ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換』を読む #5

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公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究
ユルゲン ハーバーマス
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 本日は第五章「公共性の社会的構造変化」について。後半戦の始まりでございますが、いきなりネガティヴな情報からいきますと、この本正直言って中盤から後半が結構読んでいてつまららない。『公共性の構造転換』といえば「コーヒー・ショップで……」云々といった第二章でのお話ばかりが引き合いに出されている、という印象がありますが、それも確かに頷けるところです。といいつつも、言っている内容については、そこまでつまらないというわけではありません。抽象的な話が続くので退屈なのですが、そこそこ面白いですよ。余談はこれぐらいにして第一六節「公共圏と私的領域との交錯傾向」に入っていきましょう。





 何度か繰り返しておりますが、この論文を大変親切設計な感じで書いたハーバーマス。彼は、この節のはじめでこれまで分析されてきた市民的公共圏の変容について整理しています。うーん、マメですねえ。っていうか、前の章があんまり上手くまとまっていない感じがするので、必然だったのかもしれませんが。ここではハーバーマスによる整理を、もっとザックリやっちゃいましょう。まず、市民的公共性が公権力から離れ、自律的な「社会」を作る。このとき、国家という公権力は、社会の基盤にそびえ立つものにすぎません。言うなれば、小さな政府って感じなんですかね。これは第三章に対応しましょうか。しかし、一九世紀後半になるとだんだんと公権力がまた力を強くしていく。それどころか、今度は市民的公共性事態が公権力のような「権威」を帯び始めていくのでした。これは第四章でなされたお話です。そして、このとき、この節のタイトルである「公共圏と私的領域との交錯傾向」という現象をハーバーマスは認めるのでした。



……民間人の交渉過程に公権力がおこなう干渉は、間接には民間人自身の生活圏から発する衝迫を媒介するものなのである。干渉主義というものは、民間圏内だけではもう決着しきれなくなった利害衝突を政治の場面へ移し変えることから生ずる。(P.198)


 で、この例としてハーバーマスは、一八七三年にはじまる大不況*1以来、自由貿易から保護貿易へと変化した各国の貿易政策などをとりあげています。結論として、市民的公共性は中立な存在であったのは、小規模な資本主義経済社会のレベルにおいてのみであり、資本主義経済が大規模になると全然そんな風に働かないし、なんらかの権力によって統合される必要がでてくるのです(P.200)。間の話をぶっ飛ばしてしまいますが、その一方で、逆に公権力が司っていたサービスなどを委譲されて商売を始める人々も出てきます(P.207)。このとき、私/公のどちらの性格も持ち、同時に、どちらにも分類できない新しい圏が生まれてくるのです。





 次の第一七節「社会圏と親密圏の両極分解」ですが(サクサク行きますよ)、今度はそういった国家と社会の相互浸透が高まっていくにつれて、「家族」という社会の単位はどのように変化していったのか、についてです。思い出して欲しいのですが、かつては「家族」という単位は即ち、経済の最小単位でありました。しかし、市民的公共性の成立以降、経済の単位は市場へと移されます。これは、労働というものが私的な領域から公的な領域へと移行したことと同義でしょう。経済活動がますます大きく発展していくにつれてこの公的な性格は増大していきます。労働がどんどん、家族から離れていく、そのとき、家族には何が残されるのか? その結果として、家族はますます内部へと引きこもることになりました。





 ただし、この家族の「引きこもり」についてですが、単純に、家族が内部にこもって昔より仲良くなった、という風に解釈することはできません。「昔は良かった」論の一種として、「昔の家族はもっと温かかった」などというのがありますが、ハーバーマスの分析もこれに則するかのようです。つまり、内部へと引きこもりつつ、家族の空洞化は進んでいったのです。親密な内面性はどんどん乾いたものとなっていく……とでも言えましょうか。この原因に、ハーバーマスは「個々の家族成員はますます高度に、家庭外の権威によって――社会によって――直接に社会化されるようになる(P.212)」ことを掲げています。また、かつてはサロンなどで交流していた個々の家族も、そもそもサロンという場所がなくなってしまい、交流が生まれなくなってしまう。家族の引きこもり傾向は、家族の都市化とも繋がっているのです。





 このようにして、家族という単位の機能は弱体化します。そのとき、個人はどうなるのか? これに答えるのが、第一八節「文化を論議する公衆から文化を消費する公衆へ」になりましょう。第一七節の最後でも触れられておりますが、そこでは個人がレジャーという擬個人的な営みに参与することによって、家族の弱体化によって失ったものを補填されたつもりになる、というような話が展開されます(なぜレジャーが『擬個人的』なのか、なぜ『補填されたつもり』なのか、については後述します)。「今日、自立化した職業の圏に対してレジャー領域として区切られているものは、かつて市民的家庭の親密領域の中で完熟した主観性が関心の的にしていた文芸的公共性の空間を傾向的に占めるものである(P.215)」。なんか飛躍してる感じがしないでもないですが、次にいきましょう(あと、なんかこの第一七節あたりってちょっと平凡ですよね、今読むと)。





 ちょっとここで第二章に出てきました「文芸的公共性」について思い出してください。これは、サロンやクラブや読書会において形成された論議する公衆によって形成された公共圏でありました。この集いによって、フマニテートという概念が成長し、また、ここで行われた論議は政治性を帯びていた、というお話です。この文芸的公共性についても、家族の空洞化によって失われていきます。そして、その代わりに「レジャー行動(文化消費)」が台頭していく(ハーバーマスの説明によれば、文芸的公共性の発展系に、レジャー行動がある、となりますが)。この文化消費は、文芸的公共性と違って、一切の政治性を持ちません。消費ですからね。消費者は対価を払って商品を購入し、それを楽しむ。これだけです。





 この変化をなぜハーバーマスが取り上げているのかというと、その消費行動が即ち、市場が私的な領域のなかにまで入ってきちゃってることを意味する! この点を強調したかったのだと思います。文化消費以前は、お金を稼ぐための実業の領域と、一緒にコーヒー飲んだり、本読んだりしながら議論しあってた公衆としての領域は分離しており、後者のほうで「私人相互の間の公共的意思疎通(P.216)」が形成されていたのですが、文化消費になるとその分離もなくなって、市場という場に一面化されてしまう。もちろん、同じ趣味を持ってる人たちも世の中にはたくさんいるでしょうから、集まりはできるでしょう。しかし、それは結局個人の自己充足に留まるため、連帯は生まれないのだ、とハーバーマスは言っています(前述の『補填されたつもり』)。さらに、個人的な営みとしての消費も、実は市場に参与する活動なので全然個人的じゃないわけです(『擬個人的』)。



商品交換と社会的労働の圏を支配している市場の法則が、公衆としての私人のみに保留されていた圏内にまで侵入してくるとすれば、論議は傾向的には消費へ転化し、こうして公共的コミュニケーションの連関は、どれほど画一化されたものにせよ、孤立化された受容行為へと崩壊していく。(P.217)



 ほとんどマルクスの疎外論のようですが、上記で引用した部分が第一八節の後半部分に繋がっていきます。この後半部分、結構長いんですが、一言でまとめちゃうと「政治的な議論もまた、消費行動になっちゃった!」ってことになります。新聞もゴシップ記事など満載のイエロー・ペーパーばっかり売れて、マス・メディアは心理的な硬直化を生む側面ばかりが強調されている(そこには公共圏にバカな人が増えてきた理由もあるんですが)。この点についてハーバーマスは大変批判的なのですが、これまでの議論の流れからすれば、彼がお怒りになるのも、もっともなところである、と言えるかもしれません。なんかフランクフルト学派っぽいぞ!





 第一九節「基本図式の消滅 市民的公共性の崩壊の発展経路」は、これまでの話(市民的公共性の崩壊の過程)を整理して「で、社会はどうなったの?」というお話です。これもはっきり言って一言でまとまっちゃいますので、一言で済ましちゃいますね――「連帯もねーし、理念もねーから、なんだかわけわかんなくなっちゃった!」これです。法律を作る段階においても「いまや法規範の概念そのものも実証主義的に、普遍性と真理性の徴表を放棄していくことになる(P.236)」んです。カントの時代は「理性イズ普遍! 理性イズ真理!」と声高に叫ぶことができましょう。絶対王政だったら「俺イズ普遍! 俺イズ真理!」ですし、教会が支配的だったら「神イズ普遍! 神イズ真理!」と言うことができます。しかし、市民的公共性が崩壊した後は誰にも「何をもって普遍とするのか、真理とするのか」という共通見解を出すことができなくなってしまったのです(だって、そういう共通基盤がねーんだもん)。





 以上が第五章のマトメになります。テンションが上がらないので、この回はブライアン・イーノとデヴィッド・バーンの『My Life In The Bush Of Ghosts』を聴きながら書きました。絶対零度のファンクネスが魂に突き刺さりました。



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*1:そんなのあったんですか? って感じですが……





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