でのマイルス研究の進展とその要因、またマイルスにとってヒップ・ホップとはなんだったか、などが語られています。この部分も面白かったです。とくに晶文社や『スイングジャーナル』の消滅が、マイルス研究、ひいてはジャズ批評を活発化した、というのはなるほど! という点です。「サラリーマンが趣味でジャズを聴いてコーヒー飲みながら『スイングジャーナル』を読むと、自分の想定内の教養のなかでわかりやすく

ジョン・カサヴェテス監督作品 『グロリア』

グロリア [DVD] posted with amazlet at 11.08.28 ソニー・ピクチャーズエンタテインメント (2007-04-04) 売り上げランキング: 74893 Amazon.co.jp で詳細を見る なんとなく映画の気分になって旧作をいろいろと借りる祭その4。ギャングに見せしめで虐殺された家族の生き残りの少年と中年のおばさん(ジーナ・ローランズ)がニューヨークを逃げまどいながら、情を深めあっていく……と、あ、『レオン』の元ネタってこれかい、というような作品なのだが、腰が抜けるほど面白かったです。冒頭では、ジーナ・ローランズがどういう人間なのかわからない。派手な服を着ているので高級娼婦かなにかか? と勘ぐらせるんですけれど、途中でドーンとよくわからんがスゴい女性だ、ということが判明。えー、なにそれ、カッコ良すぎでしょ、と大変驚きました。ビル・コンティ(『ロッキー』の曲も書いてる人)によるメイン・テーマのスコアも「ジャズ + モリコーネ」みたい。例によって子役は、懐かないし、クソ生意気なガキ、という設定なので冒頭のヤバいシーンなどでは結構イライラさせられるんですが、ハラハラと画面を注視してしまうような煽りの演出が絶妙だからなんでしょうね。「バカ、お前なにやってるんだ!」みたいに画面と会話したくなる……。

ジャン=リュック・ゴダール監督作品 『勝手にしやがれ』

勝手にしやがれ [DVD] posted with amazlet at 11.08.27 ジェネオン・ユニバーサル (2011-11-02) 売り上げランキング: 2487 Amazon.co.jp で詳細を見る なんとなく映画の気分になって旧作をいろいろと借りる祭その3。初ゴダールがゴダール初の長編作品。学生時代からの友人に熱心に映画を観ているのがいて「ゴダールはアレだ……」と脅されてきたのだが、ちゃんと面白く観れたので良かった。59年の作品だから当時、ゴダールは29歳、主演のジャン=ポール・ベルモンドは26歳(大体、今の私と同じ年代なのですね)。エネルギーに溢れた作品であるなあ、というのが率直な感想で、劇中での主人公の年齢はわからないけれども、あー、こういう力の使い方もありなのかー、とか思ったりした。いや、ないか……今の年であんな感じだったらかなり恥ずかしいな……。というわけで、出会った時が悪かった(?)と思うのだけれども、これは観る時期によっては若さという病気を拗らせる魔力を持ち得るであろう映画なんでしょうねえ、最後のセリフで寺山修司のエッセイに『勝手にしやがれ』が登場していたことを思い出しました。

冨永昌敬監督作品 『乱暴と待機』

乱暴と待機(初回限定版) [DVD] posted with amazlet at 11.08.27 キングレコード (2011-05-11) 売り上げランキング: 23412 Amazon.co.jp で詳細を見る なんとなく映画の気分になって旧作をいろいろと借りる祭その2。冨永昌敬の長編は怪作『パビリオン山椒魚』(天才レントゲン技師! サラマンドル・キンジロー財団! 第二農協!)から私のツボにハマりっぱなしなんですが、この『乱暴と待機』は気がついたら劇場公開が終わっていて観れていませんでした。原作は本谷有希子ですが、どこまでが冨永昌敬のセンスでどこまでが本谷有希子のセンスなのか、原作を読んでないので分かりません。前作『パンドラの匣』(太宰治)も「こんな変なセリフ、原作にあったっけ!? 《盛ってる》だろ!」と思って調べてみると、ちゃんと原作通りだったりして。今回も相当むちゃくちゃな映画だな……と思って爆笑しながら観たのですが、テンションは『パンドラの匣』や『パビリオン山椒魚』のほうが良かったかも。もう浅野忠信の第一声から笑ってしまいましたが、この映画はとにかく浅野忠信の怪演が光る。ずっとああいうしゃべり方の役をやっていて欲しいぐらい。「カセットテープの趣味が高じて、カセットテープ関連の会社を設立した」、「治った」(浅野)、「そういうところは積極的に麻痺していこうよ~」(これは山田孝之)などのセリフは名言も頻発しています。このフィクションの都合の良さを拒絶してしまう人も多そうですが、私は大好き。お話としては結構オーソドックスなものなのに、どうしてこんなに「変」なのか。そして小池栄子の顔を見るたびに、パイプ椅子で殴られている人の映像が脳内で自動再生されてしまう呪縛はいつ解けるのか。

M・ナイト・シャマラン監督作品 『サイン』

サイン [DVD] posted with amazlet at 11.08.27 ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント (2006-01-25) 売り上げランキング: 38858 Amazon.co.jp で詳細を見る なんとなく映画の気分になって旧作をいろいろと借りる祭。シャマランの作品を劇場でリアルタイムで見始めたのは『ハプニング』からで、そこからガッツリハマってしまったのだけれども(その後が『エアベンダー』でグハッという感じなのだが)『サイン』をようやく見て、一層「シャマランの世界ってこういう感じだよなあ」という具体的なイメージがつかめた気がします。ちゃんと怖いし、ちゃんと笑えるし、泣けたし、そして本人も出てるし……で最高です。 で、この作品で明確だったのは神学的な対立で。主人公のメル・ギブソンは元牧師、という設定なのでキリスト教のモチーフが含まれているぞ、ということは冒頭から臭わす作りなのですが、彼のセリフにあるとおり「神によって人間は見守られているか」それとも「人間はひとりで生きていくか」という問いかけは、世界を動かしているのは神なのか(主知主義)、それとも意思によってなのか(主意主義)という対立そのままです。この主知主義と主意主義の対立自体、思想史的に言えばプラトン対アリストテレスぐらいまで遡ることができますので、なにもキリスト教に限った話ではないわけですが、いろいろあって神を捨ててしまった男であるメル・ギブソンは、主意主義者として振る舞う。しかし、さまざまな恐怖を乗り越える過程で、さまざまな幸運(偶然)と出会い、自らの意思を超越して自分の人生に影響をあたえるものの存在を信じざるを得なくなる。最終的にメル・ギブソンは信仰を再びもてるようになるのですが、それは単に神への感謝、というだけではなく、神に対する畏敬も含まれている。こうした意思や理解を超えて存在するものに対する感謝と畏敬は、作中の恐怖の対象(これもまた自らの意思や理解を超えたものであります)と対称的と言えるかもしれません。これが『ハプニング』の場合ですと、自らの意思や理解を超えた恐怖の謎が最後まで解き明かされないままとなり、理解を超えた何かによって何かが引き起こされている、ということがそのまま主知主義へと接続されていくように思います。 (以上の訂正線部について、思想史プロパーの方からツッ

尹伊桑の芸術 Vol.6

尹伊桑の芸術Vol.6【室内楽曲 I】 posted with amazlet at 11.08.26 オムニバス(クラシック) (株)カメラータ・トウキョウ (2009-11-10) 売り上げランキング: 3950 Amazon.co.jp で詳細を見る 嫌韓かまびすしい昨今において韓国出身の作曲家の作品などを聴いていたら、デモなどに熱心なテレビ大好きな方々(右翼、とは違ってただ単になんとなく気に食わないからギャアギャアと騒いぐ赤ん坊的なメンタリティを持っているように端からは見える)に刺されるかもしれませんが(いや、おそらくテレビが大好きな人はこのブログなんか読んでないので平気であろう)2009年にカメラータ・トウキョウから『尹伊桑の芸術』と題するCDシリーズが出ていたことを知り「これは聴かねば!」と意気込んでいる今日この頃でございます。尹伊桑(ユン・イサン 1917-1995)は前述のとおり韓国出身の国際的にも活躍した作曲家。その活動規模は武満徹と並んで、東洋を代表する作曲家だった、と言っても過言ではありません。彼の波乱に満ちた生涯については各自お調べいただくとして、彼がベルリンで教鞭を取っていたときに現在国内外で活躍する日本人作曲家を指導していた、という事実は注目するポイントだと言えましょう。細川俊夫も三輪眞弘も尹伊桑の弟子でした。 全9枚のラインナップについては こちら をご覧ください。1~3枚目の「管弦楽曲」は80年代に入ってからの交響曲を中心にしたもので、私は別なレーベルから出ている交響曲全集をすでに持っていたため、6枚目の「室内楽」から攻めています。収録曲は以下。 洛陽(ローヤン)~室内アンサンブルのための(1962/64) ピース・コンチェルタンテ~室内アンサンブルのための(1976) サロモ~アルト・フルートのための(1978) 箜篌~(コンフ)ハープと弦楽合奏のための(1984) バランスのために~ハープ・ソロのための(1987) なお、 《コンフ》はナクソスから出ているCDでも聴くことができます 。「東洋の響きと西洋の響きとの融合」というテーゼは東洋に生まれたいろんな作曲家が掲げていますが、尹伊桑もまたそのひとり。80年代に入るとその楽想は一気にロマンティックで平明な方向へと流れるのですが(しかし、ベタに東洋感を煽るのではなく非常に洒脱な響き

イェイツの『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統』を読む(原書で) #4

Giordano Bruno and the Hermetic Tradition (Routledge Classics) posted with amazlet at 11.08.12 Frances Yates Routledge 売り上げランキング: 36713 Amazon.co.jp で詳細を見る 時代はようやくルネサンスに移ります。お話は1460年ごろ、マケドニアの僧侶によってフィレンツェのコジモ・デ・メディチのもとへとギリシャ語のヘルメス文書の写本が持ち込まれるところから始まります。コジモは、各地に使いを派遣してヘルメスに関するものを集めるよう命じていたのです。このとき彼のもとに届いたのがヘルメス文書全15巻のうちの14巻、最後1巻だけはなかったそうです。当時すでに彼のもとにはプラトンの写本が揃えられていたそうですが、それはまだギリシャ語からラテン語へと翻訳されていない状態でした。コジモは、ヘルメス文書を手に入れるとすぐにマルシリオ・フィチーノに翻訳を命じます。プラトンよりも優先してヘルメスだ、とコジモはフィチーノに手紙を送っているそうです。当時のフィレンツェがビザンツ帝国からやってきた学者がもたらした文書などによって、ギリシャ哲学を研究する格好の場となっており、フィチーノもその恩恵にあずかりながらフィレンツェにおけるギリシャ哲学研究を牽引し、重要な翻訳者となっていた、というのも大変興味深いですね。 フィチーノによるヘルメス文書の翻訳は数ヶ月で終わったそうで、コジモは1464年に死んでしまうのには間に合ったようです。それからフィチーノはプラトンの翻訳に取り組みはじめます。しかし、どうしてコジモはヘルメスをこんなにも重要視したのでしょうか。この理由についてイェイツは、初期キリスト教の教父たちと同様に、コジモもまたヘルメスがプラトンたちに先立つエジプトの賢者である、と信じていたからだ、と言っています。「ルネサンスは第一により古いもの、より遠いものに敬意を払った。古ければ古いほど、遠ければ遠いほど、神の真理を近づく、というように」というわけです。フィチーノもまたコジモに捧げたこの翻訳を古代エジプトの叡智を明らかにする素晴らしい発見である、と考えていました。また彼はこの翻訳の序文に「ヘルメスは最初の神学者である」というような序文を加えていました。この序文は

イェイツの『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統』を読む(原書で) #3

Giordano Bruno and the Hermetic Tradition (Routledge Classics) posted with amazlet at 11.08.12 Frances Yates Routledge 売り上げランキング: 36713 Amazon.co.jp で詳細を見る 今回は、第1章の続き「初期キリスト教の教父たちはヘルメス・トリスメギストスをどのように扱っていたのか」について語っている部分からはじめます。イェイツは3世紀のラクタンティウスによって書かれたものと、4世紀のアウグスティヌスによって書かれたものをとりあげています。まずはラクタンティウスについて。ヘルメスという人物がたくさんの書物を残した偉大なエジプトの賢者である、という認識が生まれていたということについては前回見たとおりです。彼もまたこの認識を継承していて『信教提要(Institutes)』という本ではヘルメスについて何度も言及していたようです。彼はヘルメスを異教徒に対してキリスト教の真理を伝えるために有効なものとして考えたんだとか。 ラクタンティウスは『アスクレピウス』のなかにある「神の息子」という表現に着目し、神をキリスト教のように「父親」として捉え、キリストの到来を予言するものとして解釈していました。しかし、実際にはこの「神の息子」という表現はデミウルゴス(プラトンの『ティマイオス』にも出てくる言葉です。元来は『製作者』的な意味で『ティマイオス』においては世界を想像したものを指し示す言葉として扱われる)を表したものだったそうです。つまりは、ここでも誤読が発生しているのですね。また、この「神の息子」という言葉は『アスクレピウス』だけでなく『ポイマンドレス』という本でも登場し、そこでは世界を想像するための言葉を指し示す言葉という風になっている。こうした解釈によってラクタンティウスは、ヘルメスをキリストの到来を予言するものと見なしていた、とイェイツは言います。もともとこのラクタンティウスは異教徒に対して厳しく、偶像崇拝を批難し、また悪魔というものも堕天使たちによる魔法によって遣わされたものだ、という風に考えていたのですが、ヘルメスだけは特別だったようですね。キリスト教徒であり続けることを願ったルネサンスの魔術師たちがラクタンティウスを好ましい教父と考えたのも、

イェイツの『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統』を読む(原書で) #2

Giordano Bruno and the Hermetic Tradition (Routledge Classics) posted with amazlet at 11.08.12 Frances Yates Routledge 売り上げランキング: 36713 Amazon.co.jp で詳細を見る さて、予告どおり今回は本文に入りまして第1章「ヘルメス・トリスメギストス(Hermes Trismegistus)」について見ていきましょう。この章ではヘルメス・トリスメギストスとは何者か、どんなことをした人物なのか、そしてこの人物がルネサンス期までに西欧においてどのように扱われてきたのか、についてまとめられています。その前置きとしてイェイツは、ルネサンスとは一体どのような価値観の運動だったのか、について触れている。イェイツは、歴史の発展とはつねに過去を振り返ることで前進していくものである(そこでは原始的な生物がいきなり劇的に進化する、みたいなことはおこらない)、という風に言っているのですが、これはルネサンスという運動にも当てはまるのです。古いものは良いものだ、大昔は自分たちよりも人間味が溢れていたんだねえ……と昔のテキストを再評価し、自分たちの発展を生み出していく、みたいなね。 こうした価値観にもとづく運動は、ルネサンスの魔術師たちにも言えることでした。彼らは初期キリスト教の書物に立ち返ったりして「魔術の本当の黄金期」を復興しようとしたんだそう。彼らが参照した書物は、実際には2, 3世紀に書かれたものであり、その辺の認識は間違っていたらしいんだけど、その初期キリスト教の教義にはグノーシス派的なギリシャ哲学の影響があったりしたんだと。ルネサンスの魔術師は、エジプトの叡智やらヘブライの預言者、プラトンとかギリシャ哲学に立ち返ったわけではなかったのだけれども、色々と影響はあったみたい。 さて、ここからヘルメスについてのお話のはじまり。エジプトの神さまであるトート神は知恵を司る神さまであってギリシャ人からはヘルメスと同一視され「三重に偉大」というあだ名をつけられていた。これがローマ時代に入るとヘルメスとメルクリウスとトートが同一視され始める。キケロの『神々の本性について(De natura deorum)』によれば、メルクリウスは5人いて、その5人目がアルゴスを打

サントリー サマーフェスティバル2011〈Music Today〉〈映像と音楽〉管弦楽 @サントリーホール 大ホール

アルノルト・シェーンベルク:映画の一場面への伴奏音楽(音楽のみ、1929-30) アンドレイ・フルジャノフスキー(映像) × アルフレート・シュニトケ:グラス・ハーモニカ(1968年)(35mmフィルム、カラー)映像・世界初公開、音楽・日本初演 ビル・ヴィオラ(映像) × エドガー・ヴァレーズ:砂漠 15人奏者、打楽器奏者とテープのための(1994年製作、1950-54作曲)(35mmフィルム、カラー)映像・日本初公開 指揮:秋山和慶 管弦楽:東京交響楽団 サントリー・ホール夏の恒例となっている現代音楽祭「サマーフェスティバル」。本年のテーマのひとつは「映像と音楽」、そのオープニング・コンサートに足を運んだ。本日のプログラムには、架空の映画のために作られた映画音楽(シェーンベルク)、映像と音楽を共同作業で制作したが《時代》によって公開されなかった作品(フルジャノフスキー × シュニトケ)、既存の音楽に映像をつけた作品(ビル・ヴィオラ × ヴァレーズ)とそれぞれ性格が異なるものが並んでいる。生のオーケストラの演奏自体、視覚的コンテンツ性が高いものであると思うし、映像と音楽の食い合わせ、についても議論になるところだろう。全面的に大賛成、最高、と賛辞できる内容ではなかったがさまざまな問題提起を投げかける好企画であったと思う。 まずはシェーンベルクの作品。かなり珍しい曲だったと思うが、演奏のクオリティにちょっとした疑問が生じてしまい、単に珍曲披露で終わってしまった感がある。そもそもの編成的な問題があり音量の物足りなさがあって余計にパッとしない印象を持った。前述の通りこの曲は架空の映画のために書かれた音楽。後世になってストローブ=ユイレがこの作品に「社会性の強い映像」をつけたと言うが、この12音技法によって書かれた不穏な響きを持つ作品が、「社会性」へと接続されることはいささか短絡的なものに思える(その映像を未見の状態で述べる意見ではないが)。今日の耳では非常にロマンティックな作品としても聴くことができるだろうし(《室内交響曲第1番》の響きを想起させられた)、自身でも絵筆を取り、画家との交流もあったシェーンベルクがどのようなイメージを音楽に与えていたのか。それを再構成するような映像が今日の場で与えられても良かったのではないか。 そしてフルジャノフスキー × シュニトケのアニメー

立川談志 『人生、成り行き 談志一代記』

人生、成り行き―談志一代記 (新潮文庫) posted with amazlet at 11.08.21 立川 談志 吉川 潮 新潮社 売り上げランキング: 42769 Amazon.co.jp で詳細を見る 立川談春の『赤めだか』 *1 が話題書となったのもかなり以前のこと、という気もしますが、弟子の本があれだけ面白いのだから立川流の家元の本はさらに面白いのだろう……、と思いきや、これはちょっと拍子抜け。それもこれも聞き手の「演芸評論家」、吉川潮という人物が悪い。談志の語り口は猛スピードで駆け抜けていく、荒馬のようなあの調子が文面からも伝わってくるのですが、合間にはいる聞き手のヨイショや相づちにまったくリズム感がなく、これは本当に残念な本だと思います。とくに落語協会分裂騒動のあたり。聞き手は、あの事件の真相はどうだったのか、などとゴシップ的なところを突っ込もうとするのですが、そんなこと果たして誰のためになるのでしょうか? 演芸評論家を名乗るのであれば、もう少し、落語によった話を聞いたら良いのでは? と端的に思いました。元は『小説新潮』に掲載された連載から本になったものだそうですが、連載当時だって談志は70歳を超えて「人生の整理にかかっている」時期だったわけです。それが、半分近く、議員時代や騒動のネタばらしに時間が裂かれていて良かったのでしょうか。また、この評論家の先生の嫌なところといえば「自分は《分かっている》が、ほかの客は単にきどっているだけでなにも《分かっていない》」という高慢な態度が各所に見えるところです。これは本当にヒドい本だと思う。談志のブランドだけで文庫化までされている、という感じで、本の内容は弟子の『赤めだか』のほうがずっと面白い。 読んでいて面白いのは、談志が志ん朝に真打昇進を抜かされる直前までぐらいの話まででしょう。ここは戦時中に生まれて、芸の道へと進み、才能を開花させていくまでのビルドゥングロマンス的な語りが聞き手の邪魔無しで記録されている。ホントにそれ以外は読み捨て上等、な内容だと思います。 *1 : 立川談春『赤めだか』 - 「石版!」

BOZO(津上研太 Birthday Live!) @新宿ピットイン

ファースト posted with amazlet at 11.08.21 BOZO イーストワークスエンタテインメント (2002-08-21) 売り上げランキング: 330055 Amazon.co.jp で詳細を見る DUENDE posted with amazlet at 11.08.21 BOZO ewe records (2005-10-07) 売り上げランキング: 237075 Amazon.co.jp で詳細を見る 私が聴いていたBOZOのアルバムは上記の二枚(ファーストとセカンド)。その後のアルバムは不勉強ながら聴いておらず(聴いたアルバムはどれも大好き……ですがファーストはサックスの録音がペラい感じがするのが残念)ライヴを観たこともなかったんですけれど、たまたまタイミングがあったのでリーダーである津上研太(サックス)の誕生日ライヴという記念すべき日に観にいくことができました――不要かもしれませんが、他のメンバーについてご紹介しておきます。南博(ピアノ)、水谷浩章(ベース)、外山明(ドラム)……と錚々たるメンツ。とにかく腕達者・芸達者で鳴らしたミュージシャンによる新主流派/フュージョン以降の新しいジャズ・バンドとでもいえましょうか。この日は、ゲストに類家心平(トランペット)、市野元彦(ギター)が入っていました。 前半は外山明のドラムが全開。南博と水谷浩章が作るリズムに乗じて、あの浮いたような、ハマっていないようなドラミングが炸裂していました(体幹だけが異様にしっかりとした状態で、手足だけが自由に動き回るあの演奏姿は、マリオネットっぽくてちょっと怖い)。これをライヴで聴いて、思いついたのですけれど、外山のあのドラムはアフロ化したポール・モチアン(ビル・エヴァンス・トリオのときの)的なものなんでしょうか。グルーヴ、とかじゃないですよね。いや、あれをグルーヴとして捉えられないのは私のリズム・耳の悪さに起因するかもしれないですけれど。後半はもう少しジャズ・ドラムっぽかったと思われましたが、最後に左手にカウベルみたいなヤツをもって、指にはめた金属でカチカチ鳴らすヤツを使用したところから再燃。リズム地獄に殺されかけました。でもこれって、南博と水谷浩章がいてから映えるものなのでしょうね。流麗さと重さがベースにあるから、ドラムとうまく音のレイヤーができるよう

大友良英/大友良英サウンドトラックス vol.1 NHK 向田邦子ドラマ「胡桃の部屋」

「胡桃の部屋」大友良英サウンドトラックスVol.1 posted with amazlet at 11.08.20 大友良英 F.M.N.SoundFactory (2011-08-20) 売り上げランキング: 2218 Amazon.co.jp で詳細を見る 大友良英が音楽を担当しているNHKのドラマ「胡桃の部屋」のサウンドトラックが発売されています。例によってドラマのほうはちゃんとチェックできていないのですが(ちょっとだけみたら、ある日父親が失踪して別な若い女と同棲していた……という向田邦子っぽいイヤ~な感じの家庭劇っぽかった。『阿修羅のごとく』もそんな話でしたよね)『クライマーズ・ハイ』から続く、大友良英 × NHKのコラボレーションの恒例と言いましょうか、現代日本のオルタナティヴ-ジャズ界隈で存在感を放っているミュージシャンが多数参加した注目音源となっています。 主題歌のヴォーカルは「その街のこども」に引き続き、阿部芙蓉美。ウィスパー・ヴォイスの女性ミュージシャン……といえば今日において珍しくもなんともないと思われるのですが、柔らかい肌触りの奥に力強いものを感じさせる阿部芙蓉美の声はとても印象的です。たとえるならば、メゾピアノとメゾフォルテのちょうど中間を揺らいでいるような(これはカヒミ・カリィをピアニッシモとして考えた場合、ですが)感じ。 メロディの存在を強く感じさせる楽曲のなかで、際立っているのは深川バロン倶楽部が演奏するガムランがフィーチャーされているトラック。ガムランでサントラ、といえばすぐさま芸能山城組 × 『AKIRA』が連想され、頭のなかで「ダッ、ダァッ、ヒィー、ハァー」が鳴り響いてしまう大友克洋脳のワタクシですが、こちらの大友も負けてはいない。ガムランと千住宗臣のスクエアなドラムが前景として、ギター・ノイズが流れる「午前0時の街」は超クール。大友のギター・ノイズの演奏に注目すれば「見えない戦い」も、静謐なアンビエンスに楔のように打たれる短いギター・ノイズがとても美しいです。

ジョルジ・ベンが熱いんだ!

サンバ・エスケーマ・ノーヴォ posted with amazlet at 11.08.19 ジョルジ・ベン ユニバーサル インターナショナル (2000-06-28) 売り上げランキング: 134888 Amazon.co.jp で詳細を見る サンバ・ホッキ(Samba Rock)のパイオニアとして高い評価を得ているジョルジ・ベン。彼の名前はジルベルト・ジルとの共演盤 *1 で初めて知りましたが、ジョルジ・ベンとジルベルト・ジル、双方ともにアフリカ系ブラジル人でありながら進んだ方向がまるで違うところが面白いと思います。ジルベルト・ジルは70年代後半からレゲエを取り入れたりするんですけれども、ジョルジ・ベンのほうはファンクの方面にいく、というこの違い。どちらも黒い方向に向かうのですが、まず邦楽からして違うわけです。しかし、そのように彼らが自身のルーツへと歩みを進めるのは70年代になってからの話。ジョルジ・ベンのデビュー盤となった1963年の『Samba Esquema Novo』(「サンバの新しい体制」という意味)を聴くと、その後に彼が進む道とはまるで違ったブラジリアン・サウンドが展開されます。彼にしても、ジルベルト・ジルにしても、ミルトン・ナシメントにしても、アフリカ系ブラジル人の歌い手ですが、とくに歌い方には「黒っぽさ」というのは感じられない、と思うのですがどうでしょうか? むしろ、「黒っぽい歌い方」「黒っぽい声」とは、人種的なものよりも言語に依存するのではないか、と考えてしまいます。なお、このアルバムに収録された「Mas Que Nada」は、セルジオ・メンデスによる演奏が有名ですね。ソラミミにも採用されています。 アフリカ・ブラジル posted with amazlet at 11.08.19 ジョルジ・ベン マーキュリー・ミュージックエンタテインメント (1998-11-26) 売り上げランキング: 61467 Amazon.co.jp で詳細を見る さて、時代はいきなり1976年に吹っ飛びまして『Africa Brasil』へ。もうこのタイトルからお分かりの通り、この時点でジョルジ・ベンの趣味・趣向はブラジルとアフリカをつなぐ方向を目指している。かつ、このアルバムにはヒット曲「Taj Mahal」も収録されている。アフリカ、ブラジル、インド

8.15 フェスティバルFUKUSHIMA!に参加していました

8月15日に福島で「8.15 フェスティバルFUKUSHIMA!」という野外フェスティバルが開催されました。このイベントは四季の里という公園と、あづま球場というスタジアムの2か所を使用した大規模なものです。この規模のイベントが福島で開催されるのははじめてだったのではないでしょうか。イベントについて知ったのは、地震のあとにあった新宿PIT INNでの大友さんのライヴのとき。MCで大友さんは「遠藤ミチロウさんから電話があって『大友くん! 8月15日に福島でフェスをやろうよ!』と言われた」と語っていました。そのときはイベントの主催となった「プロジェクトFUKUSHIMA!」のプロジェクト・メンバーに自分の名前が加わるとは想像していませんでしたが、縁があってそういう事態となり、8月13-15日までイベントの準備や会場スタッフのお手伝いをしてきました。フェスティバルというと華やかなお祭り、というイメージを持たれるかもしれませんが、その華やかな舞台を支えているのはひたすら大変で、地味で、疲れる事務仕事。本業を抱えながらこれらの激務を処理していた福島のスタッフから比べれば、本当にわずかなお手伝いしかできませんでしたが、貴重な体験ができて良かった、と思います。 そもそもボランティアに参加する、という経験自体、自分にとってははじめてのことでした。むしろ、これまではボランティアには消極的な態度・意見を持っていたと思います。「ボランティアで貢献するより、自分は自分の本業を一生懸命やって、それで社会に貢献するよ」というような。そこには「俺がやらなくても、誰かがやってくれる(俺には別なやれることがある)」という考えがある。でも、一旦ボランティアに参加してみると、逆に「ここは俺がやらないと、誰もやってくれない」と思いながら仕事できる瞬間がある。これは不思議でした。ボランティア・スタッフの数が不足していた、という現状がそういう心理に作用していたのかもしれませんが、普段は絶対やらないし、やりたくないグチャグチャに捨てられたゴミ箱のなかの分別とか汚れ仕事も気にせず取り組めるように思えたのですね。ボランティアに取り組んでいるあいだだけは、異様に徳の高い人間になる、みたいな。 でも、その一方で、そうしたグチャグチャに捨てられたゴミ箱や、好き勝手な場所で煙草を吸う人の姿には複雑な気持ちにさせられました。「

イェイツの『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統』を読む(原書で) #1

Giordano Bruno and the Hermetic Tradition (Routledge Classics) posted with amazlet at 11.08.12 Frances Yates Routledge 売り上げランキング: 36713 Amazon.co.jp で詳細を見る イギリスの歴史研究者、フランセス・イェイツ(1899-1981)の『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統(Giordano Buruno and Hermetic Tradition)』は近年静かに盛り上がりを見せているインテレクチュアル・ヒストリーの名著のひとつと言われています。ジョルダーノ・ブルーノと、16世紀ぐらいまで絶大な影響をもっていたヘルメス主義の関係をひもとくこの著作が1964年に出版されると、それまで知る人ぞ知る存在であったイェイツは国際的な評価を得ることになったそうです。こうしたところからイェイツ的にも記念碑的な著作と言っても良いのでしょう。そんな有名な本だったのですが、邦訳は永らく出ておらず『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』として昨年になってようやく刊行されています。 ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統 posted with amazlet at 11.08.12 フランセス・イエイツ 工作舎 売り上げランキング: 270633 Amazon.co.jp で詳細を見る しかし、それが10500円というあまりにも……な価格。こうした分野の本に研究者でもない人が足を踏み入れるのだとしたらよっぽどな物好きかと思われますが、この出版不況の最中、物好きから搾取してやろう、という魂胆か! この守銭奴! と頭にきた私は原書で読んでやろう、と思い立ったのでした。原書は1800円以下。この価格差は冗談のようですね。このエントリのはじめに掲載している書影はなんかアマゾンのサンプル画像かと思いましたが、届いてみたらこのままの表紙だったのでちょっと驚いてしまいましたけれども(どのへんがブルーノと関係あるのだろうか)。 Giordano Bruno and the Hermetic Tradition posted with amazlet at 11.08.12 Frances Amelia Yates Univ of Chicago

Mark Twain 『The Adventures of Tom Sawyer』

The Adventures of Tom Sawyer (Penguin Classics) posted with amazlet at 11.08.11 Mark Twain Penguin Classics 売り上げランキング: 5205 Amazon.co.jp で詳細を見る 言うまでもなく児童文学、ジュヴナイル文学の金字塔なわけでリスニングの教材に選択したから読んでみた *1 だけのハズが、途中から「うわ~、これはあなどれないわ~」と驚かされました。わんぱく少年が家出したり、おばさんをだまくらかしたりするだけの話かと思ったら、サスペンスあり~の、サヴァイヴァルあり~の、恋愛あり~のでさまざまな物語的起伏に富んでいる。いや、マーク・トウェインってすごい作家だったのだなぁ、と大変感心しました。なにより子どもの残酷さや無垢さや、オトナからしたらナンセンスに思えてしまう感性・価値観が細かく描写されているところがグッとくる。例えば、トムがメアリーからジャックナイフを受け取るところ。トムにはそれで切ったりするものがあるわけではないのに、それを持ってるだけでなんか自分はカッコ良いんじゃないか、と思い込んでしまう、というのは『ああ! わかる~』という感じですよね。いや、大分に男の子的なものだと思いますが、無意味に長い枯れ枝だのを有り難がる感じ。これが進歩(悪化)すると、エアガンだのメリケンサックだのにいくのがオーソドックスな道……か、どうかはわかりません。しかし、19世紀の中頃のアメリカの少年の感性と、自分の子どもの頃の感性とにつながりを見いだせること自体、すごいことだなぁ、と思います。少年性って万国共通なんでしょうか。そういう方向に少年が向かわない文化圏があったらちょっと知りたいですね(貧しい国ならば少年性を発露させる前に労働へと参入しなければならない……という事情があるかもしれませんが……)。面白かった! 映像はなんの前触れもなくラッシュの「トム・ソーヤー」。 *1 : その後の『英語耳』 - 「石版!」

山下達郎/Ray Of Hope

Ray Of Hope (初回限定盤) posted with amazlet at 11.08.11 山下達郎 ワーナーミュージック・ジャパン (2011-08-10) 売り上げランキング: 1 Amazon.co.jp で詳細を見る (現時点でのアマゾン売り上げランキング1位! そんな商品がこのブログで紹介されたのははじめてかも)まず一言申しあげておきたいのは今回の山下達郎の新譜、買えるなら初回限定盤を買った方が良い! ということ。限定盤には80年代・90年代のライヴ音源が収録されたボーナス・ディスクがついてくるんですが、これがホントにすごい音源で。とくに85年の音源は、当時32歳の山下達郎の天使的、かつ圧倒的な歌唱力と声の瑞々しさが素晴らしくド肝を抜かれました。ド肝が自分の内臓のどの器官を示しているのかはわかりませんが……。 菊地成孔、山下達郎「Ray Of Hope」の魅力を語る ネット上にはこんな記事もでており、アルバムを聴く前に読んでしまって甚だしく後悔したものですけれど、さすが菊地成孔、というか記事自体はとても面白かった。菊地はエイジングという文脈で本作を語ろうとしています。で、その老いというのは前述の1985年のライヴ音源と比べても感じられる点なのかと。はっきり言ってこの時期の声の輝きは、同時に収録された90年代の音源と比べてもスゴいんですよね。精神的な老いはある日突然にやってくるのかもしれないけれど、肉体的にはやはり毎日老いていってしまう。しかし、それは170キロの球を投げる人が150キロしか投げられなくなった、ぐらいの世界の話。音のクオリティは、商品性と芸術性を併せ持つものとして通用する「いつもの」レベルです。こうした山下達郎の評価はもはや揺るぎないものと言っても良いでしょう。 前述の記事では、山下達郎とファンの箱船性についての言及も興味深いものです。これは山下達郎の歌詞の世界とも親和性があるように感じられました。今年は大滝詠一の『ロンバケ』30周年ということで再発盤が出ていましたが、そこで聞くことのできる松本隆の歌詞と比較すれば、あきらかに山下達郎の歌詞には世界の閉じがある。「薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かべて……」(「カナリア諸島にて」)と松本隆が外の世界の描写を詩的に切り出してくるのに対して、山下達郎の場合、風景の描写は内面のメタ

荒木飛呂彦 『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』

荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論 (集英社新書) posted with amazlet at 11.08.07 荒木 飛呂彦 集英社 (2011-06-17) 売り上げランキング: 491 Amazon.co.jp で詳細を見る 何かを物語るときに、どのように語るか。その方法に関してはさまざまなスタイルがあるわけで、例えばその語り口や切り口、用いている術語体系によって批判理論とか、カルスタとか精神分析とかいろいろグループがございます。すでにいろんな人がいるわけですから、何を語るにしても独自の色を出すというのは難しい。荒木飛呂彦は、それを難なくやってみせているのですから、そこに痺れる憧れる。平易でまろやかな語り口、ほとんど何かの術語を用いずに日常的な言葉で映画の面白さを伝えきってしまう、この力量ははっきり言って驚愕(スタンドも月までぶっ飛ぶ)。未読の荒木飛呂彦ファンの方々にこの本のテイストを分かりやすく伝えるならば「単行本を開いたところの著者近影の下のコメント欄みたいなテイストで延々と映画を語ってる」とでも言えましょうか。私自身そんなに映画を観ない(とくにホラー映画は怖くて観れない)のですが、ホントに面白かった。 映画の紹介がジョジョのエピソードの元ネタばらしになっている箇所も面白いのですが、読み進めているうちに荒木飛呂彦の物語の作り方や世界構築の方法論が見えてくるのが興味深かったです。映画の評価軸が荒木飛呂彦の世界とリンクして読めるのですね。この世界観もまた独特で。何似ているか、といったらマニ教やヒンドゥー教あたりが適切かな、と思ってしまう。それはどういう世界なのか、以下少し私の言葉で表現しなおしてみますと、まず世界は一つの完結したものとして成り立っていて、過剰があれば増えすぎたものが減らされ、欠乏があれば足りないものが満たされる、この繰り返しによって世界は運動し、世界は変動しながらも完結したものとして存在し続ける、いわば潮の満ち引きのような世界の運動が物語を形作っている……みたいな感じ(あ、余計分かりにくいかも)。本書のなかでも語られるのですが、その世界の運動は運命とも換言でき、そしてこうした運命との戦いが物語を生むこともある。それが如実なのは、ジョジョ第5部のエピローグで語られたブチャラティの物語だったと思います。 各章ごとに挿入された書き下ろしのイラスト(取

ウィリー・ヲゥーパー 『リアル・ブラジル音楽』

リアル・ブラジル音楽 posted with amazlet at 11.08.06 Willie Whopper ヤマハミュージックメディア 売り上げランキング: 151208 Amazon.co.jp で詳細を見る 音楽に関する本のジャンルのひとつに「ディスク・ガイド」というのがあります。これは俗にいう《名盤》をひたすら列挙していく本ですが、便利な反面なにか味気ないものを感じてしまうことがあります。どうしてその音楽が重要なのか、この人たちはどういう背景から登場したのか。ジャケット写真のわきに添えられた短い文章では、こうした音楽のコンテクストは説明しきれないからです。その味気なさをカタログ的な無味乾燥さと名付けることができるかもしれません。この『リアル・ブラジル音楽』はブラジル音楽のディスク・ガイドでありながら、従来のディスク・ガイドが持つ無味乾燥さを、まさにその音楽が生まれた背景を語ることによって乗り越えた名著ではないでしょうか。ブラジル音楽の本というだけでなく旅行ガイド的な側面もあれば、ブラジルの歴史についても学ぶことができる本書は、ブラジルという国を理解するためのツールとして音楽という方法が採用されているようにさえ思われました。 紹介されている音楽の幅は実に深く、MPBをひとつとってもかなり幅があって「これからこんなに掘り下げられる世界があるのか」という期待感を煽ってくれます。私がこれまで聴いてきたブラジル音楽など氷山の一角の上にのっかったロック・アイスぐらいのものであって、ものすごく多様で、さまざまなジャンルがある。しかし、そのジャンルも実は相互に絡み合っていて、一応区分けはされているのだが、あってないようなものとも言えるそう。このあたりの多様性が、ブラジルの文化的多様性のリンクしてくるのですね。この雑多さはブラジル固有のものなのかもしれません。例えば、日本だと演歌を聴いている人と、コーネリアスを聴いている人はあんまりいないじゃないですか(岸野雄一とかそういう人に限られてきますよね)。ジャンルのあいだに断絶というか区切りがある。でも、ブラジルだとそういうのが希薄で、むしろ、地域によって流行ってる音楽が違ったりするんだとか。日本ではそういうのもあんまりないですよね。東京で流行ってるものは名古屋でも、仙台でも知られてるでしょう。でも、ブラジルは違う。面白い国

ゼンハイザー CX400-II

Sennheiser カナル型ヘッドフォン CX 400-II BLACK posted with amazlet at 11.08.06 ゼンハイザー (2009-02-15) 売り上げランキング: 3154 Amazon.co.jp で詳細を見る 愛用していた ゼンハイザーのCX300-II が断線によりおなくなりになったので、イヤフォンを新調しました。新調にあたってはヨドバシカメラでいろいろ物色していたんですけれども、やはりゼンハイザーのイヤフォンが好きであることが判明し、それと同時にケータイでAmazonでの価格を調べたらゼンハイザーの製品の値段がどれも6割ほど安い。これは店舗で買うのがあほらしくなったので、その場でAmazonに注文しました。同じ機種でも良かったのですが、ひとつ上位機種のCX400-IIにしてみました。ゼンハイザーのヘッドフォンといえば、セミオープン式の密閉感のない広がりがある音が特徴的だと思うのですが、それはポータブル・プレイヤー用のイヤフォンでも引き継がれているように思われます。ほかのメーカーのカナル式イヤフォンだと、耳の穴のなかで鳴っている感じがするんだけれども、ゼンハイザー製品にはそれがない。もちろん、CX400-IIもそうした特徴が備わっていて、輪郭がハッキリして不自然じゃないゼンハイザー・サウンドが楽しめます。ただ、私の貧しい耳ではCX400-IIとCX300-IIの音の違いが分からないんですけどね。以下、箇条書きで違いを書いておきます。 CX400-IIはコードがY型コード(CX300-IIは首の後ろに右耳用のコードをまわすタイプ) CX400-IIはコードの途中にボリューム調整がついてる 使い初めなのでエージングでまた音が変わってくるんでしょうが、長く使えると良いなぁ、と思います。前回のCX300-IIは一年半ほどで断線してしまいました。個人的にはこれぐらいが普通なのですが、CXシリーズが「II」にモデルチェンジする前のものはコードの皮膜がシリコンっぽい素材じゃなかったせいか(ビニールっぽくて硬かった)3年ぐらい使ってても平気だったんですよねえ。断線しても直して使えたら良いんですけど、なかなかやる気が(工具は持ってるけども)。こういうのを参考にすれば良いのでしょうか↓ EX90が復活! ~プラグ付近の断線からの回復修理の工

柴山潔 『コンピュータアーキテクチャの基礎』

コンピュータアーキテクチャの基礎 posted with amazlet at 11.08.05 柴山 潔 近代科学社 売り上げランキング: 171792 Amazon.co.jp で詳細を見る 私がメインフレーマーで、かつ、COBOLerである、という告白をすると情報処理業界におつとめの方は「え、いまだにCOBOLなんかやってるの?」とか「まだCOBOLなんか残ってるんですか?」とビックリされることがあります。情報処理業界におつとめでない方のために補足しておきますと、COBOLというのは大昔にアメリカで作られた事務処理用のプログラミング言語で、金融機関のプログラムなんかは未だにこの言語で書かれてたりするんですよ~、とか言うと私のつとめている業界がだんだんまるわかりになってきてしまいますが、え~っと念のため、先日大障害を起こした銀行さんではございません(でも、あの障害の事後レポートを読んで『うわ~、絶対この現場にいたくね~』とものすごく実感してしまうぐらいにはそれなりに世界観が近い)。あと、メインフレーマーというのは、一台一億円ぐらいするスーパーコンピューターを使って仕事している人の総称です。ものすごくパワフルで、信頼性が高いマシンなんですが高価なので限られた業種でしか使われてません。ぶっちゃけ研究機関とか金融機関でしか持ってない。 日本の金融機関のシステム化がはじまったのが70年代のこと。当時は今と機械が違いますから紙のカードに穴あけたものがプログラムだったりして(会社を掃除してるとそういうのが出てきたりして、面白い)今では想像もつかない世界なんですが、そういう機械はさすがに残ってないので問題なし。ただ、大障害を起こしてる銀行さんにも関わりますけれど、80年代後半ぐらいのモノは未だに残ってたりして、そこが問題になってくる。一旦作られちゃったモノは資産になっちゃって、簡単には捨てられませんし、代わりを作ろうと思っても「今と同じように作ってほしい」と言われると「え、当時作った人じゃないからわかりませんよ!」となってしまい「じゃあ、今のを使おうか」となったりする。こうした資産は「レガシーシステム」と呼ばれていて、今後どうしていくのか、については業界で活発な議論が行われています。その多くは、大きなシステム屋さんが「ウチならこんな感じでスムーズにソリューションを提供します

Qluster/Fragen

Fragen posted with amazlet at 11.08.04 Qluster Bureau B (2011-06-07) 売り上げランキング: 65288 Amazon.co.jp で詳細を見る クラスターといえばハンス・ヨアヒム・ローデリウスとディーター・メビウスのふたりによるドイツを電子音楽ユニット。この人たち、仲が良いのか悪いのか、2回も再結成していて昨年末にまた3度目の解散をおこなっています。その後、ローデリウスによって結成されたのがこの 「Qluster」 (Onnen Bockという人とのユニットです)。ローデリウスは、ここで「アコースティック楽器と電子楽器による即興演奏」という初期クラスターのコンセプトにたちかえる、というお題目が掲げているそうです。その作品の断片は 彼らのSoundCloud でも聴くことがでるのですが、これがなかなかに素晴らしかったので(というか「え? ローデリウスが新譜だすの?」と聞いたら)買わずにはいられません。本来なら6月ぐらいには手に届くはずだったのですが、何の因果か到着が8月になってしまいましたけれども、やはり内容はハズれがない。 何が素晴らしいかって、初期クラスターの「なんか電子楽器でむちゃくちゃにやってみました」的な雰囲気が2011年に再現されているようなところですよ。クラスターといえば一般的にはイーノとコラボレートしたなんか和むような電子音楽を作る人たち、という認識がなされていると思われますが、初期は結構エグくて、初期タンジェリン・ドリームと似たようなサウンドなんですよね。不思議な音がピュンピュン飛び交ってる。あと結構ダラしなく楽器いじってるのをそのまま録音したみたいな……それを商品としてリリースしようと思ったのはなんか勢いとか大事だったのでは? と想像してしまうのですが、この『Fragen』はそうした電子楽器をイジってて楽しい感じが全快。さすがにノイズがボリボリ鳴ったりしないし、雰囲気は落ち着いていますが最高。どこに向けてこれが発信されているのか、誰に向けて発信されているのか見当もつかないジャンルレスなこの世界観は《電子音楽》としか呼びようがない境地でしょう。一曲だけフェネスのパクりみたいな曲があるんですが、そこはどうでもよろしい。まずは独特な音の世界に包まれるべきです。2011年の音楽とは思えな

PythonとGAEでTwitter Botを作ってみました

山形浩生BOT Pythonの勉強の一環として、Google App Engine(GAE)を利用したTwitter Botプログラムを作ってみました。第一弾は「山形浩生BOT」。こちらは山形浩生の公式サイトの2~5個ぐらいのURLにある文章を日本語形態素解析ソフト「MeCab」を利用してわかち書きし、マルコフ連鎖で新しい文章を生成するモノ。定期的にこんな発言をします。 神さまの世界がどうなっているかなんて見当つく?本気で心配する価値なんかないのだ。 2011-08-04 12:54:31 via ymgthrbot 基本的にはできあがるのは無内容な文章だけ。MeCabをGAE内では動かせなかったので、発言はあらかじめ生成した文章からランダムに選んでPostするようにしました。Postする部分と、文章を生成する部分のロジックはほとんどネット上で公開されている部分をコピペで。自分で作ったのは、山形浩生公式サイトを巡回して、URLのリストを作成したり、生成元になる文章を整形してあげるところがメイン。正規表現の勉強にもなりました。 プログラムのアイデアとしては id:murashit くんの murashittest の丸パクリです。murashitくんには「参考にするからソース・コードみせてよ」とお願いしたのですが「汚いから無理です!」と拒否られてるんですが、今、自分にもその気持ちが分かる! ソース公開って結構勇気がいって、自分の小説や音楽を人に見せるよりも恥ずかしいかも(ソースはどこが悪いか、とか明白だからですかねえ)。ググッてかき集められるようなソースを公開しても意味はないでしょ、そこは、と自己合理化しておきましょう。この程度のプログラムなら、Pythonを導入するところから初めて一日で実装までいけるかなぁ、という感じ(もちろんこの前提に基本的なアルゴリズムの習得があるわけですが)。GAEもかなり簡単で、親切なドキュメントが用意されてるのでスムーズでした。 今日の菊地日記(PELISSE) で、調子に乗って作った第二弾が「今日の菊地日記(PELISSE)」。こちらは菊地成孔の旧・公式サイト「PELISSE」の日記(速報)ページの過去ログからその日に書かれたURLを吐き出してくれる。これもPOSTをする部分は山形BOTとほとんど同じ。作ったのは、URLのリストを作

マルコス・ヴァーリのボックス・セットを買って聴いているぜ!

Marcos Valle Samba (Demais) posted with amazlet at 11.08.01 Marcos Valle EMI Europe Generic (2008-04-25) 売り上げランキング: 252027 Amazon.co.jp で詳細を見る ディスク・ユニオン新宿ラテン・ブラジル館に先週入荷するやいなや一週間もしないうちに完売してしまったというマルコス・ヴァーリの11枚組ボックス。1963年のデビュー盤から1974年までを一挙に追うことのできるこのお買い得品を運良く手に入れられた私は、当然のごとくマルコス・ヴァーリ漬けにならざるを得ないわけでございます。世代的には彼もカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルと同じ世代のミュージシャンになりますが、デビューは一足早く、トロピカリズモ・ムーヴメントの渦中にいたミュージシャンたちとはちょっと毛色の違った音楽的変遷を辿っていて面白いですね。本日はそのなかから何枚かご紹介。 マルコス・ヴァーリもまた《ジョアン・ジルベルトのこどもたち》といっても過言ではないのでしょう。デビュー盤である『Samba (Demais)』は、キリッとした佇まいが魅力的なボッサ・アルバムとなっている。ストリングスやフルートの情感の豊かさも素晴らしいです。ボートラにはインスト・バージョンが収録されていますが、歌抜きでも音楽が成立してしまっている。 ブラジリアンス! posted with amazlet at 11.08.01 マルコス・ヴァーリ Warner Music Japan =music= (2008-08-06) 売り上げランキング: 249862 Amazon.co.jp で詳細を見る しかし、この叙情ボッサ路線も長く続かず、4年後の『Braziliance! 』(1967)ではジャズへと急速に接近していくのです。いきなりビッグ・バンドによるインストのアルバムですからね、その舵の取り方は斬新だったと言えましょう。ラテン風味のエキゾチズムを全面に打ち出していて、ちょっと熱帯JAZZ楽団みたいになっている曲さえあるのですが、そこまでテンションをブチアゲる高温度じゃなく、マイルドなラウンジっぽい雰囲気が良い。日陰のテラス席でアイスコーヒーを飲んでいるときにこんなの聴いたら、あまりのマロいヴァイブスに