西成活裕 『とんでもなく役に立つ数学』

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とんでもなく役に立つ数学
西成活裕
朝日出版社
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 渋滞学で大ブレイク寸前という勢いのある東大の西成活裕先生の新著『とんでもなく役に立つ数学』は、西成先生が都立高校に特別授業をしにいったときの記録をもとにした本。『渋滞学』*1を読んでから、完全に西成先生のファンになりつつある私ですが、これも素晴らしく面白い本でした。私の人生における数学との別れはとても早く、高校一年生のときのシグマとかが出てくる数学のテストで、必死で勉強したのに赤点だったときから「ああ、もうダメだ!」と思ってしまったことに始まるのですが、もしあの頃、この本に出会っていたならば少しは希望が持てたのではないか、と思いました。サイン、コサイン、タンジェント! こうした言葉も単になんか歯切れの良い言葉の羅列でなく、意味を伴った言葉として覚えられたかもしれない。





 『渋滞学』と重複する部分もありますが、この本はより易しく「生き生きとした数学」の姿に迫っているように思われます。西成先生に数学を好きな理由・嫌いな理由を問われた生徒たちはこのように答えます。数学の「イメージは、機械的で冷静な感じ」。おそらくはこうしたスタティックなイメージは、多くの人に共有されているものではないでしょうか。数字の移動や変化だけで正解が決まっていくゲームみたいな学問、というように。そうしたイメージがある数学を西成先生は、現実と結びつけることによってダイナミックなものに変えてしまう。いや、元から数学とはそうしたダイナミックなものなのでしょう。でも、このダイナミズムが中学・高校の授業ではなかなか伝わらない。先生たちがそうした生き生きとした言葉を持っていないせいもあるのでしょう。ある生徒はこのように言います。「問題を解けたときの達成感、快感が他の教科より大きい」。この達成感はゲーム的な快感でしょうけれど、はじめからそのゲームにハマれる人は少ないと思います。数学に行き詰った人たちの誰しもが思うはずです。「こんなゲームが何の役に立つの?」。本書は、タイトルどおりにその問いかけに答えてくれる。





 数学が得意な方には物足りない内容であると思います。また、そうじゃない人に対しての数学教育的な解説の部分は、ただ読んだだけでは何も身に付かないものです。これをちゃんと理解するには、ポール・クルーグマンや山形浩生が推奨するように「手を使って、考えてみる」しかない。だから、ただ読んでみただけの私は、ほとんど何も身についていません。ですが(時間があれば!)「手を使って、この本の数式を解いてみたい!」という欲求が自然と沸いてくる本です。そんな風に思わされたのもやはり数学の役に立ち方のいくつもの事例が紹介されているからでしょう。羽田空港の国際便の物流システム、インクジェットプリンターの仕組み、巡礼の季節のメッカの混雑の解消……といったさまざまな問題に対して西成先生は数学で回答をおこなっている。これがイチイチ面白い。今では信じられないけれど、数学で挫折するまでは理系を目指していたことをなぜか思い出すような内容です。社会を直接的に便利にしていくのは、こうした理系の学問の成果があってこそのお話で、日本のものづくり・理系研究者に対するリスペクトや応援する気持ちも抱きたくなる本でした。






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その後の『英語耳』

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英語耳[改訂・新CD版] 発音ができるとリスニングができる
松澤喜好
アスキー・メディアワークス
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 昨年の11月ごろから『英語耳』*1という英語教材を使って発音とリスニングの訓練をしています。本日はその勉強の経過についてご報告。この本では「子音・母音に分解した発音練習」、「英語の歌を用いた発音とリスニングの練習」、「ゆっくりとしたスピードの短い英語音声を用いた発音とリスニングの練習」、「ノーマルなスピードの長い英語音声を用いた発音とリスニングの練習」……と、いくつかフェーズわけがされているのですが、最近になって「ノーマルなスピードの英語音声を用いた練習」に入りました。その前に聞いていたゆっくりとしたスピードの英語音声は、VOAというアメリカ英語の学習サイトからダウンロード。




 この音源です。アメリカにおける1920年代の黒人人権問題の歴史についての講義みたいな内容。1つのMP3ファイルはおよそ15分なんですが、上手い具合に1つの段落が1~2分ぐらいなので『英語耳』で推奨されている練習のし方に適しています。これをiPhoneの「英語聴き取りプレーヤー」というアプリで段落ごとに区切って、1段落を毎日10回ずつ聞きました。聴き取れない音がなくなり、意味が入ってくるまで同じ段落を続けます。1段落大体50~60回ぐらい繰り返したでしょうか? つまり、およそ一週間で1段落消化していく感じです。私が選択した音源は、基本の英単語だけで構成された易しい文章のものだったのと、内容自体も面白かったので続けられました。『英語耳』のなかにもあるように興味があるものを選択するのが大事なんですね。音声にならって自分で発音することも練習のうちになのですが、これは毎日はできず、休みの日にたま~にやるぐらい。





 この練習を続けていると、耳に入ってきた言葉が意味に変換されるスピードがあがっていくのが実感できます。で、今はさきほどもお伝えしたとおり「ノーマルなスピードの長い英語音声を用いた発音とリスニングの練習」をやっているわけです。本当は会話などが良いようですが、いまいち良い教材を見つけられなかったのでマーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』の朗読を教材に選択してみました。この音源もタダで手に入ります。




 音声ファイルはひとつのファイルに複数の章が入ったものとなっています。これも「英語聴き取りプレーヤー」で1章ごとに区切って、章ごとに繰り返して聞いていっています。さすがに長いので1日に10回も聞けません。全35章をいつまでにすべて聴き取りきることができるかわかりませんが、気長に続けたいです。



The Adventures of Tom Sawyer (Penguin Popular Classics)
Mark Twain
Penguin Classics
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オリヴァー・サックス 『オアハカ日誌 メキシコに広がるシダの楽園』

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オアハカ日誌
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オリヴァー・サックス
早川書房
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 著者のオリヴァー・サックスは、ロビン・ウィリアムズとロバート・デ・ニーロが出演している映画『レナードの朝』の原作者で、『妻と帽子をまちがえた男』などの優れた医療エッセイを書いている脳神経科医。以前からこの人の本はいくつか好んで読んでいたから、古書店でこの『オアハカ日誌』を見つけたときは「オリヴァー・サックスってあのオリヴァー・サックス?」と驚いた。彼は、なにやら少年時代からシダ植物が大好きだったそうで、本書は彼がシダを観察するためにメキシコのオアハカを旅する……という「物好き旅日記」のような内容となっている。もちろん私はシダのことなんかまったく知らない。著者と一緒に旅するシダ愛好家たちのユニークな振る舞いや、メキシコの描写はとても楽しく読めた。オアハカはメキシコの南部の町で、サポテカ文明の祭祀場だったモンテ=アルバンという遺跡で有名な町だそう。本書には、シダばかりではなく、こうした遺跡の描写もある。





 私はあまり旅行をする性質の人間ではないけれど、この本で描かれているように似た趣味を持つ人たちと、何らかの明確な目的をもって旅をする楽しさみたいなものが理解できる気がした。仕事の同僚や親しい友人とも違う旅の仲間の存在は、旅の時間を普通よりも大きく日常から切り離してくれる気がする。旅、というか移動には普段とは違う時間の使い方、時間の流れ方がある。今、自分がどこにも所属していないような浮遊感、というか。そうしたなかだからこそ、自分が生きている場所とは異なる土地の風景が一層新鮮に映ることもある。サックスはこの本のなかでそうした旅行中のハイなテンションを描くことにも成功していると思う。





 ちなみに本書は「ナショナル・ジオグラフィック」誌の旅行記本シリーズの一冊として刊行されたもの。このいつも素晴らしい写真が掲載されている雑誌は、高校時代の担任の先生がクラスのお金を使って、ほとんど勝手に購読していた。クラスメイトの意見を聞くわけでも、多数決を取るわけでもなく「俺のクラスでは『ナショナル・ジオグラフィック』を定期購読するからな!」と決定されていたのである――なので、クラスに置いてある雑誌を読んでいた人は、あんまりいなかった。『オアハカ日誌』とはまったく関係ないが、ふと思い出す。かなり変わった人だったけれど、今思うと良い先生だったなあ、とか。





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ヒルデガルド・フォン・ビンゲン 《宗教歌曲集》

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Spiritual Songs
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Sequentia Hildegard Von Bingen
RCA (1993-04-29)
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 図書館で借りてきた古楽について感想を書いていくシリーズ、本日は史上で最も古い女性作曲家といわれているヒルデガルド・フォン・ビンゲンの《宗教歌曲集》について。この人は12世紀の神聖ローマ帝国内、現在でドイツ南西部あたりで活躍していた修道女で、幻視体験をもっていたことでも有名な人物。私がこの人物について知ったのは、スウェーデンの民俗音楽×ロックバンド、ガルマルナ経由だったのだけれど(彼らはヒルデガルドの音楽をモチーフにしたアルバムを出していた)、ヒルデガルドの音楽に触れて「なるほど、ガルマルナがもっている神秘的な雰囲気は、ここから継承したものだったのか」と思った。この《宗教曲集》は、ヒルデガルドが啓示を受けて書きのこしたものだったという。幻視体験を持っていた人物だけあって、作曲の動機まで神秘的なのだが、その作品には法悦的な清浄さだけではなく、どこか薄暗い雰囲気もある。





 宗教体験のように聴取される音楽といえば、ワーグナーやブルックナーの音楽を想起するが、それらの圧倒的な荘厳さとはまるで違った雰囲気を、宗教体験から生まれた音楽が含んでいることが興味深く思った。これを聴いて、キリスト教の音楽である、と一発で言い当てることができる人はあまりいないのではないか、とさえ思う。バッハやヘンデルといった作曲家が18世紀に書きのこしたキリスト教を題材にした音楽と比較すれば、ほとんど異教と言ってもよい。私は音楽史の専門家でもなんでもないけれど、12世紀からどのように西洋の音楽が変質し、より親しみを感じるほうのキリスト教音楽にたどり着いたのか、について強い興味を持った。12世紀から18世紀、日本で言ったら平安末期から、徳川吉宗の時代ぐらいの時間が流れているわけで、そりゃあ音楽も変わるのが当たり前だろう、とも思うけれども。



D


 これは声楽曲を中心としたCDだが、いくつか器楽曲も収録していて、こちらも面白い。ここまで来るとクラシックのなかの《古楽》コーナーよりは、ほとんどワールド・ミュージックの世界であり拍子感が上手くつかめない舞曲風の楽曲が聴いていて愉しい。演奏はセクエンツィアという中世音楽専門のアンサンブル・グループ。1977年にベンジャミン・バグビーとバーバラ・ソーントンという人によって結成され(バーバラ・ソーントンは1998年に脳腫瘍で早世している)、現在もベンジャミン・バグビーを中心に活動している。当アルバムの発表は1983年。ベンジャミン・バグビーと言う人は、歌手でハープも弾けて、かつ中世音楽を専門とする学者でもある。古楽系の人は色々できる人が多くてすごい。





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集英社「ラテンアメリカの文学」シリーズを読む#11 ドノソ『夜のみだらな鳥』

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夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))
ドノソ
集英社
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 2年目に入った「集英社『ラテンアメリカの文学』を読む」シリーズ、11冊目はチリのホセ・ドノソによる『夜のみだらな鳥』です。こちらはこのシリーズでも最も人気の高い本のひとつで、古書での価格もかなりプレミアがついてしまっています。現在、アマゾンで手に入れられるモノは最安値でも一万円を越している……。やはりこれはシリーズ全巻セットで買ったほうが得なのかも。インターネットの古書店で出ていることもまだあるようですので気になる方はマメにチェックすることをオススメいたします。日本の古本屋トップページで「ラテン 集英社 揃」とかで検索すると運がよければ出てきます。しかし『夜のみだらな鳥』はそうしたプレミアに見合うだけの超絶的にパワフルな小説でした。語りのなかに意識の流れが混入し、混濁と渾沌にまみれた迷宮的マジック・リアリズム四次元殺法が炸裂する怪作です。解説によればルイス・ブニュエルがこの作品の映画化を望んでいたそうですが、作品はむしろアレハンドロ・ホドロフスキーの映画世界と強くつながるように感じられました。





 修道院に勤めている跛で唖の小男《ムディート》が語るその生涯……という形式で開始される小説は、途中まで「なにも与えられずに生まれてきた男が強烈な自己実現欲で成り上がっていき、ついには憧れていた権力の座につくことで、世界に対する復讐を果たす」みたいな話のように思われます。《ムディート》こと、ウンベルト・ペニャローサは、ドン・ヘロニモという名門一族に生まれた男を街で偶然見かけたことから、彼に対しての憧憬を常に持ってしまっている。ウンベルト・ペニャローサは跛の醜男なのに対して、ドン・ヘロニモはマッチョな上にイケメンで金持ち。これは闇と光の対立、といっても良いでしょう。ウンベルト・ペニャローサにとってドン・ヘロニモは《世界の正常さ》の象徴であり、光です。一方で、ウンベルト・ペニャローサには何もない。この何も持たざる者である性格は、小説中では《顔がない》という風に表現されます。小説の序盤では、この《顔がない》状態であるがゆえに、ウンベルト・ペニャローサは《誰でもありうる》という風に扱われています。そこでは彼の視点が誰の目にも宿る。そして一種の千里眼的な視点で小説世界が描写され、そのめまぐるしい視点移動が迷宮感をさらに煽っていく。





 ウンベルト・ペニャローサの意識はどんどん闇のなかに沈潜していく一方、彼の視点はドン・ヘロニモの闇、あるいは卑しさといったものを暴いていくように思われます。それはウンベルト・ペニャローサとは正反対に、なにかを持って生まれてきた彼には、自分が正常であり、力を持つものである、という自意識がある。ゆえに彼は異常なほど《正常であること》にこだわりを持っている。だから、彼は美しい妻と結婚しなくてはならなかったし、その美しい妻の乳母であった醜い老婆、ペータ・ポンセは自分の目の前から消さなくてはならなかった。ドン・ヘロニモがウンベルト・ペニャローサを自分の秘書として雇っていたのも、自分の《正常さ》を《異常さ》と対比することによって際立たせるためだったのかもしれません。いわばここでもウンベルト・ペニャローサの異常さは正常なものに奪われてしまっている。光と闇の対立は、同時に共犯関係を築きます。だから、そうした関係は簡単に解消できなくないものとなります。縁を切ろうとしたペータ・ポンセは、ドン・ヘロニモとまとわりつき、それどころか彼の嫡子として生まれてきた子どもは、恐怖を呼び起こしさえする畸形児だった……!





 ここからが中盤の面白いところで、ドン・ヘロニモはその畸形の子ども《ボーイ》のために国中から畸形を集め、畸形のネバーランド的なものを作りあげようとしはじめます。そのネバーランドのなかでなら《ボーイ》は自分の畸形を恥じることがないだろう、という歪んだ愛情がドン・ヘロニモのなかに生まれるのですが、まず間違いなくその愛情は《ボーイ》にではなく、自分に向っている、と言えましょう。彼は自分の息子にさえ《正常さ》を求めるのですね。たとえそれが作られた温室的現実のなかであっても。メキシコの作家、カルロス・フエンテスはこの作品に「ボッス的」なものを認めているそうです。この形容は、ドン・ヘロニモが作ろうとしたこの畸形のネバーランドに集約されます。そしてこの箱庭は、外の世界(現実)に対するひとつの鏡としても機能する。終盤はほとんど何が本筋で、何が妄想なのかほとんどわからず、錯乱したイメージが暴れ回るのに圧倒されるばかりなのですが、イメージを自由に繋ぎ、想像力を喚起させるテクニックが素晴らしかったです。これはすごい!





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プラトン 『ティマイオス』(3)

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原文


Timaeus
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ヘルモクラテス:まさにそのとおりです、ソクラテス。あなたには絶対にティマイオスがすでに言ったとおり、私たちの情熱が足りていないなどとは思わせません。もしあなたが言ったとおりできなくても私たちは少しもいい訳などしませんよ。なぜなら昨日ここを離れるとすぐ私たちが滞在しておりますクリティアスの客人用の家に向いまして、その道すがらから、とても熱心に考え続けていたのです。そこでクリティアスはひとつの昔話をしてくれました。クリティアスよ、今その話をソクラテスにしてくれたまえ。そうすれば彼は私たちに課された課題の目的が差し出されるものかどうか決める手助けをしてくれるだろう。


クリティアス:ええ、もちろんそうでしょう。もうひとりの仲間、ティマイオスも同意してくれるだろうね。


ティマイオス:もちろんだとも。

クリティアス:それでは、この話をあなたに教えることにしましょう、ソクラテス。それはとても不思議な話なのです――どの言葉も真実であるのにも関わらずね。それは七人の賢人のうちでも最も賢明な人物であったソロンがかつて保証してくれた話です。彼は同じ国に生まれた同胞で、私の近しい曾祖父であったドロピデスのとても近しい友人でした。ソロンは彼の詩作においてたくさんの土地について話しています。そして、ドロピデスは私の祖父であるクリティアスにその話を伝えました。そしてその老人は自分の番になると、思い出のなかからその話を教えてくれたのです。その話は、私たちの都市が偉大で素晴らしい行為を太古の昔におこなっていたけれども、時が過ぎ去り、人間の生が壊されてしまったことによって、消え去ってしまった、という話です。これらすべての行為のうち、特別に崇高なものがありました。このひとつは、私たちの感謝の気持ちを込めた贈り物となり、そしてあなたを祝いたたえることを首尾よく遂げてくれるでしょう。そうすることで私たちはアテネの女神に対する賛美を捧げられるはずです、いわばちょうどこの彼女を祝う祭典で本当の祈りを捧げるように*1


ソクラテス:すばらしい! さあ、私たちに都市がおこなっていた古代の行為を、ソロンが伝え、そして君の祖父が君に教えてくれたことを私にも教えてくれたまえ。私はそれをまったく聞いたことがないのだ。彼らは何が起こったと言っていたのだね?

クリティアス:それでは教えましょう。もうまったく若くない男から聞いた大昔の話です。実際、祖父であるクリティアスはその当時、90歳近い歳になっていた、と自分のことを言っていたのです。当時私は10歳かそこらだったと思います。それはアパトゥリア祭のあいだの子どもたちによる発表会の日のことでした*2。その場では、他の者と同様に私たち子どもたちは、饗宴で習慣的な待遇を受けるのです。そして、私たちの父親たちが朗誦の大会を開きます。たくさんの違った詩人たちによって多くの詩が披露され、私たち子どもたちの多くがソロンの詩を歌うようになりました。何故ならそのとき、そうした詩が新しいものだったのです。すると、私たちの一族のうちひとりが、こんなことを言い始めました。ソロンは最も賢明な人間であるだけでない、とくに詩業においては、あらゆる詩人のなかでも最も教養の高さを見せつけることができるのだ、と。その男は彼の思ったとおりに話したのかもしれませんが、さもなくば私の祖父を良い気持ちにさせたかったのかもしれません。祖父は大喜びだったことをよく覚えています。彼は無遠慮に歯を見せて笑い、言いました。

「そうだ、アミナンドロス*3、ソロンは気晴らしでしか詩をかかず、他の詩人たちのように真面目に詩業に取り組まなかったのは残念だ。それと、彼がエジプトから持ち帰った話を完成させなかったのも残念だった。彼が戻ってきて直面した市民間の争いやそのほかの問題で、彼はその物語を捨て置かざるを得なかったのだ。さもなければ、ヘシオドスやホメロスはおろか他のどの詩人たちであっても、彼よりも有名になることはなかっただろう。いずれにせよ、それが私の考えるところだ」。「おや、クリティアス? それはどんな話だったのだね」。他の誰かが尋ねました。「それは私たちの都市がおこなってきたなかで最も荘厳な事柄についての話だ」と年老いたクリティアスは答えます。「その業績はほかのどんなものよりも広く知られるべき価値がある。だが、時間の経過とそれを成し遂げた者たちが消え去ってしまったことによって、その話は今は残っていないのだ」。「初めからその話をおしえてくれませんか?」また他の誰かが言います。「ソロンが聞いた『本当の話』とはなんだったのですか? どうやって、誰から彼は聞いたのです?」

 「それはエジプトでの出来事だった」。クリティアスは語り始めました。「三角地帯で、ナイル川の流れが合流する地点のあたりにあったサイティクという地区があった。この地区のなかで最も重要な都市はサイスといい、これはアマシス王が生まれた都市でもある。この都市はエジプト人のあいだではネイトと呼ばれ、その土地の人々によれば、ギリシャではアテナと呼ばれる女神によって建設されたものだ。そこの住人はアテネの住人にはとても友好的で、私たちとは何かしらつながりがあると主張している。ソロンはそこに着いた途端、人々が彼を崇めはじめた、と言っていた。そして、彼はそのうちの考古学者である神官に、古代のことについて教えてくれるよう頼んだという。そこで彼はギリシャについてのあらゆることを発見した。そこには彼自身のことさえも含まれていた。彼はそんなことになっているなどとはほとんど何も知らなかった。ある場面で、彼は古代についての話に彼らを導こうと思い、私たちの古い歴史について議題を切り出した。彼は最初の人間であるフォロネウスとニオベーについて話し始め、そしてデウカリオンとニオベーがどのようにして洪水を生き延びたかについて語った*4。ソロンは彼らの子孫の系図を辿り、そして彼が語った出来事から何年経っているか計算することをもって、それらがいつの出来事なのか計算しようとした。するとそのとき、とても年老いたひとりの神官が口を開いた。『ああ、ソロンよ、ソロン、君たちギリシャ人というのは誰も彼も子どもなのだね。君たちのなかに年を取った人間はいないようだ』。これを聞いてソロンは言った。『何です? それはどういう意味です?』『君たちは若い』と年老いた神官は言った。『君たちは誰もが、若い霊魂を持っている。君たちの霊魂は、古くからの伝統によって受け継がれてきたものについて信念に欠けている。そのうえ、君たちの霊魂には時によって古くなった学習というものが欠けているのだ。その理由はこうだ。人々の生活を破壊してしまう数多の災害がたくさんの方法で、これまでに発生し、そしてそれはこれからも起こり続けるだろう。これらのなかでも最も深刻なものは火と水を伴ったもので、その他の数々の原因によるものはそれらよりかは深刻ではない。君たちにのあいだに伝承されている、太陽の子どもであるフェアトンの話も言っている――彼は、父親の戦車を馬具でつないだが、馬を操ることができず、彼の父親が辿る道を走ることができなかった。しまいに彼は地上の表面のものを焼き尽くし、そして彼自身も雷が当たって死んでしまった。これは神話として語られているが、その背後には真実が隠されているのだ。地上のまわりにある天体において逸脱が存在すると、それは非常に長い時間に渡って、地上にあるものを破壊する巨大な火を引き起こす、というね。これが引き起こされると、山や乾燥していて高いところに住むあらゆる人々は、川のとなりや海のそばに住む人と比べると、死に絶えてしまいやすい。他方では、神々が地上を洗い流すために洪水を引き起こすと、山に住んでいる牧夫や羊飼いたちは命を守ることができるだろう。しかし、君たちの地方のような都市に住む人々は川に飲み込まれ、そして海の藻屑となってしまう。しかし、そのような時であっても、この場所では水は私たちの住むところの高さまでは溢れてくることがない。それどころか、そうした本質はいつも地面から引き起こされるものなのだ。そして、ここで古いものが保存されているこの理由の説明は、最も昔から言われている。過度に寒くも、熱くもない場所ではどこでもそうしたものが守られるというのが、その真理であり、そうした場所で人類は時折増えたり減ったりしながら存在を続けていくのだろう。どこで起ころうが、なんらかにおいて高貴であったり、偉大であったり、目立っていたりすれば、そうした出来事の全てが私たちに報告され、そして、それら全てがここの寺院に刻まれて、そして大昔から保存されるのだ。一方、君たちやその他の場合では、文字の読み書きやその他の都市によって要求される財産ができあがるとすぐに、数年でもしないうち、天によって成される洪水がやってきてしまう。それは疫病のように君たちを襲い、そしてその後には、文字も文化もない状態だけが残される。ここや君たちの地方にまつわる古代から存在するものとはまったく親しくなれずに、いわば、君たちは何度も子どもになるのだ。ソロンよ、君がちょうどおこなった君たちの先祖たちの血統についての説明など、童話のようなものに過ぎない。第一に、君たちは一度の洪水しか覚えていない。実際にはその前から膨大な回数の洪水があったというのに。第二に、君たちは自分たちの地方にもっとも優良で、素晴らしい人類がいたことに気づいていない。その血統のほんの一部分が生き残ったおかげで、これは君たちの都市全体元になり、そして今日も君たちの同国人である人種となっている。しかし、これらは君たちの前から消え去ってしまった。なぜなら、生き残った人々からたくさんの世代が生まれては死にするあいだ、一切記録を書いて残さなかったからだ。ソロンよ、アテネが戦争に優れただけでなく、どんな地域よりも優れた法律によって抜きん出た都市となった今がまさに、すべてを破壊する巨大な洪水がやってくるそのときなのだ。アテネの業績と社会行政は、私たちが伝え聞いてきたなかでも天下一というほどに優れたものと言われているのだ』




*1:私訳者コメント:この対話篇は年に一度のアテネの祭典でおこなわれたものという説がある


*2:原註:アパトゥリア祭はイオニア地方のお祭りで、毎年10月から11月の間にアテネで開催される。祭りの三日目に子どもたちによる発表会がとりおこなわれた


*3:私訳者コメント:原文はAmynander。Amynander - Wikipedia, the free encyclopediaにはAmynandrosともあった。日本語表記に自信なし


*4:原註:フォロネウスとニオベーは河の神イナキュスの子どもたち。古代の作家はフォロネウスを「最初の人間」と見なしていた。デウカリオンとピュラは、この当時最も近かった洪水の生存者。年老いた神官の返答は、ソロンの神話的説明と古代の出来事の系譜学的な試算に対する、歴史的・科学的説明を伴った異議となる。





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大滝詠一/ロング・バケイション(30th Edition)

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大滝詠一
SMR (2011-03-21)
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 山下達郎のラジオ番組で新年の恒例となっている(らしい。実際には一度も聴いたことがない)大滝詠一との「新春放談」の今年分がこちらにまとめられている。これがとても面白かった。




 これを読んで今年『ロング・バケイション』の30周年記念盤が出るということを知った。30周年記念盤特典は歌が入っていない純粋なカラオケ・バージョンのCD。大滝は「新春放談」のなかでこのカラオケ版について以下のようなことを言っていたらしい。



ぼくはメロディを作ってから歌入れするっていうケースはめったにない(大瀧)


もしあったとしても、そのメロディは自分の中の一つの選択肢に過ぎない(大瀧)


最終チョイスであるけれど、と同時に<ワン・オブ・ゼム>でもある(大瀧)


それがいくつあったかというのは曲によって違うけれど、ゼムは山のようにある(大瀧)


だからカラオケを聴くと、いくつものゼムが聴こえてくる(大瀧)


ほんとうはそのゼムを聴いて欲しい(大瀧)


そのメロディでなくても良かったけれど、その選択しかなかったとも言える(大瀧)



 『ロング・バケイション』として発売された歌入りのバージョンは、その作品が出来上がり得るさまざまなバリエーションのうちのひとつでしかなかった、というこの発言は、グレン・グールドの楽譜解釈を想起させた。手前味噌だが、グールドの解釈についてかなり前に書いたエントリより以下引用。



 通常、演奏家(楽譜の解釈者)は「ひとつの楽譜解釈」を聴衆の前に提示する。しかし、グールドはそれをしない。グールドが提示するのはあくまで「ある・ひとつの・楽譜解釈」なのであり、そこには「別な楽譜解釈」の可能性が常に残されている。その可能性をグールドは隠蔽しない。録音と映像の間に存在する差異は、単なる気まぐれなのではなく、むしろ別な可能性の提示なのである。同じ演奏家がおこなったさまざまなな解釈のうち、どれが「正しいものなのか」、これを聴衆に判断することは不可能であり、選択はほとんど好みによってでしか行われない。その判断不能な状況は、突き詰めれば「正しい解釈が存在しないこと」もまた明示しているように思う。これによってグールドは「ピアニスト=解釈者」である前提を覆す。





 「解釈の光をあてる」という隠喩は、グールドの場合、楽譜に対してはっきりとしたスポットライトをあてた結果ではなく、光をあたられた楽譜の乱反射なのだろう。残された録音は、そこで生まれた多様な光の筋から偶然に選ばれた一本の筋に過ぎないのである。


グレン・グールド;録音と映像 - 「石版!」



 で、予約注文していた件の30周年盤が届いたわけだが、しかし、私にとってこれが初めて『ロング・バケイション』という作品を聴く初めて機会なので、まずは純粋に完成されたひとつの可能性を愉しみたい。それにしても商業音楽が職人的な作りこみによって、ひとつの芸術作品に高められた、という常套句にハマり過ぎる名盤であろう。iPhoneで80年代の音楽ばかり流しているネットラジオを聴くアプリを使っているときにも思ったが、内外を問わず、80年代というのはポップ・ミュージックの黄金時代だったのだなあ、という思いを改めて……とか、なにも言っていないにも等しい感想であるけれど、これはやっぱりすごいぞ、と。





 まず、エッラいポップなのに変なSEが「スカーン!」とか「ゴォーン」とか「ピューン」とか鳴ってて、それが何ともなしに聴いていると、まったく違和感がなく調和したものとして響いてくる。そこが異様。音も現代的なソリッドな音とは違った、ものすごく広がりを感じさせる音になっていて、思わず心が持っていかれます!





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プラトン 『ティマイオス』(2)

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原文


Timaeus
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Plato Donald J. Zeyl
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ソクラテス:そして私たちがこう言ったことも覚えているかね――はじまりや、ものさしや、男女といったものが可能な限り高貴な本質を持つために、結婚は、良い男性は良い女性と、悪い男性は悪い女性とで別々に組み合わされて集団を作るようなくじによって秘密裏に決められるべきである。どうだろう? また、この施策はあらゆる敵意を作り出さない。なぜなら、彼らはこのめぐり合わせがすべて偶然によるものだ、と信じているからだ、とも。


ティマイオス:はい、覚えています。


ソクラテス:また、これも覚えているかね? 良い両親に生まれた子どもはそのまま育てられるべきだが、一方で悪い親に生まれた子どもは秘密裏に別な都市へと移してしまうべきだ、と。そして、これらの子どもたちは成長するまで常に見守られ、援助に値すると分かったらもう一度都市に戻してあげ、そうでなかったら両親たちと一緒に場所を変えてしまうべきだろう、と。


ティマイオス:私たちはそう言いました。


ソクラテス:どうだろう、ティマイオス、これで私たちは昨日話しをしたことについて振り返ることができたのではないかな? 主要な点のみではあるけれど、なにか見落とした点はあるだろうか? 置き去りになっているものはないかね?


ティマイオス:ありません。私たちが語ったことはこの通りです。


ソクラテス:それは良かった。では、私は続けて、私たちが思い描いている政治形態について感じていることを君たちに話したいと思う。今の私の気持ちは、なにか崇高な外見をした動物を見つめている男のような気持ちなのだ――しかし、その動物たちは絵に描かれたものだったり、あるいは生きてはいるが止まったままで身動きをしない。そして、その男は、それらを動いた状態で見たいと渇望し、それらの特別に哲学的な特質を見せびらかすような試行錯誤をしているに過ぎないのだ。私は、誰か都市が争って手に入れる栄誉のために他の都市と競い、自分たちの都市について弁論をするのを聴くのが好きだ。また、私たちの都市が戦争をおこなったり、戦争を求めたりすることで目立つようになるのを見るのも好きだ。なぜなら、それはその都市自身の教育と訓練、あるいは言葉と行為という面が良い方向に反映される方法――たとえば、どのように相手に立ち向かうのか、どのように相手と交渉するのか、といった具合に――において、他の都市を相手にすることであるからだ。クリティアスとヘルモクラテスよ、こうした事柄において、私は我々の都市やそこに住む人間にぴったりな詩を歌うことがまったくできないと自分自身感じているのだ。ただ、これは私の場合だから驚くに値しない。けれども、私は今日の詩人たち同様に古来の詩人たちについても同じように考えてしまうのだ。概して私は、詩人に対して軽蔑のようなものをもっていないが、しかし、血統までも真似をしようとする者は、彼らが真似をしようと訓練しているものを模倣することに関してもっとも熟達している、ということは皆が知っていることだ。芸を真似することをちゃんとした仕事とすることは充分に難しい。物語を著述することはなおさらのことだ。そして、私は、ソフィストという類の人間は弁論を操るのがとても上手であると常々考えていたのだよ。しかし、彼らは次から次へと都市を渡り歩き、自分の家には落ち着かないだろう。その理由で、彼らの哲人政治家としての表現が的外れなものになってしまうのではないかと私は心配しているのだ。ソフィストたちがなにがしかの敵と戦っている際に、彼らは自分達の指導者が戦場で成し遂げたことについて偽りを述べる傾向がある。それが実際の戦争であっても、交渉の段階であってもだ。


 さて、そうしたものごとについてはこれぐらいにしておこう。君たちが鍛えられるのと同様に、本質によって哲学と政治は同時に成り立っている。ここにティマイオスがいる。彼は素晴らしい法律によって規律化されたイタリアの都市、ロクリからやってきた。彼の同胞には彼より上に立つ財産や生まれをもつ者はなく、そして彼はその都市の最高の権威と名誉を独占してしまっている。クリティアスにしても、ここアテネにおいては、私たちが話している事柄について単なる素人ではないことは知れ渡っている。ヘルモクラテスも、本性と訓練によってこうした問題を片づけるだけの資格を持っているために多くの人々から嫉妬を抱かれているにちがいない。昨日、君たちが行政について議論するよう私に願ったとき、私はすでにこうしたことに気づいていたのだよ。だから、私は君たちに命令してほしいのだ。君たちがもし、この続きとなる弁論をすることに同意してくれても、君たちよりも良い仕事ができるものは誰もいないのだよ。君たちを除いては、今日、都市の本当の性格を反映する方法で、戦争を追及する都市を表現できるものはいない。君たちだけが、都市が要求しているものすべてを与えることができるのだ。さあ、これで私が頼まれた議題についてはおしまいだ。私は席につき、君たちに私が描いてきた議題について話すように頼もう。君たちは一緒にひとつの組としてこの議題について考えている。そして、君たちはこの機会にお礼がしたいと言ったね。君たちの弁論が、ここにいる私にとって何よりも心のこもったお返しだ。そして私よりもこの贈り物を受けとる準備ができている人間はどこにもいないのだ。





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ルネサンス期ドイツの音楽を聴く

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《ロハマー歌曲集》とC.パウマンの《オルガンの基礎》より14の歌曲と器楽曲/ハンス・ザックス:5つの歌曲
オムニバス(クラシック) メスターラー(アウグスト) ニュルンベルク・ガンベンコレギウム ビッテ=バルトバウアー(マルガレーテ) ブリュックナー=リュッゲベルク(フリードリヒ) アウエ(ルードルフ)
ポリドール (1998-08-01)
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 このエントリでも軽く触れているが、クラシック界のロマン派偏重ぶりにいい加減食傷気味になってきたため、今後は古楽方面に手を出そうと思っていろいろ聴いている。一応、補足しておくと「古楽」とは西洋音楽のなかでひとつのジャンルみたいなもので、中世・ルネサンス・バロック期の音楽をひとまとめにしてこのように呼ぶ言葉だ。なのでレコード店によっては、バッハなどは古楽コーナーに置かれているお店もある。これも改めて考えると大雑把な分類であって「クラシック」といったときにベートーヴェンからメシアンぐらいまで色々あるように、ほとんどジャンル名としては機能していないように思われる。その多様性はもしかしたら「クラシック」以上かもしれない。ほとんど未知のジャンルであるため、何が出てくるかわからない。なので今は毎週末図書館に通ってCDを借りてきて聴いている。





 そうした探求(?)のなかで「これは面白いなあ」と思ったのが上にあげたCD『《ロハマー歌曲集》とC.パウマンの《オルガンの基礎》より14の歌曲と器楽曲/ハンス・ザックス:5つの歌曲』なのだった(絶賛廃盤中)。これは15世紀にドイツで出版されていた楽譜『《ロハマー歌曲集》とC.パウマンの《オルガンの基礎》』からの抜粋と、ハンス・ザックスという靴屋兼歌手兼劇作家の作品をとりあげたものだ。ハンス・ザックスは、いわゆるマイスタージンガーとして16世紀のドイツで活躍していて、とても大人気だった人なのだそう。彼の作品は歌曲というよりは「節」であって、無伴奏で歌われている。当時はマイスタージンガーとして認められた人でなければ新しい節を作ってはいけない、という制度があったんだとかで、こうした歴史的な背景も興味深い。





 しかし、驚いたのは『《ロハマー歌曲集》……』のほうだった。演奏しているニュルンベルク・ガンバコレギウムという古楽グループが使用した楽器は、ヴィオラ・ダ・ガンバ、リコーダー、リュートぐらいしか分からず、ほとんど聴いたことがない楽器の音が聴こえてくる。チャルメラみたいな音だったり、ハーモニカみたいな音だったり、世俗感溢れる賑やかな音が楽しい。そして、そこで歌われるメロディのなんとポップなこと。素朴で朗らかな楽曲の魅力に自然と心が和らぐ。ある種の宗教曲がもつ崇高な癒し効果とはまったく違った癒しの力をこの音楽は有している、と思った。





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プラトン 『ティマイオス』(1)

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原文


Timaeus
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ソクラテス:1、2、3……あれ、4人目はどうしたのかね、ティマイオス。昨日君たちは4人で私のお客さんになってくれたというのに。今日だって私は君たちのものなのだよ。


ティマイオス:彼は病気かなにかにかかったのでしょう、ソクラテス。彼がすすんで我々の会合を見逃すはずがありません。


ソクラテス:ふむ、では、君と君の仲間たちがここにいない友人の代理をするということかね?


ティマイオス:まったくそのとおりです。とにかく、私たちは不足のないように全力をつくしましょう。あなたは昨日私たちをとても素敵に迎え入れてくれました。ですからそのお返しに、できるだけ上手に宴を開いてあげなければいけません。


ソクラテス:君たちは昨日私が話すようにいった事柄をすっかり覚えているかね?


ティマイオス:ある程度は。しかし、もし忘れていることがあっても、あなたがここにいるのですから思い出させてくれるでしょう。良ければ、もし面倒でなければですが、最初にもどって最初から話してみてはくれませんか? そうすれば私たちの記憶ももっと確実なものとなるでしょうから。


ソクラテス:もちろんだとも。たしか昨日私は政治について話したのだね。私は主にあるべき政治都市と、そこに住む人々を可能な限りよく育てることを扱っていたと思う。


ティマイオス:はい、ソクラテス、あなたはそうしました。そして私たちはすっかりあなたの説明に満足したのです。


ソクラテス:私たちはその都市に住む農民や職人を、その都市のために戦争をすることを任命された人々とわける、というところから話し始めたのだったかね?


ティマイオス:そうです。


ソクラテス:そして私たちは本質というのが、どの人間にもひとつずつしか与えられない、ということも理解したのだね。そのために、ある職人はその職業に適することになるのだ、と。そして、私たちは次のようにも言ったはずだ――都市のみんなのために戦争にいくのを命じられた職業につくものだけが、都市の守り人となるべきだ、と。ここでもし都市の外から来た者や、あるいは市民が都市に対して反抗し、なにか面倒をおこしたなら、守り人はおだやかに彼ら自身の問題をおさめなければならない。なぜなら、そうした問題を起こした人々が守り人たちにとって本質的な友人であるからだ。しかし、私たちが言ったように、彼らは戦場で敵と出会ったときには、厳しくならなくてはならない。


ティマイオス:はい、まったくです。


ソクラテス:これもまた言ったことだと思うけれど、場合によって穏かだったり、厳しくしたりという適切なふるまいができるのは、彼ら守り人たちの霊魂が精神的にも哲学的に最も高いところにあるだろうからだ。


ティマイオス:はい。


ソクラテス:彼らの訓練についてはどうだろう? 私たちは彼らがほかの適切な勉強の領域と同様に肉体的にも、文化的にも訓練されるべきだと言わなかったかね?


ティマイオス:私たちは確かにそう言いました。


ソクラテス:そうだ、たしかこの訓練を受けた人々は金とか銀とか他のあらゆる財産について考えるべきでもないとも話したのだね。専門家たちのように、彼らは彼らが守っている人々から、守り人精神の対価として節度ある生活を保つだけの賃金を受けるべきだ、と。そして、こうも話した――彼らは生活するためのお金を分配し、そして一緒の時間を過ごしながら、別な職業の人たちの集まりのなかで暮らし、そして彼らの生活がより高貴なものとなるようその身を捧げる。だから、彼らはそのほかの全ての仕事から解放されるのだ、と。


ティマイオス:ええ、そのように話しました。


ソクラテス:それから私たちは女性たちについてさえ言及したはずだ。私たちは言ったね。彼女たちの本質は男達と一致されなくてはならない、と。戦争をすることもそうだし、ほかの人生のさまざまな面といったすべての職業について男女は両方とも共通でなくてはならない。


ティマイオス:はい、それについても議論しました。


ソクラテス:では、私たちは子どもを産むことについてはどのように言ったかね? これは可能な限り忘れてはならない問題だよ。なぜならこれについて言ったことはとても珍しいことだからね。私たちはこのように決めたのだね――一般的に、男女皆は配偶者と子どもを持つべきだ、と。しかし、その男女組ではどちらか一方が、彼・彼女の子どもを自分だけのものだと思わないように工夫しなくてはならない。すると、彼らのだれものが一つの家族を作り上げていると信じるだろう。そして、年老いた者たちは両親や両父母といった年老いた年齢層でひとまとまりにし、その一方で子どもや孫の世代でひとまとめにすれば、彼らは皆、自分達と同じ年齢層にいるものが自分の兄弟姉妹であるように信じるにちがいない。


ティマイオス:そのとおりです。それは本当に忘れられない点でした。





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起きてから寝るまで英語表現550 海外旅行編

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 ブックオフで投げ売られてた英語教材を適当に読むシリーズ第一弾。昨年海外旅行に初めて行ってみたら「なにこれ! 楽しい!」と思って「またどっかのタイミングでいきたいなあ」と考えているのだが海外旅行に使える英語なんか全然しらない私にぴったりそうな一冊だったため読む。昨年から私がしてきた英語の訓練は、単語の暗記と発音とリスニングの三本柱に、英文を読むのを加えた感じなのだけれど、そこには「英会話」が入っていない。これはまず英語で会話するチャンスがないからだ。本書のコンセプトはそうした英語を勉強してるけど、英語で会話をするチャンスがない人間は、つぶやき(ひとり言)で会話する能力を身に付けよ! というものとなっていて、これもちょうど良かった。初版は1990年。Twitterに始まったつぶやき時代を先駆ける教材だ。





 そもそも英会話系の教材に手を出すのが初めてだったのだが、単語の暗記や辞書で調べただけではよくわからない言葉のニュアンスや、言葉の使い方が分かって読んでみたら面白かった。海外のクラブでの振舞いや、税関でいかがわしい本を見つけられたときのひとり言まで収録。これは果たして役に立つかどうかわからないが好きなポイントだ。例文が載っている部分の構成は「つぶやき」+「解説」となっている。解説で言葉のニュアンスなどが説明されるのだけれども、それと同時に「別な言い方をするなら……」とか「会話で使うなら……」とかバリエーションも紹介されているのも良いと思った。





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田中清高・永尾敬子・渡辺照夫 『ワインの実践講座』

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ワインの実践講座
ワインの実践講座
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田中 清高 永尾 敬子 渡辺 照夫
時事通信社
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 『ワインの基礎知識』*1に引き続き、その続編的な『ワインの実践講座』を読む。『基礎知識』と重複する部分もあるが、ここで紹介されている知識は大幅にヴォリューム・アップしており、薀蓄のご開陳、あるいは「どこで実践的に使うんだ?こんな話」的な知識が満載なのだけれど、そのあたりは読み物として楽しく読める。有名なシャトーの歴史や「シャトー物語」としてまとめられている。また、ブドウの栽培法の解説では「バイオダイナミック」ではルドルフ・シュタイナーの名前が登場して驚いた。まさか、ワイン栽培にも影響を与えているとは……。この栽培法自体も興味深く、なにやらマクロコスモス・レベルで生態系のサイクルを捉え、農薬や化学肥料を使用せず、代わりに錬金術みたいな有機的調合物を畑に撒いたりするスピリチュアル農法の模様。スローライフやオーガニック野菜などのロハス系思想が、ニューエイジやスピリチュアリズムとの食い合わせが非常に良いことは安易にも予想されるが、すでにあったとは、と驚く。





 もちろんワインの選び方や飲むときのマナーなど普通に役立つ知識についても詳しく紹介されている。ホスト・テストやソムリエとのコミュニケーションの方法についての話を読んで「そういえばこういうマナーが全然分からずに振舞っていたな」と思った。






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OBA MASAHIRO/Still Life

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Still Life
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Oba Masahiro
Denryoku Label (2011-03-02)
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 自分が主宰していたバンドに参加してくれたメンバーのひとりがこうしてCDをだして、そしてそれについてこうして感想を書くのはなんだか不思議な気分である。本作『Still Life』を発表したOba Masahiroは数々の異名を持つ。彼はid:MASSYであり、@hironicaであり、三毛猫ホームレスの「後ろでなんかMacをいじってる方」であり、ニップル騎士団のイケメンサックス奏者だった(ほかにも何かいろいろやってらっしゃるのだが耳の遅い私には到底ついていけない)。初めて会ったのはたぶん3年ぐらい前になるけれど当時から「なんか礼儀正しいコだな~」という印象を持っていて、たまたま会って挨拶したりする度に「礼儀正しいコだな~」と言う印象が変わらない。爽やかで賢くて、礼儀正しい。Oba Masahiroという人に私が抱いているイメージはそういうものである。そして、彼が今回出したアルバムにもそうしたイメージを連続して感じられた。アーティストの人格と作品は切り離して考えるべきである、と私はこれまで信じてきたけれど、なんかね。ああ、あの人だったら、こういう音楽を作りそうだなあ、という強い納得感をこのアルバムが持つスマートさが引き起こす。





 ジャズやグリッチ、アンビエントといった言葉によって捉えられるさまざまな要素によってアルバムは構成されている。それぞれひとつひとつの要素は特別に新しいものではないだろう。しかし、それらの様々な要素が素材として、上手く編集され、配置され、構成される。そうしたなかでアーティストのセンスが描かれる。こうした音楽の様子に、かつて砂原良徳は「音楽をデザインだと考えている」とインタビューで語っていたことを思い出すが、素材と構成といえばバウハウスのことも脳裏に浮かび、構成と作曲はcompositionで言い表される。総体的に言うと、工業的な作曲、ということになるのだろうか。または「データベース的な創作」と評されるべきなのか。しかし、そうした行為が素材との戯れで終わるのではなく、職人的な作り込みをもって打ち出されているところにこのアルバムの魅力を感じる。また、そうしたところに「これは新しい世代の音楽だなあ」と思った。





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A. A. Milne 『The House At Pooh Corner』

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The House at Pooh Corner (Pooh Original Edition)
A. A. Milne
Puffin
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 『Winnie-the-Pooh』に引き続き*1、その続編である『The House At Pooh Corner』を読み終える。この2冊は言わずもがなの児童文学の名作、であるのだが、この2冊目の中盤から終盤にかけての流れは大人向けの話だと思う。100エーカーの森のぬいぐるみ・動物たちに慕われ、なにかトラブルがあれば絶対的な裁定者として召還されるクリストファー・ロビンだが、中盤からしばしば勉強に出かけたりと森を離ることが増えてくる。森の仲間たちは年をとることがないが、クリストファー・ロビンは成長しなくてはならない。森でいつまでも仲間たちと遊んでいるわけにはいかないのだ。今は「なにもしなくてもいい」が、大人になれば「なにかをしなくてはならない」。成長する、ということはそうした要求を受け入れることだ。





 最終話でとうとう森の仲間たちとクリストファー・ロビンが離れなくてはならなくなったとき、プーと2人きりになった彼は、プーを自分につかえる最も信頼のおける騎士に任命する。そして、王として振舞うクリストファー・ロビンは、その信頼のおける騎士にずっと自分のことを忘れないことを任務として与える。



Pooh, promise you won't forget about me, ever. Not even when I'm a hundred.



 クリストファー・ロビンは森を離れていく。しかし、森には彼が100歳になっても彼のことを忘れない騎士が残ることになる。この記憶のなかで、《少年》クリストファー・ロビンは生き続け、そしてこの永遠の記憶が幻想的にこのフィクションを閉じるのだ。この本を読みながらディズニー版のDVDなども観たのだけれど、ディズニー版のプーには、こうした美しさはないように思われた。原作のプーは少し頭が足りないけれど、ユニークな感性を持つ優れた詩人だ。そうしたセンスがクリストファー・ロビンの無垢な少年性と強く結びついている。



「くまのプーさん」を英語で読み直す (NHKブックス)
ドミニク・チータム 小林 章夫 Dominic Cheetham
NHK出版
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 こちら*2も読了。






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OORUTAICHI/Cosmic Coco, Singing for a Billion Imu’s Hearty Pi

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Cosmic Coco,Singing for a Blllion lmu’s Hearty Pi[通常盤]
オオルタイチ OLAibi EYE Daedelus
インディーズ・メーカー (2011-01-23)
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 関西で活動を続ける鬼才、OORUTAICHI(オオルタイチ)の新譜を聴いていた(そして、彼のバンドであるウリチパン郡は昨年の9月に活動休止していたことを知る)。今回のアルバムは、ウリチパン郡のファースト・アルバムや、これまでのOORUTAICHI名義での作品と同様に「存在しない架空の言語(らしきもの)による歌」というコンセプトは貫かれているのだが、以前にあった言うなれば牧歌的なアシッド感(Clusterみたいな……)が宇宙的な方向に突き進んでおり、すごく異次元なダンス・ミュージックになっている。異形であり、未聴感をふんだんに含ませながら、かつ、歌モノらしいポップさを保っている様子はいつもながら驚異的に思う。



D


 すぐに日常に戻る気持ちでいたのに、電車が動かず、会社にもいけず、暖房もつけず、スーパーには店員と押し問答をするオジサンやオバサンがいて……という弱い非常時感が持続している。この何もできずにいる状態を音楽でやり過ごしています。





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『Newton』4月号

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Newton (ニュートン) 2011年 04月号 [雑誌]

ニュートンプレス (2011-02-26)



 『Newton』4月号の第一特集は「『運命』を物理学で考える 未来は決まっているか」。現代物理学の観点から決定論と非決定論について見ていくものでした。現代物理学のうち、量子力学の知見は現代思想でも時折扱われますが、シロウトにはとにかく理解しがたいものです(それを扱う現代思想の人たちもまた半知半解以下なトンデモである場合があります)。とくに「マクロの世界では決定論的だが、ミクロの世界では非決定論的である」というニュートン力学と量子力学の対立は、うまくイメージができない。そうした難しい部分を図によって上手く解説した優れた内容であると思いました。有名な「二重スリット実験」についても、これを読んでなんとなく理解ができた気がする。ただ、どちらかというと量子力学の世界の不思議さよりも、ニュートン力学の強力さのほうが個人的には印象的でした。とくに海王星が発見されたのもニュートン力学のおかげである、という話は驚きです。





 このほかには「“時空のトンネル”は実在するか?」(ワームホールの見つけ方が考案されたニュースと、ワームホールとはどういうモノと考えられているのか? といった内容)や、「太陽系の“名脇役”」(太陽系の惑星の衛星について)といった記事も面白かったです。特に後者は、我々の地球に最も近い天体である月についてでも、知らないことはたくさんあるのだなあ、と思わされました。また科学の最新ニュースも毎度のことながら大変興味深い。ペルーで発見された約1000年前のミイラに施された刺青が、ツボの位置と一致しており、彼らはツボ治療をおこなっていたのでは? と主張する論文についてや、日本のJAXAが打ち上げた宇宙ヨット「イカロス」(光が持っている微弱な、モノを押す力を利用して太陽光で進む宇宙船)のニュース、カーボンナノチューブやグラフェンといった新素材に関する話に心を惹かれました。これらのニュースのなかには日本の科学者・技術者が活躍しているものもあり、事業仕分けなどでいろいろ大変だろうけれど頑張れ! と思います。





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いま、これからわたしにできること

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 11日の地震からほとんど丸2日が経過しました。福島・仙台・岩手に住んでいる私の家族・直接の知り合いとはみな連絡がとれて無事が確認できました。原チャリや乗用車が津波にさらわれた人もいたようですがひとまず安心しました。水道や電気がとまっているところもあるらしく、これから常態へと戻るにはかなり時間がかかるでしょう。関東にいる私はひとまず先に常態へと戻ります。そして、難しい状態にいる方々に対して、ささやかながらでも間接的なバックアップをしていきたいと考えています。このブログからもそうした手助けをしていきたい。当ブログでは、毎月約3000円程度のアフィリエイト収入を得ています。こうしたお金を当面被災地復興のための義捐金として送らせていただきます。それ以外の財源からも義捐金を送るつもりです。





 地震から今朝までほとんど普段していることは何も手に付かず、延々とテレビに釘付けになって、緊迫した状況と痛ましい被災地の模様をただ眺めるばかりでした。それに疲れるとラジオのニュースを聞きながら聖書を読んでいました。私はキリスト教徒ではありませんが、聖書の淡々とした記述を読んでいると、少し落ち着くことができるように思われました。大きな被害を受けた場所のひとつ相馬は何度か行ったことのある土地で、その土地の風景は見覚えがあるものでしたので余計に心が痛みました。それから避難所での生活を余儀なくされている方々のインタビューもかなり堪えました。その土地で暮らしてきた方々が持つ言葉の訛りは、私の生まれた土地の言葉でした。全然知らない人たちのことでも他人事のようには思えません。今回いつも以上に「自分にできることはなんだろうか」と考えているのには、そんな背景があります。





 亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々が一日でも早く以前のような日常へと戻られることを切に願います。





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アカデミー・デュ・ヴァン監修『ワインの基礎知識』

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ワインの基礎知識
ワインの基礎知識
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田中 清高 奥山 久美子 梅田 悦生
時事通信
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 特別な日や贅沢がしたくなった日があると、妻にお店を探してもらい都内のレストラン、ビストロに足を運ぶようになりました。フランス料理への開眼! と同時に毎回妻の美味しいお店を探す嗅覚の高さに毎度敬服せざるを得ないのですが、これをきっかけに「ワインの勉強をしてみたいな」と思い『ワインの基礎知識』を読んでみました。発行されたのは、1994年とかなり前になり、もしかしたら本書に書かれている話のなかにはすでに古くなっているものもあるかもしれませんが、とても面白かったです。西洋に根付く深い食文化のひとつを垣間見せてくれる本だと思います。





 ワインといえば、教室や学校があったり、薀蓄があったり、と、とかくスノッブなものに感じられる飲み物でありますが、伝統化され文化として根付いたもの、という理解を持てば「日本酒や焼酎やビールは《勉強》しないケド、ワインは《勉強》する」理由もまた理解できる気がします。大量生産ワインは、味を均質に保つため、さまざまな種類のブドウやさまざまな年代のワインをブレンドして作られていますが、高級なワインはそうした工業化を拒み「その年のブドウ」で作られている。これはほとんど芸能の世界に近いこだわりのようにも思われました。





 この本が主に紹介しているのは、フランスワインですが、ドイツやイタリア、そしてアメリカ、オーストラリア、スペイン、日本のワインについても触れられます(南米のワインについてはノー・タッチ)。それぞれの土地の気候や、とれるブドウの特色などが地図付きで説明されているのですが、ワインと一緒に各国の地理まで学べてしまうわけですから楽しくないわけがありません。世界史や、オーケストラの名前で知っている地名がワインの生産地と結びついていく。





 またワインの歴史も面白かったです。ローマ帝国は、属州の森林を切り開き、まるごとブドウ畑にしたそうですが、これにはたくさんの利点があったそうです。まず、敵の隠れる場所をなくなって交通路の安全を確保された。そして被占領民にブドウ農家として働いてもらうことで経済的な安定を与えたので、支配がしやすくなった。さらにブドウをたくさん作らせたので美味しいワインをたくさん飲めるようにもなった……というわけです――まるで『世界ふしぎ発見!』みたいですが、ローマ帝国賢すぎだろ……と思いました。





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大西英文『はじめてのラテン語』

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はじめてのラテン語 (講談社現代新書)
大西 英文
講談社
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 昨年末に上野でデューラーの版画を観たときのこと。彼の版画作品には16世紀の技術解説書みたいなものの挿絵となっているものがあり、展示されているもののなかにはそうした本からの抜粋があった。文章はもちろん当時のヨーロッパにおける汎用的言語であったラテン語だ。それを眺めながら「ああ、こういう文章がなんとなく読めるようになったら、とても楽しそうだなあ」と思ったのがラテン語を勉強しようと思った直接的なきっかけである。で、今年に入ってから『はじめてのラテン語』というテキストを使って地道に勉強を続けている。今日になってテキストをひととおり終えられたので記念に本をご紹介。それにしても講談社現代新書ってこんな本も出してたんですね……。これこそ巻末の野間省一による「刊行にあたって」の旨に相応しい本でしょう。





 ラテン語は西欧の言語の元になっていることはよく知られている。本書によればスペイン語やイタリア語、ポルトガル語は「ラテン語の方言」といっても良いらしい。もちろんゲルマン語派に属する英語にもラテン語源のものはたくさんある。だから、ラテン語の○○という表現は、英語では××という風に、ラテン語を勉強しながら英語の発見も多かった。個人的に一番「ユリイカ!」的叫び声をあげたくなったのは、前置詞を勉強していて「infra」の意味を知ったとき。これは「○○の下に」を意味する言葉だ。ラテン語の前置詞は、接頭辞となって他の単語とくっついて合成語となることがあるのだけれど「infrastructure」ってそういうことか!! と思った。





f:id:Geheimagent:20110305213540j:image:left テキストはこんな感じで今後も参照しやすいようにインデックスを貼り付けていったら、見た目だけとても立派な感じになってしまった。今後は先達が残してくれているラテン語学習のお役立ちツールを活用しながら、実際にラテン語の本を読むことで勉強していこうと思う。





 1.ラテン語の活用一覧表:最低限これだけは覚えましょう


 2.The Latin Library





 ↑こういうのね。1.は、日本語によるラテン語独習者のためのサイトの総本山山下太郎のラテン語入門のなかの教材的ページ。2.はラテン語の原文がアップされているサイト。このなかから、アウルス・ゲッリウスの『Noctes Atticae(アッティカの夜)』を拾い読みしていこうと思う(その格闘の模様はおそらくこのブログでもお伝えすることができるだろう)。それにしてもこんな風に教材や資料が揃っていて、質問があればメールやtwitterで誰かに聞ける世の中って独習者には最高な環境だよな!! と思う。インターネットは元カノとの性交写真を流出させたり、気に食わない学生の就職内定を取り消させるために使われるものでは断じてない!! と強く言いたい。



Cassell’s Latin Dictionary: Latin-English, English-Latin
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 ちなみにラテン語の辞書はこちらを買った。羅英、英羅が一冊になったモノ。これが2000円しないんだから安い……(日本で印刷された本ではかいだことのない独特なにおいがする。臭いわけではないのだが、なんか気になるにおい)。





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山下和仁 ギター・リサイタル @紀尾井ホール

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 これまでにクラシック・ギターのリサイタルにいったのは一度だけ、それは村治佳織の演奏だったのだけれども、今日聴いた山下和仁の演奏はそのとき聴いた音楽とはまるで違ったものだった。音楽にはさまざまな種類の音楽がある。なかでも対極的なのは交響的な音楽と室内的な音楽で、前者は公の場で雄弁に鳴り響く音楽なのに対して、後者はあくまで私的なものであり、音が向こうから語りかけてくる、というよりかは聴衆の側から音のほうに耳を寄せていくような音楽である。そして山下和仁のギターはそうした私的な音楽を見事に体現する音楽であると思った。





 一曲目に演奏された《禁じられた遊び》、誰もが知っているクラシック・ギターの名曲中の名曲の演奏からして、山下の演奏は惹きつけるものがあった。大仰な表現ではなく、むしろ、細やかなニュアンスによって織りなされる表現の多彩さは、耳が感じるダイナミクスの幅をギターの音量に合わせて調整してくれるようだ。こうして耳の下地が作られたなかで聴く藤家渓子の《シューベルトの「野ばら」による変奏曲》が、なんと素晴らしかったことか。これはシューベルトの音楽(特に歌曲)におけるパーソナルな空間性が見事に結晶化した作品であろう。あの愛らしい主題がギターの繊細な音の変化とともに変化していく様子を耳で追う。その聴覚の集中によって胸中に生まれる空間のなかで、音による安らぎが感じられる。





 後半に演奏された藤家によるギター・ソナタ第1番《青い花》も素晴らしかった。今日までに彼女の作品はやはり山下の演奏でギター協奏曲第2番《恋すてふ》を聴いただけだったが、その曲が東洋的な響きを目指したエキゾチック&ロマンティックな一品だったのに対して、こちらは古典的な形式の美しさを感じさせる。山下による表現もそうした楽曲の性格に合わせるかのようで、冒頭からしっかりと、鍵盤楽器のようなニュアンスで引かれるニュアンスが印象的に聴こえた。こうした演奏家に出会うと「一流の、ある水準を超えた演奏家というものは、このように余裕を持って聴衆を満足させることができるのか」という風に思う。本日の出会いでクラシック・ギターの世界に強くひきこまれそうだ。





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アレクサンドル・ルリヤ『偉大な記憶力の物語 ある記憶術者の精神生活』

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偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活 (岩波現代文庫)
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 記憶力には自信があるほうだ、という自負をもっていきてきたけれど、最近になって「むしろ自分は記憶力がすごく悪いんじゃないか」と思うようになってきた。とにかく言われたことを忘れてしまうし、自分がしなくてはならないことを覚えていられないので「やることリスト」化したメモが手放せない。読んだものも片っ端から忘れていくし、曖昧になった記憶同士が奇妙に結びつきあって、存在しない記憶が捏造されていたりする。





 例えばこんな具合に。それは友人とたまたまナボコフの『ロリータ』について話していたときのこと。私が「あれ? 女の子とグルグル回っているうちに気持ち良くなっちゃうのは『ロリータ』だっけ?」と友人は「それはプルーストでしょ」と訂正する。そう言われればそんな気がする。友人は続ける。「『ロリータ』は女の子とじゃれあってるうちに気持ち良くなるんだよ」。そうだっけ……なんか、登り棒に登っているうちに気持ち良くなっちゃう小説ってなかったっけ……?





 しかし、こういう風に記憶が混濁するのも、文章が《理解》された証でもあるのかもしれない。ドストエフスキーを読んだあとに「ああ『罪と罰』なら○○という話だったよ」などと感想を言うことがある。それはその読者が『罪と罰』というテキストを○○という形で《理解》した証明となる。『罪と罰』のテキストを、読者はまるまる覚えているわけではないし、ことによってはそのテキストを一切覚えていない可能性だってある。もしテキストの一切を覚えるような読書をしていたら、記憶の混濁などおこらないはずだ。私は、記憶というものをそうした《理解》の貯蔵庫として理解してきた。





 しかし、本書で紹介されるシィーという人物はそうではなかった。彼は様々な数列や様々な文章を、テキストそのままにいくらでも記憶することができた。その特殊な能力を活用して、彼は「記憶術師」になった。彼はステージに登り、観客の目の前で長いテキストを覚え、そしてそれを暗唱して見せた。そうした覚えたテキストを十数年後であっても暗唱しなおすことができた。こうした特殊能力を、著者であるアレクサンドル・ルリヤ(彼は世界的に有名であったソ連の心理学者だった)、直接記憶が共感覚と結びつきあった結果だと分析した。シィーには観たものの像を写真のように記憶に焼き付けることできた。数字や音から様々な感覚をイメージする共感覚者であった彼は、そうした湧き上がるイメージを記憶のなかにある地図に配置するなどして、覚えていたのである。





 こうした記憶の方法はなにも目新しいものではない。こうしたイメージを場所に配置する記憶術とはとても古典的なものである(それについてはイエイツの『記憶術』にあるとおり)。またNHKを観ていた際に、中国で記憶術が流行しているというニュースが流れていたけれど、そこで紹介されていた手法とも一致する。驚くべきなのは、こうした驚異の能力の持ち主がソ連において輝かしい業績なども残せず、単なる見世物として生きてしまった、ということだ。





 どうしてシィーは見世物で終わってしまったのだろうか。それはまさに彼の記憶力が問題だった。彼が聞いたり読んだりした言葉が、彼の頭のなかにすでに存在しているイメージと一致しない場合、それらは一種のコンフリクトを起こして、彼の文章理解を拒んだ。そうしたコンフリクトを回避するために、彼は脳内のイメージを取り払ったり、理解できるものに置換する作業をしなければならなかった。「マーシャ」という名前の女性の実際と、その言葉が持つイメージ(すこし若く、バラ色の衣服を着た、やわらかい婦人)の齟齬は、彼の理解を困難なものにした。また、彼にとっては詩の理解も困難なものだったという。それは詩のなかにある言葉と言葉の関係によって生まれるイメージよりも、彼が持っていたイメージのほうが強かったからだ。「記憶術師」になる前の彼は、こうして驚異的な記憶力の持ち主でありながら、物分りのいまひとつよくない人物として振舞わざるを得なかった。





 シィーの事例はちょっとした宝の持ち腐れだったのかもしれない。しかし、本書が与えてくれるのは、こうした特殊な人物がどのように物事を理解し、どのように生活していたか、という視点である。著者が残したものは客観的に記録されたものであるが、この記録から読者はシィーという人物の主観を、擬似的に体験することができるだろう。仏教には「一人一世界」という言葉がある。字の通りに理解をすれば、これは世界はひとそれぞれで見えているものが違う、ということになる。ここでシィーの主観を擬似体験することは、彼の世界を擬似体験することでもある。本書を読んでいて特別な感覚を受けるとしたら、そうした「いつものとは違った世界」を覗き見る感覚なのではなかろうか。





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アリストテレス『動物誌』(上)

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 昨年に引き続き、アリストテレス強化期間。アリストテレスの元祖動物大百科的書物『動物誌』の上巻を読みました。とても面白い! 動物の分類方法の話から始まり、人体の外部についての記述、そして内部についての記述、そのほかの動物の外部についての記述、内部についての記述……と順序よく並び、さまざまな動物の生殖行動についての記述で上巻は終わります。読んでいるとすごく組織だって書かれるように思われてきて、これもまたアリストテレスに特徴的な世界記述の方法なのだなあ、という風に感心しました。自分が見て確かめたことや、どこかで聞いた「そんなの絶対ウソでしょ!」みたいな話まで、さまざまな話をアリストテレスは集めて、組織化していく。微細な記述の積み重ねによって、この書物のなかに、動物たちの世界がひとつの体系として収容されていくような趣がありました。





 ただ、どの記述も満遍なく取り揃えられているわけではなく、なかには「ゾウの舌は非常に小さくて奥にあるので、見るのは一苦労である」(第2巻第6章 P.74)と一言で終わっているものもある。でも、こうしたまばらさもとても興味深いです。この箇所の周辺はちょうどいろんな動物の口のなかとか、歯についての記述が並んでいるのですが「いや、この流れだとゾウの舌についても書かなきゃいけないな……でも、あんまり書くことないや……」とアリストテレスが困って書いていたのでは、などと想像してしまう。





 科学の発展によって本書に書かれた知識は否定されたりする部分もあります。でも、なかにはアリストテレスの時代から謎のままの生物もいる。それがウナギです。この美味しい魚類の生態がいまだ謎につつまれていることはよく知られていますが、その謎はアリストテレスの時代から続いていたことが本書を読むと分かります。どういう風にウナギが生まれてくるのかわからないから彼は「ウナギは魚で唯一自然発生する」と説明したりしている。アリストテレスは前4世紀の人物ですから、ざっと2400年ぐらいウナギは謎の生物のままであるわけです。なんかすごいな、ウナギ、と驚いてしまいます。





 あと、驚いたのは「シカの頭の中には蛆がいる」という記述でした。これを最初に読んだときは「またまた~、なんか勘違いしてるんでしょ~」と思ったんですが、さにあらず。シカバエというシカの鼻のなかに卵を産み付けて育つハエが実際にいるんだって(成長するとクシャミと一緒にシカの体内から出てくるらしい)。こうした「それがホントのことなのかどうか」については、丁寧な訳注にも記述されています。読むと動物マメ知識がどんどん増えていくのも楽しいです。下巻はしばらくしたら読み始めようと思います。





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