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ジークムント・フロイト『モーセと一神教』




モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)
ジークムント フロイト
筑摩書房
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 私はこれまでに書いた拙い小説のなかで、何度かフロイトへの言及をおこなっているが、実はこの『モーセと一神教』がフロイトの著作に触れる初めての機会である。これはフロイトの最晩年の作品。文中で何度も「これを最後まで書き終える力はもう私には残されていない」など、明らかに自身の死が意識されているのだが、読んでいてその情念がビンビンに感じられるようなすごい著作だった。




 フロイトはここで「モーセというユダヤ教の立法者であり、預言者は実はエジプト人だった」という仮説から、一神教の起源はユダヤ教独自のものではなく、エジプトのファラオ、アメンホテプ4世(イクナートン)時代のアートン信仰を起源としている……という説にたどり着く。いまさら私が言うまでもなく、フロイトはユダヤ人である。その彼がどうしてこのように自らの民族的アイデンティティを大きく揺るがすような論文を書かなければいけなかったのか(しかも、学術的な枠組みを大幅にはみ出していることを知りながら)。そこには、この作品の第三章*1が書かれた状況が関連しているのかもしれない。第三章が書かれたのは、ナチス=ドイツによるオーストリア併合ののち、フロイトがイギリスに亡命した後のこと。「進歩が野蛮と同盟を結んでしまっている」時代に母国を追われた心境から、自らの出自に対してメスをいれる決意をした、というのは想像に難くない。





 繰り返すが、とにかく(さまざまな意味合いにおいて)すごい著作であり、読んでいてスリルを感じてしまった。フロイトの「モーセ=エジプト人」説の真偽について何かをいうほどの知識は持たないが、たとえそれが妄言であったとしても、自らの先祖に向って歴史的な精神分析を試みようとするフロイトの試行錯誤は大変面白い。彼が語る歴史の流れを暴力的に要約すると以下のようになるだろうか。







  1. 一神教の起源は、アメンホテプ4世。世界帝国的に規模を拡大したエジプトは、異人種たちをも取りまとめなくてはならず、そのために多神教を禁止し、信仰の対象を絶対の唯一神であるアートンに設定した。

  2. しかしアメンホテプ4世は急逝し、エジプト国内では多神教の反動が勃発する。このとき、モーセはアメンホテプ4世の家臣であり、亡き王の意思を引き継いで、奴隷だったユダヤ人を引き連れてエジプトを脱出した。

  3. 脱出したモーセはそこで再び一神教をユダヤ人に強制する。さらにエジプトの風習であるという割礼を彼らに強いた(フロイトはこの時期の宗教を、モーセ教と名づける)。

  4. しかしモーセは、自分が導いて奴隷の身分から抜け出させたはずのユダヤ人たちに暗殺されてしまう。その後、ユダヤ人は土着的な神である火の神、ヤハウェを信仰し始める(ヤハウェ教のはじまり)。





 元来、ヤハウェは多神教の神のひとつに過ぎなかった。これがどうして唯一神へと変化してしまったのだろうか? この理由について、フロイトはユダヤ人によるモーセ暗殺の影響がある、としている。この暗殺はいわば「父親殺し」である。モーセは殺されたがこの父親殺しの罪は、ヤハウェ教を信仰するユダヤ人のなかに影のように潜んでしまった。その罪の影は、古代ギリシャ人が歴史を叙事詩・神話として膨らませて語ったように、叙事詩的に膨らみ幾世紀もかけてヤハウェ教をモーセ教へと書き換えてしまったのである(!)。




 もうなんか参った! と叫びたくなるような、精神分析四次元殺法であるが、私はこういうのが大好きなのである。雑感だがヴィルヘルム・ライヒ*2がああなったのも、なんとなく納得がいくような……まさにこの創始者あって、この弟子あり、みたいな。




*1:実際には、三つの論文が書かれた順に収録されているのだが、フロイトは二つ目の論文の後に、仕事を一旦中断していた


*2ヴィルヘルム・ライヒ - Wikipedia





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