スキップしてメイン コンテンツに移動

フランセス・アッシュクロフト『人間はどこまで耐えられるのか』




人間はどこまで耐えられるのか (河出文庫)
フランセス アッシュクロフト
河出書房新社
売り上げランキング: 91886


 原題は「Life At The Extremes」。タイトルだけからすると、ナパーム・デスとかライトニング・ボルトとかそういうエクストリームな人たちを愛好する人々の人生を追った本かと思いがちだが*1、実際のところはイギリスのオックスフォード大学で生理学を教えている科学者が書いた「人間は極限状態にどこまで耐えられるのか」を詳細に示した本である。全7章の内訳は以下の通り。





  • どのくらい高く登れるのか

  • どのくらい深く潜れるのか

  • どのくらいの暑さに耐えられるのか

  • どのくらいの寒さに耐えられるのか

  • どのくらい速く走れるのか

  • 宇宙では生きていけるのか

  • 生命はどこまで耐えられるのか



 この本では人間だけに留まらず、他の種の動物や微生物などにもフォーカスがあてられ、また、そういった極限状態に対して生命の身体はどのような反応を示すのかも紹介される。言ってしまえば、一種の科学雑学本なのであるが、とても面白かった。著者(女性)の語り口もとてもユーモラスで「きっと良い感じのオバサンなのだろうなぁ」と想像がつき、調べてみたら本当に良い感じのオバサンだったので余計に親しみを抱けてしまった。


f:id:Geheimagent:20090326220126j:image:left

 しかし、雑学本とはいえ得るものもかなりある。個人的には「どのくらい速く走れるのか」で紹介される、長距離ランナーが用いると言う「カーボローディング」*2という食餌計画の話などは、(私も長距離を走りたいと思っているので)とても参考になったし、他にも感動してしまう部分さえあった。なかでももっともグッときてしまったのは「どのくらい高く登れるのか」におけるこの部分だ。少し長くなるが引用しておこう。ここでは、中南米におけるスペイン人の侵略の歴史と高度が人体に及ぼす影響が紹介される。


スペイン人は標高約4000メートルにポトシの町を建設したが、ここはまさに辺境の地で、女性や家畜は出産のためにふもとへ下りなければならず、子どもが生まれてから1年は低地で育てた。先住民の女性は妊娠も出産も影響を受けなかったが、高地で生まれたスペイン人の子どもは死産か、生後2週間以内に死んだ。町の建設から55年後の1598年、クリスマスイブにスペイン人の子どもが初めて元気に生まれ、聖ニコラウス・トレンティヌスの奇跡と称えられた。「奇跡の子ども」は6人生まれたが、みな成人する前に死んだ。それから2、3世代をかけて、おそらく先住民との混血が進んだために、人間の出産をめぐる障害は克服された。しかし牛や馬は不妊の傾向が続き、結局、スペイン人は都をリマに移した。*3


 この一節に、ちょうどラテンアメリカの小説家が書くような長大な大河小説に匹敵する感動を抱かざるを得ない。ここには歴史の大きな物語――人間の身体の高地への適応と言う――が凝縮されている。あと「体にフィットするズボンはセクシーに見えるが、皮肉なことに、実は男性の生殖機能を衰えさせている。精巣を締め付けて熱の発散を減らし、ひいては精子の生成を減らしているというわけだ*4」という記述も気をつけようと……思った。


 




*1:思わないよ!そんなのあったら読みたいけど!モッシュで首を折ったりとかしてそう……


*2:狭義の直前に炭水化物中心の食事をして、筋肉に最大限のグリコーゲンを蓄える方法。グリコーゲンは筋肉がパワーを発揮するときの最大限のエネルギー源


*3:強調は引用者


*4:精子は高温に弱い





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

桑木野幸司 『叡智の建築家: 記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市』

叡智の建築家―記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市 posted with amazlet at 14.07.30 桑木野 幸司 中央公論美術出版 売り上げランキング: 1,115,473 Amazon.co.jpで詳細を見る 本書が取り扱っているのは、古代ギリシアの時代から知識人のあいだで体系化されてきた古典的記憶術と、その記憶術に活用された建築の歴史分析だ。古典的記憶術において、記憶の受け皿である精神は建築の形でモデル化されていた。たとえば、あるルールに従って、精神のなかに区画を作り、秩序立ててイメージを配置する。術者はそのイメージを取り出す際には、あたかも精神のなかの建築物をめぐることによって、想起がおこなわれた。古典的記憶術が活躍した時代のある種の建築物は、この建築的精神の理想的モデルを現実化したものとして設計され、知識人に活用されていた。 こうした記憶術と建築との関連をあつかった類書は少なくない(わたしが読んだものを文末にリスト化した)。しかし、わたしが読んだかぎり、記憶術の精神モデルに関する日本語による記述は、本書のものが最良だと思う。コンピューター用語が適切に用いられ、術者の精神の働きがとてもわかりやすく書かれている。この「動きを捉える描写」は「キネティック・アーキテクチャー」という耳慣れない概念の説明でも一役買っている。 直訳すれば「動的な建築」となるこの概念は、記憶術的建築を単なる記憶の容れ物のモデルとしてだけではなく、新しい知識を生み出す装置として描くために用いられている。建築や庭園といった舞台を動きまわることで、イメージを記憶したり、さらに配置されたイメージとの関連からまったく新しいイメージを生み出すことが可能となる設計思想からは、精神から建築へのイメージの投射のみならず、建築から精神へという逆方向の投射を読み取れる。人間の動作によって、建築から作用がおこなわれ、また建築に与えられたイメージも変容していくダイナミズムが読み手にも伝わってくるようだ。 本書は、2011年にイタリア語で出版された著書を書き改めたもの。手にとった人の多くがまず、その浩瀚さに驚いてしまうだろうけれど、それだけでなくとても美しい本だと思う。マニエリスム的とさえ感じられる文体によって豊かなイメージを抱か