スキップしてメイン コンテンツに移動

2008年に読んだ本を振り返る




否定弁証法講義
否定弁証法講義
posted with amazlet at 08.12.12
アドルノ
作品社
売り上げランキング: 316595


 続けて2008年に読んだ本についても振り返ってみる(これは新刊とかを問わず)。自分のブログの過去ログを探してみたら、今年は新年早々アドルノの『否定弁証法講義』から読み始めたみたいである。それ以降、アドルノについての本を読んでいないので、今年は1アドルノということだ。この本については読書メモをものすごくたくさん残している*1が、なんか「仕事をしてると勉強のことなんか忘れちゃうよな……」と寂しく思った1年だった気がする。学生時代は結構マジメに勉強していたって人にしても皆、そんなものなんだろうね、きっと。

 マルクス・マラソンは、今年中に完走できず。ちょうど折り返し地点で止まっている。あと武満徹の著作全集も2巻まで読んで止まっている*2。それからラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』も3巻まで*3読んで止まっている(これは続きが出ていないからだが)。そのうえ最近ダンテの『神曲』を読み始めてしまったから、来年に持ち越しのものが多すぎて大変な気もするが、読まなきゃいけない本があると意識できているうちはなんだか幸福のようにも思えるし、こんなご時世なので働けるだけで幸福、本が読めるだけで幸福、というようにポジティヴに考えていったら良いのかもしれない(気持ち悪いか)。



挑発する知―愛国とナショナリズムを問う (ちくま文庫)
姜 尚中 宮台 真司
筑摩書房
売り上げランキング: 21754




経済学という教養 (ちくま文庫)
稲葉 振一郎
筑摩書房
売り上げランキング: 91105


 今年読んで大変勉強になったなぁと思ったのは、以上の2冊。社会的にも、個人的にも不可解で、ぞっとする事件が起こるにつれ、これらの本で読んだことを思い返した気がする。『経済学という教養』*4では「新自由主義じゃ誰も救われないし、『自己責任』論を振りかざす人間は、永遠に勝つことできない(しばらくは負けないかもしれないけれど、常に負けるかもしれないというリスクに脅かされ続ける)のではないか」と感じ、そこから生まれたしんどさが『挑発する知』*5で触れられた「怨念とテロリズムの関係性」に繋げて考えてしまう。すべてが社会のせいだ、とは言わないまでも、今年起きた一連の通り魔事件などはそういう風に「リスクを負うことを強要された主体の怨念が沸騰して爆発した結果だ」とか考えてしまう。自己責任論を振りかざして個人が負うリスクを増大させる、ということは「誰でも良かった」で殺されるリスクを論者が背負うことにつながるかもしれない、ということにそろそろ気付いても良いかもしれない。というか、そういうことを言う左翼の政治家がいても良いと思うのに、誰も言わない(日本の左翼はもっと賢くならなきゃダメじゃないのか)。


 姜尚中が一般的なところでも大ブレイクしたけれど、それらの「自己啓発っぽい新書ベストセラー」には一冊も手をつけていない。『挑発する知』(これは2003年に行われた対談シリーズを本にしたものである)のなかで「そろそろまた勉強に専念したい。じゃないと自分が枯渇する」という主旨の発言を姜先生は言っているのだが、今年のブレイクはその語の勉強の結果なのか。果たしてこの方向性で良いのか、と思わなくもない。養老孟司にせよ、茂木健一郎にせよ、姜先生にせよ、なぜ自己啓発っぽい方向性に流れてしまうのか。なぜそういった本を書かせようとするのか。これら(専門知の自己啓発的利用……とでも言えるかもしれない)は大きな疑問である。



シュルツ全小説 (平凡社ライブラリー)
ブルーノ シュルツ
平凡社
売り上げランキング: 89068


 話が大幅にそれたので本の話に戻す。小説はなぜかポーランド生まれの作家、ブルーノ・シュルツ*6とヴィトルド・ゴンブロヴィッチ*7が個人的な大ヒット。他にも悪夢のような幻想小説で、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ*8の本を2冊読んだ。なんか悪夢のような現実が起こるたびに、逃避する思いでこれらの小説にハマッていた気がするのだが、悪夢っぽい現実から悪夢っぽい幻想へと逃げ込む自分の心理がよくわからないでいる。悪夢が悪夢で浄化される。もしかしたらホメオパス(同種療法)的な作用がこれらの小説にはあるのかもしれない。これがもし、スピリチュアルな方向へ逃げ込むのだとしたら、もっと救いがあるのではないか……。



クロールがきれいに泳げるようになる!
高橋 雄介
高橋書店
売り上げランキング: 87433



 しかしながら、今年読んだ本で最もインパクトがあった本は小説でも思想関係の本でもなくこちらの『クロールがきれいに泳げるようになる!』である。夏ぐらいから水泳を始めたんだけれど、この本に書いてあることを実践してたら連続して泳げる距離が飛躍的に伸びた。そして、ジムの営業時間終了間際に自分以外に利用者がいなくなったプールで黙々と25メートルを往復し続ける快感を知った。あと広背筋と大胸筋と三角筋がカッコ良いことになってきた(彼女以外に見せる人がいなくて残念だ……!)。




*1テオドール・アドルノ『否定弁証法講義』(第10回講義メモ) - 「石版!」


*2武満徹『武満徹著作集(1)』 - 「石版!」武満徹『武満徹著作集(2)』 - 「石版!」


*3フランソワ・ラブレー『ガルガンチュア』(ガルガンチュアとパンタグリュエル) - 「石版!」フランソワ・ラブレー『パンタグリュエル』(ガルガンチュアとパンタグリュエル) - 「石版!」フランソワ・ラブレー『第三の書』(ガルガンチュアとパンタグリュエル) - 「石版!」


*4稲葉振一郎『経済学という教養 増補』 - 「石版!」


*5姜尚中・宮台真司『挑発する知――愛国とナショナリズムを問う』 - 「石版!」


*6ブルーノ・シュルツ『肉桂色の店』(工藤幸雄訳) - 「石版!」ブルーノ・シュルツ『クレプシドラ・サナトリウム』(工藤幸雄訳) - 「石版!」ブルーノ・シュルツ『シュルツ全小説』 - 「石版!」


*7ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ『コスモス』(工藤幸雄訳) - 「石版!」ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ『トランス=アトランティック』(西成彦訳) - 「石版!」ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ『フェルディドゥルケ』 - 「石版!」


*8アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ『狼の太陽』 - 「石版!」アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ『城の中のイギリス人』 - 「石版!」





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

桑木野幸司 『叡智の建築家: 記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市』

叡智の建築家―記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市 posted with amazlet at 14.07.30 桑木野 幸司 中央公論美術出版 売り上げランキング: 1,115,473 Amazon.co.jpで詳細を見る 本書が取り扱っているのは、古代ギリシアの時代から知識人のあいだで体系化されてきた古典的記憶術と、その記憶術に活用された建築の歴史分析だ。古典的記憶術において、記憶の受け皿である精神は建築の形でモデル化されていた。たとえば、あるルールに従って、精神のなかに区画を作り、秩序立ててイメージを配置する。術者はそのイメージを取り出す際には、あたかも精神のなかの建築物をめぐることによって、想起がおこなわれた。古典的記憶術が活躍した時代のある種の建築物は、この建築的精神の理想的モデルを現実化したものとして設計され、知識人に活用されていた。 こうした記憶術と建築との関連をあつかった類書は少なくない(わたしが読んだものを文末にリスト化した)。しかし、わたしが読んだかぎり、記憶術の精神モデルに関する日本語による記述は、本書のものが最良だと思う。コンピューター用語が適切に用いられ、術者の精神の働きがとてもわかりやすく書かれている。この「動きを捉える描写」は「キネティック・アーキテクチャー」という耳慣れない概念の説明でも一役買っている。 直訳すれば「動的な建築」となるこの概念は、記憶術的建築を単なる記憶の容れ物のモデルとしてだけではなく、新しい知識を生み出す装置として描くために用いられている。建築や庭園といった舞台を動きまわることで、イメージを記憶したり、さらに配置されたイメージとの関連からまったく新しいイメージを生み出すことが可能となる設計思想からは、精神から建築へのイメージの投射のみならず、建築から精神へという逆方向の投射を読み取れる。人間の動作によって、建築から作用がおこなわれ、また建築に与えられたイメージも変容していくダイナミズムが読み手にも伝わってくるようだ。 本書は、2011年にイタリア語で出版された著書を書き改めたもの。手にとった人の多くがまず、その浩瀚さに驚いてしまうだろうけれど、それだけでなくとても美しい本だと思う。マニエリスム的とさえ感じられる文体によって豊かなイメージを抱か