月命日

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 2006年も色んな人が亡くなりました。本日お届けするのは、今年なくなったすべての人たちに捧げる追悼歌です。あざけり先生(id:azakeri)とのノイズ・ユニット、アーカンソー・アニメーション・スクール名義による「月命日(つきめいにち)」。



月命日っていう言葉、いままでに聞いたことある?


最近知ったんだけど 死んだその日を


一ヶ月ごとになんだかやるみたいだ


早くに死んだ友達の家で お母さんが毎月やるんだってさ


なむみょうほうれんげきょう って


天理教のヤツ?やるよ


すこしづつ忘れてゆく思い


胸が 


胸が痛いっていうよりは なんだか


ぽっかり穴が開くっていうか 分からない感じ


時間はゆっくりしかすすまない


それで すこしづつ 消えていくとき


胸が いたい



 シド・バレットのファースト・アルバムみたいな気持ちで聴いてもらえたら嬉しいと思います。おやすみなさい。







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怖くない哲学の本

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世界の名著 62 ブレンターノ・フッサール (62)
ブレンターノ フッサール 水地宗明
中央公論新社
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 年始には「今年は現象学を読むぞ!」と息巻いていたのだが、結局一冊も読むことなく年末である。「なんとなく……」という程度の興味なので別に良いのだが、やっと1つブレンターノを読むことが出来た。ブレンターノと言っても、ドイツ・ロマン派の作家であったクレメンス・ブレンターノではなく、その甥っ子フランツ・ブレンターノの方。フッサールの著作と一緒に入っている本を古本市で210円で買った。


 読んだのは『道徳的認識の源泉について』という講義録。翻訳も「です・ます体」で優しい感じの日本語に移されている。これは怖くなくて、面白かった。私がこのブレンターノのことを知ったのは、ニクラス・ルーマンの著作で触れられていたことが始まりだったのだが「ブレンターノをルーマンはこんな風に言い換えたんだなぁ」などと考えながら読む(シュッツについてはほとんど知らないので)。例えば「心的現象の基本的な組み」の3つ、表象、判断、情動について「判断と情動においては是/非という指向的関係の対立がある」とブレンターノは言ってるのだが、「ああ、二分コードのことか?」とか思う。計量できない知覚の比較に関しても、なんかあったなー、とか。



一本の上等の葉巻をふかすときの自分の快を127回、あるいは1077回加え合わせると、ベートーヴェンのシンフォニーを聞くとき、あるいはラファエロのマドンナを見るときに自分が経験する快の分量にぴったり等しい、などと主張するとすれば、どんなに笑いものになることでしょう。



 という言い回しがとても気に入っている。こういう気に入った言い回しを集めて一冊の本にしたい。





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固有名の解体

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フーコー・コレクション〈3〉言説・表象
ミシェル フーコー 小林 康夫 松浦 寿輝 石田 英敬 Michel Foucault
筑摩書房
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 とっくに全巻刊行されてしまったフーコー・コレクションの第3巻、アマゾンではこの一冊だけ書影がない。『これはパイプではない』を収録した巻である。アドルノの音楽批評を取り扱う論文を書こうとしたときに、最初念頭にあったアイディアのひとつに「アドルノのフーコー的な読み替え(翻訳といっても良い作業である)」というのがあった。なので平行してフーコーを精読していたのだが、結局余裕が無く、この点を忘れたままにしておいてしまった(いつかまた再度チャレンジしたいところ)。第3巻も長い間、読みかけだったのをやっと片付けた。


 この巻に収められた12の短い作品のなかでは「歴史の書き方について」というインタビューと「科学の考古学について」というものが非常に面白かった。ふたつの作品のなかで、フーコーは常に「段階的な認識」について強く批判している。歴史の連続性に対して史学が「時代区分」を設ける虚構っぽさはもちろんのこと、文学を取り扱う際にも「繋がり」の中で文学を語ろうとする態度がとても興味深い。



一冊の本の縁はけっしてはっきりしているわけでも截然と決められているわけでもない。いかなる本もそれ自身では存在できない。一冊の本はつねに他の本と支え合い依存し合う関係にある。



 とこのように述べている。これは、アドルノが「批評家の物神崇拝的な態度」を批判したこととも重なり合って考えられた。フーコーにとっては「固有名」についての問題なのかもしれない。そして、フーコーは「固有性の解体」のようなことを自らに課そうとしているようにも思える。



ブルバギは、まさに手本です。わたしたちすべての夢とは、架空の名前を持つ匿名の下で数学が作り上げられるブルバギのようなことを、それぞれが自分の領域で行うことでしょう。



 とか。このように述べるフーコーを私は純粋に「うわー、カッコ良いなぁ」と思ってしまう。「わたしの本は純粋に単なるフィクションであるのです」と言い切ってしまうところとか。





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つらくなってきました

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テレーズ・デスケイルゥ
モーリヤック 杉捷夫
新潮社
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 『女の一生』、それから『人形の家』を思い起こしながら読む。頭がぼんやりしてくる感じの小説であった。





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英国ジャズ・ロックの深い森

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Fourth/Fifth
Fourth/Fifth
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Soft Machine
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 70年代イギリスにおける「ジャズ・ロック」に対しての興味が高まっている。70年代ジャズといえばアメリカではフュージョン大旋風が起こっていたわけだが、イギリスでも似たような動きがあったのである。ジャズとロックとの融合。まぁ、それ以前のイギリスに「モダン・ジャズ」的なものがあったのかどうかは知らないのだが。イギリスにおけるジャズは「ジャズ・ロック」から始まった……とかだったら恐ろしい。


 ソフト・マシーンの『Fourth』と『Fifth』は、「カンタベリー・ミュージック」と呼ばれる実験的なサイケ・ポップの一種からバンドが脱却し、完全にジャズ・ロック路線へと突き進んだもの。どちらもテクニカルかつ硬質な演奏が聴けるのだが、どちらかと言えば『Fourth』だ。アメリカ的な所謂「ジャズ」と異なり、即興演奏よりもアンサンブルに主点があるようで面白い。オルガン、サックス、ベース、ドラムが複雑な絡み合いを見せるところには確実にコンポジションの力を感じる。もちろん、エルトン・ディーンがソロで聴かせるサックスの演奏もカッコ良いのだが、やはりアンサンブルがビシッと決まっている部分に聴きどころがある気がする。このアルバムを最後に、オリジナル・メンバーの一人ロバート・ワイアットは脱退してしまうのだが、彼のラスト・ダンスが壮絶。


 『Fifth』になると高度なアンサンブルは解体されて、グッと即興主体になる。静かにエレピやドラムが鳴っている上で、フリーキーなソロが展開されるのが聴きものだが明らかに「『Bitches Brew』じゃねーか!」という感じはする。アルバムの冒頭も、サックスがオーバーダブされた形で始まるし……。


 気がついたらソフト・マシーン関連が結構家に揃っていてびっくりした。揃えてみて俯瞰してみると色々なことが分かって面白い。例えば、『Fourth』で脱退するワイアットがソフト・マシーン在籍中に製作した一枚目のソロ・アルバムやマッチング・モウルを聴くと他メンバーとの明らかな方向性の違いが分かる。「俺は本当はサイケ・ポップ路線続けたかったのに……」と思いながら『Fourth』ではヤケクソで叩いてたんじゃなかろうか、などと想像してしまう。



3
3
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ソフト・マシーン
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 が、結局は『Third』だ。ここにはその後のソフト・マシーン関係者の全てがあるように思う。マンションの窓から転落しドラムが叩けなくなってからのワイアット的なものも、ジャズ・ロックからなんの魅力もないテクニックだけあるフュージョン・バンドと化するその後のソフト・マシーンも、アマルガム的に混在している。非常にパワフルな形で。そして、その後に誰も、この混沌としたなかに輝く魅力的な存在を乗り越えるものを作っていないような気さえする。


 最近知ってビックリしたのだが、このアルバムの1曲目「Facelift」は別々な場所で録ったライヴ音源を編集しなおして作ったものだそうな。明らかに編集の手が加わっているのは、音質の違いなどで分かっていたのだが、まさかそこまで「ストロベリー・フィールズ」的なものだったとは思わなかった。バンド名に恥じないカットアップ!


 今後は「イギリスの白いマイルス・デイヴィス(微妙に嘘)」、イアン・カーによるニュークリアスというバンドの音源を聴いていこうと思います。





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水墨画のような幻想

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ゼーロン・淡雪 他十一篇
牧野信一
岩波書店
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 日本的な私小説にギリシアやヨーロッパの神話的なイメージが重ね合わさったときの「つかめなさ」がとても興味深い小説。一応、「幻想小説」の部類に入るようだけれど、すごく特殊な印象を抱いた。神話世界のモチーフによって、描かれる世界観は彩り鮮やかなものになるのかと思いきや、小説本来の私小説性というか土着性にそれが吸収されて、水墨画のような不思議な夢模様が描かれている感じである。しかも、力強いところと繊細なところが点在しているような……。


 牧野信一は謎だ。日本にこういう作家がいたとは……。





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『武士の一分』@渋谷

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 最近の映画館って音ちっせーよな!折角、外界を遮断しきるような防音設備作って箱を作るんだから、耳鳴りがするぐらいの音量で冨田サウンド(ラボの方ではなく、シンセサイザーで色々やるほうの)を聴きてぇよな!!


 と劇場に対する文句をブチまけたところで、感想に移行しますが素晴らしい映画でした。「松竹」そして「山田洋次」と言えば、「娯楽/大衆映画」におけるある種のブランドを誇っておりますが、そのブランドをさらに輝かせるような内容。細やかに張った演出の伏線を回収しきって、大団円へと観客を気持ち良く運んでいく「上手さ」には頭が下がります。ラストなどは途中で完璧に読めちゃう「出来合いのもの感」たっぷりなんだけれど、ここまで上手くやられると本当に気持ちが良いものです。


 カツラを被ってもキムタクな木村拓哉に関して、ブーブー言うような人はid:throwSさんの「キムタク=現代青年」説を読んでください!この映画評を読むとキムタクが違和感ある存在である必要性が見えてくるような気がします。マトモ亭さん、万歳!





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暴力について

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ある首斬り役人の日記
フランツ・シュミット 藤代幸一
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 歴史で一次資料として扱うような古い文献を読んでいて面白いのは、そこに描かれている価値観や常識が、我々の持っているそれと大幅に異なっているときだ。そのとき、過去の世界と現代の間にある「距離の遠さ」を確認するたびに、とても興奮してしまう。我々からしてみれば異星の出来事のように思われる「過去」はかつて「現代」であり、我々の時代と繋がりを持っている、という事実がそのような興奮を湧きたてるのかもしれない。社会学の分野では結構マイナーな人になってしまうノルベルト・エリアス*1という人などは、エラスムスが書いた中世の「テーブル・マナー本」の内容があまりにも現代と違うことに興奮しすぎたせいで研究意欲が湧き『文明化の過程』というとても長い本を書いてしまったほどである。

 中世ドイツで361人の犯罪者に刑罰を与えたフランツ・シュミット*2という刑吏が書いたこの『ある首斬り役人の日記』もそのような興奮をもたらすに違いない本だ。日記には、犯罪者の罪状、それから処刑の方法が書かれている。記録されている犯罪は様々。殺人、強盗、姦通、男色(!)、詐欺などがあり、女性では嬰児殺しが多い。姦通と男色を除くならそれらの多くは現代でもれっきとした「犯罪行為」とされている事柄だが、とにかくその犯罪が恐ろしく暴力的に、粗野に行われていることに私は興味を掻き立てられた。


 例えば、1577年にシュミット親方はニコラウス・シュテラーという仲間と共に8件の殺人を犯した男を処刑している。シュテラーたちの罪状はこのようなものだ。


最初は馬上の男を撃ち殺した。次に妊婦を生きながらにして切り開いたが、胎児は死んでいた。3番目は同じく胎内に女児を宿していた妊婦を切り開いた。4番目はまたしても妊婦で、彼女を切り開けば双生児の男の子は生きていた。ズンベルクのゲオルク*3が、おれたちは大罪を犯してしまった、こいつらは司祭の所へ連れて行って洗礼を受けさせてやろうと言った。しかしフィラ*4は、おれが司祭になって奴らに洗礼してやると言いざま、赤児の脚をつかんで地面に叩きつけた。



 シュテラーの一味は強盗ではないようで、妊婦ばかりを殺害し「猟奇的な殺人鬼集団」という恐ろしいサークルになっているのも怖いのだが「おれが司祭になって奴らに洗礼してやる」というセリフも過激である。しかし、女性も負けてはいない。1590年に処刑されたシュヴァムベルガーの娘マルガレータは赤ん坊を「産み落とすやいなや、赤児の左胸に小刀で一刺しし、ついで首を切り落として殺した。死体は汚水たまりになげこんだ」とある。


 このように過度に暴力的な事件は現代でも稀に聞く話だ――「20世紀の猟奇殺人史」みたいなものがあれば10年に一度ぐらいは発生していそうな気がする。しかし、シュミット親方の日記にはほとんど毎年のように記録されている。何故、この時代の人々はこんなにもエネルギッシュに暴力的なのか。それについては「文化史的・法制史的解説」をみていただくとして(そこでは前述のエリアスにも触れられている)、もう少し別なことをここで考えてみたい――この本があまりに面白かったので「この本はすごい」と私は友人・知人に触れ回っていた。そのとき、ある女性は「昔の人って残酷だよねー」というリアクションをしてくれたのだが、「別なこと」とはそれについての話。


 「昔の人って残酷」、このコメントはとてもシンプルだ。たしかにこの本を読んだら「うん、残酷だ」とうなづかざるを得ない結果になると思う。そこでうなづくのは良い(だって、そう思ってしまうのは仕方がないことだから)。けれども、昔の人を残酷だという現代の我々は果たして「残酷ではない」と言えるのだろうか、ということを私は考えてしまった。


 シュミット親方の日記には、様々な暴力が記録されている。しかし、現代においても当たり前のように暴力は存在しているのである。しかも、非常に合理化され、極めてスタイリッシュな形に変化して。現代の暴力は、中世の暴力のように残酷な印象は残さない。極端な例をあげてしまうと、ナチスドイツが開発したアウシュビッツの強制収容所は、とてもクリーンに人を殺すことができる装置だった。それは、中世の暴力よりもずっと強力で、大量に殺人を遂行することができる暴力なのである。


 残酷で粗野な「中世の暴力」と合理的でスタイリッシュな「現代の暴力」、どちらが恐ろしいか、ということを私は考えている。まぁ、あまり役にたたなそうなことだけれども。




*1:アリエスと紛らわしい


*2:ドイツ文学においては割と有名な人らしく、クレメンス・ブレンターノは彼をモデルに作品を書いている


*3:シュテラーの仲間


*4:同じく仲間





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すごい世の中だ。

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 アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』が岩波文庫に入るらしい……(持ってるから買わないけど)。『美の理論』の復刊はまだか、河出書房新社よ。





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《折重なり》から見えるリゲティ

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Wien Modern
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Vienna Philharmonic Orchestra Pierre Boulez Gyorgy Ligeti Luigi Nono Wolfgang Rihm
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 先日、雨がぽつぽつと降るなかをジェルジ・リゲティの《アトモスフェール》を聴きながら歩いていたことがありました。薄暗い雲が空を覆い、光が差さない街を歩くときのBGMとして、スタンリー・キューブリックの映画に使用された大規模なトーン・クラスター作品を選択するというのは、何よりもまして軽い憂鬱を演出してくれます。これと同様に雨の日に聞きたい音楽と言えば、フランクのヴァイオリン・ソナタ(演奏はジャック・ティボーとアルフレッド・コルトーのもの)ぐらいのものでしょう。

 2006年、6月。ドイツでサッカーW杯が開催されていた頃に、ハンガリー出身のこの作曲家は亡くなりました。ちょうど日本がオーストラリアに敗戦した日の朝にそのニュースを聞き、衝撃を受けたことを覚えています。ストラヴィンスキーといいマイルス・デイヴィスといい現代の先進的な音楽家というものは時間とともにカメレオンのようにそのスタイルを変えていく人たちが多いような気がします。それが「現代性(あるいは近代性)」を背負った音楽家の宿命なのかもしれませんが、リゲティもまたそのようにスタイルを変化させていった作曲家の一人だと言えましょう。



マリオ・ブルネロ 「アローン」
ブルネロ(マリオ)
ビクターエンタテインメント (2002/06/21)
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 リゲティは共産主義体制が敷かれていた頃のハンガリーで教育を受けています。当時、ハンガリーでは西側諸国で既にある程度の地位を確立していた「12音音楽」などの手法は全面的に禁止。故に、リゲティの作曲活動も制限を加えられたものでした。この頃、書かれたものとしては学生時代に書いたという《無伴奏チェロ・ソナタ》が素晴らしい。これはゾルタン・コダーイの作品を彷彿とさせる美しい作品です(当時の恋人に捧げた作品、というエピソードも含めて)。これらの時期の作品には「社会主義リアリズム」の規範に則ったものかもしれませんが、魅力的なものが多く存在しています。

 1956年にハンガリー動乱が起こると同時に西側へと亡命してから、よく知られている「リゲティ」の姿が登場します。前述の《アトモスフェール》などはこの時期の作品。微分音を細かく重ねていき、巨大な音の塊を創出する「トーン・クラスター」という新しい技法を用いて、前衛作曲家としてめきめきと頭角を現していきます。最もリゲティがアナーキーだったのはこの頃だったと言えるかもしれません。



The Ligeti Project, Vol. 1
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Gyorgy Ligeti ASKO Ensemble Schoenberg Ensemble Pierre-Laurent Aimard Peter Masseurs
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 その後、60年代の半ばごろからリゲティは「ミクロ・ポリフォニー」という新しい手法を提唱していきます。それまで用いていたトーン・クラスターを排し、調性の上に乗せた小さな音の要素(フレーズ的なもの)を重ね合わせていくことによって新しい音のテクスチュアを生み出す、というのがこの手法のミソとなる部分だったようです。「折り重ねる」という点に関して以前のトーン・クラスターの延長線上にあるように思われるのですが、トーン・クラスターが持続的な音を重ねていくことによってテクスチュアを「生成」するようなものだったのに対して、ミクロ・ポリフォニーでは段階的な差異を積み上げるようにして音を「構築」するような印象。《室内交響曲》がこの時期の代表曲でしょうか。



Ligeti;Edition Vol.3
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Gyorgy Ligeti Pierre-Laurent Aimard
Sony Classics
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 1980年代に入ると今度は自らの「ミクロ・ポリフォニー」の看板も取り下げて、ポリリズミックな音楽の探求へと向かっていきます。アフリカの音楽からの影響もあったそうですが、この頃、リゲティの音楽は劇的にポップなもの、というよりも「クラシカルなもの」となり、「前衛の行き詰まり」から逃走するような作品があります。2巻まで書かれた《ピアノ練習曲集》は、そういった態度の現れが結晶化したものでしょう。時折、ドビュッシーのようにも聴こえる美しいこの作品群は20世紀に書かれた最も素晴らしいピアノ作品のひとつとしてブーレーズのピアノ・ソナタ第二番やメシアンの《嬰児イエスに捧ぐ20のまなざし》とともに音楽史に名を刻むことでしょう(たぶん)。

 長いエントリになってしまいました。そもそも、なんでこんなことを書こうと思ったかというと「リゲティは4人いる!」というフレーズを思いついたことがはじまり。時期によって全く異なった様相を見せるリゲティという作曲家を、そのように分裂的に捉えることは可能だと思われます。しかし、そのような分裂を1つの像へと収斂させていくことも同時に可能なわけです(まさにミクロ・ポリフォニー的に)。そして分裂的に捉えることよりも、1つの像にして描くことの方が重要であるように思われます。それを試してみたかった、というのが、大まかな理由です。まぁ、今の時点で言えることは、リゲティという作曲家を捉えるキーワードとして《折り重ね》というものがあげられるんじゃないか、ってことぐらいなのですが(写真は2000年ごろのリゲティ。顔がやばい)。




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Youtubeで観れるリゲティ作品いろいろ

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来るべき、音楽唯物論

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Plays Standards
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Ground Zero
Rer (2002/04/08)
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 最近、歩きながらよく聴いているのがGROUND ZEROの『Play Standards』。これは大友良英が選んだ彼にとっての「スタンダード曲集」。どの曲もアレンジがとても大友良英らしく編まれていて素晴らしい内容。とても9年も前の音源とは思えないほど研ぎ澄まされている。過去の距離を掘り起こすこと。そこには過ぎ去ってしまった過去へのまなざしが存在し、憧憬が付きまとうものだけれど、逆に既に「過去である」ということがこのカヴァー集の「色褪せなさ」の要因なのかもしれない。っていうかその既に過去であるが故の「色褪せなさ」が、大友良英の持ち味なのかなぁ、と思ったりする。この人の音楽にはいつも「歌謡曲とフリージャズが同時に存在する1970年代の風景」みたいなものを感じる(もちろん、それは私個人のイメージでしかないわけだが)。それとこのアルバムを聴いていてますます「菊地成孔ってソフィスティケイトされたガトー・バルビエリみたいだよなぁ……」と思ってしまった(悪い意味ではなく)。


 ところで「大友良英の音楽」にはそのような抽象的なイメージのほかに、「ああ、この人の録音作品だなぁ」っていう独特のテクスチュアがあると思う。1950年代から1960年代のジャズとは明らかに異質なそのサウンド――とくにドラムがシャリシャリと鳴る感じ――は、どちらかと言えばニューウェーヴ/ポスト・パンクのものに近い気がする。最近のONJQではややマイルドになっている印象があるけれど、どんな機材を使ってるんだろうか……というのが気になる(エンジニアの問題も大きく絡んでくると思うのだけれど)。


 そんなことを考えてたら、ふと映画キチガイの友人から聞いた「映画唯物史」の話を思い出した。これ映画美学校あたりで開講している講座らしいのだが、映画のマテリアル、つまりフィルムの材質や技術革新などの歴史から映画史を俯瞰するという新しい試みだそうな。なんともマニアックすぎる話だがこういう「新しい歴史構築の作業」は、話を聞くだけで面白い。「ユニカラーっていうのはね……」とか教えられても私の場合「へぇぇー」で終わってしまいそうだが。


 なんでそんなことを思い出したかというと、私が気になっていた「大友良英の録音作品で使われていた機材」とかの話というのは、もしかしたら「音楽唯物論」として扱われるべき内容なのではなかろーか、なんて思ったからだ。「機材の変遷」などとしたらそれは立派な「音楽唯物史」だろう。誰か講座を開いたりしませんかね。印象批評、楽理分析……そして「音楽唯物論」という「第三の音楽批評的視座」みたいな。





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ハナレグミって良いんだな(いまさら)。

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Apple of his eye りんごの子守唄(青盤)
オムニバス ハナレグミ Caravan 小池龍平 Saigenji 青柳拓次 曽我部恵一
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 日本人アーティストによるビートルズ・カヴァー・アルバム『りんごの子守唄(青盤)』が発売されています。昨年発売された『りんごの子守唄(赤盤)』は女性ヴォーカリストによるカヴァーが収録されていましたが、今回は男の子の色、ということで男性ヴォーカリストによるもの*1。曽我部恵一、青柳拓次、細野晴臣などが参加しており異様に豪華な面々が集っておりますが、なかでも素晴らしかったのはヴィデオ・クリップも製作されているハナレグミによる「Blackbird」。天才メロディメーカー、ポール・マッカートニーの小さな名曲をしっとりと歌い上げており、これは聴いただけで「くはぁっ」と泣ける。アレンジも軽いドラムとチェレスタを付け加えるだけで、ハナレグミのヴォーカル中心にまとまるよう気の効いた感じになっているのも良い。もしかしたら、この曲のカヴァーのなかで最も素晴らしいものかもしれない。『LOVE』より、こっちを買ったほうが良いかもなどと思ってしまったりもします。



D


 映像はハナレグミの「家族の風景」。良い声だなぁ。






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ラトルズ、再発!

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http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=13680



英国のコメディ集団、モンティ・パイソンのエリック・アイドルと、ボンゾ・ドッグ・バンド(ボンゾ・ドッグ・ドゥ・ダー・バンド)のニール・イネスを中心とするビートルズのパロディ・バンド、ザ・ラトルズの『四人もアイドル』(写真)が、紙ジャケット(MSIG-0342 税込\3,360)として登場することになりました。発売はMSIより、2007年1月25日の予定です。



 モンティ・パイソンの大ファンだったジョージ・ハリスンが絶賛した、というラトルズのファースト・アルバム『四人もアイドル』が再発されるニュースが入ってきました。ラトルズはセカンドしか持っていなかったのでこれはとても嬉しい(アマゾンのユーズド価格が高騰していたし)。ビートルズへのトリビュートをした音楽は山ほどありますが、カヴァーや引用によらず「全くのオリジナル(かつパロディになっている)」という不思議なアプローチをおこなったラトルズは、ビートルズ・ファンなら必聴。もうほんとに最高なんだから。


 発売元のMSIからは同日にロバート・ワイアットのマッチング・モウルのライヴ音源集も発売するんだとか。知らないレーベルだったけれど、なんて良い仕事をするんだろう……。





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個人的な2006年を象徴するアルバムはなんだったか

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Killing Time
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Massacre
Rer (2006/05/08)
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 毎年年末になると清水寺で「一年を象徴する漢字」というのがやっております(今年は『命』だったそう)。同じような趣向で、アルバムから今年一年私個人の生活を振り返り、それを象徴するアルバムを一枚選びました。ヘンリー・カウ、アート・ベアーズのギタリスト、フレッド・フリスがNYに渡ってビル・ラズウェルらと結成したバンドMassacreの『Killing Time』です。このアルバムは長らく廃盤になっており、ちょうど去年の年末に再発されたのですが、この一年本当に何度も聴きました。たぶん150回は聴いている。


 「大虐殺」を意味するバンドによる「時間つぶし」という不穏なアルバムですが、内容の方もかなり殺伐としております。ダンサブルなドラムのビートに、うねるような変態ファンク・ベース、そのうえで耳に突き刺さるようなギターが疾走しており、まさに退屈を皆殺しにするような音楽。


 今年は就職活動などをマジで熱心にやるも、あまり芳しい結果が出ず、結局福利厚生の面だけを考えて全然希望していない業界に内定……とまぁ自分にイライラさせられっぱなしの、鬱屈した一年でした。そこから脱却するために、このアルバムを爆音で聴きながら溜まっていく未記入のエントリーシートをマサカーし、「周りにいるやつは全員敵だ!皆殺しだ!!」と試験前に考えたりしました。もう本当にダメだった。良いこともたくさんあったけれど、就職活動をやってる間には一切なかったな……。先日、初めて細木数子のアレをやってみたところ「健弱(小殺界)」という結果が出たので「なるほどなぁ」と思ってしまったぐらい。



Love
Love
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The Beatles
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 来年は「達成」の年らしいので、良いことあると良いなぁ、とか思います。占いとか信じないけど、願わくば『LOVE』みたいに幸福が一杯つまった年であって欲しいよ…ほんとに。このアルバム賛否両論あるようだけれど、私的には「全然アリ」。もうビートルズ関係ならどんな風に搾取されたって構わないと思っているので「ジョージ・マーティン大好き!」と叫びたいっす。





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頼まれてもないのに2006年新譜総括

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 気がつけば、モーツァルト・イヤーかつショスタコーヴィチ・イヤーだった2006年も終わりに近づき、あと2週間ほどを残すところとなりました。今年もCDと本へと金を注げるだけ注ぎ、音ゲル係数/本ゲル係数をあわせると50ポイントを超えてしまうのではないか、という異常な数値をたたき出しています(たぶん)。CDに限定するなら100枚行くか行かないかでしょうか。自分でも何を買ったのか覚えていないのですが、思い出しながら今年の新譜で印象に残ったものを3枚選んでみようと思います。まず、一枚目。



Rather Ripped
Rather Ripped
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Sonic Youth
Geffen (2006/06/13)
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 (アマゾンのデータによれば)6月に発売されたソニック・ユースの16枚目のアルバム。今年の夏は、彼らの姿を見たくて苗場まで行きました。20年以上続いているバンドだけれど、とにかくこのアルバムの「音の若さ」には爽快な突き抜けるところがあって、とても嬉しかったです。もうキム・ゴードンのよくわからないステージ・アクションとか伝統芸能の域に達していると思う。同じ時期に出ていたにせんねんもんだいの『ろくおん』と共に愛聴していた気がします。ヨラテンゴの『アイ・アム・ノット・アフレイド・オブ・ユー・アンド・アイ・ウィル・ビート・ユア・アス』も良かったなぁ。



ウィ・シャル・オーヴァーカム:ザ・シーガー・セッションズ(DVD付)
ブルース・スプリングスティーン
ソニーミュージックエンタテインメント (2006/05/24)
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 二枚目はブルース・スプリングスティーンがピート・シーガー絡みの楽曲を歌ったカヴァー集。長いキャリアのミュージシャンですが、これが初のカヴァー・アルバムだったそう。ギター一本でボスが歌いこむところも良いのだけれど、アイリッシュ・トラッドっぽいアレンジが加えられたところがアメリカっぽくて好きです。抽象的な「アメリカ」っていう国の概念を、根元の部分から構築しなおすみたいな。チャールズ・アイヴズやアルバート・アイラーの音楽に通ずるところがある気がする(響いている音楽は全く違うけれど)。



フレンドリー・ファイア(DVD付)
ショーン・レノン
東芝EMI (2006/09/29)
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 三枚目はショーン・レノンのセカンド・アルバム。このエントリで紹介したアルバムにはとくに順位を付けるつもりはないのだけれど、このアルバムはもう出た瞬間から「きっと今年一番の名盤になるだろう」と思ってしました。それぐらいに好き。「あえて今年のナンバーワンに挙げさせてください」という感じです。ジョン・レノンの息子ということで、ビートルズ・ファンとしては声が既に反則の域に達しているんですが、曲がとにかく良くて。久しぶりにガッツリと真正面からぶつかってくるシンガー・ソングライターの曲を聴けたというのが嬉しくて仕方がなかったです(前作と比べると驚くほどきっちりと曲をまとめてある)。こういうアルバムが普通に売れていないと悲しくなりますよ、ほんとに。





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ジャズの前提は感情/印象なのか

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JAZZ LEGENDS―ダウン・ビート・アンソロジー
広瀬真之 フランク・アルカイヤー 田村亜紀
シンコーミュージックエンタテイメント
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 1930年代に創刊されたアメリカのジャズ雑誌『ダウン・ビート』の90年代までの記事を集めたアンソロジーに収録された、1970年代の記事を読み直している。70年代までにジャズ界ではドルフィーが死に、コルトレーンが死に、アイラーが死に「フリー・ジャズ」はほとんど地下にもぐってしまっている。そこでジャズはその外部を取り込み――つまりロックやソウルとフュージョンしはじめる。


 フュージョンといえば、その代表は何はともあれウェザー・リポート。ウェイン・ショーターとジョー・ザヴィヌルという超一流ミュージシャンがバンドを結成したのは1971年。よくよく考えてみれば、ミュージシャンの名前がグループに反映されていないグループっていうのでも、ウェザー・リポートが「ジャズ的ではないこと」の象徴的要素なのかもしれない。今現在どんな風に「フュージョン」が聴かれてるのかよくわからないけれど、深めのリヴァーブのなかから響くウェイン・ショーターのソプラノ・サックスは最高にエレガントだ。「オーネット・コールマンのプラスティック製サックスも良いけれど、こういうものを愛してこそだよなぁ」とか思ってしまう。「真の男は浮気もする。だけど、必ず家に帰って女房もちゃんと愛せるんだ」とザ・コレクターズの加藤ひさしが言っていて、それが面白かったなぁ、っていうのも思い出す。


 インタビューのなかでジョー・ザヴィヌルがこんな風に言っている。「僕らの音楽を聴いた人たちも、きっと何かしら頭の中にかき立てられるイメージがあるはずなんだよ。つまり、イエス、これはF7、で次のコードは――なんていう聴き方じゃないんだ。僕らの同業者であるミュージシャンたちでさえ、そんな風には(つまり音楽的に解析して)聴いたりはしてない。みんなただリラックスして、色んなイマジネーションを膨らませていて……」。


 これを読んで「もしかしたらジャズの前提に『印象』が先立っていて、むしろそれ以外にすることはないんじゃないか」とか思ってしまった。菊地成孔と大谷能生の本で提唱される「楽理分析から批評をする」という行為はたしかに斬新かもしれないけれど、それが「斬新さ」を失ったとき、果たして「面白い言葉」を紡げるんだろうか、と思う。大体、菊地成孔も「楽理分析」が到達できないイマジネーションの部分であるとかに関しては、精神分析や印象で語ってる(それは)、という印象があるし。



Heavy Weather
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posted with amazlet on 06.12.10
Weather Report
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上京三年、糖尿気味

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D


 あざけり先生(id:azakeri)と作った数少ないマジメな歌もの「上京三年、糖尿気味」のPVが公開されました。先生が曲について何も仰らないため、こちらで制作秘話めいた補足を入れておくとこの曲を作っているときに我々の念頭にあったのは「ジェフ・バックリィ」でした。かなり遠いところに行ってしまった感はありますが、映像の裏でジョニー・キャッシュの曲を熱唱するジェフ・バックリィの姿を想像していただけると良いかと思います。





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アーカンソー・アニメーション・スクールの新曲!

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 以前ブログであざけり先生(id:azakeri)とノイズ・ユニットを結成したことをお伝えしましたが*1、久しぶりに何か録音をしてみる気になり、新曲を作りました。ただのノイズではなく、アート・リンゼイのアンビシャス・ラヴァーズを意識した安っぽいリズム・トラックの上で適当なギターとベースそしてヒップ・ホップ界の最前衛あざけり先生によるリリックが暴れています。



プリーク


ワタシノホシデハオハヨウトオヤスミナサイノコトバハプリークデスマセマス


うっすらとかかるウェーヴ かなり伸びたハイファイのテープ


そのままスムーズと言いながらスクイーズ


あとたまに野球拳(虚無で)


鎖骨を砕こう


笑顔で


最高の笑顔で


こんにちは


プリーク







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自己言及的絶対者VS他者依存的ペシミスト

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旅路の果て
旅路の果て
posted with amazlet on 06.12.08
ジョン・バース 志村 正雄
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 「ある意味で、ぼく、ジェイコブ・ホーナーだ」という留保つきの自己紹介から小説ははじまる。そこでジェイコブが「ある意味で」というのは全く正しい。我々はほとんど偶然に生きているのであるし、「主人公がジェイコブ・ホーナーである」ということに関して必然性は存在しない。そのような世界の根源的無規定性が小説全体を覆いつくしており、ストーリーでは哲学的な議論も多く交わされる(実存主義などをかじったことがある方ならば、ふんふんとうなづいてしまう様な問答が多くあるだろう)。


 我々が生を営む上で絶対的にそれを規定する準拠枠が一切存在していない……という明確な事実に触れたとき、取られるような態度は大まかに言って2つある。ひとつは主人公、ジェイコブ・ホーナーのように徹底して自らの意志で動かないこと。はじまりで大学の教師になろうとするのも精神分析医の指導によるもので、行動基準をまったく他者へとゆだねることでだらしなくジェイコブは生きている。もうひとつは取られるべき態度は、ジェイコブの同僚、ジョー・モーガンのように自らを絶対者として規定しまうことだろう。小説の主題とはこの2人が取るまったく正反対の態度の争いとして捉えることができるのではないだろうか。


 最初、ジェイコブはジョーのような人間を徹底して馬鹿にしつくす。自己言及的な「絶対者」はそこで揺さぶりをかけられることになるのだが、実際にジェイコブの挑発的な態度によって自己が揺らいでしまうのはジョーの妻、レニーなのである。というのもレニーにとってジョーが自らを規律するコードになっているのだから当たり前。このあたりからジェイコブをめぐる状況がどんどん込み入ったものになっていき、ものすごく救いようがない感じで終わってしまう(ラスト・シーンは映画『ゴースト・ワールド』にも通ずる)。ジェイコブが自らの意志で動き始めたとたんに、思いがけない偶然(というか他者の意志)で全てがめちゃくちゃになってしまう感じが結構泣ける。


 アメリカのポストモダン小説ってキチガイばかりかと思ったら、こういうマジメな人もいるのだなぁ、と思ってしまった。





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方法音楽の集成

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中ザワヒデキ音楽作品集
中ザワヒデキ
ナヤ・レコーズ (2006/10/20)
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 「方法主義」を提唱する美術家、中ザワヒデキの音楽作品をまとめたCDが出ている。曽我部清典、足立智美、高橋悠治などが豪華なアーティストが参加しており、非常に内容も濃い(1つ1つの作品は短いものが多いが、49トラックも収録されている)。


 初めて「50音音楽」という言葉を聞いたとき、現代音楽を熱心に聴いている人なら「1オクターヴを50に分けた微分音派の作品か?」と想像するかもしれない。しかし、中ザワヒデキの「方法音楽」において示されるその音楽とは「日本語の50音による音列作品」だ。そこでは日本語の50音が重複しないように配列され、一つ一つの音が平等に取り扱われる……というまるでアーノルト・シェーンベルクのパロディのようなものが展開されている。


 50音音楽で音列として生成される「言葉」は、全く意味をなさない。けれども、その響きが単に音として面白く、発音された瞬間になんらかの「意味的なもの」が発生してしまう不思議さについて考えさせられてしまった。特に《50音モノフォニー第2曲》での足立智美の言葉が走り抜けるような怪演がすごい。


 50音音楽にしてもそうだが「何故今まで誰も考えなかったんだろう!」というシンプルな驚きに満ちた作品集。足立智美ロイヤル合唱団の『ぬ』と一緒に聴いてもらいたい一枚。



ぬ
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足立智美ロイヤル合唱団
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ウィー。

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Wii欲しい!



D





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これがフリッパトロニクスか!

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 キング・クリムゾンを一時活動休止させ、ブライアン・イーノなどとのコラボレーションを行っていた頃のロバート・フリップが開発した「フリッパトロニクス」というもの。今まで謎に包まれていたその正体を明かす映像を発見。フリップ御大のソロ活動は90年代に入ってから「サウンドスケープ」というマリー・シェーファーあたりを髣髴とさせる音楽に向かっているけれども、この映像を観る限りこのフリッパトロニクスを駆使した音楽が「サウンドスケープ」へと発展していったことが如実に伺える。



The Equatorial Stars
The Equatorial Stars
posted with amazlet on 06.12.05
Fripp & Eno
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 っていうか音楽自体は、昨年出たフリップ&イーノ名義での新譜と基本的にはほとんど何も変わっていない!フリッパトロニクス、映像を観る限りテープ・ループによるシーケンサーのような装置みたいだ。ギズモみたいなギター・アタッチメントかと思っていた。



D


 ちなみに「サウンドスケープ」に入ってからはこんな音楽になっている。フリッパトロニクス期との違いといえば、音色に広がりが出たこととアタックを消して「一人シンセサイザーオーケストラ」状態になったということか。ビート感なく展開される幽玄の音風景は一歩間違えればニューエイジだが、正直かなり好きだ。この映像は2003年の日本ライヴの模様。何年か前「フジロックにソロでロバート・フリップが来日してサウンドスケープを朝一でやる!」という噂を聞いていたが、結局噂どまり。これを聴くとフジロックよりもメタモルフォーゼン向けなのではなかろーかと思う。マニュエル・ゲッチングを呼ぶなら全然アリだよなー。もう来年のメタモはゲッチング対フリップで良いよ。



Radiophonics: 1995 Soundscapes, Vol. 1
Robert Fripp
Discipline Global Mobile (1996/05/28)
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 CDだとこのあたりのものになるのだろうか。まず店頭では見かけない気がするけれど、ちょっと気になってきた。「サウンドスケープ」シリーズの録音は現在6枚ほどあるようだけれど、こんな感じのインプロヴィゼーションを3時間ぐらい続けて行い、そこから編集して一枚のアルバムにしているのだとか。





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The Many Moods Of Otomo Yoshihide

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D


 この「ロンリー・ウーマン」はオーネット・コールマンの演奏よりも痺れる。





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吉松隆における日本的なるもの

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Takashi Yoshimatsu: Symphony No. 4; Trombone Concerto; Atom Hearts Club Suite No. 1
Takashi Yoshimatsu Sachio Fujioka BBC Philharmonic Orchestra Ian Bousfield
Chandos (2002/01/22)
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 現在日本で活動している作曲家に吉松隆という人がいる。慶応大学工学部を中退し、ほとんど独学で作曲技法を学んでデビューしたかなりユニークな人である(慶應と言えば、他にオンドマルトノのハラダタカシもここを卒業しているのだが、何かそういう人が育つ土壌でもあるのか)。経歴もユニークだけれど、作品もまたユニークだ。「新(世紀末)抒情主義」を標榜し、ジャズやプログレッシヴ・ロックといったポピュラー・ミュージックと後期ロマン派や印象派の音楽とを折衷させた「調性音楽」を彼は書く。現代において調性音楽を書く、ということ自体にエリート主義っぽい「現代音楽ファン」から無視されたり、鼻ツマミもの扱いされたりする原因があるのだけれど――というか私も以前はそのように「ネタ扱い」していた――もう少しちゃんとした評価してあげないといけないのではないか、と思う。彼の作品について語ったまともな文章を見たことがない気がするし。


 吉松は交響曲や協奏曲という古典的な形式の上で、過去に存在した音楽からの引用を多彩に広げ「新しい作品」として展開する。そこで調性的に、「クラシック」のように響かせる手腕が私個人としては「とても器用な人だなぁ」という感想を抱く。しかしその音楽はかなり「ニセモノ」っぽい。綺麗なんだけれど、ニセモノ――このとても不思議な感じと「技法の器用さ」が「日本的なもの」の大部分を占めている。特に戦後の高度経済成長期における日本人の感じ、というか(あくまでイメージにすぎないんだけれど)。吉松作品には、アメリカ製のテレビドラマに夢中になって、茶の間の畳の上にソファーを置いて、そこでコーヒーを「苦いなぁ」と思いながら飲む、みたいな「遠い場所への憧憬」と、それからそういう風に日本人が過ごした、という「過去の記憶」が詰まっているように思われるのだ。


 トロンボーン協奏曲《オリオン・マシーン》の冒頭は、アニメ『鉄腕アトム』のテーマ・ソングのイントロ(トランペットと弦楽器が微分音で重ねられ、ヴィブラフォンが鳴らされる)を引用したものからはじまる。これは手塚治虫へのオマージュでもありながら、手塚治虫という存在を「日本の過去」の象徴として取り扱って提示した分かりやすいメッセージだ。トロンボーンの叙情的なソロの合間に、幾度となくそのモチーフは反芻され、緊張が高まっていき、エマーソン・レイク&パーマー「タルカス」の5拍子リフをそのまま借用したパーカッションの連打へと繋がる様子は爆笑するしかないんだけど、ペンタトニックでできた旋律や邦楽に頼らずに「日本的な作品」を作れる作曲家として、吉松は稀有な存在だ。



OGTー309 吉松隆 弦楽オーケストラとピアノのための朱鷺によせる哀歌
音楽之友社
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 ちなみに随分前から吉松は「現代音楽撲滅運動」というものを提唱している。単純に言って「美しくない、小難しい現代音楽なんてクソくらえだ!」という話なのだが、インタビューなどを読むとその現代音楽に対しての思いもかなり愛憎が入り混じったものだということが分かる。なんだかんだと言ってこの人も「美しくない、小難しい音楽」が好きなのだ(たぶん)。


 吉松隆の運動もむなしく、現在も「美しくない、小難しい音楽」はアカデミックな音楽の世界では支配的である(面白い作曲家はたくさんいるけれど)。それは吉松のデビュー当時もそうだった。デビュー作《朱鷺によせる哀歌》は「楽譜の見た目はバリバリの現代音楽。でも演奏すると綺麗に響く」というメチャクチャに挑戦的なもの。コンクール審査員の目をごまかすために書かれたこの楽譜は観ているだけでも楽しい。とにかく音の配列が美しいのである。スコアは自筆譜を印刷したもの。こういう細やかさも日本的な性格を表しているような気がする。



日本管弦楽名曲集
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沼尻竜典
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宮下誠(先生)からコメントが来たよ!

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http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20061027/p1#c1165070886

 仮眠をとった後、寝床からのそのそと起き出してきたら以前書いた本の感想に著者自身からのコメントがついていてビックリ。小心者なんで「う、うぇー、すいません。なんか生意気に批判めいたこと書いちゃって!」と頭を地に付けて陳謝したいところです(ただ、内容は撤回しないぞ、と思いつつ)。ブログで文章を書くようになって、2年ぐらいになるけれど*1こういうのは初めてなのでものすごく嬉しい。


 アンテナ被登録数とかちっとも上がらないし、結構マジメに書いた文章はブクマされず、10分ぐらいでチャチャッと書いたエントリがホットエントリーになったり「インターネットってよくわかんねーなー」と思いながら、まぁ、なんかコソコソと物を書くのが好きなのでブログを書いている。こういう態度は「誰かのために書いているわけではないが、誰かに向けては書いている」という感じで、情報の指向性がとても曖昧だ。


 そんな風にしていると、自分がまるで「精神と時の部屋」みたいに外部から隔絶された場所で文章を書いているようで、とても寒い気分になるんだけど、今回のコメントには「お、意外に隔絶されてない」と思わされる。なんか手紙を入れたボトルを海に流して「メッセージ届きましたよ」と連絡が来たような感じ。




*1:以前にやっていたブログも含め





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女の一生は超ヴァイオレンス!

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女の一生
女の一生
posted with amazlet on 06.12.02
モーパッサン 新庄嘉章
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 「仏文はエロいという幻想を打ち破るために」シリーズ第4弾、読んだのは19世紀の小説家、モーパッサンの『女の一生』。高校世界史の文化史でも名前が出てくるような「古典的な傑作小説」だけど、読んでみてびっくり。強烈にヴァイオレンスな印象を植え付ける悲劇が描かれている。「可憐で純真無垢に育てられ、修道院から戻ってきた田舎貴族の娘ジャーヌが没落し、不幸のどん底に叩き落されるまでを描いたジェット・コースター・ノヴェル」とでも言えるだろうか。


 性の営みへの戸惑いなどありつつも、ジャーヌが結婚するまでは幸福が増していく感じで書かれているんだけれど、結婚相手のジュリアンという男が酷いヤツで。美男子で愛想良く振舞っていたのが、ある日一点、ケチケチと金の算段ばかりするようになり、それからセックスばかり強要するようになる……というところからだんだん加速度的にジャーヌの不幸は増していく。このジュリアンという男、ケチの他には女癖が悪くて、女中を孕ませたり、友達の嫁と不倫してたりしてね……。まぁ、それが元で不倫相手の旦那に猟銃でぶっ殺されんだけど(顔とかもうグチャグチャ)。とにかく小説後半の不幸がテンション高すぎて、爽快といった感さえある。他にも、キチガイみたいな神父さんが分娩中の犬を叩き殺すシーンなどあり、暴力に溢れてる。まるで「タランティーノが監督した昼ドラ」というか。作者のモーパッサンは「ささやかな真実」というけれど、どこが「ささやか」なのだ、と。


 「エロさ」は淡々と自然なものとして描かれているため「普通」。初めてジャーヌの元にオーガスムがやってくる瞬間の描写などは、もはや喜劇としか言いようがない。「やっぱ、背徳感とか屈折して無いとエロは感じないよねー」などと思う。ただ、19世紀フランスの田舎における性風俗が結構面白い。婚前交渉なんて当たり前で「結婚」というものが「子供が出来たから仕方なくするもの」として考えられていた、というあたりがすごい。フランス革命以降の話だよ、これ。「出来ちゃった婚は、どうも恥ずかしいよねー」なんて言ってる場合じゃないっすよ。「歴史的に見れば、出来ちゃった婚の方が普通なんだよ!」とか言って正当化すべき。嘘だけど。





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最もエレガントなポスト・モダン・ミュージック

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シュニトケ:合奏協奏曲第1番
クレーメル(ギドン) シフ(ハインリヒ) ヨーロッパ室内管弦楽団 グリンデンコ(タチアナ) スミルノフ(ユーリー) シュニトケ
ユニバーサルクラシック (1994/02/02)



 12月になってしまい卒業論文の〆切まで3週間を切った。ここ何日かはプログレか現代音楽か題材の一つであるジャズを聴きながら作業を進めている。歌詞のある音楽を聴いていると結構テンションにノイズが入ってしまうので邦楽はもちろん、洋楽ロックも聴かなくなってしまった。こういうときは「最近聴いていないなぁ」っていう録音を聴きなおしたりする――それでアルフレート・シュニトケについての記事を思い至ったわけである。


 1934年ソ連領内にてユダヤ系ドイツ人とドイツ系ロシア人の間に生まれ、自身の宗教はカトリックという複雑な文化的アイデンティティを持ったシュニトケは、1998年に死ぬまでに交響曲を9曲(第9番は未完)、合奏協奏曲を5曲(うち1曲は交響曲も兼ねる)、弦楽四重奏曲を4曲、独奏楽器のための協奏曲を8曲、室内楽曲と舞台音楽をいくつかと映画音楽をたくさん……と「古典的形式の名前」を冠した作品を多く書いている。20世紀にここまでクラシカルな形式にこだわっていたのはショスタコーヴィチと吉松隆と彼ぐらいなものだが、クラシカルなのは名ばかりでシュニトケの作品ほど「ポスト・モダン」を感じさせる音楽は他にない。バッハ以来の西洋芸術音楽における様々なイディオム――20世紀の音楽ではジョン・ケージ、クシシュトフ・ペンデレツキ、ルイジ・ノーノ……etc――を万華鏡のように散りばめた作品は「多様式主義」と呼ばれ、様式の反復によって「新しい作品」を生産していった(プログレをクラシック化する試みでは、吉松隆も立派に『多様式主義』なのだが)。


 彼の出世作《合奏協奏曲第1番》も「多様式と引用の織物」とでも呼べる作品である(ちなみに合奏協奏曲という楽曲形式はバロック期を最後に一度歴史から消えてしまったものだ)。そこにはバッハの引用、12音技法、トーン・クラスター、プリペアード・ピアノと言った「ロマン派のない西洋音楽史」が盛り込まれている。しかし、カットアップのように自由につながれた多様式のなかでは、直線的に流れる歴史は解体され、そして失われたものと変容する――そして、バッハを思わせる無限カノンから、アルゼンチン・タンゴのメロディが現れたとき、「消失した歴史」こそが「現代」そのものなのだということに我々は気付くこととなるだろう。


 ドゥルーズの『シネマII』が翻訳される一方で、18世紀を生きたディドロの奇書『運命論者ジャックとその主人』の新訳が刊行される21世紀の書店で流されるのに最も相応しく、そして最もエレガントな音楽としてシュニトケの音楽を挙げたい。「ビートルズの新作」と共にシュニトケは聴かれるべきなのである。




 シュニトケの主要な作品群はギドン・クレーメルが熱心に録音に残しているのだが、そのほとんどが廃盤。これはなんとかして欲しい事態だ。ドイチェ・グラモフォンも五嶋龍をCDデビューさせている場合ではない早いところ合奏協奏曲ボックスあるいは交響曲ボックスを組んで発売してくれ(龍くん、何度も悪いように言ってごめん。でも、君の録音、お姉さんのよりも魅力的に感じなかったんだ……)。





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米元響子、パガニーニ・コンクール優勝

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http://www.sankei.co.jp/news/061130/kok013.htm

 米元響子さんがパガニーニ・コンクールで優勝しました。18歳で日本音楽コンクール優勝してから応援していたので「世界的なタイトル」での初優勝おめでとうございます、と言いたい。今回優勝した「パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクール」は、イタリアで開催される有名な方(庄司紗矢香が優勝している方)じゃなくて、ロシアで開催されている比較的新しいコンクールらしい*1。紛らわしいし、パガニーニ・コンクールが複数あるのはなんか微妙なので別な名前にしたら良いのに、と思う。「オイストラフ・コンクール」とか「コーガン・コンクール」とか……。


 この人、日本音楽コンクールで優勝する前の年にも同じコンクールで二位だったり、ロン=ティボー国際音楽コンクールでも3位(2002年)。あと1997年にも有名な方のパガニーニ・コンクールでも4位取ってるらしい。今回の受賞を聞いて「既にプロとして国内での演奏活動を行っているのに、まだコンクールに出続けてたのか」と結構びっくりしたんだけど「宣伝活動」みたいなものなんだろうか。五嶋龍をCDデビューさせるぐらいなら、彼女の演奏をリリースして欲しいよ……。




 プロフィールを確認してみたら、さらにコンクール受賞歴があった。「第6回フリッツ・クライスラー国際ヴァイオリン・コンクール」でも3位(2005年)、「エリザベート国際音楽コンクール2005」でも入選してるみたい。っていうか、こんだけ有名な国際コンクールに出て、毎回1位を逃し続けてた、っていうのもなんかすごい。「コンクール荒らし」みたいな受賞歴にはもう「1位とるまでやめねぇ!」って言う意地さえ感じる。


 現在はボリス・ベルキンの下で研鑽を積む日々だとか。「ザッハール・ブロン門下ではないヴァイオリニスト」って最近の日本では珍しい気もする。早いところ日本に凱旋してきて欲しいです。




*1:優勝賞金は2万5000ドルあとヴァイオリンを持ったパガニーニの像がもらえる





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ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲

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 米元響子さんが今回、コンクールのファイナル・ラウンドで演奏したのがドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲だったそう。


 チェコ生まれ、肉屋の息子で鉄道ヲタだったこの作曲家の作品群のなかでは割とマイナーな作品。彼のチェロ協奏曲が「チェロ協奏曲」というカテゴリのなかで最も有名な曲に入るのと比べると特にそのマイナー度合いが分かるというものだけれど、そんな「マイナー協奏曲」に入ってしまうのが勿体無いぐらい実は良い曲。メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキーの「三大ヴァイオリン協奏曲」と比べても遜色ないと思う。この機会に脚光が浴びないものだろうか。ここ何年かでブルッフの協奏曲が「隠れた名曲」じゃなくなった、というのもあり、そういう余地はありそうな気もする。


 録音ではダヴィッド・オイストラフがキリル・コンドラシンと共演した演奏が素晴らしい。録音されたのが1949年なんだけど、それが信じられないぐらい音質が良好で、全盛期のオイストラフの技術が味わえるとともに、楽曲の持つドロ臭さ、というか濃厚なスラヴ民族の体臭みたいなメロディを濃厚な解釈で堪能できる。細部でかけてくるポルタメントなんかエロくて最高。





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卒論に全く集中できないので

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http://astore.amazon.co.jp/kusobae-22


 こんなものを作りました。箱庭療法的な遊び。1つのカテゴリに54個まで商品を載せられるので、とりあえず「プログレ地味名盤」というカテゴリを埋めたいと思います。



The Cheerful Insanity of Giles, Giles & Fripp
Giles & Fripp Giles
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 時間潰してる間にジャイルズ・ジャイルズ&フリップ(キング・クリムゾンの前身となったバンド)のアルバムを聴き直してたんだけど、これ、マジで名盤だったわ。すげぇ地味だし、基本気持ち悪いんだけど、クラシックとかジャズとかトラッドのフレーズがキメラ的にまとめられて、かつポップな方向に向かってる。でも一切花がない!絶対売れないだろうな!!ッていう感じがまた泣けんのね。あと無駄にギターがパンで振られてて、サイケな感じを演出してんだけど、でも地味なんだよなー。コンセプト・アルバムっぽい作りでナレーションが途中で挟まったりしてて色々頑張ってんのに。





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この《グラグラ》は直接見せちゃいけないんじゃないか

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アンダーグラウンド
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村上春樹
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黒と黒の幻想

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Shaking the Tree: Sixteen Golden Greats
Peter Gabriel
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 ピーター・ガブリエルというミュージシャンはとても面白い経歴辿っている人で、ジェネシスというアート志向の強いロック・バンドのフロントマンとして、変なかぶりものを被り(逆モヒカンみたいな髪型で)歌うというイロモノだかなんだかよく分からない活動からそのキャリアを始めています。その後、かぶりものに飽きたのかバンドを脱退(その後、バンドはドラマーだったフィル・コリンズを中心にポップ志向のバンドとしてヒットを飛ばす)、ソロ活動を始めるのですがどんどんアフリカン・ミュージックに傾倒し、独特の音楽を構築していくことになります。現在はもっと多彩で、アンビエントというか神的な雰囲気と言うか見た目も仙人みたいになっている……という変な人。



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 前々からソロ作を集める気ではいたのですが、この前間違ってベスト盤を買ってしまいました。まぁ、300円だったし、良いかと自分を納得させて聴いてみたら結構選曲が良くて、持ってる曲もエディットが違ったりでちょっと得した気持ちになりなました(現在は新しいベスト盤が出ています)。↑に挙げた映像は、ベスト盤に収録されているユッスー・ンドゥールのアルバムへのゲスト参加曲。ファンクではないアフリカの黒さ。



D


 私にとってピーター・ガブリエルが不思議に感じられるのは「リアル・アフリカン的な黒さ」とファンクのような「アフロ・アメリカン的な黒さ」を同時に内包しているところです。1986年のヒット・アルバムSOに収録された「Sledgehammer」(↑動画)では典型的なファンク・サウンドが試みられている。2種類の黒さを持ったイギリス人ってなんだよ、それ!という感じが面白い(しかも貴族出身らしい)。


 参加ミュージシャンが豪華すぎるのもツボです。サウンドの核になっているベース(スティック)奏者のトニー・レヴィンはもちろん、ロバート・フリップ、ケイト・ブッシュ、スチュワート・コープランド、ダニエル・ラノワ……とざっとベスト盤収録曲に参加してる人を眺めるだけで笑いが込み上げてくる感じのすごさ。かなりマニアックなところだとダブル・ネックヴァイオリンという畸形的な楽器を弾くヴァイオリン奏者、シャンカール(ラヴィ・シャンカールとは別人。イギリスのジャズ・ロックで結構有名な人)も参加しています。


 300円で買ったCDでこれだけ楽しめる自分が割りと好きです。





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東大アイラー再訪

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東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編
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 プログレとか言ってる場合ではなく、えっさえっさと卒論を書かなくてはならない身の上なのでプログレ関連のYoutube動画を探すのを我慢して卒論を書いています。現在は1930年代からのジャズ批評における「語りの方法」を抽出し、その後、アドルノと闘わせる……というよくわからない構想の章に着手しはじまったところ。その前に簡単なジャズ史みたいなものを書かなくてはいけないので、昨晩から菊地・大谷による『東京大学のアルバート・アイラー』を再読しています。


 爆笑しながらジャズの歴史とその即興演奏における方法論が知ることができる、ということに「とんでもない本だ……」と改めて思ってしまいました。特にマイルス・デイヴィスの「モード奏法」の箇所などは素晴らしく明快で「『Kind of Blue』の根底にはこんなドグマが存在したのだなぁ、ふはぁー」と溜息がもれますが、それをさらにこのアルバムが出た当時のジャズ批評と対比してみると、この本の「面白さ」は何倍にも膨れ上がります。

 当時のジャズ批評って、やれ「黒人の怒りが」とか「○○の生活は……」とか音楽と全く関係ないことばかり語っているのですね。終止、ミュージシャンの身の上話に語りのフォーカスが当てられている。これってたぶん、ジャズ・ジャーナリストと呼ばれる人たちってジャズを楽理的に分析する能力が皆無だったからだと思うんですよ*1。その「音楽の構造を分かってないけどなんかを語ってる不思議な感じ」は『東大アイラー』と比較すればすごく浮かび上がってくる。


 ただ『東大アイラー』は別に画期的な語り口というわけではないんですけど。「楽理的分析から批評的な言説を紡ぐ」という方法であれば、それこそアドルノだってやっているし、それ以前のハンスリックという人もやっています。でも、いつしかそういう方法は取られなくなっていく。その感じっていうのが、音楽がどんどん楽譜(というエクリチュール)から離れていくのと関係があるんじゃないかな……と思ったりもします。楽理的分析によって音楽を描くこと事態に限界があるのに、菊地・大谷がそれによって音楽をどう語るのか、っていうのはあんまり明確にされていないような気もするし。言ってみれば楽理的に音楽を分析したところでそれを「理解」と呼べるかどうか……。アドルノならそんな「理解」を「音楽の廃墟にすぎない」とか言う気がするなぁ。


 再読しているうちに論文と関係ないことが頭に浮かんだので、ささっと書いてみました。




*1:いや、私も分析能力なんかほとんどないんですが





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違和感なし!

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Drama
Drama
posted with amazlet on 06.11.27
Yes
Atlantic/WEA (1994/10/18)
売り上げランキング: 201857



 「ニューウェーヴ再評価」の波も一段落、と言った昨今、別にその流れに乗ってニューウェーヴ関連昨を買い集めていたわけではないのだけれど「じゃあ、次はプログレか?!」とか思っている。たぶん「プログレ再評価」とか絶対無いけど「誰かに買われないうちに……」と今のところ人気がない中古盤価格が安いアルバムを買って来て「うわー、良いなぁ」とか思うのは楽しい。そんなわけでイエスの『Drama』というアルバムを買って来た。500円……。


 イエスと言えば「ヴォーカル、ジョン・アンダーソンのハイトーン・ヴォイス」がまず特徴の一つとして挙げられると思うんだけど、1980年に発表されたこのアルバムはジョン・アンダーソンがキーボードのリック・ウェイクマンと一緒にバンドを脱退してしまった後に、バグルズを吸収して製作されている。「ラジオ・スターの悲劇」をヒットさせ「MTVの象徴」とも言えるバグルスと、70年代前半にいくつか売れたアルバムがあれど「ダサいロック」の象徴であるイエスの融合ってどんなだよ!って思うんだけど、全然違和感が無いところが面白い。すごく……好きだ。

 印象としてはA面が、長尺で変拍子、展開の多い「Machine Messiah*1」という楽曲を中心に従来のイエス風でまとめられているのだけれど、B面が素晴らしい。バグルスが「技巧派バンド、イエス」というマテリアルを使用して自由に作り上げたモダン・ポップという佇まいが粋(そしてどう考えてもバグルスの楽曲にしか聴こえない)!各々の癖のあるプレイ、特にスティーヴ・ハウの変なスライド・ギターとか音数の多いパッセージが盛り込んであるんだけど、それが過剰で全体としてまとまりがついてない――「そこが良いんじゃない!(みうらじゅん)」と叫びたいですよ、私は。



D


 A面はバンドを去っていったジョン・アンダーソンへのトリビュート。ある意味、ポール・ロジャースのヴォーカルによるクイーン再結成みたいなものなんだろうけど、その部分はほんとに結構どうでも良いです!「ジョン・アンダーソンを再現」みたいなものに過ぎないから。何度でも言うけど、「見た目はバグルスで内臓が過剰にイエス」というB面曲が最高(映像はB面に収録された『Into The Lens』という曲のライヴ映像。この後、このメンツによるイエスは二度と存在しないので貴重な映像)。ちなみにこのバグルス-イエスはこの後、分裂してエイジアになったり、トレヴァー・ラビンという人をいれてシネマというバンドになったりします(シネマにジョン・アンダーソンが出戻ってイエスの名前になる)。




*1:マシン・メサイアってどういう意味だろう……





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東京都交響楽団第635回定期演奏会@サントリー・ホール

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曲目




  • ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番

  • R・シュトラウス:《アルプス交響曲》


 指揮はエリアフ・インバル、ピアノはエリソ・ヴィルサラーゼ。海外からの割と大物な指揮者が客演ということで、この日の客入りは8割ほどという感じ。「あー、生でベートーヴェンのピアノ協奏曲が聴きてぇなぁ」と2ヶ月ほどまえにチケットを予約していたのだけれど、チケットを買っていたのをほぼ忘れているぐらいだったので本当にチケットを予約できているか心配になりながら、会場へ。カラヤン広場は早くもクリスマスムード全開。


 ソリストのエリソ・ヴィルサラーゼという人は、グルジア出身でネイガウスやリヒテルなどの元で研鑽を積んだ大家なのだとか。ボリス・ベレゾフスキーの先生だと言うのだから、結構すごい人みたい。細かいところの指周りが怪しかったり冒頭からちょっと心配だったのだけれど、まずまずの好演。テンポの変化がかなり目まぐるしく、オーケストラとの連動が上手くいっていない所もいくつかあったけれど、ラストで一気に巻いていく勝負感が楽しい。



R.シュトラウス:アルプス交響曲
インバル(エリアフ) スイス・ロマンド管弦楽団 R.シュトラウス
コロムビアミュージックエンタテインメント (2005/12/21)
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 そしてメインの《アルプス交響曲》。R・シュトラウスの1911年の作品。これはもう後期ロマン派最大規模の作品と言っても良く、通常の二倍のオーケストラ(チューバ、ハープも二台ずつ!)、各種の特殊楽器、金管別働隊、さらにオルガンまで使用するというキチガイっぷりが圧巻で、演奏前から笑いが込み上げてきた。喩えるなら二個大隊+特殊兵器+グリーンベレー部隊にガンバスターがついてくるみたいな感じだろうか。そこには「近代性の結晶」としての音楽みたいな精神があって「オーケストラでアルプス登山を表現してやるぞ!オラッ!!」みたいな気概がとても良い。今、そういう「やる気」をみたら失笑するけど、当時はガチだった、っていうのが温度の差を感じさせ、その差が好きだ。バカみたいに扱ってるけど、生で聴くとマジで迫力とか音量とかがすごいから、機会が会ったら一度は体験してほしい作品だな、と思う。


 インバルの演奏は「さすが外人……惜しみないな……」と思わせるパワフルなもので、とても良い演奏。各ソリストも気合充分で(特にコンサートマスター矢部達哉!)、日本のオケもやればできるじゃないか!と見直すぐらいに興奮させられる。この曲で使う特殊楽器もバカみたいに音量全開だし。特にウィンドマシーン(レバーをグルグルまわすと風が吹く音が出る)は、後半部分ずっとソロみたいな活躍ぶりで笑った。バカみたいなんだけど、そういう曲なんで良いのです。





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ミニマル悪夢

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女中(メイド)の臀(おいど)
ロバート・クーヴァー Robert Coover 佐藤良明
思潮社
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 トマス・ピンチョンやジョン・バースに並ぶアメリカのポストモダニストと称される小説家、ロバート・クーヴァーの短編。「強烈な印象の小説だったよ……」という友人の薦めによって読む。主人とメイドという非常に閉じた世界の中で、言葉遊びを伴ってミニマルに繰り返される官能――簡単に小説の内容を言うならばこんな風に表現できるだろうか。メイドが失敗をするたびに主人はメイドの尻を鞭で叩くのだけれど、その関係は同時に「主人は《叩かなければならない》」という受動的な暴力にもなっていて屈折したSM的関係が面白い。


 非常に翻訳の限界を感じさせる小説だなぁ、と思った(翻訳者、佐藤良明による解説を読まなくては分からないことだけれど)。原文の言葉遊びの部分を、翻訳者は「ダジャレシステム」で解決しようとしているんだけれど、なんかやっぱり無理がある、というか……ダジャレにしてしまうことによって「遊び」の部分ばかりが浮き上がってしまう感じがするよなー。私は英語が苦手なので文句は言えないし、むしろ、「読書は闘いである」などと言うのであれば言語能力を習得する必要性にも駆られてしまう。


 原文はクラシックで格調高い文章だそう。翻訳だと部分的にあるその「硬さ」がお笑いにしか感じ無いのが……つらい。仕方がないことだ。





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