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1月, 2011の投稿を表示しています

松本零士『ガンフロンティア』

ガンフロンティア (1) (秋田文庫) posted with amazlet at 11.01.31 松本 零士 秋田書店 売り上げランキング: 37872 Amazon.co.jp で詳細を見る  松本零士の『ガンフロンティア』を読みました。部隊は西部時代のアメリカ。主人公のトチローとハーロックは「アメリカに漂流しそのまま定着した日本人の末裔」であり、その生き残り。ふたりはまだ大陸に潜んでいるという同胞を探して西部を放浪する……そこに謎の女、シヌノラが現れて……という話になっているのだが、基本的なところは『銀河鉄道999』などとあまり変わらず、オムニバス形式でさまざまな街をめぐり(そして街を次々に破壊しながら)旅をする。ここでのシヌノラは、松本零士の描く「母性」のひとつの性的で淫靡な変奏であるように思われ、自分が関係を持ったトチローとハーロックを助けるために、自らの体を売ることにも躊躇しないという献身は、今日においてはかなりどうかと思われる描写となっている。ホントこういうものが描ける時代があったのだなあ……というところが感慨深い。性的な描写は全体的に黒く塗りつぶされているものの結構エゲつない(5人以上を相手にした乱交、上の口と下の口で同時にビールを飲まされる、など)。 ガンフロンティア (2) (秋田文庫) posted with amazlet at 11.01.31 松本 零士 秋田書店 売り上げランキング: 57059 Amazon.co.jp で詳細を見る

井筒俊彦『神秘哲学 ギリシアの部』

神秘哲学―ギリシアの部 posted with amazlet at 11.01.31 井筒 俊彦 慶應義塾大学出版会 売り上げランキング: 165731 Amazon.co.jp で詳細を見る  『神秘哲学』の「ひとりぼっちの読書会」シリーズは今後も継続させる予定ですが、ひとまず読了したので感想を書いておきます。これ読んでから気がついたのですが本編である「ギリシアの部」と、附録である「ギリシアの自然神秘主義」では、語られている内容の時系列が逆なんですね。本に収録されている順番は「ギリシアの部」→「ギリシアの自然神秘主義」となっています。「ギリシアの部」ではじめに語られるのは「ソクラテス以前の神秘哲学」なのですが、「ギリシアの自然神秘主義」では、それよりもっと時間を遡ったところから話がはじまって、終わりのところで「ソクラテス以前の神秘哲学」へとたどり着きます。なので「ギリシアの自然神秘主義」を読んでから「ギリシアの部」を読み始めたほうがいいのかもしれません。過去に出版されていた版では、この順番で収録されたものもあったようです。  「ギリシアの自然神秘主義」は、戦前に慶應大でおこなわれるはずだった思想史の講義ノートが元にいるそうです(太平洋戦争勃発により講義計画はポシャッた)。200ページあまりで古代ギリシャ人のメンタリティーの形成を追っているせいか、その語り口は「ギリシアの部」のほうと比べるといささかスピーディーに感じられるのですが、とても面白い。とくにギリシャ神話がホメロスやヘシオドスといった詩人たちの整理(といっても良いでしょう)によって、現在伝えられている形になっていた、という部分が特に。我々に伝えられているオリュンポスの神々のイメージは、最初からあんなものだったわけではなく、元々はギリシャの神様じゃない神様だとか、いろんな神様の話がごちゃごちゃと混ざって信仰されていた。それを偉大な詩人たちが整理した、というわけです。  こうした整理が、ギリシャ的な知性の発露として井筒のなかでは解釈される。前6世紀ごろに大流行した中央アジアに出自をもつディオニュソス信仰も、そうした力によって野蛮さをそぎ落とされて精神的な基盤へと消化されていく。また、偉大な詩人たちの仕事は、地獄、煉獄、天国といった彼岸の世界の構造を『神曲』のなかで説明するように歌っているダンテの仕事を髣髴と

ジェロラモ・カルダーノ『わが人生の書 ルネサンス人間の数奇な生涯 』

わが人生の書―ルネサンス人間の数奇な生涯 (現代教養文庫) posted with amazlet at 11.01.26 G. カルダーノ 社会思想社 売り上げランキング: 785638 Amazon.co.jp で詳細を見る  16世紀ルネサンスの医者であり、数学者であり、占星術師であり、哲学者であり……という万能人的人物、ジェロラモ・カルダーノについて当ブログでは、過去に『カルダーノのコスモス』という研究書を紹介していますが *1 、この『わが人生の書』はカルダーノが晩年に自らの人生をつづった自叙伝です。とても面白かった! 副題に「ルネサンス人間の数奇な生涯」とあるとおり、この人は相当に波乱万丈な人生を送っていた模様で、息子が死刑にされたり、博打に金を注ぎこんだり、10年ぐらいインポテンツに悩んでいたり、と大変ご苦労なさったみたい。こうした苦労の運命を、占星術師である彼は自分のホロスコープ(生まれた時の星と惑星の位置を記した図)から分析していて「もうちょっと太陽の位置が違っていたら、もう少し立派な人間になれたのになあ」的なことを書いている。運命は事後的に確認されるのみである、というところがなかなか悲しげで良いですね。自分の運命を分析できる、というのもなかなか難儀なものなのです。運命を知り、その運命を嘆かなくてはならないのであれば、知らないほうが良かったんじゃないか、などとも思います。  この運命は、自叙伝の冒頭に提示される。個人的にこれは重要に思われます。やっぱり暗い星の下に生まれてしまった、という運命をカルダーノは読んでいるから、その後自分の人生を振り返るさえにも、自分はあんまり幸福な人生を送れなかった、とか、名誉とは無縁の人生だった……とか暗い方向に評価していくわけです。良いこともホントはあったに違いないのに、自分自身が読んだ運命によって自分自身の人生の評価のトーンが決まってしまっているように思われたのですね。このあたりがとても面白いと思いました。ただ、カルダーノがすごいのは、幸福じゃない、成功できなかった、名誉とは無縁だった、とあたかも「なんだかものすごい謙虚な態度をとっている人」風に振舞う一方で、自分の著作一覧の詳細や、自分が直した患者の一覧、自分が同時代の著名人の本で言及された一覧などを制作していたりするところです。思わず「自分大好き人間じ

読売日本交響楽団第500回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

指揮:下野竜也 テノール:吉田浩之 男声合唱:新国立劇場合唱団 合唱指揮:冨平恭平 《第500回記念定期演奏会》 池辺晋一郎/多年生のプレリュード―オーケストラのために(2010年度読売日響委嘱作品、世界初演) リスト/ファウスト交響曲  2011年初めての読響定期は、第500回定期演奏会、と記念すべきものでした。池辺晋一郎の新作《多年生のプレリュード》が世界初演。初めて私が池辺先生のお姿を生で見たのは、シュトックハウゼンが最後に来日した際のコンサートだったと思います。それ以降、注目度の高い現代音楽のイベントでは必ずお見かけしましたが、本日が池辺作品を聴く初めての機会でした。正直、ダジャレをたくさん言うスケベそうなおじさんのイメージがとても強くて、どういう曲を書くのか全然知らなかったんですけれども、音楽の洗練された響きに驚いたのは、そういう強いイメージとのギャップがあったからこそかもしれません。  コンサート前に設けられたプレ・トークで池辺先生はこんなことを語っていらっしゃいました。西洋音楽の歴史は、足元から徐々に頭のほうに上っていった。原初は大地を感じさせる表現(足元)だった音楽が、ロマン派になると作曲家の感情を表すもの(胸)となり、現代音楽になると頭で考えるものになった。ところが21世紀に入ると、もう頭より上はない。だから、もう一度「足元」からやりなおすか、それとも「胸」に戻るか、どちらかを選択しなくてはいけないと思った。しかし、もはや地面はアスファルトだらけで大地を感じることはできない。なので、「胸に響く音楽を書くこと」を私は選択したのだ。いやはや、この話の上手さもまた池辺先生の才能であり、感心してしまうところです(池辺晋一郎・壇ふみ時代のN響アワーが好きだった私としましては、ますます池辺先生時代のN響アワーが懐かしくなりました)。しかし、すごいのはしゃべりの上手さだけではなかった、と。特に感銘を受けたのは、社会主義リアリズム系の作曲家を彷彿とさせる音型やリズムが、鋭くぶつかり合う和音ではなく、まろやかな近代フランス風の和音によって装飾されているような絶妙なバランス感覚で。これは他の作品も聴いてみたいと思える好きな作風でしたね。  後半はフランツ・リストの《ファウスト交響曲》。本年はリストの生誕200周年にあたるメモリアル・イヤーだそうで(毎年いろんな人のメモ

リッカルド・シャイー/J.S.バッハ《クリスマス・オラトリオ》

Bach: Weihnachts Oratorium posted with amazlet at 11.01.19 Bach Riccardo Chailly Decca (2010-12-07) 売り上げランキング: 96597 Amazon.co.jp で詳細を見る  リッカルド・シャイー/ゲヴァントハウス管によるバッハ・シリーズ第3弾は《クリスマス・オラトリオ》。店頭では昨年末に国内盤を見かけていたのですが値段がアレだったのでアマゾンで輸入盤を注文してみたら、年が明けたころに届きました。今年は「新譜」カテゴリーを作って新譜を紹介していきたいと思うのですが、クリスマスの名残などこれっぽちもない時に届けられたのが悔しいのでこれも2011年の新譜としてカウントしてスタートさせたいと思います。  とはいえ、この《クリスマス・オラトリオ》(原題はWeihnachts Oratorium)、本来は教会の暦にしたがってクリスマスの日から毎祝日日曜に一部ずつ演奏されるものなんだって。で、第6部ある全篇が演奏されるのは、年をまたいだ1月6日。だから新年の曲でもあるようです(もう新年の空気もありませんけれどね……)。  私はこの演奏で初めて、この作品を聞くこととなりました。解説によれば、過去の作品を転用も含む大カンタータ集という趣もあるそうです。バッハによる宗教音楽といえば《マタイ受難曲》が有名ですが、それと比べると《クリスマス・オラトリオ》はずっとポップ。例によって歌詞(ドイツ語)の意味は、もうしわけないぐらいにさっぱり分からないのですが、冒頭からにぎやかな感じがして聴いていてとても楽しくなってきます。《マタイ受難曲》は、もう最初から「重っ」という感じがするけれど、これは対照的に思えます(とはいえ、2曲目からレチタディーヴォになるので一気に荘厳な雰囲気になるんですけれど)。  全体での収録時間は2時間ちょっともありますが、まあ、作品の性質上一気に全部聴かなくても許されるでしょう。しかし、シャイーの演奏には強い推進力みたいなものが感じられ(知らないあいだに)全部聴きとおすこともできました。それぐらい音楽がスムーズに流れていく。こういう音作りの上手さが、シャイーらしい部分の表れなのかもしれません。

勉強を好きになる方法、あるいはボクが勉強をする理由

「勉強が楽しい」って感覚にぼくもなってみたいです 今受験勉強中なのですが、勉強がいやです 世界史・国語・英語 「楽しく」なるにはどうすればいいでしょう? 村上春樹 柴田元幸『翻訳夜話』 - 「石版!」  少し早く仕事が終わって自分のブログを開いてみると、こんなコメントが寄せられていることに気がつきました。「勉強大好き会社員」、「大瀧詠一、岸野雄一に次ぐ『勉強家』になりたい」と自称する立場から、本日はこの質問に回答してみます。……とその前に最近のここ2週間ぐらいで見出した「ベストな生活パターン」を公開しておきます。 6時、起床。Twitterなどをチェックしながら、朝食を食べ、昼食用のおにぎりを握る。身支度を整えたら、iPodで 英語のリスニング練習にビートルズの「Let It Be」を聴きはじめる 。これは毎朝10回聴かなくてはならないので、聴かている途中で家を出る時間になる。 電車に乗る。まだ「Let It Be」が聞き終わるまではじっと音楽を聴いている。聴き終わると解放されたように別な音楽を聴き、本を読む。 7時45分、会社着。始業時間まで 簿記2級 の勉強をする。 12時、昼休み。5分でおにぎりを食べ終えてハミガキをすると、(最近はじめた) ラテン語 の勉強をする。 23時、帰宅。すぐさま DUO3.0を開いて例文を10個読む 。その後、 英語の発音練習を 30分ほどする。 00時30分、風呂って就寝。  勉強してるところを太字にしてみました。仕事が繁忙期で、平日の起きている時間はほぼ仕事と勉強に費やしている、という感じですね。でもこうすると大体2時間ぐらいは勉強時間が生み出せる。もちろん、これは結構頑張らないとできないので、2日連続でこのパターンをこなしたらヘロヘロになります。そういうときは潔く休む。今日みたいにブログを書いてみたり、とか、飲みにいったり、とか。まあ、はやく仕事が落ち着けば良いんですが、仕事は待ってくれないので仕方ないです。でも、そんななかでも頑張れる。なぜならそれは 好きな勉強しかしてないから です。好きな勉強だから楽しいと思えるのですし、嫌いな勉強だったら頑張れません。身も蓋もない言い方ですけれど、勉強を楽しくするにはその行為を好きになることしか解決策はないと思います。  でも、そんなのできないですよね。だって今勉強が楽しくないんだもん。

村上春樹 柴田元幸『翻訳夜話』

翻訳夜話 (文春新書) posted with amazlet at 11.01.15 村上 春樹 柴田 元幸 文藝春秋 売り上げランキング: 9544 Amazon.co.jp で詳細を見る  『翻訳夜話』は作家、村上春樹とアメリカ文学者、柴田元幸という翻訳でつながったふたりが、翻訳について語ったもの。出版されたのは10年ほど前のことで、最初に収録されたフォーラムにいたっては1996年のものだから15年も前になる。このあいだ、村上春樹も柴田元幸も、かたや日本で最も人気のある作家のひとりであり続け、かたや日本で最も人気の翻訳者のひとりであり続けたのだからなんだかすごい話であるな、と思う。当初で触れられるのは、翻訳の話だけではなく、村上春樹の文章の作り方、一種の創作論も含まれており、この面でもとても興味深い書物だろう。  翻訳といえば思い出すのはベンヤミンの「翻訳者の使命」という文章だ。これはつい先日も別なところで引用しているし、過去にもこのブログで引用したのだが、また改めて引用しておこう。 翻訳において個々の語に忠実であれば、それぞれの語が原作のなかにもっている意味を完全に再現することは、ほとんど必ずといっていいほどできない。なぜなら、語の意味は、原作に対するその詩的な意義からすれば、志向されるものにおいて汲みつくされるものではなく、ある特定の語において志向されるものが志向する仕方にどのように結びついているかによってこそ、その詩的意義を獲得するからである。  ベンヤミンは、言語の意味(志向されるもの)が言語の音(志向された音)と結びついていると考えた。指摘意義や意味とはそういった意味と音との関係性のなかで生まれてくるものだ。だから、個々の語に忠実することで意味を再現するという試みは、常に失敗を前提としたものでなければならない。だって、翻訳をした時点で音が変わっているんだもん、と。  そう考えると翻訳という行為も言語化不可能なものに取り組む、といういささかロマンティックな態度にも思えてくる。本書で村上・柴田が悩むところは、単に物好き同士の悩みではなく、ロマンティックな煩悶として捉えられてもよいのかもしれない。本書では、村上のカーヴァー訳と柴田のカーヴァー訳、村上のオースター訳と柴田のオースター訳を比較するという試みもおこなわれているのだが、さらにカーヴァーとオースタ

井筒俊彦『神秘哲学』を読む #4

神秘哲学―ギリシアの部 posted with amazlet at 10.12.30 井筒 俊彦 慶應義塾大学出版会 売り上げランキング: 130301 Amazon.co.jp で詳細を見る  年が明けてからというもの連日残業が続き、大好きな勉強時間もなかなか取れない日々を過ごしており、いまにも地獄のミサワ的に「つれーわー」などとぼやきたくなるのですが、本日は第二章『プラトンの神秘哲学』に入っていきましょう(ディスプレイの前で読者の皆様が『おつとめごくろうさまです』と念じながらこれを読まれることで、TCP/IP通信とは別な精神的通信網によって私のもとにねぎらいの言葉が届く仕組みになっていたら、少し救われる気持ちになるのになぁ……!)。  「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」というホワイトヘッドの言葉から察せられるとおり、プラトンという思想家の存在が、西洋哲学史の巨大なマイルストーンとなっていることはいうまでもありません。プラトンに重きを置くのは井筒の神秘哲学史においても同様であり、井筒はプラトンを西欧神秘主義の第一回の頂点とみなします。しかし、井筒が描くプラトンはしばしば言われる、イデア論のプラトンではありません。井筒はイデア論を「神秘主義的絶対体験のロゴス面」(神秘を言語化したもの)と位置づけ、また「形而上学説の各段階は深い超越体験のパトス的基体に裏付けられている」と言います(P.39)。このロゴスとパトスの合一を捉えなければ真にプラトンは理解できない、というのが井筒の見立てです。  ともあれ、プラトンのイデア論がどういったものなのか、について井筒はみていきます。ただ、すんなりと「イデア論とはこういうものである」などと叙述されるのではありません。ここで最初に井筒が持ち出してくるのは、唯名論的な認識の世界についてです。 我々は具体的個人として目前に存在するこの人、或いはかの人を見ることはできぬが、この人にもかの人にもあらざる人間それ自体というが如き普遍者を見ることはできぬ。この馬あるいはかの馬に触れることはできるが、馬そのものには触れることができぬ。すなわち人間自体、馬自体等の一般者は、我々が具体的なる個々の人あるいは個々の馬を見て其等全てに通ずる共通要素を抽象し、頭の中で組立てた理性の産物であって、人間理性を離れた超越界に存在するものではない

エイトル・ヴィラ=ロボス/チェロとピアノのための作品集

Villa-Lobos: L’oeuvre pour violoncelle et piano posted with amazlet at 11.01.12 Intrada (2010-05-10) Amazon.co.jp で詳細を見る  ブラジルを代表する作曲家、エイトル・ヴィラ=ロボスの音楽に関しては、学生時代に仲の良かった物好きなチェロ弾きの先輩がブリリアント・クラシックの廉価盤で出ていた弦楽四重奏曲全集(彼が残した弦楽四重奏曲は17曲もある)の話を聞いたぐらいで、他にはいくつかのギター曲を聴いた記憶があるだけで、どんな曲を書いていたのか、あまり印象になかった。はじめて彼の魅力に開眼したのは、このチェロとピアノのための作品集を聴いてからだ。  一曲目に収録されたこの《黒鳥の歌》からして、もう反則級の名曲だ。印象派風の伴奏を背景にして、物憂い感じのする旋律が穏やかに流れていく。フランスに留学したという彼の経歴は、他の曲の雰囲気からも伝わってくるようなのだが、次々に登場する素晴らしいメロディを聞かせられると、彼を「20世紀を代表する作曲家」の一人として数えたくなる気持ちも分かる。彼はモダンの大きな流れには乗っていないかもしれないが、19世紀末に訪れたロマン派のクライマックスの最中、偶然生まれた支流のなかで生き生きと活動していたのではないか、などとも想像する。本流とは違う別な20世紀の音楽史が、彼の音楽のなかで呼吸するかのような感覚。  そして、こんなに洒脱な「クラシック」もなかなかない。 (あんまり良い演奏ではないが《小組曲》より「Romancette」、「Legendaria」)

マーク・ウェブ監督作品『(500)日のサマー』

(500)日のサマー [Blu-ray] posted with amazlet at 11.01.10 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (2010-12-23) 売り上げランキング: 370 Amazon.co.jp で詳細を見る  昨年の話題作を鑑賞。サブカル男子が描かれた映画である、というのはいくつかの映画ブログの記事で読んではいたのだが、主人公のキャラクター作りがここまで徹底していると、もはや風刺なのではないか、という気持ちにもなってきた。面白かったかどうか、と問われれば面白かったけれど、サマー役のズーイー・デシャネルが会社にいる生理的に苦手な女性と似ている事実に気がつくと、その女性に対する不快感がズーイー・デシャネルに上乗せされてしまい、ただでさえ「ええ……とんでもなく身勝手な女じゃないか!?」と思わされたのに余計にムカムカとしたりもする(あまりにも個人的な理由……)。世界を支配しているのは運命か、偶然か。エンディングで語られる物語のテーマは「そんな話だったのかよ!!」と大きく突っ込みたくなり、大笑い。これを思想史上の主知主義と主意主義の対立の話へと接続することもできよう。アヴィセンナ対スコトゥス、みたいなさ……しないけれども。でも「すべては偶然(incident)である」というセリフからは、出来事が偶発的に発生しそれらが連なって世界を形作っているイメージが浮かんで、良いセリフだな、と思った。  あと、サマーの振る舞いから思い出したのは社会学者、ゲオルク・ジンメルの「コケットリ」についての記述。 ……女は「与えることを仄めかすかと思えば、拒むことを仄めかすことで刺戟し、一方、男性を惹きつけはするものの、決心させるところまではいかず、他方、避けはするものの、すべての望みを奪いはしない」。この「イエスとノーとの間」を揺れる遊戯=ゲームは、「堅い内容や動かぬリアリティの重みをすべて捨てている」(もし拒否したり、彼のものになったりしたら、その瞬間に彼女はある内容・リアリティに釘付けされて、その動きは止まり、魅力はなくなるだろう)。そして女性のこのコケットリのゲームに対し、男性が「欲望や欲望への警戒を離れて」そのゲーム自身に魅力を感じるようになったとき、これは「社交」となる。  以上は、奥村隆『ジンメルのアンヴィバレンツ』 *1

そういえば最近は南米の音楽ばかり聴いていた

Tango:Zero Hour posted with amazlet at 11.01.09 アストル・ピアソラ american clavé (2010-08-18) 売り上げランキング: 97245 Amazon.co.jp で詳細を見る TROPICALIA 2 posted with amazlet at 11.01.09 Caetano Veloso & Gilberto Gil Nonesuch (1994-05-03) 売り上げランキング: 261082 Amazon.co.jp で詳細を見る  昨年末、中古盤屋で回収した上記のふたつのアルバムを繰り返し聴いている。一枚目はアストル・ピアソラが自身で「最高傑作」と認めたというアルバム『Tango: Zero Hour』。二枚目はカエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルの共作アルバム『TROPICALIA 2』。ピアソラのアルバムは「実は聴いてなかったアルバム」的な感じなのだが、小松亮太の『ブエノス・アイレスの夏』(これも超名盤)が目指していた音作りは、ココにあったのか! というピアソラ再発見的な印象を持った。小松亮太の件のアルバムは、ピアソラと共演していた人たちが参加したアルバムなのだから当たり前といえば当たり前だけれども――ピアソラの音楽を聴いたのはこの小松亮太のアルバムが初めてで、まずヴァイオリンが木でできた楽器であることを強烈に意識させてくれるような、その乾いた音色とアタックに痺れたことを思い出した。  カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルのアルバムは、初ジルベルト・ジル体験となった。なぜかこの人のことを女性ミュージシャンだと思っていて(たぶん ジル ・スチュワートや ジル ・サンダーなどと無意識に混同)「え? 男なの?!」というのにまずびっくりした。あと、写真を見たら「黒人系なの!?」とびっくりしたし、経歴を調べたら「政治家もやってたの!?」とびっくりして、なんかすげー人なんだな、と思った。「黒人系なの!?」というのは差別的な感じがするけれど、黒いねっとりしたサウンドとブラジルの音楽ってイメージ的に距離があるじゃんか、という(これも差別的な捉えた方だな……)。発表は1993年。一曲目からラップに取り組んでたり、めちゃくちゃファンキーであったり、しっとりしてたり、オッサンたち懐深

井筒俊彦『神秘哲学』を読む #3

神秘哲学―ギリシアの部 posted with amazlet at 10.12.30 井筒 俊彦 慶應義塾大学出版会 売り上げランキング: 130301 Amazon.co.jp で詳細を見る  本日は第一章の後半に入っていきましょう。ここでは「万物は流転する」で有名なヘラクレイトスとパルメニデスについての紹介がおこなわれます。まず、ヘラクレイトスですが、この前に語られているクセノファネスとの対比から触れられています。クセノファネスが究極的実在を「全一」というすべてが渾然一体となった「始原的融即態」として捉えていたことは前回のマトメにも記載したとおりです。しかし、クセノファネスはこうした全一の流動性には注目していなかった、と井筒は言います。そこには無限なる分化分裂の可能性があるはずなのに、と。ヘラクレイトスは、その流動性についてギリシア人として初めて考え始めた人物だったようです。万物は流転する。彼は存在界で不断に生じている生成の実相を、河の流れに喩えました。ただ、そうした考えは当時の「ギリシア全体の精神的空気」であった、と井筒は指摘しています。そこにはヘラクレイトスの独創性はない。  では、どこに彼の独創性があったのか。それは彼が「『内面への途』を知悉する神秘道の達人」(P.24)だったところに由来しています。彼は人間の霊魂に限界を設けなかった。精神世界の深さはどこまでも続いていく。しかし、彼ほどの達人になれば、終わりがない精神世界の終わりを目撃できる、と井筒は言います。そして、ヘラクレイトスは深く深く入り込んでいった精神の極限において、彼は超越的に「流動そのものの極致」、絶対的存在を見出したんだとか。なんだか「スピードの向こう側」みたいな話ですが、ここにこそヘラクレイトスの独創性があった、と井筒は主張しています。外に向かうのではなく、内に向かうことによって究極的実在を見出したのだ、と。現象界の流動を捉えつつ、霊魂の深さを極めようとするうちに、宇宙的動性の動性(動きの動き)そのものへと達したとき、動は静へと転じて神的矛盾が生ずる。それがヘラクレイトスの見出した神であり、ロゴスだったそうです。  こうしたヘラクレイトスの思想を「両頭の怪物」と揶揄したのがパルメニデスだったそうです。彼はヘラクレイトスとは反対に生成変化などすべて「夢幻虚妄」として捉え、世界で確かに実

2010年、「石版!」で何が売れたのか

  2010年、はてなで売れたAmazonの音楽CDは?年間ランキングトップ30 - はてなブックマークニュース に触発されまして、当ブログ経由で何が売れたのかの集計をとってみました(当ブログはアマゾン・アフィリエイトを利用しているブログです。ブログに掲載されたリンクからアマゾンでお買い物をしていただくと私に商品代金の3~4%が入る仕組みになっています。これで得た収益によってまた本やCDを買い、そして再びブログ記事を書く……という循環型エコ・システム!)。本日は3点以上売れた商品について紹介していこうと思います。 3点売れた商品 入門スピーカー自作ガイド―基本原理を知って楽しく自作! (学ぶ・作る・楽しむ・電子工作) posted with amazlet at 11.01.08 炭山 アキラ 電波新聞社 売り上げランキング: 16465 Amazon.co.jp で詳細を見る 炭山アキラ『入門スピーカー自作ガイド』 - 「石版!」 言葉にならない、笑顔をみせてくれよ(初回限定盤)(DVD付) posted with amazlet at 11.01.08 くるり くるりとユーミン ビクターエンタテインメント (2010-09-08) 売り上げランキング: 683 Amazon.co.jp で詳細を見る くるり/言葉にならない、笑顔を見せてくれよ - 「石版!」 バリ島の音楽 posted with amazlet at 11.01.08 オムニバス スマラ・マドヤ スカクティ村のワヤン一座 ビクターエンタテインメント (2005-03-09) 売り上げランキング: 150206 Amazon.co.jp で詳細を見る 最近聴いたワールドミュージック サムルノリとかガムランとか - 「石版!」 パヌー posted with amazlet at 11.01.08 mmm kiti (2009-12-16) 売り上げランキング: 146935 Amazon.co.jp で詳細を見る mmm/パヌー - 「石版!」  なんだか統一性のないラインナップ。『入門スピーカー自作ガイド』とmmmは紹介できて良かったな、という感じがします。 4点売れた商品 英語耳[改訂・新CD版] 発音ができるとリスニングができる posted with amazlet at 11

井筒俊彦『神秘哲学』を読む #2

神秘哲学―ギリシアの部 posted with amazlet at 10.12.30 井筒 俊彦 慶應義塾大学出版会 売り上げランキング: 130301 Amazon.co.jp で詳細を見る  あけましておめでとうございます。今年はより一層ハードコアで、誰もついてこられないほどインテリジェンス溢れるブログを目指していこうと思うのですが、その将来を予兆するかのように新年一発目のエントリは「ひとりぼっちの読書会」でございます。前回予告しましたとおり本日は『神秘哲学』の本文に入りまして第一章「ソクラテス以前の神秘哲学」を見てまいりましょう。井筒はまず、ディオニュソス神についてとりあげています。  ギリシャ神話上のディオニュソスは、豊穣とブドウ酒と酩酊の神として信仰されており、ゼウスがどこぞの王女様と浮気をして作ったこどもとして知られております。しかし、彼はもともとアジアで信仰されていた土着の神様だったのです。この信仰がいつのまにかギリシャにも流入し、紀元前6世紀にギリシャ全土に一大ディオニュソス・ブームがやってきたのだそうです。具体的にどういった催しが当時おこなわれていたか、というところまで井筒は触れていないのですが、ディオニュソス信仰はとにかくすごい熱狂的なモノだったらしいです。 惨虐狂躁の限りをつくし、悽愴(せいそう)なること目を覆わしむごとき野蛮醜悪なる手段によってではあったが、この暗き祭礼の醸し出す異様な狂憑の痙攣の裏に沈淪する信徒達は、小我を脱却して大我に合一するの法悦を直験し、肉体の緊縛を離れた霊魂の宇宙生命への帰一還没を自ら直証することを許された。(P.6)  もうなんか字面からこの儀式の凄みが伝わってくるようですが、当時のギリシャ人の精神にはこうした狂乱体験への免疫が備わってなかったので、大ブームになってしまった、と。この信仰を井筒は「冥闇と渾沌の『夜』の精神」と呼ぶのですが、これが後に「アポロン的清澄の光明」とならんでギリシア精神の本質的要素となります(P.7)。しかし、ディオニュソスが与えた衝撃はそれだけではない。ディオニュソスがギリシャに消し難い刻印を残した、ということはつまり、その後の全西欧の精神にディオニュソスは遺伝された、ということです。井筒はこんな風に言い切ります。「ディオニュオス宗教のギリシアに於ける隆盛は同時に西欧神秘主義の発端を劃