はてなものすごくいい加減に作ったミートソースパスタ出し

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 大晦日である。お昼である。空腹である。ので、近所のモスバーガーで食事をしようかと思ったけれど、大晦日のランチをモスバーガーで楽しもうというファミリーが羊の群れのように店内を賑わしていたので止すことにして、自分でご飯を作って食べることにした。作ったのは、ミートソースパスタ。たまねぎとひき肉を炒める時点でにんにくを買い忘れたことに気がついて、なんだか味気ないソースになりそうだったが、大さじ1杯ぐらいウスターソースを入れたら美味しく出来た(奇しくも、モスバーガーのミートソースみたいな味に……)。



Wave
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Antonio Carlos Jobim
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 作りながら、食べながら、アントニオ・カルロス・ジョビン、1967年の大名盤『波』を聴く。レースカーテンから漏れてくる暖かい陽を感じながら聴くボッサには、なんとも言えない幸福を感じる。この手の落ち着いた音楽は、慌しい日常にはそぐわず、聴いていて結構イライラしてしまうのだが、暇に任せて聴いていると素晴らしく馴染む(そしてジャケットのキリンが可愛い)。つぶさに聴いていくと、デザイン性が非常に高いことが分る。あるべきところにあるべき音があり、それらはまるでよくできた木造建築のようだ。





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キリンジ/7―seven―

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7-seven-(DVD付)
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キリンジ
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 引き続き、キリンジの最新オリジナル・アルバムも聴いた。こちらも職人芸的なソングライティングがキレまくっていて素晴らしい。運動量が非常に多いコード進行と相反するさわやかな聴き応えが不思議すぎるのだが、これは表情をあまり感じさせないヴォーカルの声質によるものなのだろうか。Jポップというものを、幼児化した、あるいは歌謡曲化したアメリカン・ポップスと暴力的に捉えることは可能だと思う。キリンジの場合、80年代のAORを常にモダナイズした形で提供するアーティストだと思うので、歌謡曲への方向性はまったく感じられないのだが、性を感じさせないという意味での幼児性を強く感じる。しかし、2008年のアルバムで、トーク・ボックスを噛ませたギター・ソロが聴けるとは思わなかったな*1……ベスト盤収録の「You And Me」でも使用されているけれど、今最も良い「喋るギター」が聴けるバンドとはキリンジなのかもしれない……どうでも良いポイントかもしれないが。



D


(朝焼けは雨のきざし)



D


(ジョナサン。このアド街みたいな、ユルい旅番組みたいなPV最高!)




*1:「君のことだよ」





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ダンテ・アリギエーリ『神曲(天国篇)』

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神曲〈3〉天国篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
ダンテ アリギエーリ
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 ついに天国へと昇ったダンテ(文字通り、ヘブン状態!)が、思い焦がれるベアトリーチェの瞳を凝視してたら天球の音楽を聴いてしまったり、いろんな聖人の精霊と話して疑問に思っていたことを解決してもらったりする……という第3巻。てっきり地上に戻ってハッピーエンドかと思ったら、最後は神の愛に包まれながら、その幸福のなかでダンテは表現力を失ってしまい……というラストなのでびっくりした。作品のなかにいるダンテが表現力を失う(つまり、続きを書き続けられなくなる)と同時に、作者であるダンテも表現を止める。ここで初めて、登場人物と作者という2人のダンテは一致する。


 登場人物のダンテは迷える人であり、他の登場人物に導かれる人であるのだが、登場人物のダンテを導く他の登場人物について書いているのは作者であるダンテである。よって、2人のダンテは作中でずっと分裂していることになる。この分裂した主体意識はとても近代的に思える。


 しかし『煉獄篇』同様、『地獄篇』のようには面白く読めなかったのが残念である。話が後半に進むにつれ、話題は観念的になり(また教義についての問答が含まれるようになり)、問題は意識によって解決されてしまう。肉体的な問題(山登りがつらい……とか)はほとんど出てこない。よって、ロード・ノベルのようには読めなくなってしまうのが、要因なのか。





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キリンジ/KIRINJI 19982008 10th Anniversary Celebration

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KIRINJI 19982008 10th Anniversary Celebration
キリンジ
コロムビアミュージックエンタテインメント (2008-12-10)
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 昨日で仕事納めだったのだが、今年の年末年始は実家に帰らず東京で過ごそう、予定など一切入れまい、気ままに身体を鍛えたり、本を読んだりして、擬似隠遁生活でもしよう……と心に決めた私は、庵*1に篭って聴くべき音楽をいくつか仕入れてきた。近所のHMVに足を踏み入れて一番最初に目に入ったのは、キリンジのベスト盤である。活動休止期間を挟みつつ、もうメジャーデビューから10年もやってるのか……と驚きつつも、これまでちゃんと聴いたことがなかったので。


 礼儀正しくDISC1の1曲目「双子座グラフィティ」から聴き始めたんだけれども、まず録音の良さにびっくりした。ヘッドフォンで聴いていてとても広い空間を感じさせる音の配置になっていて、いつも使ってるAKGのヘッドフォンの性能が向上したかのような錯覚さえ覚えた。これが海外リマスタリング&高音質CD(HQCD)の効果かどうかはわからないが、結構ドキッとするので試聴機を見つけたら試してみることをオススメしたい。


 転調の多い楽曲や、ものすごく凝った構成を、半笑いで聴くのも楽しい。やはり「日本のスティーリー・ダン」というのは言い得て妙であり、キリンジとフェイゲン&ベッカーとの間には共通点が数多くある(特段ヴォーカルが上手いわけではない、という点とか……)。それら共通点のなかには、「世界観」も含まれているように思われる。



D


 そして、それは「郊外っぽい感じ」であり、「都市の音楽ではないところ」だったりする。あくまで印象にすぎないのだが、キリンジとスティーリー・ダンのシティポップス感とは、郊外から都市を志向し、妄想/抽象によって形成されたものであり、フィクション的なリアリティによって支えられてる感じがするのだ。どちらもホンモノの都市の音楽ではないからこそ、都市の音楽としてのリアリティを得ている……ような。



D


 何を言っているのかよく分らなくなってきたけど、このアルバムは買いだ。ただ、もしかしたら、オリジナル・アルバムのほうが私好みの「地味で変な曲」が収録されているのかもしれない。もしそうだとしたら「我こそは、キリンジ・フリーク」みたいな有識者の方、ご教授願います。




*1:アパート





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『北斗の拳』を全巻読んだのだけど……

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北斗の拳 (1) (集英社文庫―コミック版)
武論尊 原 哲夫
集英社
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 会社の人が「これは男の漫画だから。これを読まないと一人前のSEになれないよ」と言って『北斗の拳』を全巻貸してくれた。なぜだかわからないが、今年は武論尊(史村翔)原作の漫画ばかり読んでいた気がした、しかも全部会社の人に借りて。マチスモ全開の世界観が業界的にウケるのだろうか……。集中的に武論尊原作の漫画を読んでいて分るのは、作画が誰であっても「問題発生」→「大ゴマで名言」のような、緊張と解決の和声理論のごとき運動が基本としてあるのだなぁ、ということで、その枠組みだけ見てみれば「武論尊原作の漫画はどれも一緒。どれか読めばそれで良い」などと乱暴なことがいえてしまうかもしれない。


 あと「ラオウを倒したあとの『北斗の拳』」について、これはどのように評価されているのだろうか……。明らかに、テンションが激落ちしている感は否めない。同じ武論尊名義での『HEAT』も、後半のテンションがかなりひどかったけれど、そういうところに「連載漫画」の難しさを感じてしまった。漫画をどこで終わらせるのかについては、いろいろあるんだろう。「人気があるうちは連載を終わらせない」みたいな大人の事情的なものが。



In Your Mind
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Bryan Ferry
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 後半で唯一面白かったのは、ブライアン・フェリーのこのアルバムジャケットでかけているみたいなサングラスをケンシロウがかけているところだろうか……。フレディ・マーキュリーみたいなのも出てくるし、案外音楽を元ネタにしているところは多いのだろうか。





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マラソン初心者に伝えたい!失敗しないシューズの選び方

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 会社の人に誘われて、2月の頭にハーフマラソン(21キロ)を走ることになった。人生初レースである。というわけで、何はともあれ形から入ったほうが良かろうと思い、ランニング・シューズを新調することにした。で、買ったのが上にあげたアシックスの製品*1。これを履いて今しがた5キロぐらい走ってきたんだけれども、今まで使っていたアディダスのシューズ*2とは明らかに走っているときの感覚が違って驚いた。軽いし、前のよりも進むのが楽な気がする(地面が弾む感じ)。すげーぜ、アシックス。


 ちなみに私は普段は30分間で5キロぐらいのペースで走るんだけれど、走っている間はメタリカの『Death Magnetic』を聴くと気持ち良い。このアルバムの収録曲は大体7分ぐらいなので、5曲目の途中ぐらいからクールダウンに入るとちょうど良い具合に「今日のノルマ達成かなー、帰ってビールでも飲むかー」と思う。



Death Magnetic
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 ところで、標題の「失敗しないシューズの選び方」だけれども、結論から言うと「御茶ノ水とかのスポーツ用品専門店に行って、売り場で訊ねて買うのが一番」である。私の場合、『ターザン』などを結構今までに読んでいたから、シューズはどういうタイプが良いか、とかそういう知識だけは豊富だったんだけれども(女体に詳しい童貞のごとく)、店員さんは「どうして初心者用のシューズと、プロっぽい人用のシューズでは形が全然違うのか」とか言う話を、ちゃんと納得行く形で説明してくれたので大変タメになった。


 それから今まで曖昧にしか知らなかった自分の足のサイズとか形とかも計測してくれるし、その後に自分にあったものを何足か出してくれてとても助かる。ただ、何足か試着して「あとは自分の好み。走っているときのフィーリングですね」と判断を委ねられたときは、迷ってしまったけれど。まさか、試着で「試しに走ってきます」というわけにはいかないだろうし……。


 以下に、30分ぐらい店員さんと話したときに聞いて面白かった点などをまとめておく。




  • ミズノとアシックスは、トヨタと日産


 フルマラソンを制限時間内になんとか完走を目指す!ぐらいのランナーならば、やはり「ショックを吸収してくれるシューズ」が良いらしい。踵が厚くなっているヤツ(フルマラソンを3時間切ってくるようなペースのランナーになると、着地時に踵をつかわないため、踵が薄くても平気なんだそうな)。で、そういったタイプのシューズで断然コストパフォーマンスが高いのが、ミズノとアシックスの国産メーカー製品だそうだ。これらはちょうど、トヨタと日産のようなものであるらしい。


 それぞれを履き比べた結果、ミズノのほうが軽量で裸足みたいな感じの履き心地。アシックスはしっかりと包み込んで足を守ってくれそうな履き心地。そのほかだとニューバランスの製品が「マジメなランナーのお客さまにも評判が良いですね」とのこと。裏を返すと、そのほかのナイキだのアディダスだのプーマだのの製品は「マジメなランナーのお客様には評判が悪い」ということなんだろうか……。まぁ、しかし、最終的には「フィーリング」だそうなので、評判が悪くても「これが好き」という人にはそれが良いシューズなのだろう。




  • 良いシューズは、関節を守る


 「ショックを吸収するタイプのシューズ」は、単に衝撃を吸収してくれるだけではなく、関節や靭帯が損傷するのを守ってくれるのだそう。割とゆっくりとしたペースのランナーの場合、着地した瞬間、足首がグシャッという感じで外側に曲がってしまうらしい(ちょうど『く』の字のように。速いペースのランナーの場合は、ねじれる前に次の一歩になってるからそういう現象は起こらない)。これが結構なダメージなのだそうだが、良いシューズだとこれらの関節の動きを補正して、なるべく曲がらないようにしてくれるのだという。


 このため、最近のランニング・シューズのトレンドは「踵の外側に硬い素材を使い、内側には柔らかい素材を使う」らしい。このあたりの説明で、店員さんのテンションがマックスになり、ジャージの裾を捲り上げて「人間の足にの靭帯は………云々……十字靭帯が……云々」と言われたけど、半分ぐらい聞き流してしまった。店員さんの足は、もうなんか棒みたいな感じだったので、たぶんびっくりするぐらい速く長く走れる人なんだと思う。




  • 追記



シューズ選びで気をつけたことは、普段サイズより1cm大きいものを。走り込むと解りますが足指への負担がある。ソールについては走り込んで筋肉がついてないようなら柔らかめで。



 id:cool_ni_ikouさんのブクマコメントより。書き忘れていたけれど、まったく同じことを店員さんが教えてくれた。ジャストサイズの靴で長時間走っていると、たしかに足の指に水ぶくれができたりする。余裕のあるサイズだと、足の指が格段に楽。


 ここからは雑感。結局のところ、良いランニング・シューズを履いたからと言って、劇的に足が速くなる、とか、長く走れるようになる、ということはないのだと思う。速く、長く走るのに一番重要なのは心肺。つまりは体力の勝負だ。で、足を保護してくれる良いランニング・シューズを履いていると「心肺はまだまだ大丈夫なのに、関節が痛くてもう走れない!」とかいうトラブルを防いでくれるのだそうな。なので、あんまり有り難味みたいなものってない気がする。買って最初の方は「前のよりも軽い!」とかあるけれども。


 とはいえ、こういうものをよく選んで買うという行為はとても楽しい。スポーツ用品に限らず、カメラとか、ヘッドフォンだとかを選んで買うのにも似たような楽しさがある。もはやスポーツの楽しみの一部に「スポーツ用品を買うこと」が含まれてしまっているようである。




*1:アマゾンで買ったほうが3000円近く安かったことが判明しショック!


*2:4000円ぐらいで買ったバーゲン品





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クエンティン・タランティーノ監督作品『デス・プルーフ』

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 いまさらだけれども、これ、タランティーノの最高傑作なんじゃなかろうか……見ていて目がギンギンに冴えてくるような痛快、かつ躁状態映画だった。相変わらず大した中身もないのだが、これが映画である以上、もはや映画としかよべないような絶対的な純度で面白い映画が成立してしまっているようなすごい作品。もちろん、引用や小ネタの数々がいつものように散りばめられているのだが、それらをいちいち指摘していくことが極端に馬鹿馬鹿しくなること必死であろう。とくに意味もなく映画ファンを喜ばせるだけの引用が無意味な純度の結晶化に拍車をかけているような気がしないでもない。この作品の印象はなんだか『崖の上のポニョ』にも似ている。これら2つの映画の「正しい鑑賞方法」とは同じ態度なのだと思う。どちらも意味を通り越した快作で、ただ画面に集中するだけで、映画と観客のあいだには幸福な関係性が生まれてしまうんじゃないか。





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アレクサンドル・ソクーロフ監督作品『太陽』

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 先日、普段は見向きもしない文芸誌をパラパラとめくっていたら、蓮實重彦がアレクサンドル・ソクーロフの新作について書いていた。主演はなんとガリーナ・ヴィシネフスカヤだそうである。世界的というよりも、もはや歴史的なソプラノ歌手として(主にショスタコーヴィチ・ファンの間で)有名な彼女の演技は是非見ておきたいと思った。でも、これまで一本もソクーロフ作品を観ていなかったので予習の意味をかねて『太陽』を。


 ロシア映画には「退屈」というイメージを、ろくに観たことがないくせに持っているのだが、この作品は異様な密室感と異様な緊張感が全編を支配していて、まったく退屈せず鑑賞できた。ものすごく面白かった。

 音楽の使い方がかなり謎なのもとても興味深くて、気がつくと電波っぽいノイズやヒスノイズなどがずっと流れていたり、よくわからないタイミングで故ムスティラフ・ロストロポーヴィチ*1によるバッハの無伴奏チェロソナタが流れたり、と妙な不安を煽ってくる。バッハは断片的に用いられ、微分音を用いた弦楽器の不協和音のうえにバッハが乗ってくるところなどが鮮やかだった。が、テーマ曲風の音楽は打ち込みのオーケストラ感が明らかで、「いまどき、こんなのありかよ……」と気分が萎えるぐらい安い。「安さ」で言えば音楽に限らず、制作費がいくらだとか知らないけれども、金がかかっている感じはあまりない。


 昭和60年生まれの私は、昭和天皇のことも、昭和のこともよく知らない。しかし、イッセー尾形によってヒロヒトの姿はそんな私でも「色々な方面からなにか言われなかったのだろうか?大丈夫だったのだろうか……?」と心配になるぐらいであった。天皇が神から人間になるまでを描いた作品なのだが、ここで天皇に与えられた神性は、ほとんど痴愚神のようである。あるいは、ギリシャ神話に登場する神々のような、やや混沌とした性格を持つ神のようでもある。ヒロヒトには(崇高な神でありながら、不貞を働く)ゼウスのような2面性が与えられているように思えた。なので神は神でも、キリスト教的な絶対神とはまるで違っている。


 ここで描かれる「神的なもの」と「人間的なもの」を対比させれば、「いったい天皇という神はいかなる存在であったのか」と問うこともできよう。また、それは同時に「天皇という人間はいかなる存在であったのか」という問いにも転換可能である。さらに後者の問いかけは、天皇のみならず、もっと広く「人間とはいかなる存在であったのか」という問いにまで広がりをもたせることができそうだ。


 これらの問いに対する答えは、疎開していた皇后(桃井かおり)と天皇が邂逅を果たすシーンのなかにもあれば(これは映画のクライマックスでもあるのだが、本当に素晴らしい)、執事(佐野史郎)と天皇とのやりとりのなかにあるようにも思われた。人間の理性という本性や、神の不可解さについて考えさせられるような映画である。




*1:ちなみにヴィシネフスカヤの夫である





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はてな祖父出しの終焉

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 じいちゃんに良くしてもらった恩を返せないうちに、じいちゃん死んじゃったけど、その分、今生きてる人に返していけたら、じいちゃんも報われっかなぁ、なんて思って今は割と前向きです。「故人はいつ偲んだって良いんです」と寺の坊さんも言ってたし、明日から仕事なんだけど、それで頑張って稼いでさぁ、その分生きてる人になんかできたら、じいちゃんを供養することにもなるかなぁ、ってね。





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ダンテ・アリギエーリ『神曲(煉獄篇)』

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神曲〈2〉煉獄篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
ダンテ アリギエーリ
集英社
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 第2部「煉獄篇」に入るとちょっと話の内容、というか主人公(語り手であり、筆者であるダンテ)への性格付けが異なってくるので、なかなか読むのが辛かった感がある。第1部「地獄篇」は、完璧にダンテはヴェルギリウスに導かれて地獄を歩む「観察者」であり「観光者」であり「第3者」なのに対して、「煉獄篇」ではダンテ自身に天国に足を踏み入れる権利を得るための「修験者」としての任務が与えられる。そこでは、地獄でダンテが見たような歴史上の人物が呵責を受ける様子やおぞましい苦行の様子はなく、ダンテが一生懸命ヴェルギリウスに励まされながら、煉獄の山を登り続ける様子が描かれる。ので、派手さに欠けるのだ。異様にテンションが高い地獄篇と同じものを期待して読み進めると、がっかりすることは必死。


 とはいえ、退屈が続くのか、というとそうでもなく、生前の世界と死後の世界における「身体(霊魂)論(なぜ、死んでるのに生前の姿で目に見えるのか)」などを懇々と語るところなどは「へぇ……そんな理屈なのか」と面白く読めた。あと、煉獄の門をくぐる際に、門番の天使によってダンテの額に「7つのP(罪)マーク」を彫られる、っていう設定が良いですね。7つの罪をすべて償うことによって、ダンテの身は綺麗になり、天国に行く資格を得るんだけれども、ここはなんか「悪魔超人を1人倒すと、ミートくんの体の1部が戻ってくる」みたいなジャンプ漫画ライクに読めてしまった。まぁ、アトランティスと闘ったりするわけではないのだけれども。


 贖罪を終えたダンテがいよいよ天国へ行くところでこの巻はおしまい。そこで、ダンテの身柄もヴェルギリウスから、ベアトリーチェ(ダンテが思い焦がれてた人物。森を彷徨っていたダンテのもとへ、ヴェルギリウスを派遣して助けてあげようとした張本人)へと受け渡される。ヴェルギリウスは、キリスト教の信仰を持たず、地獄の辺土にいるので天国にはいけないのである。この別れのシーンも良い。振り返るとそこにはヴェルギリウスはおらず、ダンテは泣く。そして、ベアトリーチェにものすごく怒られる、というなんとも言えないダメっぷりを発揮する。ここまでずっとダンテという人は「弱気なダメ人間」な感じでいるのだが、贖罪を終えてもやっぱりダメなのである。


 ダンテにとってヴェルギリウスが「父」なのだとしたら、ベアトリーチェは「母」だろう。地獄と煉獄の間に、父によって見守られてきた息子は、まだ地上に戻れていない。地上に戻す、という最終的な救済を施すのはおそらくは母の役目なのだろう。煉獄の険しい山を登る過程は、この父から母へという受け渡しの「過程」に過ぎないのかもしれない。煉獄篇の読んでいてもいまいち興奮しない感じは、これに由来するのか?




  • 関連エントリ


ダンテ・アリギエーリ『神曲(地獄篇)』 - 「石版!」





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スタイロフォンが届きました

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 先日紹介したスタイロフォンという楽器が今日届きました。早速曲っぽいものを作ってみた。結構面白いな……これ。












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立川談春『赤めだか』

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赤めだか
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 2008年に出版されてさまざまな賞を受賞しているそうである、この『赤めだか』。立川談志の弟子、立川談春による修行時代および最近にいたるまでを綴ったエッセイ。これは会社の仲の良い上司からお借りしたものなのだが、面白くて一気に読んでしまった。帯には福田和也(なぜ?)がこんな言葉を寄せている。



笑わせて、泣かせて、しっかり腹に残る。プロの物書きでもこの水準の書き手は、ほとんどいない。間違いなくこの人は、言葉に祝福されている。



 だそうである。「そこまで言うか!」という感じであるが、とてもリズミカルで音声的な、落語的なテンポで進んでいくから、ページをめくっていくのが楽しくなるような本なのは確かだ。「言葉に祝福されている」というのは、落語家が作家以上に言葉を使う(言葉を選ぶのではなく)職業なんだから当たり前なのかもしれない……とも思う。


 しかし、この本を書かせているのは、やはり師である立川談志なのだろう。立川流の中心に彼が存在するように、この本で主軸となっているのはこの鬼才であり革命家のような落語家なのだ。「修行とは矛盾に耐えることだ」と入門当初、談志は書き手である談春に言ったそうだ。この言葉に暗示されるとおり、談志は弟子たちに嵐のなかに投げ込まれるごとく振り回される。だから、面白い。


 でも、その矛盾のなかには「実は……」という具合に、意味がある。読んでいるとわかるのだが、談志と言う人は一見むちゃくちゃに見えながら、実にシステマティックな理論構築をするモダニストだ(だから保守的な落語協会から飛び出した)。談春は“ときおり”気がつく。矛盾の先にある意味に。


 そこで談春が見出す意味とは、読み手もうなづけるものである。しかし、この意味とは、一旦矛盾へと迂回を行わなければ、冷ややかに受け流されしまいそうなものでもある。状況を変えるには、自分で動くしかない――こんなことを一言言われて、おいそれと同意してしまうのはよっぽどマヌケな人なんだろう。


 私は、自己啓発的なメッセージが嫌いだ。でも、この本に含まれるそういった意味を反発せずに面白く読めてしまったのは、それが矛盾へと一旦迂回して見出されたものだったからではないか、と思う。言葉の重みとはそう言ったところから生まれるのではないか。





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矢作俊彦『悲劇週間』

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悲劇週間―SEMANA TRAGICA (文春文庫)
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 2005年に発表された矢作俊彦の『悲劇週間』という大長編が文庫になっていたので読む。これは素晴らしかった。「矢作俊彦という人はホンモノだ」という思いを読みながら幾度となく反芻する。翻訳家であり詩人だった堀口大學のメキシコ時代を綴った青春小説、それもオーセンティックで、ウェルメイドな恋愛青春小説のような形式をとりながら、そのなかでは20世紀文学のさまざまなモチーフが引用・変奏されている、というまるで新古典主義時代のストラヴィンスキーのごとき作品である。



明治45年、ぼくは20歳だった。それがいったいどのような年であったか誰にも語らせまい。



 冒頭の一節からポール・ニザンの『アデン・アラビア』を髣髴とさせるが、矢作俊彦が堀口大學へと与える性格付けは、プルーストが描いた「わたし」とそのまま重ねられるように思われる。それから圧巻だったのは、堀口が、そのロマンスの相手であるフエセラという美少女とともに闘牛を観に行く、というシーン。ヘミングウェイばりの筆致でもって描かれるその熱狂に興奮を抑えられなくなってしまう――このように細かい引用・変奏の指摘はいくらでも可能だろう。なかには『百年の孤独』を思い起こさずにはいられない点もある。


 堀口がメキシコの地に降り立ったとき、そこはフランシスコ・マデロが革命によって大統領に就任して間もない頃で、堀口の恋愛と、マデロが反マデロ派によるクーデターで失脚し殺害されるまでの経緯は平行して描かれる。タイトルの『悲劇週間』とは、この反マデロ派によるクーデターが終始の日々を示したものだろう。ここから文章は日記のように綴られる。


 戦下のなかで堀口は自らの死の危険を感じながら、過去の戦争の話を聞く。語り手はさまざまで、元幕臣の庭師や、幕府にフランス近代法術を教えた経験を持つフランス語教師が、戊辰戦争やパリ・コミューンと第3共和制政府の戦いを語る。メキシコで起こっている戦争のなかに、日本やフランスにおける血と暴力と死の記憶が混入する。このアマルガム的状況は、そのままメキシコの「人種の坩堝」と化した状況と類比することもできよう。


 このような点は、ほとんど現代の、日本人の作家が書いた作品というのが疑わしくなるようなところだ(カルロス・フエンテスの作品といっても信じてしまいそうになる)。また、現代の、日本人の作家がこのように20世紀初頭に生きた人間の感覚をここまで瑞々しく、まるで本当にその時代に生きた人のように描けるのか、という点も不思議でならない。想像力と文章の上手さがすごすぎる。


 作品は全編堀口大學の文体を模して書かれたものだそうだ(私は読んだことがないのでよくわからなかったけれど)。借り物の文体、それは「独自の文体」ではない。でも、これは作家に特徴的な文体が誉めそやされるという現象が馬鹿馬鹿しくなってくるような素晴らしい「ホンモノの小説」だ、と思う(前からずっと「文体」というものが過大評価されてる気がしてならなったこともあるのだが)。こういう真っ当な内容を持つ作品を書く小説家が同時代にまだ残っている、というのも幸福に感じた。





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ダンテ・アリギエーリ『神曲(地獄篇)』

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神曲〈1〉地獄篇 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
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 2008年に読んだ本を振り返ったばかりだが、まだ2008年は終わっていないので読むのである。年末に相応しい作品というわけではないが、ダンテの『神曲』を。本日はこの3部にまたがる大叙事詩の第1部「地獄篇」を読み終えた。こういった古典はいつ読んでも大抵面白い。この巻では「森を散歩してたダンテが恐ろしい獣に追いかけられて、すっかり森のなかへと迷い込んでしまう。困っている彼のもとになんと尊敬して止まないヴェルギリウス大先生が助けに来てくれた……!」という冒頭から、ダンテとヴェルギリウスの地獄旅行が描かれる。なんとなくBLみたいである(読んだことないけど……)。最後は、ヴェルギリウスの背中にダンテが身を預け、魔王ルシフェルの身体に生えた体毛を一生懸命掴んでルシフェルの身体をロッククライミングのようにして這い下り、地球の反対側に降り立つところで終わるのだけれども、このシーンなどいつ「ヘヴン状態!」が訪れるのか……という展開だ。ダンテにとってヴェルギリウスの存在は頼れる先生であり、ほとんど父親のようにも描かれる。ことあるごとに作者はこの古代ローマ詩人を褒め称えるのだが、こんなところからもリスペクト具合が読み取れよう。





 やはり面白いのは、道中でダンテが観察する地獄の様相である。中世キリスト教の世界観のなかに、歴史や神話の体系をごっそり嵌め込んで再構築しなおしたようなところがあって、これが本当に面白い。ダンテは地獄の様々な階層で、色んな人が呵責に耐えているところを観察するが、これらのほとんどが歴史上の人物であったり、ダンテが生きていた時代の人物であったりする。後者についての部分は少し退屈しなくもないが(とはいえ、訳者による詳細な註で概略を掴むことができる)、前者は大変読み応えがある部分である。そこではキリスト教の洗礼を受けていない人物ならば悪いことをしていなくても、地獄の辺境に送り込まれ永遠にやってこない救済について嘆き続けているし(ヴェルギリウスも普段はここで嘆いている人物のひとりである)、マホメットなんかも出てきて「地上に戻ったら、俺はこんなにひどい目に会ってるって皆に伝えてくれ!俺、やっぱり間違ってたわ……」みたいなことをダンテに伝えたりする。このあたりにキリスト教的世界観という解釈コードの強固さを感じてしまった。ギリシャやローマの神話を取り込むことによって、コードはより強固なものとなっている。地獄描写もかなり恐ろしく、こどもの頃にこんなものを読まされたら絶対に悪いことができなくなってしまいそうな気もする。





 あと地獄の辺境(辺獄、リンボ)でホメロス、ホラティウス、オウディウス、ルカヌスと言った名高い詩人たちに出会ったダンテが、ヴェルギリウスを含めた彼ら5詩聖の仲間に加えられる栄誉を預かって大喜び、というエピソードがなんだか好きだ……。





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2008年に読んだ本を振り返る

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 続けて2008年に読んだ本についても振り返ってみる(これは新刊とかを問わず)。自分のブログの過去ログを探してみたら、今年は新年早々アドルノの『否定弁証法講義』から読み始めたみたいである。それ以降、アドルノについての本を読んでいないので、今年は1アドルノということだ。この本については読書メモをものすごくたくさん残している*1が、なんか「仕事をしてると勉強のことなんか忘れちゃうよな……」と寂しく思った1年だった気がする。学生時代は結構マジメに勉強していたって人にしても皆、そんなものなんだろうね、きっと。

 マルクス・マラソンは、今年中に完走できず。ちょうど折り返し地点で止まっている。あと武満徹の著作全集も2巻まで読んで止まっている*2。それからラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』も3巻まで*3読んで止まっている(これは続きが出ていないからだが)。そのうえ最近ダンテの『神曲』を読み始めてしまったから、来年に持ち越しのものが多すぎて大変な気もするが、読まなきゃいけない本があると意識できているうちはなんだか幸福のようにも思えるし、こんなご時世なので働けるだけで幸福、本が読めるだけで幸福、というようにポジティヴに考えていったら良いのかもしれない(気持ち悪いか)。



挑発する知―愛国とナショナリズムを問う (ちくま文庫)
姜 尚中 宮台 真司
筑摩書房
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経済学という教養 (ちくま文庫)
稲葉 振一郎
筑摩書房
売り上げランキング: 91105


 今年読んで大変勉強になったなぁと思ったのは、以上の2冊。社会的にも、個人的にも不可解で、ぞっとする事件が起こるにつれ、これらの本で読んだことを思い返した気がする。『経済学という教養』*4では「新自由主義じゃ誰も救われないし、『自己責任』論を振りかざす人間は、永遠に勝つことできない(しばらくは負けないかもしれないけれど、常に負けるかもしれないというリスクに脅かされ続ける)のではないか」と感じ、そこから生まれたしんどさが『挑発する知』*5で触れられた「怨念とテロリズムの関係性」に繋げて考えてしまう。すべてが社会のせいだ、とは言わないまでも、今年起きた一連の通り魔事件などはそういう風に「リスクを負うことを強要された主体の怨念が沸騰して爆発した結果だ」とか考えてしまう。自己責任論を振りかざして個人が負うリスクを増大させる、ということは「誰でも良かった」で殺されるリスクを論者が背負うことにつながるかもしれない、ということにそろそろ気付いても良いかもしれない。というか、そういうことを言う左翼の政治家がいても良いと思うのに、誰も言わない(日本の左翼はもっと賢くならなきゃダメじゃないのか)。


 姜尚中が一般的なところでも大ブレイクしたけれど、それらの「自己啓発っぽい新書ベストセラー」には一冊も手をつけていない。『挑発する知』(これは2003年に行われた対談シリーズを本にしたものである)のなかで「そろそろまた勉強に専念したい。じゃないと自分が枯渇する」という主旨の発言を姜先生は言っているのだが、今年のブレイクはその語の勉強の結果なのか。果たしてこの方向性で良いのか、と思わなくもない。養老孟司にせよ、茂木健一郎にせよ、姜先生にせよ、なぜ自己啓発っぽい方向性に流れてしまうのか。なぜそういった本を書かせようとするのか。これら(専門知の自己啓発的利用……とでも言えるかもしれない)は大きな疑問である。



シュルツ全小説 (平凡社ライブラリー)
ブルーノ シュルツ
平凡社
売り上げランキング: 89068


 話が大幅にそれたので本の話に戻す。小説はなぜかポーランド生まれの作家、ブルーノ・シュルツ*6とヴィトルド・ゴンブロヴィッチ*7が個人的な大ヒット。他にも悪夢のような幻想小説で、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ*8の本を2冊読んだ。なんか悪夢のような現実が起こるたびに、逃避する思いでこれらの小説にハマッていた気がするのだが、悪夢っぽい現実から悪夢っぽい幻想へと逃げ込む自分の心理がよくわからないでいる。悪夢が悪夢で浄化される。もしかしたらホメオパス(同種療法)的な作用がこれらの小説にはあるのかもしれない。これがもし、スピリチュアルな方向へ逃げ込むのだとしたら、もっと救いがあるのではないか……。



クロールがきれいに泳げるようになる!
高橋 雄介
高橋書店
売り上げランキング: 87433



 しかしながら、今年読んだ本で最もインパクトがあった本は小説でも思想関係の本でもなくこちらの『クロールがきれいに泳げるようになる!』である。夏ぐらいから水泳を始めたんだけれど、この本に書いてあることを実践してたら連続して泳げる距離が飛躍的に伸びた。そして、ジムの営業時間終了間際に自分以外に利用者がいなくなったプールで黙々と25メートルを往復し続ける快感を知った。あと広背筋と大胸筋と三角筋がカッコ良いことになってきた(彼女以外に見せる人がいなくて残念だ……!)。




*1テオドール・アドルノ『否定弁証法講義』(第10回講義メモ) - 「石版!」


*2武満徹『武満徹著作集(1)』 - 「石版!」武満徹『武満徹著作集(2)』 - 「石版!」


*3フランソワ・ラブレー『ガルガンチュア』(ガルガンチュアとパンタグリュエル) - 「石版!」フランソワ・ラブレー『パンタグリュエル』(ガルガンチュアとパンタグリュエル) - 「石版!」フランソワ・ラブレー『第三の書』(ガルガンチュアとパンタグリュエル) - 「石版!」


*4稲葉振一郎『経済学という教養 増補』 - 「石版!」


*5姜尚中・宮台真司『挑発する知――愛国とナショナリズムを問う』 - 「石版!」


*6ブルーノ・シュルツ『肉桂色の店』(工藤幸雄訳) - 「石版!」ブルーノ・シュルツ『クレプシドラ・サナトリウム』(工藤幸雄訳) - 「石版!」ブルーノ・シュルツ『シュルツ全小説』 - 「石版!」


*7ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ『コスモス』(工藤幸雄訳) - 「石版!」ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ『トランス=アトランティック』(西成彦訳) - 「石版!」ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ『フェルディドゥルケ』 - 「石版!」


*8アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ『狼の太陽』 - 「石版!」アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ『城の中のイギリス人』 - 「石版!」





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2008年に買った新譜を振り返る

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 この前「あと2008年も1ヶ月か……」と思っていたら、気がつくともう12月も半ばに差し掛かるところである、と月並みな前口上はほどほどに、今年購入した新譜を振り返ってみたい。今年は自分にしてはこれまでにないぐらいに新譜をよく購入して聴いていた気がする。その代わり旧譜だとか名盤だとかにあまり食指が動かなくなったわけだけれども。



Death Magnetic
Death Magnetic
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Metallica
Warner Bros. (2008-09-12)
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 なんと言っても今年の個人的ベスト・アルバムはメタリカの『デス・マグネティック』。お金の使い方を微妙に間違っている気がしないでもない異常なハイファイで聴く高音圧のヘヴィロックは最高。会社員2年目の今年はなかなか仕事が辛かったこともあり、そういうときは必ずこのアルバムを聴きました。「オラ、オラ、殺すぞ、このクソババァ」と同じビルに向かうオバサン連中に呪詛の言葉をキワキワのテンションで念じ、帰りには泣きながらザ・スミスを聴いて帰るのが今年の私だったよ……。



D



バッハ:フーガの技法
バッハ:フーガの技法
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エマール(ピエール=ロラン)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2008-01-23)
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 クラシックだとピエール=ロラン・エマールによる《フーガの技法》が素晴らしかった。これは来日公演も観に行ったけれど*1、圧巻でした。エマールは今年もう1枚アルバムをリリースしていて(『メシアンへのオマージュ』)、そちらもとても良い演奏。この人の演奏は、理性が突き抜けて狂気のレベルまで達したような、恐ろしい明晰さがある気がする。



シベリウス&シェーンベルク:ヴァイオリン協奏曲
ハーン(ヒラリー)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2008-03-05)
売り上げランキング: 2739


 あと、ヒラリー・ハーンのシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲も良かった(彼女の演奏も来日公演で聴いた。これも最高。曲はシベリウスだったけど*2)。このアルバムはグラミー賞にもノミネートされたそうで、こういったガチガチの20世紀音楽が有名な賞の候補にあがるのは結構珍しい気がする。この作曲家が亡くなって50年以上経過して今、やっと「クラシック」的な評価を受けるようになったのかな、なんて思う。新ウィーン楽派絡みだと、最近買ったピエール・ブーレーズ/内田光子/クリスティアン・テツラフの『Mozart/Berg 13』というアルバムに収録されたベルクの《ピアノ、ヴァイオリンと13の管楽器のための室内協奏曲》の演奏も素晴らしかったです。無調ってロマンティックよね……。



ビッグ・ブルー・ボール
ピーター・ガブリエル ナターシャ・アトラス シニード・オコナー
ライス・レコード (2008-08-03)
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Warpaint
Warpaint
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The Black Crowes
Silver Arrow (2008-03-04)
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Seeing Sounds
Seeing Sounds
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N.E.R.D.
Universal Japan (2008-06-10)
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 ポップスに戻るとこの3枚もよく聴いた。上から、ピーター・ガブリエル、ブラック・クロウズ、そしてN.E.R.D。まったく音楽性が違う3枚だけど、どれも「1枚のアルバム」としてのまとまりがすごく強くて、すごく集中して聴けた。なかでもブラック・クロウズ。彼らは、このアルバムを遺作にしても良いぐらい素晴らしい出来。



Paris
Paris
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Gildas & Masaya
Kitsune (2008-07-22)
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 あと今年はどこのセレクト・ショップに行ってもエレクトロファンクだのフレンチエレクトロだの言われている音楽が流れていたような気がした(でも、今年1年マジでユニクロでしか服を買っていない)。それらの多くについてアーティスト名など知らないが、Gildas & MasayaがAnd Aで流れているのを聴いた日には、もうなんか「オシャレ=エレクトロ」みたいなのを象徴的に感じたね。ユナイテッド・アローズとかでペンデュラム『In Silico』が流れていたらそれはそれでどうかと思うけれども……。




  • 追記



ZAZEN BOYS4
ZAZEN BOYS4
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ZAZEN BOYS
インディーズ・メーカー (2008-09-17)
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 ザゼンの新譜を忘れてた。何者にも形容しがたい音楽へ行き着いた感があってこの新譜は良かったです。






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真木悠介『自我の起源――愛とエゴイズムの動物社会学』

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自我の起原―愛とエゴイズムの動物社会学 (岩波現代文庫)
真木 悠介
岩波書店
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 真木悠介(aka見田宗介)の著作を読むのは大学2年の時『時間の比較社会学 』を読んで以来。当時の私は今のようにアドルノではなくて「自我」とか「私」とかいう事柄に問題関心があったから、『時間の……』はかなり衝撃的で頭がクラクラするような著作だった。で、最近、岩波現代文庫に入った『自我の起源』を読んでまたクラクラと来てしまった。これはすごい論文である。私は初めこのタイトルから「近代以降の自我を巡る論文なのかな」と想像していたのだが、時代はもっと遡る。


 どこまで遡るかというと、原始生命の誕生まで。この原始生命から現代までの進化を辿りながら、自我(私である意識)とは何なのか、どのように発生したのだろうか、を整理・分析するというものすごい仕事なのである。社会学の著作でここまで巨大なスケールで描かれたものに出会ったのはこれが初めてだ。そこでは人類学、生物学、脳神経学、遺伝子学……といった様々な諸学問から出た説に言及されるのだが、その膨大な文献を整理し「錬金術か!」というほどの分析を生み出す著者の能力には感嘆してしまう(このすごさについては、真木に教えを受けた大澤真幸も解説で述べている)。この仕事は「日本社会学界のゴッド・ファーザー」の名に相応しい……。



カルロス・サンタナのアルバム『キャラバンサライ』の第1曲は「転生の永遠のキャラバン」Eternal Caravan of Reincarnationと題されている。インドでの修行時代にサンタナに霊感を与えたグルの教えは……(P.1)



 書き出しからしてこのカッコ良さ。この冒頭の一説だけでも「Love Munesuke!」と叫びたくなる。しかし、さらに恐ろしいのはこの優れた論文が全5部に渡る「自我の比較社会学」という仕事の、最初1部の“骨組み”に過ぎないということである(これは『補論1』で明らかにされる)。読みながら「ものすごく大事なことをたくさん言っている割にはどうしてこう不親切なほど早足に進んでしまうのか」という印象はあったのだが、骨組みだというならばこれは納得がいく。全5部が完成したらどれだけのヴォリュームになるか想像もつかないが、絶対に完成させて欲しいと思った。


 ……と、興奮が止まらない本であったのだが、やはり骨組みのせいか初学者向けの本ではないかもしれない。気をつけていないと面白い部分をスーッと通り過ぎてしまうような文章で全編が綴られているし、説明は結構端折られている感じがする(良く言えばまったく無駄のない文章なのかもしれないが)。ただし、著者が整理する諸学問分野の話がイチイチ興味深い。だから、科学の本としても読めてしまうと思う。


 個人的に最も心に残ったのは『利己的な遺伝子』で有名なドーキンスの『延長された表現型』という著作を紹介する部分だった。ドーキンスはさまざまな生命体の活動を「生成子(≒遺伝子)が繁栄するための表現」としている前提をまず押さえつつ、次にこの部分を少し引用してみる。



生成子の<表現型>は、個体「それ自体」には止まらない。たとえばより安全な巣をつくる個体はより安全に生存し生殖し、したがって生成子をより確実に再生産する。動物の巣の性能の差異もまた、生成子の増殖率の差異を帰結する。この場合動物の「巣」もまた生成子の、延長された<表現型>と見ることが出来る。ビーバーのダムは何千平方メートルの規模で一体を氾濫させる。この巨大な貯水湖もまた、ビーバーの体内にある生成子の<延長された表現型>である。(P.131)



 ここであげられるビーバーの<延長された表現型>は、同種に対して働きかける表現である。しかし、自然界にはもうひとつ異種に対して働きかける<延長された表現型>がある、とドーキンスは言う。



ハリガネムシの幼虫はミツバチなどに寄生するが、成虫は水中で生活するからどうにかして水へと回帰しなければならない。感染したミツバチが水たまりの方へ飛んでゆき、まっすぐ水中にダイヴィングして死んでしまったことが観察されている。もちろんふつうのミツバチにはそのような水への憧憬はない。ハリガネムシがミツバチの何かの系統に作用して、ミツバチを運転している。このミツバチの行動は、ハリガネムシの体内の生成子の表現型である。(P.132)



 この同種へ働きかけるもの、異種へ働きかけるもの、これら2つの<延長された表現型>の例から真木は、ごくシンプルに2つの問いを提示しているように思う。ひとつめは「生成子の乗り物」である生命体の「個-性」はどこまでで区切れば良いのか、ということ。ビーバーの「個-性」は一見、その毛に覆われた皮膚と空気との境目によって区切られる、かのように見える。が、それを「生成子の乗り物」とすることによって、自明のように見える区切りは崩れてしまう。ビーバーが作るダムはビーバーを構成する生成子によってプログラミングされたものであり、実のところ生成子の表現である、と言える。だとするならば、「乗り物」も生成子の表現なのだから、「個-性」の区切りを「乗り物の皮膚と空気の境目」に置くことはできないであろう……云々。


 もうひとつの問いはもう少し実存的な意味合いを持つ。それは個の主体性の問題である。真木はハリガネムシの例のほかにもう少し分かりやすいものあげているのでこれも引用しておく。



風邪をひくとくしゃみをするのはただの偶然か、それともウィルスが他の宿主へ植民する機会を増すために人間の身体を操作する結果であるのか。(P.133)



 これは少しSF染みた話に感じられるかもしれない。が、私としては結構グラッと来る表現だった。「くしゃみをする」という能動的な表現が、「(ウィルスによって)くしゃみをするように作用されている」という受動態へと転化する。自明であるようなものがここでまた揺らぐ。<私>が行う活動は、私の生成子の表現ばかりではなく、私ではない他者(他ウィルス?)の表現でもあり得る。しかし、実際にはそこでは「操作されている」という意識は生まれない。<私>はあくまで<私が行う行動>として、くしゃみをする。この不思議さ。そして<私>と<ウィルス>の関係性は、そのまま対人的な(一般的な)社会のアナロジーにもなっている。





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青山真治監督作品『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』

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エリ・エリ・レマ・サバクタニ 通常版 [DVD]
バップ (2006-07-26)
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 物語的ではなく、詩的な言語で綴られた映画を観たのは久しぶりだ、という思いがした。id:la-danseさんが「普遍的な映画」、「『ユリイカ』と並ぶ傑作」と評されたようには、決定的な言葉でこの映画を評価することが私にはできないが、とても優れた映画だ、とは思う。やはり、ここまで非説明的で、詩的で、音響的な映画を製作する青山真治という監督をリスペクトせざるを得ない。画面を装飾するサウンドトラックは、浅野忠信と中原昌也が演奏する映画のなかの現実音と、映画の外で鳴る音楽とではっきりと性格付けが異なり、その双方が演出的に重要である点が素晴らしい。特に浅野忠信が弾くギター・ノイズと、救急車の走行音が重なるところなどに痺れてしまった。とても些細な点だけれども、この部分の演出は本当に素晴らしく、ここだけとってみても晩年のリュック・フェラーリの録音作品と肩を並べる出来だ、と言っても過言ではない。


 ただ、映画の外で鳴る音楽については、ギャヴィン・ブライアーズを思わせるメタリックなドローンや、調律が狂ったピアノの音などが、少し狙い過ぎと言えなくもない。メタリックなドローンや調律が狂ったピアノの音に対する意味づけが、なんとなく神秘的、あるいはなんとなくノスタルジックなものとして、いまやほぼ確定されているような気がし、やや安直な感じがしてしまう。浅野や中原が演奏しているというノイズの部分がとても良かったので、聴き劣りしてしまう気がした。ノイズの部分が生々しすぎる、というのもあるかもしれないけれども。これは私はとても好きだが、なんとも形容しがたい。


 中原昌也の演技は、決して上手いものではないのだが、映画の冒頭で浅野の後ろをついて歩くシーンの歩き姿から小物感というか、サンチョ・パンサ感に溢れていてとても良かった。「死ね!」という捨て台詞を残して自転車で走り去るところもすごく良い。大袈裟に言ってしまえば、この「死ね!」というセリフの青臭さは、とてもゴンブロヴィッチ的であり、中原昌也という作家性にも繋がっているように思う。


 「青山真治の撮る映画には断崖絶壁がよく出てくるなぁ」とぼんやり考える。青山真治作品において、宮崎あおいが断崖絶壁に立っているのを観るのはこれで2度目だ。この『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』では、一歩足を踏み出せば、死が待っている、そのような風景のなかで最終的に宮崎は生を選択する。そこで、どうして宮崎あおいが生に踏みとどまるのか、これについて私はよく読み取ることができない。生を選択する決定的な契機は劇中で語られることがない。しかし、宮崎を風呂のなかでも帽子を脱ぐことがない探偵と対比することによって、少し理解することができるように思った。


 役割を果たすとしばらくして帽子を捨て去り、死を選択する探偵。この探偵と宮崎の対比は、「生きる者」から「死す者」への変化、「生かされている者」から「生きる者」への変化の対比であろう。そこでは、生の目的性が問題となる。なぜ、私は生きているのか、この問題について決定的な回答をおこなうことは不可能である。誰もが、仮の目的性にしがみつきながら生きるしかない。この仮の目的性を失ったからこそ、探偵は死を選択するのだろう。そして、資産家の孫娘として生かされている宮崎あおいは、浅野が演奏する音楽の超自然的な力によって、この目的を探求する病を解消する。その解消が恒久的なものなのか、一時的なものなのかは劇中では語られない。が、映画上は「なぜだか分からないが、音楽が生を選択させている」ということになっている。この「なぜだか分からないが」という部分が、仮の目的性と対応していると思う。仮の目的性がなぜ仮の目的性となるのか。これについても「なぜだか分からないもの」であるから。





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三木聡監督作品『転々』

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転々 プレミアム・エディション [DVD]
ジェネオン エンタテインメント (2008-04-23)
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 三木聡とオダギリジョーの『時効警察』コンビ(ドラマは一切見ていないが……)による『転々』を観た。この手のサブカル臭漂う映画は当たり外れが多くて、ガッカリさせられることも多いのだけれど、これはかなり面白く鑑賞する。変な髪形のオダギリジョーと変な髪型の三浦友和が、東京をひたすら歩き続けるミニマルかつ循環的なロード・ムービーと言えるだろうか。このコンビはファウスト博士とメフィストフェレスのようでもあり、また、弥次喜多風でもある。これと言った中身は特にないのだが、脱線の連続でなかなか目的地にたどり着かないうねうねしたストーリーと、小ネタの数々がくだらなすぎてツボ。あと、オダギリジョーの独白から始まる映画ってやけに多い気がした。特別印象のあるナレーションをする俳優だとは思わないのだが、なんなのだろうか。


 それから吉高由里子という若い女優の存在感が強烈に印象に残った。彼女については以前、フジテレビのドラマに出演しているのを地元の友達から「吉高由里子が良いから観ろ!」と強制的に見せられたことがある程度で、まぁほぼ何も知らず、というか「可愛くないよな……」としか思っていなかったのだが、この映画に出ている吉高由里子はすごかった。全盛期の篠原ともえを想起させる気が触れる寸前のテンション――これが演技なのかホンモノなのか、まったく分からない。オダギリジョー、小泉今日子、三浦友和、そして彼女という4人で一緒に食卓を囲むシーンがあるのだが、吉高以外の3人は「映画」という枠組みのなかでリアリティを感じさせる、板についた演技をしているなかで、彼女だけが生々しい、フィクションではない現実を感じさせる。フィクションのなかにぽっかりと穴をあけるような、そういった強烈さがある。

 こういった感覚を抱いたのは、『硫黄島からの手紙』*1に出演している二宮和也以来かもしれない。こういった演技を見せ付けられると、しばらく「あれはなんだったのだろうか……」と胸のうちがざわざわするような気分になる。






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リチャード・ドナー監督作品『リーサル・ウェポン』

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リーサル・ウェポン [DVD]
ワーナー・ホーム・ビデオ (2008-07-09)
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 会社の同期が「これはマジで良い映画だから観ろ!」とDVDを貸してくれた。人気アクション・シリーズ『リーサル・ウェポン』の第1作目。1987年の作品とあって、映画全体に80年代風味(サントラで鳴っているギターの音色とかフュージョンっぽい曲調とか)が強烈に感じられ、またメル・ギブソンの髪型が面白すぎる。同期曰く「メル・ギブソンが自殺しようとするんだけど、やりきれなくて号泣するシーンが良いんだ」とのこと。


 ダニー・グローヴァー演じる幸福な家庭を持つ初老の刑事とメル・ギブソンが演じる妻を交通事故で亡くして精神が荒れまくっている刑事のコンビには、「持つもの」と「持たざるもの」という対照的な関係がある。物語は持たざるものであるメル・ギブソンは、ダニー・グローヴァーやその家族と交流することによって、次第に荒れた精神を回復していくような流れになっているのだが、その一方で終止メル・ギブソンはブチ切れながら拳銃で悪者をブチ殺しまくっているのであり、一体どこで立ち直ったのか(物語の最後ではメル・ギブソンが自殺を諦めるところが描かれる)がさっぱり分からない。回復への決定的な契機が劇中で描かれないのである。とはいえ、それが物語の欠陥となっているわけではなく、楽しく鑑賞することができた。「なんで回復したかわからないけど、まぁ、良いか……面白かったし」という感じで。





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読売日本交響楽団の2009年度プログラムからオススメ公演を選ぶ

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2009年度 会員のご案内 - 読売日本交響楽団


 まだ2008年も終わっていませんが、オーケストラ界におきましてはすでに2009年度のプログラムが発表されています。本日は、在京オケのうち、読売日本交響楽団(通称:読響)の2009年度プログラムから「これは!」というものをご紹介いたします。ちなみにこのオケは今年初めて聴いたのですが「日本にもこんなに良いオーケストラがあったのか!」と大変感銘を受けました。やはり新聞社や放送局と言った安定したお金の出所があるオケは違うのかもしれないけれど、読響は定期演奏会の雰囲気にローカルな温かみを感じます。


 まずは目に付くのは2009年4月7日の定期演奏会(サントリーホール)。こちらは全プログラムが邦人作曲家によるもので、没後20年の芥川也寸志と、生誕80周年の黛敏郎が取り上げられます。黛作品はなんとあの《涅槃交響曲》。東大寺の鐘の音をコンピューターで解析し、オーケストラで再現しようとした日本のスペクトル楽派的音響作品。これはマジで聴きに行くしかない。



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 そして、もうひとつは2009年11月30日の定期演奏会(サントリーホール)。この日は、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーによるアルフレート・シュニトケ特集。日本初演の作品が2曲も織り込まれるなど注目度が高いです。来年はシュニトケ生誕75周年だそう。


 定期演奏会シリーズで注目されるものの最後はやはりスタニスラフ・スクロヴァチェフスキの指揮によるアントン・ブルックナーの交響曲第8番(2010年3月26日。サントリー)。ここまで来るともはや再来年の話になってしまいますが、気になるのはスクロヴァチェフスキの年齢。このときにはもう86歳になっているはずなので体調に気をつけていただきたい。ちなみにスクヴァチェフスキは2009年9月24日の名曲シリーズでもブルックナーを演奏します。こちらは交響曲第9番を予定。


 サントリーホールで開催される定期演奏会を離れて注目されるのは、2009年4月18日の東京芸術劇場名曲シリーズでしょうか。こちらは次期首席指揮者に決定しているシルヴァン・カンブルランによるフランスものプログラム。ラヴェルの《クープランの墓》などがプログラムにあがっています。現在の首席指揮者、スクロヴァチェフスキの次にこのオケがどうなるのかが垣間見れるのではないでしょうか。あとはちょいちょい下野竜也がヒンデミットを取り上げているのが嬉しい感じ。





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ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ『フェルディドゥルケ』

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フェルディドゥルケ (平凡社ライブラリー)
ヴィトルド ゴンブローヴィッチ
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 今年は久しぶりにあまり本が読めない年だった気がするけれども、20世紀のポーランド人作家の本を集中的に読んでいた。ヴィトルド・ゴンブロヴィッチの作品は今年3冊目。これまで『コスモス』、『トランス=アトランティック』と続けてきたが、この『フェルディドゥルケ』が一番面白かった。フランツ・カフカが霞んで見えるほど不条理で、かつ狂気の色合いが半端でなく濃い。主人公の思考の流れが喉元にまとわりつくような文体で続き、窒息しそうになった。なかなか読んでいてつらい本ではあるが、そういったマゾヒスティックな読書が好きな方にオススメしたい。



しかし、ピンコは坐ったままだった。坐りながら坐っていた。そして、こうなんとなく坐りながら、坐ったままで、自分の尻にすっかり腰を落ち着けてしまっていった。



 こういった無意味な表現が多発するところも良かった。こういう風にナンセンスな部分は、ラブレーの引用だろうか(作品中に明確な引用は一箇所あるほか、無意味な言葉のリストがところどころ散見される)。構造的にも途中で、意味があるのだかないのだがまったく掴めない「前置き」と「これまでの話とまったく関係ない挿話」が急に織り込まれる。このあたりは、セルバンテスか。この脱線は本当にとんでもないところでズレるのでびっくりするのだが、こういった古典の引用が作家の教養の高さを思わせる。小説自体はすごくろくでもない話なのだが。


 主人公は30歳の売れない作家で、そこに頭が軽くオカしい教師がやってきて、学校(今で言う高校ぐらいなのだろう)に入れられてしまう……というところから物語は進みだす(のだが、その前に続く「なんて俺はダメなんだろう……!」という悶々とした自問自答がすごく良い)。そんな不条理で、奇妙な状況などさっさと逃げ出してしまえば良い、と読者としては思うのだが、主人公はなかなか逃げ出せない。ものすごく逃げ出したいと思っているのだが、実行には移せない。このように作品内の主人公は徹底して、状況に飲み込まれ続けるものとして描かれる。そして、その抑圧状態のなかで溜まった圧力が社会批判として現れる。主人公は、右翼も左翼もクソミソに言う。このあたりは妙に現代的に読めてしまうところだった。


 また、主人公以外の登場人物(彼らは主人公から批判される人物である)も興味深い。主人公の目に映った他者は、不気味なほど理解不能な、奇妙な存在であるのだが、しかし、主人公よりも生き生きとしている。あるものは「青少年」に憧れ、あるものは「下男」に憧れる。また、ある者は「地主」という役割を演じるかのように生き、教師たちは「天才詩人の詩に、彼らが天才詩人であるから」感動する。彼らは外部からされる規定を受け入れる存在として、「30歳の売れない作家」という何者でもない未熟な存在である主人公とは対照的な関係にある。


 結局のところ主人公が行う批判とは「なんで俺は“悶々”なのに、あいつらは“生き生き”なんだ!」というひがみでしかないような気もするが、そこで噴出している熱量の高さがとても笑えてしまう。もっとも、これを読んでゲラゲラ笑えるうちが花であり、これに共感できる人は少し危ないようにも思うのだが。





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スタイロフォンを収蔵予定

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スタイロフォン Stylophone
DMR
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 世界に存在する珍楽器愛好家の皆様、お久しぶりでございます。前回皆様の前に登場いたしましたのが、昨年の9月。実に1年ぶりにお目にかかれて大変嬉しく思います。申し遅れましたが私、mkと申します。世界のどこにも存在しない妄想の博物館、珍楽器妄想博物館の館長を務めております。今回は12月半ばに当館で収蔵予定の珍楽器をご紹介させていただきます――といってもすでに有名なニュース・サイトでも取り上げられている*1ためご存知の方もいらっしゃるかもしれません。今回ご紹介させていただくのは「スタイロフォン」というシンセサイザーです。



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 こちらがそのスタイロフォンのデモ&演奏映像。1970年代にイギリスで発売された音楽玩具ですが、コーネリアス、クラフトワークなどもこのサウンドに惹きつけられ使用していたとのことです。



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 それでは最後にスタイロフォンによる80年代ヒット曲メドレーでおわかれです(いきなり「Eye Of The Tiger」というのが泣けます)。当博物館では、皆様のまたのご来場を心待ちにしております。






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