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5月, 2008の投稿を表示しています

DJ adorno、活動報告

no title  参加された皆様、お疲れ様でした。会場入った瞬間に「あ!これは……もしかして…どアウェーじゃないですか?」と思いましたが、そのとき既に3杯ほど飲んできていたため(出番の前に会場で2杯)、ひるむことなく「イタリアの即興グループの音源(金属質のノイズが延々と入っている)とお経のマッシュアップ」や現代音楽などを垂れ流すことが出来ました。ふと、フロアの方を見ると隅っこのほうでツイスターに興じている皆様の姿を確認でき、個人的には大満足でございます。一瞬だけでしたが、皆様は私に、自分が「大衆に無視されるアウトサイダーアーティスト」であるかのような夢を与えてくださいました。本当にありがとうございました。  反省としては最初、ピーター・ガブリエルとかプリンスとか変態っぽいファンクでジャブを打とうとしたのがそもそもの間違いで、やるなら徹底的に最初からルイジ・ノーノとかかけておけば良かった……ということでしょうか。あと「名盤の類は恥ずかしいから持って行くのやめよう」という考えは正しくも、微妙に間違っていた(なぜなら私にとっての名盤が、皆様にとっての名盤とは限らないから……ゴブリンとか用意しとけば良かったな……)。 ぬ posted with amazlet at 08.05.31 足立智美ロイヤル合唱団 ナヤ・レコーズ (2001-07-01) 売り上げランキング: 157781 Amazon.co.jp で詳細を見る  この日かけた音源の中で、もっとも反応があったのは"決してハモらない合唱団”足立智美ロイヤル合唱団のこのアルバムに収録されている「ゆみこ」という曲。  (Youtubeにもアップされていた。こちらの「ゆみこ」は2008年の改訂版)ここでは言葉が本来の使用用途を離れて、一旦解体され、単なる音の素材として操作されている。しかし、そこで言葉は無意味なものになるわけではない。再構築された言葉は「使用法を誤った、正しくない言葉」という意味を有するようになる。足立智美の合唱作品がもつ衝撃は、単なる音響的なおかしさだけではなく、この言葉の操作によってさらに鋭さを増しているように思われる。  また、「正しくなさ」が誰にでも伝わってしまう、という汎用性の高さも注目すべきところかもしれない。音楽の理論的な「正しさ/正しくなさ」は、音楽に詳しくなければ判断がつか

本日、「Twit And Shout 2」です!

no title  再度告知させていただきます。チャージ・フリー。かつて70年代にキング・クリムゾンがイタリアに赴いた際、「音楽を無料で我らのものに!」と叫びながら左翼青年がライヴ会場へと雪崩れ込んだそうですが、今回のイベントはそういった共産主義的イデオロギーをわざわざもたなくとも大丈夫です(赤い旅団関係者の皆様、お待ちしております)。私こと「DJ adorno」は、本日会社から会場へと直行する予定でございます。何をかけるか、あんまり考えておりませんが既にレコードバッグ……を持っていないので、某セレクトショップの袋に、お経やガムラン、ブラジルのサイケやモーツァルトなど、盛り上げる気力が微塵も感じられない音源を詰め込んであります。むしろ、嫌われるためにDJをしにいく。そういった殺伐とした気持ちで望みます。来場予定の皆様、投石の準備などを忘れずにおこしくださいませ。 《追記》 出番は22:50ぐらいからだそうです。

諸星大二郎『汝、神になれ鬼になれ――諸星大二郎自選短編集 』

汝、神になれ鬼になれ―諸星大二郎自選短編集 (集英社文庫―コミック版) posted with amazlet at 08.05.29 諸星 大二郎 集英社 売り上げランキング: 33632 Amazon.co.jp で詳細を見る  会社帰りにふと漫画が読みたくなったので久しぶりに諸星大二郎の本を買う(ホントは『まんが道』の続きが欲しかったのだけれど、最近、どこにいっても2巻だけない、という事態に遭遇する。トライステロ的な秘密結社による陰謀としか思えない……)。いくつか既に読んだことのある短編が含まれていたが、とても面白く読んだ。 今なお東北に潜む『隠れキリシタン』!彼らが秘かに伝える『闇の聖書』とは!?  巻頭に収録された「生命の木」からしてこんな具合である。最高に胡散臭くて良い。高校時代に国語の先生が古典の時間に「諸星大二郎という漫画家がいてな……。あれぐらいすごい古典の教養がある人はいないと思うんだよな」とブツブツ言っていたのを思い出す。諸星大二郎作品に漂う胡散臭さは、深い教養によってネジれたリアリティとしての裏づけがおこなわれている。だからこそ、読んでいて「気味の悪さ」を感じるのだと思う。  この気味の悪さは、サスペンスや「Jホラー」とは怖さの本質を異にしているように思われる。独特である。「この後どうなっちゃうんだろうか……」とドキドキさせられる(サスペンス)のとも、「うわー、絶対次なんか怖いの来るよ……」とビクビクさせられる(Jホラー)のとも異なった感覚である。なんか背中にヌルヌルした不快なものがくっついてくる感じ。これはちょっとボルヘスの小説を読んでるときの不吉な感じとも似ているのかもしれない。かなり淡々と進む漫画なのに、面白く読めてしまうのはこの不思議な感覚に魅了されているからなのだろう。

ル スコアール管弦楽団第24回演奏会のお知らせ

ル スコアール管弦楽団第24回演奏会 日時:2008年6月29日(日)14:00開演予定 場所:すみだトリフォニーホール 大ホール 曲目: バルトーク/中国の不思議な役人 ドヴォルザーク/交響曲第7番ニ短調 指揮: 橘直貴(第2回バルトーク国際オペラコンクール優勝) 入場料: 全席自由 1,000円 ル スコアール管弦楽団  上記の演奏会に出演いたします(ドヴォルザークの二番ファゴット奏者として)。約4ヶ月の間、毎週日曜日に女の子とデートをするなど我慢して、練習してきたその成果を披露いたします。興味がある方、いらっしゃいましたら、コメント、ブクマ、メールなんでも結構です。ご連絡くださいましたら、無料でチケットをご用意いたします。非モテ、スイーツ、リア充、Perfume……さまざまな論争に巻き込まれ、疲弊しきったアナタからの連絡をお待ちしております。当方、そのような方々のささぐれだった気持ちを癒すような演奏をさせていただきます。よろしくお願いいたします。

Make a Jazz Noise Hereについて

 新しく「Make a Jazz Noise Here」というバンドを組んだので、これまでの活動(スタジオ練習2回)について映像で紹介させていただきます。メンバーは、現在、私(ギター)と会社の同僚(ドラム)のデュオ体制。テクニックを追求するのではなく、サラリーマンの切実さを爆音に乗せてお届けしよう、という大変エモーショナルなインストバンドです。メンバーを随時募集しておりますので興味のある方はご連絡ください(現在、ヴォーカル、ベース、ダンサー、宣教師、葬儀屋、吹石一恵などのパートが空いています)。 「僕ら残業した分、税金で持っていかれてる」 「『社員食堂混みすぎ』とウィリアムズ司教は言った」

《断片――静寂、ディオティーマへ》/《夢見ながら進まねばならない》

Luigi Nono: Fragmente; Hay que caminar posted with amazlet at 08.05.25 Montaigne Naive (2003-11-18) 売り上げランキング: 27636 Amazon.co.jp で詳細を見る  80年代に入ってからのルイジ・ノーノの作品を聴きかえした。演奏は、アルディッティ弦楽四重奏団のもの。このCDには、《断片――静寂、ディオティーマへ》と《夢見ながら進まねばならない》という作品が収録されている。これらの作品では、60年代から70年代にかけての彼の作品に伴っていた雄弁で、怒りに満ちた「悲劇的なテキスト」の発音は存在せず、沈黙のなかで敏感に発せられる音が並んでいる。とても言葉は少ないが、凛々しい音の連なりにはいつも、濃淡だけで描かれる水墨画のような印象を受ける。  これがどのような理論に基づいて書かれているか、これが何を表現した音楽なのか――そういったことについて、私はほぼ何も知らない。ただ、こういった作品は「聴く」という行為をとても注意しておこなわなければならない、ということ感じる。聴く環境は、静かであればあるほど良い。発せられる音を細やかに耳で受け止めていくこと。これはとても気力が必要なことだけれども、こういった生真面目な態度をもたなければ、晩年のノーノ作品における情報の多さ(少ない音の数に込められた、豊潤さ)を汲み取ることはできないのだろう。  そういった意味では、とてもシンプルな作品である。作曲家の晩年(後期の作品)には、「より複雑なものを書いていく」というのと、「よりシンプルなものを書いていく」という2つのタイプがあると思う。前者は、ベートーヴェンなどがまさにそうだったし、シベリウスは後者にわけられるだろう。難解なもの、複雑なものが書ける、ということは素晴らしい。しかし、シンプルなものの無駄の無さも魅力的である。シンプルな分、そこには言葉を寄せ付けない力強さみたいなものを感じる――晩年のノーノは、このシンプルな音の並びによって、意味づけを拒むような音の強度を作り上げることに成功しているように思うのだ。  これらを左翼的な政治性の面から「読んでいく」のは、とても貧しい聴き方なのではないか、と感じる。

DJ adornoのデビューについて

no title  「チャージ・フリー!」というイタリア左翼もびっくりなイベントにDJ adornoとして出演いたします。「何をかけても良い」とのお許しを主催の方からいただきましたので、血も涙も無いような、ダンス不可能な、不協和音満載の、音源を耳から膿が出るほどの音量で垂れ流す予定です。不快な気持ちになりたい、音楽を聴いて吐きたい、生活をしていても絶望しかみえてこない。そういった方々の来場をお待ちいたしております。

現代音楽アーカイヴスを更新しました

現代音楽関連アーカイヴス - 「石版!」  業務多忙のため、なかなか普段の更新ができませんので「現代音楽アーカイヴス」(存在を最近まで忘れていた……)を最新の状態にアップデートいたしました。当ブログに書かれた「現代音楽」に関する記事が、作曲家などの分類でリンクされております。

カール・マルクス『資本論』(二)

資本論 2 (2) (岩波文庫 白 125-2) posted with amazlet at 08.05.11 マルクス 岩波書店 売り上げランキング: 8718 Amazon.co.jp で詳細を見る  完全にぼんやりと読み飛ばしているだけになりつつある資本論マラソンだが、第2巻を読み終える。この巻の内容を超暴力的に要約すると「資本家がどうやって剰余価値を生み出してるかっつーと、労働者を過酷な状況でむちゃくちゃにこき使ってタダ働きとかをさせてるからであーる!」みたいな説明が前半にあり、その後は「どんだけ労働者がしんどい状況にいるか」とか「技術の革新によって、労働者をめぐる環境はどうなるか」みたいな分析が延々と続く……みたいな感じだと思う。  ここで紹介され、分析の対象になっている19世紀半ばのイギリスにおける工場労働者の資料は、なかなか凄みがある内容で大変読み応えがあった。いやー、全然知らなかったけど、ホントにひどいんだねー。12時間労働なんか当たり前で、少年労働者なんか6歳から働き始めたりする(もちろん学校になんかいけない)。劣悪な環境のおかげで、発育が不良になり、著しく平均寿命が下がった地区なんかもあるそう。20世紀生まれで良かったー、などと馬鹿みたいに考えちゃうよね。  しかし、これを読んでて常々感じてしまうのは資本主義の、近代のおぞましさである。「規則緩めて、給料あげてもアホな労働者は酒飲むのに金を使っちゃったりして意味無いじゃん?だから、俺っちはその無駄な労力を吸い上げて有効利用してあげてんのよ」みたいな感じの資本家は、この鬼畜が!(穴を掘って土下座しろ!)って感じだけども、このおぞましい合理性の精神は、我々の現代にも生きているわけである。  「マニュアル化された作業」あるいは「専門性を必要としない仕事」は、主体の入れ替え可能性(今・ここにいるのは<私>でなくても良い)を生み、実存的不安(<私>じゃなくても良いなら、<私>が生きる意味ってなんなの?)を主体に植えつけている……と現代社会を分析している社会学者がいるけれど、これは何も現代に限った話ではなく、19世紀の産業革命直後から入れ替え可能性は見出せる。入れ替え可能性の大きさでいえば、きっと19世紀の方がひどくて、労働者はほとんど使い捨てのパーツのように扱われている。現代において、これが不安を呼び起

クリント・イーストウッド監督作品『許されざる者』

許されざる者 posted with amazlet at 08.05.11 ワーナー・ホーム・ビデオ (2006-10-06) 売り上げランキング: 20644 Amazon.co.jp で詳細を見る  今年の正月に一晩延々とイーストウッド関連作品を放送しているのを実家のテレビで観ていたのだが「DVDが安かった(HMVで1000円ぐらいだった)」という理由だけで再見。この後味の悪さこそ、イーストウッドの作家性なのではなかろうか……と思われるほどダークなラスト・シーンはどんよりとした気分にさせられるのだが、もはやこのどんより感に中毒気味なのかもしれない。  下に書いたエントリの続きみたいになってしまうけれど、とにかくイーストウッドほど映画の中で論理性を欠いた強さを発揮できる役者はいないように思われる。「ブルース・リーは強い(リアル格闘家だから)」、「シュワルツェネッガーは強い(ムキムキだから)」、「セガールは強い(合気道使えるし)」……という具合に、映画のなかのヒーローの強さには少なからず観る者を納得させる理由がある。が、イーストウッドにはそういうものは存在していない。特にこの映画では、馬にも満足に乗れないかなりヨロヨロのオッサンを演じているから尚更である。  にも関わらず、イーストウッドは強い。大体、至近距離で敵が拳銃をぶっ放しても一発も弾が当たらないし、取り囲んだ敵を瞬く間に撃ち殺しちゃったりする。ほとんどありえない、マンガのような強さである。でも、イーストウッドなので、観ている間にはそのありえなさに気がつかない。後になってからふと「いや、ちょっと強すぎるだろ……」と突っ込んでしまう。考えてみると、かなり不思議な俳優だなぁ、とか思う。  この論理性の欠いた強さがすんなり納得されてしまう現象の要因に、イーストウッドの持つ威光ではなく、「拳銃」という暴力の象徴を考えてみてもいいかもしれない。それをコントロールする「凄腕のガンマン」という設定は、役者を一種の超法規的な存在へと祭り上げる……とかそういう。

アンドリュー・デイビス監督作品『刑事ニコ/法の死角』

刑事ニコ 法の死角 posted with amazlet at 08.05.11 ワーナー・ホーム・ビデオ (2006-12-08) 売り上げランキング: 15632 Amazon.co.jp で詳細を見る  先日実家の大画面液晶テレビ(世界の亀山なアレ)で日曜洋画劇場を観ていたところ「あれ?セガールってこんなに面白かったっけ??」と思っていたところに、DVDが安く売られているのを発見して購入。スティーヴン・セガールの主演デビュー作。これが大当たりで「セガール強ぇ!!」と独り言ちながら大変面白く観た。最高。  まず、サントラが80年代感全開のフュージョンなのが良い。今ではとても聴けないようなデジタルシンセの音色に、タイトなリズム・セクション。これをバックにして、セガールが合気道アクションを見せていく……。これはスポーツ観戦をしているときと同じような快感を味わせてくれるシロモノだと思った。サッカーのダイジェストを観ていて、すごいパスが通ったときの背中が痺れるような快感である。素晴らしい。  物語も細部までよくできている。100分弱という短い尺(しかし、これは個人的に一番好ましい長さである)のなかに、ダイナミックな物語のうねりが詰め込まれていて飽きない。あと、セガール本人の経歴というか、人となりを上手く活かしたシーンがいくつかあり、そこもかなり面白い。NECに勤めてる日本人OLが、実は凄腕のハッカーで彼女と日本語で喋ったりする。セガールの日本語を聞いて、最初誰の声か分からなくなったけど。  ふと日本人でセガールが嫌いな人間なんかいるのか、などと思う――セガールが好きな人間か、セガールのことなど端からどうでも良いと思っている人間、この2種類しかいないのでは、と。これがアメリカでどういう評価を受けてるのかはよくわからない。しかし、このアクション・スターの登場は「アクション・スター史」において結構革命的な出来事だったのでは、と思ってしまった。  派手な火薬の爆発があるわけでもなければ、特別な二枚目というわけでもない、しかし、とにかく魅せる。そして映画のなかでの彼の強さにはものすごい説得力がある(シュワルツェネッガーやスタローンほどガチガチの肉体があるわけでもないのに)。これは結構なニューウェーヴだったのではないか、と。「ブルース・リー的なリアル格闘技志向」+「刑事モノ(あ

クリント・イーストウッド監督作品『硫黄島からの手紙』

硫黄島からの手紙 posted with amazlet at 08.05.10 ワーナー・ホーム・ビデオ (2007-12-07) 売り上げランキング: 1418 Amazon.co.jp で詳細を見る  『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』のどちらが良く思えるか、というのは完全に趣味の範囲の話だけれど、映画としての分かりやすさとか上手くできている感じは断然こちらの『硫黄島からの手紙』だったと言えると思う。どちらも文句のつけようが無い傑作で「どうやったらこんなにポンポンすごい映画を続けて作れるんだ!」と唸らざるをえないが、前者が徹底したアンチヒロイズムを映画のなかに敷衍しているのに対して、後者は渡辺謙演じる栗林中将を中心とした正攻法のヒーロー映画として撮られている。だから、後者に分があるように感じられるのは自然である、と思う。しかし、イーストウッドって映画の外でも中でも超人じみているな……。  面白いのは二宮和也の存在感だった。ジャニタレが映画に出ると「演技がヘタ!」とか酷評されるけど、この映画での二宮の演技もそういう評価をされても仕方が無いものだったと思う(周りに上手い役者がいるので、余計それが目立ってしまう。とくに加瀬亮がすごい……)。  冒頭からひとりだけヘラヘラしていて、その軽さがむちゃくちゃに浮いている。テレビを観ないのでそんなに知らないけれど、バラエティ番組に出てるノリのままで出演している感じさえする。でも、その浮き方が観ていて本当に面白かったのだった。周りが「フィクション」に馴染んでいる(現実的にはありえないけれど、フィクションのなかでは生き生きしている、ような)のに、二宮ひとりだけが「現実っぽい」(それはフィクションのなかで映えない)という映画のキズがこの映画のなかで描かれた問題を、現実へと地続きなものとさせているような感じもする。 『木村拓哉が見事に貧乏武士を演じている』っていう評価を聞いたコトもあるけど、それはちょっと違うよなぁ・・・と思ったっす。木村拓哉が演じる人物は、自分の仕事について非常に客観視をしていて、自分の仕事にバカらしささえ感じているし、本当は剣術道場を開きたいと思っている。しかも、侍の子だけでなく、農民の子も町民の子も分け隔てなく、その上、お仕着せの型にはまった教え方ではなく、一人一人の個性にあった教え方をしたいとまで考

タケミツとケージのない12の現代音楽

タケミツとケージのない12の現代音楽  こういうのもあったら良いかな、とおもったので作ってみました。「タケミツとケージをいれない」を唯一のテーマに編んだ現代音楽コンピレーション。気に入ったものがあれば、ぜひ、CDを買って聴きこんでください(怒られたら削除します)。  これを作ってて気がついたけれど、ウチにはトータル・セリエリスム以降の作曲家のCDが極端に少ない。これは怠慢であると猛省し、近々ファーニホゥ、ラッヘンマンの音源を買い込んで聴いていこう、と思いました。  現代音楽といえば、ツィンマーマンの歌劇《軍人たち》の日本初演がありましたが結局見逃してしまった……。 Classics posted with amazlet at 08.05.10 Bang On A Can Cantaloupe (2002-10-04) 売り上げランキング: 25445 Amazon.co.jp で詳細を見る Scelsi, Zender: Orchestral Works posted with amazlet at 08.05.10 Scelsi Zender CPO (2000-04-01) 売り上げランキング: 57238 Amazon.co.jp で詳細を見る Luigi Dallapiccola: Sonatina canonica; Tartiniana seconda; Due Studi; Quaderno musicale di Annalibera posted with amazlet at 08.05.10 Naxos (2005-09-20) 売り上げランキング: 76684 Amazon.co.jp で詳細を見る Gubaidulina: Seven Words; Silenzio; In Croce posted with amazlet at 08.05.10 Naxos (1996-02-20) 売り上げランキング: 52434 Amazon.co.jp で詳細を見る Boulez: The Three Piano Sonatas posted with amazlet at 08.05.10 Deutsche Grammophon (2005-02-08) 売り上げランキング: 31936 Amazon.co.jp で詳細を見る 中ザワ

はてな素敵な48歳おめでとう出し

 バンドのメンバーが48歳になったのでお祝いをしました。このファッション・リーダーっぷり、どうよ!  ミッシェル・ポルナレフみたい。おめでとうございました。 シェリーに口づけ~ベスト posted with amazlet at 08.05.10 ミッシェル・ポルナレフ ポリドール (2000-04-26) 売り上げランキング: 62993 Amazon.co.jp で詳細を見る

Gildas & Masaya『Paris』

パリ posted with amazlet at 08.05.09 ジルダ&マサヤ(キツネ) カザルス メイク・モデル ゴシップ リトル・ブーツ テッド&フレンシス クロメオ デジタリズム Pヴァイン・レコード (2008-05-02) 売り上げランキング: 1987 Amazon.co.jp で詳細を見る  ジルダ&マサヤの新譜も買ったのだった。昨年、国技館で行われたイベント「CONNECT '07」に出演した際に観てからガッツリ心を掴まれたのだけれど、このMIX CDも相当に良い。ものすごいクールなセンスが漂っているにも関わらず、ガンガンに踊れて、しかもロック。オシャレ感が萎びたチルアウトに向かわず、思いっきり躍動しているところに痺れる。良いよ、これ。「クラブ・ミュージック」っていうよりは「ディスコ・サウンド」っていうか、全体を貫いてる華やかなポップさ加減がむちゃくちゃ病み付きになる。できるだけ大きな音で聴きたい。毎朝これを聴いて会社に行っています。  WOMBに出演したのを見逃したのが、ちょっと心残りだ……。

Madonna『Hard Candy』

Hard Candy posted with amazlet at 08.05.08 Madonna Warner Bros. (2008-04-28) 売り上げランキング: 11 Amazon.co.jp で詳細を見る  今年50歳になるマドンナの新譜を買った。この歳で、このジャケ写、このやる気。なんだか神々しいというか、ありがたいものを見ているような気分にさせられる。どうでも良いけど、この写真のマドンナは見れば見るほどデヴィッド・ボウイに見えてくる。  アルバムの内容は、堅実そのもの。外れのない人選による外れのない楽曲群が収録されており、もはや王道過ぎて残念なぐらいなのだが、シングル曲の「4 Minutes」(ジャスティン・ティンバーレイクと共演)は文句なしにカッコ良い。PVも最高。  デカいアメ車、脱衣、ブロンド……大正解連発な肉体的エロス。毎日観てたら胃もたれするだろうけれど、時折こういったガイジン的/黒船的なエロが恋しくなります。

クリント・イーストウッド監督作品『父親たちの星条旗』

父親たちの星条旗 posted with amazlet at 08.05.06 ワーナー・ホーム・ビデオ (2007-12-07) 売り上げランキング: 3004 Amazon.co.jp で詳細を見る  ゴールデンウィークの締めくくりに『父親たちの星条旗』を観る。イーストウッドが出演していない彼の監督作品を観るのは実のところ初めてだったのだけれど、言うまでもなく大傑作。ホントにすごい映画に出来上がっている。「戦争は悲惨だ」、「戦争はダメ、絶対」というメッセージを伝えるところに留まらず、痛烈かつダークなマスメディア批判を含む問題作であると思う。こんな映画を、アメリカの、映画界(というメディア)にいる人間が撮ったのはひとつの事件として認識されても良い。  映画は「硫黄島で戦った兵士が英雄に祭り上げられ、戦時国債のキャンペーンのために偶像のように利用される」というストーリーを大きな核として進んでいく。ここで描かれる「マスメディアの権力をめぐる問題」は、吉田喜重『血は渇いている』と共有されたものだと言っても良いだろう。  効果的なのは「戦場という現実」と「マスメディアが用意した現実」との格差だ。戦場を離れキャンペーンに利用される兵士たちは、スタジアムや講堂、パーティ会場のなかに登場する。その場はとても華々しく、常にブラスバンドやジャズ・バンドの音楽によって彩られる。そこで彼らは英雄として登場する。しかし、彼らがいた戦場の回想シーンには、そのような華々しさなどこれっぽっちも存在していない。大砲が発射される音がする。着弾の音がする。砂が舞い上がる。兵士が死ぬ。この一連の流れが、延々と繰り返されるだけである。兵士たちは言葉もなく、静かに死んでいく。  このコントラストはかなり衝撃的で、観ていてちょっとつらくなるぐらいなのだが、権力のおぞましさの掘り出し方(テーマの内容とともに、その方法の鮮やかさ)に頭の裏側をガツンと殴られるような気分になった。  それからこの映画にイーストウッド本人が出ていたら、エンターテイメント性は格段にひきあがるのだろうけれど、ここまですごいと思わせる映画になっていなかっただろうな、とも思った。中盤ぐらいまで誰が誰だか見分けがつかないぐらいのキャスティング(ホントに『プライベート・ライアン』に出てたバリー・ペッパーと、インディアン出身の兵士役のアダム・

MUXTAPE(誰が喜ぶんだ編)と解説

「石版!」MUXTAPE(誰が喜ぶんだ編)  MUXTAPEというかなりの勢いでブラックなサービスが流行っている、というので私も早速作ってみました。せっかくなので、誰もアップしてなさそなものや、なんだかよく分からない音源を厳選し、アップロード。インターネット環境が多様なものとなるようにエントロピー増大へと参画するのもこういったサービスの正しい使用法かと思われます。  さすがにわけわかんない音源が多すぎるので、一応解説をいれておきます。 Albert Ayler Trio「Ghosts: First Variation」  厳選してたら12曲もアップできなかったため、間に合わせで入れました。心のベスト10第1位なフリー・ジャズ。 FUTURE「KOKUBUNCHOU」  仙台で活動中のノイズファンクバンド、-W-(ワイキキチャンピオンズ)のヴォーカル、FUTUREのソロ名義でのデモ音源。「国分町(仙台の繁華街)で喧嘩する黒服連中のマネ」+「SUICIDEみたいなシンセ」がキレまくっている。 MAGMA「The Last Seven Minutes」  フランスのプログレバンド、MAGMAのブート盤より(1979年のライヴ)。ソウルフルなコバイア語が、手数の多いドラムと絡みあう様が壮絶。 Mani Neumeier「Agung」  変態ドラマー、マニ・ノイマーとなんとかっていうドラマーのデュオ・ライヴ盤より。すごくインチキなガムラン。 Nimbus「Benches」  よくわからない北欧のフリー・ジャズ。 Mustafa Ozkent「Karadir Kara」  トルコかどこかのギタリストの音源。この曲を収録している「Genclik Ile Elele」というアルバムは、ファンクでモンドな名盤として有名らしい。脱力感が最高。 Karpat Mobius「Halaltanc / Europa vajudasa」  これもよくわかんないけど、東欧のトラディッショナルな舞踏音楽を、パーカッションとエレキギターのデュオで再現する……という謎のユニット。ギターの旋律はメタルっぽくもあるのだけれど、音色がコーラスかけまくってる感じなので80年代のロバート・フリップっぽくもある。 Thurston Moore「Lonesome」  全編、みなぎる感じでノイズ。 Pekka Pohj

ポール・ブレイ&富樫雅彦『エコー』

エコー posted with amazlet at 08.05.06 ポール・ブレイ ソニーレコード (1999-12-01) 売り上げランキング: 400487 Amazon.co.jp で詳細を見る  1999年に発表されたポール・ブレイと富樫雅彦という稀代のインプロヴァイザーによるデュオ・アルバムである。私が高校の頃(キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』ぐらいしかジャズ・ピアニストの演奏を聴いたことがなかったとき)、偶然手にしたのがこのアルバム。これがフリー・ジャズとの運命的な出会いを……という話はなく、延々と続く「どフリー」な演奏にジャズって難しいんだなぁ、と思って放置。それを実家の自分の部屋に置いてあったダンボール箱のなかから発掘したので聴いてみたら、むちゃくちゃ良かった。  日本の(伝説的)フリー・ジャズについては、物騒なイメージとか情念じみてる感じがあって敬遠してるところがある。富樫雅彦もそういうわけで「すごそうだけど、一生ハマったりしないんだろうな」という感じでいたんだけど、このアルバムからならすんなり聴けそうな気がしてきた。ポール・ブレイのメロディアスな即興(静謐なパートと、激しいパートをいったりきたりする)に対して、富樫のドラムが緻密に応答していくところが素晴らしい。すごい緊張感。ひとつひとつの音が、高速に回転する思考のなかから出てきているような凄みがある。  高校の頃の自分のセレクトが、5年以上経ってからヒットしてくるとは……と驚きつつ、昨年ぐらいから「あまり持続しない音が密度が低く並んでる感じの即興演奏」が自分のなかでキテるかも……と思った。そろそろ、ベイリーあたりを本格的に掘り下げていく時期なのかも。

経済システムのサブシステムとしての……

中原昌也『中原昌也作業日誌2004-2007』 - 「石版!」  こちらのエントリのコメント欄が長くなってきたので新たなエントリに書き起こす。まず、 id:noflyingcircus さんへの返信から。noflyingcircusさんは「Geheimagentさんの場合は、そこでクラシックは独立し至高のものとなっているのか?全体を宝玉混合を楽しんでいるのか?にとって私の筆の滑らせ方が変わってくるのですが(どのアニメは認めているか?によっても複雑になってくるし)」という問いかけをされている。  これに対して(ここでの『独立』とは、おそらく『経済システムからの独立』を意味しているように思われる)。私の立場を単純に説明させていただくならば、おそらく前者に近いところにいる。クラシックというジャンルに限らないし、音楽にだけではなく小説でも、アニメでも、マンガでも、あらゆる「作品の鑑賞」において、私は「経済システム云々」といった作品の外部にあるものを考慮しない(つもり)でいる。  そうであるなら、なぜ「芸術システムの経済システムのサブシステム化」を問題としなくてはならないのか。しかし、これを説明する前に、この見慣れない言葉――「芸術システムの経済システムのサブシステム化」――が何を指し示すのかを説明しておいたほうが良いかもしれない。  (前エントリのコメント欄でも書いているが)この現象の分かりやすい例をあげると「売れないものは切り捨て」または「売れるものしか市場に出さない」ということになる。芸術システムと経済システムの関係性が、後者にとってあまりに優位なものとなり、前者が後者のサブシステムとして機能するようになった場合、これらは自明な結果として現れる。経済システムの目的――「より多くの利益をあげること」――にそぐわないものは、システム内で行われるおこなわれない。  本来であれば「経済システムの芸術システムのサブシステム化」という真逆の現象もおこらなくてはいけない(いまいち『芸術システムの目的が何なのか』については言い切ることができないけれども)。しかし、経済システムがあまりに強すぎるため、その逆転はおこらない。付記するならば、これは芸術システムにおいて感じられる傾向ではなく、社会におけるほかのシステムにおいても感じられる(例えば、報道システム。もはやどこにもジャーナリズムは存

リチャード・ブローティガン『芝生の復讐』

芝生の復讐 (新潮文庫 フ 20-3) posted with amazlet at 08.05.03 リチャード・ブローティガン 新潮社 売り上げランキング: 13191 Amazon.co.jp で詳細を見る  新潮文庫、4月の新刊。相変わらず、ブローティガンの作品には肌があわない感じを抱きがちである。この、どこかほのぐらいような、けだるいようなユーモアがきらめく白昼夢的世界に落ち着ける日が訪れるのだろうか……と彼の作品に触れるたびに思う。物語性を排した、散文詩のような短編小説のなかで言葉が飛び跳ねているところは魅力的に感じるのだが、どうも居心地が悪い。 わたしの祖母は、彼女なりに、波乱のアメリカ史に狼煙のごとく光を放つ存在である。  しかし、この一文だけでも、この苦手な作家(『西瓜糖の日々』、『アメリカの鱒釣り』を読んで、発覚した)の本をレジまで持っていくには充分な理由になる。こういうセンスの素晴らしさには、素直に憧れてしまうなぁ。

中原昌也『中原昌也作業日誌2004-2007』

中原昌也 作業日誌 2004→2007 posted with amazlet at 08.04.24 中原 昌也 boid 売り上げランキング: 965 Amazon.co.jp で詳細を見る  読了。最初から最後までとても面白く読みました。もはや病的ともいえる怒涛の量の買物量(書籍・CD・DVD)の記録はもちろん、やはり自分のリアルライフと重なりあう部分が書かれているのが面白い。2004年から2007年の9月までの間に、どのようなイベントがあったか、どのような映画が公開されたか、どのような人物が亡くなったか……etcを知ることもできる貴重なドキュメントでもありました。この日記を読んでいて、シド・バレットが亡くなったのが2006年だということや、去年は山口小夜子が亡くなったよな……ということを思い出しました。  中原昌也の趣味が現代音楽もカバーしていることをこの本で初めて知りました。ブーレーズ、シュトックハウゼン、クセナキス、ノーノといったメジャーどころ(?)はもちろん、マウリシオ・カーゲルなど割と地味な部類にも手を出しているのには感心してしまいす。ノイズもそうだけれど、ちゃんとこういう音楽のCDにお金を払っているのが偉い!――完璧にわけのわからないものにお金を費やす、これを豊かな行為と言わずしてなんと言えましょうか。未知のもの/理解不能なものに対して身銭を切って触れようとする貪欲さは個人的に見習っていきたいものだと思います。