イェイツの『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義の伝統』を読む(原書で) #9

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Giordano Bruno and the Hermetic Tradition (Routledge Classics)
Frances Yates
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今回は第6章「偽ディオニシウスとキリスト教魔術の神学(Pseudo-Dionysius and the Theology of a Christian Magus)」を見ていきましょう。前回、早世した天才、ピコの業績について触れた章はヴォリューム的に、内容的にも盛りだくさんでしかもラテン語部分の翻訳まで試みる、という重さだったので、この章の短さは助かりました。ここで登場する偽ディオニシウスは何者だったのか。その詳細はWikipediaに記載がありますので、ここでは簡単にしか触れませんが、偽ディオニシウスは自称「アレオパギタの聖ディオニシウス」であり、9つの天使の階級について唱えています。「偽」というのはこの「自称」の部分であって、偽ディオニシウス自体は5世紀ごろの人物なのに1世紀ごろにアテネでパウロと会った人物だとして執筆をおこなっていた、ということです。例によって昔の人は、こうした騙りを疑わず、彼の天使の階級説はトマス・アクィナスなどの神学者たちに受け入れられ、キリスト教神学のオーソドックスな部分として受容されます。そして偽ディオニシウスの説はルネサンスの魔術にも多大な影響を及ぼした、とイェイツは言います。フィチーノもプラトン主義とキリスト教の教義を統合させる著作において偽ディオニシウスへ言及をおこなっている、とのこと。





後世の新プラトン主義者たちが影響を受けた偽ディオニシウスの著作『天上位階論』にはこんなことが書いてあるそうです。9つの天使たちはそれぞれ3人(天使の場合《人》という数え方が適切なのか……)ずつ1組になって、そのグループはそれぞれ三位一体の位格を表し、さらにこれらの天使たちは天球を超えたところにある、と。ディオニシウスの説は厳密に言えば宇宙論的な宗教ではありませんでしたが、イェイツはこれらの説にグノーシス主義的なものを認めます。そしてそこにはヘルメス主義的な影響も存在している、というのです。フィチーノはこの階級説を『キリスト教について(De Christiaa religione)』のなかでまるごと取り入れます。ただし、彼は階級説がトマス・アクィナスとダンテによって偏向されたものとして注釈をおこなっている。このため、これが偽ディオニシウスだけがフィチーノに影響を与えた、とは言いがたいものとなっています。しかし、ダンテ学者でもあったフィチーノはダンテの『天国篇』を分析し、光のさまざまな質について語っている。彼は光についていろんな表現を用いており、それらはディオニシウスが考えた天使の階級が反映したもの、と考えていたようです(なお、フィチーノが記した『光について(De lumine)』は平井浩氏の邦訳でも読むことができます。『ミクロコスモス』第1集に収録)。まあ、いろいろとこの辺は混ざっている、ということのなんでしょうか。











フィチーノの自然魔術は惑星や太陽を狙うにとどまりますが、天使の階級は惑星や太陽の層を超えて広がっている(惑星や太陽のうえにもっと高次の天が存在している)。このことからイェイツは、フィチーノが天使を使って魔術をおこなおうとしたわけではないこと、また奇跡をおこすようなことを目指したわけではないのだろう、と言います。また、偽ディオニシウスの説はフィチーノだけではなく、ピコのカバラ魔術にも影響を与えており、イェイツはピコが論じる「3つの世界(地上、天、天をさらに超えた世界)」の説明から偽ディオニシウスの影響を確認していきます。





他方では、偽ディオニシウスは彼の否定神学を通してもルネサンスに影響を与えた、とのこと。ここでの否定神学とは、神は良いものでも、美しいものでも、真理でもない、神は名付けようもない、全ての知識を超えた存在である、という主張としてまとめられています。この思想が「隠れた神(Deus Absconditus)」や、ニコラウス・クザーヌスの「知ある無知(De docta ignorantia)」へと繋がっていく。フィチーノはディオニシウスの『神の名について』という著作を翻訳しているのですが、その注釈のなかで彼はディオニシウスとヘルメス・トリスメギストスを接続しているのが興味深い。神は美しさや、存在や、生命や、真理を超越し、どんな名前をも持たない。その一方で、彼は美しさや存在や生命や真理といったすべてのものに対しての名前を持つ。このディオニシウスの説は、井筒俊彦が言うところの「遠くて近い神」の典型のように思われるのですが、この神秘的な言葉をフィチーノはヘルメスによって確証づけられたものとして取り扱うのです。





この章の終わりのほうは結構トピックが雑多で、フィチーノによるプラトンの『饗宴』の注釈におけるエロスと魔術についての説明だとか、あらゆる宗教が三位一体をもつものだという観点からゾロアスター教の教義などが誤解を多大に含みながら読み替えられてしまったことなどに触れられています。





といったところで今回はおしまいです。おつかれさまでした。





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