David Bowie「Subterraneans」

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D


 大変見苦しいエントリを書いてしまったので、最近聴いてあらためて良いな、と思った曲の紹介でもしてお茶を濁しておきます。


 デヴィッド・ボウイの「Subterraneans」。こちらはブライアン・イーノがプロデュースしたいわゆる「ベルリン三部作」の第一作『Low』というアルバムの最後に収録されている曲。この曲はボウイが作曲にクレジットされているんだけれど、音はイーノのアルバムみたいな感じ(っていうか、ほとんどイーノが作ってるんじゃないかって思う)。特にロバート・フリップとの競作『The Equatorial Stars』を強烈に想起させます。これは2005年のアルバムで、『Low』は1977年。30年近くの時間の隔たりがあるのに、変ってるのは機材だけで、イーノの音(というか音作りに対するヴィジョンのようなもの)は不動なんじゃないかって思った。



Low
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David Bowie
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 このアルバム、聴けば聴くほど不思議なアルバムだと思う。ボウイの歌なんかほとんど入ってないのに「デヴィッド・ボウイのアルバム」として売り出しているのがすごい。





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論理的/非論理的

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宮崎駿監督作品『崖の上のポニョ』 - 「石版!」

 昨日書いたエントリについて「論理的/非論理的」という区分けについて、過剰に反応されている方がいらっしゃったのでここで補足。私が不用意に「言語的≒論理的」、「非言語的≒非言語的非論理的*1」と不用意に繋げてしまって書いたので、おそらくそのような誤解が生じているのと思われるのだが、ここで私は「非論理的コミュニケーション」というものを、プラトン、あるいはアドルノにおける「模倣(ミメーシス)」という概念を前提に考えている。


プラトン『国家』、と管理社会 - 「石版!」


こどものミメーシス - 「石版!」


 ミメーシスについて、過去に以上のようなエントリを書いた(前者はプラトンの、後者はアドルノの)ので、ここで説明を繰返すようなことはおこなわない。しかし、非言語的コミュニケーションはあくまで非言語的コミュニケーションなのであって、それは言語的な枠組みでは捉えきれないものである、ということだけ繰返しておきたい。それは「(私の思考能力が追いついていないせいで)言語的に説明できない」という話ではないのだ。音楽について書いた文章が、決して音楽にならないように、非言語的コミュニケーションを言語的に《理解する》ことは不可能である、と私は考える。


 また、ミメーシスは論理という過程を飛び越えて、理解へと至る。この意味で「非論理的コミュニケーション」と呼ぶことは充分可能である(ように思う)。例えば『崖の上のポニョ』での模倣の場面を思い返して欲しいのだが、そこでは「箸をつかってラーメンを食べると、手も汚れないし、暑くも無くて便利だし、美味しい」という、「AはBだからCだ」という過程は踏まれていない。「宗介が箸を使ってるのを真似してみたら、美味しかった」という理解が描かれている。



宮崎駿の「過去の作品」を「想起」するにあたって、「物語性で言えば『風の谷のナウシカ』、テーマ性で言えば『もののけ姫』」????? えええええ!? こりゃまた素敵な選択だなwww


こおゆう物言いをする奴ぁ、まったく信用できんwwww ストーリーのはっきりしない映画を見ると、必ずこういうこと言い出す奴が出てくるwwwww 「言葉で語るための映画」でないなら、何故エントリ上げる??


「言語的なコミュニケーション」は「論理的」で、「非言語的なコミュニケーション」は「非論理的」なのかいwww じゃ、「ポニョが宗介を模倣することによって、人間としての経験を積んでいく」行為は「非論理的」なんだなwwww それのどこが「非論理的」なのか、説明してもらおうじゃねえかwwww


消毒しましょ!より)



 ちょっと思い切った話をするとたまにこういった「(ちゃんと文章を読んでいないのに)プゲラとかいいたがる人」というのが現れるものだが(だってねぇ……『ものすごくシンプルな物語だ』といってるのに『ストーリーのはっきりしない映画を見ると、必ずこういうこと言い出す奴が出てくる』という反応はないでしょう……えーと、文盲ですか?)、「説明してもらおうじゃねえか」とかおっしゃるので説明してみた。


 また、



「言葉で語るための映画」でないなら、何故エントリ上げる??



 という質問に答えるならば、文脈を読め、ということになる――あくまで私は「(既存の宮崎駿作品について用いられてきた)言葉」ではなく、もっと別な言葉が必要なのだ、という話をしている。だからこそ、私は「別な言葉」――目で観、耳で聴くための言葉――を提示するために、エントリを書いている。

 もし「こんな考えには納得できない」というのであれば、今度はあなたの考えを見せて欲しい、と思う。解釈に正解は存在しない。私はあなたに対して否定をおこなわない。けれども、その文章が面白いか/面白くないか、の評価はおこなうだろう。少なくとも精神分析的手法を用いた文章や、製作者の性癖と作品を結びつけた文章には、私はあまり感心しないと思う――立派なことを言ってそうに見えるだけで、その文章はまったく作品が与える感動を伝えていないからだ*2




*1:書き間違えたことを指摘された!


*2:このエントリにひとつ教訓があるとしたら「インテリぶってる人に不用意に噛み付くと自分が恥を書く羽目になるだろう」ということだろうか……





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宣伝:『すべてを押し流す水の流れ』

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「石版!」別館

 ただ書いていてもマメに宣伝をしなければ全く読まれないということが判明しましたので、いやらしくも自分が書いているケータイ小説*1の宣伝をさせていただきます。上にあげましたリンクから、これまでに書き上げた26話分を読むことができます。ケータイ小説といえば、ローカルな世界が描かれていることが特徴なのでしょうが、拙作におきましては「イラク」、「東北の超ド田舎」、「革命前夜のロマノフ王朝」、「太平洋戦争中のソ連と満州の国境の町」という4つの場所を舞台にした超グローカルな作品であり、画期的な試みにだけには自信があります!とくに明確なストーリー構想などはありませんが、いつもその場で考えたことを書き連ねるというこの姿勢を「イキアタリバッタ・リアリズム」と呼び、小説界の最前衛を気取りたい!!




*1:ケータイで読むことができる小説、の意





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宮崎駿監督作品『崖の上のポニョ』

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崖の上のポニョ サウンドトラック
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 最高。間違いなくこれは宮崎駿の最高傑作だと思った。素晴らしい!久しぶりにこんなに圧倒されている時間が長い映画を観た、と思う。いやー、ホントに観て良かった。宮崎駿は世界屈指の映像作家であり、世界最強のアニメーション作家であることの証を改めて確認してしまうような作品である。繰り返すけれど、本当に素晴らしい。

 とはいえ、単純に「過去の作品と比べて最高の作品だ」ということは言えないだろう。例えば、物語性で言えば『風の谷のナウシカ』、テーマ性で言えば『もののけ姫』あたりが想起される。しかし、この『崖の上のポニョ』では、今上げたような要素は希薄である。物語もテーマも極めてシンプルで「(理由はよくわからないが)ポニョと宗介の関係性が世界の存続に繋がる」というまるでセカイ系な内容だ。ほとんど、童話のような話になっている――というか『人魚姫』をほとんどそのまま下敷きにしている*1


 この映画を語ろうとするならば、だからこそ、これまで宮崎駿に接してきたときの言葉ではない言葉でもって語らなければ、積極的な意味を生み出すのは難しいのではないか、と思う。この物語にどういったテーマが隠されているのか、それを見ようとしても無意味であろう――なぜなら、そういった映画ではないのだから。もっと言ってしまえば「言葉で語るための映画」なのではなく「目で観、耳で聴くための映画」なのかもしれない。この作品は「映画というより映像」、「映画というより音楽」なのだろう。シンプルな物語は、それを「映画」として成立させるためのエクスキューズに過ぎない。逆に言えば、そのようなシンプルな物語でなければ、これほど情報量の多い映像/音楽作品は映画にはならなかったようにも感じられる。

 こう言った意味で、この映画のスコアを書いた久石譲の功績は大きい。音楽と映像の融合具合は、もう冒頭の「ポニョの最初の逃走」のシーンからして完璧である――ラヴェルの《ダフニスとクロエ》の第二部の始まりからほぼ引用した音楽(それは強烈に『水』のイメージを掻き立てる)と、無数のクラゲの生命が生まれていく光景は、ここだけで涙してしまうほど素晴らしい*2


 実は劇場で宮崎駿作品を観たのは『もののけ姫』以来だったのだが(ジブリ作品はすぐテレビでも放送されるから……)、劇場で聴く久石譲の強烈なインパクトに驚かされてしまった。これは是非、テレビではなく劇場の大きな音で聴いて欲しいと思う。音が大きければ大きいほど感動が増すような気がする。バウスシアターの爆音ナイトでも取り上げて欲しい。


 非言語的な要素といえば、作中にはいくつか非言語的コミュニケーションが見られた。これは重要な点であるように思われる――論理的/言語的なコミュニケーションは「大人」によっておこなわれ、非論理的/非言語的なコミュニケーションは子供である宗介とポニョの間でしかみられない(ポニョが宗介を模倣することによって、人間としての経験を積んでいくシーンはかなり感動的だった)。この映画にテーマを見出すとするなら、やはりこの部分だと思う。




*1:しかし、そこでは他にも様々な神話や童話のモチーフが借用されている。例えば終盤に登場する『トンネル』は、オルフェウスとエウリディケの神話と関係しているように思われた


*2:あとやたらと7拍子の曲が多くて、個人的にツボだった





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「いらない本を処分するよ」について補足

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いらない本を処分するよ - 「石版!」


 こちらのエントリに対して、早速お便りを何通かいただけたのでびっくりしました(まったく予想外です。反応が無かったらどうしようかと思ってたので……さびしいじゃん、そんなの)。お便りのなかには当ブログの感想まで書いてくださった方もいました。これは本当に嬉しかったです。


 ここで、いくつか補足しておきます。





1.「誰に送るか」は、締め切りの8/10まで決めない予定でいます。


 なので締め切りギリギリに当ブログをご覧になったかたでも希望を捨てないでください。





2.メールには「簡単な自己紹介」も書いてくださると嬉しいです。


 何歳ぐらいで、何をしている人なのか、ぐらいで結構です。「一体どんな人に本が貰われるのか」ぐらいは知りたいですし、「折角なら熱心に読んでくれる人がいいなあ」と思うので(そういう人に送ったら、なんか徳が高まるような気がして気分が良いじゃないですか)。例えば「大学でサルトルを読んでるのですが、○○は探しても見つからなくて是非欲しい!」とかメールをいただけたら、確実にその人に送ると思います。





3.いきなりメールに住所などの個人情報を書かなくても大丈夫です!


 送り先を決めたら、返信をいたします。住所等はそのときで結構です。





 以上、「もらってください」という立場からすれば、いささかワガママに思われるかもしれませんが、いくつか要望を書きました。よろしくお願いいたします。





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ホルヘ・フランコ『ロサリオの鋏』(田村さと子訳)

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 コロンビアの作家、ホルヘ・フランコの『ロサリオの鋏』を読んだ。1999年に発表されたこの小説は、コロンビア国内でガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』以来のベストセラーとなり、ホルヘ・フランコは「第二のガルシア=マルケス」とまで謳われているそうだ(ペルーのマリオ・バルガス=リョサもこの作品について絶賛している)。いわゆる「マジック・リアリズム」風の作品ではないのだが、たしかにガルシア=マルケスの作品と通ずる点もあり、とても面白く読めた。



キスの最中に、至近距離から撃たれた銃弾をまともにくらったロサリオは、恋の痛みと死の痛みとを取り違えてしまった。



 小説は、銃撃されたロサリオが語り手によって病院に運び込まれるところからはじまり(この書き出し部分は思わず痺れてしまう文句だ)、待合室で彼女を待ち続ける語り手の回想によって進んでいく。ロサリオと、語り手の親友であり、ロサリオの恋人エミリオ、そして語り手の間にかつて存在した三角関係がメインに語られる。


 8歳のときに自分を強姦した相手(母親の恋人……)の局部に鋏でもって復讐を遂げた、という逸話から“ティヘーラス(鋏)”とあだ名され、スラム生まれの出自をマフィアの愛人兼殺し屋となることで乗り越えたロサリオは、暴力と美貌と謎を併せ持ったファムファタールとして描かれているのだが、語り手には手に入れることのできない存在となっている。永遠に憧憬の対象でしかない「運命の女」と、それを手に入れられれば全ての望みが適うような幻想に陥った語り手の激情。これにはかなり胸を打たれてしまう。


 考えてみれば、とてもシンプルでありきたりな物語なのかもしれない。しかし、実際に読んでみると簡単に片付けることができない作品だと思う。その要因には「1980年代末のコロンビア第二の都市、メデジン」という舞台設定にあるだろう。この本の「訳者あとがき」には、日本に住んでいると想像もできないような当時の状況の解説がある。



同国では70年代に麻薬密売組織が台頭してきたが、80年代のコカイン・ブームによってパブロ・エスコバルを最高幹部とする密輸組織メデジン・カルテルが急激に力を強めた。そして膨大なコカイン・マネーを背景にエスコバルを中心とするカルテルが国内の政治・社会生活に大きな影響力をもつようになった。(中略)コロンビア政府は麻薬撲滅政策を強化したが、これに反発するマフィアのテロが激化して89~90年に「麻薬戦争」が起こっている。メデジンでは6トンものダイナマイトを積んだバスが公共施設に突っ込んだり、ショッピング・モールで爆弾が爆発するような事件が連日のように起こり、人びとを恐怖の底に落としいれた。



 巨大な暴力がひしめくメデジンは、まさに「異国」というか「異世界」のようにさえ感じる。そこでは日常的に殺しがおこなわれ、爆発音が鳴り響く。そのような状況だからこそ「ロマンティック・ラヴ・イデオロギーに毒された男の独白」のような物語にある種の神話性といったベールが付与されているように思われた。


 ただ、もちろんこの作品の魅力がそこだけにあるというわけではない。何より素晴らしいと思わされたのは、ロサリオが「強い女」でありながら「深い傷を負った女」という風に描かれている点である。


 語り手がロサリオに惹かれている理由には、その傷も含まれている。回想の中で、語り手は何度も彼女を癒そうと試みるのだが、その努力はいつも失望に変わる。私は、共感を抱きながら本を読むことがあまりないのだが、この語り手の失望は珍しく共感、というか個人的な経験と繋がって読めてしまった。一般的に理解してもらえる話ではないかもしれないが「傷を持つ女性に思いを寄せることのしんどさ」みたいなものをリアルに感じとれる(しかし、付き合っててしんどい女性が色んな意味で『イイ女』であることが多いのは何故だろう)。


 また「ロサリオの恋人であるエミリオはその傷を理解しようとしない。それなのに何故、俺ではなくアイツなのか」というような嫉妬もかなり読んでいてヒリヒリするような感じがした。こういう小説もたまには悪くない。





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いらない本を処分するよ

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いらない本の山


 本棚から本が溢れてきたので「どうせ読み返したりしないし、手元に置いておかなくても良い本」をピックアップしたら写真(↑)のようになった。この山をブックオフに売ったりするのもなんか腹が立つのでここで「欲しい」という方を募集してみます。以下に今回の放出リストを。




【サルトル関連】


・『存在と無』(上下巻揃。人文書院単行本。書き込み多し)


・世界の大思想「サルトル」(『存在と無』抄訳、『唯物論と革命』、『方法の問題』収録)


・『嘔吐』


・哲学論文集(『想像力』、『自我の超越』、『情緒論粗描』)


【ボードリヤール関連】


・『象徴交換と死』(文庫版)


・『記号の経済学批判』(単行本)


【ドゥルーズ関連】


・『意味の論理学』(上下巻揃。文庫版)


・『ベルクソンの哲学』


【その他思想・批評関連】


・クリステヴァ『ポリローグ』


・バタイユ『エロティシズム』(澁澤訳)


・鷲田清一『モードの迷宮』(書き込み多し)


・大塚英志『定本物語消費論』(書き込みアリ)


【社会学】


・『人と思想「マックス=ヴェーバー」』


・上野千鶴子『<私>探しゲーム』(書き込み多し)


【ビートニク関連(すべて文庫)】


・ブローティガン『芝生の復讐』、『西瓜糖の日々』、『アメリカの鱒釣り』


・ケルアック『路上』、『地下街の人びと』


【小説(海外)】


・ヴァージニア・ウルフ『燈台へ』(単行本)


・ブコウスキー『パルプ』


・カルヴィーノ『見えない都市』


・イプセン『人形の家』


・トゥーサン『浴室』


・シリトー『長距離走者の孤独』


【小説(国内)】


・夢野久作『ドグラ・マグラ』


・村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』(上下揃)、『海の向こうで戦争が始まる』


・畠中恵『しゃばけ』


・川上弘美『蛇を踏む』


・坂口安吾『白痴』


・町田康『くっすん大黒』、『夫婦茶碗』


・三浦哲郎『忍ぶ川』


・井伏鱒二『黒い雨』


・北杜夫『消えさりゆく物語』



【エッセイなど】


・佐藤良明・柴田元幸『佐藤君と柴田君』


・大槻ケンヂ『オーケンの散歩マン旅マン』、『猫を背負って町を出ろ!』、『のほほん雑記帳』


・土屋健二『われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う』、『人間は笑う葦である』





 送料だけ負担していただければ、全世界どこにでも送ります。問い合わせは、プロフィール詳細のところに記載のメール・アドレスまで、よろしくお願いします。締め切りは2週間後(8/10)ぐらいまで。





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ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ『トランス=アトランティック』(西成彦訳)

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トランス=アトランティック (文学の冒険シリーズ)
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 中原昌也が帯に「壮絶な面白さ!」と寄せているので気になっていた本。アマゾンのレビューでは著名な評論家/翻訳家/野村マンの方が辛辣な言葉で低評価をされていましてたが、面白く読んだ。ゴンブロヴィッチがアルゼンチン滞在中にナチス・ドイツによるポーランド侵攻があり、第二次世界大戦が勃発、亡命を余儀なくされた作家による亡命生活記……のようなはじまりに見せかけて、バカ話の蓄積によって物語が進行していき、ワルプルギスの夜的な狂気の訪れによって幕を閉じる――という大変な作品であると思う。


 なにより誇りを重んじる古いヨーロッパ気質を持った(作家と同じ祖国を持った)老人や、アルゼンチンのインテリ作家の登場は、執筆当時の状況への社会風刺ともなっているそうなのだが、こういったところはかなりどうでも良い。ただ、そこで風刺を荒らした登場人物が、物語の語り手兼登場人物である作家には全く理解できない存在として描かれている点が面白かった。主人公の前に立つ奇妙な人々は、まるで彼岸に立った他者であり、これらの他者との関わり合いのなかから居場所の無い亡命知識人の立ち位置のようなものが見えてくるように思う。


 作家は、アルゼンチンの人々はもとより、自分と同じく祖国を失い「他者の国」へと留まらざるを得なくなった人々にも馴染むことができない。さらに次々に起こるキチガイ沙汰のような事件の連続に翻弄され、作家は急速に主体性を失っていく……。こういった視点から作品を捉えてみると、これが実に近代的性格を持ったオーソドックスものにさえ感じてしまった。



注がれたのは燗をしたビール。ビールはビールだがたぶんワインで味を整えてある。そしてチーズもどき。チーズはチーズだが、とてもチーズとは思えない。パテだってレヤーケーキが如し。表面に編目模様の焦げめがついているブレッツェル。それともマジパンか?いや、マジパンではなくピスタチオにも見える、本当はレバーペーストなのに。



 こういう描写が堪らなく好きだ。





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Peter Gabriel『Big Blue Ball』

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Big Blue Ball
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Big Blue Ball
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 18年もの間、断続的にレコーディングが続けられ、漸く完成したというピーター・ガブリエルの新譜『Big Blue Ball』がすごい。まず、ハイファイ過ぎなレコーディング品質からして度肝を抜かれてしまう。こんなにクリアで繊細な音を聴くのはちょっと久しぶりだ。


 これはもう本当に感動的な音なので、アルバムが店頭の試聴機に入っているのを見かけたら「ピーガブ?あんなジジイ興味ないよ」という方も是非ヘッドフォンを耳に当てて体感してみて欲しい。原音に忠実……というポリシーは敷かれていないものの「良い音を届けよう」という製作者の意図をギンギンに感じてしまう。ほとんど技術が芸術の域まで高まっている気さえする。


 また、内容も「地球」を暗示しているであろう大げさなアルバムに見合ったものだろう。参加ミュージシャンは、シニード・オコナー、ダニエル・ラノワといったお馴染みの面々に、雑多と言えるほど広汎なジャンル/国から選ばれており、まさに地球規模である――これまでワールド・ミュージックを率先して紹介してきたピーター・ガブリエル人脈のなせる業だ。


 様々な音楽の要素が混在しているにも関わらず、それらがまったくバラけた印象を与えない、という点も素晴らしい。中国の竹笛に、ケルト音楽。アフロ・ケルトに、ブレイクビーツ、さらにジャズ……と文章で説明すると改めてこれがかなりの異常事態であることを実感してしまうくらいだ。収録曲もそれぞれかなり性格が異なるのに、不思議なぐらいアルバムとしての調和感がある。


Real World Records | Big Blue Ball


 アルバムのサイトでは、全曲試聴のほか、ピーター・ガブリエルとカール・ウォーリンガー(このアルバム製作に関わったもう一人のオーガナイザー)へのインタビュー動画や、フランシス・ベベイというカメルーンのミュージシャン(故人)による「ピグミー族の笛」講座など面白い映像が観れる。





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菊地成孔ダブゼクステット『Dub Orbits』

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Dub Orbits
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 ふっと思ったんだけど、これまで80年近くに及ぶジャズ史、および、70年近くに及ぶジャズ批評史において、菊地成孔の一連のアルバムほど「コンセプトありき」で語られるジャズはなかったんじゃなかろうか。これまで行われてきたジャズ批評的言説をつぶさに見ていくと、例えばプレイヤーの感情であったり、思想であったり、あるいは、演奏技術であったり、またはミュージシャンが書いた楽曲の素晴らしさであったり、そういうパーソナルな部分に焦点が当てられてきたことが分かる(黒人のやるジャズが人種差別への怒りへと結び付けられたりとか)。しかし、菊地成孔のアルバムではそうではない。菊地成孔ダブゼクステットになってからは「モード・ジャズ+ダブ」という、DCRPGであれば「70年代マイルスのポリリズム的発展」という、そういう面においてばかり語られる。「トニーは最高だ」、「ウェインは最高だ」、「マイルスは最高だ」、ハービーは……、アイアート・モレイラは……といった焦点の当てられ方はまずされていないように思う。この点が私にはとても面白い。音楽の斬新さ以上に、こういう部分が斬新だとさえ思う。まるでAOR――いやAOR以上にAOR的なのかもしれない――スティーリー・ダンでさえ「スティーヴ・ガッドが……」云々と語られてきたのだから。


 えーっと……、カッコ良いですよ。





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BECK『Modern Guilt』

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Modern Guilt
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Beck
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 プロデューサーがナイジェル・ゴッドリッチからDanger Mouseへ……と代わったところで「BECK的なもの」というコンセプトがブレないところが素晴らしく、しかし、だからこそ「堅実」「手堅い」という印象から抜け出せない……イマイチ突き抜けた感動がググッと湧き上がってこない――この点でBECKというアーティストは結構損している気がしないでもないのだが、良いアルバム。正直言って、新人アーティストのアルバム買うよりずっと落ち着いて聴けてしまうし、長く聴けそうな感じがあるのでお徳だよ!


 前作から大きく変わっているところといえば、ビートの部分がやっぱり大きいのだろう、と思う。強烈な打ち込みと、ユラユラとしているBECKのヴォーカルのコントラストが鮮やかで、このあたりはとても面白く聴けた。しかし、これぐらいじゃもうビックリしないんだよ……。



D





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ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ『コスモス』(工藤幸雄訳)

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コスモス―他 (東欧の文学)
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 「面白かった!」とまず一言。そして「狂ってる!」と次に一言。「ゴンブロヴィッチはすごいよ……」と聞いていたが、こんなに恐ろしい作家だったとは……。最初は、切れ切れと続く奇妙な文体が目に付いたけれど、内容は文体以上にキチガイ染みている、というか、ほぼキチガイの小説である。探偵小説やミステリといった体裁を一応とりつつも、ほぼ全体に渡って主人公、ヴィトルド(この登場人物にどれだけ作家本人が重ねられているのかはよくわからない)の意識の流れに沿って物語は進み、唐突に哲学的な問いかけが挿入されたり、かなりシュールな場面展開が繰り広げられたりとかなり込み入った内容となっている。


 すさまじいのはヴィトルドによる「関係性」に対してのパラノイアであろう。冒頭、ワルシャワから訳あって友人と連れ添い田舎町へと逃げてきたヴィトルドは、ちょうど良い下宿を探している途中、木に「スズメの死骸が首吊りになっている」という異様な光景を目にする。誰がなんのためにこんなことを……このスズメが物語を推進させるひとつのマクガフィンとなるのだが、これがヴィトルドによって「何か」と結び付けられることによって、物語には混沌が訪れる。


 たとえば、下宿で遣われている下女の醜いキズが残った唇、これがスズメと関係があるのではないか?――とヴィトルドは考える。この妄執によって、探偵小説としての物語はほぼ破綻としてしまっているといいのだが、面白いのは「スズメと唇が関係がないとは言い切れない」という可能性にヴィトルドがとりつかれていく点だろう。たしかに、物語上スズメと唇には「関係がない」と完全に言い切ることができない。あらゆる可能性は残されている。



ぼくのこの物語の続きを語るのはむずかしい。だいいちぼくは知らない、これは物語なのか。いくつかの分子の絶えざる……結合および分裂……これをしも物語と名づけるのは無理である……



 『コスモス』においてあらゆる可能性がヴィトルドの前にあらわれ、そして、それらは最後まで打ち消されることなくヴィトルドを悩ませ続けることとなる。通常、論理的な思考の積み重ねによってある物語は推進される(犯人は○○という理由において、Aではない、というような)のだとしたら、ここではあらゆる論理的な分子が進むことなく、打ち消されることなく物語に蓄積されていく。この反-物語的な過程を物語として成立させている点がこの小説の斬新な点なのだろう。蓄積が崩壊へと向かって物語にカタストロフが訪れているのも見事な書き方だと言える。


 トマス・ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』から、パラノイア的な部分を抽出したような……そういう小説が読みたい、という方には是非オススメしたくなる作品だった。





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今日の「現代の音楽」のこと。

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 実家に帰ってふと新聞のラジオ欄を見ていたら「現代の音楽」がヘルムート・ラッヘンマンの特集をやる、というのを知った。


 知らない人のために一応書いておくと「現代の音楽」は、NHK-FMが長年放送を続けている「現代音楽専門の音楽番組」である。日曜日の午後6時から1時間(ザ・ちびまるこちゃん&サザエさんタイム)にみっちり現代音楽をみっちり紹介し続けるという番組内容は、NHKのなかで最も硬派な番組だと言えるだろう。まさに、公共放送だからなしえる業、というか、こういう番組が続いてるからちゃんと放送料金は払わなきゃダメですよ、と思う。


 今回のラッヘンマン特集はなんと「次週もやる」とのことだったので、この現代ドイツを代表する(と言われてもあまりにピンとこなさ過ぎる)作曲家について気になる方はチェックすると良いと思う。今日は、独奏曲が主に取り上げられていたから、来週はオーケストラ作品が紹介されるのではないか。


 しかし、ラッヘンマンという作曲家は面白い。新しく作品に触れるたびに「なんて面白いのだろう……別な作品が聴きたい!」と思わせてくれる稀有な存在である。ピアノをギロ(あの洗濯板みたいなパーカッションだ)に見立てて、ひたすら鍵盤の凹凸や、内部の部品を擦ったりして作品にする、という強烈なアイデアなど素晴らしすぎて涙が出てしまう。ただ、さすがにそれだけ聴かされるのはなかなかキツいものがあって、途中で夕飯に呼ばれたので聴くのを止めてしまった(我が家の夕食はほとんどサザエさんとともに始まる。かなり早い)。


 現在、この番組のパーソナリティは作曲家の西村朗だ。この人はかなり喋りが上手くて(ダジャレ王である池辺先生には及ばないにしても)、ラッヘンマンのように常人の想像力を超えた作品を書く人についても大変明快な解釈を与える人だと思う。今日の彼は「ラッヘンマンの意図は、異化にある」というように言っていた。これは、ベンヤミンなどを読まれる方においては「なるほど」と膝を打ちたくなる解釈だろう、と思う。


 私としても「うーん、たしかにそんな感じはあるよね」と聞いていて思った。でも、同時に「ただし、それだけなんだろうか?」という風にも思ってしまう――もっと言ってしまえば、これは「何故、作品に対してそのような凡庸に理解しえるような意味しか与えることができないのだろうか」という軽い憤りのようなものでもある(これは西村朗という個人に対しての思いではないのだけれど)。


 明快な言葉で、ラッヘンマンの音楽を伝えること、それはとても素晴らしいことであると思う。しかし、それはとてもつまらないことなのではないか、とも感じてしまった。音楽の意味を明快(だが、つまらない)言葉によって、固定してしまうだけであれば、そんな言葉に必要を感じないだろう。





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ブルーノ・シュルツ『クレプシドラ・サナトリウム』(工藤幸雄訳)

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 引き続き、『現代東欧文学全集』に収められたブルーノ・シュルツの『クレプシドラ・サナトリウム』を。こちらは、全13編あるうちの7編のみの翻訳となっているのだが、残りの6編がものすごく読みたくなるような素晴らしい短編群だった。ますます、早く平凡社ライブラリの「全集」を買わねば、と思う。


 全体の雰囲気や状況設定は、『肉桂色の店』のものを踏襲しており、「わたし」の目に映った奇妙な幻想を綴ったものとなっているのだが、表題作の「クレプシドラ・サナトリウム」という一編が特別に面白い。


 シュルツの作品では、「わたし」の「父」がとる狂気じみた行動がひとつの中心的な主題として描かれているのだが、この作品ではその父は既に死んでいる。しかし、「わたし」は死んだ父を、どこか遠い場所にあるサナトリウムへと送り出す。



「時間を後退させるわけです。一定期間だけ時間を遅らせる、それがどれぐらいと申しあげるわけにはいきませんが、要するに簡単な相対性理論の応用です。たとえば、あの方の死にしても、ここではまだ結果に到達していません、あなたのお国では、すでに片づいたことですけれども」



 死んだ父は、サナトリウムで蘇る。この短編は「わたし」がサナトリウムへと父の見舞いにいくところから始まる。外界から隔絶された環境にあるサナトリウムでは、異世界のような生活が繰り広げられている。延々に夜がやってこない代わりに、始終強烈な眠気に住民は教われねばならず、住民は一日のほとんどを睡眠に費やしている。本屋で本を注文すれば、何故か(しかし『わたし』がずっと手に入れたいと考えていた)望遠鏡が届く。


 「わたし」はサナトリウムの生活に馴染めず、次第にうんざりしはじめる。意を決して乗った帰りの電車は延々と走り続け、「わたし」は時の牢獄のような客室をさ迷い続ける亡霊と化す……。


 読み手も迷宮に引きずりこむような読後感は、フランツ・カフカの小説というよりも諸星大二郎の漫画に近いものがある気がする。特に不条理な世界観が自然に、穏やかに馴染んでしまっている心地よさにおいて。





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ブルーノ・シュルツ『肉桂色の店』(工藤幸雄訳)

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コスモス―他 (東欧の文学)
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 「現代東欧文学全集」のうち、ヴィトルド・ゴンブローヴィチとブルーノ・シュルツの作品が収められているものを読んでいるのだが、シュルツの『肉桂色の店』という作品がすこぶる面白かった。ストーリーらしいストーリーはないのだが、奇妙な人物や状況が「わたし」の目を通してつづられている点は、「禍々しいマルセル・プルースト」や「官能的過ぎるフランツ・カフカ」みたいな表現が自分のなかでしっくりくる。文章を目で追うだけで、目の前がチカチカするようなカッコ良い文章が満載。これは良い訳だなあ。いずれ全集も買うと思います。



柵の方へ向かって草の大マントは膨れあがったせむしの肩をもたげている。それは庭が大きく寝がえりをうち、いかつい、農夫のような背をこちらへ向けて、大地の静けさに憩うかのようにもみえる。そんな庭の肩のあたりにまたがって、八月の女のみだらさが大きな山牛蒡の深い茂みの凹みにずかずかと割り込み、細かな毛の生えた葉や、生い繁る緑の舌をわがもの顔にしていた。


(『八月』より)



 うーむ……痺れるほどカッコ良い。シュルツという作家は生前はかなり不遇で、ナチ占領下のポーランドでゲシュタポに射殺される……という悲劇的な人生を送ってるんだけど、そういう人の素晴らしい作品が読めるようになっているのはまことに喜ばしいことである。



シュルツ全小説 (平凡社ライブラリー)
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多摩センターから3時間かけて徒歩で帰った

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 仕事をしていたらうっかり終電を失くしてしまい、タクシーで帰るのも腹が立ったので、いつも行っている飲み屋さんで何杯か酒を飲んで朝まで……と思ったら、3時までしかやってなかったんで途中で追い出されちゃって……でも、なんか妙に気分が良かったから「よっしゃ、歩いて帰ってやるか」と思って歩き出したら……3時間かかった。


 前回、歩いて帰ったときは4時間半かかったのでタイム的には好記録。私は、小田急多摩線を使って通勤しているんだけど、東京と神奈川の境にある山がなかなか越えられなくて困る。電車はトンネルがあるから良いけれど、歩きの人にはトンネルはない。ズイズイと若葉台方面へと回って山を迂回しなくてはならない。この問題を解決すれば、これよりずっとタイムは縮まるだろう。それから、こういうときにスキニージーンズなどを履いてはいけない(暑い)。


CA330008


 途中、なんか遠くでたくさん光ってるものがあるなあ……なんだろう、怒りに満ちたモードの王蟲の大群か……?


CA330009


 と思ったら京王電鉄の電車がたくさん止まっているところだった。これはなかなか圧巻。タモリや岸田繁ならずとも大興奮はいなめない。狙ったような絶景ポイントがあるので好きな人は行ったほうが良いと思う(ちなみに京王なのに若葉台からいくよりも、小田急線のはるひ野から行ったほうが近い)。私も始発が動き出すぐらいの時刻にまた観にいきたい。


CA330011


 あと黒川駅で猫ににらまれた。





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カール・マルクス『資本論』(四)

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資本論 4 (4) (岩波文庫 白 125-4)
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 第4巻に入ると議論のレベルが(あるいは抽象度が)急激に上がり、読んでいてもちっとも「分かる」とか「なるほど」とかいう感覚が訪れない。ほとんど「読んでも読まなくても一緒」という感じがして悲しい。じっくり読む余裕も無く、第4巻読了。とりたてて書けることはない……。





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ピエール=ロラン・エマール来日公演@東京オペラシティコンサートホール

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Bach: Art of the Fugue
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J.S.バッハ(すべて《フーガの技法》より):「コントラプンクトゥスI」、「3度音程でも転回可能な10度のカノン」


E.カーター:《2つのダイヴァージョン》


J.S.バッハ:「5度音程でも転回可能な12度のカノン」、「反進行における拡大カノン」


O.メシアン(すべて《8つの前奏曲》より):「悲しい風景の中の恍惚の歌」、「夢の中の触れ得ない音」、「風の中の反射光」


J.S.バッハ:「10度音程で転回可能のコントラプンクトゥスX」、「転回可能のコントラプンクトゥスXII.1」、「コントラプンクトゥスXI」、「転回可能のコントラプンクトゥスXII.2」、「12度音程で転回可能のコントラプンクトゥスIX」


L.V.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番



 ピエール=ロラン・エマールの演奏会を聴いた。素晴らしい。本当に素晴らしい演奏会だった。終演後にこんなに誰かと「素晴らしい。すべてが完璧だった!」と声を出して笑いあいたくなるような演奏会にはなかなか巡り会えない――エマールを日本に呼んだ音楽事務所に勤めている知人(彼とは演奏会場でしか合わない)と「すごかった……」と言いあえて良かった。


 とにかくこの気持ちが覚めないうちにここに今夜の出来事を綴っておきたい。


 前半はバッハの《フーガの技法》から何曲か選び、それと今年生誕100年になる2人の作曲家――エリオット・カーターとオリヴィエ・メシアンの作品を織り交ぜるというプログラム。国も、作風もバラバラな三人の作曲家の作品は、曲の構造の部分などで「有機的に」つながりあい、さながら言葉のないレクチャーのようだった。


 むしろ、エマールが組んだこのプログラムは「言葉を必要としていなかった」と言っても良いかもしれない。特にバッハからカーター、カーターからバッハへという繋がりに見えたエマールの意図は、難解に聴こえてしまうカーターの実にクラシカルな部分を鮮やかに掘り起こしていた。性格の違う2つの音楽的要素の発展(カーターの作品では、ほとんどポリテンポ的な試みがなされている)が、バッハのカノンと類比されたとき、会場のなかで「ハッ!」と膝を打ちたくなるような思いに駆られたのは私だけではあるまい。


 休憩を挟んでの後半は、《フーガの技法》対ベートーヴェンのソナタ第31番。これも素晴らしい、というか驚異だった。


 バッハの作品はやはり「聴かせる」のが難しい。これは運転が難しい外国の高級スポーツカーみたいなものかもしれない。勢いにまかせてしまえば音楽に淀みが生まれ、とても聴いていられない大事故となり、大人し過ぎれば退屈しかもたらさない。良い塩梅で作品を乗りこなすのは至難の業だ。


 しかし、エマールは易々とそれを行ってしまう。ただ、前半のバッハとは異なってそこには「レクチャー」のような優しい態度は見られない。理解を拒むようにして書かれた圧倒的な構造の美学によって、聴衆をねじ伏せようとする「芸術家」にエマールはなっている。


 構造を追い、理解することが出来るように与えられた時間はほんのわずかだった。気がつくと私は、金縛りにあったような気持ちになっている。もはや各声部の展開を追うような聴き方はできない。ただ、全体で迫ってくる音楽に陶酔してしまっている。


 そして、最後のベートーヴェン。これまでに何度も実演に触れてきた第31番のソナタだが、アファナシエフが「勿体ぶった詐欺師」に思えるような衝撃だった。


 冒頭の牧歌的な旋律の、バッハで緊張仕切った感覚を解凍してくれるような優しい演奏に、思わず目に涙が溢れてしまう。この瞬間「まだこんなすごいベートーヴェンが弾けるピアニストが残っていたのか」という驚きも同時に感じていたのだが、一番すごかったのはやはり最終部のフーガ(バッハとベートーヴェンはここで繋がるプログラム)。怒涛、とはいえ思慮深く、決して勢いに任せるようないい加減さは皆無(これはエマールの演奏全体に言える)。あれほど素晴らしく感じたバッハが一瞬で霞んでしまうほどの名演だったと思う。



メシアンへのオマージュ
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 全てのプログラムが終わると当然、火のような拍手が巻き起こった。それに応えてかアンコールはなんと6曲……(サービスしすぎ)。新譜に収録されたメシアンの《8つの前奏曲》から4曲と、カーターの作品を2曲。


 こちらはリラックスした雰囲気での演奏だったが、その状態でカーターの機械のために書かれたみたいな速い曲を、本当に機械みたいな正確さで弾いていたのが恐ろしい。メシアンでは「鳩」という作品が良かった。


 再来日とベートーヴェンの録音が今から待ち遠しい。





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アントン・ヴェーベルン《5つの断章》

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D


 アントン・ヴェーベルンが初期に書いた無調作品、弦楽四重奏のための《5つの断章》(の弦楽合奏版)の演奏映像がYoutubeにありました。ちゃんと全楽章がとりあげられており、演奏のクオリティもかなり高い。すべての楽章がとても短いので気が短い方にも勧められる現代音楽であります。第3楽章なんか1分にも満たない。



D


 《5つの断章》は、ヴェーベルンの作品ではかなり演奏頻度も評価もともに高い部類の作品ですけれど、聴きなおしてみると改めて「それだけの理由があるなあ」と思います。



D


 とくに最終楽章での、弱音器つきの弦の音色が妖しくて素晴らしい。ぞっとするような美しさがあり、間違いなく「これもロマン派の音楽だ」と言える様な気がします。無調/12音という音楽の流れを「ロマン派の否定」と捉えるよりも、私には「ロマン派の延長」という風に捉えたほうがしっくりくる。芸術家が聴衆の理解の範疇を越え出ようとするその態度からしてロマンティックと呼べると思いますし。



自発的に生じた音楽観は、既存のものすべてを抑圧し、ひとたび学んだことを追い払い、想像力の強制に従うことのみを許す。この忘却の力は、反応の直接性によりどの瞬間も音楽文化の媒介性を疑問に付すところのあの野蛮な芸術敵視のモメントと近親関係にあるのだが、他方でこの力だけが、技術を巨匠的に駆使することとと均衡を保ちながら、音楽文化のために伝統を救う。なぜなら、伝統とは現在ありながら忘れ去られているものだからである。


(アドルノ『新音楽の哲学』より)



 また、私はこのような作品こそを真の「モテ音楽」と呼びたく思います。



Anton Webern: Complete Works, Opp. 1-31

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ソニーが出してたすごいヘッドホン

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SONY パーソナルフィールドスピーカー PFR-V1
ソニー
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 この前ビックカメラで見つけてとても驚いたソニーの製品。製品名も「パーソナルフィールドスピーカー」と銘打っているぐらいに「これまでのヘッドホンとは違いますよ」ということを強調している。数多あるヘッドホンを分類すると「密閉型」(密閉することで音圧が高まったりする。遮音性も高い)と「セミオープン型」(遮音性は下がるけど、音に自然な空気感とか定位が生まれる)という風に大きく分けられるが、少ないながらも「フルオープン型」というのも存在する。要するに、耳のすぐ傍に小さなスピーカーが置いてある、みたいな感じなのだが、この「PFR-V1」もここに位置づけることができると思う。


 高級ヘッドホン市場においては、カナル型が全盛と思われる昨今において、この商品は結構存在感が大きい。肝心な音は試聴しなかったので分からないけれど、悪くはなさそうな感じがする。後は、装着感などに慣れることが重要な気もする。個人的には現在使っているAKGのK240でかなり満足しているので購入予定はないけれど。


 価格は定価が約5万円とかなり抑え目(アマゾンだと2万円代で買える。すごい割引率だ……)。もしこの製品で高級スピーカーばりのリスニング環境が実現できるなら、夢のような話である。ただ「男ならいつかはでっかいスピーカー」みたいなのってあると思う。以前にオーディオ・マニアの方と話した際に、その人はこんなことを言っていた――「音楽は耳で聴くものじゃないんだ。体で聴くんだよ。肌が震えるぐらいの音で聴くために高級スピーカーっつーのは存在してるわけ」。おそらく、いくら良い音でも「PFR-V1」で、そういう感覚を味わうことは無理だろう。そういう意味では「なんか夢のない製品だなぁ」と感じるところはある。


 もっとも日本の一般的な住宅環境において「高級スピーカーが持ってる能力をフルに活かす」なんていうのもかなり夢みたいな話だけれど。防音室を用意するか、周りに家がないようなド田舎に一軒家を建てるぐらいしか方法はないだろうし。





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The Ting Tings『We Started Nothing』

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We Started Nothing
We Started Nothing
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The Ting Tings
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 The Ting Tingsも聴いています。「パワーポップ化したエレポップ」みたいな趣がありつつも、しっとりとした歌もちゃんと聴かせるところが面白い。アルバムに収録されている「Traffic Light」という曲なんか聴くと(ヴォーカルの後ろで鳴っている音はエレポップ染みているけれど)実は「このヴォーカルの人、正統派女性ヴォーカリストの系譜に位置づけられるんじゃないの?」とか思います。なんかロックっぽくまくし立ててるときより、ちゃんと歌っているときのほうが良い感じさえある。



D


 「ティンティンズ」という名前も素晴らしい。ニキビだらけの中高生男子は、彼らの音源をCD-Rにでも焼いてクラスの女子に配って歩くと良いと思います。



「この前もらったCD良かったよ!ところで,なんていう人たちのCDなの?」


「ティンティンズ」


「え……?」


「だから、ティンティンズだって」


「ティンティンズ……」(頬を少し赤く染めながら)



 こういったファンタジーが脳内に広がっていく素晴らしい名前です。





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CANSEI DE SER SEXY『Cansei De Ser Sexy』/『Donkey』

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 昨今、若者の間で流行っているというブラジルはサンパウロ出身のバンド、CANSEI DE SER SEXY(CSS)を聴いています。こういうものを聴いていると「ニューウェーヴ再評価→消化→再構築」の流れは来るところまで来てしまったな、という感じがして仕方が無いのですが(もちろんニューウェーヴをリアルタイムで聴いていたわけではないのだけれど)、70年代後半から80年代にかけてのニューウェーヴ/ポストパンクが漂わせてた「薄暗さ」とか「重さ」は欠けているように思われ、しかし、その点が素晴らしいと思えてしまうのだろう……と考えます。CSSにも徹底的な「軽さ」を感じるんだけど、やはりそこが素晴らしい。聴いていてすごく楽しい。まるでサプリメントのように快感が与えられ、そして、それは刹那的に過ぎ去っていく。iPodで再生するたびに、小さな祭が耳の中で開催されるみたいな音楽だと思います。



Donkey
Donkey
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CSS
Sub Pop (2008-07-22)
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 新譜『Donkey』は、音がファーストよりぶっとくなって登場。これもやはり素晴らしい。もうなんかAC/DCを彷彿とさせるような底抜けの明るさすら感じられました。バンドのロゴのイナズマは、やっぱりAC/DCなの?しらねーけど、良いよ!



D


 どうでもいいけど最近、洋服を買いに行くとどこ行ってもこんなん流れてますよね。





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白水uブックスフェア応援企画「妙なところのツボをつかれる3冊」

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もちろん、他にもおもしろい白水uブックスはたくさんあるとおもうので、探してみるのもいいのではないでしょうか。そしていい本が見つかったらわたしにも教えてください。


2008-07-08 - 空中キャンプ



 白水uブックス良いですよねー。普通の文庫よりほんのちょっと高い、ってことに目を瞑れば、この文庫が一番好きかも、ってくらいに楽しそうな本がたくさんある。スティーヴ・エリクソンに出会ったのもこれがきっかけだったし(本当に面白い小説なので『“本当に読んだことがない本”を読みたい!』という方に是非オススメしたいです)、なにより前衛っぽいもの/ちょっと一般ウケはしそうにないものも取り上げられているところが素晴らしい。今後はベケットの作品なんかもこのシリーズに入れてくれないかなあ、と願いつつ、私も「白水uブックス」から面白い本を選んでみます。



ある首斬り役人の日記 (白水Uブックス)
フランツ・シュミット
白水社
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 こちらは、中世ドイツで361人の犯罪者に刑罰を与えた、という処刑人フランツ・シュミットさんが書いた日記。「今日は誰々をムチ打ちの刑にかけた」とか「誰々の首を斬った」とかいうシュミットさんの仕事内容が淡々と綴られていて、文学的要素だとかはほとんどないんだけど、ものすごく面白い本です。中世という時代は、現代とは違った道徳感があったのだろうなあ、と思ってしまうぐらいシュミットさんの手にかけられた犯罪者たちの罪状が残虐。



最初は馬上の男を撃ち殺した。次に妊婦を生きながらにして切り開いたが、胎児は死んでいた。3番目は同じく胎内に女児を宿していた妊婦を切り開いた。4番目はまたしても妊婦で、彼女を切り開けば双生児の男の子は生きていた。ズンベルクのゲオルクが、おれたちは大罪を犯してしまった、こいつらは司祭の所へ連れて行って洗礼を受けさせてやろうと言った。しかしフィラは、おれが司祭になって奴らに洗礼してやると言いざま、赤児の脚をつかんで地面に叩きつけた。



 以上は、シュミットさんによって処刑された「妊婦ばかりを狙って殺人を繰返していた殺人集団」の罪状です。これが物取り目当てじゃなくて、特に目的無く「妊婦を殺していた」というところが恐ろしい。



不死の人 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
ホルヘ・ルイス ボルヘス
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 ラテンアメリカの作家が書いた小説を読んでいて思うのは「なんだかわかんないけど、とにかく面白いなあ」ということが多くて、ボルヘスの作品郡は特にそんな感じだ。この『不死の人』という短編集にも、そういう「なんだかよくわかんない小説」がたくさん収録されています。


 表題作の「不死の人」からしてすごいですよ。「20世紀前半にヨセフ・カルタフィルスという男が、とあるところの公女にものすごく古い本を売ったんだけど、それには彼が書いたと思わしき原稿が挟まれてて……その原稿によれば彼はローマ時代から『死なないで現在まで生きてる男』ということになっていて、過去の歴史についての事細かな記述や、歴史上の大人物とあった記録が残されている……でも、ここにはいろんな本からの引用が含まれてるし、実は偽書なんじゃねーの?どうなの?」みたいな感じ。


 「オチがない話には興味が無い」という方にはオススメできませんけれど、「読む迷宮」という不思議な読後感がだんだんと「読む麻薬」に変わっていくのは本当に楽しいですよ。



いまやわたしは、この物語の名状しがたい中心に到達した。わたしの作家としての絶望はここに始まる。あらゆる言語は、対話者同士が同じ過去を共有していることを前提にして習得される符牒のアルファベットである。


(『アレフ』より)




リア王  シェイクスピア全集 〔28〕 白水Uブックス
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 最後に古典中の古典であるシェイクスピアの『リア王』を。白水uブックスでは小田島雄志によるシェイクスピアの全集が刊行されていますが、これは数あるシェイクスピアの翻訳のなかでも最も読みやすい訳になっているのではないでしょうか。「なんでもかんでも読みやすいように、新訳で」という光文社的な試みには「そうじゃないだろう」と思う私ですが、これはちょっと別格的な出来になっていると思います。


 新潮文庫の福田恆存によるゴツゴツとして、カッコ良い日本語ももちろん素晴らしいのですが、小田島訳はスピード感が違う。前者が2時間ドラマなのに対して、後者はわずか30分の間に一話完結してしまうような趣があるような気がします。


 押韻や言葉遊びの部分を、強引に日本語のダジャレに結びつける技も見事。ダジャレが面白いわけではないのだけれど、そこに訳者のひらめきが見受けられるところが刺激になります。



真実ってやつは野良犬だね、鞭でたたき出されるんだから。奥方犬は暖炉のそばでぬくぬくと屁をたれてるっていうのに。






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お買い物したよ

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CA330022


 先日、酔っ払ってiPodを失くしたので新しいiPodを買いました(気がついたらイヤホンの先について本体がついてなかった!)。nanoの4GB。前に使っていたのはminiの4GBだったので容量的には変わらず変更点は「画面がカラーになって」「動画が観れるようになった」ぐらい。心配なのは「nanoは頑丈なのか」ってこと。miniのときは、通算50回以上地面に落としたのに4年近く使えたので、iPod nanoもそれぐらい持てばなあ、と願います。



シグマAPO 【eino】New iPod nano video用シリコンカクテルジャケット。ブルー EIAS02BL
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 さっそく被せたシリコンカバーはこちらのシリーズ。毒々しい色のラインナップが素敵。


CA330013


 あと新しいギターも買いました。これで私も田淵ひさ子です(みんなに自慢がしたいのでわざわざ画像を大きくしています)。





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ベルント・アロイス・ツィンマーマン

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UbuWeb Sound - Bernd Alois Zimmermann

 UbuWebよりベルント・アロイス・ツィンマーマン(1918-1970)による《ユビュ王の食卓のための音楽》という作品を。ツィンマーマンといえば、先日日本でも「20世紀最高の現代オペラ」と謳われる《兵士たち》が初演されたばかり。こちらで聴ける作品は「前衛の停滞」云々が問題視されたときに発表されたものらしく、ほとんど過去の音楽作品引用だけで構築された曲である。細かいパッチワークのように切り張りされて作られたこの音楽は、ベリオの《シンフォニア》(1968年)、ジョン・ゾーンのネイキッド・シティ、あるいは、アルフレッド・シュニトケの先駆け……のように聴こえる。

 けれども比較対象としてあげたものよりもツィンマーマンのほうが印象が柔らかだ。引用される作品も、ジャズや映画音楽風のものから、スザート(たぶん。16世紀の作曲家)、バッハ、ベートーヴェン、ロッシーニ、ワーグナー、ムソルグスキー……などとても広汎で雑多。これが先行したシュトックハウゼンやブーレーズたちへの抗議をこめて書かれたものとはにわかに信じがたい。


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 ツィンマーマンの代表作のひとつと言われる《若い詩人のためのレクイエム》。冒頭から「不気味な合唱+ベートーヴェンの《合唱付》」やら「不気味な合唱+ファシストっぽい演説」とか、かなりどうかしている音響(作品についての詳しい解説はこちらが充実している)。素晴らしい……。Youtubeには他に《兵士たち》からの抜粋もある。これまでノーチェックだったけど俄然興味がでてきた。



Zimmermann: Die Soldaten
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 まずここからか……。




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ジョン・ケージ対……

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D

 ジョン・ケージ対ローランド・カーク。循環呼吸を駆使してひたすら切れ目無く長いソロをとったり、変な笛吹いたり、サックス3本同時吹きしたりと大活躍のローランド・カークVSジョン・ケージの語り。この盲目のミュージシャンは私にとって、アルバート・アイラーとともに「ジャズ界謎のミュージシャンの二台巨頭」とでも言うべき存在である。いでたちは確かにジャズ的なのだが、奏でられる音楽は「ジャズなのか……?」と首を傾げたくなるようなもののように思う。彼らの音楽はジャズという言葉に、うまく結びついていかない(逆に言えば、マイルス・デイヴィスはいつだってジャズを演奏する人だった、というように感じる。本人がなんと言おうとも)。音色/息遣いの荒々しさは洗練されたものとは言いがたい。むしろ、野蛮にすら思える。「ジャズはアメリカの民族音楽」と主張するなら、これがオリジナルの形なんじゃないか、って錯覚するぐらいに。



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UbuWeb Sound :: John Cage

 Ubuwebより。こちらのジョン・ケージのページではなんと「ジョン・ケージ対サン・ラ」という音源が聴ける("John Cage Meets Sun Ra")。ここでもジョン・ケージは語り、というか声を使ったパフォーマンスをおこなっている。ケージによる音節を長く伸ばした言葉や、ホーミー的な発声方法(あんまりうまくない)に絡むのは、サン・ラのシンセサイザー。正直「これはあんまりだ……この組み合わせは飲み会の話のネタぐらいにしかならないだろ……」っていう感じだけど、サン・ラがむちゃくちゃに弾くシンセの音はとてもカッコ良い。キース・エマーソンよりずっと良い。



Space Is the Place
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