最近聴いたワールドミュージック サムルノリとかガムランとか

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 相変わらずテレビは朝のNHKぐらいしか観ていないの*1で、どういったポップ・ミュージックが流行っているのかよくわかっていないのですが、なんでも韓国発のアイドル・グループが流行っているそうで、遅ればせながら私も少女時代をチェックしてみたんですけれど、そこで私が目にしたのは完璧にアメリカナイズされた楽曲と大陸的な身体の強靭さでして、まさに魂消た、というか「日本の音楽は、この国の音楽に勝てるのか……」と母国の将来が心配になったのでありました。



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 どうしてこのような強靭な音楽が可能なのか、そこにはもしかしたら、そもそものところ韓国と日本とでは音楽的な資質が違うのでは、といったところにも意識が向かいます。なにせ韓国といえば、サムルノリが生まれた国ですから――サムルノリ(Samul-Nori)とは韓国の伝統音楽である農楽を、キム・ドクスという演奏家が発展させた「新-伝統音楽」とも呼ぶべき音楽のこと。チン(ゴング)、プク(太鼓)、ケンガリ(鉦)、チャング(杖鼓)という四つの楽器はそれぞれ、太陽、月、星、人間を象徴すると言われ、音楽のなかに万物照応が布置される壮大な音楽でございます。この躍動。凄まじい。



《韓国》サムルノリ
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キム・ドクス
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 躍動と言えば、最近買ったバリガムランのCDもすごかったです。ガムランについては、Nonesuchから出ているデヴィッド・ルイストンの採録のものを一枚もっていたのですが、先日買ったのは「JVC WORLD SOUNDS」シリーズの一枚(↓)。



バリ島の音楽
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オムニバス スマラ・マドヤ スカクティ村のワヤン一座
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 よく知らなかったのですが、ガムランにもいろいろジャンルがあるそうで。私が衝撃を受けたのは「ゴン・クビャール」というもの。これは1920年ころに生まれた比較的新しい舞踏伴奏用の音楽なんだって。このなかでもヤマ・サリというグループによる「スガラ・ムンチャル(変幻する波の調べ、の意)」という曲は超どファンクで、腰が抜けそうになりました。メタリックな大音響によるシンコペーションの嵐はヨダレがでるぐらいカッコ良いです。



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(ゴン・クビャールの動画)




*1:ちょっと嘘。最近『もやもやさまぁ~ず』を日曜日の夕飯を食べながら観ています





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読売日本交響楽団第498回定期演奏会 @サントリーホール 大ホール

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指揮:シルヴァン・カンブルラン


ヴァイオリン:ヴィヴィアン・ハーグナー


《3つの〈ペレアスとメリザンド〉》


ドビュッシー(コンスタン編曲)/〈ペレアスとメリザンド〉交響曲


コルンゴルト/ヴァイオリン協奏曲


《マーラー・イヤー・プログラム》


マーラー(ブリテン編曲)/野の花々が私に語ること(原曲:交響曲第3番 第2楽章)


シューマン/交響曲第4番(第1稿)



 11月の読響定期は常任指揮者、シルヴァン・カンブルランが3度目の登場。「3つの《ペレアスとメリザンド》」シリーズの最後を飾るドビュッシーや、マーラーがフューチャーされたプログラム。シーズン後半に入ってからパッとした演奏がなく「来年の定期会員はどうしようかなぁ」と悩んでいたのですが、今日はとても良い演奏会で「また来年も会員になろう!」と思いました。良い演奏に触れると、また明日から仕事を頑張ろう! と気分がリフレッシュします。とはいえ、そう思えたのは後半のプログラムが良かったからなのですが。





 プログラム順に振り返ってみますと、ドビュッシー。これは今季の前プロでは前回の《未完成》に次いで良い演奏だと思いました。管楽器のアンサンブルの難しげなところが雑だったのが少し残念でしたが、弦楽器の柔らかい音色が気持ち良く、まろ~い感じ。で、その次のコルンゴルト。これは端的に言ってヒドかった。今季で一番酷い演奏だった気がします。この作品は、ソリストの超絶技巧が要求される協奏曲として名高いもので、そういった曲を任されるソリストなのだから、さぞすごいテクニシャンなのであろ~、と期待していたのですが、もう全然ダメ。音が全部並んでないし、音は飛んでないし……。伴奏のオケもゴチャゴチャしてて聴くに耐えませんでした。演奏後、ソリストにアンコールを求めるような拍手が長々と続きましたが、こういう演奏にアンコールを求めちゃいけないと思います。





 このコルンゴルトのあとの休憩で「来年の定期会員はどうしようかなあ」という悩みは最高潮に達し、知らない人(隣の席に座っている定期会員の紳士)に「今の演奏、どう思いますぅ?」と絡みたくなるほどだったんですが、後半のマーラーからどんどんオーケストラが良くなっていきました。カンブルランという指揮者がどういう人なのか、つかみきれているとは言えないのですが、マーラーの交響曲第3番からの抜粋は聴衆が「オッ」と思うポイントを押さえた効果的な演奏でした。本日のコンサートマスターの藤原さんのソロも良かったです。私はこの人の細かいヴィブラートのかけ方が苦手だったんですが、今日はなんか普通な感じだったから好印象だったのかもしれません。抜粋版だけじゃなくて全部聴かせてくれ~、思いました。





 で、ラストのシューマン。これは間違いなく今季ベスト。交響曲第4番の初稿版は初めて聴きましたが、広く演奏されている改訂版とはまったく印象が違うのも驚きました。ブラームスは改訂前後を比較して「初稿のほうが軽やかで良い」と評価したそうですが、確かに初稿版は序奏のテンポから違う(これは指揮者の設定なのかな)。オーケストレーションも初稿版のほうがムチャクチャな感じがして、言ってしまえばよりシューマンらしく聞こえるような気がします。良いですね~、シューマン。管楽器がブ厚く使用されている部分は、まったく効果的に楽器が使われておらず、モヤモヤしていてなにがなにを吹いているのか分からない。このモヤモヤを背景にして、第一ヴァイオリンが一生懸命キリキリと働く……というこの風景がシューマンっぽい。なんだかモヤモヤな管楽器は、音楽がなんとな~く立派に聞こえるように裏側に鉛をくっつけてみました、的な効果を放っているようにも思われ、これを無理にキレイに音を整理して鳴らさなくとも、っていうか、キレイに鳴らさないからこそ、シューマンらしい魅力が放たれるのではないか、とも思われるのでした。つまり、カンブルランのシューマンはそういうものであったわけですが、しかし、こうした演奏が鈍重に聴こえなかったのは、軽やかなテンポ設定や、細やかな表情のつけ方がとても上手かったからでしょう。





 ただ、シューマンの音楽はずーっとモヤモヤが背景にいるわけじゃなくて、急に音がスカスカになる瞬間もやってきて、そういうところが面白いんですよね~。ほとんど丸裸でバス・トロンボーン(かな?)が低音をフォルテで吹く箇所なんか、なんだ、その楽器の使い方は! とビックリしてしまいます。ちなみにこのトロンボーンの部分は「カンブルランの指示に、変な箇所を強調する意図があったのかな」と推測してしまうぐらい強調されていました。なんだか演奏を褒めてるのか貶しているのかよく分からなくなってきましたけれど、集中力・テンションともに途切れない極めて良い演奏でした。自然と目頭が熱くなりましたよ。





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松澤喜好『英語耳 発音ができるとリスニングができる』

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英語耳 発音ができるとリスニングができる(CD付き)
松澤 喜好
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 『DUO3.0』が3周目に突入したと同時に、アダム高橋さん(id:la-danse)からおすすめしていただいた教材をはじめてみました。とりあえず一度通読しただけなのですが、とても面白かったので紹介させていただきます。





 本書のコンセプトは「発音ができるとリスニングができる=発音できない音は聞き取れない」というもの。これはもっと噛み砕いて言えば「知らないものは、認識できない」と理解することができるでしょうか。ここでは日本語と英語は発音においてまったく違った体系をもつ言語である、という前提にたち、英語の子音と母音を分解して解説、読者に身につけさせることによって英語の音を認識できる状態=「英語耳」を作る試みがなされます。これを読んでいたとき、しばらく前に読んだ以下の記事を思い出しました。





外国語に母音を挿入して聞く「日本語耳」は生後14カ月から獲得|2010年 プレスリリース|理化学研究所


 例えば「text」という単語、これは本来「tekst」と発音され、「kst」の部分はすべて子音のみの連続で発音されなければなりません(そして、英語耳の人はそういう音を認識している)。しかし、日本人の耳(=日本語耳)においては「tekusuto」と脳内で勝手に母音を挿入して認識してしまう。子音の連続が認識できない……という現象については、本書でも記述されます。この現象自体とても面白いのですが、それはさておき、英語耳を手に入れるためには「連続した子音」を認識できるようにならないといけない、ということでしょう。





 本書にはそのための発音トレーニングの方法がとても詳しく書かれていました。これを実践しながら読んでいるととても楽しかったです。「アとウの中間のような」という曖昧な説明が、後から出てくるのも良かった(こういう記述が先に書かれてしまうと、発音が日本語化されてしまいそうなので)。まずは音声学的なメカニズムの説明があって、その通りやるとちゃんとそれっぽい音が出るのが驚きでした。





 この発音練習は「発音バイエル」として体系化されています。このトレーニングを100回以上やれ、といきなりすごい回数を筆者は求めてくるのですが、それで英語耳が身に付くならやるよ! という気分にさせられるのは、本書の説明が構造主義の本に登場する音声学についての記述を想起させるところがあるせいでしょうか? 発音記号についてちゃんと勉強したのも、この本が初めてな気がしますし、とても勉強になりました。



英語耳[改訂・新CD版] 発音ができるとリスニングができる
松澤喜好
アスキー・メディアワークス
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 どうやら最近、改訂版がでた模様(改訂版のほうが少し安いです)。それにしても、この本を読んでいたら「中学・高校の先生の英語の先生が教えてくれたのは、ホントに受験のための英語だったんだなあ」と思いました。





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俺がイタリアで飲んだ酒

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 いろんなところで報告はしているのですが、先日、とある女性と入籍しましてハネムーンに行っていたわけでございます。旅行先はイタリア。今年は私のなかでルネサンス思想がきていたのと、あとワインがたくさん飲みたかったから、という理由で初の海外旅行となりました。イタリアはワインとパンが異様に安くて、日本で飲んだら結構ふんだくられそうなワインや、都心のしゃちほこばったブーランジェリエ(笑)で500円ぐらいで売っていそうなパンが1ユーロぐらいだったりして、楽しかったです。あとオレンジ・ジュースも安くて美味しくて、コーヒーもお酒もあんまり飲めないお嫁さんは、毎日フレッシュなオレンジ・ジュースを飲んでいました。飲んだお酒はいくつか記録に残していましたので、ここで紹介させていただきます。


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 これはイタリアのビール「Moretti」(高速道路のドライヴインみたいなお店で2.5ユーロだったはず)。ツアー旅行だったのですがそのバス移動中に見渡す限りのぶどう畑を眺めながら飲みました。甘くてフルーティな風味で美味しかったです。でも毎日飲んでいたら飲みあきそうな味。たぶんイタリア人にとってもそうらしく、街を歩いているとハイネケンのジョッキを飲んでる人が結構いっぱいいました。


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 これも高速道路のドライヴインみたいなお店で2.5ユーロだったドイツのビール「Warfteiner」。これも甘くてフルーティな風味のビール。ヨーロッパのビールってそういうのが多いんですかね。


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 ヴェネツィアのオステリア(大衆食堂みたいなレストラン)で頼んだワイン。お店で飲んだら18ユーロでしたが、あとで6.5ユーロで売っているのを見つけてちょっと凹んだ。でもとても美味しかったです。ごくごく飲んでしまえるような、そういう勢いがある。たしかトスカーナ州のワイン。この地方のワインが安くて美味しい、という話は村上春樹のエッセイで読んで、ずーっと飲んでみたかったのです。お店には自分たち以外に日本人はいなくて、しかも地元の人がどんどん入ってきて不安だったけれど「間違えて、地元の人たちがいっぱいいるところに迷い込んじゃったよ」という場違いな感じも楽しかった。



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 村上春樹によるトスカーナのワインについては『遠い太鼓』に収録されています。


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 フィレンツェのスーパーで3.5ユーロで売っているのを見つけて思わず飲んでしまった「CHIMAY」(ベルギー・ビール)。このスーパーではアサヒの「スーパードライ」のスタイナー瓶が5ユーロぐらいだった。値段が逆転している。


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 フィレンツェのワインバーで。フィレンツェでは昼と夜に2件、ワインバーにいきました。こちらは夜にいったほう。昼に行ったほうは、入ってみたら結構フォーマルなお店で恐縮しました。高級ワインがグラスで頼めたりして、とても楽しかった。観光しながらグラスで5杯ぐらい飲んでしまいました。そして「美味しくないワイン」がひとつもなかった。


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 ホテルに帰ってからも、買ったワインを飲む。ボトルで買ったワインではこれが一番美味しかったです。14ユーロぐらい。飲みやすいんだけれど、しっかりとした渋みがある。酒飲んでるゾ、今、という実感がしてくる、そういうワインでした。


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 これは最後のローマのホテルで飲んでいたワイン。自分の一生でこれほどまでにワインを飲みまくっていた一週間はなかったであろう、と思いました。たぶん、旅行中にボトルで5本分は飲んでいる(つまり、ここで紹介している写真は一部分、というわけ)。本当に手ごろで、美味しいワインがたくさんあるものだから、この国においては自然に血液がワイン化してしまいそうな気配さえあります。あと、旅行者じゃなくとも昼間から飲んでいる人がたくさんいる。ヴェネツィアの町を歩いていたら、道端に置かれた椅子の前に座って手をプルプルさせながらワインを飲んでいるおじいさんがいたのが印象的でした。「ワインが好き」などというと、スノッブな印象をもたれてしまいますけれども、この国ではとてもカジュアルな飲み物なのだなあ、と。


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 しかし、根がビール党員であるため、なんだか無性にビールが恋しくなって帰りにオランダの空港でビールを飲んでしまったのだった。「Murphy's Stout」はじめて飲んだけれど、とても美味しかった。





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黒田硫黄『あたらしい朝』(2)

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 黒田硫黄最新刊。『あたらしい朝』は第1巻から2年ちょっとで第2巻、そして完結……とこんなにあっさり終わるとは思わなかったが、ダイナミックな絵柄、コマの動きが炸裂しながらも、しんみり、あるいは諸行無常……という素敵な作品だった。第1巻は「あたらしい朝なんかこなけりゃいい」と不安な感じで終わったのだが、この終幕は、それでも地球は回っている、というか、地球の裏側にいてもどこにいても新しい朝はやってき続ける、というか、日常のなかから大きな哲学めいたテーマが読み手の心に染み込んでくるかのよう。良い漫画でした。








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Kimonos/Kimonos

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Kimonos
Kimonos
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KIMONOS
EMIミュージックジャパン (2010-11-17)
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 新譜。向井秀徳とLEO今井によるユニット、Kimonosのファースト・アルバムを聴く。LEO今井についてはまったく知らなかったのだが(レオ・スピードワゴン関係の方かと思っていたのだが、そちらのほうはREOなのであった)先行でYoutubeにアップロードされていた2曲のPVにはガッチリ心を掴まれたものである。



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 というわけで相当に期待値が相当高かったわけだけれども、アルバムをフルで聴いてみたら「半分ぐらいは楽しめたかなあ」という感じだった。ちょっと肩透かしを喰らった感じ。その理由は、id:mthdrsfgckrさんが書かれているレビューですでに指摘されている。



ヴォーカルはお2人とも両極端に位置するようなヴォーカル具合なので、そのヴォーカルの調和しなさ具合を楽しめるか否かでこのアルバムの印象も大分違うかも知れない。


2010-11-23 - 日々の散歩の折りに



 mthdrsfgckrさんがこの「調和しなさ具合」を「楽しめた」と好意的に受け止めたのに対して、私はあまり楽しめなかったのだった。重量級というか、野太いというか、もはや独特すぎてロック・ミュージックのヴォーカリストとしてどうなのか、といった領域に達している向井秀徳のヴォーカルに対して、LEO今井のヴォーカルは研ぎ澄まされている、というか、体脂肪が少ない感じ、というか大変にロック然として佇んでいるように思われる。そしてこのLEO今井のスマートな歌声が、リズム・マシンにギラギラ/ビシビシした80年代風のシンセサイザーという背景のうえに乗ると、ちょっと貧しい音に聞こえてしまう。とくにサウンドがシンプルなものとなったときに、その傾向は顕著だったかもしれない。





 ……向井マンセーな感じの嫌なファンみたいな受け止め方をしてしまっているけれど、いろんなサウンドが試みられているのは良かった。ジャキジャキとしたフェンダー・テレキャスター! なギター・サウンドが久しぶりに聴けたのも嬉しい。





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トマス・ピンチョン『逆光』

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逆光〈上〉 (トマス・ピンチョン全小説)
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逆光〈下〉 (トマス・ピンチョン全小説)
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 トマス・ピンチョンの『逆光』についてはすでにピンチョンの『逆光』を読んでます! - 「石版!」というエントリにて読書中であることを報告しておりますが、本日めでたく読み終えましたので改めまして感想を。読書中に個人的に最大の難所であったのは、第一次世界大戦直前の東欧における列強の政治的な駆け引きについて描かれていく第4部でした。第1部、第2部で次々に登場人物が出てくるのもなかなかしんどいのですが、読みなれていけば「コイツ、誰だっけ問題」は大体カバーできるので心配ありません(自然に読んでいれば、主要な人物についてはちゃんと思い出せるぐらい、整理された読みやすいストーリー・テリング)。あと、メキシコ革命の記述もツラかったですね……。メキシコ革命を舞台にした小説は、カルロス・フエンテスの『老いぼれグリンゴ』*1を読んでいたのですが、この内紛は指導者同士の争いが次々におこるうえに、派閥のパワーバランスも著しく変化しまくるので、覚えていられません。ただ、こうした政治的な背景についての記述を覚えていなければ、この作品を理解できないか? と問うたならば「必ずしもそうではない」ということが言えるでしょう。こうした記述は、物語に厚みもたせるための舞台装置に過ぎません。




 『逆光』で興味深いのは、鏡像的なもの、について執拗なほど触れられていることでした。ここで私が「鏡像的なもの」という言葉で指し示しているのは、(前回の『逆光』についてのエントリにも書きましたとおり)《二つのバージョンのアジア》、《本物のヴィクトリア女王》といった「スキゾっぽい妄想(と便宜的に表現しておきます)」のことです――こうした今自分たちがみているあるものには、また別なバージョンがあり、もしかしたらそちらの方がホンモノなのではないか、という風に。これを「スキゾっぽい妄想」と便宜的に呼ばなくてはならないのは、こうした世界の見方が素粒子論、宇宙論、そしてかつての神学において盛んに議論されたテーマであるから。世界がまた別なようにもありえた可能性が、鏡に映し出された像のメタファーを通じて語られるのです。鏡と言ってしまうと、ホンモノとニセモノという組合わせを考えてしまいがちですが、その可能性は無限であるため、合わせ鏡の像といった表現が適切でしょうか。こうした世界観は、『メイスン&ディクスン』でも語られていますが*2、『逆光』では第一次世界大戦が大きな転回点として扱われているように思われました。この戦争によって世界は大きく変わってしまった、と。ただし、第一次世界大戦そのものについてはほとんど触れられておらず、間接的に描かれるのですが。





 こうした世界の複数性に、登場人物たちのうちの幾人かは気付いていますが、それを口に出すと聞き手からは「狂っている」と一蹴されたりする。あるいはまったく理解されません。



……列車はいつも走っているとは限らないし、転轍機は必ずしも正しく切り替えられるわけではない(下 P.827)



 印象的なセリフとして、エピローグ的な第5部で語られる上記のセリフを引用しておきましょう。ここでは世界のあり方が鉄道のラインの比喩で語られ、もしかしたら今いる世界は、間違った方向にポイントを切り替えてしまった結果なのではないか、という暗示が含まれているように思われます。しかし、そうは言っても、その世界に存在するものにとっては「起きていることはすべて正しい(By 勝間和代)」と開き直るしかないのでございます。そして、この小説が終盤に畳み掛けるようなスピードで、とってつけたように次々とハッピーエンドの花が咲き乱れていく様子は、ピンチョンもまたこうした勝間和代イズムに傾いていることを示しているようにも読めるのでした。





 この勝間和代イズムはスピノザ、もっと時代を遡ればアベラールと通じています。世界にはさまざまな可能性があるように見える。が、しかし、こうした世界を作っているのは神様なので「間違った選択」をおこなわない。というか、おこなえないのですね。神様は全能であるため、間違った選択などをしたら、その全能性を出し惜しみしていることになってしまう。だから、神がおこなう選択とは常に正しい――という風に考えた哲学者たちが歴史上に存在しました。もしかしたらピンチョンはこうした人たちの支持者なのかもしれません。長大な作品のなかで語られるさまざまな人物の、さまざまな冒険――中央アジアな砂中都市《シャンバラ》、メキシコ革命、数学……といった――は、別な世界への一時的な越境とも受け取れます。また、このように考えると、歴史的事件の影でさまざまに暗躍したという、謎の飛行船〈不都合〉に与えられる役割もはっきりしてくるように思われます。空という超越的な視点から、彼らは世界を観察する。はっきり言ってしまえば、神的な視点に立つ人物、というわけです。





 また、登場するあらゆるものに、そのものを映し出す他なる存在が用意されているようにも思われました。それがもっともはっきりしているのは、男娼でありイギリスの工作員であるシプリアンと、美貌の数学者であるヤシュミーンとの関係でしょう(ふたりとも同性愛者)。このふたりの間において、アシンメトリーな関係性が生まれ、それによってお互いにコンプレックス、あるいはトラウマが氷解していく過程はとてもドラマティックです。ただし(ネタバレになってしまいますけれども)、このふたりは単純に結ばれるわけではない。シプリアンは、ヤシュミーンの問題を解決するための媒介的な存在となり、自身は神と結ばれることを望んで物語の舞台から退場します。





 それから、物語の中盤で主要な舞台となっているヴェネツィア。たまたま『逆光』を読んでいるときに、この京都の清水寺周辺を拡大したような水上都市(を含むイタリア北部から中部)を旅行していたのですが、そこで旅行ガイドさんが話していたところによれば「ヴェネツィアはゲルマン人の侵略を受けて避難してきた人びとが作り上げた都市」とのことでした。実際に歩いてみると分かるのですが、この都市、人口の埋立地を橋で無理やりつないで作ったようなところなんですね。それで「これもアメリカという国の鏡として登場しているのかもしれないなあ」とも思いました。





 さて、だいぶ長い感想になりました。とってつけたようなハッピーエンドの嵐には、賛否両論があるでしょうし、正直言って私も「こんなにあっさり問題が解決していって良いのか!?」と思わなくありません。物語の運動量はラストに向かってどんどん失われていくような感じ。結末の美しさだったら『メイスン&ディクスン』のほうが素晴らしい、というが率直な感想でした。ただ、とんでもなく面白い小説だったことは間違いありませんし、『ヴァインランド』以降のピンチョンが進んでいる方向がまたクリアに見えてくる作品だったと思います。日本語で読めるようにしてくれた翻訳者の木原善彦先生と新潮社に感謝!






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Robert Wyatt, Gilad Atzmon, Ros Stephen/For The Ghosts Within

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For the Ghosts Within
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Robert Wyatt Gilad Atzmon Ros Stephen
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 ロバート・ワイアットの新譜はギルアド・アツモン(マルチ・リード奏者)とロス・スティーヴン(ヴァイオリン)とのコラボレート・アルバム。ストリングスやサックス、クラリネットといったアコースティックな伴奏をバックに、ワイアットが歌う、というとてもシンプルな内容となっています。ここでオリジナル作品とともに取り上げられているのは「Round Midnight」や「Lush Life」、「What A Wonderful World」といったジャズの名曲のカバー……というわけでチェックしないわけにはいきません。ただ、実を申しますと私、「ワイアットの歌声」(世間では、イノセンスを象徴するような素晴らしいものと評されている)に対して「好きなんだか、嫌いなんだかよくわからない」という複雑な気持ちを抱いておりまして。唯一無二の歌声には違いないのだが……と思いつつ、イマイチどっぷりとこなかったのでありました。これは結局、私が好きな(好きだった)ワイアットって、ドラムもバカスカ叩いて、たまに歌う、ワイアットなんですよね~、ということなんでしょう。




 このアルバムを聴いていて連想したのは、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの『記憶喪失学』というアルバムでした*1。ワイアットの今回のアルバムのストリング主体の音作りが、ペペ・トルメント・アスカラールの音と単純にリンクした、だけかもしれません。しかしそれだけではない。ワイアットのヴォーカル、菊地成孔のそれとにも共通したサムシングを感じたのでした。中性的でテクニカルではない(未熟なボーイ・ソプラノみたいな、あるいはちょっとオカマっぽい)ところ、とかね……いやはや、自分でもワイアットと菊地成孔がリンクするとは驚きなんですが、だってそう思ってしまったんだから仕方ないじゃん! と開き直ることにしましょう。





 ただ、こうした連想が浮かんだからといって「初めてワイアットの歌声が好きになれた!」とアハ体験するわけでもなく、いまだに自分でも彼の歌声が好きかどうかわからないのでした。でも、なんかすごく今回のアルバムはひっかかるものがあって、何度も聴きなおしてしまいそうな気がします。喉から腕をつっこまれて、頭の裏側から「記憶」をつかまれている、ような気持ちになるのです。それはもちろんジャズの名曲のカバーに聞き覚えがあるから……でもあるのですが、もうひとつはギルアド・アツモンの演奏にも要因があるように思われるのでした。彼の名前からして「ああ、この人はユダヤ系の人なのかな」というところがありますけれども、彼の演奏にもしっかりとユダヤ民族の痕跡が刻まれているように思います(とくにクラリネットの演奏)。





 あとで調べて知ったのですが、このギルアド・アツモン、イスラエルに生まれながら「イスラエルを亡命し」、現在は反シオニズム活動をおこなっているそうで(しかも、作家としても活動しているらしい)、こうした経歴からはきっと強烈にネジれた民族的アイデンティティを持っているに違いない……と想像してしまいますが、しかし、アイデンティティがネジれているからこそ、結果的に彼の音楽から「生まれ」が表出している、とも言えるのでしょうし、ネジれている彼がクラリネットでクレズマー風の旋律を奏することは、自らのアイデンティティに対する批評的/批判的な磁場を発生させているようにも感じます。これもひとつの(民族の)記憶をなぞること、なのかもしれません。






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向井秀徳『厚岸のおかず』

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厚岸のおかず
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向井 秀徳
イースト・プレス
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 元Number Girlなどという紹介が果たして今や意味を成すのかどうか、もはや「Zazen Boysの向井秀徳」のキャリアは「Number Girlの向井秀徳」を凌ぎつつあるのであって、これに「作家の向井秀徳」が加わってしまうのではないか、そうなったら「Kimonosの向井秀徳」はどうなるのか……なんだか大変なことであるなあ、と感嘆せざるを得ない……向井秀徳の第一著作はそうした書物であった、南無。私にとっての向井秀徳とは良い塩梅な発声で、すごい強固なバンド・サウンドをガン鳴らすメガネの人、という感じであるのだが、これにうらやましくなるような文才を持つ人、という認識が加わる。天は二物を与え……ている。世の中は不公平だ! と天を仰ぎながら、この素敵な本を猛烈な勢いで読んだ。面白かった!





 文章の技術は高い、とは言えないだろう。いや、どちらかといえば稚拙で、おそらくこの文章をリズミカルに読めてしまうのは、読み手が向井秀徳の会話のリズムを知っているからだ、と思うのだが、そうした稚拙な文章だからこそ、物語の原点、というか、プリミティヴな物語の核というか、そうしたサムシングが荒々しくも伝わってくる。あっという間に読み終わるそれぞれの短編は、奇想天外なアイデア、というか単なる「人を驚かせるような単なる思い付き」に過ぎないのだが、こうした閃きを連続して目の前にするにつけ、物語の読み手を、その流れにひきつけるものとは基本的に、そういった優れた思いつきである、と思わされる。



通常、運動会では士気を鼓舞するようなBGMを流すことが多いが、「ヒートアップし過ぎて事故が起こりかねない」という配慮により、Sケンの協議中はエンヤがBGMとして流されていた。



 こうしたどうしようもなくくだらなくて、笑わずにはいられないアイデアの数々が短編の世界にうまくハマッていく。でも、それは決して物語の矮小さを示すものではなく、大きな世界へと連なっていくミクロコスモスなのである(大げさな言い方をすれば!)。





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ANBB/Mimikry

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Mimikry
Mimikry
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Anbb Alva Noto
Raster Music (2010-11-09)
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 本日届いた新譜は、アルヴァ・ノト&ブリクサ・バーゲルトによるユニットANBBのファースト。アナログで手に入れていらっしゃったid:mthdrsfgckrさんがすでにレビューを書いておりますが、素晴らしいのでこちらでもご紹介いたします。背景で鳴っている音がメタル・パーカッションでも、グリッチ・ノイズやホワイト・ノイズでも、ブリクサ師匠の芸風はまったく揺らいでおらず、21世紀型ジャーマン・ニューウェーヴというか、異形のカリスマ・アーティスト感が完成の域に達している……と感嘆せざるを得ない、そういうアルバムでございました。





 冒頭「明石家さんまの笑いのピークを捉えたような奇声」ではじまるあまりの不穏さに思わずニコニコしてしまうのですが、ダークな雰囲気でドン底を這いつくばるばかりでなく、ときに重厚にシンフォニックに響くのですね。このアルバム、この点がすごく魅力的で……ああ、すごく大きな音で聴きたい、と思いました。音の大半はハードな電子音なんですけれど、マーラーの歌曲(管弦楽伴奏の)を想起させるような、壮大で豊かな音楽です。日本盤は1000枚限定で4500円、とレコード会社が「このアルバムはダウンロードで買ってください」とオススメしているような謎仕様となっているのが気になること以外は文句なしの名盤です!



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荒木飛呂彦『スティール・ボール・ラン』(22)

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 もはや「またもや、スゴい展開になっている……」と絶句するしかない最新刊。果たしてここまでスゴい話になるとは、ラクダに乗ったアブドゥルがサボテンに突っ込んでリタイアした頃には誰も予想ができなかったに違いない。ジャイロ&ジョニィの主人公コンビ対大統領の直接対決が始まってからコミックスでいうと3巻目に達したが、闘いの緊迫感はまったく衰えることなく続いている。「このコマは、どういった状況を描いているのか(どういう動きのコマなのか)」という理解が不可能な描写が連続するものの、読みながら震えてしまうのだった。



ここから話す事はとても重要なことだ/それだけを話す/わたしの行動は「私利私欲」でやった事ではない



 ここにきて大統領ははっきりと自分の目的について口にしている。ジョジョ第6部最後の敵であったプッチ神父がそうであったように、大統領の厄介さとはこのような点にあるのだろう。プッチ神父は全人類の幸福を実現する「天国へ行く方法」のために闘い、大統領はアメリカ合衆国のために闘っている。これは第五部までの最後の敵とは明確に異なる。彼らが闘う理由は皆、利己的なものであった。それが最も明確なのは第四部の吉良だろうか(彼は自らの生活の平穏のために、かつ、湧き上がってくる欲求を解消するために殺人を犯した)。しかし、プッチ神父や大統領はいずれも大義を振りかざしながら主人公たちの前に現れるのである。





 大義のための犠牲は不可欠である。その犠牲によってより大きな幸福が得られるのだとしたら、その犠牲は正当化される――敵の言い分は、このようなものだ。第7部が凄まじいのは、こうした大義を前にした主人公が、自らの意思を試される、といった点だろう(ジョニィは大統領のような大義をもたない。彼がレースに参加したのは、下半身不随という障害から回復できるかもしれない、という可能性を信じた結果であり、それは利己的な動機付けである)。自らの意思は、敵の大義よりも正しいのか。ジョニィはこうした問いを突きつけられ、そして選択を迫られる。通常の少年漫画ならば、勝利した者が正しい、という論理が働くだろう。しかし、ここでの闘いは、パワーや頭脳といった次元ではなく、倫理的な軸に移行する。





 自分と敵、どちらが正しいのか。これはとても難しい問題だ。さらに大統領はもし自分(大統領)が正しいと認めれば、その代わりに○○というプレミアムをつけよう、という提案をする。これが選択を迫られているジョニィを一層悩ませることとなるのだが、一方で問題が別の視点へと置き換えられるものでもあろう。「大統領の正しさを認めたとき、果たして彼は本当に○○というプレミアムを支払うのだろうか」とジョニィは不信に思う。問題の焦点が、大統領の信用問題へと移るのだ。そこでは、大義と意思とのあいだにおける正当性の問題は一旦保留され、大統領が信用できるかどうかの判断は彼の人格面が問われることでなされようとする。





 これがとても興味深いのは、大義と意思自体(第一の問い)が問われていないにも関わらず、迂回したところにある問いかけ(第二の問い)が、大義と意思とのどちらに正当性があるのか、を決定してしまう、という状況であるからだ。この状況は一見すると不条理に思われるかもしれない(第一の問いと第二の問いとのあいだには直接的な関連性はないように思われる)。しかし、第一の問いを一生懸命考えても答えはでないんじゃね、という風に考えれば、第二の問いへと迂回するのはなんだか仕方ないようにも思われるのだった。





 いずれにせよ、この巻ではまだ最終的な選択はおこなわれていない。ジョニィがどういった選択をおこなうのか、続きに期待したいと思う。





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ピンチョンの『逆光』を読んでます!

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 ちょっと前からトマス・ピンチョンの『逆光』に取り掛かってます。これ、1700ページぐらいある長~い小説なんですが、ちょっとずつ書評も出てきていますね。しかしながら、面白く紹介できている記事をあんまり見かけないのが少し残念。新潮社の新刊案内の冊子に載っていた書評も「ピンチョンはそんなに難しくないですよ!」「ピンチョンは面白いですよ!」的な話しかしておらず「月曜日の次って火曜日なんだよ」ぐらいの事実しか伝えていないのが問題である、と思う。山形浩生のちょっとした批判は至極真っ当。当の山形先生が書いている『逆光』のあらすじのほうがよっぽど読者のためになりますよ。私は第二部まで読んだところなんですが、このあらすじの正確さに驚愕しました。これだけ優れたガイドがあれば、別に初ピンチョンがこれでも良いんじゃないかな、と思わなくもない。「ピンチョン、読んでみようかな」と思った人は、まずあらすじを読んで「やっべ~、腹いて~」というぐらいに笑えたらトライしてみれば良いんじゃないか。翻訳も読みやすいですし、複数の物語が同時進行しまくりますが、そのラインがかなり整理された小説、という印象があって、暇さえあればとっても楽しく読める小説だと思います。





 『逆光』のここまでの印象なんですが、『ヴァインランド』、『メイスン&ディクスン』ときたピンチョンが、センチメンタルな良い話をより一層物語へと盛り込もうとしているのが明らかなように思われます。父親と息子、あるいは母親と娘。こうした関係における親子の絆や継承の問題が取り扱われる。男の間の関係は、極めてハードでかつ、おセンチに(ヘミングウェイみたいなんだよ、マジで)、女の間の関係は、メロドラマチックに、描かれるのね。ちょっとネタバレになりますが、父親の死体とともに荒野を旅する、というシーケンスなんかすっげー泣ける。このあたりは『メイスン&ディクスン』のラストにも通じるものがある。ここはホントに読んでて報われる箇所。





 あと、この小説、「自分がみているサムシングは、本当のサムシングではなく、仮のサムシングであり、本当のサムシングはどこか別の、ここではないどこかに存在するのだ」というスキゾ感溢れる妄想に囚われているヤツがたっくさんでてくるのね。ここがとても笑える。二つのバージョンのアジアだの、本当のヴィクトリア女王だの……あげくの果てに一番最初に登場する主人公っぽいキャラ《偶然の仲間》のメンバーも「自分たちは本当の《偶然の仲間》の変わり身で、自分たちじゃない本当の《仲間》がいるんじゃないか……」などという妄想に囚われてしまう(じゃあ、お前ら誰なんだよ!)。こうした世界の分裂を可能にしているのが、氷州石という石で、その石を通した特殊の光は《今ここにある世界》の《隣の世界》を覗いたり、《隣の世界》から物を呼び出したりできるとかなんとか……っていうのが第二部では明らかにされていく。なんか『スティール・ボール・ラン』の大統領のスタンド能力みたい……。





 この小説のなかでは、自分が見ているサムシングは嘘んこで、本当の(別な)サムシングのほうがベターっていう志向が働いている。ここではないどこか志向。これがまたピンチョンによるアメリカ批評なのだとしたら、この小説に登場するカルトな方々は《移民による自由の国》の紐帯を強める神話として妄想を抱かされている、とみるのが適切なかもしれない。アメリカのフォークロアはUFOみたいな感じで。



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(↑私は読んでないけれど『逆光』の翻訳者、木原善彦の本)





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