エルヴィン・パノフスキー『イコノロジー研究』

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 イコノロジー(図像解釈学)の創始者である、エルヴィン・パノフスキーの主著を読む。手に取ると上下巻でかなり分厚い本に思えるのだが、その実、半分ぐらいは原注と参考文献案内、そして索引だったりするので結構あっさりと読めてしまうにも関わらず、これは大変に面白い本だった。序論の部分で、パノフスキーが取るイコノロジーの立場や方法論が入るため、「イコノロジーってなんぞや?」という方にも安心な設計である(当の私もイコノロジーなんかまったく知らなかった)。以前に彼の『<象徴形式>としての遠近法』*1を読んだときにも感じたが、恐ろしいほどの情報量に対して、とても分かりやすい文章が続くのも良い。これは翻訳が素晴らしいのだろう。





 タイトルは『イコノロジー研究』となっているが、本の主題は副題である「ルネサンス美術における人文主義の諸テーマ」について。パノフスキーはそこで、中世からルネサンスにいたるまでの思想の変遷を、同時代の絵画のなかに見出そうとしている。これはまったく逆の言い方もできる。同時代の絵画のなかに、中世からルネサンスにいたるまでの思想の変遷を見出す、と言う風に。そういうわけで、この作品は「中世&ルネサンス思想史の本でありながら、中世&ルネサンス美術史の本である」という性格を持つ。この二重性がとてもエレガントな形で、整理され、提示されるところは魅力的だ。そもそも「(私の主な興味の対象である)アドルノとパノフスキーは似ている(かもしれない)」というコメントから読み始めたパノフスキーだったが、このよく整理されたところに、まずはアドルノとパノフスキーの隔たりを感じてしまう。




 とはいえ、序論で展開されたパノフスキーの方法論を読めば、両者の方法論の近似を感じてしまうのは確かだ*2。アドルノがパノフスキーのように自らの方法論をここまで整理して提示した、という例を私はまだ見たことがないが、このあたりは性格の違いなのかもしれない。アドルノとパノフスキー。どちらもドイツに生まれたユダヤ系の学者であり、第二次世界大戦中はアメリカに逃れた経歴を持つ人物である。彼らの同時代性について語る行為もまた魅力的なものと感じる。





 しかし、アドルノが音楽を哲学への媒介(逆に、哲学を音楽への媒介)として用いたのと、パノフスキーが美術史を思想史への媒介(逆に思想史を美術史への媒介)として用いたのとでは、違いが生まれてしまうのは必然的なことだろう。簡単に言ってしまえば、前者が「そうであるもの」を語ろうとして生まれた態度なのに対して、後者は「そうであったもの」を語ろうとして生まれた態度であるからだ。「そうであるもの」、あるいは「そうでありつづけるもの」を語ることが未整理なものとなるのは致し方ないといえば致し方ない。その未整理であることを美学的に捉えて評価することは危険なことかもしれないが。





 『イコノロジー研究』の話に戻ると、私はこの本に書かれている思想史の部分を大変面白く読んだ。もちろん、中世・ルネンサンスに関する知識をほとんど持たなかったから、新しい知識として得られたせいでもあるのだが、東ローマ帝国崩壊後に、ギリシャ哲学が西ヨーロッパに流入し、そこでギリシャ哲学とキリスト教とが融合し始めるあたりにも触れられており、このあたりのダイナミックな思想史の変遷が刺激的なのである。まさに歴史はロマン。異教と異教が奇跡的に融合し、さらにはネオプラトニズム、という今で言うロハスみたいな集まりが生まれてくるところは「いつの時代にも『人間、自然な姿が一番!』みたいなことを言うヤツはいるのだなぁ」と感心してしまった。15世紀の北イタリアでのネオプラトニズムの中心となったマルシリオ・フィチーノは、質素な食事をしながら様々な芸術家・思想家・詩人と親交をもったそうである。彼の影響下には、あのミケランジェロもいて「ミケランジェロも坂本龍一みたいなヤツだったかもしれないのだなー」とか思う。




*1エルヴィン・パノフスキー『<象徴形式>としての遠近法』 - 「石版!」


*2:イコノロジーについてはWikipediaにも記述されているので、そちらを参照されたい。ここでは詳細を省く





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