「アフィニス・サウンド・レポート」第35号配布開始

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「アフィニス・サウンド・レポートNo.35」


 先日紹介いたしましたアフィニス文化財団の“音による機関誌”、「アフィニス・サウンド・レポート」の最新号の配布がはじまっています。今回は今年の夏に開催された「『アフィニス夏の音楽祭』の特集」とのこと。収録曲は……



R.シュトラウス:歌劇《カプリチオ》前奏曲(P.チャバ編曲・弦楽合奏版)


セルヴァンスキー:木管五重奏曲 第1番


エルガー:弦楽セレナード ホ短調 op.20


R.シュトラウス:ソナチネ 第1番 ヘ長調《傷病兵の仕事場より》第3楽章


ドヴォルザーク:チェコ組曲 ニ長調 op.39,B.93



……とかなり渋いラインナップ。セルヴァンスキーという作曲家はバルトークの弟子だったハンガリーの作曲家らしい(ネットにも全然情報がない……)。エルガーの「弦セレ」が唯一メジャーどころでしょうか。





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福田和也『奇妙な廃墟――フランスにおける反近代主義の系譜とコラボラトゥール』

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 id:la-danseさんよりお借りした本。「アドルノやデリダが共通して直面していた問題がなんなのかわかると思う」とのことだったのだが、その意図が直球で伝わりました。アドルノ的な問題圏のなかで本を読み進めていたのですが、この著作のなかで取り上げられているフランスの反近代主義者が敵対する近代主義、あるいはその特徴でもあるヒューマニズムが孕んだ問題は、アドルノ-ホルクハイマーが繰り返し指摘した近代批判そして同一化批判と通ずる部分があるように思います――「人類はみな兄弟である」、「人類はみな平等である」というようなスローガンが、個人と個人、社会と社会、人種と人種の間にある差異を駆逐していく……そのような暴力/不実を彼らは告発しているところとか。私はこの本を読んで、アドルノが「いかに危険であるか」について漸く理解できたように思います(良い勉強をさせていただき、本当にありがとうございました)。


 と、ここまでは私信的なご報告。簡単な感想も書いておきます。本の内容については以下にアマゾンに掲載されている紹介文を引用。



祖国を売り、ナチズムに加担する文学を作ってきたことでフランス文学史上、数々の伝説や悪名で彩られてきたコラボラトゥールの作家たち。しかしヒューマニズムに抗して闘ったその思想はパウンド、ブランショなど20世紀の知性に大きな影響を与えた。19世紀の反近代主義者の思想や手法から始まり、中心的な運動を担ったドリュ・ラ・ロッシェル、ブラジヤック、ルバテら、戦後における継承者ニミエにいたるまで、統一した視点からファシズムと文学・思想を検証し、近代フランスの歴史観に挑戦する渾身の処女作。



 フランス革命以降の近代フランス史でありながら、作家の評伝も兼ね、そして作品論も同時に展開しながら、思想の分析が挟まれる……という異常な密度。過去20年間に出された文芸評論のなかでも最大の名著、と位置づけられる作品だそうですが、普段文芸評論などまったく読まない私でも小説以上に興奮させられるような驚異的に内容の濃い本でありました。しかし、絶版。昨日チェックしたときは、990円でユーズド出てたのに……(買っておけば良かった……)。





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最近こんなものも買いました

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Yun: Complete Symphonies
Yun: Complete Symphonies
posted with amazlet on 07.12.24
Isang Yun
CPO (2003/02/01)
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 朝鮮出身の作曲家、尹伊桑(ユン・イサン)の「交響曲全集+管弦楽作品集(4枚組)」(この作曲家についてはこちらのエントリでも少し取り上げています)。さすがにボリュームが多いのでちょっとずつ聴いているところですが、素晴らしい。アジアとヨーロッパを最も上手く接続した「東洋一の交響曲作家」と呼びたくなる作品群です。ネットにあんまり情報もないので、(無駄な使命感を帯びつつ)これはそのうち一曲一曲紹介していきたい、と思います。「20世紀にここまで古典的な美しい響きをもった作品を書くことが可能だったのか!」と一人で驚いているところです。


 あとブリリアントから出てるメシアンのオルガン曲全集(8枚組)も買いました。こちらはまだ手付かず。聴き終わるのに半年以上かかりそう。





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菊地成孔ダブ・セクステット『The Revolution Will Not Be Computerized』

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The revolution will not be computerized
Naruyoshi Kikuchi Dub Sextet
ewe records (2007/12/19)
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俺はニュー・ペインティングつまり新具象みたいな感じというか、抽象を描くのではなく、「花が描いてあります」とか「裸の女が描いてあります」とかはっきりと誰にでもわかるものが描いてあるんだけれど、「花はきれいだ」というような解釈が全く不全で統一できない、解釈が拡散していくような新しい具象に向かって行きたい。(中略)……誰が聴いてもやりたいことがわかるけど乾燥があまりにバラバラ、というようなことができたらいいと思っている*1



 近年の菊地成孔の作品を聴くたびに思い出すのは上に引用した菊地の発言である(大谷能生、大友良英との鼎談)。彼の音楽は、ひとつのはっきりしたテキストから読みの可能性が過剰となって現れるような方向へと確実に向かっている。それについて、我々は、解散したDCPRGのラスト・アルバムが、極度に抽象的で、かつ全体の把握が困難な複雑な構造を持っていながらも「どう聴いてもファンク」、もう少し広く捉えるならば「どう聴いてもダンスミュージック」であったことや、菊地成孔名義で発表された『南米のエリザベステイラー』以降の作品が一貫して「(いかがわしい)夜の音楽」といったムードを纏っていることを考えるだけで良い。

 今回の新譜、菊地成孔クインテットライブダブを解散*2し、新たに結成された菊地成孔ダブ・セクステットのアルバム『The Revolution Will Not Be Computerized』も「解釈の過剰」へと向かう新たな一歩であるように思う――音響処理と編集の連続加えられていようが「これは誰が聴いてもジャズだ」と断言できる内容である(特にアルバム一曲目、冒頭の不穏さからサックスとトランペットによるリフによって「ジャズ的なムード」へと引っ張っていく力強さは最高だ)。迷うことはない。「とりあえず」このCDはCD棚のジャズ・コーナーにしまっておけばよろしい。


 また、このようにはっきりと音楽に「ジャズ」という文字が刻まれているのにもかかわらず、様々な読みが可能である点もこれまでの路線を踏襲していると言えよう。読み手がどのような読解コードを持った読み手であるかによって、読みの可能性がどのように展開されるかは左右される。そのため「正しいひとつの読み」などというものはそもそもどんなものについてであれ存在していない。しかし、菊地が他と異なるのは「このジャズ」という文字に含まれる情報量が極めて多いために、その可能性を大きく広げているように思う。そして、彼の音楽は解釈可能性と不可能性の境界線ギリギリの地点から聴こえてくる――その音は、マイルス・デイヴィスの、クラブ・ジャズの、夜の、ダンス・ミュージックの……記号であるように読める。


 しかし、このように読めてしまえば読めてしまうだけ、この音楽が「新しくない」ということが明らかになっていく、という点も忘れてはならない――様々な記号として音楽を認知できるということが「既にそれが知られた存在である」ということを証明している(本当に新しい/未知の音楽であるならば、それは『ジャズ』とすら呼べないはずだ)。様々な読みの可能性を含み、そして様々な解釈の型をはめられる音楽は一見目新しいもののように思える……が、実は、過去にあった音楽の記号の/集合に過ぎない。


 このとき、音楽は近代的芸術人が取り組むような「創造」からではなく、記号の組み合わせによってパズルのように製作される「遊戯」からの産物と化している――もちろん、これは戦略なのだろう(この戦略すらも、アルフレート・シュニトケやドミトリ・ショスタコーヴィチ、そしてルチアーノ・ベリオといった作曲家が行った戦略と重なって見えるのであるが……)。そして、ここから窺い知れるのは「新しい音楽への断念」である。このジャズが「ジャズが死んだ後のジャズ」、あるいは「神なき時代におけるジャズ」のように読めてしまうのも、そのせいかもしれない。


……以上は批判を全く意図しておらず、そして大部分が過剰に「批評ぶったインチキ」として書かれている。一言で本音を書いておくと「今年出た日本人アーティストのアルバムで一番カッコ良い」という感じである。全編に“ミステリオーソ”な雰囲気が漂っているのだが、ラストに収録された坪口の分かりやすい変拍子系のダンサブルな曲が綺麗に締めていて、そのコントラストが素晴らしかった。




*1:ユリイカ2005年3月号「ポスト・ノイズ」特集より


*2:予定





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いろんなビールを飲んでみたよ報告

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世界ビール大全―1700種以上を全試飲★評価
マイケル・ジャクソン 金坂 留美子 詩ブライス
山海堂 (1996/04)
売り上げランキング: 97433



 先日賞与が出たので、普段はちょっと高いので変えないようなビールを買ってきて飲み比べをしてみました。こういうのって小市民的なちょっとした贅沢だと思うんだけど(ワインやウィスキーじゃなく、ビールってところとか)、一度やってみたかったんですよね。折角なので、ブログでも紹介させていただきます(普段、現代音楽など役に立たない情報ばかりを掲載している当ブログでは異例の、役立ちそうな情報!)。




  • キリン《一番搾り》無濾過<生>


CA330003私は日本のビールのなかではキリンの《一番搾り》が好きなのですが(っていうか、それしか飲まない)、この《一番搾り》無濾過<生>はそのチルドビールバージョンだそうです。商品名にあるように、普通のビールの製法上で行われる濾過をおこなっていない、酵母などがたっぷり含まれたタイプのビール(銀河高原ビールとかが有名でしょうか)。これは、美味しかった!普通の《一番搾り》のあっさりした飲み口と、銀河高原ビールのちょっとクセのある風味が一緒になったような均整がとれた味わい。キリン党員なので贔屓目なところがありますが、他の日本のビールとは段違いで美味しいと思いました。プロ野球選手に喩えると稲葉、走攻守三拍子揃った感じです。


CA330005(グラスがギネスについてくるヤツですが……)ビンから注いだときの見た目はこんな感じ。やっぱり濾過されてないので、透明感はないですが、この濁ったところに旨みがたくさん含まれているのでしょう。基本的に濁ったお酒って美味しいですよね……マッコリとか濁り酒とか……。




  • DUUEL(デュベル、ベルギー)


CA330006続いてはいきなりベルギービール。アルコール度数8.5%と、結構辛めの数値ですが、味は結構スッとしています(かなり飲みやすい)。でも、ちょっとクセがある感じでなんか果物みたいな味がする。「世界一魔性を秘めたビール」とラベルには書いてありますが、このクセにハマってしまう人もいるのだろうな、と思いました。美味しいビールですが若干、変化球気味なのでこれがど真ん中にくるっていう感じの人は少なそう……悪球打ちの岩鬼みたいな方にはオススメかもしれません。


CA330007注いだ感じはこんな感じ。先ほどの《一番搾り》無濾過<生>と比べると、透明度が全然違いますね。炭酸はかなり強め。同じベルギーのシメイを飲んだときも思ったのですが、この国のビールってどれも炭酸が強い気がします。注ぐのが大変難しい……。



D


 泡の勢いを動画に収録してみました。油断してるとこんな感じの不細工なグラスになってしまうので注意です(ちなみに『医龍』の最終回を観ながらビール飲んでたので、その音が入り込んでいます。メインの料理は鶏団子鍋)。




  • PILSNER URQUELL(ピルスナーウルケル、チェコ)


CA330010次は東欧、チェコのビール。瓶とラベルのデザインが可愛いですが、大変歴史があるビールだそうです(世界中で現在主流となっているピルスナー・ビールの元祖なんだって)。味は、しっかりとした苦味とキリリとした飲み口、そして爽やかな香りがやってくる、というバランスが取れたタイプ……なんだけど、私の貧しい語彙では表現しがたい味でありました。「苦いだけ」、「飲みやすいだけ」といった何かに特化したタイプではなく、とても美味しく、地味というわけでもないのですが、その特徴を言葉にするのが難しい。ヤクルトスワローズの佐藤真一二軍コーチの現役時代を思わせる、そういう味です。


CA330011注いだときの写真。これについても特にコメントありません。




  • LOWEN BRAU(レーベンブロイ、ドイツ)


CA330012ビールの本場といったらドイツ、ですがこちらはドイツのレーベンブロイのライセンスを取得したアサヒビールが日本国内で生産している「ドイツ・ビール」です。ドイツ・ビールは今年の五月に日比谷で開催されたジャーマンフェストでしこたま飲みましたが、そのとき飲んだものと比べるとやっぱり「日本のビール」という感じがします。ホンモノの、現地で生産されたレーベンブロイを飲んだことがなく、この日本産の「ドイツ・ビール」と他のドイツ・ビールを比較するのはフェアではないかもしれないけれど……。マズくはありませんが、これなら《一番搾り》でも良いかなぁ、という感じ。軽めで飲みやすかったです。


CA330013見た目も普通です。期待してたけど、あんまり……という感じは昔ヤクルトにいた外国人投手、アラン・ニューマンのよう……。




  • キリンまろやか酵母


CA330018ここで一旦、日本のビールに戻ります。こちらはキリンが2002年に発売した、大手ビール会社初の「地ビール」(酵母が生きてるらしい)だそうです。知らない間に、結構いろんなビールが出てるんだなぁ……と思いました。


CA330019瓶から注いだ状態の写真を見ていただければわかるかと思いますが、とにかく濁りが濃い!この不透明度、グラスが曇っていたわけではございません(後ろから照明を当てても、背景が全然見えません)。味は、商品名通り「まろやか」。苦味が抑えられており、炭酸も弱いのであっという間に飲めてしまう。クセがあまりないところに、優等生っぽいところがありますが、とても好印象。打席に立った鈴木健みたいな感じです。昨年、キリンがアサヒから日本のビール市場のトップシェアの座を奪取しておりましたが、その背景にはこういった良い商品を開発していく地道な努力があるように思いました。販売戦略云々よりも、何より美味しい商品を作っていく基本姿勢が一番大事なのかもしれません。




  • ORVAL(オルヴァル、ベルギー)


CA330020ラストは、ベルギー・ビールの最高峰と謳われるオルヴァル。シメイと同じトラピスト会修道院の修道士さんが作ってるビールだそうですが、この辺の歴史については詳しくないのでよくわかりません。「修道士さんがビール作ってる」って「お坊さんが日本酒作ってる」みたいなことだよなぁ……と思うと少し不思議な感じがします。一本630円、お店で飲むともっと高いので、ご利益があると良いなぁ、とか思います。


CA330021こうして注いでみて気が付くのは、色が赤みがかっている点。そして、やはり炭酸は強め。製造過程で砂糖を使用しているため、こんな感じになるそうです。麦から作ってるのに、異常にフルーティな香りがするのも不思議でした(書くと嘘っぽいんだけど、ホントになんか果物、しかも柑橘系の匂いが鼻に残るんですよ!)。でも、あんまりこういうの飲みなれてないので、美味しかったけど、頻繁に飲まなくても良いかなぁ、という感じです。「ベルギービールは最高!」とかいうけど、「こういうのが好きな人には最高なんだろうな(私は一番搾りで良いや)」とか思う。つまり、ベルギービール(笑)なわけですが、安くてもそこそこ美味しいビールを毎日飲みたい、っていう感じはまるで安価なヘロインに溺れるジャンキーのようでもあります。


 最近、ビールをしこたま飲んだ次の日になると足が痛くて「通風かなぁ……やべぇなぁ……」と危機感を抱いたので、ビールは遠慮しがちだったのですが、久しぶりにたくさん飲んだらビールが美味しくて「痛風?知るかそんなの!」って思いました。今度はまた、ドイツビールが飲みたいです。





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アフィニス文化財団が太っ腹すぎる件について

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財団法人 アフィニス文化財団


 先日調べものをしていて、アフィニス文化財団という団体が存在していることを知りました。この団体は、1985年にJTがポンとお金を出したことによって設立されており、日本のオーケストラの支援活動を主な活動としているそうです。コンサートの企画や、若手演奏会育成のための講習会を開催するなど現在も活動が活発に行われている模様。こういうメセナ活動って景気の動向に左右されがちですが、立派に続けられているのがすごい。まぁ、親元がJTなんで……っていうのがあるんでしょうが。


アフィニス・サウンド・レポート


 また、この団体「アフィニス・サウンド・レポート」という“音による機関誌(CD)”を定期的に発表してもいるようです。このCDがなんと無料!「ホントかよ……良いのかよ……」と半信半疑でプレゼントに応募してみましたが、ホントに無料で届きました。第34号は『日本戦後音楽史』の特集なんですが、収録作品のほぼ全てが初CD化、という感じの超貴重な内容です。以下に収録曲のリストを掲載しますが音源が貴重すぎて、おそらく聴いたことがある人、ほぼいないと思います。



鈴木博義《モノクロームとポリクローム》(1954年)


篠原眞《ソリチュード》(1961年)


黛敏郎《音楽の誕生》(1964年)


福島和夫《月魄 -つきしろ- ピアノ、ハープ、52の弦楽器と打楽器のための》(1965年)


夏田鐘甲《管弦楽のための音楽『伽藍』》(1965年)



 「黛敏郎以外ハードコア(マニアック)過ぎて名前すら聞いたことがない……」という反応が、インターネット越しにうかがい知れるようなラインナップ。自分の業績でもないのに「どうだ!」と見せびらかしたくなります。ちなみに鈴木博義・福島和夫は「実験工房」のメンバー。


 演奏は高関健/東京都交響楽団。音源は都響の「日本の戦後音楽研究」というコンサート・シリーズからのライヴで、その第1回(2003年)・第2回(2004年)のプログラムから選曲されています。ちょっと自分でもびっくりしたのですが、この演奏会どっちも生で聴いてました。第1回は黛の大作《音楽の誕生》の印象が強かったのですが、第2回はあんまり覚えてない……大井浩明さんがピアノの内部奏法をやってた姿と、池袋の東京芸術劇場大ホールが6割ぐらいしか埋まってない情景しか思い出せません。


 さきほど聴きかえして、やはり黛の《音楽の誕生》のスケールの大きさが群を抜いて素晴らしく、改めて感激いたしました。この作品は新古典主義的な作風のものではなく、トーンクラスターや微分音、あるいは管楽器のキーを動かす音などの非楽音的ノイズの導入など意欲的に新しい手法を取り込んでおり、なかなか「難解な音楽だ……」という雰囲気をかもし出しているのですが、印象的なメロディや明快なリズムといった「具体的な語り」とは一切結びつかない語法を多く用いつつ、音楽が誕生するまでの歴史を強い説得力をもって描いてしまった傑作です。黛は、やはり「黛先生」とお呼びしたくなるような感じがします。さすが題名のない音楽会!さしずめ、《音楽の誕生》は「旋律のない交響詩」といったところでしょうか。


 ちなみにこのCD、夏田作品以外、ほとんど印象的なメロディがでてきません。近年、ナクソスが邦人作曲家シリーズを続けておりますが、かのレーベルにはこのような硬派なラインナップは不可能だったでしょう。邦人作曲家、というと(特別な存在である武満を除いては)伊福部昭や芥川也寸志をはじめとする「ロシア・ソ連系の作曲家の影響が色濃い人たち」が有名であり、その関係からかその「わかりやすい方面」の作曲家と「わかりにくい方面」の作曲家の間に、知名度の不均衡が生じているように思うのですが(早坂文雄とか、別にねぇ……うーん…まぁ、好きだけど……そこまで……)、このCDはそのような状況で上手くバランスをとってくれるような内容であると思います。





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非-構築的音楽

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Guitar Solos
Guitar Solos
posted with amazlet on 07.12.19
Fred Frith
Fred Records (2003/03/18)
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 あとフレッド・フリスの『ギター・ソロ』も聴きなおしている。最近は「構築的要素が極めて希薄な音楽」か「構築的要素が極めて過剰な音楽」のどちらかしか聴きません。フリスの即興作品は、前者。ブーレーズの作曲作品は、もちろん後者。あと「アブストラクトな感じにガチガチに構築されてる音楽」っつー感じの、ルイジ・ノーノとかジャチント・シェルシとか聴きなおす日々(気が付くとイタリアの音楽をよく聴いている)。フリスのギター・ソロは夜中にデカい音で聴いてても隣人が「外から入ってくるノイズ」だと思ってくれそうなので、その点も便利です。





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ブーレーズはロマンチストだ

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Boulez: The Three Piano Sonatas
Pierre Boulez Paavali Jumppanen
Deutsche Grammophon (2005/02/08)
売り上げランキング: 20094



 朝、ピエール・ブーレーズのピアノ・ソナタが3曲入っているアルバムを聴きながら出勤したら「うわー、これはロマンの香りがするぜ……」と思った。特に《第2ソナタ》は、ブーレーズの、というより現代音楽というジャンルにおいて、最もキャッチーな部類に入る作品、かもしれない。


 また、これを聴くと「ブーレーズには、血も涙もないアンチ-ロマンチストだ」という評価がいかに見当違いなものであるかが分かる。確かに、甘ったるい旋律や感動的なフィナーレは容易されていない。その代わりにトータル・セリエリスムの規則に則って、計量可能なパラメータを限りなく作曲の名において操作しようとする厳格さが存在する。ブーレーズの音楽はとても即物的である――しかし、だからこそ、真の意味でブーレーズをロマンチストだと称することができるように思う。ここには現代音楽への疑いなど、これっぽっちも存在していない。この傾倒こそが、前衛への疑いから「ロマン派へ回帰した、新ロマン主義者たち」よりもブーレーズが真にロマンチストだ、といえる理由である。


 文句なしにカッコ良いです。





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斎藤慶典『デリダ―なぜ「脱‐構築」は正義なのか』

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デリダ―なぜ「脱‐構築」は正義なのか (シリーズ・哲学のエッセンス)
斎藤 慶典
日本放送出版協会 (2006/09)
売り上げランキング: 17920



 仕事を理由にして、随分とアドルノ(というか思想全般)について書くことから離れてしまったため、リハビリ的な意味合いを兼ねて再読。100ページ強でさくっと読める。いきなり本の内容とは離れるけど、先日id:la-danseさんにとある本を郵送していただいた際にこれが同封されてたんですが、既に持っていて今ウチに2冊ある(la-danseさんがどこに線を引いているか、精査させていただきました)。


 最初読んだときは「なんだこれ、なんか退屈な本だなぁ」と思って半ば投げ出し気味に読み飛ばしたんだけど、さっき読んでみたら結構面白い。la-danseさんがこの本を「解釈的に正しい点がズラズラ書かれているだけ」と評価されていて、たぶんそのズラズラ感が退屈さを誘発している。ページの都合があったのかもしれないが「前戯なし、即挿入!」という勢いで、デリダの術語をズラズラと説明していく……(でも文体自体はネチネチしてる)。


 ただ、逆に言えばその「即挿入!」というのは「ムダがない」という風にも受け取ることができる。なので、今日の私のように「現代思想ってなんだっけか?」とか「デリダって何した人だっけ?」とか「差延ってなんだっけか~?」とか確認したくなったときは大変便利であるように思った。新しい発見というものはなく、既にあったものをを発見しなおす、まさに反復のための本。計算ドリルのようなデリダ本である。


 ただし「参考書」になるにはやや説明不足な感があるので、デリダ童貞/デリダ処女の方々にはオススメしません(っていうか私も「デリダが書いた本」を読んだことないや!)。あとこの本の著者近影を眺めていて、佐野重樹のことを思い出したよ。





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ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』(後篇3)

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ドン・キホーテ〈後篇3〉 (岩波文庫)
セルバンテス Miguel De Cervantes 牛島 信明
岩波書店 (2001/03)
売り上げランキング: 15633



 ちょうど一ヶ月ぐらいかかって全6巻、読み終えました!「買った本は基本的に全部読む(貧乏性)」であるので、後篇に入って飽きてきたときはどうしようかと思いましたが、意地で読みました。後篇に入ると「お、コイツが噂の狂人ドン・キホーテか!どれ、いっちょワスもからかってやるべか」という輩ばっかりでてきて、ドン・キホーテがまんまとそこにハマっていく、というのが展開がミニマルに繰り返されるので、結構キツいのかも……とか思います――この反復感はまるでテクノだ!(嘘)



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 あとAC/DCもよく聴くと、テクノ(嘘)。無理を承知で話を進めると、『ドン・キホーテ』とAC/DCには、極度な単調な展開が繰り返されているにも関わらず、ちゃんと作品として成立させている……という共通項があります。それを可能にした技術が、前者であればセルバンテスが巧妙に仕組んだメタ構造(後篇では『ドン・キホーテ』の偽作の話も導入され、さらに複雑に!)と風刺にあるのでしょうし、後者であればアンガス・ヤングのギターにあるのでしょう……。


 関係ないけど、アンガス・ヤングがどうして短パン・ランドセルDEツノというコスチュームを頑なに守り続けているのか(その格好が何を意味しているのか)、ご存知の方は連絡願います。いままでなんとなく普通に受け止めてきたけど、昨日ぐらいから「そういえばなんで短パン・ランドセル・ツノなんだ……?」って思ってしまってすごく気になってます。全くもって意図不明だよ……。


 話は『ドン・キホーテ』に戻りますが「後篇3」には、ドン・キホーテの狂気の具合がどんどん勢いを弱めていき、「正常」な状態へと回帰していくまでの過程が描かれていて、その模様が結構切ないです。あと、意地悪な貴族に担がれて、島の領主にしたてあげられたサンチョが、その地位から追い出される場面とか結構グッと来る(この部分、サンチョが大事にしてきた灰毛の驢馬をひしと抱きしめながら涙を流してる挿絵がついて、それも良いです)。ホントに、ドン・キホーテとサンチョの騙され具合がひどくて、「善意を抱いた狂気」と「悪意を抱いた正気」のせめぎあいのなかで、果たして「正しさ」とはなんなのか、みたいなところを問いたくなる。


 飽きたとかいいつつも面白く読めてしまったので、時間がある人にはオススメです。教訓とか道徳とかなんにもないけど(でも、小説に教訓を求めるってかなり守銭奴みたいな態度だよなぁ)。





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シュトックハウゼン関連情報

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infoseek isweb


 シュトックハウゼンについてのエントリをしたためてみましたが、興味をもたれた方は、バリトン歌手である松平敬さんのサイトをご参照ください。おそらく日本一というか、もしかしたら世界一、シュトックハウゼンに詳しいサイトです。シュトックハウゼン全集を出している「シュトックハウゼン出版局」に直接CDを注文する方法も紹介されています。





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シュトックハウゼンとはなんだったか?

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1954年→最初の電子音楽《習作I・II》の製作

1956年→電子音楽《少年の歌》で、電子音楽とミュージック・コンクレートを結合。さらにトータル・セリエリスムが操作する4つのパラメータ(音価、音量、音程、音色)に「空間」の概念を加えることを提唱。さらにこの年は、《ピアノ曲XI》でヨーロッパで初めて不確定性を音楽に導入した

1957年→《グルッペン》にて、音群作法を提起(音を集合的な塊として操作する方法。これはトーンクラスターと通じている)

1960年→《カレ》にて空間音楽の概念を提起。また電子音、ピアノ、打楽器のための《コンタクテ》は、ライヴ・エレクトロニクスの先駆となる

1964年→《モメンテ》にて瞬間形式を提起

1966年→《テレムジーク》にて「テレムジーク」概念を提起

1968年→《一つの家のための音楽》で「遊歩音楽会」の先駆となる。そしてこの年、《七つの日より》によて「直観音楽」を提唱


以上は、カールハインツ・シュトックハウゼンの1950~60年代の主な業績を簡単にとりまとめたものである(佐野光司『直観音楽――神となったシュトックハウゼン』を参考に記述した)。シュトックハウゼンという作曲家を語る人の多くが、語りのポイントをおくのがこの時期の作品だと思う。「シュトックハウゼン=電子音楽の人」という認知は広く(?)一般的であろう。こうして年譜を眺めてみると、この時期(20年弱)のシュトックハウゼンの創作意欲には驚かされるばかりだが、逆に言えば直観音楽以降の彼の作品はあまり知られていないし、そこまで注目を浴びてこなかった、ということが言えるのではないだろうか。たとえ、注目を浴びたとしても「ヘリコプター+弦楽四重奏」や「上演時間29時間」といった作品の規模の「大きさ」や「突拍子もなさ」についてだけであったように思う――大きな転回点となったのは、やはり直観音楽である。


私は短いテクストを通して、音楽家達が精神的に合致することによって生まれるこの音楽を<直観音楽>と名付けた(シュトックハウゼンによる『七つの日より』のプログラム・ノートより)。


直観音楽以前にも、即興や演奏家による解釈といった計量/操作不可能な音楽の要素にシュトックハウゼンは注目しており、そこには既に直観音楽の萌芽を見ることができよう。しかし、直観音楽がジョン・ケージやフルクサスらの「即興性」や「ハプニング性」と一線を画したものである点は、それが「理論」であった、というところにある。

それがどのような理論であったのか。おそらく、それはシュトックハウゼン自身にしか、性格に説明することが不可能な「理論を超えた理論」ということができるかもしれない。以下では彼自身による直観音楽の規定を引用しておこう。


見出されるべき多くの音楽プロセスは、より根源的な、より高度な形成力を示唆しており、それは真に超理性的で直観的な源泉に存することを我々は体験してきた。全ての音楽的思考は、直観音楽を演奏する時、この超理性に仕えるのである。(中略)ここでは思考は、どの瞬間においても直観的霊感そのものに、全く意識的に従うのであり、またそれは直接的に、非反省的に(演奏の瞬間には反省の時間はない)、したがって非弁証法的に、機械的に生ずるのである


……引用部を読んでいただければ、直観音楽の超理論性に触れることができる、と思う――そもそも、この引用は「シュトックハウゼンの言い分を理解すること」を目的としていない。ここでは、むしろこの理論の理解のしがたさについて知っておいてもらえば充分である。しかし、ある種のセンスをお持ちの方ならば、シュトックハウゼンの文章を読んでこんな風なことを考えたのではないだろうか、と私は想像する――「これは理論というよりも、思想、それも宗教的な思想なのではないだろうか」と。また、そのような感想は、見当外れのものではない。実際、この時期のシュトックハウゼンはインド哲学や東洋思想に自らを理論武装する題材を求めていたらしい。


音楽家は自己中心を捨て去ることを学ばねばならないのである。さもなければ自己は自己のみしか表現出来ないし、自己とは情報の一杯詰まった大きな袋以上のものではないのである。そのような人々は閉じられたシステムと同じだ。(中略)そこには表現すべきものは何もない


彼はまたこのような発言もおこなっている。これは、システム論的にも読める興味深いものなのだが、ますます直観音楽が宗教めいたものである、という印象を色濃くする発言であることは間違いないだろう。自己、自我、理性――それらを直観音楽は放棄し、直観に従うことによって音楽をおこなわなくてはならない。また、演奏者が従う直観とは、直観によって書かれた(シュトックハウゼンによる)テキストに違いない。

佐野光司はそのような音楽のあり方を「直観音楽における演奏者は、シュトックハウゼンの示したテクストに対して、自己を無にして完全従属するものでしかないのではないだろうか」という疑問を呈している。おそらく、この疑問には、自己中心的な音楽を「閉じたシステム」として批判するシュトックハウゼンの音楽もまた「閉じたシステム」となっていることの指摘が含められているだろう。「シュトックハウゼンは、自己の示したテクストから直観的な霊感を得るために、無の存在となった演奏者たちを巫女として神となるのである」――佐野の批評はこんな風に締められているのだが、これは「シュトックハウゼンはカルトだ」と言うのとあまり変わりがないようにも思ってしまう。

ただし、ある意味で佐野の指摘は正しい。シュトックハウゼンのカルト性は「シュトックハウゼン講習会」という、自らの作品を自ら解説し、その正しい解釈を広めていく、という秘教性からも指摘することができる。また、彼の作品の初演が、彼が絶大な信頼を寄せる演奏家を集めて入念なリハーサルを仕込むことで可能となったことなどもややカルト的な印象を受ける。

ただ、これはそのような「カルト性をもっているように少なくとも私には思われる」という指摘であって、批判ではない。むしろ、シュトックハウゼンがそのようなカルト的な作曲家でありえた、ということは大きく賞賛すべき内容だったのではないだろうか、と私は思う。シュトックハウゼンの音楽は「シュトックハウゼン」というジャンルとして成立しているように見える事態は、ロマン派が夢見た「総合芸術」や「絶対音楽」といった理想の実現とも重なっていく――「シュトックハウゼンはロマン派的な最後の作曲家だった」という一蹴されそうな妄言をつぶやきたくなるが、個人的にこれを妄言だとは思っていない(ワーグナーもマーラーもシェーンベルクも、常に『自分だけの音楽を確立すること』を目指していたのだから)。

また、常に新しい作品を作り続けていた姿勢においても、彼が「伝統的な/古典的な自律する作曲家の姿」を体現していたことは間違いない。彼の死は、そのような作曲家が絶滅したことを告げるような寂しい知らせだった。




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バレエ《ル・マルトー・サン・メートル》

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 今年亡くなった大物振付家、モーリス・ベジャールによるピエール・ブーレーズの《ル・マルトー・サン・メートル(主の無い槌)》。バレエについては全く知らないけど「これはどうなんですか……?」と有識者の意見を伺いたくなる映像。ブーレーズにも直接尋ねたいですね。「私の作品をバレエ化してくれるのは嬉しいけど……正直これは……うん……まぁ、お、面白いよね」とか思ってたんじゃなかろうか、って想像する。


 この映像からは「なんだかよくわからないよね、ブーレーズって……」という、漠然とした「理解」の象徴みたいなものを感じます――というのは逆に言えば、私が全くベジャールを理解できない、っつーことの証明なんだけれども。なんか動きが無秩序に見えるんだよなぁ……音楽はものすごい厳格に秩序づけられてるのに……。


 このベジャール対ブーレーズという布置連関を、把握不可能な音楽を、把握不可能な身体の動きによって把握する――とかなんとか言ったら脱構築とか上手いこと言っちゃえるんだろうけど、それはなんっつーか、ねぇ……貧しくないですか……?ブーレーズの《ル・マルトー……》も「ルネ・シャールの詩の(音楽による)註釈」とか言ってるので良い勝負かもしなんかいけどさぁ……。現代において、さまざまな異なった芸術形態はいがみ合うことしかできないのか!?とか思ってしまいますよ。



メシアン:世の終わりのための四重奏曲&ブーレーズ:マルトー・サン・メートル
オムニバス(クラシック) ドゥルーベ(ジャンヌ) ガブリロフ(サシュコ) ダインツァー(ハンス) パルム(ジークフリート) ガッゼローニ(セベリーノ) コンタルスキー(アロイス) グーシュ(ジョルジュ・ヴァン) ブーレーズ(ピエール) メシアン
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 追記:ここで紹介した映像を見返していて、ふっと思い出したのが、デレク・ベイリー対田中泯のこの映像でした。ベイリー対田中のパフォーマンスにある「呼応」は、ブーレーズ対ベジャールと対照的であると思う。





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キャシー・バーベリアン《ストリプソディ》

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 ルチアーノ・ベリオの元妻であり、ジョン・ケージらとも交流があった伝説的歌手/ヴォイス・パフォーマー、キャシー・バーベリアンのパフォーマンス作品《ストリプソディ》の映像。ルイジ・ノーノ音楽祭(そんなものあるですね……)での、Karina Oganjanという人による。この作品は、さまざまな漫画のコマを切り抜いて、それを「図形楽譜」として用いたものなんだけれど、このパフォーマンスではそれをプロジェクターを通して聴衆に提示している。


なんっつーか、私のなかの1960年代のNYにおける前衛芸術(フルクサスあたり)のイメージってこんな感じ。かなり不正確だけれども。





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ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』(後篇2)

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ドン・キホーテ〈後篇2〉 (岩波文庫)
セルバンテス Miguel De Cervantes 牛島 信明
岩波書店 (2001/03)
売り上げランキング: 21155



 一冊読み終えるのに2週間近くかかってしまった。これは少し忙しかったことばかりが理由ではなく、単に「やや飽きてきた」っていうのがある。後篇(1)の後半あたりからほぼ惰性で読んでいたのだが、後篇(2)の中盤ぐらいから自分的に面白く読める感覚を取り戻せたので救われた。サンチョ・パンサの豊かな才能がここにきて爆発した……という感じである。あと、ひたすら脱線が繰り返されてる小説のクセに、小説の中では「脱線はしないほうが良い」っていう規律がちゃんとあるところが面白いなぁ、とか思った。話を簡潔にしろ、とドン・キホーテはサンチョに度々厳しく言いつけるのだけれども、その「簡潔にしろ」という命令がさらなる脱線を生んでいく矛盾だとか。いよいよ、最終巻となったので、週末に一気に読んでしまおう、と思う(そしてしばらく小説を読みません)。





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ジェラルド・フィンジ《ある若者の訓戒》

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 近年密かにファンを増やしつつある20世紀イギリスの作曲家、ジェラルド・フィンジ(1901-1956)の歌曲集《ある若者の訓戒》より「小唄」という作品(詩はトマス・ハーディ)。一日の終わりに相応しい、澄み切った音楽をどうぞ。アイロンをかけて、おでんの煮え具合をみて、それから寝ます。おやすみなさい。



Finzi: A Young Man’s Exhortation; Till Earth Outwears; Oh Fair To See
Gerald Finzi Ian Burnside John Mark Ainsley
Naxos (2007/06/26)






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アート・リンゼイ&ラモスによるブラームス

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 おはようございます。アート・リンゼイがヴァイオリンを弾いているとても珍しい映像を見つけましたので貼付いたします。チェロはあの選手ラモス瑠偉です。ノーウェーヴと日本サッカーの第一人者同士による夢の競演をお楽しみください――と朝から大嘘を書きました。ギドン・クレーメルとミッシャ・マイスキーによるブラームスの《二重協奏曲》(伴奏はバーンスタイン/ウィーン・フィル。第3楽章はファンクですね!)。聴いていて息が止まりそうになる素晴らしい曲を聴きながら本日は出勤いたします。



ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
バーンスタイン(レナード) クレーメル(ギドン) クレーメル(ギドン) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 マイスキー(ミッシャ) バーンスタイン(レナード) ブラームス
ユニバーサル ミュージック クラシック (2007/09/05)
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で、改めて最近「私が伝えたい」と思ったことは

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このエントリで紹介したCDはホントに良いよ!(特に最後の《ジャチント・シェルシへのオマージュ》という即興演奏はヤバい!シェルシのファンはもちろん、フェルドマン、ブライアーズ、あとドローン系の即興音楽家のファンにオススメしたい!!最近、毎日こればっかり聴いてる!!!)ってこと、と……。

このエントリで紹介したベリオの《シンフォニア》の演奏会は、ホントに貴重な貴重なチャンスだから聴きに言ったほうが良いよ!(特に今回シュトックハウゼンが死んで大騒ぎしてるヤツら!!お前らベリオが死んだときはこれっぽっちも驚かなかったし、ショックじゃなかったろ!!!*1)ってこと、だよ。




*1:K谷野式「お前ら=仮想敵」メソッド





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書籍をさがすための……?と言われるとピンとこない

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書籍(文学)を探す為にRSSリーダーに登録しているサイトまとめ - 心揺々として戸惑ひ易く

 こんな感じで紹介されました。気が付いたら『石版!』というブログをはじめてから一年以上経っていて、いろんな人が読んでくれるようになりました。が、はっきり言ってチラシの裏というか、自問自答というか、箱庭的というか、そういう役に立たないことを書いているつもりでいるのに、そこから人が情報を得る、っつーのは不思議なものであるなぁ、とか思います。「これは自分にしか分からないことを自分のために書いてる」ってなんて閉鎖的なブログなんだろう!と時折考えるので。なので、音楽や本の「情報」を求めて読む人がいるのは不思議なのですね。というか、あまりピンとこない。こちら側には特に「意味」を伝える意思がなくても*1、「伝達」していく、という事例でしょうか。




*1:というか私の伝えたいと思う情報の多くは、多くの人にとって興味のかけらもない情報である場合が多い気がする。単にブクマ数の話ですが





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ベリオ《シンフォニア》を生で!!

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東京都交響楽団チケット情報:2008年1月18日(金)

 ショスタコーヴィチを一緒に聴きに行った友達が「今度、沼尻竜典さんがベリオやるらしいよー」と言ってたのでチェックしてみたら演奏される曲目、《シンフォニア》じゃねぇか!!*1


 これは本当にびっくりした。まさかこれを生で聴ける日がこようとは……他のプログラムも武満徹の演奏回数があまり多くない作品が選ばれているし、今シーズン一番の聴きモノ演奏会かもしれません。金持ってるオケでさえやらない挑戦的プログラムを選んだ東京都交響楽団と沼尻竜典に感謝。こういう団体に金を渋ってる都知事はどう考えてもツンボです(本当にありがとうございました)。これを聞き逃したら、あと十年ぐらい聴けるチャンスはないかも!


東京都交響楽団チケット情報:2008年1月25日(金)


 ちなみにこちらのプログラムもかなり気になる。今期の都響はかなりキテるなぁ……。


 




*1:ルチアーノ・ベリオの《シンフォニア》に関してはこちらのエントリを参照してくださ





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日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏会プロジェクト2007(第8回)@日比谷公会堂

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叢書 20世紀の芸術と文学 ショスタコーヴィチ ある生涯[改訂新版]  ローレル (叢書・20世紀の芸術と文学)
ローレル・E. ファーイ 藤岡 啓介; 佐々木 千恵
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 井上道義指揮/新日本フィルハーモニー交響楽団によるドミトリ・ショスタコーヴィチの交響曲第8番と第15番を聴きに行った。「一ヶ月の間にショスタコーヴィチの交響曲を全曲演奏してしまおう!」という井上道義のようなお祭り男タイプの指揮者でないと絶対引き受けないであろう大イベントの千秋楽。築79年の日比谷公会堂がほぼ満席になる大盛況ぶりで、とても良い演奏会だったと思う。休憩の後に、井上道義と黒柳徹子のトークがあったり(おそらく楽団員の休憩を長くするためだろう)、会場で満面の笑みの志位和夫を見かけたりと大満足である。『徹子の部屋』と『世界ふしぎ発見』意外で黒柳徹子の姿を見るのは初めてだったのだが、オシャレ過ぎてヤバかったのと、語り口がまるでモンタージュ技法だったのが面白かった。


 井上道義の発言では「このホール、今日来ていただいた方々には分かると思いますが、とても個性的な音がするホールです」というようなことを言っていたのが興味深い。私もオーケストラのリハーサルで一度この会場を使ったことがあったから知っていたのだが、日比谷公会堂というのは、とにかく残響はゼロに近い所謂「音響がデッドなホール」である(というか、そもそも「音楽ホール」として設計されていたわけではない)。一般的に言ったらこれは「良いホールではない」ということになる。しかし、面白いのは「席によって極端に音が違って異なる」ということだ。「二階席に座ると、全部の楽器がすぐ近くで演奏してるような風に聴こえるし、もっと後ろの方に座るとまた全然違う音になって聴こえる」。そこから井上道義は「演奏しているのは一つの音楽なのに、聴衆には聴こえる音楽はそれぞれで違っている。では真実の音とはなんなのだろう?」と考えたのだそう――こういう複数の聴衆を意識している指揮者は極めて稀な気がする(普通、指揮者はホールの一番良い席で一番良い音が聴こえるように音楽を設計するだろうから。ちなみに私の席からは、なぜか目の前でチューバを吹いてもらってるような細かい息遣いまで聴こえた)。


 演奏の方は「祭りだから、ガンガン盛り上げて、煽って、熱演にしてやろう!」という雰囲気は一切無く、とても細部への配慮が行き届いたものだった。弦楽器の細かいダイナミクスのつけ方が特に繊細で、何度もドキリとさせられる(管楽器のソリストはかなり自由に吹いていたような感じ)。交響曲第8番を昔フェドセーエフの指揮で聴いたことがあったけれど、フェドセーエフが「爆演」を聴かせてくれたのに対して、井上道義の指揮は職人的な精巧さみたいなものを感じた。ただ、さすがに第15番は一時間を越える第8番の後であっては、やや散漫な演奏に聴こえてしまった。もっともこれは、聴いている自分のの集中力がだいぶ磨り減っていたせいもあるのかもしれないけれど。



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(ショスタコーヴィチ写真集。音楽は交響曲第8番の第3楽章。演奏は1973年のムラヴィンスキー/レニングラード・フィルのものだろうか)





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森田芳光監督作品『間宮兄弟』

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間宮兄弟 スペシャル・エディション (初回限定生産)
角川エンタテインメント (2006/10/20)
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 江國香織原作は読んでませんが、塚地武雅がとても好きなのでDVDを観ました。結構面白い映画だと思います。森田芳光ってあきらかに「え?何でこんな原作で映画撮るの?」とちょっと首を捻りたくなるような企画でもそこそこ面白いものを撮るよなぁ、とか思います。あと、なんか密室性の高い家庭劇の演出が上手い。合間合間に挟まれる小ネタも、気が利いているんだがいないんだかよくわからないのがおかしい。


 映画のあらすじを説明すると、「間宮兄弟(佐々木蔵之介&塚地)という超仲良しのオタク兄弟が、ある日『このまま恋愛もせずに過ごすのか……』と思い立ったところから、出会いを求めて外部へとコミュニケーションをしかけにいくのだが……」という感じ。


 しかし、兄弟が「彼らだけで分かり合える関係性(内部)」から出ようとするたびに、その試みはことごとく失敗に終わり(というか最終的な実を結ばずに終わり)、兄弟はより一層内部へ閉じこもっていく……というところが悲惨。「兄/弟のことはなんでも理解できる」という居心地の良さから結局は出られない、というこの閉鎖性を「温かさ」とかいう言葉によって、良い意味でとってはいけないように思います。「一日の終わりに話を聞いてくれる相手がいるって良いことだなぁ(相手は弟)」という佐々木蔵之介のセリフには、コミュニケーション不全の気持ち悪さこそ感じ取るべきなのでは。で、この間宮兄弟の不全/閉鎖性は、中島みゆき演じる「ぶっ飛んだ母親」によって承認され、解決されること無く映画はエンドクレジットへ……ってなんか良い感じにまとまってるけど、全然救いがないよ!!


 ――という風に読んだのですが江國香織ってこんな感じの小説書く人なの?とか思って(なんか恋愛小説書く人だよね?そういうイメージと全然違う)、映画を観ても原作がどんな話なのか全く想像がつかない……。どういう小説なのだろう……と今とても気になっています。


 あと今回収穫だったのは「常盤貴子は薄幸役が似合う」と気がつけたこと。最近、化粧品のコマーシャルに沢尻エリカなどと一緒にゴージャスな格好で出ていますけれど、この映画に出ている格好(ややダサくて地味な先生役なんだけど、付き合ってる同僚の先生になかなかプロポーズしてもらえない設定!)の方が断然ハマっている。その化粧品のコマーシャルに起用されている女優五人のなかで、常盤貴子だけに「なんか違う……」という空気の違いを感じた原因はこれだったのか……と思ってしまいましたよ……。





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モリコーネで思い出したけれど……

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 『夕陽のガンマン』のラスト・シーンの演出は天才的。映画内で流れている音楽(オルゴールの音。『このチャイムが止んだら、銃を取れ』)と、映画の外部で演出的に流された音楽(どこからともなくストリングスが現れる)が自然に溶け込んでいくところなどゾクッ……!とくる。



夕陽のガンマン アルティメット・エディション
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (2007/02/02)
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CRAMPS LABEL COLLECTION/『音楽のスケッチ』

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MUSICA SU SCHEMI(紙ジャケット仕様)
グルッポ・ディ・インプロヴィゼオ・ヌオーヴァ・コンソナツア
ストレンジ・デイズ・レコード (2007/11/28)
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 日本の音楽雑誌『ストレンジ・デイズ』が主催しているレーベル「ストレンジ・デイズ・レコード」が今年になって、イタリアの前衛系レーベルCRAMPSのレコードを、紙ジャケット仕様で再発させている。このレーベルから出ている音源の多くは、以前にもAKARMAというイタリアの会社が紙ジャケで再発していたのだけれども、何せガイジンがやることだから作りが甘く、ほぼ段ボールの紙にジャケ写をプリントした……みたいな作り。これが『ストレンジ・デイズ』の社長である岩本晃市郎さんはとても気に入らなかったらしい(本人が「AKARMAはゴミだよ!」って言ってるのを昔聞いたことがある)。「それなら自分で再発しちゃえ!」とばかりに今回の一大事業は始められているのだろう。個人的には、紙ジャケのディティールは割りとどうでも良いのだが、実際手にとって見ると結構びっくりするぐらい綺麗で、ちょっと感動してしまった。まさに「ストレンジ・デイズよりストレンジなのはストレンジ・デイズだけっ!!」という感じである。


 この「CRAMPS LEBEL COLLECTION」、もう既に第6弾までシリーズ化されている。このCRAMPSレーベルからレコードを出しているアーティストにはアレアやアルティ・エ・メスティエリなど、ジャズロック/フリージャズを経由したイアリアのプログレバンドがおり、彼らのアルバムは既に発売されている。第4弾までは「ストレンジ・デイズ」っぽいセレクトで、アレア関連のアーティストが続いていたりしたのだが、第5弾はグッと渋さを増していてデレク・ベイリーやスティーヴ・レイシーなどフリージャズからのセレクト。で、第6弾はガチガチの現代音楽から選ばれている。これには、白い背景に黒い文字とキノコの絵が書かれたジョン・ケージの作品集(かなり有名なアルバム。ちなみにアレアのデメトリオ・ストラトスが参加)などが含まれているのだが、そのなかでも「グルッポ・ディ・インプロヴィサツィオーネ・ヌオーヴァ・コンソナンツァ(Gruppo Di Improvvisazione Nuova Consonanza)」というグループのアルバムには驚いた。


 この『音楽のスケッチ(Musica Su Schemi)』には1セット10分ぐらいの即興演奏が4セット、合わせて40分弱の即興演奏を収録している。この40分間、旋律や明確なリズムといった「秩序だった音楽的要素」は一切姿を現さない。聴こえてくるのは、ピアノの内部奏法、パーカッション、様々な金管楽器による、金属的な音響のみである(ある意味これはヘヴィメタル)。混沌としている。しかし、よく聴くとその混沌のなかにも、秩序だったものを感じる――音と音の隙間に、演奏者の空気の読み合いを感じること、または轟音だが「美しくない音」は出されていないという自律的規制をこの演奏から感じる。


 グループ名を直訳すると「新しい調和の即興演奏グループ」という風になる。「名は体を現す……」というけれど、この混沌のなかにある秩序が示しているのはまさに「新しい調和」だろう。その新しい調和では、あらかじめ予測されるような和音の解決や協和、または金管楽器や打楽器によって華々しく演出される“感動のフィナーレ”は用意されていない。にもかかわらず「これは紛れも無い音楽だ。それもとても美しい音楽」と言わしめる厳格さを持っている。正直言って1970年代のイタリアにここまで高度な即興演奏ができる人がいたとは思わなかった。これは12音技法やトータルセリエリスムといった「新たな規律」よりも魅力的にさえ聴こえる。


 「ここまでやれるのは、どういうメンバーなんだろう」と思ってパーソネルを開いてみると、ほとんどが「ダルムシュタット講習会」や音楽大学でのエリート教育を受けてきた音楽家である。そのなかに、エンニオ・モリコーネもトランペットで参加しているのも驚きだ。しかも「あの音楽家が若かった頃の……」といった若気の至り的記録ではない(すでにセルジオ・レオーネ作品などで有名なサントラを書き残した後に参加している)。





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シュトックハウゼン、死去。

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Composer Stockhausen dies aged 79 | World news | The Guardian


 「偉いこっちゃ……」と素で声に出してしまったぐらい驚きのニュースです(水曜日に亡くなっていたそう)。参った。20世紀がまた終わってしまった。もうブーレーズしか残っていない、そんな感じがします。いや、しかし、一昨年生で見たときは「コイツ、死なないんじゃないの?」とか思ってたのに……。



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 有名な《ヘリコプター弦楽四重奏》――これは、シュトックハウゼンが遺した史上最大のオペラ(上演時間29時間!)の《光》の一部。彼についてはまた改めて書くことがあると思います。





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今年よく聴いた音楽を選ぶ(旧譜編)

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  • 通勤時


 四月から会社に入って、出勤時に繰り返し聴いてた旧譜・名盤の類が以下の4枚。雑多だけれど「テンションが上がる曲」がたくさん入っているアルバムをよく聴きました。なかでもスティーヴ・ガッドのドラムがブラストするSTEELY DANはホントに「よし、朝から頑張るぞ」という気持ちにさせられました。今気が付いたけど、4枚中2枚にウェイン・ショーターが、同率でハービー・ハンコックが、そして4枚中3枚にロン・カーターが参加しています。あとジョニー・マーの変則チューニングについて考えたりしましたね。



Aja
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Steely Dan
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Meat Is Murder
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The Smiths
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Miles Smiles
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Miles Davis
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Maiden Voyage
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Herbie Hancock
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 ウェイン・ショーターのソロのバックで、スティーヴ・ガッドのバスドラが「パタパタパタッ!」と鳴る部分でいつも「よっしゃー!」という気持ちになりました。あとこの曲、コード進行がおかしなことになってる。




  • 休日


  クラシックは主に休日の昼間とかに(爆音で)。後期ロマン派の音楽を聴きなおして「誇大妄想的なところが最高だなぁ」とか思いました。とくにリヒャルト・シュトラウスはすごすぎる。今年の7月に自分が参加しているオーケストラが演奏してからこの作曲家の常識外れのオーケストレーションと作品の規模に魅了されています。



マーラー:交響曲第9番
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ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団,ウゴルスキ(アナトール) アバド(クラウディオ) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 アバド(クラウディオ) マーラー
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R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ベーム(カール) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ヘッツェル(ゲルハルト) ベーム(カール) R.シュトラウス
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 リヒャルトはメタル!





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今年よく聴いた音楽を選ぶ(新譜編)

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Planet Earth
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Prince
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 お疲れ様です。今週も気が付いたら金曜日の夜だったので、さっき買ってきた(20%引きの)寿司(冬の味覚セット)を食べながらブログを書きます。今夜は「今年よく聴いた音楽について」。で、いきなりですが、今年最もよく聴いた音楽、私的アルバム・オブ・ザ・イヤーは、プリンスが今年発表した『Planet Earth』でした。齢四十九歳にして、衰え知らず、むしろ絶倫感は高まっている……とさえ思わせる、恐ろしく上質なポップ・アルバム。捨て曲一切無し、全曲シングルっぽい内容の濃さがギンギンです。余りの内容の濃さに、まことに勝手ですが、プリンスの男根ってものすごい変な形してそうだなぁ、って思いました(そしてよく磨かれたボーリングの玉みたいなものをぶら下げていそうです)。



Golden Pollen
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Savath & Savalas
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Sky Blue Sky
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Wilco
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 他に新譜だと上の2枚をよく聴きました。SAVATH & SAVALASの『Golden Pollen』とWILCOの『Sky Blue Sky』。どちらも優れたポップ・アルバムですが、味わい深いスルメ感が漂っているように思います(プリンスはハードドラッグ的な衝撃力でした……消費しようにも嗜癖的にそれが絡み付いてくるので何度でも聴いてしまう……)。前者は「ああ、こういうエレクトロニカの人もいるんだなぁ、こういうのは良いなぁ」と普段あまり聴かないオサレ方面の音楽(なんか代官山の駅近くの狭いレコ屋とかに売ってそうな)を見直すきっかけとなりましたし、後者は「THE BANDは知らないけど、俺にはWILCOがいるよ……」とか思いました。



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 SAVATH & SAVALASは、PREFUSE 73の別名義っていうのも「え!?蒼井優って元おはガールだったの!?」ぐらいの驚きだよね。





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