煮込みハンバーグ/オーバーヴァイスのトリュフ

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 本日は煮込みハンバーグを。食を楽しむ人のための雑誌『dancyu』2月号に記載されていたレシピをもとにスパイスを買い込んで、ソースから作りましたが、これは大変でした……。手際が悪いせいか結局完成まで2時間ぐらいかかってしまいました。こういう苦労を重ねることによって「自分の家に足りない調理道具」が分かってきたりして勉強になるのですが。でも、疲れた。たぶん、ソースから自作した煮込みハンバーグは二度と作らない気が……。めちゃくちゃ美味しかったんだけれども。





 今回のレシピでは、ハンバーグを煮込みに使う鍋で焼いています。この焼き方を試してみたら、これまで作ったときよりも美味しく焼けた気がします。使用した鍋はル・クルーゼ。鍋の効果なのか、仕上がりがふわっとして、柔らかいハンバーグができました。今度普通のハンバーグを作るときにも鍋で焼いて試してみようと思います。





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 デザートには、昼間に伊勢丹で開催されている「サロン・デュ・ショコラ」で買ってきたオーバーヴァイスのトリュフを。このイベントには2年ぶりに足を運びましたが、今回もむちゃくちゃ人が多くて疲れました。試食を出しているブースに群がる人たちに阻まれて歩くのも難儀します。でも、苦労して(ホントはそんなに苦労してない。なぜならオーバーヴァイスのブースは結構空いていたからだ)手に入れたトリュフは、新作のラズベリーが飛び上がるレベルで美味しかったから良かった。





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シャイー指揮ゲヴァントハウス管/J.S.バッハ《マタイ受難曲》

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 新譜。昨年末にリッカルド・シャイー/ゲヴァントハウス管のコンビによる《ブランデンブルク協奏曲》の全曲録音が出たばかりですが(そちらは未チェック)*1、間髪おかずに今度は《マタイ受難曲》の全曲録音です。イタリア出身のこの指揮者の同世代には、ラトル、ゲルギエフと言った錚々たる顔ぶれが並ぶのですが、現在50歳代の超一流指揮者のなかでは彼が最も好きなので、こういう風に積極的に録音を出してくれるのは喜ばしいことです。





 《マタイ受難曲》といえばJ.S.バッハが残した作品のなかでも最大規模の作品であり、イエスの受難をストーリーにした「普遍的な人間ドラマ」を描いた作品として有名ですが、歌詞がわからないので「人間ドラマ」についての詳しい事情はよくわかりません。規模の大きさは、演奏時間が3時間近くあるので、まぁ、わかる。大部分の日本人にとってバッハの《マタイ》とはそのような理解のされ方をされているんじゃないか、と思います。アリアはコラールは良いけれど、レチタティーヴォはよくわからん、みたいな人もいるでしょう。こういう《マタイ》の性格を、私は「深遠なる退屈さを持つ音楽」と呼びたります。おそらく、この音楽が癒しを生むのだとしたら、その退屈さが生み出す効果なのでしょう。





 しかし、シャイーの《マタイ》はそれとは別種の音楽を成立させています。速めのテンポが採用されているせいもあるのですが、節度がある細やかなダイナミクスのなかに興奮を呼び起こす要素がいくつも隠されていた、とても良い演奏に思えました。部分的に古楽器を採用しているところも注目に値します。現代楽器と古楽器の音色の違いが、色彩の濃淡を生んでいて興味深いです。シャイーは数年前にシューマンの交響曲を録音したときも、マーラーによる改訂版を採用していたのが印象に残っているのですが、こういった「他の指揮者とは違う演奏をする」といった取組みが上手いですね。




*1:この録音、HMVだけで先行発売していたみたい。公式な発売日は2010年2月24日になっています





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フレディー/関西空港

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 id:ta-bowさんのブログで紹介されていた神戸在住のミュージシャン、フレディーの『関西空港』というミニ・アルバムを買いました。表題曲である「関西空港」はもちろん最高なのですが、ご息女であるアントワネット(愛称;アンちゃん)とのデュエット曲「ありがとう」も泣かせてくれますし*1、「ちょっと待って」のクラブ・ミックスもヤバいシンセがガン鳴りになっていてテンションがブチ上がりました。作詞・作曲・演奏、すべてフレディーによるものだそうで、まるでトッド・ラングレン、プリンス、ベックといった天才宅録ミュージシャンの系譜に連なるかのよう。



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 (「関西空港」のPV)「演歌とソウルの融合」=「エンソル」という新ジャンルをこの楽曲によって打ち出しているのですが、ヴォーカルの処理と言い、トラックメイキングのセンスと言い、Jポップ的なキメラ性とは一線を画したホンモノ感がビンビンに伝わってきます。全国区になって、今年の紅白あたりに出てくれないでしょうか。




*1:途中で、アンちゃんとお祖母ちゃんの電話でのやりとりが挿入されるのですが、ここスゴすぎ





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外山明+内橋和久duo @杜のホールはしもと 多目的室

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 外山明と言うドラマーは自分のなかで日本のドラマーで一番好き! と叫ぶことができる存在なのですが、ライヴで観るのはこれが実は初めてでした。久しぶりの即興系ライヴということで寝てしまわないかどうか心配だったけれども、始まってみたら興奮しっぱなし。外山明が右手右足左手左足で違うリズムを叩いている姿に悶絶し、内橋和久が複数のエフェクタを迷いなく操作しながらダクソフォンとギターで作りだす自在の音に魅力されつくしでした。もう、超良いライヴでしたよ……!そもそも即興系のライヴ自体、そんなに数を聴いてるわけじゃありませんが、間違いなく自己ベストアクト。





 ライヴはPAなし(ギターアンプは寝かせて、天井を向いている)でステージもなし。演奏者2人を観客がぐるりと取り囲む車座のようなセッティングで行われたんですが、これも演奏者の目線や、コンタクトが伝わるようで面白かったです。演奏は45分ぐらいのセットを一度休憩挟んで2セット。あるフレーズや、パターンの提示が片方からあると、それに対して応答があったり、無視があったり、やりとりが見える。それは喩えるならば“対話”なのですが、双方の音楽が綜合される瞬間も、ズレていくときの離散も、楽しく、刺激的でした。どこかに向かっているわけでもなく、途切れることもあるば、急に盛り上がったりもする。その場に現れる音楽はあたかもガールズトークのように一瞬で流れていき、今この感想を書いている間には既に大部分が忘れさられてしまい「楽しかった……」という印象しか残っていません。切ない。けれど、切なさがゆえにこれほど、胸に残るのか。





 初めて聴くダクソフォンの音も強烈でした。これは内橋の友人のドイツ人ギタリストが開発した楽器らしいのですが、木のヘラ的なものをスタンドに装着し、弓で擦ったり、はじいたり、叩いたりした音をコンタクトマイクで拾う……という原理で音を出すものに見えました(内橋は日本で唯一のダグソフォン奏者、らしい)。木のヘラは着脱・交換が可能でいろんな種類が用意されていたけれど、4種類ぐらいしか使っていなかった気がする。で、仕組みとしては割りと単純なのですが、振動体が木なだけあって、もうなんだかスゴい。人の声のような音を出したり、発砲スチロールを擦り合わせたときにでる生理的に嫌な音みたいな音を出したりと、異色で多彩。洗練された音、とはまず言えず、はっきり言って野蛮な音が出る、と言って良いのでしょう。しかし、その野蛮さにどこかアフリカやカリブ海の民族音楽で使われる楽器の音色を思わせるところがあり、外山が叩くアフリカンなリズムと絶妙にマッチする瞬間がありました。



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 (映像は外山が参加しているBOZOのライヴ映像)あとライヴ中、どうして外山のドラムはこんなにも気持ち良いのだろう、と考えてしまったのですが、やっぱり、彼が記譜できそうにない強烈な“訛り”を小説のなかに持ち込むことができる魔術師的ドラマーだったからなのでしょう……。大部分は訛ったビートが刻まれ、大部分は右手右足左手左足でポリリズムを展開している。この間、聴いているほうは、ものすごい不全感でモヤモヤし続けます。ただ、外山はどっかでそれバラバラさがひとつに統合される時間を作ってくれるのですね。その統合がもたらすブチあがり方がものすごい。





 ライヴは「杜のホールジャズセレクトシリーズ」の一環として企画されたもの。会場内には南博、大友良英、坂田明、渋谷毅……と日本の(スウィング・ジャーナルに載らない系の)ジャズ界の錚々たるメンバーのポスターが貼られており、おそらくそういった道に多大な理解がある方が主催者側にいらっしゃるのでしょう。すごく良いライヴを観せていただけたので、今後も続いてほしいシリーズだと思いました。





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ルドルフ・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』

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いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか (ちくま学芸文庫)
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 一般的には(?)「シュタイナー教育」で有名なルドルフ・シュタイナーの神智学・神秘学関連の本がちくま学芸文庫から色々出ています。こんなものその手の話が好きな人(マジな人)か、物好きしか読まないと思うのですが、物好きなので一冊読んでみました。今、アマゾンのレビューをみてみたらあまりの絶賛ぶりに背筋がちょっぴり寒くなってしまいました。おそらくこちらはマジな人によるレビューなのでしょう。とはいえ、その絶賛ぶりは読み終えた後だとおかしくないように思えてくるのだから、シュタイナーという人は大変な人物だったのだなぁ、と思いました。面白かったです。





 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』。はっきり言ってタイトルからしてものすごいのですが、本の内容はそのタイトルのとおり「超感覚的世界の認識をどうすれば得られるのか」という一種のハウツー本です。シュタイナー曰く「どんな人間の中にも、感覚的世界を超えて、より高次の諸世界にまで認識を拡げることのできる能力がまどろんでいる」とのことですので、大変門戸が広いですね。しかも忙しい人は修行は毎日5分だけでも充分! 毎日5分の修行を続ければ、霊眼が開き、エーテル体(生命から出ているオーラみたいなもの)が見えるようになったり、アストラル体(魂を形成しているサムシング)を認識でき、魂によって動物の言葉を聞くことができるようになる! というのだからもう笑いがとまりません。すごい、すごすぎる! あと大事なのは愛ね! 批判的な認識力を殺し、愛を持ってすべての物事に接することによって、内的平静が生まれ、それもまた超感覚的世界の認識に役立ちます。まるでマイケル・ジャクソンみたいじゃないか! 怒ってないんだ、愛なんだ、L・O・V・E。





 ……とキャンプな見方で面白かったポイントを紹介するのはここまでにしておきましょう。読みながらすごく笑ったのですが、ちょっとマジメに興味深いなぁ、と思える点がこの本にはいくつもあるのです。まず第一には「きっとこの本ってオウム真理教の教義にも取り入れられてるだろうなぁ」ということ。オウム真理教の教義がさまざまな宗教と科学のキメラのようなものだったことは有名ですが、シュタイナーの影響もかなり大きかったのだろう、と(おそらく偉い人がすでに指摘しているでしょうが)。それはエーテル体、アストラル体といった術語体系からだけではなく、宗教と科学とが対立しない原理からも感じられます。第3版のまえがきでシュタイナーはこのように記しています。



(神秘学には)たとえば現代科学の所説に従う人には到底受け容れられないと思えるような場合がいくらでも出てくる。(しかし)本当に霊学(=神秘学)の立場と矛盾する研究成果は科学の分野においても存在しない。(中略)霊学と真の実証科学との研究成果をよく比較してみるなら、両者の間に存する見事なまでの完全な一致がますます認められるようになってくる。



 はい、すごいことを言っております。この文章が書かれたのは1909年、およそ100年前のものになりますが、オウムだけではない、すべてのカルトに多大な影響を与えていそうな気がしました。しかし、シュタイナーの思想で興味深いのは、修行によって超感覚的な世界を得ることの最終的な目的が、感覚的な世界(日常世界)から解脱することではない、という点です。これはオウムやその他カルトが言うような「我々だけが救われる」だとか「最終的な救済」を得られる、といったものとは一線を画している。





 シュタイナーの世界観は感覚的世界/超感覚的世界という二元論的なものです――それは前者は汚れた世界、後者は清らかな世界という風になっていますから、グノーシス主義的なものと呼んでもさしつかえないでしょう。彼は超感覚的世界へ参入すること(イニシエーション)は素晴らしいことである、と説きます。しかし、修行によってその魂をそのような高次のステージにもっていくことができたとしても、そこに留まることは許されていない。むしろ、解脱しきってしまうことは悪しきことであり、感覚的世界に留まりながら、超感覚的世界との交流を続けることが良いこととされている。




 なぜなら超感覚的世界への参入者には大事な仕事が残っているからです。あなたが超感覚的世界への参入ができたのも、すべて感覚的世界のものごとがあってのことなんだから、感覚的世界の住人を一人でも超感覚的世界につれてきなさい――と参入者は守護霊*1に言われてしまう。だから、参入者は感覚的世界に留まらなくてはならない、とシュタイナーは説明しています。これは大乗仏教的にも、イエズス会宣教師みたいな態度にも思えます。攻撃的ではなく、教育的である。世界観の怪しさと、このあたりのバランスが面白いです。ますます興味が出てきたので、違う本も読んでみたいと思いました。




*1:霊眼が開いていくと、いろんな種類の守護霊が見えるようになる





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手羽先と大根のスープ

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 手羽先と大根のスープを作りました。レシピは小林ケンタロウによる料理本より。正式なレシピでは最後に切った万能ネギを散らす、とありますが、万能ネギがなかったので、スープを煮込むときに鍋に突っ込んだ「ネギの青い部分」の残り(つまり白い部分です)を細長く切って載せました。根気がある人は白髪ネギにすればもっとキレイになるかと思います。



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 最近、圧力鍋を買ったのですが、今回が初出動。15分ぐらいでスープが出来上がってびっくりするわ、出来上がりは旨いわ、で買って良かったなぁ……と思いました。材料を全部鍋にブチ込んで加圧し、できあがったらスープの表面上に血の塊がプカプカ浮いてるので後から取る……という感じで、味的にも問題なかったです。身が骨からペロリとはがれて食べやすく、軟骨も美味しくいただけます。





 買ったのは再加熱時のときに使うガラス蓋付の鍋(ティファール)。アマゾンで1万8千円弱で変えました。この値段でこの便利さ、安くない……? とか正直思っちゃいました。実家では古いクソ重くて使いにくい圧力鍋を使っていたので、機会があったら実家にも送ってあげたい。そして良い息子を演じたい。



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 そして同時にツヴィリングのペティナイフも買っちゃいました(ライン・シリーズという比較的安いシリーズ。このシリーズで万能包丁、牛刀、ペティナイフが揃った)。でも、あんまり使ってないです。よく考えたら、そんなに料理で細かい作業しなかった。切れ味が恐ろしいほどに素晴らしい。今年は東京湾のサバを刺身で食べるために釣りにいく、という野望がありますので、それまでにこのナイフで魚をさばく練習でもします。





追記


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 夕飯にはこのスープで饂飩を食べました。そのままだと塩気が足りなかったので、大匙1杯ほど醤油を足したらとても良い感じで食べられました。





追記2


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 2日目はお雑炊にしてみました。ご飯をグツグツしている間に手羽先の身をほぐします。お醤油を少し足したらと美味しかったです。





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 3日目はチャーハンを作りました。あらかじめ溶き卵と混ぜておいたご飯をチンチンに熱した中華鍋で炒め、その後、スープで味付け。そして、細かく切ったネギを投入、そして、ほぐしておいた手羽先を投入、塩とコショウとで味をととのえたら完成。スープで味付けをしているため、どうしてもパラッパラのチャーハンにはなりませんが「スープをあんかけ風にして、炒めたご飯にかけたらどうだろう?」という恐ろしいアイデアが浮かびました。


 





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10曲の交響曲で知る後期ロマン派のクラシック (中)

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 10曲の交響曲で知る後期ロマン派のクラシック (前) - 「石版!」の続きをお送りいたします。前回は19世紀後半のドイツ・オーストリアで活躍した作曲家の交響曲を紹介しておりましたが、今回はその頃フランスではどんな交響曲が書かれていたのか、という話からはじめてみましょう。もともとフランスの音楽といえば、軽妙洒脱なオペラが主流で、交響曲で有名な作品といえば、ベルリオーズの《幻想交響曲》ぐらいしかないのでは、と思われるのですが、19世紀後半になるとドイツ・オーストリアの音楽の流れを受けて、交響曲熱が高まっていきます。





サン=サーンス/交響曲第3番《オルガン付》


 その熱の高まりに大きく関与しているのがサン=サーンスでした。彼は19世紀後半のフランス音楽の立役者とも言うべき作曲家で、1871年に「国民音楽協会」なる団体を設立するなどして、フランスの音楽の発展に寄与した、と言われています。しかし、彼が書いた7曲の交響曲(2曲は未完)のうち、有名であるのは第3番《オルガン付》だけ(私もこれ以外は聴いたことがありません)。これはちょっと寂しい気もしますが、めちゃくちゃな名曲です。フランス流の洒脱さとドイツ流の構築主義が完璧にマッチングした至高の楽曲と言えましょう。全部で2つある楽章が、それぞれ第1部・第2部で分かれている変則的な4楽章形式(そのうちオルガンは第2部にのみ使用される)のうち、第1楽章・第2部のアダージョ楽章の安らかさを聴くたびに涙したくなります。



サン=サーンス:交響曲第3番<オルガン>/動物の謝肉祭、他
デュトワ(シャルル)
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 演奏はデュトワ/モントリオール管の演奏がバツグンに良いです。フランスものを聴くならデュトワの演奏を選んでおけば間違いない、っていうのが定説ですが、この人の演奏はいつも楽曲が今まさに生まれたばかりです! 的な瑞々しさを携えている気がします。実は私、この作品をこれまでに2度も演奏したことがあるのですが、その度に死ぬほど聴きかえしました。



サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付」、他
チョン・ミュンフン
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 あとはチョン・ミュンフン/パリ・バスティーユ管の演奏も素晴らしいです。弦楽器の音色が非常にまろやかで、落ち着いた演奏です。この録音ですが、カップリングされているメシアンの《昇天》という作品の演奏も素晴らしく、19世紀末のフランスの名曲と、20世紀のフランスを代表する作曲家との擬似的なコラボレーションがなされているように思います。





フランク/交響曲


 サン=サーンスと同時期に活躍した作曲家といえば、フランクの名前もはずせないところです。彼はドイツ系ベルギー人でしたが、10代の頃からパリで生活をおこなっており、そのせいもあってか(?)サン=サーンスよりもよりもよっぽど「フランスっぽい作風」を持つ作品を残しているように思います。フランク自身がどういう風に思っていたかわかりませんが「○○人じゃないのに○○人以上に○○人っぽい人物」って時々いますよね。彼もまたそれっぽい。いわば「逆説的なアイデンティティ」とでも言いましょうか。フランス人じゃなかったからこそ、より一層フランス風の曲を書く。彼のヴァイオリン・ソナタの第1楽章などはその代表例でしょう。



サン=サーンス:交響曲第3番
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 一方で、彼が書いた交響曲はものすごくドイツ風で、超重厚。とくに循環形式で主題が提示される部分はとても印象的です(いったい何度繰り返しがあるのか……とか思ってしまいますけれど)。演奏はマルティノン/フランス国立放送管のものをよく聴いていました。かなりしつこい曲なので、サクッと歯切れの良い演奏なのがちょうどよく感じるのかもしれません。ちなみにこの録音は、サン=サーンスの交響曲第3番とカップリングになっていますので、1枚で19世紀末フランスの代表的な交響曲を押さえられる、というお得なCD。



Franck: Symphony in D minor; Schumann: Symphony No. 1

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 クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管は、重厚な作品を重厚に演奏したベタベタな演奏をしています。クレンペラーは録音当時、81歳。クラシックの演奏批評における「巨匠らしい演奏」というクリシェは「テンポが遅く、ダイナミクスの波が大きい」とほぼ同義語と言って良いでしょうが、この頃のクレンペラーにはとてもぴったりな言葉だと言えましょう。





R・シュトラウス/《アルプス交響曲》


 さて、お話をフランスからドイツへと戻しましょう。これまでブラームスだのブルックナーだの名前を挙げてきましたが、ドイツの後期ロマン派といえば、何といってもリヒャルト・シュトラウスが当時は一番人気の代表選手だったのでした。初めは交響詩というジャンルで名をあげ、その後はオペラで大成功、指揮者としても活躍し、しかも結構長生きして、20世紀半ばまでその才能を発揮しています。まぁ長生きすれば辛いこともあるわけで、第二次世界大戦中にナチス第三帝国の帝国音楽院総裁なる職位についていたせいで、戦後、裁判にかけられてしまったりしているのですが、とにかくすごい人だったのです。





 彼が書いた交響曲は4曲ありますが、そのうち最後の交響曲である《アルプス交響曲》がスケールの大きさ、壮大さで群を抜いている。厳密には、アルプス登山の様子を音楽化した「長い交響詩」みたいな感じなのですが、あまりの演出の大げささにド肝を抜かれることうけあいです。昨年、この曲を演奏しましたが、そのとき気がついたのは「管弦楽法が優れているなぁ……」ということでした(たくさん楽器を使っているのですが、楽器の使い方が上手なので、音が埋もれず効果的に響くのです)。



R.シュトラウス:アルプス交響曲
ケンペ(ルドルフ)
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 演奏はケンペ/ドレスデン・シュターツカペレのものがバランスが取れていて好きです(R・シュトラウス自身が指揮した初演時の演奏もこのオーケストラ)。金管楽器がしょっちゅう爆音で咆哮しているような作品なのですが、木管楽器の音色がブ厚くて温かい。それでいて、テンポが引き締まっていて快活な印象を受けます。これ以上の演奏を私は知りません。っていうか、他の録音をヴェルザー=メスト/マーラー・ユーゲント管の(あんまり上手に聴こえない不思議な)ものしか聴いたことがない。





 また、長くなってきましたので、ここで再度休憩いたします。ここまでで6曲の交響曲を紹介してまいりましたが、残りの4曲は後半で一気に片付けます!





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『Newton』2月号 「無」の物理学特集が面白かったです

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 そういえば、『Newton』2月号の特集“「無」の物理学”がとても面白かったです。この科学誌、学生の頃、暇つぶしに図書館でよく読んでいたのですが、会社員になってから初めて読んで「あ、やっぱり面白いな。これからも読もうかな」と思いました。内容は、タイトル通り「無」について。この「無」が現代物理学のさまざまな領域でどのように捉えられているか、ということが紹介されています。







  • 「無の空間」には、宇宙全体のエネルギーと物質の総量の約73%を占める正体不明のエネルギーがあると考えられている

  • 超ひも理論によれば、この世界は10次元かもしくは11次元の時空をもつ必要がある




 個人的には以上の2点のトピックが衝撃的でした。無の空間はエネルギーをもっていて、さまざまな素粒子が生まれては消え、生まれては消えを繰り返している。となると「無の空間」はホントは「無」といえない。サルトルの著作に『存在と無』というクソ長い本がありますけれど*1、哲学的に考えられている「ホントになにも存在しない無」という状態は世界のどこにも存在しない、ということになります。





 あと10次元もしくは11次元の時空については想像することすら難しい。こういうお話を、すごい天才の人たちが考えて議論している業界があるのか、と思うと頭がクラクラしそうです。言葉自体も非常に神秘化されているような趣がある。「空間の相転移」、「光子、重力子、グルーオン、ウィークボソン」、「ミュー粒子」……etc。ニューエージ業界にも転用されていそうですね(光子=フォトンなんかは実際にされているみたいだし)。




*1:学生時代に読みましたが、内容をまったく覚えておりません





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私はいかにして右膝を壊したか

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http://farm5.static.flickr.com/4007/4284992634_8a62e40960_m.jpg 今年も2月7日の神奈川マラソン(ハーフ)に会社の人たちと出ることになったので、ウェアも新調して*1気合も充分……というところまでは良かったのですが、今年に入って練習で走る距離を12キロぐらいに増やしたところ、見事に右膝を壊しました。腸脛靭帯炎、いわゆるランナーズ・ニーというヤツです。もうこれが超痛くてですね、ホント、一生このままかも、って不安になるぐらいでした。普通に歩くのも右膝を伸ばしっぱなしで、ひきずるようにしなければ痛くて適わず、大変しんどかったです。1週間ほど練習を休んで、今はだいぶ良くなったのですが、まだ階段を下りるときちょっと痛くて怖い。





 なんでこんな状態になってしまったのか、いろいろなサイトを参考に自己分析してみたところ、以下の3点が思い浮かびました。




  • 仕事が終わってから深夜に走ることが多かったので、時間がもったいなく準備運動をおろそかになっていた




  • すごくアップダウンが大きい練習コースを設定していた(川崎市多摩区・麻生区周辺。平坦な道がほぼない)




  • 単純に筋力不足、そして自分の体がものすごく固い 


 これらを大いに反省し、走れないあいだ、風呂上り毎晩ストレッチをやったりして予防策を講じています。練習を再開したら準備運動と整理運動をちゃんとやります。もう同じケガはしたくないですからね(膝が痛いのもツラいのですが、練習したいのにできないのも精神的にツラいのです)。ちなみにストレッチについては以下のサイトがとても詳しくて参考になりました。ランナーズ・ニーと呼ばれているだけあって市民ランナーの方々には同じ故障に悩む人が多いみたいで、ネット上にはさまざまな相談の声があがっていましたが、このサイトが一番情報量が多くまとまっているように思います。





Vol.07 腸脛靱帯炎・鵞足炎 - WASEDA CLUB





 あと、今回お医者さん(整形外科)にも行って見てもらいました。会社の近くにあるちょっと有名らしいスポーツ・ドクターがいる病院だったのですが、朝早く行っても後期高齢者の方々がたくさんいらっしゃって、2時間ぐらい待つハメに。さらに先生の診察も「後がつかえてるんだから早くしてよ! どうせ、あんたなんか大したことないんだから!」という感じの超ドライなもので、サッとみて、レントゲン撮って、湿布出されて終わり。せっかくスポーツ・ドクターと聞いて行ったのに、とてもケガの予防や早く治すため方法など質問できる雰囲気ではなく、失敗したなぁ……という感じがしました。こういうときは空いている時間を選ぶべきなのかも(単に病院選びに失敗しただけかもしれませんが)。




*1:ついに江頭2:50ライクなランニング・タイツを導入!





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トマス・ピンチョン『ヴァインランド』

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 2009年→2010年……年をまたいで、ようやく読み終えました。トマス・ピンチョンの『ヴァインランド』*1。最初は少し違和感があったすごく書き下した感のある佐藤良明訳も、読んでいるうちに慣れはじめ、すごく読みやすい翻訳になっていると思いました。膨大で詳細な訳註もまた楽しく読めました。作品的にも今まで読んだピンチョン作品のなかで最もポップで、読みやすい作品だと思います。読みやすさを順位付けすると、こんな風になる(短編は含めず)。





  1. 『競売ナンバー49の叫び』(長さ的にも一番とっつきやすい)

  2. 『ヴァインランド』

  3. 『V.』(デビュー作だが、デビュー作からピンチョン! って感じ。長い)

  4. 『重力の虹』(極悪)



 訳者による解説で強調されているように、小説の舞台は1984年、とされています。いわば『ヴァインランド』はピンチョン版『1984』なのです……が、その一方で村上春樹の『1Q84』とリンクしなくもない、という風に思われました。『ヴァインランド』のなかでは、《TV(チューブ)》と《映画(フィルム)》、《警察》と《ヒッピー》、《政府》と《革命》、さまざまなシステムの対立が描かれます。それらは大きなシステムと小さなシステムとの対立と言っても良いかもしれない。そこでは悲痛な感じはなく、コミック風の描写によって、大きなシステムが弱いシステムが蹂躙されていく。やはりそこには悪の象徴のような人物も登場人物も存在する。これらは『ヴァインランド』と『1Q84』の共通点として挙げられましょう。





 しかし、『1Q84』での登場人物たちがそれぞれの《善》を行動倫理にしていたのに対して、『ヴァインランド』の登場人物たちは《欲望》が剥き出しのまま行動しているように思われます。その直球ぶりは「好きなだけテレビを観て、好きなだけ食べる!」といったカウチポテト的欲求の象徴なのかもしれません。小説では第二次世界大戦後~80年代という時間のなかをいったりきたりして大変ややこしいのですが、基本的にそういう雰囲気が共有されているような気がしました。これは、現代においてはありえない感覚かもしれません。「好きなものを好きなだけ」は明らかにトレンドではないですよね。ダイエットであったり、エコであったり、今のトレンドは放埓な消費主義ではなく、禁欲主義(?)に向いている。





 ただ『ヴァインランド』には、こんな風に読み込ませることが可能な複雑さがある一方で、「生き別れた母(娘)に会いたい!」、「別れた女房が忘れられない!」という非常にシンプルな欲求がストーリーの主軸に据えられてもいるのです。「女房(母)に会いたい!」というゾイドとプレーリィの親子のキャラクターも魅力的ですし、これが読みやすさの理由のひとつなのかもしれません。特に最後のほうでブロック・ヴォンドの策略によって、十数年間住んできた自分の家を差し押さえられてしまったゾイドが名残惜しさに、夜な夜な元自分の家を見に行く……という描写なんかがしんみりきちゃって良いですね。プレーリィもとてもキュートな女の子だし。こんな人間描写って『ヴァインランド』以前のピンチョン作品にあったかな? と思わされました。





 こうなってくると佐藤監修による今年の6月から新潮社の「ピンチョン・コンプリート・コレクション」が楽しみになってきますね(2009年にピンチョンの新作が発表されていますが、こちらもシリーズに組み込まれるのでしょうか!?)。解説にはピンチョン先生の最新情報や年譜が収録されているので、1998年の新潮社版『ヴァインランド』を既読の方も要チェックです!




*1:読了に伴いましてトマス・ピンチョン『ヴァインランド』登場人物リスト - 「石版!」も完成させましたので、これから読む人はチェックしてみてください(一度しか出てこない人物ももれなく記載しているため、かえって読書の妨げになるかもしれませんが……)





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ひげガール(おかまバー)に行った

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 容貌は女性でも、男でも女でもない存在として“彼女たち”は現れる。その言葉は性別を超越した(?)場所からくるせいからだろうか、時に辛辣であっても適切な場所へと落ちていく、そういった瞬間があるように思った。そして、華やかなショー・タイム。スモークとビームのなかで、彼女たちが動くときに見せるキレの良さは、アスリートの筋肉が激しく動作するときに見ることができる美しさと同質なものであろう。





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VAMPIRE WEEKEND/Contra

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 新譜。ヴァンパイア・ウィークエンドというバンドの存在はこれまでまったくチェックしていなかったのですが、このセカンド・アルバムはとても気に入りました。すごく斬新な感じがするのに、すごくポップ。同じ時期に出たアルバム、ってだけで比べるのもアレですが、この感覚はジーズ・ニュー・ピューリタンズとはまったく対照的のようにも思われます。なにより嫌なアート臭が希薄なのがとても良い。ケンカが弱そうなヴォーカルの声質とかも。





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THESE NEW PURITANS/Hidden

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These New Puritans
Angular (2010-01-18)
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 新譜。ジーズ・ニュー・ピューリタンズのデビュー・アルバムは「カッコ良いなぁ」と思いつつも買っていなかったりするのですが「そういえば最近のバンドって全然知らないなぁ……」と思い、視聴してセカンド・アルバムを買いました。店頭に貼られていたポップには「クラシックの要素を取り入れ……」云々とあり、ロック・ミュージシャンが管楽器や弦楽器を使用したり、クラシックの作曲家の名前を出すと多いに取り上げる、という構造は1970年代から変わらないんだなぁ……とか思ってしまった。





 そういうわけで管楽器を使っているロック・バンド……となると、ベルギーのユニヴェル・ゼロとか、フランスのアート・ゾイドとか脳の伝達速度の限界速度に達する勢いで思い出してしまうのですが、今回のアルバムもちょっとそれに近い雰囲気を持っていなくもない。薄暗い感じ。しかし、その薄暗さはレディオヘッドを想起させるものでもあり、特段目新しいところはなかったのでした。品が良くて、暗いジャーマン・ニューウェーヴ? そんな感じもする。





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スパイク・ジョーンズ監督作品『かいじゅうたちのいるところ』

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かいじゅうたちのいるところ-オリジナル・サウンドトラック
カレンO・アンド・ザ・キッズ
ユニバーサル インターナショナル (2009-12-23)
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 劇場で観た予告がとても印象に残っていて初日に観に行きました。主人公の男の子がまるで全盛期(?)の神木隆之介を思わせる愛らしさで、また、かいじゅうたちのモサモサ感がとても良かったです。一応、原作の絵本は読んでいたのですが、大筋は一緒でも中身は全然違う作りになっている……というか、原作に含まれるファジーな意味内容をより具体的にし、意味を伝えやすくするような映画化だったのかな、と思います。





 素晴らしかったのはとにかく「こども的な全能感」が発露され、主人公の男の子がやりたい放題やりまくるシーンでした。これは観ていて、とても清らかな気分になります。しかし、こどもはどこかで自分が全能ではない、ということを知らなくてはいけない。それは、他者と折り合いをつけながら生活しなければならないことを学ぶことでもありましょう。主人公が自分が作り上げた空想的な世界に迷い込んでしまうのも、その自分が全能ではないことに対する気付きに伴うショックであるように解釈できます。





 しかし、男の子はその迷い込んだ世界のなかで、鏡にうつった自分のような存在と出会い再び全能感を得てしまう。ただ、その別な世界でも何かが上手くいっていない。悲しいことに、迷い込んだ世界も安住できるような世界ではなく、現実的な他者との折り合いをつけなくてはならない、といった作りになっている。その事態に直面したとき、主人公はかつて母親が自分を叱ったときに使ったのと同じ言葉を鏡にうつった自分のような存在に投げてしまう。





 そこで自分を他者のように認識するような客観的な視点が主人公のなかに生まれるのです。最初、主人公には母親がなぜ自分を叱るのか、姉がなぜ自分を大事にしてくれないのか、が理解できない。全能である自分をなぜ受け入れてくれないのか。このことが主人公には非常に不条理なものとして思われてしまう。しかし、同じような不条理を自分のなかにも見つけることで、主人公は他者の不条理を受け入れ、家に帰ることができる。その過程がこの映画が成長の物語として読み取れる要因にもなっている、と思いました。





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10曲の交響曲で知る後期ロマン派のクラシック (前)

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誰かクラシック最初の10枚みたいにわかりやすく入り口教えてくれないかなぁ


Twitter / もちろん: 誰かクラシック最初の10枚みたいにわかりやすく入り口 ...



 twitterでキャッチしたつぶやきに乗っかりまして「10曲の交響曲で知る後期ロマン派のクラシック」というテーマでエントリを書いてみます。まず、本題に入る前に少しテーマ選定の理由についてちょっと触れておきましょう。「なぜ“交響曲”なのか?」、「なぜ“後期ロマン派”なのか?」――これについては、自分が最も書きやすいジャンルであるから、という理由もあるのですが、日本のクラシック演奏会で最も取り上げられているジャンルであり、やはり最も人気があるジャンルであるからです。





 つまり「後期ロマン派の交響曲」さえ押さえておけば、ある程度、クラシック通ぶれる、と言っても過言ではありません。室内楽は? ピアノは? 協奏曲は? オペラは?――または、バロックは? 古典派は? 前期ロマン派は? 国民楽派は? という声もあるでしょうが、とりあえずここでは一旦無視しておきます。当然「後期ロマン派」に絞っていますから、バッハやベートーヴェンといったもはや神格化された、と言っても良い作曲家についても取り上げません。





 さらにこのエントリでは、時折(っていうか自分がとても好きな曲だったら)、楽曲と一緒にその楽曲の名盤と自分が思っているCDを2枚あわせて紹介いたします。ここでの2枚はそれぞれ違ったタイプの演奏をとりあげます。まず1枚は「正統派っぽい名演」的な演奏。もう1枚は「ちょっと異端っぽい演奏だが、素晴らしい演奏」といった風に。なぜ、このような紹介の仕方をするのかと言えば、違ったタイプの演奏を紹介することによって、音楽を演奏する(解釈する)ことの多様性を知っていただきたいからです。その多様性のなかに正解は存在しません。その差異のなかで戯れること(=この演奏は好きだ!/嫌いだ!)こそが、現代のクラシックを聴く愉しみのひとつとして許容されている、というか醍醐味のひとつになっているのですから。





 本題に入る前の前置きの最後に「後期ロマン派の音楽ってそもそもどんな音楽なの?」というお話をしておきます。これもちょっと定義が難しいのですが、ここではザックリと「19世紀後半に西ヨーロッパで書かれた音楽」とでもしておきましょう(こうしておくと話が大変わかりやすくなる)。中心となった地域はドイツです。この頃のドイツではワーグナー派とブラームス派の対立があった、ということはとても有名なお話とされています。前者のワーグナーは、オペラというジャンルに視覚的あるいは文学的な芸術性を盛り込んだ「楽劇」を提唱し、音楽を総合芸術に発展させようとし、絶大な人気を得、後者のブラームスは、逆に音楽は音楽じゃなきゃアカン! みたいな感じで古典的な作曲法を発展させ、純音楽的な形式を守ろうとしました。簡単に言ってしまうと、派手派と地味派、と言っちゃってよろしい。ギャルと森ガールとの間に対立関係があるかどうかは知りませんけれども、このような対立はどこの世界にでもあるのですね。





シューマン/交響曲第3番《ライン》


 さて、それでは本題に入っていきましょう。まずは地味派の代表であったブラームスの師匠格、シューマンの交響曲から紹介してまいります。ブラームス以上に地味、というか構成が変な曲を書いているせいか「シューマンが好きだ」などというと「渋いねぇ……」と言われることもあるのですが、シンコペーションを多用するところや旋律の素晴らしさなど、ハマってしまえば抜け出せない魅力がある作曲家であります。ここで紹介する交響曲第3番《ライン》もそんなシューマンの魅力がいっぱいに詰まった名曲。



Schumann: The Symphonies
Schumann: The Symphonies
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Warner Classics (2004-01-27)
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 (いきなり全集の2枚組を紹介していてルールを破り気味なことはさておき)演奏は、バレンボイム指揮/ベルリン・シュターツカペレの演奏が良いです。バレンボイムは一時期、フルトヴェングラーの信奉者として、かの伝説的指揮者の研究に勤しんだそうですが、フルヴェンが蘇ったかのような重厚な演奏を展開しています。



Schumann: The 4 Symphonies
Schumann: The 4 Symphonies
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Deutsche Grammophon (1997-02-11)
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 (これも2枚組だ……)もう一枚はバーンスタインの演奏。とにかく熱演・爆演をおこなうことで有名な指揮者の演奏ですが、シューマンでも熱演。ゆれるテンポや過剰なダイナミクスのなかで、シューマンに秘められた狂気染みた情熱が明らかにされていくような演奏です。





ブラームス/交響曲第3番


 シューマンに才能を見出されたブラームスの交響曲で人気があるのは、「ベートーヴェンの交響曲第10番」とも称された第1番、あるいは最後の交響曲となった第4番でしょうが、ここでは第3番をあえて推しておきます。彼が書いた4つの交響曲を、第1番は荘厳、第2番は牧歌的、第4番は哀愁に満ちた……という風に性格づけるならば、第3番はそれらのどの要素も楽章ごとに持ったオールマイティな楽曲のように思えてなりません。



Brahms:4 Symphonies / Haydn Variations

Deutsche Grammophon (2002-10-08)
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 (これも3枚組の全集だ!)演奏はベーム指揮/ヴィーン・フィルのが素晴らしすぎます。録音は1975年となっていますが、ヴィーン・フィルらしい弦楽器の音が震えるような立ち上がりが堪能でき、また重厚かつ豊かな響きが堪りません。テンポは若干遅めですが、音楽の運び方が大変上手なので退屈とは無縁。



Brahms: Symphonies Nos. 3 & 4
Brahms: Symphonies Nos. 3 & 4
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Haenssler (2006-08-08)
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 ギーレン指揮/南西ドイツ放送響の演奏は、ベームと真逆でソリッド感溢れる演奏(この指揮者は現代音楽のスペシャリストとしての方が有名なのですが、こうしてクラシカルな楽曲を演奏しても素晴らしいです)。研ぎ澄まされたリズムや音色がカッコ良すぎます。





ブルックナー/交響曲第5番

 シューマンとブラームス以外に地味派が思い浮かばないので*1、派手派の話に参りましょう。派手派の代表格であるワーグナーについては交響曲に名曲というほどの貫禄があるものがありませんので(若い頃に書いたもの1曲しか完成していません)、ワーグナーの影響を多大に受けたワグネリアンの代表であるブルックナーの交響曲第5番を紹介いたしましょう。ブルックナーと言えば、曲が「長い、わかりにくい、ファンがキモい」という初心者向けとは言えない要素が満載の作曲家ではありますが、これほどまでにハマッたときの衝撃が大きい作曲家もいないでしょう。





 しかし、ブルックナーの交響曲は主に第4番《ロマンティック》や後期の第7、8、9番に集中しているのにも関わらず、ここでなぜ第5番なのか。この曲は、金管楽器が咆哮しまくる派手な彼の作品のなかでは割合地味な部類に属した作品です。しかし、全楽章が弦楽器のピッツィカートで始まる、というブルックナーの偏執狂ぶりや、ベートーヴェンの第9番を意識したとしか思えない第4楽章に、ブルックナーらしさみたいなものが溢れているのですね。だから、この作品がブルックナーにハマれるかどうかの試金石として最も適しているのではないか、と思われるのです。



ブルックナー:交響曲第5番
マタチッチ(ロヴロ・フォン)
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 ブルックナーはワーグナーに影響を受け、交響曲作家としてはベートーヴェンの影響を受けていることが顕著です。しかし、作曲家としての姿勢はむしろ、バッハに近しいものがあるのでは、と私は思います。思想家のテオドール・アドルノはバッハに対して「時間の流れとは無関係な別な場所で作曲した作家」というように評しておりますが、ブルックナーにもそれは当てはまる。そうでなければ、あれほど長く、聴衆の体力を無視した楽曲を書けるわけがない。このように聴衆の無視、流行の無視が彼の作品のなかには認められるのですが、しかし、その一方で彼は非常にナイーヴな人物であったことが伝えられています。





 それは彼が自分の作品を何度も書き直していることにも表れているでしょうし、また、当時「証明書マニア」だったことはよく知られた逸話となっています――「あんたは作曲法をきちんと学びました」、「あんたは立派なオルガニストです」という証明書の発行を彼はその生涯において求め続けました。そこには他者から確固たる承認を得ようとする不安がある。





 楽曲は聴衆を無視しているかのように思えるにも関わらず、聴衆を非常に意識していた、というこのアンビヴァレンツをどういう風に説明していいかはわかりません。ほとんど理解不能なものとしてブルックナーという人物は我々の前に現れる。しかし、19世紀末の市民はブルックナーの交響曲を「ほとんど宗教的な体験として聴取していた」そうです。思うに、ここでは理解不能だからこそ、宗教的な体験としてブルックナーの音楽が成立する、という大いなる逆説があったのではないでしょうか? また、ブルックナーの音楽には野蛮と敬虔というやはり矛盾する要素が含まれていると言えましょう。スケルツォ楽章の血沸き肉踊るような興奮と、アダージョ楽章の透き通るような穏やかさ、というように――このようないくつもの相反する要素をあわせもっているのです。





 しかしながら、ブルックナーの演奏においてはこの相反する要素をバランス良く、ではなく、どちらかの要素へと偏りがあったほうが面白い、と私は思います。そのなかでもマタチッチ指揮/チェコ・フィルによる演奏は、ブルックナーの野蛮さ、粗野さを強調した名演を多く生んでいるといえましょう。この第5番の演奏は、荒々しい息遣いまでもが聞こえてきそうな骨太な録音です。



ブルックナー:交響曲第5番
スクロヴァチェフスキ(スタニスラフ)
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 そしてマタチッチの演奏とは真逆の演奏と言えるのが、スクロヴァチェフスキ指揮/ザールブリュッケン放送響による演奏です。これは本当に素晴らしい。敬虔タイプのブルックナー解釈では、ヴァントが揺ぎ無い定番とされておりますが、私はスクロヴァをとりたい。それは、なんといってもスクロヴァチェフスキという指揮者の演奏が現代の日本でも聴くことができる、という点も重要視するからでもあります。死ぬまでに一度はスクロヴァのブルックナーを聴くべきである。どんな人にでも私は強くそう勧めたいです。途中で眠ってしまっても、起きたときに同じメロディを演奏している可能性がある。それでもやはりブルックナーは素晴らしい――21世紀に生きる我々を取りまく環境は19世紀末とはまるで違ったものでありますが、劇場で聴くブルックナーの経験は19世紀末と変わらないものであろうと信じています。





 ブルックナーの話ばかり続けていたら、すっかり長くなってしまいました。ここで一旦休憩を取らせていただき、続きはまた今度書かせていただきます。続きを楽しみにしていただけたら僥倖です。




*1:後はブルッフとか? 交響曲第3番が結構良い曲です





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ヘッドフォンの感想:ゼンハイザー CX300-II

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Sennheiser CX300シリーズ2 カナル型ヘッドフォン ブラック CX300-2BLACK
ゼンハイザー (2008-12-03)
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 ここ数年はゴムのイヤー・ピースを耳の中に突っ込んで聴くタイプのヘッドフォンが流行していますが、私もこのタイプのものをずっと愛用しています。最近、このタイプのものでゼンハイザー(ドイツのメーカー)が出しているCX300-IIというヤツを購入したので、本日はこれについての話。値段は大体4000円ぐらい(ネットで探せばもっと安く買えると思います)。しばらく使ってみての感想は、結構、好感触です。非常にコスト・パフォーマンスが良いヘッドフォンなのではないでしょうか。





 当初「なんだこれ! すごいコモるぞ!」と驚くぐらい異様に中音域が強調されていて「モコモコしてる! すっごいモコモコしてるよ!」と桜庭ばりに抗議をしようかと思いましたが、イコライザで高音を強調することによって自分好みの音にできることに気づいてからは、かなり気に入っています(シャキシャキした高音が嫌いな人はそのまま使えば良いでしょう)。特に、まろやかな中低音が良いですね。バスドラやタムの音が潰れず、上品に鳴るところがゼンハイザーらしい音作りなのかなー、と思いました。あとすごく音が分離してキレイに聴こえる感じがします。





 高級ヘッドフォンを買って断線したときのショックは味わいたくないが、iPodの純正ヘッドフォンのヘタレ具合はご免だ! という方にオススメしたいと思いました。





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コンサートの楽曲解説を書きました

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 先日、地元福島へと帰省した際に昔同じオーケストラに所属していた友人と飲んでいて、ふとした話の流れで、その友人が現在運営に関わっているアマチュア・オーケストラのコンサートで配られるパンフレットに文章を寄せることになりました。オケはオーケストラ・フィルジッヒという団体です。ユン・イサンに師事していた作曲家であり福島大学の教授である嶋津武仁が芸術監督を務めている、なんだかすごいアマオケ。



オーケストラ・フィルジッヒ 第6回演奏会


日時    2010年 1月 30日(土) 開場18:00 開演18:30


場所    福島市音楽堂 大ホール


芸術監督  嶋津武仁


指揮    高橋裕之


全席自由  一般 \1,000 高校生以下 \800


演奏曲目


ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調 作品92


エルガー 3つのバイエルン舞曲 作品27「踊り」「子守歌」「射手」


ロッシーニ 「泥棒かささぎ」より序曲


オーケストラ・フィルジッヒ公式サイト



 当初、田舎のアマオケの客だから軽いノリのほうが読む人にも易しかろう、と思って「ロッシーニはオペラ界の海原雄山だ!」とか「イギリスの音楽と言えば、言うまでもなくエルガーとビートルズですが……」とか書いてたのですが「ウチのお客さんは結構民度が高いから、文体を5割増しで硬くして」とダメ出しされました。ホンモノのパンフレットには、その硬い版が載っています。お近くの方は是非コンサートに足を運んでみてください。エルガーの《3つのバイエルン舞曲》なんかなかなか聴くことができませんが(私も今回初めて聴いた)すごく良い曲です。





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US3 @モーション・ブルー・ヨコハマ

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ハンド・オン・ザ・トーチ
US3
EMIミュージック・ジャパン (1998-03-28)
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 US3は、1991年にロンドンで結成されたジャズ・ラップ・グループ。彼らはブルーノート・レコードの音源を自由にサンプリングすることを公式に認められている。 中でもファースト・アルバム『Hand on the Torch』(ブルーノート・レコードで一番売れたアルバムでもある)に収録された、ハービー・ハンコックのアルバム『Empyrean Isles』の『Cantaloupe Island』をサンプルした『カンタループ (Cantaloop (Flip Fantasia))』は大変注目され……といきなりウィキペディアからのコピペで書き出してみましたが、上司に「会社のアレがアレで安くいけるから行こうよ」と誘われ、まったく興味がないのにも関わらず、US3の来日公演に行ってきました。ライヴは楽しいわけでも、かといって退屈なわけでもなく(ラッパーの一人が始めたへたくそ過ぎるブレイク・ダンスには辟易しましたが)、トランペットの人が上手で「わー、上手ー」って思っているうちに終わりました。





 正直、今回は彼らのパフォーマンスが目的じゃなくて「ジャズ・クラブってどういうとこなんだべか?」と田舎っぺ根性まる出しで足を運んでしまったのですが、初めて行ったモーション・ブルー・ヨコハマは客席もガラガラで(もっと人気のアーティストが出演している日は違うのかもしれないですけれど)なんだかジャズという音楽が今陥っている悲惨な状況みたいなものを象徴しているかのように思えてなりませんでした。そこには不況の煽りを受けまくっている荒涼感さえ含まれていたかもしれません。その感覚はライヴをやっていない間にステージ中央のスクリーンに映し出されている、都内のジャズ・クラブの宣伝映像を眺めているうちにどんどん強まってしまいます。「こんなのよっぽど暇な人じゃなきゃ聴きに行かないよ!」というラインナップ。





 こういった手のかかった料理とともに音楽を聴く系のジャズ・クラブで演奏されているジャズと、料理が出てこないジャズのライヴ・ハウスで演奏されているジャズとでは、ほとんど違うジャンル、と言って良いほど音楽に違いがあるのだなぁ、というのも勉強になりました。で、前者の方は「聴くなら録音で良いや!」って個人的に思う。





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俺のピクルス出し

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R0010566

 あけましておめでとうございます。この年末年始は料理と漫画を読んでばかりいます。今年は批評っぽいことも書ける料理ブロガーとして名をあげ、料理本を出したいですね。本のタイトルは『料理する力』あるいは『料理の品格』といった感じで。その本の原稿料と印税で、圧力鍋とヘンケルスのペティナイフを買いたいです――とか言って、新年早々どうでも言いことを書き連ねておりますが、そんな自称・料理ブロガーである私が目下研究中であるのが、ピクルスでございます。



もてなし上手 復刻版―基本はいつものおかずです (扶桑社ムック)
栗原 はるみ
扶桑社
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こちらのレシピを元ネタに、いろいろと試行錯誤をしながら作っているのですが、最近作ったのがかなり理想系に近いのでそのレシピを公開してみますね。ちなみにこの栗原はるみさんのレシピどおりに作ると、福島県福島市の市街地にあるバー「木馬館」で出している自家製ピクルスとまったく同じ味になります。「すっぱすぎず、甘すぎない味付け」と本にはあるのですが、個人的にはこのレシピどおりに作ると「パンチが足りないぜ!」という感じでして、全然物足りない。やはりピクルスは「染みるぜ!」というぐらいに酸っぱいぐらいが美味しいと思います。齧ったときに口の中に広がる強い酸味が、俺に生の実感を与えてくれる……死にたいんじゃない、生きてる実感を得たいがために痛みを知りたい*1、っていうこの気持ちをわかっていただける方に、私のレシピをオススメいたします。


材料

<漬け汁>



  • 白ワインビネガー 2カップ

  • 白ワイン 1.5カップ

  • 黒粒コショウ 小さじ1

  • 砂糖 50g

  • 塩 小さじ1

  • 鷹の爪 1本

  • にんにく 1かけの半分

  • ローリエ 1枚

<野菜>



  • 好きなものを好きなだけ(ウチではキュウリ2本、ニンジン1本、カリフラワー1個、セロリ2本ぐらい漬けます。季節の安い野菜を適当に選べばよろしい)




作り方



  1. <漬け汁>の材料を鍋にブチ込んで、軽く煮出たせ、冷ます。

  2. <野菜>を軽く湯通しし、冷まして、ビンに入れる。

  3. 冷めた<漬け汁>を野菜が入ったビンに注ぎ込み、冷蔵庫にいれて半日ぐらい置く。

  4. ウチに来たお客さんに出して「え!? これ自分で漬けたの!? スゴイ!」という反応を楽しむ。


 以上です。作り方の4にも書きましたけれど、この手軽さでこの反応の良さはかなり美味しいです。





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