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クリストファー・ノーラン監督作品『ダークナイト』




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 バットマン最新作、といっても、これまでのシリーズを一切観たことがないんだけど、とても面白かった。この一週間珍しく新作映画を何本も観ていてこの作品がもっとも「ド直球」と感じる。それは2時間半を超える長い上映時間も関係していると思うのだが、シャマランの『ハプニング』がメイン料理の前にやってくる申し訳程度のサラダに感じるほど、重量級のストーリーが展開されている。冒頭から30分ものすごく情報量が多くて(中国の新興企業がマフィアと手を組んだり最近の社会情勢と絡めたような設定がある)ちょっと着いていくのがキツく感じたし、終盤はもう頭がクラクラしたのだが素晴らしい仕上がりであると思う。かなり込み入ったストーリーになってるのに、ラインがはっきりと定まっていてブレがない。ここまで「よくできているなあ……」と思う映画はなかなか無いかもしれない。


 緊迫しつつ、派手なアクション・シーンも無茶苦茶に凝っている。コンクリートをブチ破って登場するバットモービルや目の前にある邪魔なものを是全部破壊しながら進むバイクなど観ていて本当に小気味良い。正直、こういう派手なシーンをずっと観ていたいような気持ちになるけれど、興味深いのは出てくるキャラクターが全員、普通の人間っぽい戦闘能力しかもっていないところだったりする。例えば、主役のバットマンにしても「バットスーツを着てないと普通の人」だし、今回の敵役であるジョーカーにしても普通の警官に殴られて吹っ飛ぶぐらいの「生身」を意識させるような体力しかもっていない。こういうところの妙なリアリティがストーリーに強く影響を与えているようにも思う。


 リアリティで言えば、大富豪ブルース・ウェイン(バットマン)がセレブリティであるという描写の力の入れ具合もおかしなぐらいすごくて見逃せない。着ているスーツはジョルジュ・アルマーニにわざわざデザインさせたものだし(これはスタッフロールで明かされる)、ロシアのバレエ団(美女揃い)を両脇にはべらして登場するなどするのだ。これが全くストーリーに関係していないというところを含めて◎をあげたくなる。神は細部に……ではないけれど、ここまで無駄とも思われる演出をおこなっているからこそ、この映画における「正義VS悪」という構図が生き生きとしたものとして(単なる構図じゃなくて)鑑賞できるものとなっている気がする。唯一、リアリティに欠けるところと言えば、冒頭でヘリから撮影されたゴッサムシティの美しい全貌が「凶悪犯罪が頻発する街」にはまったく見えない、というところだろうか。





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