スキップしてメイン コンテンツに移動

アファナシエフはいつのまにスターになったのか?




ムック Piano&Pianist 2008 ピアノ&ピアニスト 2008 (ONTOMO MOOK)
音楽之友社
音楽之友社 (2007/12/15)
売り上げランキング: 135949



 2008年になってもクラシック・ブームの余韻みたいなものがあるのか、書店でクラシック関連の本が目に付く。音楽の友社からはピアニストに関する記事だけを集めたムックが出ている。これはパラパラ立ち読みしただけだが、チケット発売直後にソールドアウトしてしまうような大御所&人気ピアニスト(ポリーニとかアルゲリッチとか)だけでなく、故人である古いピアニスト(一番古い人でブゾーニやラフマニノフの名前がある!)や情報が入ってきづらい若手ピアニストの情報まで網羅したなかなか読み応えがあるムックだった。また、先日新幹線に載っている間の暇つぶしに『Esquire』を買ったのだが、それにも「ピアノ音楽」の特集が組まれることが予告されていた。やはり「のだめ効果」なんだろうか。


 そんななか気になったのはワーレリー・アファナシエフというピアニストの扱いについてである。音友のムックでも最初のほうに取り上げられているし(もっともこの本はピアニストがアルファベット順に並んでるからだったりするのだが)、『Esquire』の次号予告にも彼の名が載っている。何年も彼の音楽に触れてきた立場の人間としては「これはどうしたことだろう?!」と不思議に思わざるを得ない現象だった。アファナシエフといえば「クラシック界のカルト・ヒーロー」みたいな存在だったのに……。



鬼才アファナシエフの軌跡9 リスト:ピアノ・ソナタ
アファナシエフ(ヴァレリー) ショパン
コロムビアミュージックエンタテインメント (2005/10/19)
売り上げランキング: 17485



 アファナシエフはこれまでほとんど異端者扱いされてきたピアニストである。ピアノを真面目に弾いていたことがある人に限ってグールドの演奏がダメだったりする傾向があるが、おそらくアファナシエフについても同様の傾向が認められよう。異常なテンポの遅さ。この個性が、このピアニストが正統派志向からの受容されることを妨げているように思う。


 これについて彼自身は「自分の音を聴いていると、テンポが遅くなってしまうのだ。それは私にとって自然なことなのだ」と語っているのだが、演奏者以外の聴き手からすれば自然ではない。特にリストのピアノ・ソナタ。普通30分程度で演奏されるこの曲が、40分以上かけて演奏される。これは音を意識させる、というよりも音と次の音の間にある沈黙を意識させるような演奏である(ちなみにこの曲でもっとも速い演奏とされているのがアルゲリッチの録音で、彼女は約27分で演奏してしまう)。


 技巧的にもそこまで特別優れているわけではない。よく聴くと速いパッセージや激しい跳躍がある箇所で、あきらかにアコーギクとは思えないタッチのバラつきがある(これもピアニスト的聴衆から敬遠される要因だろう)。それでもなお、彼が「鬼才」としてカルト的人気を博していたのには、演奏の強い物語性があったと思う。これはむしろ音楽的センスというより、文学的センスによって読まれるべき要素である。



鬼才アファナシエフの軌跡2 アファナシエフ・プレイズ・モーツァルト
アファナシエフ(ヴァレリー) モーツァルト
コロムビアミュージックエンタテインメント (2005/10/19)
売り上げランキング: 7941



 何より興味深いのは、彼の「誤読」とも呼べそうな音楽/作曲家解釈だ。アファナシエフは、ブラームスの、リストの、モーツァルトの楽譜から「作曲家」を読もうとしない。彼が読み、そしてあらたに描く物語が、ほかの演奏家が描くそれとはまったくことなっていることは演奏をジャケット写真にも現れているように思う。このジャケットで誰がモーツァルトのCDだと想像できるだろうか?


 一言で言えば「変人」である。その彼が、ハードコアなクラシック音楽雑誌の小さな記事ではないところで扱われていることに、やはり驚きを隠せない。これは喜ぶべき事態なんだろうか。毎年のようにちゃんと来日してくれるピアニストなので、そういう地道な活動が実った成果なのかもしれない。どうせなら、同じく「鬼才」であるアナトール・ウゴルスキにもスポットを当ててほしいとか思ってしまうが(こういうのはオタク的なわがままだ、ともいえる)。



D


(Youtubeで見つけたアファナシエフの演奏。これは結構普通の演奏)





コメント

このブログの人気の投稿

石野卓球・野田努 『テクノボン』

テクノボン posted with amazlet at 11.05.05 石野 卓球 野田 努 JICC出版局 売り上げランキング: 100028 Amazon.co.jp で詳細を見る 石野卓球と野田努による対談形式で編まれたテクノ史。石野卓球の名前を見た瞬間、「あ、ふざけた本ですか」と勘ぐったのだが意外や意外、これが大名著であって驚いた。部分的にはまるでギリシャ哲学の対話篇のごとき深さ。出版年は1993年とかなり古い本ではあるが未だに読む価値を感じる本だった。といっても私はクラブ・ミュージックに対してほとんど門外漢と言っても良い。それだけにテクノについて語られた時に、ゴッド・ファーザー的な存在としてカールハインツ・シュトックハウゼンや、クラフトワークが置かれるのに違和感を感じていた。シュトックハウゼンもクラフトワークも「テクノ」として紹介されて聴いた音楽とまるで違ったものだったから。 本書はこうした疑問にも応えてくれるものだし、また、テクノとテクノ・ポップの距離についても教えてくれる。そもそも、テクノという言葉が広く流通する以前からリアルタイムでこの音楽を聴いてきた2人の語りに魅力がある。テクノ史もやや複雑で、電子音楽の流れを組むものや、パンクやニューウェーヴといったムーヴメントのなかから生まれたもの、あるいはデトロイトのように特殊な社会状況から生まれたものもある。こうした複数の流れの見通しが立つのはリスナーとしてありがたい。 それに今日ではYoutubeという《サブテクスト》がある。『テクノボン』を片手に検索をかけていくと、どんどん世界が広がっていくのが楽しかった。なかでも衝撃的だったのはDAF。リエゾン・ダンジュルースが大好きな私であるから、これがハマるのは当然な気もするけれど、今すぐ中古盤屋とかに駆け込みたくなる衝動に駆られる音。私の耳は、最近の音楽にはまったくハマれない可哀想な耳になってしまったようなので、こうした方面に新たなステップを踏み出して行きたくなる。 あと、カール・クレイグって名前だけは聞いたことあったけど、超カッコ良い~、と思った。学生時代、ニューウェーヴ大好きなヤツは周りにいたけれど、こういうのを聴いている人はいなかった。そういう友人と出会ってたら、今とは随分聴いている音楽が違っただろうなぁ、というほどに、カール・クレイグの音は自分のツ

2011年7月17日に開催されるクラブイベント「現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」のフライヤーができました

フライヤーは ナナタさん に依頼しました。来月、都内の現代音楽関連のイベントで配ったりすると思います。もらってあげてください。 イベント詳細「夜の現代音楽講習会 今夜はまるごとシュトックハウゼン」

桑木野幸司 『叡智の建築家: 記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市』

叡智の建築家―記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市 posted with amazlet at 14.07.30 桑木野 幸司 中央公論美術出版 売り上げランキング: 1,115,473 Amazon.co.jpで詳細を見る 本書が取り扱っているのは、古代ギリシアの時代から知識人のあいだで体系化されてきた古典的記憶術と、その記憶術に活用された建築の歴史分析だ。古典的記憶術において、記憶の受け皿である精神は建築の形でモデル化されていた。たとえば、あるルールに従って、精神のなかに区画を作り、秩序立ててイメージを配置する。術者はそのイメージを取り出す際には、あたかも精神のなかの建築物をめぐることによって、想起がおこなわれた。古典的記憶術が活躍した時代のある種の建築物は、この建築的精神の理想的モデルを現実化したものとして設計され、知識人に活用されていた。 こうした記憶術と建築との関連をあつかった類書は少なくない(わたしが読んだものを文末にリスト化した)。しかし、わたしが読んだかぎり、記憶術の精神モデルに関する日本語による記述は、本書のものが最良だと思う。コンピューター用語が適切に用いられ、術者の精神の働きがとてもわかりやすく書かれている。この「動きを捉える描写」は「キネティック・アーキテクチャー」という耳慣れない概念の説明でも一役買っている。 直訳すれば「動的な建築」となるこの概念は、記憶術的建築を単なる記憶の容れ物のモデルとしてだけではなく、新しい知識を生み出す装置として描くために用いられている。建築や庭園といった舞台を動きまわることで、イメージを記憶したり、さらに配置されたイメージとの関連からまったく新しいイメージを生み出すことが可能となる設計思想からは、精神から建築へのイメージの投射のみならず、建築から精神へという逆方向の投射を読み取れる。人間の動作によって、建築から作用がおこなわれ、また建築に与えられたイメージも変容していくダイナミズムが読み手にも伝わってくるようだ。 本書は、2011年にイタリア語で出版された著書を書き改めたもの。手にとった人の多くがまず、その浩瀚さに驚いてしまうだろうけれど、それだけでなくとても美しい本だと思う。マニエリスム的とさえ感じられる文体によって豊かなイメージを抱か