アラン・ムーア(原作)デイヴ・ギボンズ(作画)『ウォッチメン』

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 先日『ウォッチメン』の映画を観て*1大変感銘を受けたので、原作も。これが私の初アメコミ体験となったのだが「グラフィック・ノヴェル」という言葉が、非常に納得がいくものとして受け取られるような作品だった。奇しくも物語の舞台となっている1985年は、スティーヴ・エリクソンが『彷徨う日々』でデビューした年であり、なんとなくエリクソンとの同時代性も感じてしまう。また、改めて「よくこれだけの情報量が詰まった作品を、映画にしたなぁ……」と改めて映画版を賞賛したい気持ちにもなる。細部は若干異なるけれど、ほぼ完璧な映画化だ、と思ったし、むしろ映画版はその細部の変更によって、より一層作品を研ぎ澄ました印象がある。





 逆に原作には、物語のディティールを深いものとする資料が章の間ごとに挿入されていて、これがとても面白い。とくにオジマンディアスに対するインタヴュー記事や、ロールシャッハの精神鑑定結果などは素晴らしい。物語の結果を暗示するかのような効果的な使い方に感銘を受けた。『20世紀少年』もザック・スナイダーならもっとマシだったのかもしれない、などとどうでも良いことを思ってしまったが、これは原作がやはり大したことがなかったのだろう……。





 圧倒的な情報量を噛み締めながら読んでいくと、この作品が実によく「アメリカ批評」となっているかがよくわかるような気がする。オジマンディアスにしても(究極的な世界平和の実現のための権力の行使)、ロールシャッハにしても(善悪の二元論)にしても、強くアメリカ的なキャラクターとして読めるのだ。もちろんその「アメリカ的」というイメージは、私はアメリカの政治学や歴史について専門的に学んだ人間ではないから、いくつかの本を読みかじって得た知識から得たものに過ぎないけれども。注目すべきは、オジマンディアスとロールシャッハに共通する「高潔さ」である。この点において、彼らふたりの本質は、鏡のような関係にあるように思った。ふたりは高潔に、悪を憎むからこそ、暴力を振るうのだ。換言するならば、高潔さが暴力を行使することに対しての正統性を生産する、といったところだろうか。



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こういった事実からもアメリカという国の根幹にある精神が浮かび上がってくる。その一つは(ピューリタン的な)「苦難を遠ざけるのではなく、それと対峙し、克服しよう」という態度。そしてもう一つは「その対峙を合理的に行っていこうではないか」という姿勢だ。この二つの根本から導き出される“手段” が「暴力」、それも「白人によって振りかざされる圧倒的な暴力」というのは実に分かりやすい(そして分かりやすい故に、なおさら深刻である)。




 その暴力の事例として「リンチの伝統」が挙げられ、現代もなお、その伝統は脈々と受け継がれている、と筆者は分析する。9.11以降におこった戦争なども全てこのリンチの伝統と対して布置されているところは、少し言いすぎな感じもするが納得がいってしまうような話だ。*2


 それゆえに考えてしまうのは「高潔さの恐ろしさ」についてでもある。オジマンディアスは高潔さゆえに大量殺戮をおこない、ロールシャッハは高潔さゆえに自滅する。さらに前者の暴力が、まことに合理的な価値観によって正当化されてしまうというのであれば、ますます問題だ。これを「アドルノ的な問題」として扱うのは、少しもこじつけではない、と私は思う*3






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