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アンドリュー・デイビス監督作品『刑事ニコ/法の死角』




刑事ニコ 法の死角
刑事ニコ 法の死角
posted with amazlet at 08.05.11
ワーナー・ホーム・ビデオ (2006-12-08)
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 先日実家の大画面液晶テレビ(世界の亀山なアレ)で日曜洋画劇場を観ていたところ「あれ?セガールってこんなに面白かったっけ??」と思っていたところに、DVDが安く売られているのを発見して購入。スティーヴン・セガールの主演デビュー作。これが大当たりで「セガール強ぇ!!」と独り言ちながら大変面白く観た。最高。


 まず、サントラが80年代感全開のフュージョンなのが良い。今ではとても聴けないようなデジタルシンセの音色に、タイトなリズム・セクション。これをバックにして、セガールが合気道アクションを見せていく……。これはスポーツ観戦をしているときと同じような快感を味わせてくれるシロモノだと思った。サッカーのダイジェストを観ていて、すごいパスが通ったときの背中が痺れるような快感である。素晴らしい。


 物語も細部までよくできている。100分弱という短い尺(しかし、これは個人的に一番好ましい長さである)のなかに、ダイナミックな物語のうねりが詰め込まれていて飽きない。あと、セガール本人の経歴というか、人となりを上手く活かしたシーンがいくつかあり、そこもかなり面白い。NECに勤めてる日本人OLが、実は凄腕のハッカーで彼女と日本語で喋ったりする。セガールの日本語を聞いて、最初誰の声か分からなくなったけど。


 ふと日本人でセガールが嫌いな人間なんかいるのか、などと思う――セガールが好きな人間か、セガールのことなど端からどうでも良いと思っている人間、この2種類しかいないのでは、と。これがアメリカでどういう評価を受けてるのかはよくわからない。しかし、このアクション・スターの登場は「アクション・スター史」において結構革命的な出来事だったのでは、と思ってしまった。


 派手な火薬の爆発があるわけでもなければ、特別な二枚目というわけでもない、しかし、とにかく魅せる。そして映画のなかでの彼の強さにはものすごい説得力がある(シュワルツェネッガーやスタローンほどガチガチの肉体があるわけでもないのに)。これは結構なニューウェーヴだったのではないか、と。「ブルース・リー的なリアル格闘技志向」+「刑事モノ(あるいはスパイモノ)」というプログレなのかもしれないけれど。





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