晴れの日の気分の音楽だ

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鈍行ブックモービル
鈍行ブックモービル
posted with amazlet on 06.10.31
fishing with john
バウンディ (2005/10/19)
売り上げランキング: 99,161


 最近繰り返し聴いているのはfishing with johnという日本人のアーティスト。岡村詩野が絶賛していて気持ち悪いぐらいなのですが、とても気持ちの良い音楽です。何本も重ねられたアコースティック・ギターとピアニカとリコーダー、それから街の音や子どもがはしゃぐ声などの環境音による「歌のないギター・ポップ」。↑にあげているのはセカンド・アルバム*1。ファーストのジャケットは青空の下、公園でピクニック・セットを広げている写真なのだけれど、アルバムの感じを見事に表していると思います。すごい解放感があって、宅録アーティストらしからぬところです(宅録の人にはなんか内省的でナイーヴすぎるイメージあるから)。

 ちなみに、ご本人ははてなダイアラーでもあります*2。文章の柔らかさと音楽の柔からさがここまで通じ合っている人はなかなか珍しい。こういう音楽を聴くといつも私は『ストレンジ・デイズ』という雑誌で連載されている渚十吾の「バナナ・エンサイクロペディア」を思い出す……。思えば、これを聴いたから去って行った恋人がくれたギターを再び手にとり、また宅録作業をはじめてみたんだっけ……。嘘だけど。


 こういうものを聴いて日々、勉強に打ち込んでいます、という報告。良いよ、本当に(右隅にある画像はあざけり先生が書いた似顔絵です)。

 試聴:「汀のリップシング」*3




*1:アソシエイトの紹介料で買いました


*2http://d.hatena.ne.jp/fishingwithjohn/


*3:ダウンロード不可





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オープニング5分で、そこはもうハードボイルド・ワンダーランド

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ダーティハリー
ダーティハリー
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ワーナー・ホーム・ビデオ (2000/04/21)
売り上げランキング: 31,436



 どうやら明日から学校が学園祭関連とかで秋休みらしい。ので映画でも観るかと思ってレンタルしにいったら、190円セールの日だったので気合を入れてごっそりDVDを借りてきた。音楽だったらゴミみたいなCDに金を注ぎ込んでるのに、映画だと190円でもなんか躊躇してしまう。よくわからんが自分で借りるのは名作ばっかりな気がする。今回借りた5本のうち一本も名作。『ダーティハリー』。うちのおじいちゃんが好きで子供の頃から一緒に観てましたよ、『荒野の用心棒』。イーストウッドは私の理想の男性像の一つでもある。


 冒頭から音楽がやばい。最初から70年代マイルスを彷彿とさせるクラスター・オルガンがジュワーンと染み入るように鳴き、それからファンキーなドラムが入ってくるところでもう「誰だ!?これ書いたの!!」と立ち上がってシャウトしかねない。すげぇ…すげぇ…、言ってたら画面にはデカデカと「ラロ・シフリン」の文字が。どうりで……。微分音で和音が濁るストリングスは斬新だし、女性のコーラスなどはリターン・トゥ・フォーエヴァーみたいだ。ラロ・シフリン、サントラ以外でフュージョン・バンド組んでたりしないのかな(普通に『ジャズのベーシスト』やってる音源は持っている)。



D


 盲点だった。ラロ・シフリン、ものすごい好きじゃんか、俺。ラテン、ファンク、ジャズ、マネー、好きなものが一挙に揃うなんてなかなかないぞ。


 映画はもう文句なしに面白かったっす。それだけっす。





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鳥サウンドがすごい。

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鳥
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ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン (2005/12/23)



 続けて二本目。ヒッチコックの映画は初めて。全くの偶然だけれど『ダーティーハリー』も『鳥』もサンフランシスコ(またはその周辺)が舞台になっていた。


 最初から主人公が場面(というか映画的な世界)にずっと馴染まないような感じで「異物感」が強烈だったんだけど、映画そのものも世界に異物が入り込んだときのアレルギー的な反応、パニック症状みたいなものが描かれてるように思った。しかし、これほど「精神分析的に読むとすっきり解釈できますよ」と思わされる映画は見たことがなかった。そりゃ、ジジェクも大喜びするわな。準主人公的な弁護士ミッチとその母親の関係にも何か倒錯した親子愛を感じさせるし、もっと露骨なものであればレストランで主人公がヒステリックな罵声を浴びせかけられるシーンでは、その批難をする人たちは全て女性だ(実際には批難は代表者的な一人の女性によってなされるのだが)。


 あと主人公が鳥に襲撃喰らってるシーンは、ものすごくエロい。本気で興奮してしまうぐらいエロい。このシーン、カメラは主人公の右手→顔→左手→右手→顔…と繰り返し切り替わっていくんだけど、典型的なベッドシーンのカメラワークな感じもする。なんだ、このエロスは。


 やっぱり私は映画を観ていても音が気になって仕方ないのだけれど、この映画のクライマックスで聞かれる鳥の鳴き声はすごい。シンセサイザーとテープの回転速度操作でカモメの大群が襲撃している感じを演出してるんだけど「シュトックハウゼンか!」っていうぐらいの音のカッコ良さである。これ、5.1chで音を組み直したら大変なことになるぞ。(シュトックハウゼンかジョージ・マーティンあたりに頼みたい)。


 ヒッチコック、面白かったのでどんどん観て行きたいと思います。ジャングルジムに集まるカラスのところと、レストランで議論してるシーンが好き。議論シーンって海外の映画作品でよく観る気がして、すごく日本と外国との文化の違いみたいなものを感じる。『12人の怒れる男』しかり、『真昼の決闘』しかり、外人って議論好きだよなぁ、というか。





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脱-構築はなんでこんなに分かった気にならないのか

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デリダ―なぜ「脱‐構築」は正義なのか
斎藤慶典
日本放送出版協会



 アドルノ関係ばっかり読んでいて疲れてきたので、気分転換にデリダ(の二次文献)。100ページちょっとの薄い本。そんなんでデリダが語れるのか、と最初から疑問に思って読み始めたけれど、やっぱりよく分かんなかった。難しいような感じがします、デリダは。時間があるときに一次文献からゴリゴリ読んでみよう……。今はあんまり余裕がないから。


 でもきっと「差延」とか「脱-構築」とか、そういう術語を使いこなせるようなレベルに達しても「ああ、なんかよくわかんないなぁ(世界は)」という種類の思想なんだろうなぁ、という感想を持ちました。読んでいて気持ちよくならない読書はしたくないですね。


 ちなみに古本市で500円。今年出たばかりの本なのに。





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マクロな世界で戦うアドルノ

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 表紙が良いですね。ホルクハイマーの前に並ぶマルクーゼ、アドルノ、ハーバーマス(アドルノの顔が酷い)。このポップなイラストに象徴されるように、内容も易しい。日本語で書かれたアドルノ関連の二次文献では、驚異的な簡潔さと平明さを持っている気がする。アドルノに興味をもたれた方は細見和之のアドルノ―非同一性の哲学と併読し、アドルノの著作に突入すればスムーズに事が進みそうだ。この二冊があれば、アドルノの思想の一番ミソの部分を「理解」することができる。けれども(藤野寛がまえがきで言うように)アドルノの著作は「理解」するためだけではなく「味わう」ものなのだから、一次文献を熱心に読むことに是非挑戦していただきたい。


 このブログでは、アドルノについて何度も書いているため、改めて書くようなことはあんまりない。一点あるとしたら、この本に書かれているアドルノの姿は、「私が読んでいるアドルノ」よりももっと「闘ってる場所」が広い感じがした。私が細見和之のアドルノ本を先に読んでしまったから自然とそういう風に読んでいるのかもしれない。細見本のアドルノはもう少しミクロな世界で闘っている感じがする。そういう意味で細見本(ミクロなアドルノ)と藤野本(マクロなアドルノ)の両方を読むことの有用性が発生する。ホルクハイマーを同時に扱っていることが、必然的にアドルノをマクロな方向で描かせているのかもしれない。


 アドルノの講義録『哲学の用語』にはこんなセリフがあるそうな。「哲学というものは、あるテーマの集合ではない。むしろある精神の姿勢、意識の姿勢なのだ」――私の関心領域とは全然関係ないけれど、痺れるような名言だ。「俺が好きなものはすべてメタル」と豪語するメタル・ゴッド伊藤正則に匹敵するような力強さ。





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クラオタの聴取態度こそ、ユートピア的だ

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http://d.hatena.ne.jp/encyclopector/20061030


 id:encyclopectorさんの記事を読んで「クラオタの聴取態度は、ユートピア的だ!アドルノの夢想したユートピアの住人は、クラオタだったのかも!!」とか考えてしまった。以下、思いついてしまった無茶苦茶な論理展開が繰り広げられてるんで畳む。紹介したCDは本当にすごく良いです。そこだけは嘘じゃない。




 タワレコとかHMVのクラシック・コーナーに入り浸るクラシック・ファンは、ものすごい量のCDを買う。しかも呆れるくらいに同じ曲で違う演奏者のCDを買う(自分もそういう種類の人間だ)。人によって「思わず買ってしまう曲」というのは違うだろうけど、私にとってはショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番がそれ。たぶん10枚以上あるんじゃなかろーか。私よりもっとすごい知り合いになると「買ってしまう曲」が「買ってしまう全集」にまで拡大されて、マーラーの交響曲全集を10セット以上持っている人までいる。それだけでCDが100枚を超えちゃうだろう。オタクの購買意欲ってすごいのである。


 こういう話をクラシックを聴かない友達なんかにすると「ねぇ、なんでそんなに買ってどうするの?」と訊ねられる。これはすごく答え難い質問だ。CDは食べられないし、場所を取るし、音楽を再生すること以外にはカラス避けぐらいにしかならないし……。またある時はこんな風に訊ねられる――「クラシックって違いを楽しむものなの?比較したりして」と。これも微妙なところだ。まぁ、違いを楽しんでいるのは否定できない。でも私は下のように言われることだけには断固として、決然と「違う!」と答えたい。



クラオタってなんか色々あれこれCDあげて、イチャモンつけて「あれはダメ。これはダメ」とか言う人たちでしょ?



 まぁ、こういう人もいることにはいるんだけど……。でも私は違う(!)。それに私の周りにはいない。いるとしたらタワレコとかHMVとかじゃなくて、石丸電気の海賊盤コーナーか2ちゃんねるのクラシック板にはわんさといるだろう。けれど、良心的なクラシック・ファンはきっともっと世界が広いはずだ。


 ここでアドルノに話が一気に飛ぶ。今、夜更かししながら藤野寛のアドルノ/ホルクハイマーの(問題圏;コンテクスト)―同一性批判の哲学という本を読んでいる(そんなだから、クラオタとアドルノを接続して考えることができたわけだ)。読了したらまた改めて感想を書くけれど日本語の二次文献としてはすごく良い本だ。この本のなかでは、アドルノとホルクハイマーの「反ユダヤ主義の分析」についてこんな風に書かれている箇所がある。



アドルノが願ったのは、(ドイツ人と)「同じではない」ユダヤ人というあり方が尊重された上で「同じ」人間として遇されることであったはずである。



 これはアドルノ/ホルクハイマーの非同一性の思想のなかで、最も分かり易い実際的な例だろう。ユダヤ人とドイツ人は「同じ」人間として同一化することができる。しかし、それは条件付な同一化だ。現に大戦以前にドイツ人たちのなかに同化しようとしたユダヤ人たちは「ユダヤ教信仰を捨て」、「割礼をやめ」、「イディッシュ語を捨て」た。同化ユダヤ人を受け入れる側からすれば、こんな風に言えるだろう――「ユダヤ教信仰を捨てて、割礼をやめて、ドイツ語喋るんだったら、俺っちの仲間に入れてやってもいいぜ」という具合に。その同一化の一方向性には「多様性」存在し得ない。見るからに暴力的だ。


 こういった態度をアドルノとホルクハイマーは批判した。引用した部分は、そういった「行き過ぎた同一化」批判から望まれる変化だろう。ただ、著者はここで『はずである』と強い言い方をしているけれど、そんな風にベタで考えていたかはよく分からない。やっぱり「『同じではない』ものを尊重しつつ、『同じ』だ」なんて言えないような気がする。アドルノ/ホルクハイマーだって、それが不可能だからシニカルにそれを標榜してたんじゃなかろうか(ガチなロマンチストだとは到底思えないから)。不可能だからこそアドルノは、そういった状態を「ユートピア」と表現したんじゃないかな、と思う。


 でも、あったんだよ。(良心的な)クラオタの心の中には!!



ブラームス:交響曲全集
ケンペ(ルドルフ) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ブラームス
ユニバーサルクラシック (2000/06/24)
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Brahms: Symphonies Nos. 1-4; "Haydn" Variations; Alto Rhapsody; Overtures
Johannes Brahms Otto Klemperer Christa Ludwig Philharmonia Orchestra of London
EMI (2004/04/06)



 今、目の前に二つのブラームスの交響曲全集がある。片方はルドルフ・ケンペ/ベルリン・フィルによる演奏。もう片方はオットー・クレンペラー/フィル・ハーモニア管による演奏。前者はキビキビとしたテンポで、スマートかつ現代的。後者は一歩一歩雪の上を踏みしめて歩くようなテンポで、豊かな響きがある。


 悪いところをあげるなら、ケンペの録音はいささか音質が悪い。ベルリン・フィルは抜群に上手いけれど、録音技術のせいもあり冷たく聞こえてしまうかもしれない。一方、クレンペラーの演奏は時にそのルバートや場面展開が田舎くさく聞こえてしまうきらいがある。録音は50~60年代にかけてとは思えないほど抜群で「昨日のサントリー・ホールでの演奏」と偽っても通用しそうだからこの時期のEMIの録音はすごい(ちなみにこの二つの全集に録音時期の大きな差はない)。


 クラオタはここで「真のブラームスの姿に肉薄した演奏はどちらか!?」などとは考えない。もしかしたら「あー、ケンペの演奏ねぇ……録音があんまり良くないよねぇ……」、「クレンペラー?まぁ、悪くないけどテンポ遅すぎだよなぁ」とは指摘をするかもしれない。けれど、最終的に「どちらも良い演奏だ。歴史的な名録音と言っても良い。どっちも捨てがたい」と言うはずだ(『ついでにベーム/ウィーン・フィルの演奏も歴史的名録音だよな』とさえ付け加えるかもしれない)。


 要するに、この状態は「同じではない」クレンペラーとケンペというあり方が尊重された上で「同じ」ブラームス演奏の名演として遇されていると言えるだろう。そもそも「ケンペの録音がもっと良かったらねぇ」、「クレンペラーのテンポがもう少し速かったら」ということに何の意味があるのだろうか。それを願ったその瞬間から、その演奏はケンペである必要はなく、クレンペラーである必要も無い。演奏者の固有名が失われてしまうのである。


 これは一つの例に過ぎない(別にブラームスじゃなくても良い。ベートーヴェンでもブーレーズでもなんでも良い)。しかし、分かっていただけただろうか。アドルノ/ホルクハイマーが提唱するユートピアがクラオタの精神のなかには成立している、ということを。


 クラオタの精神は「音楽への愛」によって成立している、と私は考える。もしそうであるとするならば、アドルノ/ホルクハイマーの思想も「愛」によって成立させられたことを示していないだろうか。


 何に対しての?――もちろん人間に対しての。ただペシミスティックな批判を繰り返してるだけじゃないんだよ。





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篤く御礼申し上げます

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 アマゾン・アソシエイトの第3四半期の売り上げレポートが出ました。当ブログをごらんになった方々に、こんな商品をお買い上げいただいております。





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ベートーヴェン:弦楽四重奏曲
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ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番&第31番&第32番
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JAZZ LEGENDS―ダウン・ビート・アンソロジー
広瀬 真之 フランク・アルカイヤー 田村 亜紀
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啓蒙の弁証法―哲学的断想
マックス・ホルクハイマー テオドール・W・アドルノ 徳永 恂
岩波書店
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メロスが見た星―名作に描かれた夜空をさぐる
【エビ】名 博 えびな みつる
祥伝社




Walter Legge: Words and Music
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 以上の12点で1244円の紹介料が発生しました。第2四半期とあわせて2500円分のアマゾンギフト券になったので早速CDと交換しました。それらはいずれブログで紹介していこうと思います。ありがとうございました。





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絶対音感をお持ちの方は聴かないでください。

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 新曲。チューニングをするのを忘れて最初から音が気持ち悪くなっています。本当にこれは酷い。本気でカッコ良い音楽を目指して作っているのに、途中でどうして良いかわからなくなりました。最終的に心をざわざわさせるヘンなものになってしまった。自分で聴いていて落ち着かない。でも、このヘンな感じは好きだ。


 ちなみに曲名は「カシアス・クレイ・フォーエヴァー」。特に意味はありません。リミックスはあざけり先生による2つのバージョンがあります。これらはシングルのカップリングとして収録され、エイベックスより発売される予定がありません。












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 アレック・エンパイアに匹敵するほどの暴力的リミックス。












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 こちらは若干BPMを上げた柔らかバージョン(笑顔のカシアス・クレイ)。どちらもチューニングの悪さが余計に露呈する結果となりました。 





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最近のロバート・ワイアット

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D


 仙人の領域に達しているな……。





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新曲

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 「黒い時計の旅」(タイトルは適当です)という曲。途中でどういう風に曲を展開して良いかわからなくなり、放置していたものにあざけり先生がヴォーカルとアコギ、ダブっぽい処理を加えてくれました。後半展開されるヘンなギターは「轟音ギター(モグワイとかのそれ)ってこんなだよな?」というイメージで私が弾いたものですが、着地点がモグワイからだいぶ遠くなりました。なんか狙ったところに全然ボールがいかない感じ。





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カンタベリー系バンドの動画を集めました。

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キャラヴァン



D


 ソフト・マシーンとともにカンタベリー・ミュージックの源流とされているバンド。もともと「サイケかつ極上ポップスで、なんか牧歌的」という良いバンドだったのですが、後にフゥージョン/ジャズ・ロック化しあんまり面白いバンドじゃなくなってしまいました。これは彼らのアルバムのなかで最も個人的に愛好している『グレイとピンクの地』からの曲。BBCで放送されたスタジオ・ライヴのようだけれど、極彩色の画面が時代を感じさせます。



グレイとピンクの地+5
グレイとピンクの地+5
posted with amazlet on 06.10.28
キャラヴァン
ユニバーサルインターナショナル (2002/09/21)
売り上げランキング: 6,847



 70年代ロックのアルバム・ジャケット「イラスト部門」で一位に推したいぐらいジャケットが好き。プログレばっかり聴いていた高校時代に何も知らずに買って「ああ、こういう素敵な音楽もあるのか!」と心が洗われた一枚です(自分語り)。


ソフト・マシーン



D


 でもう一つのカンタベリーの源流、ソフト・マシーン。これは1970年のフランスでのライヴの模様。代表作と言われる三枚目のアルバムからの曲が演奏されています。若きロバート・ワイアットがドラムを叩きまくっているのが、ひたすらカッコ良い。この人のドラミングはすごく音数が多いのに、ビシッと空間が埋まる感じではなくてヘンな浮遊感がある。そこが好きです(最近の人だとtoeのドラムの人に似たようなものを感じた)。



3
3
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ソフト・マシーン
Sony Music Direct (2005/03/02)
売り上げランキング: 17,320



 初めて聴いた時は「なんだか訳の分からないアルバムだなぁ……」と思っていたのだけれど、2年ぐらい聞き続けていたらとても好きになったアルバム。1970年、おそらくイギリスのジャズ・シーンにも電気とクスリの力でモリモリになったマイルス・デイヴィスの音楽が届き、サイケ・ポップと幸せな融合の仕方をしてしまった時代の音楽なのだと思います。


ハットフィールド&ザ・ノース



D

 ソフト・マシーン脱退後ロバート・ワイアットはマッチング・モウルというバンドを結成するのですが、なんかパーティー中に酔っ払って五階から転落、下半身不随……という悲劇的な目に会います。で、残されたマッチング・モウルのメンバーが、ピップ・パイルというドラム*1を加えて結成したのがハットフィールド&ザ・ノース。キャラヴァンのキーボード兼ヴォーカルだったデイヴ・シンクレアがベース兼ヴォーカルです。すごくこの声が好き。



The Rotters’ Club
The Rotters' Club
posted with amazlet on 06.10.28
Hatfield and the North
Virgin (1992/04/10)
売り上げランキング: 4,672



 これもバカテクのジャズ・ロックを下地にサイケ・ポップを混ぜた感じがするアルバム。このバンド一応「スーパー・グループ」なんだけど、各メンバーがそれまでやってたことをそのまま足し算して、人数分で割り算したみたいな感じがあります。悪くないけど、全然ケミストリーとかは起こっていない……。ジャケが良いなぁ。




*1:今年亡くなりました。お葬式の動画までYoutubeにアップされています。http://www.youtube.com/watch?v=UxdIQwCVUu0





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この前アップした曲を

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 あざけり先生(id:azakeri)がリミックスしてくれました。


 ちなみにこの曲には「終わりのみえない夢」というタイトルがついています。作曲中、どこで展開して良いのか、どこで終わって良いのか全然分からなかったことがそういったタイトルをつける直感を呼びました。


 叙情派、あざけり先生の手腕によって少し高級感が増した気がします。





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ジャズ批評対ジャズ批評

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ジャズ宣言 復刻句
ジャズ宣言 復刻句
posted with amazlet on 06.10.27

現代企画室
売り上げランキング: 811,116


 卒業論文でアドルノを取り扱っておりますが、そこで「アドルノ(テキスト音楽を語るもの)対ジャズ批評(非テキスト音楽を語るもの)」という章を設けようとおもい、半年ほど前からジャズについての批評文をこそこそ読み続けております。が、植草甚一を読んだあたり*1から「なんか正直面白くないなぁ……」と思い始めて、さぼっていました。ジャズに関する文章は、音楽と感情が直結して考えられているのが多くて、ずっと読んでいると食傷気味になります。


 平岡正明の『ジャズ宣言』はしばらく前に古本市で買っておいたもの。これはそういった音楽と感情を直結回路で結んだような批評に対する批判もあって「面白い!」と思った。積読が大変なことになってきたため、本の山を崩そうと期待せずに読み始めましたが、侮ってはいけなかった!



オーネット(・コールマン)がエレヴェーターを最上階にとめてアルトサックスの練習をしていたのをみつかりクビになったという記事は、記事としてもユーモラスで、ニヤリとしたくなる味わいをもっているが、これと彼の演奏がどうかかわっているかは見当もつかない。じっさいこの小事件はオーネットの音楽には屁でもない



 こういう音楽と人間とを切り離した考え方は、1930年代から1990年代にかけての本場アメリカのジャズ批評にも見受けられなかった斬新さがある。読んでいて時々「アドルノか!?フーコーか!?」という部分もあり驚く。「言語だけが思想ではないのですよ。アメリカの黒人はジャズとリズミックな身体の動きでものを考えているのかもしれませんぜ。」――まさにミメーシスじゃなかろうか。






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アドルノは静かに眠れない。

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 『迷走する音楽』という本を宮下誠は書いており「現代美術を専門とする先生が何故現代音楽について書いているのか」とは前から疑問に思っていたのだが、値段が高かったので手を出さずにいた。そんなところに似たような内容の新書が出たことを知ったので読んでみることに。


 スペクトル楽派(原初をシェルシとするような)が無視されていたり、ヒンデミットの新古典主義を「誤読」していたり「ああ、やっぱり専門家の書くものじゃないよな……」と思うところがいくつかあったけれど、内容としては悪くない本だ。一応、20世紀音楽は俯瞰できる。個人的な趣向からいえば、ルイジ・ノーノの扱いは酷すぎる、と思ったけれど(極左の政治的メッセージを取り扱った作品のみの紹介って……)。


 たくさん作曲家の名前が載っているから「現代音楽って聴いてみたいな」という人には良いかもしれない。面白そうなものを見つけたらCDを買えばよろしい……と細かく文句を言いつつ本を紹介してみましたが、本当はこの本を読みながらめちゃくちゃイライラしました。「これは大学の先生が書くような本ではないなぁ……」と。まえがきの部分で「私は音楽を専門としないので……」と言い訳をしているのがまずダメ(じゃあ、書くなよ)。


 それより気に障るのはこの本の目論見の中途半端さだ。


 筆者は「感情移入できる音楽=わかる音楽」とするのに対して、シェーンベルク以降の大部分の音楽を「感情移入できない音楽=わからない音楽」と置いている。「《20世紀音楽はわからない》けれど、《わからない》ままに《おもしろく》感じさせること。これは《わからない》けれど《面白い》と感じさせること」がどうやら目論見としてあるらしい。そういう態度はまぁ良い。個人的にもなんだかわからないものは好きだし、筆者も述べているように、ポスト・モダンの文化的状況は「畸形」を好むらしいしね。


 でも、やっぱり「感情移入できる音楽=わかる音楽」としているところが気に食わない。それこそ一番解体されなければいけない問題なんじゃなかろうか、と思う。音楽に限ったことではないけれど「共感した」とか「感動した」とかそういった感情移入的な言葉で、何らかの感情を言いくるめてしまうこと、あるいは「感情の(言葉による)囲い込み」ができないものを拒絶してしまうことが、私は問題な態度だと思う。


 もう一点。筆者はたくさんの楽曲の解説をしている。けれども、それは「わからない20世紀音楽」という混沌を、「面白く感じさせる」ために秩序だてているだけのように思えた。これがやっぱりこの本の目論見の中途半端さだと思った。もっとも「面白くさせる」には、いくぶん語彙が貧困な感じもするのだが。特に頻出する「前衛していてよい」という褒め言葉(?)には失笑させられた。





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友達からベースを買ったので

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 久しぶりに録音を行ってみました。ベースの弾き方とかわからないな……(三万円で買ったのに、結局ルート弾きしかしていない)。



残響ピクニック
残響ピクニック
posted with amazlet on 06.10.25
fishing with john
バウンディ (2005/10/19)


 最近聴いているfishing with john*1を意識してみましたが、改めて聞きなおすとだいぶ距離が遠い。なんか私のはやたら牧歌的になってしまいました(そしてテクもなければ、編集ミスでコード進行がおかしい部分あり)。カッコ良い音楽をやりたいなぁ……。




*1:日本の宅録ミュージシャン。明るいジョン・フェイヒィみたいな感じ





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チャットモンチーとDevo

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D


 まず、こちらをごらんください。



D


 似てない?なんとなく。





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ホルクハイマーの方が怖い!

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理性の腐蝕
理性の腐蝕
posted with amazlet on 06.10.24
マックス・ホルクハイマー 山口祐弘
せりか書房
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 アドルノの兄貴分(?)、マックス・ホルクハイマーの『理性の腐蝕』を読み終える。この人、フランクフルト学派の創設に関り、フランクフルト大学社会学研究所の所長だった人なのだが、強引にホワイトベース隊に喩えるならばブライト艦長みたいな位置なんだろうか。アドルノはハヤト・コバヤシ、ベンヤミンはスレッガー中尉とかで。ハーバーマスは第二世代なのでカツ(『Z』で活躍)。


 いきなり脱線してしまったが『理性の腐蝕』はアドルノとの共著『啓蒙の弁証法』のなかで展開される二人の思想を紹介する目的で書かれていたらしい。序文から「われわれの哲学は一つである」とか書いてあって二人の若干ホモセクシャル的な関係性を伺ってしまう(実際はどうかしらない)。内容は『啓蒙の弁証法』とやや重複する部分があるけれど、ここでのホルクハイマーの視点はもっとコンパクトにまとまっており、書き方もかなり分かり易く書かれているように思われた。なので、アドルノ/ホルクハイマーの思想に触れるのであれば一番最初にお奨めできる本なのかも。


 「元来《理性》たるものは、客観的に存在する秩序であり、人類がたどり着くべき《目的》であった。にもかかわらず、我々は《理性》を合理性の名の下に《手段》として使うようになってしまった!!(超要約)」――この本の中でホルクハイマーはこのように批判をはじめる。で、「確かにそれは社会における人間の個人化をもたらした。しかし、《理性》は徹底した道具の地位にまで貶める産業構造は、個人化した人間を機械化させ人間性や主体性を奪ってしまったのである!!(超要約)」とかお怒りになるのだが、ここまで至る過程は「理性をめぐる思想史」に言及しながら進められるため、読み易い。

 個人的に面白かったのはアメリカ南北戦争時にチャールズ・オコナー*1が行った演説を引用しているところ。ここでもその演説内容を引用しておく(ここは唯一笑いどころだったから)。



自然の明らかな定めと、健全な哲学の命ずるところに従って、われわれは、奴隷制度が正当であり、恵み深いものであり、法に適っており、適切なものであると宣言しなくてはならない。



 これに対してホルクハイマーは「こいつらの言う哲学ってなんだ?手前勝手に《理性》を捻じ曲げて道具にしてるだけじゃねぇか!!」と問題視するのである。このあたりは近代における法の自己言及性の指摘などとも重なって読めるのかもしれない。私自身としては、こういう現代的な価値観・倫理観とのズレがただ単に笑えてしまうだけなんだが。チャールズ・オコナーの後に紹介されるフィッツヒューという人の文章も面白い(彼の場合、徹底的に哲学を批難し『常識』こそ正しいのである、というのだが、その『常識』の名の下に奴隷制度を礼賛するのである)。


 「今日理性と呼ばれているものの拒絶こそ、理性の果たしうる最大の貢献である」と皮肉っぽく、しかし強烈にこの著作は締められるのだけれど、問題や主旨が明確なだけあって「アドルノよりも怖いな……」と思ってしまった。その前の方には「今日、理想郷への進歩は、まず、社会権力の抵抗しえない機構の比重と原子化された大衆の比重のあいだの完全な不均衡によって妨げられている」とあるし、「アレゲに紹介されるフランクフルト学派」の読み方はあながち間違っていないような気がした(そこにアドルノとホルクハイマーの名前はなかったとしても)。




*1:奴隷制度賛成側にいた政治家





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とりつかれたように読む

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失われた時を求めて〈6〉第三篇 ゲルマントの方〈2〉
マルセル・プルースト Marcel Proust 鈴木道彦
集英社


 勢いで6巻も読み終えてしまう(7、8巻も買ってあるけどこのまま行ってしまうかどうかは考えものだ。他に読まなくてはいけないものがありすぎる)。些細な印象だけれど、5巻ぐらいから小説の中で語られる音楽に実在の固有名詞が多くなっている気がする。ベートーヴェン、シューベルト、ワーグナーの名前が何度も出てきた。具体的な想像を駆り立てられる。特に語り手とシャルリュス氏との間にいざこざで突如聴こえてくる《田園》の第5楽章*1などは、そんな劇的な演出があったらさぞ驚いてしまうだろう、と思う。


 前巻の最後のほうで発作を起こしてしまう語り手の祖母が、衰弱し、息を引き取るまでが第6巻の前半部分で描かれているのだけれど、この部分がすごく良かった。これまで社交的な人間関係(俗っぽくて、いやらしい感じの)ばかりが描かれてきたなか、祖母を看病する家族が初めて家庭劇のように現れ、特に語り手の母親の心理は乱れる。けれど、その乱れによって私は、なんか「人間的だなぁ」と愛着をもって読めるようになった気がする。祖母が死ぬ瞬間の描写は「ちょっと、すごいな…これは……」と溜息が出るぐらい美しい。「一瞬の緊張の後にやってくる、静けさ」と言った類の書き方で、これと似たものでカーヴァーの『ささやかだけれど役に立つこと』を思い出す。


 長大な物語もあと半分とちょっと。




*1:プルーストは第3楽章と誤記している





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まるでギターをオモチャのように

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D


 イギリスのアート・ロックバンド、Henry Cowに在籍し、その後はニューヨークを拠点に活動するミュージシャン、フレッド・フリスの映像がYoutubeにアップされていました。自作の楽器(板にギターの弦とピックアップをつけたもの)や横にしたギターを一生懸命に叩くフレッド・フリスと対峙しているのは、和太鼓の林英哲。



Step Across the Border
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 映像は彼の活動を追ったドキュメンタリー映画『Step Across The Border』から抜粋されたもの。オープニングはフレッド・フリスのバンド、Skeleton Crewの音楽をバックにしてスピード感のある文字のアニメーションが展開されるところからグッとひきつけられるところがある。ドイツの映像作家シネノマドによって製作されたこのフィルムは普通のドキュメンタリーよりもアートシネマに近いような気がします。



D


 こちらは比較的新しい映像。難聴のパーカッショニスト、エヴェリン・グレニーとの共演。活動の拠点をニューヨークに移してからのフレッド・フリスの活動は本当に幅が広すぎて追いきれない部分があるのだけれど、どこで誰とやっていても発想そのもの自由度に驚いてしまう。宇宙人と共演してもきっと面白いものを聞かせてくれそう。



Unrest
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Henry Cow
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 Massacre、Art Bears、Skelton Crew、Material、Naked City……と参加しているバンドは数多く、他にもソロ作品がたくさん。好きになってしまうと買い集めるのが大変な人なのだけれど、なかでも私の心に最もこびり付いてはなれない彼の演奏はHenry Cowのセカンド・アルバム。1曲目の息が長いフレーズ運びに一発で「好き!」って思ってしまい、以来病み付きです。





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仏文はエロいという幻想を打ち破るために(番外編)

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失われた時を求めて〈5〉第三篇 ゲルマントの方〈1〉
マルセル・プルースト Marcel Proust 鈴木道彦
集英社


 「フランス文学は本当にエロいのか」を検証するためにフランスの古典文学を読んでいましたが、これは古典じゃないので「番外編」としました。「プルーストはエロい(表現とか様々なものが)」というのは自分の中で落ち着いてしまっているし。以前は文庫の出版のペースで「はやく次が出ないか」と待ち遠しかったのだけれど、今や8巻まで出ていて置いてきぼりを食らっています。まだ5巻だよ……6巻買ってあるよ……。追いつけんのかな…っていうか『フーコー・コレクション』も3巻買って2ヶ月以上放置してあるぞ……とセリーヌばりに中黒多用で愚痴も飛ばしたくなります。最近良い文庫化多すぎ*1


 ここ最近ハードな本ばっかり読んでいて(学術書に重ね、全く興味がないシステム・エンジニアのテキストも並行)、電車の中で読むプルーストが一番解放感ある至福の読書時間でした。開いたページ一杯に広がった活字に、体を溶け込ませていく錯覚を楽しむ感じでしょうか。時折、ハッとするような言葉があったりしてね。「ものを食べるときの彼女は、手先がいかにも不器用なので、舞台で芝居をするときもさぞかしぎこちないことだろうと思われた。彼女が器用さをとりもどすのは愛の行為のときだけで、男の肉体が好きでたまらない女たちに特有の驚異的な勘をはたらかせて、自分たちの肉体とまるで違っているのに、どうやったら男の肉体に最高の快楽を与えられるかをひと目で見抜いてしまうのである」――どうだ!この包み隠されまくったエロ表現!!(別にこんなのが延々続くわけではない)


 前の巻でも「きっと素敵な人に違いない!」と思っていたオッサンが、話してみたら高慢ちきなタダのオッサンで……としきりに幻滅する「私(語り手)」だがこの巻でも幻滅しっぱなし。オペラ座で見かけたゲルマント公爵夫人に対して「うっわー、なんて綺麗な人なんだろう……」と恋焦がれ、彼女の甥っ子である友人に「頼む!あの人に引き合わせてくれるようなんとか手を売ってくれないか」と根回しするんだけど、会ってみたらなんか冷たくあしらわれちゃって……。涙出ちゃうよ、そんなん。


 それ以上にこの巻でグッときちゃうのは語り手がゲルマント公爵夫人と一緒にいたサロンに、以前語り手を魅了した女性がやってくるところ。ここで語り手は過去の感情を少し思い出すのだけれど、今は少しもピンと来ない。何も感じない。「あのときはあんなに憧れていたのに、今は本当にあの人なのかすらも信じられない……」。そんな過去への憧憬がなんともいえず良い。そういうことってあるよね……。




*1:でも、本当に今!必要なものは少ない。河出書房新社は『美の理論』を筑摩か平凡社に権利売って、文庫化させやがれ!





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フランクフルター陰謀論に爆笑

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http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20061018/p2

 昨日『否定弁証法』を読み終えた勢いで感想みたいな文章をエントリしてみたところ、こんな過疎ブログにしては多すぎるブックマーク数がついて内心びっくりしていました。が「フランクフルター陰謀論(笑)」の余波があったせいなのですね。後で読み直したら酷く分かりにくく、無意味な文章だったので「マズいかな……(『アドルノ入門』なんてブクマコメントいただいちゃってるし…全然入門でもないし……)」と思ったりしたのですが、ここで晒されている八木秀次と西尾幹二というお二方*1のフランクフルト学派理解(?)よりはマシかなぁ。それにしても「フランクフルト学派だ――そうです」の流れはツボすぎ。いくらでも流用できる気がする。


http://d.hatena.ne.jp/boiledema/20061014#1160828600


http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/marxsyugi2.html

 しかし、これはすごい*2。よくもまぁこれだけバイアスをかけて読めるものだな……と思いました。「現在私達が持っている『人間性』を完全に破壊したところで初めて何か新しいものが始まる」とか言って、昨日私が書いたことのまるで正反対の位置にある解釈が書かれています。まぁ、私が読んだフランクフルト学派(に位置すると言われてる人たち)の本は限られていて、限られてるっていうかアドルノとホルクハイマー*3しか読んでないんだけど、こういう解釈は可能といえば可能な気もします。



理性の腐蝕
理性の腐蝕
posted with amazlet on 06.10.21
マックス・ホルクハイマー 山口祐弘
せりか書房
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 ちょうど今、私はホルクハイマーの『理性の腐蝕』を読んでいる途中*4。この本の序文にはこんな文章が書かれています。



本書の目指すところは、現代のわれわれの産業文明の根底にある合理性の概念を研究し、この概念が産業文明を本質的に腐敗させる欠陥をもっているのではないか、ということを探ることにある。



 さて、どうでしょうか。「『理性的なものを次々と破壊していく』という思想」の本のように思えてきませんか?と言われても私自身がそのようには絶対読めないのでわかんないんだけど。


 アドルノの『否定弁証法』からも少し引用してみましょう。



普遍性に踏みにじられた特殊者のユートピアに対する共感、すなわち、実現された理性が普遍者の特殊な理性を凌駕するようになった暁にはじめて存在するであろうあの非同一性に対する共感が彼(ヘーゲル)には欠けている。



 ここだけ抜粋してみると、まぁ難しいこと言ってて何を言ってるのかわかんないな……と思いつつ、話を進めます。こんな風に言うアドルノアドルノを読んで「ユートピアとか危なそうなキーワードが出ているし……はっ、アドルノって国家を転覆させて、ユートピア作ろうとしてんのか!アドルノってユダヤ人なのか!!うわっ、ユダヤ人による世界征服の思想か、これは!!!」と読むことも(かなり無理があるけど)可能だと思われるんですね。


 しかし、このような曲解ではなく、ホルクハイマーとアドルノの著作をマジメに読んで「そうか合理的理性なんかダメなんだ!」とマジに受け取ってしまう人もいると私は思います。レベル的に言えば曲解している人たちと同じ程度のバカ。むしろ性質の悪さで言ったら曲解派以上かもしれません。アドルノとホルクハイマーの思想に触れ、我々が考えなくてはいけないことは「《合理的理性》と《その批判者》、どっちが正しいか」ではないのです。これは宮台真司と北田暁大の対談集『限界の思考』に「《ハーバーマス-ルーマン論争》で『どっちが正しいか』とか言っているヤツはバカ」と出ているのと同じような感じ。だからこそ『否定弁証法』は「限定的否定」だったわけで「合理的理性、ダメ、絶対」となったら従来の弁証法(同一性の思考)と全く同じになってしまいます。どちらが正しいともいえない宙吊り状態(『超安定』と言っても良いかもしれませんが)が重要なのです。



限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学
宮台真司 北田暁大
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 今「うわっ、これすげぇ良い本だなぁ……」と思いながらパラパラとめくって該当箇所を探そうとしてたんですが見つからない……。そして探しているあいだにこの話をどこに着地させて良いのかわからなくなってしまったので、強引に終わります。とりあえず『限界の思考』は良い本!フランクフルト学派についても分かるよ!!




*1:私はどちらに関してもよく知りません


*2:これもhttp://www1.u-netsurf.ne.jp/~ttakayam/hurankuhurutogakuha.htm


*3:アドルノと一緒に『啓蒙の弁証法』を書いた人


*4:先日池袋であった古本市で630円でゲット。信じられない出会い





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合理性の暴力から逃走する

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否定弁証法
否定弁証法
posted with amazlet on 06.10.19
テオドール・W. アドルノ Theodor W. Adorno 木田元 渡辺祐邦 須田朗 徳永恂 三島憲一 宮武昭
作品社
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 アドルノ*1が7年の歳月をかけて書き下ろした大作『否定弁証法』。彼の思想的な基本姿勢がつまった集大成的著作である。素晴らしかった。恥ずかしながら読んでいてマジで二度ほど泣いた。


 この「作品」の主な論点は訳者、徳永恂による解題にすごく簡単にまとめられている。アドルノは「非同一性の人」とよく呼ばれるのだけれど、この本でも基本はそう。合理的理性(ラチオ)による同一性の認識に対しての疑問のまなざしが注がれ、カントやヘーゲル、そしてハイデガーに対して「限定的否定」としての「批判」がされている。とくにヘーゲル的弁証法(否定の否定は肯定)に対しての批判は厳しい。ここでアドルノはアンチテーゼ的な「特殊者」(否定の否定によって肯定とされ、普遍性のなかに取り込まれる者)を擁護する立場に経とうとしている。途中、ホルクハイマーと共著『啓蒙の弁証法』で試みられた啓蒙に対する批判も挿入しながら、アドルノは非同一性にとどまろうとしているように思われた。


 この辺の話は第三部の第二章までに書かれており、とても難しい。というかあえて難しく書かれている。分断されたエッセイのように文章が置かれ、長い序論があったにも関らずアドルノの「意図するところ」はなかなか見えてこない。


 しかし、第三部の第三章になって曇りは晴れる。「アウシュヴィッツのあとで」という部分から話は一気に具体化し、アドルノが危険視するものの姿がドンと目の前に現れてくる。「(アウシュヴィッツによって)個人は彼に残された最後の、最もうらわびしいものである死までも収奪されてしまった。収容所において死んだのは個人ではなくサンプルであった」、「アウシュヴィッツのあとではまだ生きることができるか(中略)偶然に魔手を逃れはしたが、合法的に虐殺されていてもおかしくなかった者は、生きていてよいのか」と胸に突き刺さるようなフレーズが連発するところに、全体主義や合理主義によって、非同一的なものが同一性へと取り込まれていく過程で発生する《暴力》を彼が非常に危険視していることを感じる。この点がアドルノの非同一性の哲学が非常に人間的なところだ。少々言いすぎになるかもしれないが、彼が批判するヘーゲル的弁証法のなかの「特殊者」は、ヨーロッパにおけるユダヤ人のアナロジーであったと言っても良い(かもしれない)。


 以上、本の解説的なものを今までブログでアドルノについて書いたことと重複しながら書いてみたが、これは本当に色々な人に読んで欲しいと思う。「堅物で訳の分からない文章を書く人=アドルノ」の姿が氷解する瞬間にやってくる驚きと感動を味わって欲しい。本当に大事なのはアドルノを《理解すること》じゃなくて、《体験すること》のように思う。ちなみにこの本の翻訳、25年以上かかってるのを知って「今、学生やってて良かった!!」と思った。


 まぁ、しかしアドルノの問いってすごくアクチュアルで重い。「オウムのあとではまだ生きることができるか」、「9.11のあとではまだ生きることができるか」……いくらでも言い換えることができるよなー。例えそれが何らかの事件的なものでなくても日本の「年間3万人以上の自殺者」なんて言い方と状況からして、アドルノ的には問題意識にひっかかりまくっちゃうような気がする。




*1:社会学者で哲学者で音楽評論家で作曲家で難しいことを言ってたオッサン





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圧巻である

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ボクのブンブン分泌業
中原昌也
太田出版
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 ほんとに中原昌也って面白くて私にとって衝撃な作家だ。とりあえずそれだけ。





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畸形ジャズメン、ローランド・カーク。

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D


 ベートーヴェンとかシェイクスピアとかビートルズとか「王道」を愛好する一方で、なんとも面白さが伝えづらい奇妙な人、私はそういうメインストリートからちょっと外れて固有性を主張している人を「畸形の人」と呼んで同じように愛好している。ローランド・カークというジャズ・ミュージシャンも明らかに「畸形」の分類になってしまう人だ。最近友人に教えてもらったんだけど、なんかすごい。



Inflated Tear
Inflated Tear
posted with amazlet on 06.10.19
Rahsaan Roland Kirk
Warner Jazz (2002/09/23)
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 ローランド・カークは本当によく分からない人である。3本のサックスを同時に吹くという「異形(偉業?)」もさることながら、演奏の方もハードバップ風であると同時に、ソウルっぽくもあり、クラシックも演奏していたりする。ちなみに鼻と口から出す息でフルート2本を同時に吹くのだとか。1967年の『The Inflated Tear』というアルバムも、そのよく分からない感じが存分に詰まっていて「一体何を考えてこの人は音楽をやっていたのだろうなぁ」と思わず悩みはじめてしまいそうな感じだ。その訳の分からなさがとても好きなのだけれど。盲目のミュージシャンとして知られているにも関らず「実は目がばっちり見えていた」と噂されるところとか。


 演奏技術に関してはかなり卓越した人なのだろう。循環呼吸を駆使してコルトレーンの「シーツ・オブ・サウンド」に匹敵するほど音符が詰まった長いソロを取っている。ただ、コルトレーンとはトーンが全く異なっていてカークの場合はものすごく荒っぽいのである。ガトー・バルビエリやアイラー周辺を想起させられる感じ。一聴するとフリー・ジャズっぽい部分もあるのだが本人は「フリー・ジャズなんて大嫌いだ。あいつらはジャズ・ミュージシャンの恥だ!」ぐらいの発言をしている。そんなだから私はカークというミュージシャンを言い表す言葉を見つけるのに苦労してしまう。



D


 Youtubeを観ていてぶっ飛んでしまったのがこの映像。バディ・ガイ、ジャック・ブルースとローランド・カークというクエスチョン・マークが百個ぐらい頭の上に浮かびそうなメンツによる演奏。真っ当なブルースのなかに徹底して交じり合わないカークの姿(間違ったヒップホッパーみたいなファッション!)が楽しい。そしてバディ・ガイがカッコ良いなー。





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