スキップしてメイン コンテンツに移動

アルバン・ベルク四重奏団解散公演@サントリーホール




ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番&第16番
アルバン・ベルク四重奏団
EMIミュージック・ジャパン (2004-12-08)
売り上げランキング: 3743



 解散が決まっているアルバン・ベルク四重奏団のフェアウェル・ツアー、日本公演の最終日を聴きに行ってきた。曲目は、ハイドンの弦楽四重奏曲第77番、ベルクの弦楽四重奏曲、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番、という3曲。


 解散の理由は、メンバーが語るように「技術的な衰え」に所以しているように思われる。しかし、これは「メンバー全体」のというよりも、本当のところ、第一ヴァイオリン奏者のギュンター・ピヒラーに大きく要因があったのではないだろうか。今日の演奏だけで判断するのは大きな間違いかもしれない。しかし、速いパッセージでの発音がやや曖昧になりすぎているところが目立ったように思う。付け加えて、音程がやや低めで四重奏のなかで一人だけ、ピリオド奏法のようなピッチになっているのが気になった――高齢になると、音程が高く聞こえることがあるという。ピヒラーにもその症状が出ていたのだろうか?


 とはいえ、音楽の組み方、流れの作り方は素晴らしかった。これはもう絶品としか言いようがない。書かれた楽譜をどのように解釈するか、これについては演奏家の自由であって、本当のところ「正しい解釈」、「正解」といったものは存在しない。しかしながら、アルバン・ベルク四重奏団の演奏には常に「限りなく正解に近い理想形の“ひとつ”」といった姿があるように思われてならない。


 しっかりとした長さと作りがあるにも関わらず、どこか小品めいた音楽に聞こえてしまうハイドンの可愛らしさや、ほとんど理解を阻むように書かれたベートーヴェンの構造をエレガントに聴かせてしまうところは素晴らしかった。なにより、ベルクの弦楽四重奏曲は圧巻だった。ベルクの無調作品をロマン派の系譜へとガッチリはめてしまうような見事な演奏だったように思う。


 とても感慨深く、また、複雑な気持ちになった演奏会だった。素晴らしい演奏だったのは言うまでもない。しかし、アンコールで演奏されたベートーヴェンの第13番の5楽章が終わり、満員に近い観客の誰もが拍手できず、誰かを追悼するかのような長い沈黙がホールに訪れたとき、ひどく寂しくなった。客席になにか大切なものを置き忘れてきたみたいな、そういう気持ちにさせられながら会場を後にした。



ベルク:弦楽四重奏曲
ベルク:弦楽四重奏曲
posted with amazlet at 08.06.02
アルバンベルク四重奏団
EMIミュージック・ジャパン (2005-12-21)
売り上げランキング: 2946






コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

桑木野幸司 『叡智の建築家: 記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市』

叡智の建築家―記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市 posted with amazlet at 14.07.30 桑木野 幸司 中央公論美術出版 売り上げランキング: 1,115,473 Amazon.co.jpで詳細を見る 本書が取り扱っているのは、古代ギリシアの時代から知識人のあいだで体系化されてきた古典的記憶術と、その記憶術に活用された建築の歴史分析だ。古典的記憶術において、記憶の受け皿である精神は建築の形でモデル化されていた。たとえば、あるルールに従って、精神のなかに区画を作り、秩序立ててイメージを配置する。術者はそのイメージを取り出す際には、あたかも精神のなかの建築物をめぐることによって、想起がおこなわれた。古典的記憶術が活躍した時代のある種の建築物は、この建築的精神の理想的モデルを現実化したものとして設計され、知識人に活用されていた。 こうした記憶術と建築との関連をあつかった類書は少なくない(わたしが読んだものを文末にリスト化した)。しかし、わたしが読んだかぎり、記憶術の精神モデルに関する日本語による記述は、本書のものが最良だと思う。コンピューター用語が適切に用いられ、術者の精神の働きがとてもわかりやすく書かれている。この「動きを捉える描写」は「キネティック・アーキテクチャー」という耳慣れない概念の説明でも一役買っている。 直訳すれば「動的な建築」となるこの概念は、記憶術的建築を単なる記憶の容れ物のモデルとしてだけではなく、新しい知識を生み出す装置として描くために用いられている。建築や庭園といった舞台を動きまわることで、イメージを記憶したり、さらに配置されたイメージとの関連からまったく新しいイメージを生み出すことが可能となる設計思想からは、精神から建築へのイメージの投射のみならず、建築から精神へという逆方向の投射を読み取れる。人間の動作によって、建築から作用がおこなわれ、また建築に与えられたイメージも変容していくダイナミズムが読み手にも伝わってくるようだ。 本書は、2011年にイタリア語で出版された著書を書き改めたもの。手にとった人の多くがまず、その浩瀚さに驚いてしまうだろうけれど、それだけでなくとても美しい本だと思う。マニエリスム的とさえ感じられる文体によって豊かなイメージを抱か